アジア動向年報
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各国・地域の動向
2022年のフィリピン マルコス新大統領の誕生
渡辺 綾(わたなべ あや)
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2023 年 2023 巻 p. 293-320

詳細

2022年のフィリピン マルコス新大統領の誕生

概 況

5月に実施された大統領選挙で,フェルディナンド・“ボンボン”・マルコスJr.(以下,マルコス)が圧勝し,新政権が発足した。国民から期待の高い新大統領であるが,経済政策をのぞき政治面では政策方針が明らかでない。ドゥテルテ前政権で悪化した人権状況の改善は望めず,父マルコス独裁政権時の弾圧や不正蓄財に関する言論への圧力が高まっている。

経済面では,実質国内総生産(GDP)成長率が1976年以来の高水準となり,新型コロナウイルス禍からの回復を印象付けた。年後半にかけて進行した通貨ペソの下落,物価高を抑制するために中央銀行が大幅利上げを行ったが,経済活動を大きく阻害しなかった。マルコス新政権の社会経済アジェンダでは,技術開発・経済発展の推進とともに,雇用促進が重要視される。

外交面では,マルコス大統領は就任後の最初の訪問先としてシンガポールとタイを選んだ。このような姿勢から対米・対中関係を基軸にしつつ,東南アジア近隣諸国との連携の深化を模索していくと考えられる。同時にASEAN,APECの首脳会議などの国際会議では,フィリピンへの投資を呼びかけ,フィリピン政府が重要視する気候変動への対応や南シナ海問題などを訴えた。

国内政治

マルコスが大統領に当選

5月9日に大統領選挙が実施され,マルコスが大統領に当選した。約20年にわたり独裁政権を築き「エドサ革命」によって1986年にその座を追われた故フェルディナンド・マルコス元大統領の長男である。世論調査会社パルス・アジアが実施した2021年9月までの世論調査では,人々から次期大統領の期待が高かったのはドゥテルテ前大統領の娘サラ・ドゥテルテであった。しかし,彼女が副大統領候補としての出馬を決めると,マルコスが世論調査で支持率1位に踊り出て,人々の人気と期待を背負ったまま大統領選挙を迎えた(図1)。最終的な大統領候補者数は10人であり,マルコスの得票率は58.8%で,次点のレオノア・ロブレド候補に倍の差をつけての勝利となった(表1)。その他,主要な大統領候補は,エマヌエル・パッキャオ,フランシスコ・“イスコ”・モレノ・ドマゴソ,パンフィロ・ラクソンなどで,それぞれ7~2%程度の得票率であった。

図1  大統領候補者の選挙前支持率

(注)その他候補者はいずれも支持率3%未満のため割愛。

(出所)Pulse Asia Research Inc.(https://pulseasia.ph/)資料より作成。

表1  大統領選挙結果

(出所)上下両院・票点検合同委員会発表資料

http://legacy.senate.gov.ph/lis/bill_res.aspx?congress=18&q=RBH-1)より作成。

副大統領選挙は,サラ・ドゥテルテが61.53%の得票率で当選した。こちらも,ロブレドと組んで副大統領選挙を戦い次点だったフランシス・“キコ”・パンギリナンに3倍以上の得票差をつけた。

正副大統領候補がそれぞれ過半数の票を得て当選するのは,1987年の再民化後で初めてのことであり,マルコスとドゥテルテは広範な支持獲得に成功したといえる。彼らの勝利に大きく貢献したとされるのが,地域的なすみ分けとソーシャルメディアの活用である。前者については,マルコスがルソン島北部のイロコス・ノルテを地盤とし,サラが南部ミンダナオ島のダバオ市出身であるため,2人が組んだことによりとりわけルソン島とミンダナオ島で多くの有権者から支持を獲得したと指摘されている。また,マルコスはソーシャルメディアをとおしてイメージアップに最も成功した候補者だったといえる。彼は,選挙委員会による候補者討論会を欠席しメディアのインタビューを忌避したが,ソーシャルメディア上で多くのYouTube動画やFacebookの投稿を発信し,親しみやすさや指導力をアピールすることで多くの人々の共感を得た。なお,マルコスを支持するSNSコンテンツのなかには,独裁政権時の弾圧,マルコス一族による政治の私物化,大規模な横領などは歴史上存在せず間違った歴史認識だとする偽情報を流布し,マルコス一族の批判者や対立候補であるロブレドを誹謗中傷するアカウントが多く存在する。

議会選挙:上院議員の戦略と有力政治家一族の伸張

フィリピンでは大統領選挙と同日に国政・地方選挙が行われる。国政レベルでは上院の半数の議席と下院の全議席が,地方政府では州レベルから市レベルまでの正副首長と議会議員が改選される。具体的には,上院12議席と下院316議席が争われ,地方レベルでは81州,146市,1488町の正副首長,地方議会議員が改選対象であった。なお,バンサモロ自治政府の選挙は2025年に延期されている。

正副大統領選挙の次に耳目を集めるのが上院選挙であり,今回は2点特徴をあげられる。まず,多くの有力上院候補が複数の大統領候補と連携したことである。通常,大統領候補が自陣営から出る上院議員候補を支持することで選挙期間中に互いに連携する。一方で,各上院議員候補は特定の大統領候補陣営に属しつつ,複数の大統領候補陣営にも接近して「ゲスト候補」として名を連ねる。今回の選挙でも幅広く連携を図る上院議員候補が多く見られた。たとえば,7月の議会開会で上院議長に選出されたフアン・ミゲル・ズビリはマルコス大統領候補陣営から出馬したが,パッキャオ陣営やラクソン陣営,ロブレド陣営にも「ゲスト候補」として名を連ねた。ただし,選挙キャンペーン中にズビリがマルコスを「我らの大統領」と言い放ったことで,選挙1カ月前にラクソン,ロブレド陣営の上院議員候補から脱落した。得票数2位で当選したローレン・レガルダはラクソン大統領候補陣営から出馬したが,マルコス陣営やパッキャオ陣営にも「ゲスト候補」として名を連ねていた。

このような複数の大統領候補との連携は,選挙後を見据えた選挙戦略とみることができる。今回と異なり,過去2回の大統領選挙では勝者に関する事前予測が困難となっていた。2010年と2016年の大統領選挙では,選挙前の世論調査で支持率2位以下だった候補が選挙直前に追い上げ当選を果たした。とりわけ2016年以降は,政党の重要性のさらなる低下が候補者の「カリスマ性」という個人的要因の重要性を高め,形勢一変の容易さに拍車をかけている。大統領選挙の勝者が誰であれ,上院議員候補は複数の大統領候補と連携することで当選後を見据えて有力大統領候補との関係構築を図っていたと考えられる。

もうひとつの特徴は,有力な政治家一族から複数のメンバーが議席を獲得したことである(表2)。有力者による公選ポストの掌握は以前から続くフィリピン政治の特徴であり,国政・地方レベルを問わずその傾向が近年強まっている。上院では,ジョセフ・ビクトール・エヘルシトとジンゴイ・エヘルシト・エストラーダの父親がジョセフ・エストラーダ元大統領である。今回当選したマーク・ビリヤールと非改選議員のシンシア・ビリヤールは親子である。また,アラン・ピーター・カエタノが当選したことでピア・カエタノと姉弟で上院議員を再び務めることになった。

表2  上院選挙結果

(出所)Commission on Elections,2022年5月27日発表資料(https://comelec.gov.ph/?r=home),各種報道より作成。

有力政治家一族による議席の占有は上院にとどまらない。その最たる代表例がマルコス家である。大統領に当選したマルコスを筆頭に,姉アイミーが非改選の上院議員で,上院で4つの委員会の委員長を務める。下院では,大統領のいとこでレイテ州1区から選出されたフェルディナンド・マルティン・ロムアルデスが議長に就いた。彼の妻のイェッダ・ロムアルデスも下院議員であり,下院の内部予算の配分・支出などを担当する会計委員会の委員長を務める。さらに,一族の地盤であるイロコス・ノルテ州の公選ポストはマルコス家のメンバーが占める。同州の2つの選挙区ではそれぞれ大統領の息子といとこが下院議員を務める。息子のフェルディナンド・アレクサンダー・“サンドロ”・マルコスは,新人ながら新設された「上席多数派副院内総務」に選出された。くわえて,イロコス・ノルテ州の州知事と副州知事を一族のメンバーが務める。

その他国政レベル,地方政府の双方でも有力政治家一族による権力の伸張が指摘されている。アテネオ・デ・マニラ大学の調査によると,「政治家一族」が州知事ポストを獲得している割合は2004年の54%から2019年には80%に上昇し,下院における政治家一族の議席占有率は48%から67%となった。フィリピンでは有力者による権力乱用や富の集中が不均一な社会構造の要因として指摘されてきた。「有力政治家一族」による権力掌握が温存され深化するようであれば,汚職問題や所得格差といった積年の社会問題が大きく改善することは望めない。

議会は超党派で大統領支持

大統領は上下院議長などの議会リーダーと連携して政策課題の遂行に取り組んでいくとともに,今後の政権運営を安定させるには,彼らとの連携がカギとなる。上院では,選挙キャンペーンでマルコス支持を全面に打ち出したフアン・ミゲル・ズビリが上院議長に選出され,彼を支持した上院議員20人が「多数派」を形成する。少数派は,ロブレド大統領候補陣営で野党として選挙を戦ったリサ・ホンティベロスとアキリノ・ピメンテルIIIの2人のみで構成される。ピメンテルは,ロドリゴ・ドゥテルテ政権時に2022年選挙に向けたフィリピン民主党―民衆の力(PDP-Laban)の与党大統領候補の指名をめぐり,前大統領陣営と対立した。さらにピメンテルの父は,故マルコス独裁政権に対する抵抗運動を率いた人物の1人である。前述したカエタノ姉弟は,多数派とも少数派とも距離を置く「独立派」としての立場をとる。

下院議長にはマルコス大統領のいとこであるロムアルデスが就任した。選挙直後から,彼の所属政党であるラカス(Lakas-CMD)だけでなく,PDP-Laban,民族主義国民連合(Nationalist People’s Coalition)や国民統一党(National Unity Party)がロムアルデス支持を表明した。その結果,下院議員312人のうちの90%となる283票を獲得して下院議長に選出された。下院議員は地元からの支持獲得のためにポークバレル(議員がその使途を決められる予算費目)に依存する一方,予算執行の権限は大統領が有する。そのため,多くの下院議員が大統領支持にまわる。上下院の両方で圧倒的多数の支持を得たことで,マルコス大統領にとって盤石な政権運営の船出といえる。

新閣僚の顔ぶれ

マルコス政権では,経済・国防・外交といった重要政策分野では経験豊富なテクノクラートや専門家・実務家を閣僚ポストに据えた。外務長官に任命されたエンリケ・マナロは国連代表部,欧州連合のフィリピン代表部,駐ヨーロッパ諸国大使(イギリス,ベルギーなど)を歴任したキャリア外交官である。国防長官(代行)を務めるホセ・ファウスティノは元国軍統合参謀本部議長である。憲法の規定により,退役1年以内の軍人の政府要職への登用が禁じられているため新政権発足後は代行で長官職に就いたが,ファウスティノは2023年初頭に代行を解かれた。財務長官にはベンハミン・ジョクノが任命された。彼は元中央銀行総裁で予算行政管理長官や同省次官を歴任した人物である。予算行政財務長官を務めるアミナ・パガダマンは中央銀行の元理事である。国家経済開発庁長官に任命されたアルセニオ・バリサカンは経済学者で,ベニグノ・アキノIII政権で同庁長官を務めた。

一方で,選挙キャンペーンでマルコス陣営を支援した人物の長官職への任命も散見される。司法長官に任命されたヘスス・クリスピン・レムリアはカビテ州選出の元下院議員で,彼の一族は有権者数の最も多い同州でのマルコス-ドゥテルテ陣営の集票に尽力し,ロブレド陣営を「共産主義者」と呼び攻撃した。内務自治長官のベンハミン・アバロスJr.はマニラ首都圏開発庁(MMDA)長官であったが,その職を辞しマルコス陣営の選挙キャンペーンマネージャーを務めた。また,官房長官に任命されたビクター・ロドリゲスは選挙キャンペーン時の補佐官でスポークスパーソンであった。彼は砂糖輸入をめぐる混乱(「経済」参照)が露呈したあとに同職を退いた。

そのようななか,憲法の規定によりその独立性が謳われている憲法規定委員会のうちのいくつかの委員長職にマルコスに近い人物が任命されたことで,執政府・立法府からの中立性,その監視機能が損なわれるのではないかと懸念が出ている。7月,マルコス大統領は選挙委員長にジョージ・ガルシア前選挙委員を任命した。彼は,マルコスがロブレドに敗れた2016年の副大統領選挙の結果に不服申し立てを行った際に代理人を務めた。そのため,選挙委員会としての中立性を保てるのか懸念する声が上がっている。さらに9月,マルコス大統領は空席であった人権委員長職にリチャード・パルパラトックを任命した。彼はマルコス政権で法務担当の副官房長官に任命されたが,4カ月も経たずにポスト変更となった。法律家としてのキャリアは豊富なものの人権問題分野での活動履歴は確認されていない。公権力からの人権擁護という任務を公正に遂行できるのか疑問視する声が上がっている。

なお,ドゥテルテ副大統領は当初,国防長官兼務に意欲を示していたが教育長官に就いた。農業改革を訴えたマルコス大統領は農業長官を兼務する。

歴史の修正への懸念

マルコスの大統領当選は,歴史の書き換えへの懸念を浮上させた。新大統領は,以前から父マルコス元大統領の独裁政権時の人権侵害や不正蓄財を「でっちあげ」だとして,若い世代に「正しい」歴史を教えなくてはいけないと主張してきた。そのため,マルコスが大統領に当選したことで一族に都合のいいように歴史が書き換えられるのではないかとの懸念が生じた。このような懸念は,大統領選挙の結果が明らかになった直後に国家情報調整機関(NICA)が,子ども向けの本を出版するアダルナ・ハウスを「共産主義者」に指定したことで,より強まった。アダルナ・ハウスは大統領選挙後に独裁政権時の戒厳令関連書籍の割引販売を開始し,その翌日にNICAはアダルナ・ハウスを「共産主義勢力」と名指しした。NICAは同出版社の行為は子どもたちを過激化し,憎悪と反感の感情を植え付けるとしたうえで,過去の出来事ではなく読み書きや神への信仰心を子どもに教えることが親にとって重要だとの立場をとった。

さらに,7月にはアテネオ・デ・マニラ大学の歴史研究者アンベス・オカンポの発言がマルコス支持者から大きな反発を生んだ。彼は,映画『メイド・イン・マラカニヤン』に出演した女優による発言に反論する内容を発信した。この映画は,1986年に起きたマルコス独裁政権の退陣を求める抗議行動「エドサ革命」の発生からマルコス一族がハワイへ亡命するまでの3日間を描いたものである。出演女優のエラ・クルスはメディアのインタビューで「歴史は脚色され常にバイアスを帯びるもので,ゴシップのようなものだ」という内容を語った。これにオカンポは反応し「歴史は実際に起こった出来事などの史実に基づくものである。フェルディナンド・マルコスSr.が独裁者となり強権的な統治を行い,彼の一族が私腹を肥やしたという出来事を否定できる人はいないだろう」と指摘した。これに反発したマルコス支持者の一部からオカンポが誹謗中傷の対象となった。研究者や教育者のグループがオカンポを擁護するとともに,歴史教育や研究活動がSNS上で活動するインフルエンサーや自称「知識層」によって脅威にさらされていると懸念の声を上げた。

マルコス大統領に対して,父親の独裁政権時の被害者や遺族への適切な対応を求める声が上がったが,彼は沈黙を続けている。大統領就任後,彼はマルコス一族の歴史上の位置づけについて公に見解を示していない。

人権状況の改善は望めず

マルコスの大統領当選が決まると,ドゥテルテ政権下での「麻薬撲滅戦争」をめぐる人権侵害の実態解明を求める声が上がったが,新政権のもとで人権状況が大きく改善することは望めそうにない。

ジャーナリストへの圧力は継続している。とりわけ,パーシバル・“ラピッド”・マバサの殺害は国内外に衝撃を与えた。彼は,ラジオ・パーソナリティでドゥテルテ政権下での「反テロ法」による活動家および批判勢力への強権的捜査や,マルコス大統領と彼の一族に関する「情報操作」を糾弾してきた人物である。また,彼のYouTubeチャンネル登録者数は20万人を超え,Facebookフォロワー数は4万5000人に上り,社会的影響力が大きい人物であった。マバサは10月初旬に住宅を出たあとに,マニラ首都圏のラスピニャス市で何者かにより銃殺された。

マバサの殺害は世間の耳目を集めた。フィリピン・ジャーナリスト全国連盟(NUJP)は,マバサはマルコス政権下で殺害されたジャーナリストの2人目であり,フィリピンにおいてジャーナリストとしての活動が依然生命の危険を伴うということを示しているとの見解を発表した。また,外国人特派員協会は事件が都市部で発生したことに危機感を示し,実行犯がより大胆になっているとともに政府がジャーナリストを含む一般市民を理不尽な暴力から守ることができていない証拠だとした。

マバサの殺害に対して国外からも非難が高まった。カナダやオランダの欧米諸国の駐比外国公館などが本件への深刻な懸念を表明した。さらに,ジャーナリストへの暴力は報道の自由の根幹を揺るがし,彼らの活動領域を制限するものであると警告した。法務省は警察に捜査を急ぐように指示し,マバサ殺害の主犯格として矯正局長のヘラルド・バンタグが浮上した。しかし,彼はレムリア司法長官が裏で関与しているとして,2023年初頭に司法長官らの職務停止と捜査を求める訴えをオンブズマンに提出した。

レイラ・デリマ前上院議員の審理は進展がないまま,彼女は5年の月日を拘置所で過ごしている。彼女はドゥテルテ前政権の「麻薬撲滅戦争」批判の急先鋒であったが,2017年2月に麻薬密売を主導した容疑で逮捕された。ドゥテルテ政権末期の2022年4月,デリマの麻薬密売を供述した証人達がその証言を覆しだした。麻薬密売組織を束ねるカーウィン・エスピノーサは,不正に得た利益をデリマの側近に渡したとする供述を覆し,彼自身にかけられている容疑を無効にするという裏取引があったとともに,国家警察に脅されて虚偽の証言をするように仕向けられたと明かした。さらに,デリマが麻薬密売による大金を得ていたと証言した矯正局職員は,当時の司法長官ビタリアノ・アギレIIや彼に近い人々に強いられてデリマに不利になる発言をせざるを得なかったと語った。また,彼女の当時の側近で,エスピノーサから金を受け取りデリマに渡したと証言したロニー・ダヤンも,それはオリエンタル・ミンドロ州選出のレイ・ウマリ下院議員(当時)に強いられての虚偽だったと明かした。デリマにかけられた容疑3件のうち1件は無罪判決がでている。残る2件についても重要証人がその供述を覆すなか,国内外からデリマを釈放するよう声が上がっているが,2022年末においてもデリマは勾留されたままである。

経 済

1976年以来の高い経済成長率

2022年の実質GDP成長率は7.6%であった。これは,政府目標の6.5~7.5%を上回り1976年以来の高い水準である。海外就労者の送金が反映される海外純要素所得の伸び率は76.4%と大きく増加し,実質国民総所得(GNI)成長率は9.9%となった。

支出別では,GDPの7割を占める個人消費が8.3%増で,コロナ対応のための行動制限がほぼ撤廃され,人々による旅行や外食の消費行動が本格的に再開されたことが成長率をけん引した。その他は,政府消費が5.0%増,固定資本形成が10.4%増で,輸出が10.7%増となった。政府のインフラ投資を含む総固定資本形成と政府消費は,コロナ対応のための財政出動により財政が厳しさを増すなか昨年に比べて減速したが,輸出の増加が高い成長率に寄与した。

産業別では,前年と比べてすべての分野で成長率が増加した。農林水産業が0.5%増となり,鉱工業は6.7%増(うち製造業が5.0%増),サービス業が8.7%増であった。とりわけ,運輸・倉庫業が23.9%増,宿泊・飲食業31.8%増となり,個人消費の活性化がこれらの業種の大きな伸びに寄与した。

財貿易額は輸出入ともに前年度を上回った。輸入額が前年比17.3%増の1371億ドルで輸出額が同5.6%増の788億ドルであった。輸入額の増加幅が大きいことから貿易赤字が拡大し,前年より38%増えて583億ドルとなった。貿易赤字の拡大は経常収支にも影響し,同赤字額が178億3200万ドルとなった。

失業率は,年初は6%台であったが3月に5.8%に,10月に4.5%となり,年後半にかけて雇用状況が好転した。年間の完全失業率は5.4%となり,コロナ禍以前であった2019年の5.1%には届かないものの,同水準の雇用状況に戻ったといえる。また,就業しているものの労働時間や仕事の追加を求める人々の割合を示す不完全就業率は14.2%であり,コロナ禍以前の水準となった。

消費者物価指数の上昇率(インフレ率)は,年初は3%台だったものの,その後上昇を続け11,12月は8%台になり,年平均で5.8%となった。これは2008年以来の高い水準である。この主要因は,ペソ安の進行,食料価格や電気代・燃料費などの上昇が挙げられる。食料品に関しては,小麦粉やその関連製品,砂糖などの価格上昇や台風などの自然災害により農産物の収穫が落ち込んだことに加え,年後半にかけて活発化した個人消費がインフレ率を押し上げる要因となった。

2022年度予算の中央政府財政収支(現金ベース)は,収入が3兆5455億ペソ,支出が5兆1596億ペソで,1兆6141億ペソの赤字であった(対GDP比7.3%)。この結果,政府の債務残高は13兆4188億ペソとなり,2021年度末比で14%増加した。そのうち,対内債務は9兆2083億ペソで同じく前年度末比で13%増となり,対外債務が4兆2104億ペソで同18%増えた。対GDP比の債務残高は60.9%で2021年と同程度であり,依然高い水準となっている。

ペソ安の進行と大幅な利上げ

通貨ペソは第3四半期にかけて下落基調が続いた。9月2日には対ドルで18年ぶりに市場最安値を更新し,一時56.9ペソとなった。その後もペソはさらに下落し,9月後半から11月前半にかけて1ドルあたり58ペソ台でおおむね推移した。12月には55ペソ台後半に持ち直した。

このような状況のなか,フィリピン中央銀行は大幅な利上げに転じた。フィリピンではコロナ禍での経済活動を下支えするために3年以上にわたり政策金利を最低水準である2.0%に維持してきた。しかし,2022年5月以降に計7回の利上げが行われ,政策金利は5.5%となった。これは14年ぶりの高水準である。アメリカにおける金融引き締めに伴うペソ安を食い止めるとともに,年後半にかけて強まったインフレ圧力を緩和する狙いがあった。年間を通して堅調に推移した経済成長率もこのような大幅利上げの判断を後押しした。

マルコス政権の社会経済アジェンダ

マルコス政権の経済閣僚らは「8つの社会経済アジェンダ」を発表し,新政権が達成すべき目標を示した。短期的な目標は(1)エネルギーコストの上昇を抑制するとともに食料安全保障を確保し,家計の購買力を維持すること,(2)公衆衛生措置の徹底,コロナワクチンの接種促進,コロナ禍での学習機会の損失による社会的脆弱性の軽減,(3)行政の効率化,健全な財政運営,金融セクターの柔軟性・革新性を確保し堅固なマクロ経済環境を下支えすること,である。中期的な目標は(4)貿易・投資の促進,インフラ整備の推進,エネルギー安全保障の確保を通じた雇用創出,(5)研究開発,技術革新,デジタル技術の促進により高度な知識を要する雇用創出,(6)気候変動に対応するための技術開発,海洋資源開発,海洋技術といった持続可能な発展やコミュニティの創出に寄与する環境分野での雇用創出,(7)公共秩序,国内治安の維持,(8)市場競争を促し,企業や市場参入の障壁の軽減による公平なビジネス環境の確保,である。これらの目標を通して経済成長を促進し,マルコス政権は2023~2028年の経済成長率の目標を6.5~8%とした。さらに,2028年までに貧困率の9%台への引き下げ,2024年までに世界銀行が定める「上位中所得国」入りを目指す。ただし,世界銀行が所得グループの分類基準の改定を行ったため,12月にその目標達成を2025年に先送りにした。

インフラ整備については,マルコス大統領はドゥテルテ前政権の大型インフラ整備政策「ビルド・ビルド・ビルド」を基本的に踏襲する。ただし,財政状況が厳しさを増すなか,官民連携(PPP)方式を活用した資金調達が目指される。フィリピン開発予算調整委員会は,マルコス政権が終わる2028年のインフラ支出を対GDP比6.3%となる1兆1200億ペソにすることを目指している。2023~2028年の各年で同5.4~5.8%の支出を見込んでおり,支出額は毎年1兆2000億ペソから2兆ペソとなる。

農業政策については,マルコス大統領が農業長官を兼務し,その改革に意欲を示している。具体的な政策方針はいまだ明らかではないが,農業省の構造改革による資源配分の最適化や,技術革新を通して農業生産の効率化を図り農業従事者の生計向上を目指している。食料価格の世界的な値上がりが続くなかで,食料自給率の引き上げが安定的な食料供給に重要だとする。とくに,コメやトウモロコシの生産性を向上させて,輸入に大きく依存している同農産物の食料自給率の引き上げが重要視される。さらに,包括的農地改革プログラムの受益者を対象に,配分された土地に課される地価の償還を免責し彼らの財政的負担を軽減することを目指している。このように,農業分野への支援を通じて,国内の食料生産を増やし主要作物の輸入依存度を減らしていくことを政策目標として掲げている。

砂糖輸入をめぐる混乱

農業長官を兼務し農業政策の推進に意欲を示すマルコス大統領であるが,就任直後に砂糖輸入をめぐる命令系統の混乱が露呈した。砂糖は政府による供給管理政策で輸入量が管理されており,その担当機関が砂糖統制庁(SRA)である。SRAは砂糖の国内生産量と消費動向に応じて,毎年輸入量を調整してきた。砂糖1キログラムあたりの小売価格は2021年の約60ペソから2022年には約100ペソに上昇しており,価格上昇抑制のためにSRAは30万トンの砂糖輸入命令を8月9日に発出した。この命令文書の署名権限者は農業長官を務めるマルコス大統領であるが,レオカディオ・セバスチャン農業次官が大統領に代わり署名していたことが問題となった。セバスチャンは,ビクター・ロドリゲス官房長官により農業長官を兼務する大統領の代理として砂糖委員会のトップに任命されていた。

事前の協議で大統領と官房長官に砂糖輸入計画が伝えられ,両者から輸入命令の発出への了承を得ていたことが,8月中旬に行われた議会の公聴会でセバスチャンやその他SRA幹部により明かされた。それにもかかわらず砂糖輸入命令が公になると,大統領府はマルコス大統領が砂糖輸入に反対していると表明したうえで,同命令が大統領ではなくセバスチャンの署名により発出されたことを問題視し,文書発出に関わった人物への捜査を開始するとした。この騒動により,セバスチャン次官のみならずSRA統制官のヘルメネヒルド・セラフィカを含む砂糖委員会4人全員が辞任に追い込まれた。さらに,その理由は必ずしも明らかにされていないが,ロドリゲス官房長官も他の政府要職に就くことなく9月中旬にその職を去った。

問題発覚直後には,国内産業保護の観点から砂糖の輸入に慎重な姿勢をみせたマルコス政権であったが,飲料業界を中心に砂糖供給の不安定化が生産活動や加工食品・清涼飲料の価格上昇に深刻な影響をもたらすとの懸念が表明されると,態度を軟化させ9月に15万トンを上限とする砂糖輸入命令を発出した。同時に,従来は輸出向けに仕分けられていた国内産砂糖を2022年8月からの砂糖年度を対象に国内向けに振り分ける命令を発出した。12月には,砂糖の小売価格抑制のために「ミニマム・アクセス量」のメカニズムを適用して精製糖6万4000トンの輸入に迅速に対応するよう命じた。同メカニズムは輸入品に通常より低い関税を課し,安定的な価格・供給量の確保を目指すものである。なお,セバスチャンは2023年初旬に農業省に復職した。

一連のマルコス政権による態度の転変は,砂糖業界やその輸入政策に関する一貫した方策の欠如のみならず,農業長官を兼務するマルコス大統領による砂糖業界や需要と供給の動向の理解不足に起因していると考えられる。農業政策に意欲を示す大統領であるが,今後6年間でその手腕が試される。

対外関係

マルコス大統領の二国間外交

マルコス大統領は,就任以前より「すべての国と友好関係を築き,敵対しない」と述べ,独立外交を主張していた。新政権がアメリカと中国のどちらと歩調を合わせるのかに関心が集まったが,大統領は初めての外遊先としてシンガポールとインドネシアを訪れ,アメリカにも中国にも肩入れしない外交デビューとなった。施政方針演説で経済重視の姿勢を鮮明にしたマルコス大統領は,経済協力を両国での首脳会談の主な議題として取り上げ,その成果を強調した。とりわけインドネシアでは,PPP方式を活用したインフラ整備への協力57億ドルを含め,85億ドルの投資・経済協力を取り付けたと報じられている。さらに農業分野においては,世界的に肥料の価格が上昇するなか尿素肥料の輸入や漁業への支援が議題に上がった。くわえて,両国首脳との会談では南シナ海問題も取り上げられた。インドネシアでは海洋上の境界線の早期策定の重要性を確認するとともに,ASEANの枠組みを通して域内協力のさらなる推進が合意された。首脳会談後の共同声明では,73年にわたる外交関係を基盤とした両国の関係強化を目指すとともに,隣国を超えた親密さが強調された。シンガポールでは,1982年に「海洋法に関する国際連合条約」(UNCLOS)で定められた領海,排他的経済水域を尊重することが確認されるとともに,ASEANにおける南シナ海問題緩和のための「海洋行動規範」の早期成立が目指された。

マルコス新政権の発足に伴い,アメリカから高官が次々に来訪しフィリピンとの連携強化の動きが際立った。2022年8月にはアントニー・ブリンケン米国務長官が来訪し,台湾問題を取り上げるとともに,有事の際には米比相互防衛条約の責務を果たすとした。11月にはカマラ・ハリス米副大統領が来訪し,南シナ海係争海域に近いパラワン島を訪れた。そこでの演説で副大統領は,アメリカは南シナ海問題でフィリピンの側にあるというメッセージを発するとともに,国外からの違法漁業が与える地元の漁業者への影響に懸念を示し,沿岸警備隊への支援を発表した。さらに,9月に国連総会に出席するためにアメリカを訪れたマルコス大統領は,ジョセフ・バイデン米大統領と会談を行い,二国間関係の重要性を確認するとともに,フィリピンやアジア地域の安定のためにアメリカが果たす役割の大きさを確認した。

中国とは南シナ海問題で大きな衝突はなかったものの,依然緊張が続いている。3月には,沿岸警備隊の巡視船がスカボロー礁付近をパトロール中に中国海警局の船が接近し,中国の行為を互いの衝突の危険性を高めるとして同隊が非難した。11月には,海軍がパグアサ島付近で中国が打ち上げたロケットの残骸だと思われる浮遊物を発見後,それをロープでくくりつけてえい航していたところ,中国海警局の船に行く手を阻まれ浮遊物を奪われる出来事が発生した。中国側は「強奪」したのではなく交渉のすえ「友好的に」浮遊物が引き渡されたと説明し,フィリピンの主張と異なる。両国の見解の相違について,外務省は中国政府に口上書を送付し説明を求めた。

南シナ海の領有権問題を抱えているものの,とりわけ経済面では中国はフィリピンにとって重要な相手国であり,11月のAPEC首脳会議で,マルコス大統領は中国の習近平国家主席と会談した。初顔合わせとともに二国間関係の強化を確認し,2023年初頭に予定されている大統領の中国訪問が議題となった。フィリピン政府は経済発展のために対内投資を重視し中国への期待は高い。中国と緊張が高まった際に経済的利害が優先されるのか,それとも安全保障上の国益が追求されるのか,今後のマルコス政権の対応が注目される。

対米・対中外交に加えて,マルコス大統領は,9月に国連総会に出席した際には岸田文雄首相と会談を行った。東シナ海・南シナ海問題が議題に上がるとともに,鉄道の敷設,スービック港湾地区開発,海洋警備などへの日本による支援が言及された。

マルコス大統領の首脳会議外交

二国間外交に加えて,マルコス大統領は首脳会議外交でも新大統領としての存在感を示した。11月にはASEAN首脳会議とAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議に,12月にはベルギーで開かれたASEAN-EU首脳会議に出席し,新政権が重要視する政策課題を訴えた。具体的には気候変動,食料安全保障,南シナ海問題である。複数の台風による被害が毎年発生するフィリピンにとって,地球温暖化への対応は喫緊の課題である。2015年のパリ協定で採択された「適応に関する世界全体の目標」(Global Goal on Adaptation)の適用を呼び掛けた。同目標は世界の気温上昇を2度未満とする長期目標を定めている。大統領は各国の能力開発や協力体制の構築だけでなく,目標実現に取り組む段階にあるとした。

気候変動と関連し,食料安全保障もフィリピンにとって重要な分野である。毎年,自然災害により農作物は甚大な被害を受ける。9月に発生した超大型台風カーディングによる農業生産への被害は31億ペソで,被害を受けた農地は北ルソンを中心に17万ヘクタールと試算された。また,2021年末の台風オデッテによる農作物への被害は30億ペソに上ると指摘された。大統領は,食料の安定的な供給のためには技術革新とともに気候変動への世界レベルでの対応が必要だとし,「ASEAN+3緊急米備蓄」を積極的に支援していくとも表明した。同枠組みはASEAN10カ国に日本,中国,韓国を加えて,自然災害時など緊急事態に備える多国間の米備蓄制度である。また大統領は,国内農業への技術・イノベーション投資を呼び掛けた。

南シナ海問題への言及を避けたドゥテルテ前大統領と異なり,マルコス大統領は同問題についても積極的に発言した。ASEAN首脳会議では南シナ海における「海洋行動規範」の早期策定を呼び掛け,ASEAN-EU首脳会議では南シナ海問題対処のためにUNCLOSを尊重するとともに,そのために地域間の協力体制の構築を訴えた。マルコス政権では国際法に基づいて中国との領有権問題に対処していくと考えられる。

ASEAN-EUサミットではEU加盟国9カ国に加えてEU代表とも会談し,経済協力の推進とともに再生可能エネルギー,サイバー・セキュリティ,防衛分野での支援を呼び掛けた。

国際刑事裁所による捜査再開

6月,国際刑事裁判所(ICC)のカリム・カーン主任捜査官は捜査が中断されていたドゥテルテ前大統領による「麻薬撲滅戦争」の人権侵害に関する捜査再開を承認するよう予備裁判部に求めた。2021年末,フィリピン政府が自国の司法制度のもとで「超法規的殺人」の捜査を行うと主張したため,捜査を中断していた。しかしフィリピン政府主導での捜査が進んでいないと結論づけたカーン主任捜査官は捜査再開を予備審査部に申し立てた。その審議のために同部は,政府と被害者に捜査再開に関する見解を9月8日までに提出するように求めた。

このような動きにマルコス大統領は否定的な見解を示した。フィリピンの司法制度は機能しており,ICCの動きは内政干渉だとした。また,国内の事案であるため,フィリピン政府が対処すべき問題であり外国が口を出すべきではないと述べた。さらに,フィリピンが2019年に脱退した,ICCの法的地位や権限を定めるローマ規程を再度締約しないと表明した。メナルド・ゲバラ検事総長は,ICCがフィリピンに対して管轄権を有していないとして,9月8日期限の要請を突っぱねた。フィリピン政府による不承知はあったものの,2023年初頭に予備審査部は捜査再開を承認した。

現在のフィリピンでは,司法が権力者を監視し市民の権利を十分に保護しているとは言い難い。このような傾向は,ドゥテルテ前政権で大統領スポークスパーソンを務めたヘルミニオ・ロペス・ロケのメディアでの発言に表れている。ロケはICCがドゥテルテ前大統領に逮捕状を発行したとしても,フィリピンの司法制度を利用して彼の身柄引き渡しを拒否できると語った。具体的には,第三者が裁判所に前大統領を告訴することによって,国内の刑事司法手続きに則った捜査・審理開始が優先されるため,国外への身柄引き渡しを行わないとした。司法制度が統治者による恣意的な権力行使を抑制するのではなく,権力者が責任追及から逃れる手段として利用できることを示唆している。

2023年の課題

選挙キャンペーン時,マルコス大統領は「国民としての結束」(unity)を訴え,父の「偉業」を強調しつつ「再び偉大な国家に返り咲く」として人々からの支持を集めた。しかし,とりわけ政治面については具体的な政策目標をいまだ明らかにしていない。世論調査会社ソーシャル・ウエザー・ステーションズが行った2022年末の調査によると75%の回答者がマルコス大統領のパフォーマンスに満足していると答えた。人々からの期待が高い大統領であるが,6年後にどのような国家像を目指すのか,明確なビジョン,政策の方向性を示す必要がある。それと同時に懸念されるのが歴史の修正問題である。ドゥテルテ副大統領が教育長官に就いたことで学校教科書がマルコス一族に偏向した形で書き換えられるのではないかとの懸念が浮上した。マルコス政権はそれを即座に否定した。現在のところ,表立って組織的な動きは出ていないが,独裁政権時の弾圧や経済の破綻への言及に圧力が強まるなか,歴史修正問題を注視していく必要がある。

経済面については,2023年初頭に今後6年間の経済政策の方向性を示す「フィリピン開発計画2023~2028」が公表された。その内容の柱はコロナ禍で発生した社会・経済的脆弱性を軽減させるとともに,雇用創出による貧困のさらなる削減である。これらにより経済的危機の際に回復力が高い社会の創出,包摂的な成長が目指される。また,2023年においても高水準の経済成長を持続させるためには,インフレ圧力の抑制が求められる。中央銀行のフェリペ・メダリャ総裁は2022年後半に行った連続利上げにより,インフレ圧力は2023年第1四半期で頭打ちとなり,第2四半期に落ち着くと見込んでいる。

対外関係では,国際会議で積極的にフィリピンが重視する政策分野・課題を訴えたマルコス大統領の姿勢が2023年も継続されると考えられる。2023年初頭には中国と日本への訪問がそれぞれ予定されている。各国が集まる首脳会議では国際法の枠組みで南シナ海問題に対応することを主張したマルコス大統領であるが,習主席との直接会談で南シナ海問題がどのように議題に上がるのかが注目される。日本に対して,インフラ整備のみならず農業,再生可能エネルギー,デジタル技術などへの支援が呼びかけられるとともに,周辺海域の情勢不安が増すなか,防衛面での関係の緊密化が模索されるとみられる。アメリカとは,比米関係の修復が図られるなか,とりわけ防衛面での関係強化が模索されると考えられる。

(地域研究センター)

重要日誌 フィリピン 2022年
   1月
5日国家放送委員会,ABS-CBNが利用していたテレビ放送の周波数を実業家マヌエル・ビリヤールのアドバンスト・メディア・ブロードキャスティング・システムに暫定的に割り当てることを決定。
9日ローズマリー・カランダン最高裁判事,定年により退官。
17日選挙委員会,フェルディナンド・“ボンボン”・マルコスJr.(以下,マルコス)大統領候補の候補者としての資格剥奪を求めた申し立てを棄却。
25日国軍,新人民軍のナンバー2だったペドロ・コダステが戦闘により死亡と発表。
   2月
2日シャリフ・アバス選挙委員長,ロウェナ・グアンゾン委員,アントニオ・コー委員,任期満了により退官。
2日アリシア・デラ・ロザバラ公務委員長,任期満了により退官。
23日ドゥテルテ大統領,最高裁判事にアントニオ・コー前選挙委員を任命。
   3月
1日国軍,南ラナオ州にある武装組織「ダウラ・イスラミーヤ」の拠点への制圧作戦・空爆開始。少なくとも3人死亡。
2日ドゥテルテ大統領,改正外国投資法(RA11647)に署名。
7日ドゥテルテ大統領,大統領スポークスパーソン(代行)にコミュニケーション・オペレーション長官のマーティン・アンダナールを任命。
8日ドゥテルテ大統領,選挙委員長(代行)にイスラム系フィリピン人全国委員長のサイダマン・パンガルガンを,公務員委員長にカルロス・アレクシ・ノグラレス大統領スポークスパーソンを任命。
19日選挙委員会,大統領候補者討論会を実施(4月3日にも実施)。マルコス候補は両日欠席。
21日ドゥテルテ大統領,改正公共サービス法(RA11659)に署名。
28日米比合同軍事演習「バリカタン」開始(~4月8日)。2015年以降で最大規模。
29日タール火山,小規模噴火(3回)。周辺住民7000人超が避難。
29日沿岸警備隊,巡視船が受けた中国海警局の船による危険行為に対して外交ルートを通じて抗議と発表。
   4月
1日米司法省,アメリカ在住の法務助手マリア・デ・レオンがビザ申請書類などを捏造してアポロ・カレオン・キボロイらによる人身取引をほう助したことを認めたと発表。
8日ドゥテルテ大統領,中国の習近平国家主席と会談(オンライン)。
8日テオドロ・ロクシン外務長官,デルフィン・ロレンザーナ国防長官,第1回日・フィリピン外務・防衛閣僚会合(「2+2」)出席のために訪日。岸田首相と会談。
13日ドゥテルテ大統領,国軍幹部の任期を3年に定める法律(RA11709)に署名(7月1日に施行)。
25日カルロス・ドミンゲス財務長官,来日。林芳正外相と会談。
26日大統領,電気自動車(EV)産業を推進・支援する法律(RA11679)に署名。
   5月
2日クラーク国際空港,新ターミナルの正式運用開始。旅客処理能力は年間800万人。
5日人権委員会の全委員,新メンバーの任命がないまま5年の任期終了。同ポストが空席に。
5日ドゥテルテ大統領,金融商品取引における利用者・投資者の保護を強化する法律(RA11765)に署名。
9日大統領選挙実施。同日に国政・地方選挙も実施。
10日マルコス大統領候補,当選が確実視されるとすぐに父の墓を訪問。
12日ロクシン外務長官,ドゥテルテ大統領の代理としてアメリカで行われた米ASEAN特別首脳会議に参加。
12日マルコス次期大統領,バイデン米大統領と電話会談。祝意を受ける。
18日マルコス次期大統領,習近平国家主席と電話会談。
18日ドゥテルテ大統領,最高裁判事にマリア・フィロメナ・シン控訴院判事を任命。
19日金融委員会,政策金利の0.25ポイント引き上げ,翌日物借入金利を2.25%に。
20日マルコス次期大統領,岸田首相,モリソン豪首相と個別に電話会談。
21日ドゥテルテ大統領,コメ,肉類,石炭などの輸入品の関税引き下げ期間を2022年末までとする行政命令(EO171)に署名。
   6月
9日マルコス次期大統領,ウェンディ・シャーマン米国務副長官と会談。
10日ロレンザーナ国防長官,シンガポールにて第19回IISSアジア安全保障会議(シャングリラ会合)に参加(~12日)。モンゴルと防衛協力に関する覚書締結。
19日ダバオ市にて副大統領就任式。サラ・ドゥテルテ前ダバオ市長が第15代副大統領に。
23日ケソン州バルティ島の沖合でフェリーが炎上し7人死亡。
24日金融委員会,政策金利の0.25ポイント引き上げ,翌日物借入金利を2.5%に。
24日カーン国際刑事裁判所(ICC)捜査官,フィリピンでの捜査再開を予備裁判部に申し立て。
28日最高裁,マルコスの大統領候補としての資格剥奪を求める申し立てを棄却。
29日証券取引委員会,インターネット・ニュース・サイト「ラップラー」の事業免許取り消し。
30日フィリピン国立美術館で大統領就任式。マルコスが第17代大統領に。中国の王岐山国家副主席,林芳正外相らが式典に参加。
30日ロブレド前副大統領,自由党総裁を辞任。後任にエドセル・ラグマン下院議員。
30日マルコス大統領,大統領府の組織改編に関する2つの行政命令(EO1,EO2)に署名。内閣担当局と大統領スポークスパーソン廃止。
   7月
2日新型コロナウイルス対策のための医療関連製品の不正契約の疑いで勾留されていたファーマリ製薬のリンカーン・オンとモヒート・ダラガニを釈放。
6日マルコス大統領,中国の王毅外交部長と会談。エンリケ・マナロ外務長官と黄渓連・駐比中国大使が同席。
8日大統領府,マルコス大統領が新型コロナウイルスに感染と発表。
8日控訴審,マリア・レッサ・ラップラーCEOらによるマニラ地裁のサイバー名誉棄損罪に関する判決への不服申し立てを棄却。
11日教育省,学校の新年度開始を8月22日とする省令(第34号)発出。
11日金融委員会,政策金利の0.75ポイント引き上げ,翌日物借入金利を3.25%に。
16日ジョクノ財務長官,主要20カ国・地域(G20)首脳会議に出席。
18日大統領府,コロナ対策の実行部局を新型コロナウイルス感染症(COVID-19)国家タスクフォースから国家災害リスク軽減・管理評議会(NDRRMC)に変更。
22日マルコス大統領,選挙委員長にジョージ・ガルシア前選挙委員を任命。
22日マルコス大統領,新たに着任したメアリーケイ・カールソン駐比米大使と面会。
23日基礎教育から高等教育までの教育分野全般の見直しを目的とする「教育審議会II設置法」(RA11899)成立。
25日第19議会第1会期開会。上院議長にフアン・ミゲル・ズビリ議員,下院議長にフェルディナンド・マルティン・ロムアルデス議員を選出。
25日マルコス大統領による施政方針演説。
27日上院,安倍元首相を追悼する決議(SR10号)を採択。
27日ルソン島北部でマグニチュード7.0の地震発生。少なくとも11人死亡。
27日科学,文化などの創造産業に従事する人々の保護および能力開発を促進する「クリエイティブ産業振興法」(RA11904)成立。
29日保健省,国内初のサル痘感染者確認。
30日デジタル技術の競争力,人材育成を推進する省庁間評議会の設立を定めた「デジタル人材競争力法」(RA11927)成立。
31日フィデル・ラモス元大統領,死去(94歳)。
   8月
1日マルコス大統領,国家警察長官にロドルフィ・アズリン北ルソン管区警察局警視監を任命。
4日テレサ・ラザロ外務次官,マナロ外務長官の代理で日ASEAN外相会議に出席。
5日アントニー・ブリンケン米国務長官,来訪(~6日)。マナロ外務長官とはオンラインでマルコス大統領とは対面で個別に会談。
8日マルコス大統領,国軍統合参謀本部議長に南部ルソン司令官のバルトロメ・ヴィセンテ・バカロを任命。
9日ラモス元大統領の国葬実施。マルコス大統領が参列。
10日コタバト市でモロ・イスラーム・解放戦線のグループ間の衝突により5人死亡。
12日マルコス大統領,科学技術長官に同省次官のレナト・ソリダムJr.を任命。
18日金融委員会,政策金利の0.5ポイント引き上げ,翌日物借入金利を3.75%に。
   9月
1日ファウスティノ国防長官代行,ロイド・オースティン米国防長官と電話会談。
4日マルコス大統領,インドネシア訪問(~6日)。
6日マルコス大統領,シンガポール訪問(~7日)。
13日日本政府,国連開発計画(UNDP)と連携して「バンサモロ・ムスリム・ミンダナオ自治地域(BARMM)における私有の小型武器および軽兵器の管理・削減支援計画」に500万ドル(約5億7900万円)拠出を合意。
13日砂糖統制庁,15万トンの砂糖輸入命令2号を発出。
13日マルコス大統領,包括農地改革計画(CARP)受益者に土地償還にかかる返済を1年間猶予する行政命令(EO4)に署名。
14日国家警察,身代金と人身売買のために誘拐されていたオフショアゲーム事業の中国籍従業員43人を保護。
17日ロドリゲス官房長官,辞任を表明。
17日マギンダナオ州の分割を問う住民投票実施。賛成多数で可決。
18日マルコス大統領,第77回国連総会出席のために訪米(~24日)。21日に岸田首相,22日にバイデン大統領と会談。
21日故マルコス元大統領による厳戒令の署名から50年の節目に各地で抗議集会。
21日マニラ地裁,新人民軍とフィリピン共産党をテロリスト組織に指定する司法省の申し立てを棄却。
23日金融委員会,政策金利の0.5ポイント引き上げ,翌日物借入金利を4.25%に。
25日超大型台風カーディング(16号,国際名ノルー)上陸。少なくとも救助隊5人を含む7人が死亡,1万人以上が被災。
26日サラ・ドゥテルテ副大統領,安倍元首相の国葬(27日)に出席のため訪日。同日,岸田首相と会談。
27日マルコス大統領,人権委員長に副官房長官のリチャード・パルパラトックを任命。
27日マルコス大統領,官房長官にルカス・ベルサミン元最高裁判事を任命。
29日ファウスティノ国防長官(代行),ハワイ州米軍インド太平洋軍司令本部で開かれる国防相会議出席のため訪米。オースティン米国防長官(29日),浜田靖一防衛相(30日),リチャード・マールズ豪国防相(30日)と個別に会談。
30日国家警察,オフショアゲーム事業での労働のために誘拐された外国籍の被害者63人を保護と発表。
30日マルコス大統領,非公式にシンガポール訪問。F1レースを観戦,リー・シェンロン首相と面会(~10月2日)。
  10月
3日国軍,日米韓との合同軍事訓練実施(~14日)。
3日ラジオ・パーソナリティのパーシバル・マバサが殺害される。
3日マルコス大統領,日本の支援によるマニラ首都圏地下鉄工事の起工式に出席。
4日ホセ・カリダ会計検査委員長とトリクシー・クルス=アンヘレス報道長官,辞任。
4日カナダやオランダの駐比外国公館がマバサの殺害に懸念を示す声明を発表。
10日マルコス大統領,携帯電話のショートメッセージを利用した詐欺メール対策を目的とした「SIMカード登録法」(RA11934)に署名(12月27日に施行)。
10日マルコス大統領,バランガイとその青年組織サングニアン・カバタアンの選挙実施を1年延長する法律(RA11935)に署名。
21日マルコス大統領,会計検査委員長にガマリエル・コルドバ国家通信委員長を任命。
29日大型台風パエン(国際名ナルガエ),カタンドゥアネス島に上陸。マギンダナオ州を中心に少なくとも101人が死亡。
  11月
11日マルコス大統領,カンボジアでのASEAN首脳会議に参加(~13日)。
16日マルコス大統領,タイでのAPEC首脳会議に出席(~19日)。17日に習国家主席と会談。
17日金融委員会,政策金利の0.75ポイント引き上げ,翌日物借入金利を5.0%に。
20日カマラ・ハリス米副大統領,来訪(~22日)。マルコス大統領,ドゥテルテ副大統領と個別に会談。南シナ海係争海域に近いパラワン諸島を訪問。
23日外務省,中国の海警局による海軍への行為に関して口上書を中国政府に送付。
28日国連人権理事会の特別報告者ママ・ファティマ・シンゲイテーが子供の人権侵害の調査のために来訪(~12月8日)。
  12月
11日マルコス大統領,ベルギーでのASEAN-EU首脳会議に参加(~15日)。
15日金融委員会,政策金利の0.5ポイント引き上げ,翌日物借入金利を5.5%に。
16日フィリピン共産党の創設者ホセ・マリア・シソン,亡命先のオランダで死去。
16日マルコス大統領,2023年度一般歳出法(RA11936)に署名。予算規模は5兆2680億ペソ。
29日マルコス大統領,コメ,肉類,石炭などの主要品の関税引き下げを定めた行政命令(EO171)の適用期間を2023年末まで延長する行政命令(EO10)に署名。
29日マルコス大統領,大統領府内の組織再編の行政命令(EO11)に署名。

参考資料 フィリピン 2022年
①  国家機構図(2022年12月末現在)

(注)各省には主要部局のみを記す。

②  国家機関要人名簿(2022年12月末現在)
③  地方政府制度(2022年12月末日現在)

(注)フィリピンは全部で82州,148市,1486町,4万2022バランガイにより構成される。

1)マニラ首都圏の各市町は独立しており,マニラ首都圏開発庁は各地方政府首長が参加する中央政府の機関。

主要統計 フィリピン 2022年
1  基礎統計

(注)1)2015年人口センサスを基にした年央の推計値。2)2023年3月中旬次点で2022年の年間データデータが未公表のため,2022年失業率は月次の平均値(暫定値)を使用。 2017~2022年の労働力人口は,15歳以上の人口に労働参加率を掛けて算出。3)基準年は2018年。

(出所)人口,労働力人口,失業率,消費者物価上昇率:Philippine Statistics Authority(PSA)のウェブ版統計データ(https://psa.gov.ph)。為替レート:Bangko Sentral ng Pilipinas (BSP)のウェブ版統計データ(https://www.bsp.gov.ph/SitePages/Default.aspx)。

2  支出別国民総所得(名目価格)

(注)統計誤差を除く。

(出所)PSAのウェブ版統計データ。

3  産業別国内総生産(実質:2018年価格)

(出所)PSAのウェブ版統計データ。

4  国際収支

(注)IMF国際収支マニュアル第6版に基づく。したがって,金融勘定と資本移転等収支の符号は(+)は資本流出,(-)は資本流入を意味する。2021年は修正値,2022年は暫定値。

(出所)BSP,Statistics, External Accounts, Balance of Payments,ウェブ版。

5  国・地域別貿易

(注)2021年は修正値,2022年は暫定値。ASEANは4カ国以外にブルネイ,ラオス,ミャンマー,ベトナムを含む。

(出所)BSP,Statistics, External Accounts, External Trade,ウェブ版。

 
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