2024 年 2024 巻 p. 571-592
2023年のアフガニスタンは,ターリバーン(自称:アフガニスタン・イスラーム首長国)がほぼ全土を実効支配し,ターリバーンによる「権力の独占」の状況は変わらなかった。2021年8月15日にアフガニスタン・イスラーム共和国が崩壊して以降,旧政権高官らの多くが国外に退避するか,もしくは権力の外に追いやられたままである。国内政治面では,ハイバトゥッラー・アーホンドザーダ最高指導者が南部カンダハールを中心に影響力を拡大させたほか,ターリバーン内部に不和の兆候がみられるなど,将来の同勢力の動向を推し量る上で看過できない動きも顕在化した。また治安の向上,ケシ栽培の減少,路上生活者の一掃といった面で改善がみられた一方,女性の権利が著しく制限される社会状況が続いた。すなわち,平和と安全が確保される一方,人権状況が悪化している。経済面では,欧米による経済制裁が続いたため財政状況に大きな改善はみられず,西部ヘラート州におけるマグニチュード6.3の震災発生(10月)などの自然災害も相俟って状況は厳しいものとなった。対外関係面では,ターリバーンを承認する国は依然としてひとつも現れなかったが,中国がターリバーンの派遣するカリーミー駐中国大使からの信任状を受理(12月)し,「事実上承認」する立場を表明するなど,他国に比して突出した関与をみせた。
2021年8月15日の衝撃的な権力奪取から2年が経ったターリバーンは,外側からみれば一致団結を保っているようにみえたが,内側にはいくつかの問題や政治的動きが観察された。そのひとつが,公衆の面前にほとんど姿を現さず,南部カンダハールを拠点に活動しているアーホンドザーダ最高指導者(パシュトゥーン人)の権力拡大である。通常はムハンマド・ハサン・アーホンド首相代行(パシュトゥーン人)が閣議を主宰する。しかし2023年11月20~21日には同最高指導者の主宰の下,首都カーブルではなくカンダハールで閣議を催した。南部の要衝カンダハールは,現在のアフガニスタンの原型となるドゥッラーニー朝(1747~1973年)が勃興した故地で,またターリバーン運動発祥の地でもある(カーブル遷都は1776年にティムール・シャーによって行われた)。アーホンドザーダ最高指導者の閣議主宰は,同指導者が各省庁への影響力を次第に強めていること,そしてカンダハールがターリバーンの今後の意思決定の中心となるであろうことを示している。カンダハールはアフガニスタンのなかでも保守的なことで知られる。ターリバーン指導部は権力基盤を固める重要期間を大過なく乗り切るため,アフガニスタンの伝統を重んじ独立を護るとの考えの下,内部のさまざまな声を汲み取りつつ批判を浴びない形で堅実な舵取りを行っているようである。
この閣議においてアーホンドザーダは,シャリーア(イスラーム法)の施行と人民への奉仕は最優先事項であると述べたほか,全省庁は今や約4000万人のアフガニスタン人民に責任を有しているため,人民に対して不誠実であることがないよう気をつけよ,などと述べた。ターリバーンが実効支配勢力となったことに伴い,指導部が末端構成員の認識を改めさせようとしていることがわかる。また,アーホンドザーダは側近らをカーブルからカンダハールに移住させており,同地が「事実上の首都」になっているとの報道がみられた(Radio Free Europe/Radio Liberty,2023年4月18日)。さらに私兵を周囲に配置するとともに,側近らを集めてカンダハールでジルガ(集会)を折に触れて開催し勅令を発出するなどした。憲法なき統治が続くなか,最高指導者への権力集中が一層進んだといえよう。
ターリバーン内部の不和の兆候こうした動きに対して,ターリバーン内部に不和の兆候もみられた点は,将来に影響を及ぼすことから重要である。ターリバーン暫定政権高官は2月に,最高指導者を暗に批判するような発言を行った。2月10日,スィラージュッディーン・ハッカーニー内相代行(ターリバーン内強硬派ハッカーニー・ネットワーク指導者。パシュトゥーン人)は南東部ホースト州で演説した際,権力が独占される状況と現行の統治機構への人民からの信用失墜は容認されることはできないと述べ,世界と正当な関係を築きたい旨を発言した。また,同月15日,今度はムハンマド・ヤクーブ国防相代行(初代最高指導者ムッラー・ウマルの息子。パシュトゥーン人)はソ連撤退から34周年に当たり演説し,「我々は傲慢であってはならない」「人民の声を聴かなければならない」「誰かが言うことを盲目的に信じてはならない」などと発言した。
これら暫定政権高官の発言は名指しでなされたものではない。しかし,批判の対象が統治者に向けられていることは明らかである。内部の凝集性を重視するターリバーンから,このような形で不和が顕在化することは稀である。ここからは,イスラームの独自の解釈に加えアフガニスタンの伝統と慣習を尊重する保守的な立場で国を統治しようとする最高指導者と,外国から人民の権利保障を求められる閣僚との間で軋轢が生まれていることが推察される。
その後の3月2日,アーホンドザーダ最高指導者は,ハッカーニー内相代行,ヤクーブ国防相代行,および,各地から集まったウラマー(イスラーム知識人)らと会談した際,イスラーム統治の重要性を強調しつつ,知識の向上,書籍や論文の執筆,シャリーアに基づく統治の施行などを指示した。同会合は,アーホンドザーダとハッカーニー内相代行らとの間で不和が報じられて以降,初めての会合だったが,内部瓦解の不安要素となる人物らを同席させることで,結束を示そうとしたのかもしれない。なお,それ以降,両者らの間での不和は大々的には伝わっていない。
ターリバーンによる女性の権利制限をめぐる動きこうした権力中枢をめぐる政治的な動きと並行して,ターリバーン統治下では,女性の権利を制限する諸政策が打ち出され,外国はその対応に追われた。2022年12月20日,ターリバーンのネダー・ムハンマド・ナディーム高等教育相代行(パシュトゥーン人)は,さらなる通知があるまで,女子大学生が公私立の大学において教育を受けることは出来ないとの書簡を発出した。ターリバーンはこの理由について,女子学生によるヒジャーブ(頭髪を覆うヴェール)着用が徹底されていないこと,マハラム(近親の男性家族構成員)の付き添いなしでの通学がみられること,男女別学が徹底されていないことなどを挙げている。また,同月24日,NGO登録を所管するターリバーン経済省は,国内・国際NGOに対して,さらなる通知があるまで,女性職員に就労させないよう通達した。2023年4月4日には,国連がターリバーンより,アフガニスタン人女性職員が同国内において国連で勤務することを認めないとの通知を受けたと発表した。
こうしたターリバーンによる一連の決定を受けて,2023年1月以降,国連やイスラーム協力機構(OIC)や国際NGOは激しい反発を示した。国連は1月17~20日,アミナ・ムハンマド国連副事務総長率いる一団をカーブルに送り込み,ターリバーン暫定政権高官と複数回折衝させた。これらの会談で国連側は,アフガニスタンの発展を第一に考えて女性の権利制限を撤回するよう要求したが,ターリバーンの政策には変更がみられなかった。その後も,女性の権利保障をめぐる議論は,諸外国・機関とターリバーンとの間でのボトルネックとなり続けている。
「イスラーム的統治」の実現に向けた諸政策このほかにも,ターリバーンは独自解釈に基づくイスラーム的統治を推し進める過程で,少数派の権利を制限するさまざまな政策を講じた。3月21日のナウルーズ(アフガン暦新年)に当たり,各地で住民によるお祝いの儀式が行われた一方で,中央高地ダーイクンディ州でターリバーンの宣教・教導・勧善懲悪省は,イスラームではナウルーズのお祝いを禁じているとして祝わないよう指示した。7月28日には,各地で少数派のシーア派の宗教儀礼アーシューラーが開催されたが,ターリバーンが一部地域でこの宗教行事を認めない対応をとったと伝えられた。12月21日にも,ターリバーン高等教育省が私立大学に対して,スンナ派ハナフィー法学派以外の書籍を除外するよう通達を発出したとも報じられている。このようにターリバーンは,自らが正統と考える宗教・宗派以外の教義を否定するかのような政策を講じている。
また,2023年を通じて,北部バルフ州のターリバーン宣教・教導・勧善懲悪省州支部が女性の経営する商店の閉鎖を指示(1月)したり,同省の西部ヘラート州支部が住民から没収した楽器を焼却(7月)したり,同省がカーブルにある女性のビューティー・サロンの営業を禁止(7月)したりした。ターリバーンが,自らの解釈するイスラーム的統治を社会の隅々にまで広げようとする様子が看取される。また,ターリバーンは1月31日,カーブル西部で市中に飾られたハザーラ人指導者の故アブドゥル・アリー・マザーリーの肖像を破壊したとも報じられた。マザーリーは1990年代に反ターリバーン闘争を指揮したハザーラ人指導者であったことから,これは民族間対立を反映した事案だったと考えられる。パシュトゥーン人とその他の民族との対立では,ターリバーンがハザーラ人やウズベク人やタジク人住民らを強制移住させるといった事案も複数報じられた。
その一方で,ターリバーン復権により改善した分野もあり,そのひとつは麻薬対策に関するものである。旧政権では,将来に希望を見いだせない若者を中心に,麻薬中毒者の増加が深刻な社会問題となっていた。しかし,ターリバーンは麻薬中毒者の一掃を掲げ,2月,カーブル西部にある,かつては大量の麻薬中毒者が徘徊したことで有名だったポレ・ソフタ(「焼け橋」の意)の上で,本の展示会を開催し,改善をアピールした(同橋はポレ・ホシュバフティ[「幸運の橋」の意]と改名された)(ケシ栽培については「経済」で後述)。
北部,北東部でのターリバーン暫定政権高官を狙った不穏な殺害事件発生2023年は,ターリバーン支配を脅かす事件が時折発生した。3月9日,バルフ州の州知事庁舎に対する攻撃があり,ターリバーンのムザミル州知事が殺害された。この事件で同知事以外に市民2人が死亡し,4人が負傷した。本件について「イスラーム国ホラーサーン州」(ISKP)が犯行を認める声明を発出し,ターリバーンを敵視する勢力の存在が浮き彫りとなった。6月6日には北東部バダフシャーン州で,車両積載型爆弾の爆発により,州知事庁舎へ車両で通勤途中だった同州のアフマディー副知事を含む2人が死亡している。この事件の2日後,同州都ファイザバード市にあるモスクでアフマディー副知事の葬儀が行われている際にも爆発があり,少なくとも11人が死亡,30人以上が負傷した。これらの事案もISKPが犯行を認めた(ISKPについては後段で詳述)。
軍事・和平の硬軟両戦術をとる反ターリバーン勢力権力の外に置かれた反ターリバーン勢力は,ターリバーンと軍事的衝突を繰り返す一方で,包摂的政権樹立に向けた動きもみせたが,アフガニスタン全体の勢力均衡は大きく変わらなかった。反ターリバーン勢力のなかで最大勢力は,アフマド・マスード(タジク人)率いる国民抵抗戦線(NRF)である。NRFは,北東部を中心に,ターリバーンと軍事的な衝突を引き起こした。3月15日には,北東部バグラン州で,ターリバーンとNRFが衝突し,戦闘の末,ターリバーン兵士8人,NRF兵士2人が死亡する事件が伝えられた。また,NRFの司令官が,中央部や北東部で,ターリバーンとの戦闘の末に死亡する事案も4月と9月に発生している。もうひとつの反ターリバーン勢力であるアフガニスタン自由戦線も,3月30日にカーブルのターリバーン哨戒所を襲撃し,ターリバーン兵士2人を殺害したと発表したほか,11月27日にもカーブル空港に向かう道路でターリバーンを攻撃し,兵士2人を殺害,2人を負傷させたと主張した。ただ,これらの散発的な攻撃は,大勢を覆すには至らなかった。
アフガニスタン国内での軍事攻勢と並行して,諸民族・政治派閥を包摂する政権成立に向けた動きもみられた。4月,ウィーンで反ターリバーン勢力の集会が催されたほか,11月にはモスクワで同勢力による「アフガニスタンの過去と未来」と題する国際会合が開催された。同会合にはマスードNRF指導者をはじめ,旧政権の政治有力者らが多数参加した。また11月,タジキスタンの首都ドゥシャンベでヘラート安全保障対話が開催され,旧政権の政治有力者,市民活動家,研究者など150人以上が参加し,アフガニスタンの将来像について議論した。12月にもウィーンで反ターリバーン勢力の会合が開催され,マスードNRF指導者が出席した。これらの会合にターリバーン代表団の参加はなかったものの,第三国仲介による信頼醸成措置は包摂的な政治体制成立に向けて有効と考えられる。
治安上の脅威となる「イスラーム国ホラーサーン州」(ISKP)旧政権時代に年間約1万人が武力紛争の結果として死傷していたことをふまえると,2021年8月のターリバーン復権を経て,治安情勢は全般的に改善したといえる。そうしたなかで治安上の最大の脅威となったのがISKPである。ISKPは2022年にロシア大使館への攻撃(9月),中国人利用ホテルの襲撃(12月)など,衆目を集める攻撃をたびたび引き起こしてきた。2023年にも外務省庁舎前で5~20人を殺害した爆発事件(1月),バグラン州ポレホムリ市のモスクで市民7人を殺害,17人を負傷させる自爆攻撃(10月),カーブル西部ダシュテ・バロチー地区でのシーア派教徒を狙った攻撃(10月,11月)など多数の事件を実行した。
こうした状況を受けて,ターリバーンは1~5月にかけてISKP掃討作戦を多数実行し,ISKPを殲滅する意思を鮮明にした。この理由は,ターリバーンが治安改善を自政権の重要な功績と位置づけていることに加えて,隣国パキスタンからの圧力があったためと考えられる。同掃討作戦は,全国各地に及び一定の成果を挙げた。他方,ISKPが外交団を攻撃する危険性もあったことから,2月にサウジアラビアが在アフガニスタン大使館職員を本国に呼び戻す事例もみられた。
なお,ターリバーンは顔認証機能付きの監視カメラを設置するなど,最新技術を導入しながら治安維持に当たっている。ターリバーンは中国企業華為技術(ファーウェイ)と接触を図りつつ,治安維持やテロ対策を目的として,監視カメラを用いた偵察網を全国で構築する計画だとも報じられている(Reuters,2023年9月27日)。ここから,中国とターリバーンが接近する様が看取されよう。
ターリバーン復権以降,アフガニスタンの経済状況は,諸外国からの経済制裁などを背景に,全般的に悪化傾向を辿った。4月18日に国連開発計画が発行した報告書『アフガニスタン社会経済開発の見通し2023』によると,ターリバーン復権後,アフガニスタンの経済生産高は20.7%減少した。これにより,2022年の国内総生産(GDP)は3.6%下落した。開発援助によって支えられてきた同国で国連やNGOの事業が激減したことで,都市部の雇用機会は減少した。寡婦においては,ターリバーンの就業制限もあり,苦しい生活を余儀なくされた。
その一方,通貨アフガニーの価値は比較的安定したまま推移した。2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻を受けて,食糧・エネルギー価格の高騰から世界的な物価高が続いた。しかし,アフガニスタンでは2023年12月時点で1米ドルが70.35アフガニーの水準を保ち,前年同月時点の89.24アフガニーに比して,むしろアフガニー高の傾向をみせた。この要因のひとつに,米国が2週間おきに8000万ドルを現金でアフガニスタンに運び込んでいると囁かれていることがある(Tolo News,2024年1月20日)。
中国をはじめとする外国からの天然資源採掘への投資ターリバーンはアブドゥルガニー・バラーダル副首相代行を中心に,天然資源開発を軸に外貨獲得に向けた取り組みを続けた。その甲斐もあってアフガニスタンへの投資案件は増加した。1月5日,ターリバーン鉱物・石油省は,アム河流域の油田開発に関する契約を中国新疆中央アジア石油天然ガス集団(CAPEIC)と締結した。シャハーブッディーン・デラーワル鉱物・石油相代行によると,契約期間は25年間で5億4000万ドルが投資され,少なくとも1000~2万トンの石油が採掘されるという。また8月31日には,鉄鉱石,鉛・亜鉛,金,銅の採掘などを含む,大型鉱物資源採掘プロジェクト7件の署名式が行われた。予算総額は65億5700万ドル相当で,受注企業にトルコや英国企業,中国との合弁企業も含まれるなど,外国投資を誘致したいターリバーンにとって大きな成果となった。
中央アジア諸国との経済関係強化の動きターリバーンは,近隣諸国との経済関係強化を進めたが,そのなかでも中央アジア諸国と積極的に関係を強化した。一例を挙げれば,カザフスタンで8月3~5日にアフガニスタン・ビジネス・フォーラムが開催され,200人以上のアフガニスタン人ビジネスパーソンが参加した。同フォーラムに参加したターリバーンのヌールッディーン・アズィーズィー商業相代行は,両国の民間セクター間で総額1億ドル以上の契約が結ばれたと発表した。2022/23年度のアフガニスタン統計年鑑によれば,カザフスタンは,イラン,中国,パキスタン,アラブ首長国連邦(UAE),トルクメニスタンに次いで第6位の輸入相手国だった。近場に位置するカザフスタンとしては,アフガニスタンが政治・経済的に安定することが自国の利益に適うと考えているとみられる。このほか,輸入相手国ランキングでは,トルクメニスタンが第5位,ウズベキスタンが第7位に位置するほか,輸出相手国ランキングでもタジキスタンが第8位,カザフスタンが第9位に位置するなど,中央アジア諸国はアフガニスタンにとって重要な貿易相手となった。
経済負担となった自然災害発生と大量の難民帰還経済状況が思わしくないなか,震災の発生や隣国からの帰還難民は負担となった。10月7日,ヘラート州でマグニチュード6.3の地震が発生し,被災者数は1万2110人(1730家族)と推計された。最も被害が大きいとみられるズンダ・ジャーン郡では,死者数1294人,負傷者数1688人が確認されており,ほぼすべての家屋が損壊した(10月10日付国連人道問題調整事務所の報告書)。ターリバーンは各国支援を活用しつつ,被災者への食料やシェルターのほか,衣類や毛布等の緊急支援に当たった。
また,厳冬による冷害も報告された。ターリバーン災害対策省は1月,寒さにより,全国4州で少なくとも16人が死亡したと発表した。例年に比べて気温が12度低い2023年は,家畜3000頭以上の死亡も報告された。1月29日にターリバーン災害対策省は,大雪と寒さの影響で市民170人以上が死亡したと発表している(Ariana News,2023年1月29日)。
ケシ栽培の撲滅に向けた動きアフガニスタンで長らく手軽な換金作物として栽培されてきたケシは,2023年中に栽培の減少が伝えられた。11月5日の国連薬物犯罪事務所の報告によれば,ターリバーンがケシ栽培を禁止したことにより,2023年のケシ作付面積はそれまでの23万3000ヘクタールから,1万800ヘクタールに減少した。それによりケシ栽培は前年比95%減少し,供給は6200トンから333トンと大幅減になった。ケシ栽培に従事する農民の総収入推計は92%減となり,13億6000万ドルから1億1000万ドルにまで減少した。
ターリバーンは2022年4月3日に最高指導者令を発出し,アフガニスタン全土でのケシを含む麻薬の使用,輸送,売買,輸出入,製造を禁止していた。実際,衛星画像でも,西部ファラーフ州でケシ栽培が激減した様子が確認できる。この意味では現在,ターリバーンは指示を徹底させているといえよう。他方,仮にケシ栽培が減少したのだとすれば,ケシで生計を立てていた農民の生活は困窮する。ターリバーンが代替作物を与えなければ,中・下級司令官は農民からの厳しい批判にさらされるため,農民がケシ栽培を続けることを許容する可能性も残る。
2023年末時点までに,ターリバーンを承認する国はひとつも現れなかった。そうしたなか,ターリバーンは地域諸国との関係を重視する姿勢を示し,ムジャーヒド報道官は12月時点で,16カ国の大使館でターリバーンが派遣する外交官が活動していると述べている(Tolo News,2023年12月23日)。ターリバーンの基本的な立場は,この40年で初めてアフガニスタンに力強く,独立し,統一された中央政府が成立しており,アフガニスタンは国際社会の独立した一員としてその責務を果たす用意があるので,国際社会も同様に受け入れるべきだというものである(Al-Jazeera,2023年3月23日)。同時に,ターリバーンは現下の経済危機の原因は,米国による経済制裁と銀行取引制限であり,自立した経済の達成に向けて,米国は凍結資産を解除するべきだとも主張している。
中国の積極的なアフガニスタン外交2023年をとおして,諸外国のなかでも突出した存在感を示したのが中国であった。4月12日,中国は,「アフガニスタン問題に関する中国の立場」と題する11項目から成る文書を発表した。同文書において,中国は,アフガニスタンの独立・主権・領土の一体性,民族自決,宗教的信仰と国の慣習を尊重する「三つの尊重」を表明した。また,中国は,アフガニスタン内政に干渉しないこと,利己的な利益を追求しないこと,および,勢力圏の追求をしないことの「三つのせず」も表明した。中国が対外政策の基本的立場を示す事例は,ウクライナに対する12項目文書に続いてのことであり,アフガニスタン重視の姿勢は確かなものといえる。
加えて,中国がターリバーンを「事実上承認」する立場を示したことも特筆される。9月13日,新しく着任した中国の赵星駐アフガニスタン大使は,ターリバーン暫定政権のハサン・アーホンド首相代行に信任状を奉呈した。これに続き,12月1日,今度はターリバーンが新しく派遣したビラール・カリーミー駐中国大使が,中国外交部の洪磊儀典局長に信任状を奉呈した。中国外交部はターリバーンを承認するとは言明していない。しかし,一連の動きは承認を強く意識させるものである。中国側には,米国が主導したアフガニスタンでの民主国家建設が失敗した後,ターリバーンに寄り添う姿勢を示すことで米国の凋落とユーラシア大陸中央部での影響力拡大を広く印象付ける狙いがあったのだろう。
ロシアによる国際会合主催を中心とした存在感中国と並び,ロシアも国際会合を主催するなどしながら存在感を示した。ロシアは9月29日,アフガニスタンに関するモスクワ・フォーマット会合を同国のカザンで主催した。同会合には,ロシア,中国,パキスタン,イラン,インド,カザフスタン,キルギス,トルクメニスタン,ウズベキスタンの特使級が参加し,カタール,UAE,サウジアラビア,トルコからも代表者の出席がみられた。ターリバーンからは,アミール・ハーン・モッタキー外相代行が参加している。出席者らは,米国によって凍結されているアフガニスタン在外資産を速やかに解除するよう米国に要求するとともに,アフガニスタンにおいてすべての民族集団・政治派閥を代表する真に包摂的な政権が築かれることを呼びかけた。
不法移民・難民を強制送還するパキスタンとの軋轢が顕在化パキスタンとの間では,国境をめぐる係争,難民問題,テロ対策等を中心に多くの争点が表出し,関係悪化が顕著となった。パキスタンは,ターリバーンがパキスタン国内で越境治安事案を引き起こす武装勢力を自国内に匿っているとして,安息地を提供しないよう累次求めた。2月22日には,パキスタンのハワージャ・ムハンマド・アースィフ国防相および軍統合情報局長官らがカーブルを訪問し,懸念についてバラーダル副首相代行らに伝達した。こうしたなか,10月3日にパキスタンのミール・サルファラーズ・ブグティ内相は,アフガニスタン不法移民の国外退去方針を発表した。同日付Dawn(パキスタン英字紙)によると,ブグティ内相は,「パキスタンに住む不法移民に対し,自発的帰還のための猶予を11月1日まで与える。さもなくば,国の法執行機関は彼らを強制送還する」と発言した。11月1日,パキスタン政府は不法移民・難民の強制送還措置の開始に踏み切った。11月22日付国際移住機関(IOM)の発表によると,パキスタンからアフガニスタンに帰還した人の数は約37万5000人にのぼった。
パキスタン側は,自国内の治安事案を引き起こす者にアフガニスタン人が多いこと,またパキスタン・ターリバーン運動(TTP)の構成員がアフガニスタン領内に潜伏していることなどを問題視している。長らくパキスタン軍部はターリバーンを水面下で支援していると言われてきたが,ターリバーンは復権を経て,パキスタンのコントロールできない存在になっている。
イランとの水利権問題と山あり谷ありの関係パキスタンと同じく隣国のイランとの関係も,山あり谷ありであった。イランとの間では,ヘルマンド川をめぐる水利権問題を抱える。1973年に両国間で締結された条約では,アフガニスタンは,原則,26立法メートル/秒(8億2000万立法メートル/年)のヘルマンド川の水利権をイラン側に認めている。しかし,近年,イラン側からは同国内の水不足の問題を背景に,同条約で合意された充分な水量が流れてないとの不満をターリバーン側に伝えるようになっていた。二国間では国境での小競り合いなどの緊張もみられたが,11月にターリバーンのバラーダル副首相代行がイランを訪問した際に同国の要人らと会談し,特に経済・貿易分野での二国間関係強化の方途について協議するなど,改善の兆しもみせた。
カタール,トルコ,中央アジア諸国との関係中国,ロシア,パキスタン,イランのほかに存在感を示した国のひとつは,カタールである。5月31日付Reutersは,カタールのムハンマド・ビン・アブドゥルラフマーン首相兼外相が5月上旬にカンダハールを訪問した際,ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者と秘密裏に面会したと報じた。同指導者が外国の要人と面会したのはこれが初とみられる。
トルコもターリバーンとの要人往来が活発な国のひとつである。ターリバーンのバラーダル副首相代行(8月),および,モッタキー外相代行(10月)がトルコを訪問し同国のハカン・フィダン外相と会談するなど,密接な政治関係が確認される。トルコの投資家らもアフガニスタンの天然資源に関心を有しており,経済関係も深化しつつある。
また,トルクメニスタン,ウズベキスタン,カザフスタンなどの中央アジア諸国とは活発な要人往来がみられ,そのなかで経済・貿易関係,電力事業,鉄道敷設などの分野での関係強化が議論された。総じて,近隣諸国は,ターリバーンをアフガニスタンの「現実」と捉えて,疎外ではなく関与の方向に舵を切っている。
米国との静かな関係2021年8月以降,アフガニスタンでの米国の存在感は薄れたが,関与を止めたわけではない。ターリバーン暫定政権高官と米国政府高官の間での協議(7月)は続いている。米国はターリバーン復権以降,23億5000万ドルの対アフガニスタン人道支援を行っており,依然として最大のドナー国でもある(2023年7月30日付米アフガニスタン特別復興査察官報告書)。2020年2月29日に米・ターリバーン間で締結されたドーハ合意の内容をふまえれば,ターリバーンがアフガニスタンの領土を他国に危害を加えるために使用させないとの約束を履行させることが米国にとって重要であり,その重要性は今後も不変だと考えられる。
G7のなかで突出してターリバーンとの強いチャンネルを有する日本日本は2022年9月にカーブルの日本大使館を再開させるなど,G7メンバーのなかで突出した存在感を示している。2023年には,長岡寛介外務省中東アフリカ局長兼アフガニスタン特使の訪問(6月),山本忠通元国連アフガニスタン支援ミッション代表の訪問(12月)などが行われたほか,現地では岡田隆駐アフガニスタン大使がターリバーン側と頻繁に接触した。また,日本はUAEとともに,国連安全保障理事会でのアフガニスタン問題に関する共同ペンホルダー(議事取りまとめ役)を務め,アフガニスタンに関する決議の取りまとめに貢献した点も特筆される。
国連による関与の模索諸外国と並行して,国連は国際会合を主催したり本部から高官を派遣したりするなど,積極的な関与を示した。5月1~2日,ドーハでアントニオ・グテーレス国連事務総長主催の国際会合が開催された。ターリバーン代表者は招待されなかったが,国連発表によるとこの会合で,人権の保護,包摂的な政権成立,テロ対策,麻薬対策などをめぐり,国際的に一致したアプローチのあり様が議論された。
その後,グテーレス事務総長は,フェリドゥン・シニルリオール(トルコ人)をアフガニスタン問題の独立評価を担当する特別調整官に任命した。同調整官は独立評価報告書を取りまとめ,11月9日に発表した。同報告書は,国連内にアフガニスタン担当特使ポストの設置を提言している。しかし,ターリバーンはこの「お目付け役」の設置に反対した。国連とターリバーンの間に意見対立がみられるなか,国連安保理では12月,アフガニスタンにおける人道状況や女性の権利状況の改善を促すための決議2721号が賛成多数で可決された。同決議は,アフガニスタンが国際社会に復帰できるよう,諸外国にターリバーンへの関与増大を求めるものである。こうした国連を舞台とした外交戦は,翌年にも引き継がれた。
国際テロ組織の動向諸外国はターリバーンに対して国際テロ組織のアフガニスタン国内での活動に懸念を伝え続けた。その一方,ターリバーンはアフガニスタン領内が他国に危害を加えるために使われることはないと応答し,双方の議論は平行線を辿った。実際のところ,ターリバーン庇護の下,国内にはアル=カーイダやTTP等の多数の国際テロ組織が潜伏しているとみられ,その活発化が警戒される。こうしたなか,諸外国の圧力が功を奏してか,ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者が,配下の戦闘員によるパキスタンを含む外国への越境攻撃はハラーム(禁忌,不法)だとする法令を発出したともいわれた(Voice of America,2023年8月6日)。
2023年のアフガニスタンはターリバーンが実効支配する状況に大きな変化がみられず,そうしたなかでアーホンドザーダ最高指導者が権力基盤を固めていった。これに対して,ターリバーン内部で不満が蓄積していったようである。しかし,反ターリバーン勢力の低迷状況をふまえても,アフガニスタンの政治状況が近い将来に大きく変わるとの見通しを持つことは難しいだろう。都市部中間層の失業は深刻であり,経済状況の大幅な改善も見込めない。
2024年のアフガニスタンは,中国やロシアやイランといった権威主義国家群との距離をより縮めると予想される。これは,人権遵守を要求する欧米諸国に比べて,ターリバーンが付き合いやすい相手だからである。この点,ターリバーンをめぐる対外関係は,欧米を中心とした国連主導の関与プロセスと,ターリバーンと権威主義国家群との接近が並走するようなかたちで進むものと考えられる。
(中東調査会研究主幹)
1月 | |
5日 | ターリバーン鉱物・石油省は,アム河流域の油田開発に関する契約(25カ年,5億4000万ドルの投資)を中国新疆中央アジア石油天然ガス集団(CAPEIC)と締結。 |
11日 | 首都カーブルの外務省庁舎前で爆発が発生,5~20人が死亡。「イスラーム国ホラーサーン州」(ISKP)が犯行を認めた。 |
17日 | 国連のアミナ・ムハンマド副事務総長はカーブルを訪問,ターリバーンのモッタキー外相代行,ハナフィー副首相代行と会談。 |
23日 | ターリバーンのモッタキー外相代行は,来訪した国連のグリフィス事務次長(人道問題担当)率いる一団と会談。 |
31日 | 国際人権団体「トランスペアレンシー・インターナショナル」の2022年腐敗認識指数で,アフガニスタンは180カ国のうち,150位で,前年の174位から24位上昇。 |
2月 | |
5日 | カタールのカフターニー特使はカーブルを訪問,ターリバーンのモッタキー外相代行,ハッカーニー内相代行,アーガー教育相代行,ワースィク情報局長官らと協議。 |
7日 | ターリバーン外務省は,トルコ・シリアでの震災発生を受けて,トルコとシリアへの緊急人道援助を発表。 |
7日 | ターリバーンは,空路で5000ドル以上,陸路で500ドル以上の外貨持込制限を通達。 |
8日 | モスクワでアフガニスタンに関する会合が開催され,地域諸国の国家安全保障評議会書記レベルが参加。 |
15日 | ソ連軍撤退から34周年を迎え,ターリバーンは声明を発出,ジハードの結果占領を終結させた日だとして祝意を表明。ヤクーブ国防相代行は演説で,ターリバーン指導部を暗に批判。 |
18日 | スロベニア等10カ国の女性外相は,ターリバーンによる女性の教育・就労・社会活動の制約に対する非難声明を発出。 |
22日 | ターリバーンのバラーダル副首相代行はカーブルで,パキスタンのアースィフ国防相率いる一行と会談。 |
27日 | 在イラン・アフガニスタン大使館が,ターリバーンが派遣する外交官に引き渡し。 |
27日 | トルコのイスタンブルにあるアフガニスタン総領事館を,ターリバーンが派遣する外交官に引き渡し。 |
28日 | 世界食糧計画(WFP)は,アフガニスタンへの食糧援助のために必要なロジスティクス・センターをウズベキスタンに設置。 |
3月 | |
1日 | ドーハ合意から3周年に当たり,ターリバーンは長年のジハードの末に占領者が撤退した記念すべき日だとの声明を発出。 |
5日 | カーブルで,イラン・アフガニスタン貿易センターの開所式が開催。 |
7日 | EUは,女性の権利の抑圧に加担したとして,ターリバーンのナディーム高等教育相代行とハーレド・ハナフィー宣教・教導・勧善懲悪相代行を制裁対象に指定。 |
7日 | ウズベキスタンは,アフガニスタン近隣諸国の特使を招いた国際会合を主催。 |
7日 | インドは中央アジア諸国のアフガニスタン担当特使を招いた国際会合を主催。 |
9日 | 北部バルフ州知事庁舎に対する攻撃が発生,ターリバーンのムザミル州知事,市民2人が死亡し,4人が負傷。ISKPが犯行声明を発出。 |
11日 | バルフ州マザーリシャリーフにあるタビヤーン文化センターで爆発が発生,ジャーナリスト1人が死亡,8人が負傷。ISKPが犯行声明を発出。 |
14日 | ターリバーン外務省は,ドバイ総領事にアブドゥルラフマーン・フェダーを任命。 |
21日 | ナウルーズ(アフガン暦新年)を迎え,各地で住民によるお祝いの儀式が開催。 |
21日 | 北東部バダフシャーン州ジュルム郡を震源とする,マグニチュード6.5の地震が発生。 |
22日 | バドリー財相代行が,アフガニスタン中央銀行総裁に任命。 |
27日 | ターリバーン外務省前で自爆攻撃が発生,市民6人が死亡,複数人が負傷。ISKPが犯行を主張。 |
4月 | |
4日 | 国連は,ターリバーンが東部ナンガルハール州で国連事務所の女性職員の就労を認めないとしたことに懸念を表明。 |
12日 | 中国は「アフガニスタン問題に対する中国の立場」と題する11項目文書を発表。 |
13日 | ウズベキスタンは,アフガニスタン近隣7カ国会合を主催。 |
13日 | 中国,ロシア,イラン,パキスタンはアフガニスタンに関する4カ国外相会合を開催。 |
18日 | ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者は,イード・アル=フィトル(断食明けの祭)に際し祝意声明を発出。 |
20日 | カザフスタン外務省は,ターリバーン暫定政権が派遣した代表者を信任と発表。 |
25日 | 国連は,トルコ人のフェリドゥン・シニルリオールをアフガニスタン問題の独立評価を担当する特別調整官に任命。 |
27日 | 国連安保理は,ターリバーンによるアフガニスタン人女性職員の国連勤務停止を非難する決議を採択。 |
5月 | |
1日 | 国連はドーハで,グテーレス事務総長主催のアフガニスタンに関するクローズド会合を開催。 |
6日 | ターリバーンのモッタキー外相代行はパキスタンのザルダーリー外相,および,中国の秦剛外相との三者外相会合に出席。 |
12日 | カタールのムハンマド・ビン・アブドゥルラフマーン首相兼外相は南部カンダハール州を訪問し,ターリバーンのハサン・アーホンド首相代行と会談。 |
16日 | ターリバーンのアブドゥルカビール副首相代行が,病気を抱えるハサン・アーホンドに代わり首相代行を務めると決定。 |
23日 | パキスタン政府は,外交官のドゥッラーニーをアフガニスタン担当特使に任命。 |
31日 | Reutersは,カタールのムハンマド・ビン・アブドゥルラフマーン首相兼外相が5月上旬にカンダハールを訪問した際,ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者と会談したと報道。 |
6月 | |
4日 | 北部サレポル州で女子学生80人程が中毒症状を発症し,病院に搬送。 |
6日 | 北東部バダフシャーン州で,車両積載型爆弾の爆発により,同州のアフマディー副知事を含む2人が死亡。ISKPが犯行を認める声明を発出。 |
8日 | バダフシャーン州都ファイザバード市にあるモスクで爆発が発生,少なくとも11人が死亡,30人以上が負傷。爆発は,アフマディー同州副知事の葬儀が行われている際に発生。ISKPが犯行を認めた。 |
19日 | 日本の長岡寛介外務省中東アフリカ局長兼アフガニスタン特使はカーブルを訪問,ターリバーンのナディーム高等教育相代行,ムザファー国防副大臣代行と会談。 |
22日 | 国連のシニルリオール特別調整官はカーブルを訪問,ターリバーンのハッカーニー内相代行,および,モッタキー外相代行と個別に会談。 |
22日 | ターリバーンのサーケブ巡礼・寄進相代行は,サウジアラビアのハッジ・ウムラ相の招待に応じて,ジェッダで開催された1444年ハッジ会合に出席。 |
25日 | ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者は,イード・アル=アドハー(犠牲祭)に際し祝意声明を発出。 |
25日 | アーホンドザーダ最高指導者は,州知事の新人事を発表。 |
29日 | ターリバーンのヤクーブ国防相代行は,ハッジ(巡礼)を終えた後,サウジアラビアのムハンマド皇太子と面会。 |
7月 | |
3日 | ターリバーン宣教・教導・勧善懲悪省は,カーブルにある女性のビューティー・サロンの営業を禁止。 |
20日 | EUは,深刻な人権侵害に責任があるとして,ターリバーン暫定政権の閣僚3人を制裁対象に指定。 |
28日 | 各地で,シーア派の宗教儀礼アーシューラーが開催。他方,一部地域では,ターリバーンがアーシューラーを認めない対応を取ったと報道。 |
31日 | ターリバーンのモッタキー外相代行らはドーハで米国のウエスト特使,および,アミリ・アフガン女性問題担当特使らと協議。 |
8月 | |
3日 | カザフスタンでアフガニスタン・ビジネス・フォーラム開催,200人以上参加。 |
6日 | Voice of Americaは,ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者が,配下の戦闘員によるパキスタンに対する越境攻撃はハラーム(禁忌,不法)だとする法令を発出したと報道。 |
10日 | ターリバーンのバラーダル副首相代行はトルコを訪問し,フィダン外相と会談。 |
15日 | ターリバーンは,カーブル陥落から2年の節目に,政権掌握を称える声明を発出。 |
19日 | ターリバーンはカーブルで,アフガニスタンの英国からの独立104周年記念を祝した集会を開催。 |
30日 | ターリバーンのガーニ内務報道官は,首都カーブル市内に治安維持を目的として監視カメラ6万2000台を設置したと発言。 |
9月 | |
5日 | ターリバーンのモッタキー外相代行は,マレーシアのアフマド・アザム特使と会談。 |
6日 | パキスタン軍は,アフガニスタン国境付近の哨戒所が武装勢力に襲撃され,兵士6人が死亡,敵方12人が死亡したと発表。 |
10日 | ターリバーン外務省は,モロッコで発生した大地震を受けて,同国の被災者にお見舞いの意を示す声明を発表。 |
13日 | 中国の赵星駐アフガニスタン大使は,ターリバーンのハサン・アーホンド首相代行に信任状を奉呈。 |
15日 | パキスタンに面するトルハム国境が再開。 |
29日 | アフガニスタンに関するモスクワ会合が開催。 |
29日 | ザーヒル・シャー元国王の息子ミールワイス・ザーヒルが享年66歳で逝去。 |
10月 | |
3日 | パキスタンのブグティ内相は,アフガニスタン難民170万人を含め,パキスタン国内にいるすべての難民は11月1日までにパキスタンから出国せよと発表。 |
3日 | UAEを代表とする80カ国は,ターリバーン暫定政権に対して,女性の権利制限を直ちに撤回するよう呼びかける共同声明を発出。 |
7日 | 西部ヘラート州でマグニチュード6.3の地震が発生。 |
7日 | ターリバーン外務省は,パレスチナ人民による祖国の解放のためのいかなる防衛も正当な権利であるとする声明を発出。 |
13日 | 北東部バグラン州ポレホムリ市のモスクで自爆攻撃が発生,礼拝していた民間人7人が死亡,17人が負傷。ISKPが犯行声明を発出。 |
21日 | 国連のシニルリオール特別調整官はカーブルを訪問,カルザイ元大統領,アブドッラー元行政長官,ターリバーンのハッカーニー内相代行らと協議。 |
26日 | カーブル西部にあるダシュテ・バロチー地区のシーア派モスクで爆発があり,4人が死亡,9人が負傷。ISKPが犯行を認める声明を発出。 |
26日 | ターリバーンのバドルッディーン・ハッカーニーが,新しく駐UAE臨時代理大使として業務開始。 |
30日 | ターリバーンのモッタキー外相代行,トルコで同国のフィダン外相と会談。 |
31日 | ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者は,アブドゥルラフド・ターレブを自身の特別軍司令官に任命。 |
11月 | |
1日 | パキスタン政府によるアフガニスタン不法移民の強制退去を受けて,トルハム国境から1万2000人以上,スピン・ボルダック国境から8000人以上が帰還。 |
5日 | 国連薬物犯罪事務所(UNODC)はターリバーンのケシ栽培禁止により,アフガニスタンでのケシ栽培の95%減少を報告。 |
5日 | ターリバーンのバラーダル副首相代行はイランを訪問,滞在中にアブドゥルラヒヤーン外相,アフマディヤーン国家最高安全保障評議会書記,モフベル第一副大統領,ヴァヒーディー内相,ニークバフト農業ジハード相,メフラービヤーン・エネルギー相らと会談したほか,南東部チャーバハール港を訪問。 |
7日 | カーブル西部のダシュテ・バロチー地区において,バスを標的とした爆発があり,7人が死亡,20人が負傷。ISKPが犯行を認める声明を発出。 |
14日 | トルクメニスタンのヨロフ駐ヘラート総領事は,ターリバーンのモッタキー外相代行に信任状を奉呈。 |
20日 | ターリバーンのアーホンドザーダ最高指導者は,20~21日にカンダハール州で閣議を主宰。 |
22日 | 国際移住機関(IOM)は,過去2カ月間のパキスタンからアフガニスタンへの帰還民数を約37万5000人と発表。 |
23日 | モスクワで,反ターリバーン勢力による「アフガニスタンの過去と未来」と題される国際会合が開催。 |
27日 | タジキスタンの首都ドゥシャンベで,第11回ヘラート安全保障対話が開催。 |
12月 | |
1日 | ターリバーンが派遣するビラール・カリーミー駐中国大使は中国外交部儀典局長に信任状を奉呈。 |
4日 | ウィーンで反ターリバーン勢力による国際会合が開催。 |
11日 | 米財務省外国資産管理局は,旧政権の国会議長だったラフマーン・ラフマーニーとその息子を米国支援金の横領の嫌疑で経済制裁の対象に指定。 |
16日 | ターリバーンのモッタキー外相代行は,トルクメニスタンのメレドフ外相と両国国境にて会談。 |
20日 | サラング峠を通るトンネルの改修工事が完了。 |
20日 | ターリバーンのモッタキー外相代行は,ロシアのカブロフ特使と会談。 |
21日 | ターリバーン高等教育省は私立大学に対して,スンナ派ハナフィー法学派以外の書籍を除外するよう通達を発出。 |
25日 | 山本忠通元国連アフガニスタン支援ミッション代表と笹川平和財団一行はカーブルを訪問,ターリバーンのハナフィー副首相代行,ハッカーニー内相代行,スタネクザイ副外相代行,カルザイ元大統領らと会談。 |
27日 | ターリバーンは,ソ連のアフガニスタン侵攻から44年の節目に声明を発出。 |
29日 | 国連安保理は,アフガニスタンにおける人道状況や女性の権利状況の改善を促すための決議2721号を賛成多数で可決。 |
30日 | ターリバーン外務省は,国連安保理が決議2721号に記載されたアフガニスタン担当特使の任命を不要と反論する声明を発出。 |
(出所) ターリバーン発表や各種報道を参考に筆者作成。なお,現在のアフガニスタンの原型となるドゥッラーニー朝の故地カンダハールで,最高指導者がジルガ(集会)を主宰することがあり,二重構造の様相を呈していることに留意が要る。
(出所) 各種報道や発表などを参考に筆者作成。
(注) ターリバーンが2021年8月に復権した後,会計年度が西暦からアフガン暦に変更された。これに伴い,それ以前(2020)の表記はそのまま残し,直近2年分(2021/22年,2022/23年)分は,NSIA,Afghanistan Statistical Yearbook 2021,同2022/23に依拠した。1)人口は推計。2)為替レートはカーブル自由市場の年平均値。
(出所) National Statistics and Information Authority (NSIA), Afghanistan Statistical Yearbook 2020, 同2021, 同2022/23;NSIAウェブサイト。
(注) 在庫変動と統計誤差(いずれも推定値)を除く。会計年度はすべてアフガン歴。
(出所) NSIA, Afghanistan Statistical Yearbook 2022/23.
(注) 1)2016年度を基準とした実質価格。会計年度はすべてアフガン歴。
(出所) 表2に同じ。
(出所) 表1に同じ。
(注) 輸出の「その他」にはウズベキスタン・トルクメニスタンが,輸入の「その他」にはイラクがそれぞれ含まれる。
(出所) 表2に同じ。