2025 年 2025 巻 p. 345-368
2024年のシンガポールは,20年ぶりの新首相が誕生し,その下で安定に徹した国家運営が展開された。政治面では,20年ぶりとなる政権移譲が行われ,5月にローレンス・ウォン首相率いる新内閣が誕生した。新内閣では,リー・シェンロン前首相が上級相に,ガン・キムヨン通商産業相が同職兼任のまま副首相に,それぞれ就任した以外は,前内閣と大きく変化していない。これは政権・与党体制が,世代交代に際しても継続的な国家運営を重視しているためである。ウォン首相は就任以降,安定的な内政・外交の展開に努めると同時に,2025年に実施が予想される国会総選挙に向けて準備を進めている。
経済面では,実質国内総生産(GDP,改定値)成長率は4.4%増と大幅に加速し,消費者物価指数(CPI,改定値)上昇率は2.4%に低下した。政府は経済発展が成熟期を迎えている現実を踏まえ,革新と生産性の向上による機会追求を強調している。このため柱となる高付加価値・創発型の新産業育成に努めており,特にデジタル産業や脱炭素関連での注力が目立った。また外国人労働力政策では,この10年ほどで確立された国民優先の原則を堅持しつつ,産業分野・熟練度の別に微調整を行うモデルが継続している。
対外関係面では,ウォン首相が5月の就任演説でも強調したように,今後の国際環境が厳しいものとなるなかで,既存の国際秩序の崩壊による混乱や暴力という新しい現実に直面する可能性を意識し,国民にも厳しい時代が到来する可能性への覚悟を求めた。米中関係については,引き続き安定を望むとして,新政権も双方との関係維持・発展に努めている。その一方で,国外政治勢力の影響力浸透には断固とした態度で臨む方針である。また隣国マレーシアとの関係は,「ジョホール・シンガポール経済特区」(JSSEZ)構想の実現や高速鉄道計画の進展によって,緊密化が一層進んでいる。
5月15日,ローレンス・ウォン副首相兼財務相が,第4代首相に就任した。これは,彼が2022年に首相後継者として内定し,2023年11月にはリー・シェンロン首相(当時)が,翌年内の新首相就任を公言しており国家としての既定路線であった。また,12月4日の人民行動党(PAP)中央執行委員会では,ウォン首相が党首である書記長に選出された。これにより,リー前首相を筆頭とする「第3世代」からウォン首相が率いる「第4世代」への,正式な世代交代が完了した。
ウォン首相は,1972年に中産階級の家庭に生まれ,非エリート校での国内教育を経て,政府奨学金で米国留学した後に官界に入った。通産省,財務省,保健省での勤務で頭角を現し,2005年にはリー首相の首席秘書官に任命された。2008年からはエネルギー管理局長官を務めた後,2011年の国会総選挙で初当選を果たすと,2012年には文化・地域・青年相代行に就任し(2014年正式昇格),2015年に国家開発相,2020年に教育相を務めた。また,2020年からは新型コロナウイルス対策タスクフォースの共同議長として指導力を発揮し,2021年には財務相に抜擢され,翌年には首相後継者に内定して副首相に昇格している。
ウォン首相の就任後,具体的な政策面で,いまだ大きな変化は発生していない。しかし彼の独自性は,8月18日に開催された独立記念日政治集会(ナショナルデー・ラリー)の施政方針演説で,明確に現れた。このなかでウォン首相は,シンガポールの持続的発展には,政策と国民意識の大きなリセットが必要と強調した。それによると,今後の政府はまず,政策形成において国民との対話や民意を重視しなければならないとしている。一方で国民には,多様化する社会的価値観のなかで,自らの成功や幸せとは何かを再定義することが求められる。そのうえで政府は,個々が能力を発揮して自己実現することが社会全体の活力になるとの認識にたち,そのための環境を整える必要があるとする。
この演説は,初代首相リー・クアンユーの人間性を軽視した統治思想によって,国家が国民の目標や価値観を規定し,国民はこれに沿って生きることを余儀なくされてきたこれまでの時代が,もはや転換したことを認める重要な意思表明であった。リー・クアンユーやその後継者たちにとって,国民の存在意義とは,国家に労働力や消費といった経済力をもたらす源泉でしかなかった。だが,こうした旧い価値観は,21世紀に入って急速に多様化する国民の意識との間で矛盾を生みだした。また,人間性のもつ可能性を制限することで,国家の持続的発展,特に知識集約型社会に不可欠な,有機的な社会活力の生成・発展を阻害してきた。
ウォン首相の演説は,副首相就任直後の2022年6月から自ら主導してきた,国家と国民の社会契約を根底から刷新する,「フォワード・シンガポール」構想を反映するものでもあった。2023年10月発表の同構想報告書では,国民生活,教育改革,子育て支援,高齢者支援,住宅政策などに重点を置いたように,上記演説でも,今後の各分野での具体的な取り組みに言及している。これについては,以前から改革を訴えてきた労働者党(WP)や前進党(PSP)などの野党側も,肯定的評価を示している。
大きく変化しなかった新内閣の陣容ウォン首相の誕生に伴い新内閣も成立したが,陣容は前内閣と大きく変化していない。これには2つの理由がある。第1に,新内閣のメンバーたちは2010年代から現在まで,「第4世代」閣僚として適材適所の配置とチームワークで実務を担っており,その布陣はすでに固められていた。第2に,ウォン首相の当面の最優先事項は,これまでと同様に国家・国政を安定運営できる能力を国内外に示すことにあり,積極的な新人事による混乱や停滞は避ける必要がある。これらの理由から新内閣では,ガン・キムヨン通産相が同相兼任のまま首相最側近の副首相に昇格し,またリー前首相が上級相に就任したこと以外,大きな変化は見られなかった。
リー前首相の上級相就任には,「院政」の可能性を指摘する向きもあった。これは過去に,リー・クアンユー元首相が,1990年のゴー・チョクトン元首相の就任時に上級相,2004年のリー前首相の就任時に顧問相として閣内にとどまり,影響力を行使したことからの憶測であった。だが,リー前首相はSNS上で「退任するが仕事はある」「新首相と彼の同僚を支えるため出来ることをする」と記し,あくまでも助言者の立場を強調した。その言葉のとおり,退任後のリー前首相は国内の地味な行事に参加しつつ,来訪する外国要人の一部と会談するなど,なるべく目立たない活動に終始し,ウォン首相と新内閣が独り立ちしていることを示すことで,これを支えている。
注目すべきは,十数年後に政権を継承する「第5世代」の選抜が,新内閣の国務相(副大臣相当)・政務官クラスの人事に,どのように反映されたかである。シンガポールでは新首相が誕生すると同時に,次世代の最高指導層の一員となる人物の抜擢・育成・選別を本格化する。このため,従来から任命されている「第5世代」の国務相・政務官とあわせて,今回の人事に関心が集まった。新内閣では,デズモンド・タン国務相(首相府担当)とロー・イエンリン国務相(通産省兼文化・地域・青年省担当)が上級国務相に,ラハユ・マフザム上級政務官(保健省兼情報通信省担当)が国務相に,それぞれ昇格した。また,ショーン・ファン議員が上級政務官(財務省兼教育省担当,5月24日付就任)に,ムラリ・ピレイ議員が国務相(法務省兼運輸省担当,7月1日付就任)に,新たに任命されている。このほか,チー・ホンタッ運輸相兼第2財務相が,8月23日付で金融管理局(MAS)理事会の副議長に就任している。同職は,将来的に副首相などの重要閣僚に登用される人材が就任する傾向がある。現に今回のポストは,5月まではガン副首相兼通産相が務め,同氏の副首相昇格とMAS議長就任で空席となっていたものであった。このためチーのMAS副議長就任は,そのキャリアが一歩進んだことを意味し,今後が注目される。
以上のように,5月の新内閣発足で大きな変化はなかったが,2025年に実施される次期国会総選挙後には,ウォン首相の独自性が反映された人選・構成による内閣改造が行われると考えられる。その伏線としてウォン首相は,11月24日のPAP党大会演説で,閣僚19人の半数以上が60歳以上であることを指摘し,世代交代による内閣の若返りの必要を説いている。
次期国会総選挙の実施時期と野党動向ウォン政権の誕生後,最初の大きな試練となるであろう国政行事は,新体制への実質的な信任投票とも言える次期国会総選挙である。このため政権側には,前回2020年国会総選挙のPAP得票率61.2%と獲得議席数83を上回る結果を出すため,確実な勝利が見込まれる環境と適切なタイミングでの選挙実施が必要となる。一方で,現行国会の任期を考慮すると,次期国会総選挙は2025年11月までに実施しなければならない。こうした状況下で,2024年中はそれに向けた準備が着々と進められた。
3月8日に選挙局は,選挙事務員の公務員5万人を指名し,4月から講習を開始すると発表した。5月20日にはウォン首相が,選挙局に投票者名簿の更新作業を命じ,7月22日に完成した。一方で,人口増減に伴い区割りを見直す選挙区検討委員会は,2024年度末までに招集されなかった。この委員会に法的な設置義務はないが,従来は国会総選挙前に必ず設置されており,選挙実施の時期を予測する観測気球となってきた。なお8月には国会で,恣意的な与党有利の区割りを防ぐため,野党PSPが手続き内容の見直し案を提出したが,与党の反対多数で却下されている。
先例を見れば,国会総選挙での与党有利の環境とは,経済全般や雇用状況が良好であると同時に,物価や住宅価格が比較的安定している状態で,この点で現在の状況は決して悪いとは言えない。ただし新政権は足元固めが急務で,6月12日に国会総選挙の実施時期を問われたウォン首相も,「現在はすべきことが多い」として,いずれ適切な時期に実施すると回答した。さらに12月上旬の党中央執行委員会を経て,ウォン首相の書記長就任による新しい党内体制が発足したため,2024年内の国会総選挙実施は現実的に困難であった。加えて,例年2~3月は予算案の発表と国会審議があることから,実際の国会総選挙実施は,2025年4月から11月になると予想される。
一方で,国民の価値観や政治的意見多様化に伴う野党伸張の趨勢は衰えていない。ウォン首相は次期国会総選挙について,「PAP勝利による安定した政権の成立が確約されている訳ではない」(11月24日のPAP党大会演説)として,党内の引き締めを図っている。また,ウォン政権が国会総選挙で勝利するためには,安定的な国政運営の能力を証明すると同時に,野党の勢いを可能な限り削いでおく必要がある。無論,20世紀後半のリー・クアンユー政権のような強引な弾圧手法を,今日に用いることは不可能であるが,野党への圧力が皆無となった訳ではない。
例えば,3月19日には最大野党WPのプリタム・シン書記長が,国会特権委員会への偽証容疑で起訴された。これは2021年に同党所属の国会議員が,虚偽事案をもとに警察当局を批判して辞職に追い込まれた件に関連している。当該議員は国会査問で事案捏造はWP執行部の指示だったと証言した。これに対してシン書記長と他2人の党最高幹部が,特権委員会で証言内容を否定したことが,偽証にあたるとされる問題である。シン書記長は起訴容疑について改めて反論し,10月14日には初公判が開かれた。こうした圧力にもかかわらず,WPの地盤では依然として同党の勢力が衰えておらず,7月30日の執行部役員選挙では,シン書記長や主だった党幹部が再任されている。
野党第2党PSPにも,2020年国会総選挙での同党躍進に貢献したリー・シェンヤンへの締め付けという形で圧力が続いている。彼は実兄リー前首相との確執や政治姿勢の違いから,近年は政権・与党を強く批判してきた。2023年大統領選挙にも出馬を検討したが,警察の捜査が進行中で国外滞在先から帰国できないとして断念している(『アジア動向年報2024』参照)。また彼の家族も,妻は弁護士資格を一時停止され,息子は閣僚から名誉棄損で告訴されるなどの圧迫を受けてきた。このためリー・シェンヤンは,10月22日に自身のSNSと英『ガーディアン』紙のインタビュー記事で,2022年に英国で政治亡命が認められていた事実を公表し,帰国に慎重な姿勢を示している。
2024年度予算案の内容ウォン副首相兼財務相(当時)は,2月16日に国会で2024年度予算案の演説を行った。この予算案は,ウォンが主導してきた「フォワード・シンガポール」構想を反映する第1弾と位置づけられ,「シンガポールを継続的に前進させつつ,人々の潜在能力が十分に活かされ,家庭と高齢者の安心感を強める」(2月15日付ウォン首相SNS投稿)ことに主眼が置かれた。このため予算案演説としては異例だが,「フォワード・シンガポール」構想や,就任後のウォン首相が国民に訴えかけている新しい時代における目標や成功の幅広い解釈,そして国民間における互助責任の必要性についても言及している。
演説によると,2023年度の基礎財政収支は54億4000万Sドルの赤字で,これに投資運用収益組入金(NIRC)などの諸調整を加味しても35億7000万Sドルの最終赤字となった。一方で,2024年度の歳入は1086億4000万Sドル,歳出は1117億6000万Sドルと予想され,諸調整後の基礎財政収支は60億6000万Sドルの赤字と見積もられた。しかし,各種の基金拠出やNIRC補填などの諸調整を行うと,7億8000万Sドルの黒字になる見通しを示した。ウォン副首相兼財務相は「中期的に厳しい財政状況は継続するが」,「基本的にはバランスの取れている状態」にあるとして,財政運営に自信を見せている。
予算案で示された主要政策として,歳出面では以下が挙げられる。国民生活の支援には19億Sドルを確保し,全世帯に物価高支援のデジタル商品券600Sドルを,さらに中低所得層に現金200~400Sドルを給付するとともに,公団住宅在住の95万世帯には共益費の割引を行う。企業活動の支援には13億Sドルを支出し,法人税50%還付(上限金額4万Sドル)や企業融資拡充を実施する。投資流入の促進策としては20億Sドルを投入し,「現金還付可能型投資税額控除」を導入する。このほか,戦略的な産業育成を強化するため,金融(20億Sドル規模),研究開発(30億Sドル規模),AI(今後5年間で10億Sドル)などに資金を投入し,また技能・生産性向上,特に市場が求める技能とのギャップから支援が必要な中高年層への助成を大幅に増加させる。
歳入面では,多国籍企業(年間収益7億5000万ユーロ以上)向けの最低法人税率(15%)が2025年に導入される。これは経済協力開発機構(OECD)の国際租税回避防止イニシアティブにあわせたもので,所得合算ルール(IIR)と国内追加税(DTT)で構成される。前者はシンガポール本拠の多国籍企業の海外利益に,後者はシンガポール国内での多国籍企業の経済活動による利益に課税する。しかし,法人税の7割以上が多国籍大企業に由来するなかで,最低税率導入による増収に対し,企業の海外移転などマイナス要素も考えられる。予測は難しく影響も不透明であるが,政府は「経済拡大インセンティブ法」を改定(11月11日国会通過)するなど,対応に努めている。
一方,ウォン副首相(当時)は2月の国会答弁で,2023年と2024年の各年で1%ずつ引き上げられて9%となった物品・サービス税(GST)については,現状の歳入・歳出の均衡化から,2030年まで引き上げる必要はないとの認識を示した。もっとも,今後の財政状況は楽観を許さない。特に基礎財政収支は恒常的かつ大幅な赤字であり,これを国家準備金の運用収益を一定比で財政に補充するNIRCにより緩和している。だが2023年度の運用利回りは,政府投資公社が3.9%,政府系持株会社テマセック・ホールディングスが1.6%を確保しているものの,今後の利回りは各種要因によっても左右される。このため将来的な歳出拡大が見込まれるなかで,NIRCによる財政赤字補填がどこまで持続可能であるか,留意が必要である。
安全保障面の重要法案成立国会では安全保障面で重要となる複数の法案が成立した。これらは従前の盲点となっていた部分を補強すると同時に,今後における国際環境の複雑化に備えた動きでもある。
1月9日に「大型投資審査法」(SIRA)が成立している。これは経済安全保障にとって重要な対象企業への一定比率以上の投資につき,売り手,買い手,企業の3者に,通産省への報告と承認取得を義務付けるものである。この新法に基づき,5月には資源・防衛関連など9社が,対象企業に指定されている。また,同様の目的から5月8日には「海事港湾庁法」,「民間航空庁法」,「大量輸送システム法」,「バスサービス業法」の改定案が成立した。これにより政府は,国内で戦略的重要性をもつ輸送・関連サービス提供者やその大株主を指定事業体として指定し,監督権限を強化することで,重大事態への迅速対応が可能になるとしている。
国際犯罪組織やテロ組織が,資金面でシンガポールを利用することを防ぐ目的から,8月6日には「マネー・ローンダリング等防止法」が成立した。シンガポールでは前年に,中国本土系犯罪組織による30億Sドル規模の資金洗浄事件が発覚し,同問題への防止体制に欠陥のあることが露呈した。これは国際金融センターとして発展を目指すシンガポールの評価を傷つける結果となり,政府は対策を本格化させていた。同法では,資金洗浄犯罪の起訴要件緩和,当局の取り締まり権限拡大,官庁間の情報共有強化,不正資金・財物の処分手続き簡素化などが盛り込まれている。
この他にも有事に備えた動きとして,5月7日には「改定サイバー・セキュリティー法」が成立した。これにより国益の観点から重要度が高いとみなされる電力,水道,金融,医療,運輸,情報通信,メディア,保安緊急サービス,行政,大学などの対象企業・団体は,情報インフラの事故発生時にサイバー・セキュリティー庁への報告が義務づけられ,その種類と範囲も拡大されている。
景気動向を見ると,通年の実質GDP成長率は4.4%増(改定値)となり,2023年の1.8%増と比較して加速した。第1四半期と第2四半期は,ともに3%増にとどまったが,第3四半期には,半導体を中心としたエレクトロニクスに牽引された製造業の大幅な伸びに支えられて5.4%増となった。しかし第4四半期に入ると,サービス業は堅調であったものの,製造業が失速したことを受けて,全体では5%増に減速した。また,過去数年に上昇してきた物価動向は,通年のCPI上昇率が2.4%(改定値)となり,2023年の4.8%を大きく下回った。以上の景気・物価動向を受けて,MASは従来の年2回から本年より年4回に増加した1・4・7・10月の金融政策決定会合で,いずれも金融政策の現状維持を決定している。
もっとも,経済発展段階が成熟期を迎えているなかで,政府は中長期的な経済成長に慎重な見通しを示している。ウォン副首相(当時)は2月16日の国会予算演説で,もはやGDP成長率がすべてではないとしたうえで,財政,労働力,土地などの制約から,無理な成長を推進しないと述べた。もとより小国シンガポールは,一定レベルの経済成長を維持し続けなければ,国家としての存立にもかかわる。このためウォン首相は,8月9日の国民向けテレビ演説でも,以前のような高い経済成長の維持は難しいとしつつ,革新と生産性の向上によって発展を追求し続ける必要性を強調している。
継続する新産業育成への挑戦シンガポールは持続的な経済発展を目指して,その柱となる高付加価値・創発型の新産業育成に余念がない。
特にデジタル経済は,GDPの2割(現在17.7%)まで高めることを目標とする重点分野である。国家レベルでは,10月1日に「スマート・ネーション2.0」構想が発表された。2014年の前構想「スマート・ネーション」を刷新した今回は,国家と社会のデジタル化推進により,国民生活の直接的な利便向上を目指している。重点項目には,デジタル・インフラの安全・強靭化,DXやAIの推進・普及と人材育成,国民・政府・地域のデジタル化による関係強化が挙げられている。
これに伴い,政府はデジタル産業を積極的に誘致しており,世界的IT企業からの投資に結びついている。例えば,アップルは4月に2億5000万米ドルの追加投資を,5月にはアマゾンも今後4年間で120億Sドルの投資を発表した。また6月には,グーグルが40億米ドルを投資したデータセンターが完成している。なお政府は5月,電力消費とCO2排出削減目標の関係で,新規建設に消極的であったデータセンター開発にも,「グリーン・データセンター・ロードマップ」を策定・発表したうえ,その枠内での認可を始めた。このほか,生成AIの伸びで活況を呈する半導体業界も,米系や台湾系の資本を中心に拠点拡大への投資が進んでいる。
脱炭素化に関連した分野も,引き続き注目されている。2月には国際エネルギー機関(IEA)初の海外事務所となる,「地域協力センター」の誘致に成功した。これは東南アジア地域の脱炭素化支援,特にASEANの電力需要増大に伴う,再生可能エネルギー発電と国際送電網の整備を主眼としており,シンガポールが近年,自国をハブに整備・展開を試みているASEANパワーグリッド構想にも沿うものである。5月9日,グレース・フー持続可能性・環境相は講演で,ASEANは再生可能エネルギー取引の推進,電力業界の脱炭素化,国際送電網の拡大などの受益者になれると指摘し,そこでのシンガポールの役割を強調した。
こうしたなかで,シンガポールでは電力融通のネットワーク構築が着々と進んでいる。例えば,数年前からオーストラリアのサン・ケーブルは,同国で世界最大の太陽光発電施設を建設し,発電した電力を海底ケーブルでシンガポールに送る計画を推進している。これはシンガポールの総電力需要の9%に相当し,8月にオーストラリア,10月にシンガポールの認可を得て,具体化へと始動した。このほか,9月にはマレーシアからの200MW規模の電力輸入計画が発表された。この発電は100%の再生エネルギー由来ではないが,シンガポール側は送電網接続による実績作りを優先するものと見られる。
しかし,国際送電網構築に伴う課題も明らかになっている。例えば2022年から開始された,ラオスで水力発電した電力を,タイとマレーシアを経由してシンガポールに送る計画は,シンガポール,タイ,マレーシア三国の思惑のずれが表面化し,継続が危ぶまれている。また,インドネシアもシンガポールへの送電について,度重なる見直しと合意を繰り返しているが,9月にはインドネシアのバフリルエネルギー・鉱物資源相が,国内需要の充足優先を理由として再び見直し論に言及するなど,不安定性が浮き彫りとなった。一方で,2021年にシンガポール向けの再生エネルギー電力供給を禁止したマレーシアは,12月中旬に再び供給を解禁している。
なお,シンガポールは2050年までのCO2実質排出量ゼロ実現に向け,発電エネルギーの多様化を進めており,選択肢のひとつとして原子力も検討している。3月には関係省庁の人員が,国際原子力機関(IAEA)や欧米関係当局・団体で調査を実施したことが判明した。タン・シーレン第2通産相は4月初旬の国会答弁で,ウラン備蓄予定はないとしたが,原発導入の可能性は否定しなかった。またウォン副首相(当時)も4月中旬,原発導入の具体案はないが,安全面を含めた知見蓄積は必要と述べた。こうしたなか,7月にはアメリカと原子力分野の協力協定を,10月にはアラブ首長国連邦(UAE)原子力公社と技術開発協力の覚書を締結している。
一方で,行き詰まりが見られる分野もある。食品の9割を輸入に頼るシンガポールは,食糧安全保障の観点から国産比率を2030年までに30%に引き上げる計画(30 by 30)の下,関連事業を育成してきた。そして将来的には,世界的課題の食糧問題をビジネス機会として,得られた技術,知見,事業化ノウハウを活用し,新産業に育てる計画であった。しかし2024年は,農業・水産関連で支援を受けてきた事業の縮小・廃業が相次いだ。政府は大手スーパーでの販促実施,業界団体による一括集荷・供給体制の構築,2022年開始の水産養殖計画(SAP)の戦略変更などを進めているが,年内完成予定の農業・食品製造ハブ地域の進捗もいまだ調査段階にとどまるなど,姿勢には変化の兆しが見られる。
住宅価格の動向近年の住宅価格は,実需に加えて投資資金の流入により,大きく上昇してきた。国民の住宅取得が阻害されることは,政治への不満となって跳ね返ってくるため,ウォン政権の誕生と次期総選挙を控えた政府は,住宅価格の上昇を抑制するためのさまざまな措置を講じている。
この結果,民間住宅価格指数(改定値)は2023年に価格上昇の鈍化が顕著となり,その傾向は2024年も継続した。具体的には,第1四半期と第2四半期はそれぞれ1.4%,0.9%の上昇となり,第3四半期は0.7%下落したものの,第4四半期は再び2.3%上昇し,通年では3.9%の上昇となった。これは2021年10.6%,2022年8.6%,2023年6.8%の上昇と比較すると,価格抑制策の効果がより明確に現れていることがわかる。特に2023年4月には,外国人買主への加算印紙税率が従来の2倍にあたる60%に引き上げられたことで,2023年5月から2024年4月までの外国人の民間住宅購入が,前年度比71%減となった影響が大きかった。
ただし,国民の多くが居住する公団住宅では,中古価格が第1四半期1.8%,第2四半期2.3%,第3四半期2.7%,第4四半期2.6%の上昇を記録し,通年では9.7%の上昇となった。すなわち2021年12.3%,2022年10.1%と高騰したものが,2023年には4.9%に落ち着いたにもかかわらず,再び大きく上昇している。従来から国家開発省と住宅開発庁は,供給拡大による価格抑制策をとってきたが,8月19日には購入時のローン利用可能比率を引き下げる直接的な価格抑制策を発表し,翌20日から実施した。一方で,この措置による実需購入者への影響を緩和するため,初回購入者には補助金を拡充するなど,各種の配慮も行っている。
さらに政府は,1万1000戸分以上の開発用地を積極的に放出する一方,中期的構想としては郊外に加えて,中心部臨海地域や旧競馬場跡地の大規模再開発によって,合計で数万戸分の新たな住宅供給を計画している。特に中心部臨海地域の開発は,ウォン首相自らが8月の施政方針演説で発表して力を入れている。これは行政・ビジネスの中心にも近いマリーナ・ベイやカランに,複合開発地区を設ける構想である。この地区は,南部で進む旧シンガポール港の再開発であるグレーター・サザン・ウォーターフロントや,東部で進む人工埋め立て島ロング・アイランドなどの,新たな開発地区とも接続・一体化される予定となっている。
雇用政策の調整継続2024年年央(6月末時点)の総人口は,604万人(前年比2%増)となった。この内訳は,国民364万人,永住権保有者54万人,外国人186万人となる。もっとも国民人口は,合計特殊出生率が0.97と過去最低を記録して少子化が深刻化している影響から,増加率は0.7%にとどまった。
一方で,外国人は12万人増(前年比5%増)と大きく伸びた。これは主に,2023年中に8万3500人の外国人労働者が就労した影響である。特に,一部の労働集約型産業における労働力の不足から,2022年より単純労働者向け就労ビザ(WP)の発給が部分的に緩和されたことが大きい。このため6万4800人もの単純労働者が流入したが,こうした人口増は,高付加価値人材による人口増を望む政府にとって,歓迎できるものではない。このため3月には,造船・海洋分野で一時的に緩和していたWPや人頭税を,2026年から再び引き締める方針が発表された。
このほか3月には,ホワイトカラー・専門技術職向け就労ビザ(EP)の発行基準となる最低月給額が,5000Sドル(金融業界5500Sドル)から2025年1月1日に5500Sドル(同6200Sドル)へ引き上げられると表明された。政府は引き続き,専門・管理・幹部・技術職(PMET)の国内人材への入れ換えを推進する方針である。ヘン副首相は8月,未来経済諮問委員会の会合で,良質な雇用を継続的に創り出し,国民の生活向上を目指すと述べており,上記政策はこの発言に沿っている。一方,中技能労働者向け就労ビザ(Sパス)の職種では国民就労者が不足しており,2025年の見直しまで現行水準の発給が継続すると見られている。
ウォン首相が5月の就任演説で強調した点のひとつは,今後の国際環境が厳しいものとなるなかで,国民にも相応の覚悟を求めたことである。首相はアジア太平洋では冷戦後に平和と安定が継続して繁栄したが,「このような時代は終焉して戻らない」と明言したうえで,大国間で新たな国際秩序をめぐる争いが生じ,保護主義やナショナリズムが広がるであろうと述べた。そして,既存の国際秩序の崩壊による混乱と暴力という新たな現実の出現に備えなければならないと国民に訴えた。また,米中関係の安定を望むものの,仮に両国間で避けがたい問題が生じても,引き続き双方との関係維持に努めると強調した。
こうした認識の下,シンガポールは従来どおりアメリカの準同盟国的な位置づけにあって,安全保障関係を維持・強化している。1月9日の国会答弁で,ン・エンヘン国防相は,シンガポール海軍が紅海の海上交通を守る米軍主導有志連合に参加すると発表した。国際的な海上交通の混乱防止は,世界的港湾拠点であるシンガポールの国益にも適うとして,協力姿勢を見せている。また,2月28日の国会答弁でン国防相は,空軍がアメリカ製ステルス戦闘機F35Aを8機追加で購入すると表明した。6月と7月には,ン国防相とアメリカのオースティン国防長官が会談し,二国間防衛協定の再確認や軍事技術革新の相互協力で合意している。
翻って中国とは実利外交に徹し,2024年前半は3月にテオ・チーヒエン上級相(前副首相),4月にはヘン副首相が訪中した。しかし,目立った成果は伝えられておらず,むしろ両国間では微妙な問題が発生している。
例えば2月2日に内務省は,シンガポール国籍を取得した香港出身男性を,外国干渉対策法(FICA)に基づく特定人物に指名した。同人は,2023年に中国の全国政治協商会議と全国人民代表大会に「海外中国代表」として参加したほか,以前から中国の利益に沿う発言や行動を繰り返していた。内務省は,これを「外国勢力の利益に貢献する」,「政治目的に沿ったもの」として非難している。12月24日には内務省が,中国共産党関連を名乗る団体が,国内の高等専門学校を標的として,SNS上に組織幹部募集の広告を出したとされる件を調査すると発表し,また同省の別の声明では,国外政治勢力の国内での影響力浸透を阻止する姿勢を明確にしている。
他方で3月には,在シンガポール中国大使館が中国人観光客に向けて,シンガポールのカジノでギャンブルに参加することは中国の国内法に抵触すると警告し,同日には中国外務省の報道官も,外国のカジノに中国人の資金が投じられることは許されないと発言している。この中国側の意図は不明であるが,シンガポールのカジノ産業における主要顧客源のひとつが中国人観光客であることを考慮すると,シンガポールに対する何らかの牽制とも受け取れる。
しかし年後半,特に11月以降,対中強硬的姿勢を示すドナルド・トランプがアメリカ大統領選挙で勝利をおさめたことで,アジア各国の取り込みを図りたい中国の外交姿勢が変化した。11月11日には,丁薛祥筆頭副首相が来訪し,ウォン首相との会談で相互協力の強化を再確認した。また,二国間協力共同委員会に出席し,貿易・金融面での協力深化で合意したほか,多分野での25件の覚書・合意を締結した。さらに11月15日には,APEC出席のためペルーを訪問したウォン首相が,習近平国家主席と初会談し,一層の経済協力,自由貿易の維持,地域・国際情勢について意見を交換した。11月26日には,北京を訪問中のリー上級相が習主席と会談し,関係強化を再確認している。
なお,シンガポールは米中対立の激化に備えて,それ以外の諸国との関係構築を,従来以上に戦略的に進めており,特に目立ったのがインドとの関係強化である。8月26日,シンガポールで2年ぶりの両国閣僚級協議が開催され,先端製造業,半導体,海・空運の分野での協力深化で合意した。9月5日にはモディ首相がシンガポールを公式訪問した。ウォン首相との会談では,両国関係の包括的戦略パートナーシップへの格上げで合意し,半導体,デジタル,教育,医療の分野で連携覚書を締結した。10月22日にはニューデリーで両国の国防相会談が実施され,合同軍事演習協定の延長に加え,軍事面の各種協力が確認されている。
マレーシアとの協力関係の強化隣国であるマレーシアとの関係は,2023年5月に「ジョホール・シンガポール経済特区」(JSSEZ)構想が先方から提案されるなど,良好に推移している。この流れを受け,1月11日にリー首相とマレーシアのアンワル首相は,両国を結ぶ高速都市鉄道(RTS)工事の記念行事に出席するため,シンガポールと隣接するジョホール州を訪問した。この際に,両国の通商担当閣僚間でJSSEZの協力覚書が締結され,両首相も立ち会った。さらに年内には各種の調整・協議が行われ,12月上旬には正式合意が調印される予定であった。しかし,12月3日にウォン首相の新型コロナウイルス感染が判明して首脳会談が延期されたため,調印は2025年1月上旬にずれ込むことになった。
ジョホール州との間では,1日約30万人のヒトの往来や水資源供給に加え,この30年ほどはシンガポールからの産業移転先としても,一体的な関係にある。このため上記構想は,シンガポールも関与する同州の経済開発計画「イスカンダル・マレーシア」を土台に,両国間の経済活動をより補完化・円滑化しようとするものである。2006年から開始された「イスカンダル・マレーシア」は,総面積2200平方キロメートル以上の地域を一体的に開発するもので,すでに中国やシンガポールを主体に5兆円近い投資が行われている。JSSEZはこれを3500平方キロメートル規模に拡大し,2030年までに合計約20兆円の投資を誘致し,140万人の雇用を創出するとしている。
1月11日に署名された協力覚書では,シンガポールからの投資認可手続きの円滑化,QRコードを利用した出入国管理の迅速化,通関手続きのデジタル技術利用による簡素化,再生可能エネルギーの積極開発と融通,両国共同での投資誘致や人材開発,などが記された。こうした両国間の補完化・円滑化は,シンガポールには土地利用,労働力供給,コストなどの面から,マレーシアには海外投資の誘致,経済発展の促進などの面から,大きなメリットが期待されている。特にマレーシア側では,4月にアンワル首相が,同構想はマレーシアを世界30位以内の経済大国に飛躍させる戦略の一環になると表明するなど,期待が大きい。
実際のところ,両国の資源や技能が合致し,合理的ルールのもとでヒト・モノ・カネの自由な移動が確立され,双方一体のエコシステムが生成されることは,かつての香港と深圳の間で形成された経済圏にも似た大きな可能性を秘めている。このためシンガポールも,将来に向けた具体的な動きを加速させている。1月23日には税関が,マレーシア側と通関手続きの相互承認協定を締結し,同月29日には入国管理局が,出入国拠点のひとつであるウッドランズ検問所の拡張・再開発計画を発表した。6月13日には通産省が,マレーシア側とのサプライチェーン強化の作業部会設置で合意するなど,JSSEZによる一体化を見越した準備が進んでいる。
6月にはウォン首相がマレーシアを訪問し,アンワル首相との会談に臨んだ。この席ではJSSEZの正式合意に向けた調整加速で一致したほか,高速鉄道(HSR)の建設再開についてもマレーシア側から正式提案があり,意見が交換された。同計画は,2020年に当時のマハティール政権が終結を宣言したが,アンワル政権下の2023年3月に再開の意向が示され,主にマレーシア側で動きが進んできた。これは基本的に,シンガポールとクアラルンプールを結ぶ計画だが,マレーシア側事業主体MyHSRコープの首脳は,将来的なタイ国境までの延伸と,タイが建設を進めるバンコクとのHSRに接続される可能性も示唆している。
1月15日には,マレーシア側で事業構想案の提出が締め切られ,7連合体が参加した。しかし,以前の計画では参入意欲を見せて準備を進めてきた日本勢は,今回の参加を見送った。これは,今回の計画において,総工費3兆円以上と見積もられる建設・運営の全費用を民間側が引き受ける条件となり,リスク懸念が拭えなかったためである。対照的に中国国有鉄道「中国鉄路」は,独自案を提出して強い意欲を見せた。各構想はマレーシア政府内で検討されているが,9月のイブラヒム国王訪中時に行われた習近平国家主席との会談でも中国側が強い参入意欲を示したことを受け,マレーシア側では中国との合弁案も浮上している。
テロ攻撃への警戒継続一般的にシンガポールの治安状況は,強力な執行機関と法的枠組みの両輪により安定している。同国にとって治安維持は,国際経済都市の信用という面に加え,多民族・多宗教が微妙な緊張関係のなかで混在している社会の安定性を守る面からも重要である。しかし,シンガポールはつねにいくつかの不安要素を抱えている。異なる民族・宗教的背景をもつ周辺国の特定勢力や,国内に滞在する外国人労働者の一部には,シンガポールは華人が多数派を占め,またアメリカの準同盟国的立場にあることから,敵視あるいは攻撃しようとする動きがある。加えて近年は,イスラエル・パレスチナ戦争が憎悪を拡大させ,過激思想の蔓延しやすい環境にある。
現実問題としてシンガポールは,ジュマー・イスラミヤ,アル・カーイダ,イスラーム国(IS)といったテロ組織の標的となってきた。例えば2016年には,市内中心部にある世界的観光名所のカジノ・ホテル「マリーナ・ベイサンズ」を,インドネシアのバタム島からロケット攻撃するというイスラーム過激派の陰謀が,実行直前に阻止されている。本年も9月3日に,インドネシアで「アラビア半島のアル・カーイダ」に属するテロリストが逮捕された。この人物には2015年にシンガポール証券取引所ビル爆破を計画した容疑がかけられており,インドネシア当局の取り調べでは,当時,この陰謀も実行直前であったことが判明している。
7月25日,内国治安局(ISD)は『2024年度テロ脅威報告書』を公表し,差し迫った攻撃兆候は見られないが,非常に現実的で高い脅威がつねにあり,引き続きテロ攻撃の目標になっているとの見解を示している。またISDは7月,過激思想に傾倒したとされる33歳女性と14歳少年に,内国治安法違反容疑で制限命令を課したと発表した。8月にも同様に過激思想に傾倒し,国内で具体的な無差別テロを計画していた17歳少年を,内国治安法違反容疑で逮捕・拘禁している。さらに同月,バングラデシュのイスラーム過激派指導者が不法入国し,外国人労働者の宿舎で危険思想を広める不法集会を開催した問題が発覚した。
ISDは上記報告書のなかで,イスラーム過激派の動向に言及する一方で,多民族・多宗教・多様性への排他主義や,社会調和を乱す民族主義にも警告を発している。また,近年の事件や予防措置案件の多くの容疑者・対象者は,インターネットを経由して過激思想に触発・感化される傾向があり,この危険性も強調した。こうした動向への対抗策として,政府は従来型の警戒策に加え,国内での民族的・宗教的調和の維持が必要と考えている。ウォン副首相(当時)は1月と4月の宗教間対話集会でも調和の重要性を訴え,同時に,対立や憎悪を煽り社会分断を試みるセクトへの警戒と抵抗を呼びかけている。
2025年には国会総選挙が実施される。これはウォン政権に対する国民からの最初の信任投票であり,仮に野党の伸長を許した場合,ウォン首相の威信や指導力に疑問が生じるリスクがある。政権・与党としては,前回2020年総選挙での議席数・得票率を最低ラインに,これを上回る結果を出すことが望まれる。
しかし,与党有利の選挙条件設定や野党への抑圧を露骨に行えば,逆に国民からの信を失うことにもなりかねない。このため景気,雇用,物価・不動産価格の安定を維持することで,国民の不満を可能な限り低減させる必要がある。その一方で,積極的な再分配政策や,建国60周年の記念行事の大々的な実施によって,政権・与党支持の気運を高めようとすることが予想される。
選挙後には,ウォン首相の意向をより反映した形での組閣が行われると考えられる。前政権からの経験豊富な数人が引退し,新たに第5世代からの閣僚が任命される可能性が高い。その人選は将来の最高指導層メンバーの選抜でもあり,重要な意味をもつ。また,ウォン首相を支える最側近として誰が浮上するのかも注目される。
対外関係面では,トランプ政権の誕生によって,シンガポールが依存・重視してきた既存の安全保障および自由貿易のシステムが揺らぐ可能性が高い。さらに米中関係の緊迫や,北東アジア情勢の不安定化といった事態への懸念もあるなかで,シンガポールは既存システムやバランス外交を堅守しつつも,日本,ASEAN,EU,インド,オセアニアなどとの連携を強化することで,影響緩和を図ることが予想される。
(開発研究センター)
1月 | |
1日 | 非金融機関による対中送金禁止令が発効。 |
9日 | 国会,経済安全保障の強化を目的とした大型投資審査法を可決。 |
11日 | シンガポールとマレーシア,JSSEZ創設に向けた覚書を締結。 |
16日 | 汚職調査局,休職中のS・イスワラン運輸相を収賄罪で起訴。 |
19日 | 国民からの意見・協力を政府機関に繋げる「シンガポール政府パートナーシップ・オフィス」(SGPO)が発足。 |
20日 | 航空業界見本市「シンガポール・エアショー」に,日本の防衛装備庁と企業13社が初出展。 |
24日 | リー首相,米国を公式訪問。 |
2月 | |
2日 | 内務省,香港出身でシンガポールに帰化した男性を,外国干渉対策法に基づく指定人物にすると発表。 |
16日 | ウォン副首相,国会で2024年度予算案の演説を実施。 |
28日 | ウォン副首相,2030年まで物品・サービス税引き上げの予定なしと表明。 |
3月 | |
4日 | タン人材相,ホワイトカラー・専門職向け就労ビザの発給基準月給を2025年1月から引き上げると発表。 |
5日 | リー首相,訪問先のオーストラリアでアルバニージー首相と会談し,戦略的分野の協力推進で合意。 |
7日 | 国会,与野党の全会一致で2024年度予算案を可決。 |
18日 | 在シンガポール中国大使館,シンガポールを訪問する中国人観光客の賭博行為は,中国の国内法に抵触すると警告。 |
19日 | 検察庁と警察,シンWP党首を国会聴聞会での虚偽発言容疑で起訴と発表。 |
4月 | |
1日 | ウォン副首相,多民族・多宗教社会の分断を扇動するセクトへの警戒を強調。 |
15日 | リー首相,5月15日での退任とウォン副首相の首相就任を発表。 |
5月 | |
3日 | 国際NGOの国境なき記者団,2024年の報道自由度ランキングでシンガポールを126位と発表。 |
6日 | シャンムガラトナム大統領とリー首相,来訪中のマレーシアのイブラヒム国王と個別に会談。 |
8日 | 国防省,空軍のF16戦闘機1機が墜落と発表。 |
8日 | 国会,経済安全保障の強化を目的とした運輸・関連サービス4業法改定案を可決。 |
15日 | ウォン首相が就任し,新内閣が発足。 |
16日 | 岸田首相,ウォン首相と電話会談を行い,両国関係の強化を確認。 |
20日 | ウォン首相,選挙局に投票者名簿の更新版作成を指示。 |
6月 | |
2日 | シャンムガラトナム大統領とウォン首相,来訪中のウクライナのゼレンスキー大統領と個別に会談。 |
12日 | ウォン首相,訪問先のマレーシアでアンワル首相と会談。 |
13日 | 在日シンガポール大使館の元参事官,盗撮容疑で警視庁から書類送検される。 |
14日 | コンテナ港での船舶衝突事故により,大規模な燃料流出が発生。 |
30日 | WP,中央執行委員会の選挙を実施。 |
7月 | |
1日 | 高等裁判所,女性に性暴力を加えた日本人男性に禁錮刑と鞭打ち刑の判決。 |
2日 | バラクリシュナン外相,パレスチナの国家承認を適切な時期に行う用意と表明。 |
8日 | 情報通信省がデジタル開発・情報省に改称される。 |
11日 | 内務省,全国労働組合協議会(NTUC)を外国干渉対策法に基づく政治的重要人物に指定。 |
15日 | 内国治安局,過激思想傾倒の2人に内国治安法に基づく制限命令を発令。 |
31日 | バラクリシュナン外相,訪問中の米国で原子力協力協定に署名。 |
8月 | |
6日 | 国会,マネー・ローンダリング等防止法を可決。 |
20日 | 国家開発省と住宅開発庁,中古公団住宅の価格上昇抑制策を実施。 |
23日 | 海上自衛隊,シンガポール海軍と親善訓練を実施。 |
9月 | |
1日 | 海軍,中国で人民解放軍海軍との合同軍事演習を開始。 |
3日 | インドネシア治安当局,2015年にシンガポール証券取引所の爆破を計画したテロリストを逮捕と発表。 |
5日 | ウォン首相,来訪中のインドのモディ首相と会談し,両国関係の包括的戦略パートナーシップへの格上げで合意。 |
10日 | 国会,プラットフォーム労働者法案を可決。 |
12日 | シャンムガラトナム大統領とウォン首相,訪問中のバチカンのフランシスコ教皇と会談。同日,教皇は大規模ミサを主催。 |
24日 | 首相府,6月末時点の総人口が600万人を突破と発表。 |
25日 | 都市鉄道(MRT)で,車両・設備故障による大規模な運休が発生。 |
30日 | 保健省,公的医療補助基準を改訂し,高額補助が利用可能となる対象者を拡大。 |
10月 | |
1日 | デジタル開発・情報省,デジタル化推進構想「スマート・ネーション2.0」を発表。 |
3日 | 裁判所,イスワラン前運輸相に禁錮12カ月の量刑を下す。 |
9日 | リー・クアンユー元首相の長女リー・ウェイリン医師が死去。 |
10日 | インドネシア,シンガポール籍船舶2隻を海砂の違法採取で拿捕と発表。 |
11日 | ウォン首相,訪問先のラオスでASEAN首脳会議に出席。 |
14日 | 政府,外資系保険大手によるNTUC系保険会社買収を承認しないと表明。 |
15日 | リー・シェンヤン,旧リー・クアンユー邸の取り壊し申請の意向を表明。 |
18日 | 内国治安局,国内でテロを計画した少年を,内国治安法違反容疑で逮捕・拘束。 |
20日 | ウォン首相,インドネシアを訪問し,プラボウォ新大統領の就任式に参加。 |
22日 | リー・シェンヤン,英国での政治亡命が認められていた事実を公表。 |
29日 | エネルギー市場監督庁,アラブ首長国連邦原子力公社と協力覚書を締結。 |
11月 | |
8日 | ウォン首相,総選挙の日程はいまだ決まっていないと発言。 |
11日 | 国会,経済拡大インセンティブ法改定案を可決。 |
13日 | ウォン首相,来訪中の中国の丁薛祥筆頭副首相と会談。二国間協力共同委員会が開催。 |
15日 | ウォン首相,訪問先のペルーで中国の習近平国家主席と会談。 |
24日 | PAP,党大会を開催。リー上級相が書記長退任を表明。 |
26日 | リー上級相,訪問先の北京で習近平国家主席と会談。 |
12月 | |
3日 | ウォン首相,新型コロナウイルスに感染。8・9日予定のマレーシア訪問とJSSEZ協定調印は延期。 |
4日 | PAP,中央執行委員会を開催し,ウォン首相をトップの書記長に選出。 |
24日 | 内務省,中国共産党関連を名乗る団体による高等専門学校を標的とした幹部募集広告を調査と発表。 |
(注)1)一院制,選挙区選出議員定数93(任期5年)。与党・人民行動党79議席,野党・労働者党8議席,欠員6議席。
(注)人口関連データは6月末時点の年央値。総人口は居住権者(シンガポール国民と永住権保有者)と非居住権者(永住権を持たない定住者あるいは長期滞在者)から構成。失業率は居住権者と非居住権者の合計データ。
(出所)The Singapore Department of Statisticsウェブサイト( https://www.singstat.gov.sg )。
(注)2024年は暫定値。
(出所)Ministry of Trade and Industry, Republic of Singapore, Economic Survey of Singapore 2024.
(注)2024年は暫定値。
(出所)表2に同じ。
(出所)表2に同じ。
(注)IMF国際収支マニュアル第6版に基づく。したがって,金融収支の符号は(-)は資本流入,(+)は資本流出を意味する。2024年は暫定値。
(出所)表2に同じ。
(注)2024年は暫定値。
(出所)表2に同じ。