2025 年 2025 巻 p. 415-440
2024年のミャンマーは,2021年のクーデタから3年が経過し,二重政府状態下の内戦が続いて人道危機が深刻化するなか,各地で反軍政の少数民族武装組織が勢力を伸ばし,中国が自らの権益を保持すべく関与を強化した。
国内政治では,軍政が総選挙を先延ばしにして政権の座に留まり続け,ミンアウンフライン軍最高司令官が自ら大統領臨時代理に就くなど恣意的な人事が目立った。内戦で劣勢に立つ軍政は,2月に徴兵を開始して国民の軍事動員を強め,10月に実施したセンサスを選挙準備の進展として強調した。他方,並行政府や複数の少数民族武装組織からなる反軍勢力は,前年10月以来の軍への攻勢をさらに強めた。特にシャン州北部,カチン州,ヤカイン州では,各地方の有力な少数民族武装組織が勢力を大きく伸ばした。8月と12月には,国内14カ所の軍管区司令部のうち2カ所が陥落した。
経済は,内戦と9月の大規模な洪水被害の影響もあり,低迷した。紛争地や被災地以外でも,止めどない通貨安と物価高が国民の生活を圧迫し,人道危機は深刻さを増した。国民は国外への移住や資産の脱現金化を通じてリスク低減を図ったが,そうした動きに対する軍政の統制も強められた。軍政内では,経済の実務に長じた官僚・閣僚経験者が退けられつつある様子がうかがわれた。
対外関係では,欧米諸国が軍政を批判し,中国やロシアが軍政を支持するという構図が続いた。欧米による制裁に加え,ロヒンギャ関係の国際裁判で進展があり,軍政への国際的圧力が強まった。軍政への支持では,軍管区司令部が初めて陥落した8月以降,中国による支持強化が顕著だった。クーデタ後初となるミンアウンフラインの中国訪問が11月に実現した一方,少数民族武装組織に対して停戦を求める中国の圧力が格段に高まった。また,その他の近隣諸国は,軍政との関係を維持しつつ,状況の変化に対応すべく慎重な態度を示した。
軍政は2021年2月1日のクーデタによる政権奪取以来,国家非常事態宣言の期間終了後に総選挙を実施すると公言してきたが,本年も内戦収束の見込みがつかないなか,選挙を先延ばしにして政権の座に留まった。前年同様,軍政の依拠する2008年憲法に基づき,ミンアウンフライン軍最高司令官に全権を委ねる国家非常事態宣言の半年間の期間延長が,本年2月1日(クーデタ後5度目)と8月1日(同6度目)にも繰り返された。
この2度の期間延長に挟まれた時期,4月下旬にヘンリーヴァンティウ副大統領が罷免され,7月19日にはミンスェ大統領臨時代理が病気療養中であることが発表された。2人は2016年の国民民主連盟(NLD)政権発足時に副大統領に就任し,2021年のクーデタ後も軍政下で職に留まり,元軍高官のミンスェは大統領臨時代理となっていた。そもそもクーデタ以来,大統領臨時代理と副大統領は,国家非常事態宣言の発出や期間延長という半年に1度の機会にだけ表舞台に姿を現わし,軍政に薄皮一枚の正当性を付与する象徴的役割しかもたされていなかった。とはいえ,2人の退場にともない,その象徴的役割すらミンアウンフライン自身が演じることとなった。7月22日,すでに軍政の最高統治機関である国家行政評議会(SAC)の議長および内閣の首相を兼ねていたミンアウンフラインは,さらに大統領臨時代理という新たな肩書を得た。8月1日の国家非常事態宣言期間延長は,自らが大統領臨時代理として前日に発表した内容を受けて,軍最高司令官として改めて全権を委任されるというように,さながらミンアウンフラインの独り芝居といった様相を呈した。
軍政の顔ぶれは,SACは前年と全く変わらず,内閣に若干の変化があった(章末「参考資料」参照)。まず1月に,新たな閣僚ポストとしてSAC議長府相が設けられ,前海軍司令官のモーアウン大将や前連邦内閣府相のアウンナインウーなど4人が就任した。ただし5月には4人の間の席次が入れ替わったのち,経済分野での実務経験の長いアウンナインウーが解任された(「経済」参照)。1月の異動ではさらに,ヤービエ内相が国家安全保障顧問と国民統合和平実現調整委員会委員長の兼務を解かれ,それぞれモーアウンSAC議長府相とトゥントゥンナウン国境相が兼任して安全保障関連の役職が分散された。12月には,軍序列第3位の三軍統合参謀総長であったマウンマウンエー大将が副首相兼国防相に就任した。前国防相のティンアウンサン大将は,副首相の兼任を維持して首相府相へ異動した。このため副首相の数は前年よりさらに増えて6人になった。
軍内の人事で特筆すべきは,8月にSACの軍人メンバーであるアウンリンドゥエ,イエウィンウー,ニョーソーの3人が中将から大将へ昇格したことである。ミャンマー軍の大将は,軍最高司令官の上級大将,軍副司令官(陸軍司令官兼任)の上級大将補に次ぐ高位の階級であり,基本的には三軍統合参謀総長,海軍司令官,空軍司令官に就いた軍人に与えられる。これらの役職に就いていない上記3人の大将昇格は異例であり,ミンアウンフラインが恣意的に側近を取り立てたものと考えられる。なお,クーデタ後,大将相当役職の経験者が軍籍を維持したまま次々と政治ポストへ転じたこともあり,年末時点で9人と大将の数が膨らんでいる。副首相や大将が増え,軍政内で地位のインフレが起きつつある。
徴兵などによる国民の動員強化内戦で劣勢に立つ軍政は,死傷者や離脱者が増えて兵力が損耗しており,国民を強制的に軍事動員することでその補充を図った。2月10日,前軍政末期に制定されたが未施行のままだった2010年人民兵役法が施行され,徴兵が始動した。それまでミャンマーでは,別の兵役法が施行されていたものの,実際には志願兵制が採られ,徴兵は実施されてこなかった。2010年人民兵役法によれば,徴兵対象は18歳以上35歳未満の男性,18歳以上27歳未満の女性であり,医者や技師などの専門家については年齢上限が男性45歳未満,女性35歳未満となる。また,兵役期間は通常は2年以内もしくは3年以内のところ,国家非常事態宣言下では5年まで延長可能だと規定される。軍政は同法の施行に際して,当面は男性のみを対象とし月に5000人ずつ徴兵する方針を示した。その後,4月から毎月1回ずつ,徴募された新兵の軍事訓練開始が国営紙などで報じられた。
また,人民兵役法施行の3日後の2月13日には,同じく2010年制定で未施行だった予備役法も施行された。これは,軍最高司令官が退役軍人を予備役に任じることができるという規定を含む。4月以降,同法の運用により,67歳未満の退役軍人の予備役編入が進められた。
これらの施策を打ち出していくなかで,ミンアウンフラインをはじめとする軍政高官はしばしば「人民安全保障」(ピードゥー・ロウンチョウンイェー)という言葉を用いた。これは,英訳ではpublic securityとされ,治安維持のために国民を総動員すべきだという考え方を表わしている。独立系メディアにリークされた8月16日付SAC指令151/2024号の文書によると,軍政は同日,国境相のトゥントゥンナウン中将を委員長とする「人民安全保障・反テロ中央監督委員会」を新設した(CNI Myanmar, 2024年8月19日ほか,同指令は年末時点で官報未掲載)。この中央監督委員会は,全国の管区域/州から,県,郡,そして村落区/町区という末端に至るまでの各行政区に置かれる人民安全保障・反テロ委員会を統括し,住民への武器供与や軍事訓練などを行うとされる。その後の8月下旬頃から各地で,徴兵対象から外れる35歳以上の民間人男性が村の見張り番や民兵組織などに強制的に動員され始めた。軍政はクーデタ後,協力者を武装して,ピューソーティーと呼ばれる民兵組織を編成しており,今回の動きでは強制力の行使を通じたその補強も図られているようだ。
しかし,強制的な動員は国民の反発と忌避を招き,一方では反軍勢力への加入を促し,他方ではクーデタ後から強まっていた国外脱出の流れをさらに加速させた(「経済」の諸項目も参照のこと)。例えば,人民兵役法の施行直後から,隣国へ出国するためのビザを取得しようと若者たちがタイ大使館前に長蛇の列をつくった。これに対し,軍政は5月に一時的に男性国民の海外就労手続きの一部を停止したが,すぐに再開した。非正規に国境を越える者も多く,出国の趨勢そのものを止めることは難しいと見られる。軍政は,後述のように海外在住者に対する統制を強める一方,タイの入国管理当局と協働し,非正規滞在者として本国送還された者を強制的に兵役に就かせるなどの施策を取った。
選挙準備の一環としてのセンサス実施軍政は10月1日から15日にかけてセンサスを実施した。ミャンマーでは,民政移管後の2014年に31年ぶりにセンサスが実施されており,本年はそれから10年目の節目に当たった。その機会を捉えたセンサスを,軍政は近々実施する総選挙のための準備とも位置づけた。そもそも2021年のクーデタの際,軍は2020年総選挙の有権者名簿に不正があったという(客観的には根拠の薄い)主張によって自らの行為を正当化しており,戸別調査によって適正な有権者名簿を作成するという目標が掲げられたのである。今回のセンサスは,選挙準備を着々と進めていると主張したい軍政の宣伝材料という性格が色濃かった。
他方で,本来の人口調査としての意味はむしろ限定的だった。12月31日に発表されたこのセンサスの暫定結果によると,ミャンマーの総人口は5131万6756人であり,前回の2014年の約5150万人から微減した。クーデタ以来,大規模な国外流出が続いているであろうことを考慮すれば,人口減少自体は不思議なことではない。しかし,この調査の信頼性が高くないことには注意が必要である。
第1に,内戦の激化のために,調査は全土に及ばなかった。暫定報告書によると,全国330郡のうちで,戸別調査が「成功裏に」実施されたのは145郡にすぎなかった。127郡では調査は不完全なものであり,そのうち一部では調査期間が12月上旬までずれこんだ。残りの58郡はまったく調査できなかった。未調査地の人口は,リモートセンシングなどのデジタル技術を用いて推計したという。暫定結果として発表された全国5132万の人口のうち1913万(37%)はこうした推計に基づく。地方別に見れば,7管区域7州1連邦直轄地のうちで,域内の全郡で実地調査が行われたのはヤンゴン管区域,エーヤーワディー管区域,ネーピードー連邦直轄地のみであった。紛争が激しいところほど人口に占める推計値の割合が高く,ザガイン管区域,カヤー州,チン州,ヤカイン州では推計値の割合が85%以上に上った。
第2に,数値の精度の問題がある。後述のように,内戦と直前の9月の大洪水によって数百万人が住処を失っていた(「経済」参照)。こうした混乱下で,リモートセンシングによる人口推計がどれほど有意義なものになり得るのか疑問が残る。さらに,実地で戸別調査された場合であっても,平穏かつ丁寧に作業できる状況ではなかった。調査員は反軍勢力の襲撃対象になる可能性があり,実際に襲撃が発生した。調査を受ける側にとっても,反軍勢力となんらかの関わりをもつ場合には特に,軍政に詳細な世帯情報を開示することにはリスクがあった。そして,前回の2014年調査時にはあった国際社会からの手厚い支援も今回はなかった。これらを考慮すると,正確な情報収集が十全に行われた可能性は低い。
反軍勢力の攻勢継続,戦術の多角化内戦の全般的状況としては,前年10月以来の反軍勢力の攻勢が続いた。軍政は,中国の仲介による一部勢力との停戦を機に若干の地域で巻き返したものの,概して劣勢であった。特に国土の北東部と西部において大きく後退し,全国に14カ所ある軍管区司令部のうち2つを失った(各戦線については次項以降で詳述)。
反軍勢力は一枚岩でなく,多様な勢力が参集しており,それらは大まかに3つのグループに分けられる。1つ目は,軍政打倒と民主連邦国家樹立を掲げる並行政府であり,NLD中心の臨時立法府である連邦議会代表委員会(CRPH)や,より多様な構成をもつ臨時執政府の国民統一政府(NUG)などからなる(章末「参考資料」参照)。並行政府の軍事機構は人民防衛隊(PDF)と呼ばれるが,その実態は,クーデタ後に叢生した数百の市民武装組織の一部が,一定の自律性を維持したままNUGの指揮系統下に入ったものである。市民武装組織のなかには,NUGから指示を受けず独自に動くものもある。2つ目は,従来からの少数民族武装組織のうち,クーデタ後まもなくから並行政府との共闘姿勢を前面に出してきたカレン民族同盟(KNU),カチン独立機構(KIO),カレンニー民族進歩党(KNPP),チン民族戦線(CNF)の4組織である。3つ目は,クーデタ後しばらく曖昧な態度を示したのち,2023年10月に突如として軍政に対する一大攻勢「1027作戦」を仕掛けた兄弟同盟を名乗る3組織,すなわち,ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA),タアン民族解放軍(TNLA),アラカン軍(AA)である。
並行政府とこれら数多くの武装組織が,目的を緩やかに共有しながら一定の連携を取り,軍を追い込んでいる。また,軍の基地から大量の兵器を略取したことで,反軍勢力の戦術はかつてのゲリラ戦を中心としたものから大規模化・多角化しつつある。しかし,個々の組織にはそれぞれの利害関心があり,ときに反軍勢力間の対立が浮上するなど同盟関係は不安定である。さらに,これら以外にも,中立的立場を取り続ける強力な少数民族武装組織がいくつか存在しており,状況をさらに複雑なものにしている。他方で軍は,多方面に拡大する戦線で激しく兵力を損耗しながら,ますます空爆への依存を強めて一般住民の生活を破壊し続けた。これに関連する本年の新しい点として,軍側によるドローンの軍事利用が指摘されている(Washington Post, 2024年10月12日)。クーデタ後の内戦において,ドローンの利用は反軍勢力が先んじていたが,軍が前年10月から劣勢を強いられるなかでこの分野に注力し始め,ロシアや中国からの輸入品や軍の自製品を用いて強力なドローン爆撃が可能になったという。
北東部戦線:初の軍管区司令部陥落,中立勢力台頭,レアアース争奪国土の北東に位置するシャン州北部では,前年10月に1027作戦を開始した兄弟同盟が快進撃を遂げ,本年初めまでにTNLAはマントン,ナムサン,ナムトゥー,ナムカンの4郡を制圧し,MNDAAは故地ラウカイ(ラオカイ)奪回の悲願を達成した。当初は1027作戦を黙認していた中国は,事態の急展開を受けて仲介に動き,雲南省昆明での軍政と兄弟同盟の協議によって本年1月11日にシャン州北部での停戦が合意された。続く数カ月間,多少負担が軽減された軍は,全国の失地や係争地への空爆を続ける一方,ザガイン管区域のコーリンやカヤー州の州都ロイコーなど,いくつかの場所では攻勢に転じた。4月には,東部のタイ国境の重要地点であるミャワディーをKNUが一時的に占拠したが,軍はカイン州国境警備隊(元々KNUの分派で軍の指揮下に入ったが一定の自律性を保つ勢力)の助力を得て早々にこれを奪回した。また,2月と3月にシャン州北西部の計5郡に新たに戒厳令を発し,全国で戒厳令下にある郡の数が60になった。
しかし,依然として軍が複数の戦線で苦戦する状況に変わりはなく,6月25日,軍側の停戦協定違反を主張するTNLAとMNDAAが1027作戦第2期と称してシャン州北部で攻撃を再開すると,軍の劣勢はより顕著になった。シャン州北部では,それから2カ月足らずの間にほぼ全域が反軍勢力の支配下に入った。8月3日には,MNDAAがラーショーの北東軍管区司令部を陥落させた。クーデタ後の内戦で初めての軍管区司令部の陥落であり,国内外で大きく注目された。TNLAも勢力を伸張させ,対中国の国境貿易幹線上の町を次々と制圧するとともに,隣接するマンダレー管区域北部のルビー産地として有名なモーゴウッを奪取した。また,兄弟同盟と共闘してきたマンダレーPDFも同管区域北部を進撃し,国内第2の大都市マンダレーの間近にまで戦火が迫った。ただ,8月以降は再び中国の介入が強まり,TNLAやMNDAAに自制が見られたため,シャン州北部からマンダレー管区域北部にかけての戦線は次第に膠着した。
この過程で,国内の少数民族武装組織のうち最強の軍事力を有すると言われるワ州連合軍(UWSA)に注目すべき動きがあった。シャン州の東部パンサン(パンカン)に根拠地を置くUWSAは,隣接する中国と密接な関係をもち,軍政とさまざまなビジネスをし,武器の供給などを通じて兄弟同盟などの他の少数民族武装組織にも影響力を有するなど,国内外の諸勢力と通じる特異な立場にある。クーデタ後の内戦では表向きの中立姿勢を維持しつつ,この立場を利用してシャン州内で隠然と影響力を拡大してきた。本年にはさらに,内戦の両陣営から攻撃されないという強みを活かして,従来の支配領域の外側で公然とプレゼンスを示し始めた。1月,UWSAは,自領より北方に位置する2つの町の行政を,1027作戦第1期によってそれらを制圧したMNDAAから託された。さらに1027作戦第2期の進行中には,UWSAは戦火の拡大を防ぐという名目で,自領からタンルィン川を越えて西方に位置するタンヤン,ラーショーに派兵を行った。
シャン州より北のカチン州では,KIOが年間を通じて躍進した。まず,3月の攻勢では,月末までに中国国境のルェージェーを含む複数の町を奪取した。さらに,9月から11月にかけて,州北方のパンワーを中心とするカチン州国境警備隊の支配域を攻略した。この国境警備隊は,ザクンティンイン率いるカチン新民主軍が母体の勢力である。ザクンティンインは,KIOとビルマ共産党を経て1989年に独自組織のカチン新民主軍を築き,前軍政との停戦の見返りに支配域の自治を認められてきた。支配域は「カチン州第1特別地域」と呼ばれ,軍事部門は2009年に名目上国軍指揮下にある国境警備隊に編成された。KIOの進攻中にザクンティンインは逃亡し,11月28日,すでにその全域を占拠していたKIOは,カチン州第1特別地域の廃止を宣言した。この地方は近年急速に,国内で最大かつ世界でも有数のレアアース鉱石産出地となり,この戦略物資の加工における世界的中心地である中国も原料供給の一部をここに依存してきた。そのため,この地方の攻略によりKIOは中国に対する強力な交渉カードを手にしたことになる。一方で,ここは急開発による土壌・水質汚染が環境団体などから問題視されており,新たな統治者としてその対処への責任も問われることになるだろう。
西部戦線:さらなる軍管区司令部陥落,ロヒンギャ苦境,チン勢力2分国土の西部では,AAが支配域を大きく拡げた。AAは兄弟同盟3組織のひとつであり,前年11月にそれまでの停戦を破ってヤカイン州での戦闘を開始した。本年に入り,シャン州北部で友軍が停戦したにもかかわらず,AAはヤカイン州を中心に戦闘を継続し,1月15日には,隣接するチン州南部の交通の要地パレッワを制圧した。その後も年間を通じて着々とヤカイン州の各地を落としていき,年末までに州内17郡のうち14郡を支配下に置いた。この間の12月8日には,バングラデシュ国境の全域を確保した。12月20日には,アンの西軍管区司令部を陥落させ,ヤカイン州から山地を抜けてエーヤーワディー川流域へと出るルートも押さえた。軍政側が州内で保持するのは,州都シットウェ,対中国輸出用の石油・ガスパイプラインの始点チャウッピューなどわずかな場所のみとなった。
このようにAAが一大勢力として台頭する過程で,同州北部のムスリム・マイノリティであるロヒンギャにまつわる問題が再び顕在化した。劣勢の軍は,ロヒンギャの住民を強制的に徴兵し,あるいはロヒンギャの名を冠する諸武装組織に武器を流してAAに対抗した。このためAAはロヒンギャ住民への不信を強めた。ロヒンギャ系武装組織のAAに対するゲリラ攻撃は軍の撤退後も続き,他方でAAによるロヒンギャ住民迫害がしばしば報道された。こうして,2017年の大量流出で100万人規模に膨れ上がったバングラデシュ側のロヒンギャ難民の帰還はいっそう難しくなり,むしろ紛争や迫害を逃れようとするロヒンギャがさらにバングラデシュ側に流出する事態が生じた。
ヤカイン州の北のチン州では,古株のCNFのほか,クーデタ後に各地方に新しくできた多数の武装組織が反軍勢力を構成し,年末までに州内のほぼ全域から軍を排除した。しかし,本年はこれらの諸組織の二極化が顕著になった。一方はCNFが主導する約20組織の連合であり,前年に統括組織であるチンランド評議会を結成し,本年2月1日にはその行政機関としてチンランド政府を立ち上げた。もう一方は,CNFらと対抗する6組織の連合であり,チン兄弟同盟を名乗り,州南部のパレッワを年初に支配下に置いたAAを後ろ盾とした。2つの連合は,それぞれ個別に軍と戦いながらも,互いに競合し,ときに戦火を交えた。
内戦が続くなか,大規模な自然災害も重なって経済はさらに低迷した。9月上旬,フィリピンから西進してきた超大型台風11号(国際名ヤギ)とベンガル湾から湿気を運ぶ南西モンスーンとの相乗効果により,国内各地で大雨と洪水が発生し,甚大な被害をもたらした。前年にヤカイン州を直撃したサイクロン・モカに続き,今回も100万人超が影響を受けたという。国連人道問題調整事務所によると,紛争と災害による国内避難民の数は年間で90万人増加し,年末までに350万人に達した。世界銀行(世銀)の調査チームは12月の報告で,2023/24年度(4月始まり,以下同じ)の実質国内総生産(GDP)成長率を1.0%とし,2024/25年度については-1.0%とマイナス成長を予測した。ミャンマー経済は,新型コロナウイルス感染症流行とクーデタの影響で大幅に減退してから,回復の見込みが立たないままとなっている。
外国投資と貿易はともに低調である。軍政の投資企業管理局(DICA)によると,ティラワ経済特区への投資を除く認可ベースの対内直接投資額は,2023/24年度に6億6162万ドル(前年同期比59.7%減)と大きく減り,2024/25年度の4月から12月までの9カ月間では6億3991万ドル(同6.3%増)と若干増えたものの依然低水準であった。貿易も輸出入両方で規模縮小が続く。軍政の商業省によると,2023/24年度の輸出額は146億4079万ドル(同11.9%減),輸入額は154億7797万ドル(同10.8%減)であった。2024/25年度の統計は,同省ウェブサイトの貿易統計更新が本年7月から止まっているため,4~6月の3カ月分しか利用できない(本稿執筆時2025年2月現在)。この3カ月間を前年同期比で見ると,輸出額は7.1%減,輸入額は28.7%減となり,とりわけ内戦の影響を受けた国境貿易の停滞が顕著であった。商業省の貿易統計に限らず,クーデタ後は各種データの公開状況が悪化しており,以前は定期的に出されていた統計が次第に公開・刊行されなくなってきている。
国民の生活苦とリスク回避:通貨安,物価高,移住,資産の脱チャット化経済が停滞するなかで,止めどない現地通貨チャットの下落とインフレが国民の生活を圧迫し続けた。為替の実勢レートは,本年初めの1ドル=約3300チャットから急落し,8月のピーク時には過去最安値の1ドル=7000チャット近くに至った。その後,ある程度はもち直すものの,前年の水準にまで戻ることはなく,年末にかけて1ドル=4400チャット前後で推移した。なお,この実勢レートとは異なる軍政の公定レートが少なくとも2つ存在し,為替レートが多重化している。ひとつは軍政の中央銀行(中銀)の参考レートであり,2022年8月以来,1ドル=2100チャットに据え置かれている。もうひとつは,軍政中銀のオンライン取引プラットフォームにおけるレートであり,中銀が毎日公表する。これは前年6月に導入された後,徐々に実勢レートと乖離したため,前年12月に中銀がこのレートの設定を市場に委ねるとの通達を発して,当時の実勢レートに揃えられた。しかしその後,本年を通じて1ドル=3300~3600チャットで推移し,チャット安が進行する実勢レートとの乖離がふたたび進んだ。
通貨価値の下落は,内戦による流通の阻害も相まって,物価を押し上げた。前述の世銀の報告によると,本年3月のインフレ率は年率25.4%であった。その後の時期についても,9月1日から5年ぶりに電気料金が値上げされたことや,同月上旬の洪水被害などにより物価は上がり続けていると見られる。軍政は8月,前年に続いて日額1000チャットの手当増額により,事実上の最低賃金を日額6800チャットまで引き上げたものの,通貨安や物価高の影響を相殺するほどではなく,実質賃金の低下傾向は続いた。国連開発計画(UNDP)は,4月時点ですでに,貧困率はほぼ50%に達し,貧困線付近も含めれば国民の76%が生存できるかどうかの不安に直面していると報告していた。紛争地や被災地はもとより,その他の地域でも,多数の人々が人道上の危機的状況に置かれている。
このような逆境において,国民はさまざまなリスク回避策を採っている。そのひとつは移住である。国際食糧政策研究所(IFPRI)の推計によると,ミャンマーでは2021年末から2023年央までの1年半の間に,総人口の5分の1に当たる約1000万人が国内の別の場所もしくは海外へと移住した。こうした傾向は,その後の紛争の激化や徴兵制の影響でさらに加速したと考えられる。世帯の一部が移住する場合,より良い雇用と賃金が期待される海外への出稼ぎでは特に,移動した人からの送金が居残った家族の重要な収入源となる。国外への移動の際には,正規のルートを経ずに出国する場合も多い。在外ミャンマー人の最大の受入国である隣国タイでは,国際移住機関(IOM)の推計によれば,本年7月時点で約410万人のミャンマー人が居住し,うち180万人が非正規移民であった。このほか,バングラデシュには主にロヒンギャからなる約100万人が居住し,マレーシア,シンガポール,中国にもそれぞれ相当の非正規移民を含む数十万人が居住する。
また,一定の財産を有する人たちの間では,価値の低下が著しいチャットの保有を避け,金や不動産への投資に回す傾向が見られる。このためクーデタ以来の経済全般の低迷のなかでも例外的に,金の国内取引市場や,ヤンゴンなど一部地域の不動産市場・建設市場が活況を呈してきた。金価格は本年,為替と連動して8月をピークに高騰し,比較的落ち着いた年末でもクーデタ前の5倍以上の高値であった。資産を国外へと移転させる動きも顕著であり,タイのコンドミニアム購入が急増した。タイ側の報道によれば,2024年1~9月の9カ月間のミャンマー人による購入数は1050ユニット,金額にして約55億バーツであり,どちらもそれ以前では過去最高だった2023年の年間実績564ユニット,37億バーツを優に超えている(Bangkok Post, 2025年1月10日)。軍政統制下の経済からの人々の逃避は,非合法経済の拡大とも連動していよう。
軍政による強引な統制策,経済実務経験者の退陣軍政は外貨確保と物価統制によって経済を安定させようとしているが,強制力の行使に頼る強引な手法が目立ち,その効果は薄い。外貨獲得策としては,8月に,輸出企業が輸出で得た外貨収入のうち1営業日以内に参考レートでチャットへ両替しなければならない割合を25%へとさらに引き下げた。この強制両替制度はクーデタ後に導入され,当初は輸出収入の100%であった強制両替の割合が前年末までに35%まで引き下げられていた。この引き下げは,軍政が自ら導入した強制策を緩和することにより輸出業者に動機づけを与え,輸出を促進しようとするものである。しかし,軍政のその他の外貨獲得策では,公定レートの押し付けや違反者の取り締まりなど,強制力の行使が前面化する場合が多い。
例えば,海外就労者への圧力強化がある。すでに軍政は海外就労者に対し,前年9月から賃金の25%の本国送金義務を,前年10月から所得の2%の納税義務を課していた。その運用が本年さらに厳格化された。軍政は本年8月,送金状況証明書類の保管と提出を義務化し,さらには国内に高級軍人を委員長とする海外就労者本国送金監督委員会を設置した。海外からの送金は軍政の認可した銀行を介して行われるべきとされ,そこでは実勢レートよりも送金者に不利な公定レートが適用される。他方で,軍政は実勢レートでの送金サービスを不法取引とみなし,その取り締まりを強化した。6月には,容疑者の逮捕や不法為替取引に使われたとされる複数の銀行口座の凍結が国営紙で報じられた。
物価統制に関しても,軍政は前年からコメや食用油などの重要物資に市場価格よりも低い参考価格を設定し,市場価格で売る違反者を見せしめに逮捕するなどして参考価格を強要してきた。また,燃油については,供給不足が起きるたびに,輸入業者に優遇レートで外貨を提供することで供給増と価格抑制を図った。金や不動産の売買にも統制が強められ,本年6月初めには,金の不法売買およびタイのコンドミニアムの国内不正売買に関与したとされる容疑者の逮捕が立て続けに国営紙で報じられた。金についてはさらに,8月の租税法改正で新たに商業税の課税対象とされ,10月には金参考価格決定委員会が設置された。
以上のような強引な経済政策が採られ続ける一方で,軍政内部では経済分野での実務経験が長い閣僚が退けられ,より軍人中心の経済運営へとシフトしているように見える。統計資料の公開遅滞などもこうした動きと連関しているかもしれない。5月27日には,アウンナインウーSAC議長府相とマウンマウンウィン計画・財務副大臣が唐突に解任された。アウンナインウーは,2000年代から貿易・投資の実務に携わってきた元軍人の官僚で,クーデタ後の軍政に閣僚に取り立てられていた。マウンマウンウィンも,クーデタ以前から約10年にわたって計画・財務副大臣の職に就いてきた。また,2人の罷免と同日,外国為替監督委員会が改組され,委員長には前年から軍政内での存在感を高めているニョーソー中将(8月に大将昇格)が就いた。この委員長職は,前年にモーミントゥン中将が汚職で解任された後,ミャトゥンウー大将が引き継いでいた。12月には,ミャトゥンウー,ティンアウンサン,ニョーソーというSACの軍人メンバーをそれぞれ委員長とし,関連閣僚などから委員が構成される,工業開発委員会,電力・エネルギー開発委員会,農業・畜産開発委員会という3つのハイレベル組織が設置された。
欧米諸国は軍政への標的制裁を継続した。クーデタ発生から3年目となる2月1日の前後にはアメリカ,イギリス,オーストラリアが,10月末にはイギリス,EU,カナダが新たな制裁を追加した。前年同様に新規の制裁は,軍の資金源やジェット燃料の供給を断ち,空爆を阻止することに重点を置くものであった。さらにアメリカ商務省は12月,ミャンマーとロシアの航空関連会社各2社を,ミャンマー軍に部品などを供給して空爆などによる人権侵害に加担していると見なして貿易規制の対象に加えた。並行政府のNUGは,これら欧米諸国との接触を維持し,民主派支援や制裁強化のロビー活動を継続した。
また,2017年に発生したロヒンギャ難民の大量流出に関して,国際司法の場で責任を追及する動きに新たな進展があり,軍への国際的圧力が強まった。ひとつは,ミャンマー国家によるロヒンギャ迫害はジェノサイド条約違反に当たると主張するガンビアが,イスラーム協力機構を代表するかたちで2019年に国際司法裁判所(ICJ)に提訴した裁判に関するものである。前年11月にイギリス,フランス,ドイツ,カナダなど7カ国が同裁判への参加を表明していたところ,本年7月にICJが参加を認めた。7カ国は,本件についてのICJの解釈に法的に拘束されることになるが,原告国ガンビア,ひいては迫害の犠牲者であるロヒンギャに連帯を示すことで,ICJの解釈が原告側の主張に沿うものとなるように影響を与える狙いがあると考えられる。もうひとつは,国際刑事裁判所(ICC)が,やはり2019年からミャンマー軍高官たちの人道に対する罪に関して捜査していた件についてである。本年11月27日,ICC検察局は,ミンアウンフラインに刑事責任があると信じるに足る理由があるとして,同予審裁判部に逮捕状を請求した。本件での逮捕状請求はこれが初めてである。ミャンマーはICC非加盟であり,現状では逮捕実現の可能性も低いが,軍高官の刑事責任が法的に確認されつつある。
揺れつつ強まる中国の関与:軍政支持,少数民族武装組織への圧力中国は,ミャンマーの内戦が新局面に入るなかで関与を強め,一方では軍政に,他方では一部の少数民族武装組織に影響力を行使することによって,自国の利益に適うように情勢を導こうとした。ただし,双方への力の加え方には,大きな振れ幅があった。前年10月の1027作戦第1期開始当初,兄弟同盟による軍への大規模攻撃を中国が黙認したことは,中国が要請するオンライン詐欺取り締まりに対して腰の重い軍政への懲罰という意味を帯びていた。ところが,予想を超えて軍政が劣勢に立たされると中国は態度を翻し,今度は軍政の肩をもつかたちで仲介に動いて,本年1月にシャン州北部での停戦を成立させた。1027作戦第2期でラーショーが陥落した8月以降,中国はそれまでにないほど鮮明に軍政支持を打ち出し,各少数民族武装組織に対して停戦を求める圧力を強化して,軍政主導下の総選挙による民政復帰という方針を強力に後押しした。
本年の8月以前,軍政は中国を頼りにしつつ,1027作戦への中国の後援を疑って不信感を表わすという両面の態度を示していた。一方では,中国にすり寄る姿勢を見せ,4月にエーヤーワディー水力発電計画推進委員会を設立して,2011年に凍結された中国肝煎りの大型事業であるミッソン・ダム建設の再開検討に着手し,さらに7月には中国正月をミャンマーの祝日に加えた。中国との頻繁な要人往来では,6月のテインセイン元大統領,7月のソーウィンSAC副議長という特にハイレベルの訪中があった。他方で,中国への牽制も見られた。5月には,軍政の駐米臨時代理大使がアメリカ政府高官も同席するASEAN関連会議に参加したとの報告が2回にわたって国営紙に掲載され,アメリカとの関係模索がほのめかされた。ラーショー陥落直後の8月5日には,ミンアウンフライン自身が演説で,一部の外国が反乱勢力に資金や武器などを援助していると述べて中国を暗に非難した。同月中旬に来訪した王毅・中国共産党中央政治局委員兼外交部長は,ミンアウンフラインと直接会談して軍政支持を強調しつつ,「中国・ミャンマー関係を離間させ,中国を中傷し貶めるいかなる言動にも反対する」と釘を刺した。
ところが,ラーショー陥落と王毅の来訪を契機として,中国は軍政に対する支持の度合いをさらに一段階引き上げ,両者の関係は蜜月の時期に入った。軍政がこれ以上後退して事態を統御できなくなることも,軍政が欧米に接近することも,中国には許容できなかったと思われる。11月上旬,クーデタ以来認められてこなかったミンアウンフライン自身の中国訪問がついに実現した。訪問地は北京ではなく昆明,重慶,深圳であり,個別会談の相手は習近平国家主席ではなく李強総理であり,訪問の名目は個別会談自体というよりもメコン圏諸国の多国間会議であるなど,最高級の待遇ではなかった。しかし,中国がミャンマーの国家指導者としてミンアウンフラインにお墨付きを与えるかたちとなり,ミンアウンフラインはタイ,カンボジア,ラオスの各首相とも個別に会談する機会を得た。
この間,中国側は支持強化の見返りとして共同警備会社の設立に関する申し入れをした。ミャンマー国内では,10月にマンダレーの中国総領事館が何者かに爆弾攻撃を受けたことに象徴されるように反中感情の高まりが見られ,中国はミャンマー・中国経済回廊などの広範囲に渡る自国権益を保護する必要性を感じていた。共同警備会社設立の検討のため,軍政は10月に実務委員会を発足させ,翌2025年2月にはそれを可能とする「民間警備サービス法」を制定した。中国の国益を背負う中国人武装集団が国内各地に駐留することになれば,ミャンマーの主権を脅かし,反中感情をいっそう高め,紛争をさらに複雑に激化させる可能性がある。また,ミャンマー・中国経済回廊の一部はシャン州北部やヤカイン州を通っており,それらをすでに支配下に置く各少数民族武装組織の意向も重要となる。
中国は,軍政への支持強化と同時に,少数民族武装組織への圧力を強めた。前年末以来,中国は自国領内のミャンマー国境近辺で示威的な実戦演習を繰り返して停戦を促してきた。ラーショー陥落後は,少数民族武装組織が支配する地域へと通じる国境ゲートを次々に閉鎖し,各組織と地域住民へのライフラインおよび物資供給を断つことで圧力を格段に強化した。こうした圧力は,軍と直接交戦する兄弟同盟やKIOのみならず,中立を標榜しつつ武器取引などを通じてそれらと関係するUWSAなどにも向けられた。また,本年11月中旬には,MNDAA指導者の彭徳仁(彭大順)が中国で拘束されたと報道され(Radio Free Asia, 2024年11月18日),中国外交部は直後の定例記者会見で彭が「治療」のために中国に滞在中であると認めた。このような状況下で,11月25日にはTNLAが,12月3日にはMNDAAが,軍政と停戦交渉を始める用意があると表明した。しかしながら,中国の圧力は,中国国境から遠い西部に拠点をもつAAや,北部のレアアース産出地を獲得したKIOに対しては効果が限られ,両者は軍への攻勢をかけ続けた。
軍政外交の限られた選択肢:ロシア,イラン,インド,タイ軍政の外交の相手は,中国を含む一部の国々に限られた。要人往来の頻度と重みが中国に次いで大きいのはロシアであり,従来から中心であった軍事関係のみならず,経済・技術面での関係強化も模索された(「重要日誌」参照)。また,本年には,タンスェ軍政副首相兼外相がこれまで訪問歴の少なかったイランに6月と7月の2度にわたって訪問し,外交関係の拡充が図られた。
近隣諸国も,おおむね軍政との関係を維持したが,ミャンマーの混乱を抑制するとともに,新たな状況に対応しようとする慎重な姿勢が目についた。西隣の大国インドとの関係には,インド国境に近い西部のチン州とヤカイン州の大半が反軍勢力の支配下に入ったことの影響が表われてきた。11月上旬,インドは軍政の国境相を長とする代表団を招いて連邦制に関するセミナーを開催したが,報道によると,その直後にNUG,AA,CNF,チン兄弟同盟もそれぞれ個別の協議のためにニューデリーに招待した(The Hindu, 2024年11月7日ほか)。インドが,ミャンマーの反体制組織と交渉するのは新しい事態だとされる。
東隣のタイは,ミャンマー問題に関するASEANの取り組みが行き詰まるなか,近年独自の動きを見せてきた。本年12月,軍政のタンスェ副首相兼外相を招き,中国,インド,バングラデシュ,ラオスとの近隣6カ国非公式協議をバンコクで開催した。直後には,軍政と並行政府いずれのミャンマー代表も含まないASEAN加盟諸国の非公式外相会議もバンコクで開催された。タイはASEAN内外のミャンマー近隣諸国をつなぐ役割を演じ,解決の糸口を探っているように見える。
国内政治では,内戦の収束は見込めず,それがどのように展開するかが重要となる。2025年1月には中国の仲介で軍政とMNDAAとの停戦が成立したが,その停戦が長く維持される保証はなく,その他の反軍勢力は軍との戦闘を継続している。特に勢力を大きく伸張させたAAやKIOは,国内の政治・軍事だけでなく,外交の上でも重要性を増すだろう。内戦が継続するなかで,軍政が実施を公言する総選挙を2025年中に実施できるかどうかも不透明である。仮に実施したとしても,本年のセンサス同様に限られた地域での実施となる可能性が高く,その場合には,選挙結果の正当性を主張することがいっそう難しくなる。
経済では,良い展望をもてる材料がほとんどない。インフレは続き,外国投資は振るわないだろう。深刻化する貧困と人道危機への対処が,依然として喫緊の課題であり続ける。また,2023年に大きく取り沙汰されたオンライン詐欺の問題も,ミャンマー一国を超えたリージョナルあるいはグローバルな課題となっており,近隣諸国をはじめとした諸外国や国際機関の対応が注視される。
対外関係では,並行政府が欧米諸国に,軍政が中国やロシアに協力を求める基本的な構図が続く。ただし,諸外国のうちで最大の影響力をもつ中国が軍政支持をより鮮明にして関与を強める一方,アメリカの民主派支援を含む外交政策はトランプ政権下で見通しづらくなる。こうした新たな環境への対応を,国内の諸アクターは迫られるだろう。
(九州大学比較社会文化研究院)
1月 | |
4日 | 兄弟同盟のミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA),シャン州コーカン地方の主要都市ラウカイ(ラオカイ)を掌握。 |
4日 | ワ州連合軍(UWSA),前年に停止していた錫鉱山の操業再開。 |
4日 | 中国の孫衛東・外交部副部長,来訪(~6日)。5日にミンアウンフライン軍最高司令官兼国家行政評議会(SAC)議長と会談。 |
5日 | 軍政のヤービエ内相,中国の王小洪・公安部長とビデオ会談。 |
8日 | 軍政,人事異動。新たにSAC議長府相のポストを設置。 |
11日 | 軍政と兄弟同盟3組織,中国の仲介による協議でシャン州北部での停戦成立。 |
11日 | 来訪中のASEANのアルンケオ・キッティクン議長特使,ミンアウンフラインと会談。 |
11日 | MNDAA,10日前に制圧したホーパンとパンロンの行政をUWSAに託す。 |
15日 | 兄弟同盟のアラカン軍(AA),チン州南部の要地パレッワを制圧したと発表。 |
17日 | 軍政のタンスェ副首相兼外相,ウガンダで第19回非同盟運動首脳会議などに出席(~20日)。 |
23日 | UWSA,前年に中国から逮捕状が出ていた元幹部2人に対して逮捕状を発出。 |
30日 | 軍政,前年に中国から逮捕状が出ていたコーカン自治地域最高幹部の白所成ら6人を中国に引き渡し。 |
31日 | アメリカ,制裁追加(クーデタ後21回目,2024年初)。 |
2月 | |
1日 | 軍政,国家非常事態宣言の期間を6カ月延長(クーデタ後5度目)。 |
1日 | チンランド評議会,チンランド政府発足。 |
1日 | イギリス,制裁追加(クーデタ後20回目,2024年初)。 |
1日 | オーストラリア,制裁追加(クーデタ後2回目,2024年初)。 |
10日 | 軍政,2010年人民兵役法施行。 |
10日 | 軍政,ザガイン管区域コーリンを奪回。 |
13日 | 軍政,2010年予備役法施行。 |
20日 | 来訪中のロシアのアンドレイ・ルデンコ外務次官(アジア諸国担当),ミンアウンフラインと会談。 |
28日 | 軍政,シャン州のモーメイッ(モンミッ)郡とマベイン郡に戒厳令発出。 |
3月 | |
4日 | 軍政,シャン州のマントン郡,ナムサン郡,ナムトゥー郡に戒厳令発出。 |
12日 | 軍政,国家原子力実現遂行委員会設立。首相が委員長を務め,閣僚から構成。 |
28日 | 来訪中のロシアのアレクサンドル・フォーミン国防次官,軍高官に勲章授与。 |
29日 | カチン独立機構(KIO),国境の町ルェージェーを掌握。 |
4月 | |
2日 | 中国人民解放軍,ミャンマーとの国境付近で実弾演習実施。 |
4日 | 来訪中の国連のジル・ミショー事務次長(安全保安局担当),軍政閣僚と会談。 |
10日 | カレン民族同盟(KNU),タイとの国境の町ミャワディーを一時的に占拠。19日までに軍が奪還。 |
10日 | 来訪中のロシアのセルゲイ・グラジエフ・ユーラシア経済委員会委員(統合・マクロ経済担当),ミンアウンフラインと会談。 |
10日 | 中国人民解放軍,ミャンマーとの国境付近で実弾演習実施(2024年2度目)。 |
21日 | 軍政のモーアウン国家安全保障顧問兼SAC議長府相,ロシア訪問(~27日)。安全保障関連の多国間閣僚会議に出席。個別会談はロシアのほか,中国,インド,バングラデシュ,ラオスなど。 |
22日 | 軍政,ヘンリーヴァンティウ副大統領を解任。 |
24日 | 軍政,エーヤーワディー水力発電計画推進委員会を設立。 |
24日 | 軍政のヤービエ内相,中国訪問(~29日)。王小洪・公安部長と会談。 |
5月 | |
1日 | 軍政,男性国民の海外就労手続きの一部を一時的に停止(6日に再開)。 |
5日 | 軍政,SAC議長府相4人の席次入替え。モーアウンを主席とし,以下繰り下げ。 |
5日 | アメリカのワシントンで軍政のテッウィン駐米臨時代理大使,米国防副次官補も出席するASEAN関連会議に出席。 |
7日 | ミンアウンフライン,カンボジア前首相のフン・セン上院議長とオンライン会談。 |
15日 | 来訪中のASEANのカオ・キムホン事務局長とアルンケオ・キッティクン議長特使,ミンアウンフラインと会談。 |
18日 | AA,ヤカイン州ブーティーダウン郡を支配。ロヒンギャ居住区への放火疑惑。 |
24日 | アメリカのワシントンで軍政のテッウィン駐米臨時代理大使,米国務次官補も出席するASEAN関連会議に出席。 |
27日 | 軍政,アウンナインウーSAC議長府相およびマウンマウンウィン計画・財務副大臣を解任。同日,外国為替監督委員会を改組し,委員長をニョーソーに。 |
30日 | 国内でインターネットのVPN(仮想私設網)接続がつながりづらくなる。以後,警察がVPNアプリ利用者の取締り強化(Radio Free Asia, 2024年6月13日ほか)。 |
6月 | |
1日 | 元国軍最高司令官で国民民主連盟(NLD)創設者のティンウー,逝去。 |
3日 | 軍政,金の不法売買などの容疑で21人を逮捕したと国営紙で報道。 |
3日 | 軍政のミャトゥンウー副首相兼運輸・通信相,ロシア訪問(~10日)。第27回サンクトペテルブルク国際経済フォーラム出席。 |
4日 | 軍政,タイのコンドミニアムの国内での不正売買や不法為替取引の取締りを報道。 |
21日 | 軍政のタンスェ副首相兼外相,イラン・インド訪問(~27日)。テヘランで第19回アジア協力対話閣僚会議出席。イランやタイなどと個別会談。帰路インドで外相会談。 |
25日 | 兄弟同盟のタアン民族解放軍(TNLA)とMNDAA,1027作戦第2期と称してシャン州北部で軍への攻撃再開。 |
25日 | ミャンマー国際航空,ヤンゴンとラオスの首都ヴィエンチャンの間の航空路線開通。 |
27日 | テインセイン元大統領,中国訪問(~30日)。平和共存五原則発表70周年記念大会に出席。王毅・中国共産党中央政治局委員兼外交部長と会談。 |
7月 | |
2日 | 軍政とインド,ルピー/チャット貿易決済を始動。 |
3日 | 国際司法裁判所,前年にロヒンギャ裁判への参加表明をしていた英,仏,独,カナダなど7カ国の参加を認める。 |
6日 | 軍政のソーウィンSAC副議長,中国訪問(~9日)。青島で上海協力機構(SCO)グリーン開発フォーラムに参加。 |
8日 | 軍政,中国正月を祝日に指定。 |
10日 | TNLA,シャン州のナウンチョー(ナウンキオ)奪取。 |
10日 | 軍政のタンスェ副首相兼外相,インド訪問(~14日)。ニューデリーで第2回ベンガル湾多分野技術経済協力イニシアチブ(BIMSTEC)外相非公式会合出席。個別会談は,インド,タイ,バングラデシュ。 |
11日 | UWSA,紛争拡大を防ぐためとしてタンヤンに派兵。 |
19日 | 軍政,国営紙でミンスェ大統領臨時代理が病気療養中である旨を発表。 |
21日 | 軍政のタンスェ副首相兼外相,中国訪問(~24日)。昆明で第8回中国・南アジア博覧会に出席。孫海燕・中国共産党中央対外連絡部副部長やミッソン・ダム開発業者の雲南国際電力投資の関係者などと会談。 |
22日 | 軍政,ミンアウンフラインの大統領臨時代理兼務を発表。 |
24日 | TNLA,モーゴウッ奪取。 |
24日 | 軍政のティンアウンサン副首相兼国防相,ベトナム訪問(~26日)。グエン・フー・チョン党書記長の国葬に出席。 |
26日 | 軍政,ネーピードーで第4回BIMSTEC国家安全保障担当長官会議開催。ミンアウンフラインとインドのアジット・ドヴァル国家安全保障顧問が個別会談。 |
27日 | UWSA,ラーショーに派兵。 |
28日 | 軍政のタンスェ副首相兼外相,イラン訪問(~8月1日)。マスウード・ペゼシュキアン新大統領就任式に出席。 |
31日 | TNLA,モーメイッ奪取。 |
31日 | 軍政のコーコーフラインSAC議長特使兼SAC議長府相,カンボジア訪問(~8月2日)。フン・セン上院議長およびフン・マナエト首相と会談。 |
8月 | |
1日 | 軍政,国家非常事態宣言の期間を6カ月延長(クーデタ後6度目)。 |
3日 | MNDAA,ラーショーを完全制圧。クーデタ後の内戦で初の軍管区司令部陥落。 |
5日 | ミンアウンフライン,ラーショー陥落を受けて演説。中国への非難ほのめかす。 |
6日 | TNLA,チャウッメー制圧。 |
8日 | 軍政中央銀行,輸出外貨収入の現地通貨への強制両替割合を25%に低減。 |
9日 | 軍政,最低賃金を実質的に引き上げ。1000チャットの手当増額により5800チャットから6800チャットへ。 |
10日 | 軍政のティンアウンサン副首相兼国防相,ロシア訪問(~16日)。国際軍事技術フォーラム(Army-2024)に参加。アンドレイ・ベロウソフ国防相と会談。 |
14日 | 中国の王毅・中国共産党中央政治局委員兼外交部長,来訪(~15日)。ミンアウンフラインのほか,タンスェ軍政副首相兼外相,元軍政首領のタンシュエと会談。 |
15日 | 軍政のタンスェ副首相兼外相,タイ訪問(~18日)。チェンマイでメコン―ランツァン協力外相会議に出席。サイドラインで中国,ラオス,タイと4カ国協議も実施。 |
16日 | 軍政,人民安全保障・反テロ中央監督委員会設立(CNI Myanmar, 2024年8月19日)。委員長はトゥントゥンナウン国境相。 |
17日 | 軍政SACのアウンリンドゥエ,イエウィンウー,ニョーソーの3人が大将に昇進したとの報道(Chindwin News Agency)。 |
24日 | 中国,UWSA支配下のナムティッへ通じる国境ゲートを閉鎖。 |
27日 | 中国人民解放軍,ミャンマー国境付近で実弾演習実施(~29日,2024年3度目)。 |
28日 | 軍政,租税法改正により金を商業税の課税対象に。 |
28日 | 軍政,海外就労者の本国送金義務(賃金の25%,前年9月1日施行)に関して,送金状況証明書類の保管と提出を義務づけ。 |
30日 | 軍政,海外就労者本国送金監督委員会設立。 |
9月 | |
1日 | 軍政,電気料金を5年ぶりに改定。業務用は2倍超に。 |
1日 | 軍政のミャトゥンウー副首相兼運輸・通信相,ロシア訪問(~8日)。ウラジオストクで第9回東方経済フォーラム参加。マキシム・レシェトニコフ経済発展相と会談。 |
2日 | 軍政,兄弟同盟3組織をテロリスト指定。 |
8日 | 軍政のヤービエ内相,中国訪問(~10日)。連雲港で安全保障関連の国際会合参加。王小洪・公安部長と会談。 |
10日 | 超大型台風11号(国際名ヤギ)の影響により各地で大雨と洪水が発生。 |
11日 | 軍政のティンアウンサン副首相兼国防相,中国訪問(~15日)。第11回北京香山フォーラムに参加。何衛東・国家中央軍事委員会副主席と会談。 |
26日 | 軍政,国営紙などで少数民族武装組織などに政治解決を呼びかけ。 |
10月 | |
1日 | 軍政,センサスを開始(~15日)。 |
1日 | 軍政のタンスェ副首相兼外相,タイとカタール歴訪(~3日頃)。タイで外相会談。ドーハで第3回アジア協力対話首脳会議参加。 |
7日 | ゾーミンマウンNLD副党首,死去。元マンダレー管区域首相でクーデタ後に軍に拘束されたのち,白血病で入院していた。 |
18日 | マンダレーの中国総領事館で爆発発生。犯人は不明。 |
18日 | KIO,カチン州第1特別地域の中心都市パンワーを奪取。これに対して中国は同地域に近接する国境を閉鎖。 |
20日 | 軍政とロシア,合同海軍軍事演習(~24日)。 |
22日 | 軍政,中国から申し入れのあった共同警備会社設立のためのMoU締結に向けた実務委員会設立。内務副大臣が委員長。 |
22日 | 中国,モンラーとムセーの国境閉鎖。 |
25日 | 軍政,金参考価格決定委員会を設立。 |
29日 | イギリス,制裁追加(クーデタ後21回目,2024年2回目)。 |
29日 | EU,制裁追加(クーデタ後9回目,2024年初)。 |
29日 | カナダ,制裁追加(クーデタ後9回目,2024年初)。 |
11月 | |
4日 | 軍政のトゥントゥンナウン国境相,インド訪問(~7日)。 |
5日 | ミンアウンフライン,中国訪問(~10日)。昆明で第8回拡大メコン圏(GMS)首脳会議,第10回エーヤーワディー・チャオプラヤー・メコン経済協力戦略(ACMECS)首脳会議,第11回カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナム(CLMV)首脳会議に参加。李強・国務院総理のほか,タイ,カンボジア,ラオスの各首相と個別会談。重慶と深圳にも訪問しドローン企業など視察。 |
18日 | MNDAA指導者の彭徳仁が中国で拘束されたとの報道(Radio Free Asiaほか)。 |
25日 | TNLA,軍政と和平交渉の用意があると表明。 |
27日 | 国際刑事裁判所検察局,ミンアウンフラインの逮捕状を同予審裁判部に請求。 |
28日 | KIO,カチン州第1特別地域の廃止を表明。 |
12月 | |
3日 | MNDAA,軍政との和平交渉の用意があると表明。 |
8日 | AA,マウンドー郡を完全制圧。バングラデシュ国境の全域を支配下に。 |
10日 | アメリカ商務省,ミャンマーとロシアの航空関連会社各2社を貿易規制対象に。 |
11日 | 軍政のミャトゥンウー副首相兼運輸・通信相,ラオス訪問(~13日)。 |
13日 | 中国,KIO支配下の旧カチン州第1特別地域との国境を再開。 |
15日 | 軍政とMNDAA,中国の仲介で停戦協議。合意に至らず。 |
18日 | 軍政,SAC軍人メンバーを委員長とする工業開発委員会,電力・エネルギー開発委員会,農業・畜産開発委員会を発足。 |
19日 | タイでミャンマー問題に関する近隣6カ国非公式会合開催。軍政のタンスェ副首相兼外相が出席し,中国,インド,バングラデシュ,ラオス,タイの代表と協議。 |
20日 | AA,アンの軍管区司令部を陥落。 |
20日 | タイでミャンマー問題に関するASEAN加盟諸国の非公式外相会議開催。 |
31日 | 軍政,センサスの暫定結果発表。 |
(注)政党・団体名の略称はKNU:カレン民族同盟,KPP:カレン人民党,KSPP:カチン州人民党,PNO:パオ民族機構,USDP:連邦団結発展党,WNP:ワ民族党。
(出所)軍政発表および各種報道より作成。
(注)政党・団体名の略称は,PPP:人民さきがけ党,SAC:国家行政評議会,USDP:連邦団結発展党。
(出所)軍政発表および各種報道より作成。
(注)全員が2020年総選挙での当選議員。政党・団体名の略称はNLD:国民民主連盟,NUG:国民統一政府,KySDP:カヤー州民主党,TNP:タアン(パラウン)民族党,KSPP:カチン州人民党。
(出所)各種報道より作成。
(注)網掛けは軍の拘束下。政党・団体名の略称はCNF:チン民族戦線,CNLD:チン民族民主連盟,CRPH:連邦議会代表委員会,MUP:モン統一党,NLD:国民民主連盟。
(出所)各種報道より作成。
* 2021年のミャンマーでは,軍クーデタにより軍政が開始された後,それに対抗する並行政府が樹立され,二重政府状態が現出した。いずれも暫定的な性格を持つため国家機構図は掲載せず,双方の要人名簿のみを掲載することとした。
(注)2022年に会計年度の変更があった。2020/21年度までは10月~9月。移行期間の2021/22年度は10月~3月の6カ月間。2022/23年度からは4月~3月。2022/23年度まで為替レート以外はすべて出所①の数値。ただし,2019/20年度の人口は4月1日時点の数値。2021/22年度の籾米生産高は4月~3月の年間の数値。為替レートは,出所③の中央銀行発表の参考レート。ただし,2021/22年度以降は軍政のもとで管理変動相場制が採られ,実勢レートとの乖離がみられた。2024/25年度の人口は出所③の数値。-データなし。
(出所)① Central Statistical Organization, Statistical Yearbook 2023; ② Central Bank of Myanmar, Reference Exchange Rate History Website (http://forex.cbm.gov.mm/index.php/fxrate/history); ③ Department of Population, 2024 Population and Housing Census Provisional Results.
(注)会計年度は2020/21年度までは10月~9月,2021/22年度は10~3月の半年間,2022/23年度以降は4月~3月。-データなし。
(出所)Central Statistical Organization, Statistical Yearbook 2023.
(注)会計年度は2018年度は4月~9月の半年間,2018/19年度から2020/21年度は10月~9月,2021/22年度は10月~3月の半年間。
(出所)Myanmar Statistical Information Service Website (http://mmsis.gov.mm).
(注)会計年度は2020/21年度までは10月~9月,2021/22年度は10~3月の半年間,2022/23年度以降は4月~3月。-データなし。IMF国際収支マニュアル第6版に基づく。したがって,金融収支の符号の(-)は資本流入,(+)は資本流出を意味する。
(出所)Central Statistical Organization, Statistical Yearbook 2023.
(注)国境貿易を含む。1)2021/22年度は会計年度変更による移行年度のため10月~3月の6カ月間。2)2024/25年度は4月~6月までの値。
(出所)Ministry of Commerce Website (http://www.commerce.gov.mm/).
(注)国境貿易を含む。1)2021/22年度は会計年度変更による移行年度のため10月~3月の6カ月間。2)2024/25年度は4月~6月までの値。
(出所)表5に同じ。