データ分析の理論と応用
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共同研究の意義と方法
林知己夫公開インタビュー第2回 —2001年6月23日午前10時~12時半 統計数理研究所にて—
高橋 正樹
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2021 年 10 巻 1 号 p. 1-28

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日本分類学会初代会長の林知己夫先生を囲んで,「木曜会」と称する研究会が,1990 年代より2002 年に氏がお亡くなりになる前年頃まで月1 回程度のペースで開催されていた.村上征勝氏(当時,統計数理研究所)を事務局に,当初は渋谷駅に近い桜ヶ丘の林事務所で,後には参加者が増えたこともあり統計数理研究所の会議室で,数名から10 数名が集まっていた.

初期には林先生の各方面での研究の講義,後には参加メンバーの各々が自分の研究を発表し,気楽な茶飲み話のような雰囲気で互いに講評をするというものであった.その中で高橋正樹氏の発案で林先生への公開インタビューが,2001 年に全3 回 開催された.

本稿はその第2 回分を収録したものである.第1 回及び第3 回(の一部)はそれぞれ『行動計量学』(高橋, 2004),『社会と調査』(高橋, 2012)に掲載された.今回で全3 回分が公開されることになり,すべてがJ-stage 等を通じてWeb 上で一般にダウ ンロードが可能となる.

本インタビューを含め,戦後統計学の大きな柱の1 つであった林先生の科学者としての哲学と,また今日でも通ずる「科学者のあり方」,データ取得のプロセスからデータ解析,政策立案への提言までの全体を俯瞰した真正の「データの科学」,そして社会的課題解決のための本当の学際的「共同研究」のあり方について,読者の方々が深い思いを寄せる機会となれば幸いである.

(編集委員長吉野諒三)

本稿は公開インタビューとして行われた第2 回分をまとめたものである.事前に告知したタイトルは「共同研究の意義と方法:統計学者の立場から」であった.テープ録音を高橋が文章に起こし,林先生自身が一度目を通され,テープの余白部分の追加・加筆,録音時に不明だった点や表現,人名の確認などといった修正・補足をしていただいている.

なお,一連のインタビューは,実は当初から3 回分を予定していたわけではなく,この2 回目の「共同研究」というテーマは林先生自身から発案があったものである.「日本人の読み書き能力調査」をはじめ数多くの共同研究に関わり,その中で数量化理論等が創り上げられていったことを考えれば納得できるテーマ設定である.様々な調査や研究の経験については,それまでにも書かれたり話されたりする機会は少なくないのに対し,共同研究という切り口からのものはほとんどない1

内容は大きく3 つのパートに分けられる.冒頭ではまず共同研究とはどのようなものかについて語り,続いてその背景となった個人の研究史や共同研究の経験について触れている.そのうえで,共同研究はどうあるべきかについて言及している.その内容は研究そのもののあり方にも及び,3 回の中で最もメッセージ色が強いものともなっている.あらためて整理していると,統計学さらには「データの科学」の発展には共同研究が欠かせないのだという強い思いが,この発案にあったことを感じる.

(なお,以下,全体を通じて,林文編集顧問と吉野編集長が論文誌の体裁に整備してある.脚注の中で,(T)及び(Y)はそれぞれ高橋と吉野による注釈を示す.)

(高橋正樹)

Abstract

In 2001, as part of a research group project called “Thursday Meeting” that Dr. Masakatsu Murakami has been organizing since the early 1990s, we conducted three public interviews with Dr. Chikio Hayashi about his academic experiences and philosophy of statistics and science.

The first and third interviews were about the history of Dr. Hayashi’s research and the invention of the Hayashi method of quantification, which have already been published in the Japanese Journal of Bahaviormetrika (Takahashi, 2004) and The Society and Survey (Takahashi, 2012). This is the second open interview with Dr. Chikio Hayashi about his experiences and thoughts on collaborative research with researchers in various fields such as criminology, linguistics, public opinion research, psychology, economics, marketing research, forestry, medicine, and economics. Since the late 1980s, Dr. Hayashi has been putting forward the idea of “Science of Data” and the importance of looking at the total process from the design of data collection, pre-testing, data collection, data cleaning, data aggregation, data analysis, and summary for policy making, and the cyclical improvement is especially emphasized. This article should make readers aware of the major difference between his “Science of Data” and the superficial techniques of “data science” that are currently in vogue.

1. 共同研究とは何か

1.1. 理論,実験,調査における共同研究

さて「共同研究とは何か」です.これはなかなか難しいんです.これは,学問の分野によって非常にやり方が違うんですよね.

例えば,理論的な研究の場合の共同研究は何かといいますと,これはだいたいチームを作る必要はない.これはもう根本ですね.理論研究というのはとにかく天才がいなくては,ちゃんとした理論はできないわけですから.チームを組んでできるような代物じゃない.アインシュタインにしてもボーアにしてもああいう理論が出てくるのは天才しかいないです.本当にそれしかあり得ないです.

第一級のそういうところは別ですが,はっきり言えば二流の理論的研究,これでもなかなか(進めるのは大変)です.(共同研究の)チームは作ってもリーダーがとっても必要です.アインシュタイン・クラスの人がリーダーになれば,二流の理論的研究も優れたものになります.ところが,世の中や科学史を見る限りアインシュタインの弟子からアインシュタインを超える人はいない.それは確実です.仕方ないですな,これは.(天才は)別のところからまた出てくるんです.それはやむを得ないことでございますが.全体の流れはそういうリーダーがやっぱり必要です.それは間違いございません.

実験(研究)はですね,チームワークです.チーム作らなきゃできないですから.物理や化学の実験(研究の競争)なんて猛烈壮絶なものですよ.かつて『ノーベル賞の決闘』2という本を読みました.大変なチームワークです.まさに徒弟制度,相撲部屋と全く同じですよね.それでみんな手分けして一生懸命作っていくわけです.悪いこともするわけですよね.(例えば)偽の発表をするんですよね.それで相手が横へ行くとその間に時間を稼いで.そういうウソの発表をする.そういうテクニックがやられているようでございます.『ノーベル賞の決闘』って面白い本ですよ.日本の物理学者がそれを見てびっくり仰天して,「とてもこんなことを自分達はできません」と言った.そんなことがアメリカではざらで,アメリカから国籍を移してスイスでやったりなんかして韜晦してるんです.いずれにせよ実験というのはチームワークがないと絶対できません.

調査,これは実験と全く同じです.ですから,これも徒弟制度です.徒弟制度でなくて絶対にできません.それで訓練したのが次のリーダーになる.そういうかたちで受け継がれていくわけです.

こういう(かたちの)共同研究があるわけです.

1.2. 共同研究のスタイル

会合方式 では,スタイルとしてはどういうのがあるか.

まず同一分野(の研究者によるもの)がありますね.数学といっても,(数学の中の)もっと小さな分野を考えてみますと,理論的研究が中心ですから,二流以下の研究を念頭にします.これは会合です.会合以外ないんです.ここでいろいろ話し合うのです.学問の話もよいし,雑談も大事です.

そうすると,こういう方が,「ある理論が進展している」あるいは「まだ分からない萌芽的アイデアがある」時は,素晴らしい成果が共同研究で生まれてきます.まだ「これから何か起こってくる」とみんなでディスカッションする.みんな手分けをして(各人が個別に仕事をしてから)やってきて,また会合するというかたちになる.いわゆる会合の中で生まれる理論的研究の成果は,1 つ1 つみんなばらばらなんです.ばらばらだけれども,いわゆるグループといいますか,スクールというのが世界にのしていくわけですね.

ところが理論が停滞してきた時に,この会合方式が盛んになると学問が停滞します.ろくなものはでてきません.やらなくてもいいようなものばっかりしか出てきません.細分化が進みましてね,細かい問題だけつついて,そのグループだけでしか分からないような問題が出てくるんですよ.今日の統計などこれが良い例ですね.統計の理論的研究の会合をやってもろくなものは出てきません.だから研究費を分けて色んな学問をやっていますけれども,「何やってんだ?」って思いますよ(笑).それが(同一分野の研究者による)会合の研究の一つの特徴なんです.「何か起こりかけた時に同一分野でやる」,これがポイントなんです.「停滞しはじめたらやめる」ということです.

雑談:知的好奇心への刺激 こういう(会合式の共同研究の)スタイル,雑談というのは非常に大事なんです.みんな雑談をしなくなりましたが,雑談は非常に大事です.多くの領域の人々の本音が聞けるので有効です.形式的な話はダメです.酒飲みながらやるのが一番いいです.多くの分野の人が集まりますと,知的な刺激を受けて,それぞれが発展する.知的好奇心をもつ人の集まりですね.科学史でよく書かれているんですよね.「何々のグループが話し合って新しいことに気付いた」っていうのは.われわれの経験でも大事な点です.

われわれは現在の最先端の数学の話を聞いてもね,もう全然分かりません.そんなものは,(研究の対象が)小さくなって.聞いたって分からないけれど,本音というか雑談を聞くと「ああいう同じところがあるなぁ,ああいうふうに考えるかな」ということで,示唆を受けることは大いにありうるわけであります.ですから,こういう雑談する余裕がなきゃいけません.「そんなの時間の無駄で,それよりコンピューターのキーボードを叩いてるほうがいい」ってことではろくなことはできないってことであります.

「雑談」の効用(質疑応答時での語り) 雑談っていうのは寄せ集めじゃなくてね.雑談はその報告書を書けるようなものじゃないですよね.「寄せ集め」っていうのは「報告書を書かなくてはいけない」ということ(からそうなってしまうの)です.雑談で酒飲んで研究費なんか出るわけではないですし,出たらけっこうだけれど,出してくれないですよね.しかし,本当はそれが大事なので,それがいわゆるシンポジウムなんですよね3

「酒でも飲みながら雑談しているうちに」というそういう雰囲気がなくなってきたことは事実ですよね.昔は,いろいろあったんですよ,いろんなところで.いろんな学問分野で,「隣の教室どうしが集まって,どっか行ってくだらない話をして夜の10 時くらいまでやってた」というのは多かったんです.この頃はね,だいたい人が集まらないしね.

なんていうかな,本音として困っている話なんか,そういう雑談をしているうちにね,それがなんか参考になってくる.そのために,いろんな知識をもった考え方の違った人たちが,色んな領域の人たちが集まれる機会があって,そういうようなことができるといいんじゃないか.「報告書がいらない」っていうことが一番大事な話なんです.記録なんかとるのは毛頭必要ない.各々が啓発を受ければいい.それを無駄と思わないで,楽しむようになってくると,そろそろ…(笑)という意味の話です.

1.3. 学際的な研究と問題解決志向

いわゆる「学際的な研究」がありますが,これが問題なんです.昔は「学際」という言葉がなかった.ただ興味がある人が集まった.「この問題をみんなでやろうじゃないか」というモチベーションがあった.この頃の学際はそうじゃないですよ.見ると,全部「寄せ集め」.誰も彼も片足突っ込みです.どうしてか.今日(の学際的研究)ですといわゆる中心があって,「一将功成って万骨枯る」というかたちが余りにも多いということです.(中心となる分野以外の研究者は)お客様なんですよ.(例えば)心理学が中心になる,他のところからいっぱい集まってくる,社会学,統計学…とやっても心理学が中心なんですから,「よそのやつから知恵を借りる」という発想になるんです.だから成果があがらないんです.みんな一生懸命やらないですよね.

これは本筋じゃないですよ.中心に対してあとはお客様なんです.ですからできあがったものは寄せ集め.新しいものは生まれてこないんですよ.昔はそうじゃない.モチベーションのあるやつが集まってするわけですから.学際という言葉自身がない.あれが足りないからこれが足りないから,「心理学足りなきゃ心理学もってくる」,「社会学足りなきゃ社会学もってくる」,そういう発想じゃないんです.興味のある色んな分野の人が集まって一つの問題を解こうとしている.それでみんな真剣ですよ.片足だけを突っ込まないです.みんな本職でそれをやったわけでございます.

一つの目標(=先の「問題」と同じ意),一つの目標っていうのはある特定の問題の解決ですね.それぞれの専門をポテンシャルにして,互いに啓発したりされたりしながら全力を傾倒して,学際として一つの新しい方法論あるいはお互いの分野の新しい方法論,つまりこれまでの延長上にない方法論と成果を生み出してくる.それが本来の学際的研究でございます.

一つの問題を本気で解こうとしなきゃだめなんです.解くためにみんな結集する.結集することによって新しい方法論が生まれる.あるいはそれぞれの分野における新しい方法論が生まれる.それで,成果が出る.成果というものは,必ずある現象を解けばですね,(結果として)過去の学問分野のどこかに入る.「これは心理学の分野だ」,「これは社会学じゃないか」,「これは統計学の分野じゃないか」とこういうことになる.しかし,その方法論は学際的研究を経なければできあがらなかったのです.いわゆるコロンブスの卵です.できあがってみればどこかに入りますからね.作るためにはぽんと割らなきゃ卵は立たないんです.そういうのが学際的研究の本流です.

(今は)こういう学際研究は極めて少ない,いやゼロだ.ぜんぶ寄せ集めです.これじゃ学際研究やったって何にもならん,というのが私の実感です.僕はこういうやり方をやりません.やってこなかった,本当の一つの問題解決でわたくしはやってきた人間です.その後,これ式の俗流の学際的研究なんどもやりましたけれども,一つも成果はない(笑).

1.4.. 共同研究の成功の鍵

「相手が大事」 それから「共同研究の成功の鍵は何だ」.これは一つの難しい問題なんです.これはみんな知りたいことです.ところが,なかなか語弊がありまして,あたりさわりがある発言が多くなるわけでありますが,われわれ統計学者から見ると「相手が大事だ」ということです.

われわれの統計を中心に考えると,「どの分野の人とどう組むか」というところにまず問題があります.その時ですね,ものの本質が分かっていない,数学いじりに興味をもつ,そういう相手と組むな,ということです.これがポイントです.だから物理学の分野で「あいつは妙に数学いじっている.それでどこかの学会で会ったから共同組もうか」.これは絶対だめ,成果があがらない.最初からみえみえなんです.つまり物理学の異端者と組んでいるようなものですから,全然成果があがらない.例えば地震研究でも同じだと思うんですよ.地震(研究)の本流と組まなきゃだめですよ.地震の中で何かプロセスいじっている人と組んでいるのでは成果があがらないですよ.本質まちがっちゃうんですよ.そんなことできたって何にもならないことしかできてこない.地震の研究者と組むなら地震の本流と組む.医学で組むなら医学の本流と組む.ここで「本流」とは,本質をとらえようとしている研究者と組まなきゃダメだっていうことです.

リーダーの存在 それからやはりですね,(成功の鍵は)日本におけるリーダーの存在ですね.共同研究はリーダーがしっかりしないとだめだってことですよね.(しっかりしている)リーダーっていうのは,どういうリーダーか.これは僕の友達の三隅二不二さん(1924–2002)4が常時言っていることですね.ラージPM じゃないとリーダーっていうのはだめだってことです.ラージP っていうのはパフォーマンス,モノを実行する力.M はメンテナンス.グループを保っていく一つの求心力ですね.こういうリーダーはそうそういないですよ5

今の内閣小泉なんかみるとラージP スモールm です.メンテナンスが悪いですから.田中外相も見栄はるばかりで,ラージP に見えてもパフォーマンスもスモールp で,メンテナンスはまるっきり悪い.日本のリーダーはふつうスモールp でラージM です.メンテナンスがあるけど,「よろしく,よろしく」という共生型が多いですね.日本はこれが能率あがるんですよ.アメリカはPm です.でもPM が一番理想的です.

研究活動について言えば,スモールp ではいい成果があがりませんから,ラージP でないといけない.まずそういうリーダーじゃないとだめです.

知識についてはですね,リーダーは部下から尊敬されないとしょうがありませんから.なんていうかな「色んな点で教えを受けることが多いな」というリーダーじゃないとダメだっていうことですね.「尊敬される」っていう表現になるんでしょうかね.M がなくてはやはり大きな成果はあがらない.

それから,学問への心の共有性っていうのがあげられますね.「この学問をやり遂げたい」っていう心の共有性がなくちゃいけない.それから,「やろう」っていう心の共有性と同時に,やっぱりこれをしっかりやることが自分の本当の目的である,という意味での情熱がなきゃだめですね.情熱を共有するってことです.

リーダーのあり方について(質疑応答より補足) それからもう一つ,リーダーっていうのは, 学問的にはね,ある意味の小レオナルド・ダヴィンチ式の考えをもっている人が望ましい.つまりマネージャー的なリーダーであると同時にね,その人の言うことは(共同研究者たちが)何でもいろんなことが理解できて,それに対する見通しがいいっていうかな,目のつけどころがはっきりして,発展的な要素の示唆を与える.それで,(共同研究者たちも)自分も実行できるっていうのが一番いいと思います6

1.5. 共同研究のチーム相互の信頼と理解

共同研究ですから,チームを作ります.チームのメンバーどうし,相手の信頼感がなければとてもできないですね.

それとお互いが研究の方法を理解しあわなければならない.学問の専門分野が違うと,学生時代の専門課程ではわずか2 年くらいしか勉強しないんですが,その間に培われた各専門分野の方法論の差っていうのはすごいんですよ.一生つきまとうんです.われわれの場合は数学出身です.いま,数学やってはいないけれども,その数学的な考え方がよその領域の人とまるっきり違う.よその領域の人がいくら数学を熱心に勉強しても,数学科で培ったような考えは身につかない.それは確かなんです.わずか2 年の専門課程ですよ.われわれの時代(旧課程)でも3 年ですよ.その間に一生の考えの方法が決まるとはこわいくらいですよ.だけどもそれは最後まで抜け切らない.例えば,社会学と心理学でも,犬と猿ですよ.まるっきり考え方が違うんですよ.共同研究組むと,この違いが本当に分かります.学問の最初の狙いから違ってるんです.

鵺(ぬえ)みたいのは社会心理学.全然,方法も何もない.学問になっていない.正直言って.固有の方法がないですよ,社会心理学には.心理学は固有の方法がある,社会学には固有の方法がある,経済学にも固有の方法がある.だけど社会心理学には何もない.だから共同研究を組んでも成果挙がらないですよ(笑).だから,ああいう学科をつくったのが間違いの素だと思っているんです7

学際と相互の理解 学問の固有の方法がないところに(新しい)分野をつくるから,その学問がすぐ停滞するんです.新しい学科ができるでしょ,大学院でも,新しい学科の名前を付けてやっていくんですよ.やっていくけどね,固有の方法がないんですよ.全部寄せ集め.そういう学科は進展しないですよ.そんな学科をつくるからすぐに陳腐化するんです.あっと言う間にスクラップですよ.十年もたないですよ.中を見ると,数学であり,統計学ですよ(笑).これじゃだめだっていうことですよね.(共同研究ではそれぞれの研究者が)固有の方法をみんなもってきていますから,理解し合わないとダメですね.(学際共同研究においては)お互いをよく知り合わなければいけない.

それから,共同研究は「他人事じゃない」ってことですよ.共同研究が進展すればお互いが喜びをもつ.失敗すれば哀しみをもつ.そういう喜びと哀しみを共有できるグループじゃないとダメだってことです.これを,失敗しても「あれは他人事だ」っていうんじゃいけない.いわゆる俗流の学際的研究じゃね,決して喜びと哀しみを共有しませんよ.実際は「おれは統計ができたらそれでいいんだ.その結果が良かろうが悪かろうが知らん」というのが多いんですよ.それじゃやっぱりダメだ.

成功の鍵は,やっぱりそれだけのこと(成功に相応しい要件)があるんじゃないかと思っています.リーダーがよくて,人間としての(相互の)信頼がなければだめだっていうことです.こういう要件があった時に共同研究は成功します.これは僕の経験です.

1.6. 「どうしてこういうことを考えるに至ったか」メーカーとユーザーの一致

どうしてこういうことを考えるに至ったか.「こういう考えに至った元は何か」といいますと,われわれは統計の専門家ですから,統計は方法をつくらなきゃいけない.統計を使う時に,われわれは問題解決をいつも考えていますから,メーカーとユーザーが一致しているんです.われわれは,統計のメーカーであると同時に,統計のユーザーです.そこのところが重要なのです.

しかし,ふつう統計学の先生はメーカーですよ.方法のメーカーで,ユーザーではないんです.これは一つの注意すべき大事な点です.よその領域は知りませんが,統計とか応用数学のこと考えますと,やっぱりメーカーとユーザーが一致しないといけないんです.工学部だってある理論を知っていれば,それはユーザーと一緒にならなければ,決していいものはできませんね.

メーカーとユーザーが一致しているのは, 世界の統計学界を眺めた時に,そう沢山いるかっていうとそうはいないですよ.僕の知っているのはガットマン(L. Guttman, 1916–1987)です8.メーカーとユーザーが一致しています.彼のスケログラムにしても自分で作って自分で使っているんです.

あとの大半の人は,ユーザーはユーザーで,メーカーはメーカーですよ.だから学会を見ると分かりますよ.(研究部会等が)アプリケーションと理論とに分かれています.これすなわち,これが分かってない証拠なんです.これがそもそもこの(理論と応用という)分け方がメーカーとユーザーが分かれているってことを意味しているんです.だからそういう学会は落ち目です.分けだしたら落ち目です.(学会がはじまる)最初は理論と応用をいっしょにやっているんですよ.そのうち,理論とユーザー(応用)に分けるんです.そうすると,これは凋落の兆し,その学会から足を洗った方がいい.

2. 研究史と共同研究歴

こういう発想に僕が立ち至ったという話をちょっとしておく必要があるので.僕のどういう体験から,こういう考えができあがったか,共同研究を楽しみ,メーカーとユーザーが一致したか,という話をしておきましょう.

2.1. 戦争期でのオペレーションズリサーチ(OR)事始め

「きちんとしたデータをとれば物事が分かる」 私が皆さんより若い時代,学生諸君と同じくらいの時代の話です.それは「ちゃんとしたデータをとれば物事が分かる」ということを体験したことが大きかった.戦争中の(陸軍航空調査本部での)話です.いわゆるオペレーションズ・リサーチの領域です.「戦争中に(日本で)オペレーションズ・リサーチなんてやってないだろう」っていうと,やっているんですよ.僕は陸軍でしたが,海軍でもやっていました.

「データをきちんととれば,戦争は分かる」っていうことを体験したんです.戦争の推移が分かるっていうか,戦争のやり方が分かるというか,そういうものが分かってくること,が分かりました.これはまあいろんなデータを知ったから分かったのです.戦争というものは,(全力を投じた)ぎりぎりなものですから,分かるんです.ぎりぎりなものですから,やっていることがデータに出るんです.隠そうとしたら,隠そうとしたことも分かるんです.分かった上で戦争をするんですよ.後は,力が決定するんですがね.「われわれ日本は一生懸命OR やっても戦争負けたじゃないか」っていうけど,分かってもどうにもならないんですね.やりようがないんですね,あらゆる軍事物資もエネルギー源もなく,特に陸軍航空本部ではもう飛行機もないですから.どうにも戦のしようがないのです.分かりながら負けていったということです9

データをとる現場との直結 それからもう一つ.そのデータの意味を理解するためには常に,「(データをとる)現場と直結してなきゃいけない」ってことです.「データをとる」っていうことはデータアナリシスではないです.戦争であれば,第一線(最前線での情報収集)ですよね.平時であれば,データ収集の現場です,調査の現場.それと直結していなければ収集されたデータの質,データの意味がどうなっているかは,分からないってことです.

理論と現実との一致 それからもう一つ重要なことは,「理論と現実というものはいつも一致していなくてはいけない」ってことです.理論というモノは必ず現実と一致していなければいけない.そういうふうに確信したんですね.

それは何を意味するかというとね.(ある時,陸軍で)「特攻機がn 機いて,そのうちm 機が敵艦に命中した.命中率は何か?」と問題を出された.「n 分のm」と僕は答えた.「どうしてn 分のm か?」って聞かれたんです.それはなぜか分からなかったね.そしたら,「勉強せい」って言われましてね.しようがないから,当時の弾道学の本っていうのは応用数学の中でも当時としては難しい話が書いてあるんですがね.それを見るとね,命中率を p とする.p の分布はf(p)である.命中率p というものは分からない.(命中率を)p とすると,n 発打って,m 発当たれば,…これで,次の一発が当たる確率がでてきます.…これが命中率の解となる.「なるほど,それで分かった」と.なるほどその通り,これは一つの解である.f(p)は分からないですよ.なぜイコールにしたのかということは.昔は分からない時には等確率と仮定する,今でもそう言ってますよ.例えば,サイコロは,それぞれの目が(が出る確率)なぜ6 分の1 かだって,どの特定の目も,他の目より多く出る必然性はない,だから6 分の1 だって書いてある本もあります.ま,こんなことをした.じゃあf(p)変えたらいいじゃないかって.命中率の高い鉄砲は,まあ三角形で書けばいい(的の中心に当たる確率が一番高く,周辺へ行くに従い徐々に確率が低くなる三角形分布を想定する).逆に,命中率の低い分布を考えると,確かに解が違ってきます.ええ,ちょっと今,正確に覚えていませんが,ある確率が出てきます.…こんなふうな話が弾道学の本には出てくるんですよ.で,先の問題の解は,n 分のm となる.結局同じじゃないかってことですよ.n が大きければ,n 分のm だろうとn 分のm+1 だろうとみんな同じだ,と10

ところがですね,今流に考えると,こう考えますよね.これは弾の命中率っていうのは世論調査でいえば賛成反対と同じなんです.調査対象の無限母集団がある.その中で賛成の比率がP である.その母集団からn 個のサンプルを統計的にランダムにつかみだす.そのサンプル中の賛成の数がm であれば,母集団のP の推定値はn 分のm である.これは今流の考え方ですね.つまり母集団のサンプルを伝統的な統計的無作為標本抽出法のスキームで考えようとも,ベイズ流に考えようとも,n を大きくすれば解が一致するということなんです.今から見ればですよ.当時はそんなこと分かりませんから,この辺のことで満足してたんです.

その時分かったのはね,「なるほど,そうだ.安易にものを考えちゃいけない」ってことですよ.やっぱり理論的裏づけが全部になくちゃいけない.ただの思い付きでn 分のm と考えちゃいけない.つまりその裏づけをきちんとして考えなくちゃいけない.今でいえば,統計的無作為標本抽出法に基づいて,母集団からのサンプルの考えでn 分のm が定義できる.当時は,そんなこと知りませんでしたが.そういうことを戦争中に体験しました.

2.2. 戦後の「確率論」体験

「分かる」には理論と現実が一致してなきゃいけない,現場をしっかり見なければいけない.ちゃんとしたデータが取れていれば分かるということを確信したという体験を経て, 終戦を迎えたわけでございます.戦後になり,大学の数学科に嘱託として戻って,「役に立つ理論」を目指すという時に,ノイマン(J. von Neumann, 1903–1957)のゲーム・セオリーの話を聞いたんです.これにはびっくりした.全く僕の予想を超えたアプローチの仕方で解が出てくるということに,びっくりしました.

これは戦後,1945 年ごろに,ノイマンとモルゲンシュタインが「セオリー・オブ・ゲーム」っていう本を書いて有名になったんです11.けれど,その理論は本当は1928 年(Neumann, 1928) にできていたのですよ.全く違ったことから出てくるんです.ゲゼルシャフトシュピーレというドイツ語の論文が“Mathematische Annalen” という雑誌に出ていたのですが,(当時の日本では)ほとんど誰もこんなもの読んじゃいませんよ.中を見ると,難しいけれど面白い.「これはすごい理論だ」って思ったんですね.本当にこういう「役に立つ理論」っていうのはありうる,そういう体験を得ました.

と同時に,僕の先生(数学科での指導教官)は掛谷宗一先生(1886–1947),解析学の大先生ですが数理による現象解明の目のつけどころが非常に良い先生です.猛烈に頭のいい先生ですね.戦争中に既に線型計画の問題を自分で出して自分で解いてるんですね.この先生は雑誌を全然読まないんです.(他の人の研究論文や著書を)何もかも読まない.「掛谷先生のやったことなら,外国のこと(論文)を見てやったはずがない」と言われているくらいに,ものを読まない先生ですけれど(笑),とても利口な先生ですよ.それはもうねえ,目のつけどころの素晴らしさっていったらないですね.ずいぶん教わりました.

「教わる数学」「創る数学」 それから,「役に立つ現実の理論」っていうのは,確率論ではミーゼスの確率論.実際の現実と理論とが直結した理論であると確信して,わたくしの確率論は今日でもミーゼス(Ludwig von Mises, 1881–1973)でございます.「確率論(“Probability, Statisticsand Truth”)」という著作に邂逅した.そういう経験がありました12

それから,(東大の数学教室で開催されていた)「談話会」で,「どういうことで数学を発展させるか」という話を聞きました.角谷静夫先生(1911–2004, イェール大学名誉教授)の話を聞いていると,「その数学の発展のさせ方は無限にある.しかし,こういうふうな仮定をおいて発展させると,これくらいしか分からない.別の仮定を置いて発展させると,これだけ分かるようになった,だからこちらのほうがいい」っていうんですよね.確かに数学っていうのはそうなんですよ.構築していくわけですからね.縮まっちゃいけないですよ.だんだん構築していって,大きい宮殿ができなきゃいけないわけです.ですから仮定の立て方の違いが,専門家と素人の大きな差になる.あるいはプロになるかアマチュアになるか.つまり,数学者として成り立つか,あるいは数学の享受者っていうんですか,レシーバーにしかならないかという大きな違いが生まれるのは,ここなんです.つまり「どういう仮定を作ったら発展するか」ということを見つけることが数学者の要件なんですね.そういうことが分かりました.

どういう仮定の立て方をしたらいいかっていうのが分かってくると,発展させるような仮定を立てればよいわけですから,数学を専門とする時のやり方が分かってくるんですよね.そこまでこないと,どうしたらいいか分からないんですよ,数学は.学校の数学は「教わる数学」ですからね.専門家になるには「創る数学」でなきゃいけませんからね.「教わる数学」から「創る数学」への転換点っていうのはみんな悩むんですよ.どうしていいか分からない.どういうふうに創っていいか.漫然として人の真似していれば人の真似しかできませんよね.ところが,そういう鍵(発展に繋がる仮定)が見つかると随分違うんだ.そういう見方をするとですね,何か,啓けたような感じを受けましたね(笑).こういう話を聞いているとね,僕は「数学はこれはやらない手はない」と思いました.その時点では統計をやる気はまだないんですよ.しかし,「こういう考えなら,数学はこれは面白いもんだし,ちゃんとできるんだな」という感じを受けました.

2.3. 「数学」を創ることから「統計」へ

そういうことがありまして,そのうちに統計をやらなければいけなくなりました.「いけなくなりました」っていうのは変な話なんですが(笑),僕の先生である掛谷先生が定年で東大を辞められて,その当時,統計数理研究所ができたてで掛谷先生が(初代)所長を兼任しておられたものですから,「統計でも勉強せい」ってことで(笑),僕も統計学者になったということです(統計数理研究所への入所は昭和21 年12 月).しかし,その後,すぐに掛谷先生は亡くなられてしまいまして,後任(の所長)は末綱(恕一)先生(1898–1970)になりました13.末綱先生は,科学基礎論を非常に重んじられていた.もともと数学基礎論が専門ですから.数学基礎論の元としての「科学基礎論」をしっかり勉強せないかんと言われたわけじゃないんですが,僕はそう汲み取りました.末綱先生がやっておられることはそういうことだったわけです.そうすると,さっき言いました,数学を発展させる発想の立て方,そういう発展的な思考の方法というのはどこにあるかと考えた時に,それを探るには科学基礎論を勉強しなければダメじゃないかと思いはじめた.科学の基礎を考える.そこから何が発展するか,ということを考えなきゃいけない.そこまできまして,戦後のかなり早い時期に私の方法論の土台が決まった.それは科学基礎論的考察が大事であるということです.

こういうふうな形で,僕の方法論が決まりました.ま,そういうふうに考えて,いよいよ統計をはじめるということになったわけです.

先にこういう漫遊していたわけでありまして,最初から統計にかじりついていたわけじゃござませんでした.漫遊しながら,統計学にいよいよ踏み込んできたということであります.そういう経験が元になって,さっき言いましたような共同研究の成功の鍵はこういうことがベースになっているんだということをお話したわけであります.

(終戦直後の昭和20 年代の)あの時代は幸福だった時代ですよね.みんなが過去の学問の体系に疑問を持った.「何かしなきゃいけない」とみんなが深く考えていた時期だったですね.(今は)みんな学問の領域が固定しちゃったものですから,なかなかそういう雰囲気にはならない.当時はもう何もかも新しいという時期だったんですよね(笑).それは非常にいろんなことに幸いした時期じゃないかと思います.

2.4. 「日本人の読み書き能力調査」初めての学際共同研究

私の仕事は最初から学際研究なんですよ.その最初が「日本人の読み書き能力調査」ですね(調査実施は昭和23 年[1948 年]).それは占領軍のCIE(連合国軍最高司令官総司令部[GHQ/SCAP]のCivil Information and Educational Section 民間情報教育局)の命令です.「日本人は漢字を使っているから,多くの人が読み書きができない,だからローマ字化しなきゃいけない」という発想です.しかし,政策を直ちに施行するのではなくて,その前に実態の調査をするところがアメリカが面白いところですよね14

これはアメリカの良さであり,甘さでありますよ.日本が占領したら一編にやっちゃいますよ,ソ連が占領したら一編にやっちゃいます.しかし、アメリカは「日本人がどのくらい読み書き能力ができないか」という発想に立ったわけなんです.読み書き能力を調査するには,あらゆる面でその調査方法は科学的でなくてはならない.読み書きの問題の作り方だけでも一年半以上かけているんですからね.ただ思いつきで問題を掲げるんじゃなくて,「何が必要にして最小限度の読み書き能力であるか」っていうところから考えていくわけです.

そのために問題作りの材料集めに各所へ行くんです.駅に行けば「切符売場」と書いてある.じゃあ,切符売場(という言葉)が分からなければ,切符は買えないな.「禁煙」と書いているからタバコ吸っちゃいけない(と分かる).「出入口」というのが分からなければ,入るところが分からんじゃないか…(笑).そういうことをして,問題の材料を全部集めた.新聞(を対象にして)は語彙調査をやりました.語彙調査に莫大な時間がかかりましたね.(そうやって問題を作るための)キーワードを拾っていったわけでございます.(この仕事は共同研究者として)心理や言語学の専門家たちと一緒にやりました.

われわれ(統計学者)は何をやるかっていうと,サンプリングですよ.「サンプリングをしっかりやれ」と.そこで全国調査の標本抽出計画を考えたのです.調査実施(の方式)は集合調査と決めました.集合調査で人を集めて,回収率を上げるにはどうしたらいいか.サンプリングはいかに統計的代表性のあるサンプルをとるか.当時,手本が全然ないわけですから,そこから考えていったわけです.知っているのはn 分のm イコールp しか知りませんから,それを元にいろいろ考えていくわけです.集合調査なら,「(1 日の時間帯のうち)何時に集めると人が集まるか」.人々の在宅時間もあらかじめ詳しく調べておくわけですね.

それから,調査票の字の大きさをどのくらいにするか,紙の大きさをどれくらいにするか.今ならA4 使う,B4 使えるでしょ.そうじゃないんです.「何が書きやすいか」ってプリテストやっているんですよ.全然先行研究を知らない「事始め」ですから,すべてのプロセスを(事前の)調査で全部確かめたんですよ.これはその記録が『日本人の読み書き能力調査』という本で出ています(読み書き能力調査委員会, 1951).それをご覧になると(調査のサンプリングからプロセス,データ解析などまで)全部詳細に書いてあります.

(回答が集まってから)今度は大事なのは,(回答で)漢字を書かせるでしょ,「書き取りのどこまでを正解にするか」っていう問題です.これは難しい話ですよ.言語の専門家で熱心な人が,正しい字から色んな字までずーっと順番に並べたわけですよ(笑).それでどこで切るか,というのをみんなに聞いて,ここまで読める,読めないっていう線を引いたんです.そういう手続きをしました.どんな漢字が書いてあるか,みんなその本に例が書いてあります15.そういうふうな手続きをした.まさにみんなの努力を結集させたんですよね.これが日本のそれ以後の共同研究の一つのモデルになりました.あるいは社会調査のモデルになりました.そして,これが後の「国民性調査」研究に続いていくわけです16

2.5. 世論調査の事始め

(戦後日本の占領下の)世論調査の最初は,「世論調査というものが民主主義の国であるらしい,日本でもやらなきゃいかん」というので,新聞社がやったわけですよ.やったっていうのは,ただ「やった」.どうしてやったかというと,「数が集まればいい」という発想なんですよ.今のインターネット調査と同じです.「回答者100 万人分集めた」,「俺のところは20 万人分集めた」.どうして集めたか.新聞社の文化人名録,その一人一人に百枚ずつ紙を渡して,「なるべく(偏らず日本人全体を)代表するように配ってください」って言って,いろんな先生にそれを渡したんです.それで100 万人分くらい集まったんです17.そんなことをやっていたらね,当時のCIE の係官から,一喝食らわされた「そんなの世論調査じゃない」って.「世論調査はそんなことやるもんじゃない.これはこれこれこういうもんだ」と,統計的ランダム・サンプリングの話をしたわけですよね.

(実は,当時の)アメリカはランダム・サンプリングやっていなかったのです.クォータ・サンプリング(性別・年齢層・人種などの属性の割り当て)なんです.トルーマンとデューイの大統領選挙の世論調査による事前予測で違ってしまっていた18.で,「アメリカはクォータをやるから選挙予想が違うんだ」と,「だからお前たちは絶対にランダム・サンプリングやんなきゃいけない」って,こう教えた.さあ,新聞社の人はだれもランダム・サンプリングを知らない.そこで「どうしたらいいか」って聞いた.アメリカ側は,各分野の日本の人材についてよく調べてあって,「それは統計数理研究所っていうのがある,そこ行って聞いてこい」って言ったんで,われわれのところに新聞社がいっぱい来たんです.しかし,実はこっちも知らなかった,全然.(笑).それで勉強したんですね.それは昭和21 年ですね.これは僕は初めはタッチしませんでした,僕の先輩がそれをやっていましたから.僕が世論調査に関わったのは23 年からですからね19

ところがそのCIE っていうのはすごいんですよ.(新聞を含めた出版物の印刷用の)用紙割当の権力をもっている.用紙割り当てされなきゃ新聞発行できませんから,言うこと聞かざるを得ないんですよ.だから新聞社がねじり鉢巻きでランダム・サンプリングを勉強したんだ.だから昭和20 年代,30 年代ぐらいまでの日本の世論調査の標本調査は素晴らしいですね.こんなところは世界で,日本以外にはないですよ.その世代に活躍した先輩が時代とともにだんだんいなくなるものですから,このごろ,だらしなくなりましたね(笑).

それからNHK は「放送法」っていうのがありますから,放送法(のもとで)は勝手に番組組めないんですよ.「番組嗜好調査」っていうのをやって,それで番組を編成しなければいけない.これは法律にのっています.ですから未だにNHK では「視聴率調査」と「嗜好調査」をやっています.これらの調査が最初に開始されたのは昭和25 年ですね.

そういうようなことがありました.そういうことにわれわれは一応首を突っ込んだんです.そして,これがいよいよ選挙予想につながっていくわけです.世論調査から選挙予想へ,と.

2.6. 犯罪学と「仮釈放の研究」

同じ頃,犯罪学の共同研究をしました.犯罪した人を刑務所に入れる.刑務所に入れたら,刑期まで刑務所に置くのはなかなか大変ですから,悪いことしないと思えば釈放する.悪いことしそうでない人としそうな人とをどう区分するか,これは心理学的な問題です.それを判別しようということで法務省の人が来られました.熱心な人なんです.西村(克彦)さんっていう人で,最後は青山学院の先生になられましたが,犯罪学の専門家ですね20

その人がきて,それで数量化がはじまったんですよ.仮釈放後に悪いことはしそうでない人としそうな人とを弁別するにはいったいどういうふうに定質的なものに数量をつけたらいいかっていうことを考えました.これが数量化(林の数量化理論)の一等最初になったわけでございます.

犯罪学を勉強するには法学の基礎を勉強しなきゃいけません.法学基礎を勉強すると,懲罰刑と教育刑とふたつの大きな流れがあり,これを勉強しなきゃいけない.だいたいにおいて「仮釈放」の思想は,戦後の思想として教育刑からきていますね.教育刑だけれども,懲罰刑の思想も残っていて,死刑制度はちゃんと残っています.懲罰刑の要素も残っている.それらの2 つの流れの激烈な争いっていうのはただ事じゃないですよ.教育刑と懲罰刑の考え方の違いは法学部を2 つに分けた.日本で,両方が喧嘩をする.その流れも読んでおかないと,うっかり話す相手を間違えてしまうととんだことになります.そういうことがござました21

2.7. 林学:全国森林資源調査「日本の山には,木がいったい何立米あるか」

それから同じ頃,今度は林学の共同研究がありました.「日本の山に,木がいったい何立米あるか」っていう問題です.これを調べなきゃいかん,というわけです.統計数理研究所の部長をやっておられました松下(嘉米男, 1917–2019)さんがいますね.松下さんの兄さんが林野庁にいたんです.その関係で,林野庁から昭和26,7 年に話があり,「今度は林学を勉強しなきゃいかん」となり,林学もいろんなことを勉強してきました.犯罪学やる時は,犯罪学を勉強しなきゃいけませんから,同じように林学でもね(笑).

さぁ,林学になるとなかなか大変でございます.われわれの世代が知っている林学では,小学校の時の教科書に「林学法正林」22の話が出てきます.われわれの習った林学思想はそれだけです.その思想は,小学校の4 年生の教科書に載っています.昔,いいこと教えていたんですよ.それくらいの知識なんですが,役に立つね.それは山へ行ってみると,林業の人が同じようなこといいますから.

それで林学を始めた.それで課題は林業でのサンプリングですよね.当時,石田君(石田正次,統計数理研究所所員, 1925–1991)も一緒で23,全国から3,000 スポットのサンプリングを緯度経度で落とす.緯度経度は地図の歪みがありますから,面積に比例して緯度経度の点の数を調整する.「(抽出された)緯度経度に到達するにはどうしたらいいか」.これは今じゃGPS 持っていけばできるので,どんな山でも入って大丈夫です.しかし,昔はGPS なんてなくて,三角点から検縄下ろすんですから,これは並大抵じゃないですよ.一度,山のてっぺんに登ってきてから降りてくるんですよ.崖があると降りられませんから,こうして(崖を迂回して)降りてくる.精度はどれくらいか分かりませんけどね,意図的に(いんちきは)やらないことは事実なんですが.

その前に面白いのはね,「測量する時にポケットコンパスはいかん」と,「平板測量をやらなきゃいけない」と言われてました.平板測量っていうのは陸地測量部の地図を作るやり方ですね.平板測量をやらなきゃいけない.しかし,これは難しいんだ.陸地測量部の人から平板測量を教わった.「これを山に持って行くんじゃね,どうにもならない」と思ったんですよ(笑).大きな画板持って山に登んないといけませんからね.結局,ポケットコンパスに妥協したんですがね.ま,そんなことをしました.

しかし,苦労はしましたが,はじめて正しい数字が出たことになりました.当時は林野庁の人も熱心でみんな一緒について山歩くんです.3,000 スポットみんな現地に付いていって,われわれもチェックのために山に行く.調査不能が,だいたい3000 のうち100 くらいでしたね.(調査不能が)3%はあって行けないんですよ.「それを(敢えて)行こう」って言うんでね,また100 とって.でも,その全てが行けないところじゃないんだ,行けるところもあるんです.まっすぐには行けなくても,回り道すると行けるんですよ.僕の行ったのは南アルプスのはたなぎのダム(注.大井川水系の畑薙第一ダムのことか)っていうのがありますが,その奥なんですがね.岩場で落石が多くて登れないんですよ.そのために周りをいかなきゃいけない.距離ありますよね.ま,そんなことでもみんな熱心についてやってくれました.共通するものがあったんです.みんなね,「これを分かろう」とする思いが当時の日本人にはあったんです.もう統計学を超えて,数理学,数学的調査にも「分からなきゃいけない」っていう情熱があった.世論調査も同じなんですよ.だから,この時に発達したんです.

2.8. 経済学と:国富調査

同時にその頃,経済学(との共同研究)もありました24.これはなかなか難しい学問だっていうことが分かりました.最初,教科書読んでもちっとも分からなかった.未だに読んでも分からない.ケインズの『一般理論』,いくら読んでも分からない.こんな難しいものが世の中にあるかと思ってね.で,新しくケインズ全集が出て,その初代を翻訳したのが塩野谷(九十九)先生っていう人で,その息子が塩野谷(祐一)先生でやっぱり経済学の先生で,それが新しい『一般理論』を訳した.読んでこれまた分からない(笑).同じように分からない.これが経済学かと思いましたよ.難しくて,何言ってるかちっとも分からない.

原文読むとそれほどじゃないんですよ(笑).原文読むと,鍵がわかればなんでもないんですよ,ケインズは.あの翻訳を見ている限り,「分かるやつはどうかしている」と思いましたね.で,経済学に憂鬱になっちゃったんだ.議論すると訳のわからん議論をする.というのはね,そこで分かったんだけどね,(共同研究の)相手のことをどう理解するかっていうこと,経済学と社会学は実体論なんですよ.心理学は操作論25なので,全然違う.つまりね,経済学も社会学も「(研究対象の)実体が存在する」と思っているんです.「物価」っていうでしょ,「物価が存在する」と思っているのですよ.「需要」っていうと「需要が存在する」と思っているんですよ.供給っていうと「供給が存在している」と思っているですよ.だから「一物一価」みたいな,くだらん議論が出てくるんです.(一物一価と定まっている)「価格」というものが存在していると思ってるんですよ.実証しようったって,一つも実証できないですよ.

「その物価って何だ?」,分からない.「物価,式を書いて定義を書いてくれば,俺は調査してやる」って言ったんです.しかし,「式,書いてくれ」と言ってもできないのです.「供給を調べるから,供給って何か言ってくれ」と言ったら,そしたら「出荷高だ」って言う.「それは出荷高であってね,供給ってどうして言える?」と言ったんです.「需要っていうのは購買量で」,「じゃあ潜在需要ってなんだ?」と.測れないんですよ.未だに経済学はそのようにちぐはぐですよ.だから計量経済っておかしくて見ておれないですよ(笑).理論といわゆるデータとがちぐはぐなんです.それで「合った」とか「合わない」とかパラメータ推定して,細かい数理統計やってるんですから.何言ってるか分からないですよ.

だけど,そこを我慢しないと共同研究は組めません(笑).「共同研究組もう」というのは,そこを理解してやらないといかんですよね.議論をするのは結構ですがね,そういうもんだっていう実体論だって言ってみれば,なるほど実体のこと考えているんだな,と思えば.しかし,それは実証できる概念じゃないですよ.

2.9. 心理学について

心理学は違いますよ.心理学は実証的操作を離れて実体が存在するかのように想定した「実証できない概念」は使わないです.だから(社会学や経済学とは)学問がまるっきり違うんです.しかし,近年は(実証的操作を離れて実体があたかも存在するかのように)「実証できる」って心理学者が言うもんですから,心理学はだんだんみみっちくなっちゃった(笑).そうして,今度は,役に立たないことしかやらなくなっちゃった.だんだん「人間」からはずれて,変な心理学になっちゃった(笑).それが実情なんですよ.だけど,こう(批判的に)言ったのでは共同研究は組めない.その違いを理解するっていうことでなければ共同研究はできない.

そんなことでね,当時はそういう議論をして「心理学における数量化の研究」っていう,心理学,社会学の人とチームを組んで,エポックメイキングな研究ができあがりました26.これは心理学と統計学との共同研究の一つのモニュメントですね.これは心理学やる人は今でも,知らなきゃならん領域の一つになっています.そういうことをやりました.

2.10. マーケティング・リサーチについて

小売店を歩くところから 今度はマーケティング研究.マーケティングっていうのは商売ですからね,これまた大変なもんですよ.マーケティングっていうのは現場を歩かないと何のことか全然分からない.それで,小売店調査っていうのをやってみた.小売店調査って難しいもんですよ.例えば,お茶の売り上げをどうして調べるか.それは,「お茶の販売業で売られているお茶の量は一体どの程度か」っていうことをつかまなければいけないですよ.この「お茶はどこで売ってるか」というと,この頃は電器屋だって売ってるんですよ.電器屋でお茶売ってるんです.貸本屋ではお菓子売ってるんですから.それを調べなきゃ小売りは分からないんです.だからこの小売りのエニュメレーションはたいへんなものだと思いますよ.だから,最初のマスターサンプル(母集団を構成する全ての小売店のリスト)を作るために,電器屋だろうとなんだろうと,全部調べなきゃいけない.

例えばキャラメルをお菓子店で売っているのは四割くらいですよ.菓子販売業でキャラメルの売り上げを調べようとすると,4 割しかつかまりませんよ.それ以外は電器屋で売ったり,映画館で売ったりするんですから.こういうのは現場歩かなきゃ,全然分からないですよ.小売店調査っていうのはいろんなメーカーがやっていますけれど,あのセッティング(マスターサンプリングの整備)をきちんとやらない限り何をつかまされているか,分からないですよ27

マーケティングから見た日本人の国民性 マーケティングはそういうことでね,マーケティングの思想っていうのは分かったですね.「日本のマーケティング(の特徴)って何か」っていうとね,これは戦争と全く同じ,攻めに強い.絶対攻めに強い.売れている時はすごい.しかし,悪くなりだしたらひとたまりもない.じり貧です.これは今の景気の問題を見ても,本当にそう思う.日本の経済は攻めの経済なんです.戦争の攻めなんです.守りができないんだ.それは何かっていうとね,これは日本の現場主義なんですよ.われわれ気をつけなくてはいけないのは,現場主義です.現場の意見を重んずるとね,例えば戦場でもね,「もう少しがんばらせてくれ」とこう言うんです.ところがアメリカそうじゃありません.負ける時は,ばぁーっと引いちゃいますよ.無駄な消耗はしないです.ダメだと思ったら,引いちゃいますよ.だからマーケティングもそうですよ.売り上げ落ちたらバサッとやめちゃう.コリンズか何かの週刊誌も,ちょっと売れ行きが悪くなったらスパッと潰すんです.日本は人情がありますからね,そうそう従業員の首は切れませんから,潰せないんですよ.だから,日本のマーケティングは守りがとっても弱い.スパッとやめられないんですよ.だから,債務がだんだんかさんでいくんです.これは未だにそういう感じがありますがね.

これは,いろんな共同研究を組む時にそういう固有の考え方があることを知ってなきゃだめですよね.攻めは強いね,日本のマーケティングは.だから,高度成長期の攻めはすごいね.引きが弱い.引き方が分からない.これはまあ日本人の国民性に根ざしていて,人情味ですよね.現場重視の人情論です.切れない.そんなふうにマーケティングも勉強しました.

2.11. 医学研究のむずかしさ

その頃,今度は医学の問題が起こってきました28.で,僕の(共同研究で携わった)専門は循環器とガンでございますが,当時は循環器.ところがね,医学研究というのは共同研究を組んでも,本当に本物にならないのはどうしてか,僕が医者でないってことですよ.僕は患者は相当見てます.だけど,僕は医者じゃないから診断はできないんですよ.医者じゃないから,操作加えられないんですよ.いつでも側で見てるんです.だから,僕の医学研究のいろんな研究は,なかなか本物にならないですよ.やっぱりお客様なんですよ.だめなんだ.いくらいいこといってもね,治療はやれないんですよ,やってみせられないです.ガンなんていうのはね,要するに一人一人みんなガンの様態が違うんだから,別々の仕分けをして,別々の治療法っていうものを実行しなければいけない.データから見ればそうなるんです.だから「そうやってくれ」って言ってますね.しかし,現場の人たちは「やります」と言ったって,実際にはやらないですよ.やっぱりやるには相当努力がいりますからね.だからどうしても,そこで止まっちゃうんです.本物にならないです.どうしても,残念なことですが,これはやむをえないです.ほかは大概いっしょにできるもんですが,医学は資格がいるから,やっぱり医学部出でなければだめじゃないか(笑)という感じなんですよね.残念ですが.

2.12. その他の調査研究

そのほか,生態学では野生動物調査(野生動物の生息数の推定など)ですよね,これは(木曜会で講話しているので),既にみなさん御存知ですね.最近は社会学系統で国際比較を進めています.ま,その辺のところが僕の日本国内での学際的研究のすべてでありまして.やらない領域は沢山あります.だけど,こういうふうなことをしてきて僕の考えている方法論,今日の「データの科学」29というものが発展してきた,と考えております.僕の研究方法は全て共同研究から生まれてきたものです.統計の性格上,仕方がないですが.

3. 共同研究はいかにあるべきか

3.1. 海外との共同研究

さて,今度は海外共同研究の成功の鍵についての話です.これは,みなさんも今後やられると思いますが,これも下手にまごつくと成果あがりませんよ.まず「物の本質を考える相手を選ばなきゃいかん」ですよね.これもさっきと同じように,相手がつまらん人だと,成果はあがりません.それを見抜かなければいけない.ですから,いきなり組もうたってそれはだめです. 相手のところに行ってしばらく付き合って,その人が書いた論文や著作などを読み,話をして,それで相手を見定めないとこれはだめですよ.

それからもう一つは,海外共同研究をやる時は「ファンドを誰が握るか」っていうことがポイントです.これは相手に握られたら,成果はほとんどむこうにいってしまいます.日本がカネを出せば向こうはちゃんと日本の言うこと聞きます.これはつまらないことのようですが,非常に大事なことです.「カネを出し合って」っていうのはなかなか難しいんですよ.その取り組みはしっかりしておかないと.「誰がカネを出すか,費用をもつか」ってこれは非常に大事なポイントです.それから,分担の明確化とそれから発表の明確化,これもきちんとやっておかないといけません.これはもう,つまらんことだけど,それが後でいざこざになるんですよ.これはきちんとやっておかないといけません.

それから費用の使い方にそれぞれの合理性があるのに気をつけなければなりません.アメリカはアメリカの使い方の合理性がある.日本には日本の使い方の合理性がある.これは国によって違う.違うから困るんです.だからこれが陰にこもっちゃうとうまくいかないので,違うことをお互い話し合って理解して,両方ともカネの使い方はちゃんと公開しないとダメですね.そうしないと後で問題が起こって,せっかく苦労して共同研究をやっても嫌な気分が残るんですよ.研究費の使い方が国々で違うから困るんですよね.

研究費の支出についての日本と外国の制度の違いは,海外共同研究では,研究の死命を握るものです.

次に大切なことに,お互いの「信頼感」がある.仕事が発展すると信頼感が深まる.ある仕事をやるでしょ,やった時に向こうの知識も広まってくると相手が思ったら,必ず発展する.それはなかなかシビアですよ.この人と組んで,やって自分の知見が広まって,自分が発展したら,必ず食いついて離れない.ただ仕事をやっただけだっていうと,それでぱっと終わっちゃいます.その辺は日本でも外国でも同じです.

3.2. 共同研究の陥穽「大型」であればなんでもよいか?

今度は,その共同研究の落し穴についての話です.「落し穴」がどこかにあります.この頃,大型プロジェクトが多くなりました.大型プロジェクトの文部省の審査の誤謬というものはね,社会・人文の分野でも,あるいは実験研究でも,ロケットを打ち上げるというようなことでない限り,必ず多くの人々が参画する「寄せ集め方式」でないと採択されないってことです.これがよく分かってきました.だから日本の人文社会の「大型プロジェクト」は,本当は大型プロジェクトじゃないですよ,ミニ・プロジェクトの集まり,寄せ集めにすぎない.さっき言ったように,(各ミニ・プロジェクトのメンバーたちは)お客様です.学際的といってもメンバーの仕事はばらばらです.本当の意味での大型プロジェクトとして一つ大きいことをやって,大きい新しい物を創るという発想は全然ないってことです.それが,文部省の審査委員の考え方なんです.だから何億円のプロジェクトであっても,「多人数の組織をきちんとつくって,何かしなきゃいけない」とこう言うんです.しかし,私から見れば,そんなことでは大きな仕事はできませんと言うんです.

例えば,ある研究所で大プロジェクト5 億円か6 億円かの研究費がとれたんですね.その5 年間のプロジェクトに100 人くらいぶらさがってるんですよ.そうすると,一年間一人百万円です.それで5 年間で500 万円.百人で5 億円です.「1 人100 万円で何に使う(何ができる)」って言うんです.それでは,今までやっていることの報告のペーパーが出るだけ.これでは,大型プロジェクトでも何でもない,小型プロジェクトの寄せ集めです.しかも(成果は)既存のことしか出てこない.これはね,共同研究推進の落とし穴です.こんなことやっていたらね,いつまでたっても日本の人文社会はだめです.大きいことできません.だけど,分からないんですよ.文部省が分からんじゃない,審査委員が分からないんです.先生が分からないってことです.これは,僕が本気でいくら説明してもダメですよ.それで日本の科学技術振興の方策っていうのは,科学技術が振興しないような政策になっているってことです.だから,毎年われわれが提言して踏ん張らなきゃだめじゃないかと思いますよ.そうしなきゃ,そういうふうに認めてくれない.これは実感ですね.

3.3. 研究における競争原理の功罪

その次はですね,いよいよ「競争原理」の問題であります.共同研究推進の競争原理っていうのは難しい.「どの段階に競争原理を入れるか」っていうことが重要なんですよ.スモール・グループの中に競争原理入れるとね,必ず足の引っ張りあいになる.じゃあ,どこに入れるか.今度は「あるグループとあるグループの間に競争原理を入れる」ことを考える.小さいグループどうしの競争では,対抗意識がありますから,これは成り立つんですよ.グループ(の中)の結束がだんだん固まりますから.しかし,これもね,あまりやっているとよろしくないですな.グループ間の足の引っ張りあいが起こりますから.これはあんまり感心しない.だけど,ほどほどのグループ間の競争はあっていい.さらに,「対外競争(国際間競争)」が大事なことになります.「アメリカに負けちゃいかん」と「日本できちんと組んでやろうじゃないか」って.まあ,物理の大型実験では,ヨーロッパ,アメリカは競争していますからね.ああいう意味での競争はある程度はいいんじゃないかなって気がするんです.だから競争原理っていった時に,肝腎なのは「どこに入れるか」ってことなんですよね.そこはリーダーの腕だと思いますよ.

だけれども(各所の提言書などの)文章を見れば,必ず「競争原理を導入して」って書いてありますが,「どこに入れるか」っていうことは非常に深刻でね,プラスに作用することとマイナスに作用することが同時にあるということです.だから,いろんなグループを見て,僕の経験では,あんまりスモール・グループに(共同原理を導入)するとね,チームが組めなくて1 人1 人がばらばらになっちゃうんですよ.共同研究なんてできませんよ.一つの共同研究のグループの中に競争原理を入れたらできません.競争原理を入れたら,先ほど述べたような徒弟制度,マスター制度が成り立たないですよ.本来,「学問の勝った,負けた」っていうことは,僕は本当は本筋でないと思うんです.

だけど,いろんな研究者の,殊に数学者なんですけれど,伝記を見るとどれも「勝った,負けた」の話ばかりだね(笑).驚いちゃうよ.僕の読んだ自伝の中に,レヴィ(P.Levy,1986–1971)っていう確率論の大先生がいる30.もう最初から「勝った,負けた」ですよ!びっくりしちゃって,「やな野郎だな」って思った.子供の時から「勝った,負けた」ですよ.「大学の時に,こういうのをやった」と,「これは既にやっていると言われたけれども,俺は何にも知らないでここに到達したから俺の勝ちだ」って書いてありますよ.「何言ってるんだ?」と思って,びっくりしちゃって.それから,ヴェイユ(Andre Weil, 1906–1998) も「勝った,負けた」31.ハーディー(G. Harold Hardy,1877–1947) っていうイギリスの解析学の泰斗,これも「勝った,負けた」ですよ.そんなことばっかり書いてありますよ32.だから数学者っていうのは「勝った,負けた」「先にやった」とかそんな話ばかり書いていますよ(笑).

これは外国人だけかなと,分かりませんけれど.あまりいい話じゃないけれど,煽らなくったって研究者っていうのはある意味のそれ(競争心)があるんですから,何も煽る必要はない.秘かにある,けれどもあんな露骨に見せることはないって思いますがね.

そういうことで,競争原理をどこに入れるかっていうことが,共同研究の一つのポイントではないかと思います.最近の競争原理の考えは,札束で尻をたたいて,どっちが勝つか,どう競争をやらせようかとするもので,学問でも研究でもありません.そんなことでは,真にオリジナルな研究は枯渇してしまいます.

3.4. 共同研究はどのように発展していくのか?

それから「共同研究の発展」というのは,いろんな形態がありましてね.一概に言えないのだけど,同じグループでどんどん新しい課題に向かって行く,これは非常に稀です.それから,個人が別のグループに(移ったりして),その代わり,この人はここで得た知見がポテンシャルになって新しいことをする,こういう形態があります.個人がここで勉強する.勉強する人が,それをもって新しい学際的なグループをつくる.これは同じグループが続いていくこともあります.こういう色んなケースがあります.これ(前者)は,われわれの国民性調査研究しかありません.「読み書き能力調査」は(後者の)こういうかたちで発展した33

こういうふうなことでありますけれども,共同研究をしながらやはり個人の学問も発展する.共同研究として成果があがると同時に,新しい手法が出て,個人の学問もやっぱり発展していくというふうなことが一番望ましい.(個人が)埋没しちゃってね,何も得るところがなくなっちゃうっていうのは共同研究じゃありません.「共同してやっぱり自分も発展するんだ」と,そういうふうに思っております.

3.5. 研究の社会貢献とはどのようなことか?

それから,研究成果のそれぞれの時代の社会へのフィードバックはどういうふうになるかについて話しましょう.これは,まず,共同研究する相手がしっかりしなければとてもだめだ.それからもう一つは,「問題の選定が先駆的である」っていうことが肝要です.やっぱり,学者に期待するのは(問題の先駆性です).ですから,「現在の社会の要望に応えて」っていうのではダメなんですよ.それでは既に遅れをとっている.「要望に応える」のでは,もう手遅れですよ.「要望を先取りして研究をしておく」ということが重要なんです.「先取りすべきもの,それは何か」を見つけることが,研究者には大事なんです.それは殊に共同研究では大事です.先取りして,それを研究しておけば,要望が高まった時に,社会に自然的に還元していきます.「近い将来,何の要望が高まるだろうか」っていうことをきちんと最初に理解しておかなければならない.それが非常に大事な問題なんですよ.

だからね,いろんな研究所のプロジェクト提案書をみるとね,「社会の要望に応えてこの研究をする」というのが多いが,これは根本的に間違っている.研究所の仕事じゃない.「社会の要望を先取りして研究をする」と書かなくちゃいけないです.それを書かないってことは,先取りの発想がないんだって僕は思っているんです.それでは社会にフィードバックできない,つまり「役に立つ学問」として評価されない.それが本当の評価ですよ.だから先駆的なものをやり,それが自ずから広まって行くっていうのが望ましい評価です.そのような研究は自ずから評価されるんです.そのためには先取りしてやらなくちゃいけないってことです

それから,フィードバックは,やっぱり知識拡散の腕ですよね.これはマネージャーの腕がしっかりしなきゃだめだと.公的機関であれば,われわれで言えば文部省ですけれど,文部省の連中に「あそこの研究所はいいことやっているんだな」って頭に入れさせることは,非常に大事なことなんですよ.常々,あの研究所はああいうことやっているんだな,という印象がすべての職員の頭にのぼれば,何をするのでも拡がっていきますよね.「あれ(あの研究所を)使えばいいじゃないか」となるわけです.

それから,「社会へのフィードバック」は,アプリケーションの人,利用者に親切でなきゃいけないってことですね.そうすることで自分も知らぬことを知り,要望を先取りできる可能性もあります.利用者を冷たくあしらったら成果は還元できませんね.やっぱり利用者に親切であると.そういうことが社会へ研究成果をフィードバックするには,大事なポイントじゃないでしょうかね.この最後のは俗っぽいですが,俗っぽいけど本当にそれがすごいことですよ.いつもそれを考えてリーダーはやっていかなきゃいけない.

3.6. 研究所と研究(質疑応答から)

先駆的発想と研究所 研究者自身が業績評価のありかたを取り違えていると思うんですよ.とにかく研究っていうのは研究したい人が研究するのであって,無理をして研究するものじゃないですよね.無理をしだしたらもうダメだと思うんです.生命はないと思うんです.乗り越えなくちゃいけない.「もうこれをしたくてたまらない」し,「これが大事だ」っていうところでね(笑).そこで研究所っていうのが成り立つのが本道でしょうね.その点,大学の方がまだ楽だっていうのは,研究所にはない「(学生)教育」という分野はどうしても継続しますからね.教育は何としてもやらなくてはいけない.研究所は「研究」だけっていうことになるとね,自ずから固有の生命ってあるんです.教育っていうのは生命が続きうるものですから,何を教えるのかにしても,多少内容変えるくらいなことでも続く.しかし,研究っていうのはそういうことじゃないと思います.学問を進める先端にいなきゃいけません.だからそれを活性化するために,どうしても先駆的な発想をある程度求める.

研究所の山と谷 どこの研究所も,(発展は)山があって落っこちる.例えばパスツールの研究所は,パスツールより偉い人は一人も出ていませんよ.色んな研究所は発展の山や谷があるんですよ.落ち目になったらスクラップ・アンド・ビルドなんです.本当にそれができればいいけれど,日本の場合は一旦組織ができちゃうと,既にあるものは潰せないんですよね.撤退が下手なものですから.アメリカっていうのは撤退をすぐやりますよ.評議員会でできちゃうんですから.すぱっとスクラップして,新しいものをビルドする.日本でもスクラップ・アンド・ビルドを役人が口にするけれども,日本じゃ不可能ですよね.だから研究所っていうのは沈滞していくんです.これはやっぱり重要なポイントなんです.だからある程度山越えたらね,研究者自身は「このままじゃいかん」と分かるんですよ.そういうことになった時に,新しい分野に移ることが大切でしょう.

3.7. データの収集と方法論とは一つのもの

それから,データの収集と方法論の関係はですね,僕にとっては一つのものですから.一般にはそうじゃないですよね.サンプリングとアナリシスは別,これでは本質が見えてこない.一つのものとして考えるから方法が生まれるんじゃないかって思ってるんです.つまり,「データをとる」ところから計画してアナリシスへ,と一体となって初めて新しい方法は出てくるんじゃないかな,と.

方法があり,データがあり,それでデータ解析の結果が再び理論に還元される.そういう経路をたどるんじゃないですかね.「ポテンシャルとしての理論」,それで方法論が生まれる.それからデータがとられる,分析される,で新しい理論が見えてくる.そういうことを考えるのが,僕は「データの科学」だと思っているんです.ふつうの調査だと,集まって会議をやって質問票を作る時に,ばらばらな質問を集めて作るか,一つの仮説の下のみ質問群を作る.全くばらばらか,一つの仮説だけで全体で組んでしまう.で,これを調査会社に委託する.データもらって自分で計算分析するならまだいいけど,データ分析まで委託するやつがあるんですよね.そんな結果を元に,データをそれぞれ読む.そういう共同研究は全然意味のない,意味ないって言っちゃあ悪いけど,低レベルの共同研究だと思います.成果は,それほど大きく期待できないんじゃないかと思います.

3.8. 学際研究への期待と現実

近年の学際共同研究への期待は,あるんです.あるんだけども,夢と現実が,みんなの思っていることと違う!ということなんですよ.文部省が「学際」っていうでしょ.文部省の「学際」っていうのは言葉だけ動いてるんだと思いますよ.「色んな領域集めれば,いいこと,今までにないことが生まれる」というのは,役人は研究の実情を知らないから.学者もそう思っちゃうからいけないんですよ.さきほど言ったように学際っていうのはね,寄せ集めではない一つの方法論あるいは複数の方法論が生まれるのが学際研究で,共同研究だと.それをみんなが期待しているんです.だけれども,現実は,寄せ集めだけで「何も出てこない」ということじゃないでしょうか.僕はそう思っています.一つのものが生まれてくるっていうのが学際共同研究のはずですが,期待と現実の隔たりがそこに出てくるんじゃないかと僕は思います(笑).思惑と違うんです.

僕の言うような学際研究が,現在世の中で成り立つかっていうとですが,まず,研究者どうしの信頼感は絶対なきゃいけないです.と同時に,一つの目標に向かって全力傾倒できる時間があるかが大切です.(現在は)忙しすぎる.みんな片足突っ込みばかりですよね.「これはお前やってくれ,あれはお前」ってそんなことになっちゃう.本当に自分も,みんなも「一つのことだけに打ち込む時間があるか」っていうことです.それはやっぱり,十分な研究時間を作らなきゃ大きいことはできないという気がする.今は,(大学も研究所も)あまりにも忙しくなりすぎている.形式だけの業績評価にも時間が取られ過ぎている.論文をいくつ書いたのかなど,あんなくだらない評価をするから,かえって研究成果がだんだん萎縮してきてしまう.

僕の言うような学際研究が,現在世の中で成り立つかっていうとですが,まず,研究者どうしの信頼感は絶対なきゃいけないです.と同時に,一つの目標に向かって全力傾倒できる時間があるかが大切です.(現在は)忙しすぎる.みんな片足突っ込みばかりですよね.「これはお前やってくれ,あれはお前」ってそんなことになっちゃう.本当に自分も,みんなも「一つのことだけに打ち込む時間があるか」っていうことです.それはやっぱり,十分な研究時間を作らなきゃ大きいことはできないという気がする.今は,(大学も研究所も)あまりにも忙しくなりすぎている.形式だけの業績評価にも時間が取られ過ぎている.論文をいくつ書いたのかなど,あんなくだらない評価をするから,かえって研究成果がだんだん萎縮してきてしまう.

だから,「うちの研究所は業績評価いたしません」「業績評価を毎年はいたしません」って言ったらいいじゃないか.それくらい言わないことには片々たるものに追われただけになってしまう.「何か(論文を)書かなくちゃいけないから,(過去の研究の)ここのところ,ちょっと変えようか」など,そんな馬鹿なことばっかり考えるんですよ.そんなことで若い人は能力を削られていくんですよ.

若い人はもっと自由奔放に考えなくちゃいけないですよ.問題に熱中して.論文ができようができまいが問題じゃない.やっているうちに自ずからいいことができれば,結果として,必ず論文は書けるんですから.書けてくるんですよ,いい論文が.「書こう」と思うんじゃない,書けてくるんですよ.ちゃんと研究していれば.

そのあたりの観念がね,どうも研究組織の機関のマネージャーが勘違いしてるんですね.文部省も勘違いしている.そういうことがあって,だんだん日本の研究者の本当の業績が悪くなっちゃうんです.それでいて,関係者たちは「何かできなきゃいけない」っていう頭があるんですよ.だけど,現実のやり方は間違っていて,全く違ったものになって成果があがらなくてやきもきしている,というのが実際の文部省の今日の姿じゃないですかね.

文部省は「現状では評価される研究成果が少ない」と大騒ぎして,科学技術振興の対策が閣議を通ったとか,通らないとか.そのような提案書などを読んでみたのですが,おかしくなっちゃって.ますます悪くなる.だけれども,「大きな研究成果が何も出てこないから,何かしなきゃいけない」って考えるんですよ.悪いスパイラル・スピンに陥っている.誤りである,ということを先生自身,研究者自身が誰も指摘しない.それは学際的研究が何か分かってないからでしょう.「既存の学問領域ではだめだ」って口ではそういいますよ.だけれども,「学際」から何の問題解決にみんなが結集できるかっていう発想がない.それに全力投球するだけの意欲がないから,新たな大きな成果は生まれない.僕はそういう感じを受けています.現実との隔たりが大きいことはみんな分かっているんですが,だけどどうしたらいいか分からないじゃなかろうかと(笑).

3.9. 日本の科学振興の誤謬

二時間喋り続けて,最後に,先の日本の科学振興の誤謬について, もう少しお話ししましょう.まずね,「役人の考え」って僕は言いますけれど,役人は研究の現場を知りません.それは仕方ないことでありますよね.役人を取り巻いている先生が,いわゆる文部省の御用学者が何も分かっていないから困るんです.御用学者が本当のことが分かっていないんです.おそらく,本当のことが分かっている学者は,御用学者になってないってことじゃないかって,僕はそういう気がします.だから文部省を取り巻いている,しょっちゅう学術審議会委員になったりして,文部省に使われている学者は,本当の研究が分かってない連中だと僕は思ってるんです.しかし,そのような人たちが珍重されているんです.例えば,今まで研究費が少なかったということで,科学研究費はどんどん増えてるでしょう.しかし,科学研究費が増えている割りに何の成果があがったかっていうんですよ.少なくとも僕の知っている大型プロジェクトで成果があがったのは,われわれの国際比較くらいしかありませんよ.他のプロジクトでも報告書は出てますよ.でも,学問的にはゼロだ.何にもないです.調査研究はゼロ,他の片々たる論文は紙くず.それで,数億円使ってるんです.これは無理なんです.これが,もしスモール・グループで,2 億円か3 億円かのお金で,グループを膨らまさないのであれば成果はあがる.しかし,ただ「カネをつければ成果があがる」と思ってる人が多いんです.カネを付けて,業績評価を厳しくする.「業績評価」って何だ,「紙の量(論文や報告書の数量)」ですよ.こんなにありますと見せても,そんなの紙くずですよ,実際.だから世間で言う「業績評価」は,そういうものだと思ってるんですよ.

3.10. 再び,業績評価とは

本当の業績評価っていうのは,そこでやった研究成果がだんだん発展するのを確認するっていうことなんですよ.さきほど言ったように,ある学問領域が発展しなきゃいけないんです.外に影響を及ぼしながら発展しなきゃならない.それが評価なんですよ.論文の数などではないんですよ.業績とは,その発展の内容によって自ずからから分かるんです.すぐに1 年2 年で分かる話ではなくて,発展というのは10 年単位でものを見なきゃ分かりませんよ(笑).提言書などには「研究環境の整備をよくしなきゃいけない」と書いてある.「研究環境をよくする」「科学研究費を余計つける」「部屋を一つ,スペースを広げる」「実験設備を作る」と.これはね,そんなことしたってね,悪くなるばっかりだ.今までのすべての研究成果は環境が悪いところに成立したんです.戦後の昭和20 年代みれば分かるんですよ.あんな環境の悪い,予算もない,何もない,それでもやれるものはやれたってことですよね.今の社会や学問の根幹作ってるんですから.本質は環境整備の問題でも何でもない.それは(研究環境は)いいに越したことはないですよ.だけど(提言書などの言う意味で研究環境を)よくしたって,それで(業績は)よくはならないってことですよ.

今度の科学技術振興の閣議決定の骨子に「競争原理を入れる」と書いてある.これじゃますますね,悪くなるばっかりだと思うんですよ.全然分かってない.分かってないのは御用学者であって,文部省自身がそのような方針を作るってことはないです.必ず審議会にかけてやるもんですから,委員の誰かが反対すればそんなものできませんよ.だけど,審議会の時に「業績評価は今のやり方は間違っている」っていえる人がいないってことです.言うのが怖いから言わないんです.事を荒立てるはいやだから言わないんです.文部省の役人に,「まあそんなこと言ってくれるな」と言われたら言わないんです.陰ではそういう批判をしていてもね.「そのことは先生話さないでください」って,僕も言われたことあるから分かるんです(笑).僕は言いましたけどね,その時はね.しかし,それをあまり激しくやっていると委員にならなくなります.そういうことが実際の姿だと思います.

じゃあ,「どうしたら科学技術振興できるか」って,それがポイントなんですが,そんな難しい話ではない.リーダーがよくなくてはだめだってことです.絶対に.研究グループはリーダーがしっかりしなきゃいけない.研究所は所長がしっかりしなきゃいかんってことです.絶対です,これは.

それから,リーダーだけじゃどうしようもなくて,夢があって意欲があって,やり遂げることに情熱をもつ,若い研究者が必要だってことです.醒めた若者はだめ.「ああ,こうやってもだめだな」,そういう醒めた人は絶対だめ.能力が多少低くてもですね,「やり遂げる」っていう情熱ですよ.これは絶対だ.それからもう一つ,暇がなきゃだめですね.時間がなくちゃだめです,絶対.焦ったら何もできませんよ.

さらにそれから,適宜に適切な予算を努力して獲得できるシステム,それが大事です.いいですか,適宜にぴたっとした時に,一番お金のいる時に,適切な量の予算を.ただ与えてはいけません,努力して獲得できるシステムを作る.予算っていうものは簡単に与えられちゃダメです.無理してとるからいい仕事ができるんです.これは僕の経験です.簡単にもらった予算は無駄遣い.かなり努力をして獲得した予算は無駄遣いしない.適宜適切ですよ,「一番ここにカネがいる」って時につかなきゃだめですよ.だから,これは会計年度をなくなさなきゃだめなんですよ.2 年通し予算,3 年通し予算って,何かそういうふうな仕組みが必要です.でも,今は会計法上だめなんですよ34.改革なんて言ってますけどね,会計法まで変えないですから.特殊法人つぶして1 兆円削っても大した影響はありませんよ.痛くもかゆくもありませんよ.総収入が百兆なんですから.1%削ればいいんですから.そんなもの.それくらい無駄してんですから(笑).

だから,そんなことではなくて,「会計年度は学術に対しては変える」ってことしないといけない.今考えられている改革のポイントはずれている.適宜適切な予算というのは,「予算が多過ぎるってことはよくない」っていうことですよ.予算は多いのは決してよくない.適切な予算っていうのがいい.意欲が掻き立てられますからね.「もっとこれができればいいなぁ」「分かればいいなぁ」って時に,ぴたっと研究費がくればいいんですよ.「もう少しカネがあったら」っていった時にそれがくればいいんですよ.余っちゃうと後で使うのに苦労するんです.そういうことです(笑).

それから,「評価」はね,これはもう,「桃李ものを言わずして,下自ずから蹊を成す」ってやつですよ.黙ってても良い成果を挙げれば人が集まる.それはもう世界どこでもみんなその通りですよ.ちゃんとやっていれば,どんな理論だって世の中に出て良いものには人が集まるんですからね.それが本当の成果であって,そんなけちもの(論文数などで計量する「評価」)でやる必要は毛頭ない,というのが僕の科学技術振興の狙いなんですが(笑).こんなことを話すると,「そうだ,そうだ」っていう人はいっぱいいます.そう言うから,その通りしっかりした提言書が出てくるかっていうと,提言書は「予算は増やして,業績評価を厳しくして」と出てくるんだよ.やになっちゃうな.だから,そこなんですね.本音はここにあると思いますよ.少なくとも僕の知っている文部省の役人は,こうだと思います.出てくるものは,こうなっちゃうんですよ.不思議な世界ですね.

ま,そういうこともあります.言いたい放題言いました.いずれにせよ,共同研究っていうものから,新しいものが生まれるっていうことは確信を持っています.行き詰まったら共同研究.それで真剣にやる.ということで,そのノウハウっていうのは先ほど申しましたようにいろんな点である.

3.11. 現在の統計学へ

そういうことを考えてきて,僕は本当に「統計っていうのは役に立つ,他の方法にない役に立つ」という考え方を持っているわけですけれど,では統計学がなぜ発展しないか.発展しているけれど,発展している方向が違っている.みんなが要求している方向に発展してないことが問題です.非常に世の中が複雑になって,動きが激しくなる.情報は飛び交っている.そういう時に,この状況の下でよりよく発展するにはどうしたらいいかっていう方に,その方法論が統計で一歩先んじて提供できるならば,それはもういろいろと成果を上げるものがあると思います.

しかし,後付いたら絶対だめです.本当にね,後付いてったら勝ち目ないですよ.例えば調査法も新しい調査法,インターネット調査ね.インターネット調査も実用されてるんです.「インターネット調査のガイドラインを作る」こと,それは僕は結構だと思うけれど,さらに次の調査の課題を狙わなければダメですよ.インターネットの先,問題になりかけているのは携帯電話ですよ.発展はずっと速いんですから.もう(国内の保有数が)6000 万超えてるでしょ.1 人1 台の時代も夢じゃないですよ.そういう(携帯電話調査への)要望がそろそろ出てくるんじゃないですか35.誰もやっちゃいないです.業者のほうが実用にしちゃうんです.で,いいかげんな調査にまたなっちゃうんです.それを先んじてやっていれば,研究所に人がいっぱいくる.間違いないです(笑).

だから,まあそういうことでね,共同研究を通じて先駆的研究をしていただきたい.その時に僕の経験談を思い出して,そういうような考えで進めていただければ幸いです.

脚注

脚注1 林自身は自らの個人研究史にふれることは多く,今回の分でも重なる部分は少なくない.関心のある方は参照されたい.最もよく知られているものに「市場調査事始め」(林, 1990)がある.タイトルに反し市場調査経験に限られない調査全般に関わる.他に統計学会50 周年記念出版での佐藤良一郎氏との対談(日本統計学会編, 1983),40 人をこえる統計学者のインタビューを集めた「日本における統計学の発展」の第22 巻(林, 駒沢, 西平, 坂元,1980–1981)でも,日本の統計学史とからめてその研究史をふりかえられている.没後に全15 巻の「林知己夫著作集」(林知己夫著作集刊行委員会, 2004)がまとめられたほか,評伝『林知己夫の生涯—データサイエンスの開拓者がめざしたもの—』(丸山, 2015)も刊行されている.また,林の著作はマーケティングリサーチ協会に保管され(大隅・森本, 2008),林の蔵書は「林知己夫文庫」として同志社大学文化情報学部に納められている(村上, 2011).(T)

脚注2 『ノーベル賞の決闘』(ウェイド, 1984)のこと.(T)

脚注3 シンポジウムとは,元々ギリシア語の「一緒に飲む」程度の意味から.プラトンの『饗宴』から由来)(T)

脚注4 三隅二不二氏とは「仮釈放の研究」の発表の時に出会い,「心理学者で数量化の最初の理解者」と語られている.林(1990) より.(T)

脚注5 三隅のPM 理論では,リーダーシップをP(Performance 目標達成能力)とM(Maintenance 集団維持能力)の2つの能力要素で構成されるとし,目標設定や計画立案,メンバーへの指示など目標達成能力(P の大小Pp)と,メンバー間の人間関係を良好に保ち集団のまとまりを維持する能力(M の大小Mm)の大小の組み合わせで,PM型,Pm 型,pM 型,pm 型に分類し,PM 型のリーダーシップが最も望ましいとした.(Y)

脚注6 リーダーシップ論については,林知己夫著作集の第6 巻「心を比べる」のpp.260–291「長(リーダー)の命運と社会の命運」輿論科学協会創立51 周年記念特別講演から抜粋」でも述べられている.(Y)

脚注7 社会心理学については以下のような評もある.

「社会心理学の方も,調査という形でバラバラにされた人間の反応が多くとりあげられ,多くの様々な人間の集まりによって形成され動き変容してゆく集団的・個人的心理としての—人間の関連のダイナミックスから生じるいわゆる群集心理のようなもの—社会心理が厳密な科学的扱い,計量化の難しさのため科学的研究の網の目をぬ けているのではないかという様に思う.」(林, 1976, p.9

このように心理学に厳しい視点を投げかけた林だが,「心理学における数量化の研究」をはじめ,(社会学等他の人文社会分野に比べて)関係の深さゆえの厳しい発言ではないかと感じる.心理学評や関わりについては1981年の心理学会大会でのシンポジウム(杉渓, 1982)など,他所でも言及がある.興味深いことに関係があまり深いとはいえなかったと思われる臨床心理学において,森岡正芳がsssssss「臨床心理学の名著10 選」の1 冊として『調査の科学』を挙げ「データという具体的で歴然としたものが垣間見させる微妙なニュアンスをとらえるセンスは臨床的である」と評している(森岡, 2017, p.588).(T)

脚注8 林とLouis Guttman との交流は知られている.林の数量化理論とGuttman のガットマンスケールなど各尺度構成法は対比される.どちらも戦略研究の経験から,生きた統計学を展開してきた研究者である.1970 年にGuttman は日本に招聘され,林の全国調査データでは数量化では上手く解析できるのに,Guttmann Scale では明瞭な結果が得られなかった等と,議論が交わされたということである.これは,林からも,西平重喜・統計数理研究所・名誉所員からも聞いている.林知己夫著作集第14 巻「人との出会い」,pp.121–125 も参照.(Y)

脚注9 陸軍での体験はこのインタビューの第1 回分(高橋,2004)でもふれているほか,『調査の科学』(林知己夫, 1984)の序章や「市場調査事始め」(林, 1990, pp.157–189)にも,具体的な事例について言及がある.(T)

脚注10 この部分は口頭ということもあり,だいぶ説明がはしょられている.『調査の科学』(前掲)の序章や「モデルをめぐって」(特に「命中率の問題」)(林, 1978)などに詳細な説明がされている.(T)

脚注11 “Theory of Games and Economic Behavior” (Neumann, 1944) のこと.

実際に林が東大の研究室で読んだのは,ジョン・フォン・ノイマンの“Zur Theorie der Gesellschaftsspiele「社会的ゲームについて」)(Neumann, 1928) になる.(T)

脚注12 主著は“Probability, Statistics and Truth(『確率論』)”, (Mises, 1951). 1981 年にDover より再刊.(Y)

脚注13 末綱恕一.専門は解析的整数論.統計数理研究所設立に関わり,2・5 代所長を務める.科学基礎論学会の設立にも関わる.林も編集に関わり『末綱恕一著作集』(全3 巻,末綱著・彌永・下村編, 1989)が刊行されている.(T)

脚注14 日本語表記の「ローマ字化」は,情報将校として訓練を受けるなかで日本語取得に困難を感じてたRobert K. Hallの発想であったが,この調査の前に,米国国務省は「この問題は日本人自身に任せるべきだ」と言う方針で,結局,Hall は帰国させられている(『幻の日本語ローマ字化計画—ロバート・K・ホールと占領下の国字改革』[茅島, 2017]などを参照).この調査のGHQ 側発案者はJ・C. ペルゼル.(Y)

脚注15 前掲の『日本人の読み書き能力調査』(読み書き能力調査委員会, 1951, pp.708–710)に「正しい漢字の限界」として,どこまでを正解としたかの具体例が掲載されている.

脚注16 林は初期の大きな研究体験として「読み書き能力調査」について触れることが多かった.本インタビューの第1回でも言及されている(高橋, 2004).この第3 回のインタビューでは「さまざまな分野の研究者の交流の場」と表現されている.この調査に参加した多くの研究者にとっても同様に思い入れ深いものとなっている.(T)

この時の全国規模のサンプリングの経験と自信さらには人脈がその後の国民性調査研究につながっている.この時のデータの分析が数量化I 類につながっている.また,言語学・心理学など多様な領域の研究者の人脈や経験も,この後に設立された国立国語研究所での各種・各地での言語調査に引き継がれる(野元, 1987).(Y)

脚注17 ここで想定されている,統計的無作為標本抽出法によらずに大量の数を集めた戦後初期の世論調査としては,例えば以下がある.

「朝日新聞」昭和21 年7 月実施,20 万,吉田内閣への支持等.

「毎日新聞」昭和21 年7 月実施,20 万3000,知事にどんな人を選ぶか

「100 万」というのは大げさな表現かと思っていたが,同時代の「新日本観光地百選」(1950 年実施)という企画では7000 万通以上を集めたという.世論調査の名前で実際に100 万を集めたものもあったのかもしれない.

また,「CIE の係官」とのやり取りなどについては,「初期の世論調査(昭和20 年-30 年代)」(本間, 1995, 世論調査協会報76号)や『日本世論調査史資料』(日本世論調査協会[編], 1986)などの文献も参照されたい.(T&Y)

脚注18 1948年のアメリカ合衆国大統領選挙において,選挙予測調査を行った三大調査機関(クロスレー,ギャラップ,ローパー)がそろって予測をはずしたこと.実際にはトルーマンが勝利したにもかかわらず,いずれもデューイの勝利を予測していた.(T)

脚注19 CIE および世論調査に先に統計数理研究所の所員として関わったのは水野坦所員.林知己夫らはその後から関わるようになった.(T)

脚注20 西村克彦,当時・法務省矯正保護研修所.戦後の混乱期には犯罪が急増し刑務所は満杯状態であり仮釈放を合理的な制度として確立する必要に迫られていたという.この時の研究は後に『仮釈放の研究』(西村・林, 1955)としてまとめられる.(T)

脚注21 その後,林先生は,長年にわたり,法務省での「死刑制度の存続の是非」に関する世論調査に携わり,この問題にも関与し続けることになった.(Y)

http://www.moj.go.jp/content/001130092.pdf

脚注22 「法正林」とは,ドイツ林学における森林管理理論.一斉林において,毎年等しい量の木材を,将来にわたって永続的に収穫できる「模式的な森林」のことをいう.明治時代より国有林経営に導入された.どのような話が,どの小学校の教科書に載っていたのかは未確認.(T)

脚注23 林,松下,石田正次ら統計数理研究所のメンバーが関わった,この全国森林資源調査とは,1953~54 年にかけて行われ,「組織だった大規模な蓄積調査としては日本初めてのもの」(内藤, 2003, p.4)とされる.この調査経験をまとめた一つに『森林調査の実際』(松下・林, 1955)がある.内藤(2003)は,同調査の,研究史上における位置や林業統計研究会さらには野兎研究会へのつながりまでをまとめている.また,戦後の森林資源調査の歴史をまとめた吉田(2008)によると,ややこしいことに「第1回」と呼ばれているのは1961 年実施のものである.この調査がモデルとなっているにもかかわらず,広くは知られてはいなかったという.(T)

脚注24 ここでは経済学との共同研究そのものついて具体的な研究名が言及されていないが,斎藤一郎氏(当時東京銀行)と経済動態調査会という研究会をつくって議論を重ねたことが『市場調査事始め』などで言及されている.斎藤氏の紹介で知り合ったのが佐藤敬之輔氏で,数量化III 類につながる缶詰ラベルの研究が行われることになる.他の経済関係の共同研究としては国富調査への参画がある.国富調査は戦前より実施されていたが,戦後最初の1955年実施のときにランダムサンプリングが導入された.『日本の国富構造』(中山伊知郎監修, 1959)には「第5 章国富調査のサンプリング・システム」(林知己夫・田口時夫執筆)が設けられている.戦後には1955,1960,1965,1970 年と4 回実施されている.(T)

脚注25 操作論とは,具体的な操作定義によって概念を扱う方法論.(Y)

脚注26 このときの研究は,『心理学における数量化の研究』(高木貞二編, 1955)として書籍にまとめられている.ここで数量化II 類が完成したという.また,この研究で池内一氏(1920–1976)と知り合っている.(T)

脚注27 林と市場調査とのかかわりについては鈴木(2018)がまとめている.関係者に広く読まれた『市場調査の計画と実際』(林・村山, 1964)をはじめいくつかの事例が紹介されているが,「初期に基本的な部分に関与したのみである」としている.基本的な部分とは,調査法と共通の標本抽出法,測定法,データ解析法である.ただ,『調査の科学』等を読んでいると,市場調査関係者との交流は広く長かったものと思われる.(T)

脚注28 ここでは具体的な共同研究名が挙げられていないが,林と医学研究との関わりを,宮原・清水(2018)が,臨床診断への数量化理論の導入からQOL 研究までまとめている.(T)

脚注29 林の「データの科学」の登場は,大隅昇(2000)の巻頭言「『データ科学』はいかに誕生したか」で触れている.(Y)

脚注30 次の本と思われる.P. レヴィ著『一確率論研究者の回想(Quelques aspects de la pensee d’un mathematicien)』(飛田, 山本訳, 1973)(T)

脚注31 彼の自伝のことと思われる.「アンドレ・ヴェイユ自伝—ある数学者の修業時代—」(アンドレ・ヴェイユ著, 稲葉訳, 1994)=Souvenirs d’apprentissage; Andre Weil, Birkhauser, 1991. (T)

脚注32 次の本と思われる.G.H. ハーディ・C.P. スノー著『ある数学者の生涯と弁明』(柳生訳, 1994)A mathematician’sapology, Cambridge University Press, 1967)(T)

脚注33 「読み書き能力調査」の経験をした研究者たち(の一部)が,後に国立国語研究所での言語調査につながっていったことなどが念頭にある.(T)

脚注34 その後,国立大学・研究所の法人化以降,科学研究費補助金などは,年度をまたいだ融通の利く運用ができるようになっている.他方で,運営交付金の毎年度の一律削減により,大学や研究所の研究費や運用費などの大幅減少など,困難を広げてきた.(Y)

脚注35 2016 年頃より,新聞社などの調査はRDD(Random Digit Dialing)による固定電話・携帯電話のミックスモード調査が使用されるようになった.2014 年のマスコミの数社の共同実験調査の後,そのサンプリング方法の統計的基盤が確立しないまま,伝統的な厳密な統計的無作為標本抽出法にもとづくサンプリング法と異なる様態になり,そのデータの質の評価が著しく困難になっている.(Y)

References
 
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