2022 Volume 62 Issue 2 Pages 140-142
私は幸運と周囲の人々の支援によって研究を続けることができただけなので,読者の教訓になることが書けるはずもなく,この談話室には全くふさわしくないのであるが,話のタネにはなるかもしれないので,執筆依頼に誘われるまま,迷いの多かった時期のことを書いてみることにする.
私は高校生の頃,大正・昭和の旧制高校生のように哲学の文庫本を濫読していたが,物質と生命の境目はどこかという問題に興味を持って,生物物理教室のある京大理学部を受験した.さて入学してみると,理論物理志望で微積分や力学の勉強を高校のうちに済ませた早熟な人がクラスに何人もいる.そうした友人達と量子力学とは何かという議論をして,HeisenbergやPauliのことをアイドルのように話しているうちに物理に興味が移り,大学院では物理教室で生物物理を研究していた福留秀雄先生の研究室を選ぶことになった.
1960年頃,非可換ゲージ理論の登場以前,なぜ多種類の素粒子があるかという問題について,湯川秀樹先生は場の理論の枠組みを問い直す構想を語っておられた.当時,福留先生は基礎物理研で素粒子論の助教授として活躍されていたが,その頃は生物物理学会発足の直前である.湯川先生は,生物物理の魅力を若手にしきりに説いてその研究を促したが,福留先生はそれに応えて,基礎物理研で大腸菌の培養を始めたのである.湯川先生は「なんとかして素粒子に引き留めたかった人が生物物理を始めた」と書いている1).
私が院生だった1980年頃の福留先生のテーマは,リボソームRNAの構造を生化学的に調べる実験であったが,もう一つのテーマは,酵素反応の電子論から出発して,様々な分子の電子状態を調べる理論であった.反応の遷移状態では,分子軌道の交差が起こるために軌道間のエネルギーギャップが小さくなり,電子間相互作用の効果が顕著になる.その結果,電子相関によるスピン揺らぎや電荷揺らぎが生じて,引き続く化学反応の方向を左右する.福留先生はそれを,電子状態が持つ対称性の自発的破れと捉え,破れ方を群論で分類し,種々の対称性がカスケードのように破れるという理論を展開していた2).もちろん,バルクな固体とは異なり分子は有限系なので,対称性の破れはそのままでは現れずに,対称性を回復させる揺らぎを伴って現れる.例えば,ベンゼンの励起状態はスピン波揺らぎの重ね合わせとして表現できる.これは美しい理論であり,この考え方を実際的な反応に応用する理論を阪大の山口兆先生が展開されている.福留先生は「わしは分子を研究する物理学者や」と話しておられた.
その頃は,白川英樹先生がポリアセチレンの合成に成功した直後のことである.後に白川先生とノーベル賞を共同受賞したAlan Heeger先生は,ある量子化学の会議で金属光沢に光るポリアセチレンを取り出し,電線として使って電球を灯すデモをしながら講演した.その講演を聴いた福留先生は興奮して研究室に戻ると「誰かポリアセチレンの理論を研究せんか?」と学生に尋ねて回ったが,そのとき「はい」と手を挙げたのが私である.ポリアセチレンは炭素がつながった高分子なので,1次元電子系と考えれば物性理論の対象である.しかし,ポリアセチレン中で電荷やスピンを運ぶソリトンは,20個程度の炭素に広がる局所励起なので量子化学の対象でもある.今でもトポロジカル絶縁体のひな型理論として紹介されるSu-Schrieffer-Heeger(SSH)理論では,ソリトンにおける電子相関は無視されていた3).しかし,量子化学の常識で考えれば,それはどうにもおかしい.ソリトン付近で実効的にエネルギーギャップが小さくなると考えれば電子相関が重要になり,ソリトンは電荷分極やスピン分極の雲をまとってSSH理論とは概念的に違うものになるはずである.この考えは私を強く捉えて,大学院ではその研究に熱中した.そうして学位を取った後,ソリトンのようなトポロジカル欠陥の液体として電子相関の強い系を表現することが重要ではないか?このアイデアを追求して,とくに2次元電子系に挑戦してみたかった.生物物理を目指した初心はだんだん忘れて,固体物性論に近づいていったのである.
そのとき,分子研に赴任した大峯巖先生が助手の募集をされていた.ポリアセチレンを短くしたような分子はβカロチンなど様々あるが,総称してポリエンと呼ばれる.大峯先生はハーバード大院生のとき,ポリエンの低エネルギー励起状態が,電子相関によるスピン揺らぎであることを理論的に発見された4),5).福留先生は「この発見が日本人の手でなされたことは誇らしい」と語っておられたが,その大峯先生の助手ということで,私は勇躍,応募して運よく採用された.
当時の大峯先生はハーバード,MITを経て日本に戻ったばかりの助教授である.大峯先生いわく「君はAssistant Professorなのだから,自分の研究プロジェクトを持ちなさい.私の研究を手伝おうと思わないこと.ただし,分子研では化学を研究してください.化学だったらどんなテーマでもいいですよ」固体物理に入っていこうとしていた私は,方向転じて化学を目指すことになったが,これは私にとって大きなチャンスと思えた.
新しい面白い化学のテーマは何か?私は,同僚の瀧本淳一さんらとともにいろんな本や論文を読んで糸口を見つけようとしていた.その中には,de Gennesの高分子の教科書や,レプリカ対称性破れの理論による,複雑な自由エネルギー地形についてのParisiの論文もあったが,これらはその後の私に大きな影響を与えることになる.大峯先生が分子研で始めたのは,液体の水分子のつくる水素結合網の組み替え運動の研究であったが6),そこから「自由度の大きい分子系の運動は,複雑なエネルギー地形の上の運動として表現できる」というアイデアが浮かび上がり,レプリカ対称性破れの理論との結びつきが何となく想像されたのである.
さて,人間は真空状態では考えられないので,量子化学の会合に出かけてみたりするが,多電子系をいかに詳細に手際よく計算するかというテーマの講演が多かった.どの講演も最後は,誤差何%の計算がどれくらいのCPU時間でできたかという結論になっている.そうした研究は大事だし,その中には非常に重要な成果もあるが,どうも私の肌には合わない.三つ子の魂百までというか,M2の魂百までなのか,物理の研究で培った興味としては,できるだけ簡単な理論で複雑系の本質を突いた発見をしたいのである.しかし,化学とはできるだけ詳細な理論でリアルな計算をすることなのか?私はわからなくなって途方に暮れていた.
何を研究すべきか,悶々としていたある日,諸熊奎治先生が分子研の理論メンバーを集めて「日米科学協力のプロジェクトで1人アメリカに派遣できる.行きたい人はいますか?」と話された.その場にいた20人ほどの中で「はい」と手を挙げたのが私である.というわけで,当時,イリノイ大にいたPeter Wolynes先生の研究室に5か月滞在できることになった.1989年のことである.
Wolynesさんは10代で大学を卒業し,20代でイリノイのfull Professorになった早熟の天才である.凝縮系の化学反応に興味を持ち,目覚ましい理論を展開していたが,使う方法は経路積分やガラス転移の統計力学など理論物理そのものである.物理と化学の関係について何かをつかみたいと思ったのが,私がWolynesさんを訪ねた動機であった.
さて,実際に訪ねてみると,Wolynesさんはタンパク質フォールディングの研究を始めて三つ目の論文を書いたところであり,タンパク質の粗視化モデルの計算で研究室は盛り上がっている.私と話すうちにWolynesさんは,高分子の分配関数をレプリカ対称性破れの方法で扱えば,ガラス転移とフォールディング転移の競合を調べることができると提案した7).大峯先生の研究で浮かび上がっていた,複雑なエネルギー地形というアイデアがここで登場したのである.これは紙と鉛筆の研究であったが,様々な近似を試すうちに積みあがった計算用紙は,5か月で厚さ1メートルを超したのではないだろうか.生物を扱う理論物理であり,同時に化学の問題として,分子研でぼんやり考えていたことが具体化されることになった.私は,こんなやり方があったんだと実感して,この研究がうれしかった.日本にいたときは,化学とはこういうものだと無意識の枠に自分がとらわれていたことを知る.そんな私を見て,Wolynesさんは自身のスタイルを“I am a physicist studying chemistry”と評した.こうして,物理と化学と生物が私の中でつながり,初心に戻って生物物理が私の仕事となったのである.
このように,何をしたいかと自問自答して,知らない間に今に至った次第だが,それが私のデザインのないキャリアだったかもしれない.最後に,字数制限のために書けなかった三人の恩人,福留先生,大峯先生,Wolynes先生への感謝の気持ちを表したい.
笹井理生(ささい まさき)
名古屋大学教授