2022 Volume 62 Issue 2 Pages 148-149
「ロンドンに行く機会あれば連絡するね」―ありがたいことによく頂く言葉なのですが,渡英以来ロンドンへは片手で数えられる程度しか行ったことがありません.所属大学名は確かにインペリアルカレッジ“ロンドン”,しかし筆者のいる研究室はHarwell Science & Innovation CampusのResearch Complex at Harwell(RCaH)にあり,大学のメインキャンパスまでは,公共交通機関で片道2時間ほどかかります.
Harwellキャンパスは,大学の街/ハリーポッターのロケ地などで有名なオックスフォードからさらに車で20分ほど南へ行った,周囲が自然豊かな牧場や農場に囲まれた長閑な地にあります.このキャンパスでは1940年代後半に医学研究協議会(MRC)の放射線生物学ユニット,1950年代後半に高エネルギー物理学を扱うRutherford Laboratory(現在RAL)が立ち上がり,かつては原子力研究も実施されていました(1990年に全面廃止).2000年代に入りHarwellイノベーションセンター設立を機に,中性子・ミューオン(ISIS),ダイヤモンド放射光(DLS),電子顕微鏡(eBIC),レーザー施設(CLF)などの大規模共同利用実験施設が設立されました.さらに,国の研究機関や民間/スタートアップ企業の誘致も行われ,現在は「英国のイノベーション・ハブ」と位置付けられています.というわけで,この記事ではHarwellキャンパスでの研究環境や魅力,筆者の体験談などを述べたいと思います.
渡英前は公益財団法人高輝度光科学研究センター(JASRI/ SPring-8)のテニュアトラック博士研究員として,溶液中におけるタンパク質の構造ダイナミクスと機能との相関に関する研究を行っていました.
JASRIには若手研究員を積極的に海外の放射光施設等へ派遣する制度があり,筆者の場合は英国DLSへ1か月半ほど滞在させてもらえる機会がありました.その際に現PIのDr Konstantinos Beis(Kostas)と共通の知人を通じて知り合い,RCaHにある研究室を訪問したのがきっかけで現在に至ります.Kostasは比較的若いPIですが,細菌病原性や疾患に関与する膜タンパク質の研究で多数の実績があります.DLSにある膜タンパク質研究室(MPL)の初期メンバーでもあり,RCaHにおいて膜タンパク質研究を引っ張ってきた研究者の一人です.X線に加え,最近ではクライオ電顕を用いた構造解析の研究も精力的に進めています.
筆者は日本学術振興会海外特別研究員として,抗菌ペプチドを取り込む膜タンパク質の輸送機構に関する研究を進めています.Beis研究室に参加するまで膜タンパク質を扱った経験が一切なかったため,当初は収量・安定性ともに低い試料の取扱いに苦慮しました.しかも,最初に取り組んだプロジェクトは研究室で長らく構造未決定だと聞いて,「どうなるんだこれ?」と不安もよぎりましたが,幸運にもクライオ電顕による高分解能での立体構造決定に成功して,詳細な輸送機構と合わせて昨年に論文発表することができました.
研究所の管理・運営メンバーを除くRCaHの研究系スタッフは,大学・研究機関・企業に所属して,ラボ・オフィスをシェアするオープンラボシステムをとっています.ラボテクニシャンが培地作りや洗い物,機器管理,トラブル対応など日々の実験をサポートしてくれています.生命系の実験室には,構造生物や合成化学研究に必要な機器に加え,生物物理学的な解析を行うための分析装置も一通り揃っています.全ての機器には管理者がいて,トレーニングを受ければ使えるようになります.さらに,トラブル発生時もすぐに対応してくれます.このように“研究に集中する”環境が整えられており,快適な研究生活が送れています.
RCaHにはDLSの研究者も所属しており,ビームラインの高度化や手法開発のための共同研究も盛んに実施されています.筆者のグループでは長波長X線を利用して,膜タンパク質に結合した軽金属の種類や部位を決定するプロジェクトをDLSのビームラインスタッフと共同で行っています.施設側にとってもチャレンジングな研究に参画することで,少し違った視点から研究テーマを考える良い機会になります.
Research Complex前で研究室メンバーと撮影(2021年9月)左から二番目が筆者,中央はPIのDr Konstantinos Beis
そして何といっても日々の大切なイベントは“Tea time”でしょう.RCaHでは“Tea break”を大切にしており,毎日10時半と15時頃にオープンスペースに集まって紅茶/コーヒーやビスケット片手に,30分ほどの雑談する時間があります.筆者自身,渡英直後は全く会話についていけず,1年経っても…,といった状況でしたが,1年半経過した頃から情報交換の場として非常に重要な役割を担っていることに気づきました.日々のたわいもない会話が多いですが,研究関連の話題もしばしばで,普段仕事で交わらないグループの人たちと交流できる機会でもあるので,ネットワーク作りには欠かせません.DLSでも同様の時間があり,PhD学生やポスドクを対象にしているため,キャリアステージの近い人たちと分野関係なく交流できる貴重な機会でもあります.一日の中で仕事のon/offを上手く切り替えるための大切な時間のように感じています.
RCaHで研究活動を行う魅力の一つとして,DLS(eBIC)やISISなどオンサイトにある共同利用施設へのアクセスが非常に便利な点が挙げられます.通常これらの施設を利用するためには,PIにあたる研究者が課題提案し,それらが審査を経て採択される必要があります.筆者らはBAGs(Block Allocation Groups)という方法でDLSのビームラインやeBICのクライオ電顕を利用しています.これは個々のPIが課題申請を行うのではなく,インペリアル構造生物センター(CSB)の代表者がBAGs課題を申請し,採択されることで,CSBに所属するPIおよびスタッフ・学生がマシンタイムを利用できる大変便利な制度です.
リモート/オンサイト実験の場合,数か月先まで利用できる日時・ビームラインが事前に通知され,責任者に希望を出して時間を割り振ってもらいます.DLSのタンパク質結晶構造解析(MX)はリモート/自動測定が主となっていますが,筆者らのようにサイト内にいると実際にビームラインへ行き,スタッフと情報交換(という名の雑談)しながら実験することもありました(なお,COVID-19パンデミック以降は特別な理由がない限りオンサイトで実験ができなくなったのはとても残念です).また自動測定では,朝に結晶が出ていることを確認したら,その場ですぐに拾ってパック詰め,オンラインでサンプル情報等を登録,午後に直接ドライジッパーをビームラインへ持って行くと,早いと同日夜から測定が開始されて翌朝には自動処理結果まで出ている,なんてことも幾度かありました.このようなアクセスの良さやフィードバックの早さは,オンサイトにある研究室ならではの利点だと思います.
eBICも同様で,定期的にBAGsとしてKrios(300 kV)の時間が割り振られるのに加え,RCaHもスクリーニング用Glacios(200 kV)を持っているため,研究状況に応じて双方のアクセスがしやすい環境はイチオシです.昨今クライオ電顕の導入機関が大幅に増え,英国内の大学や研究所でも課金制で比較的容易に利用可能になっているようですが,国の施設であるeBICは,課題を持つアカデミアユーザーが無料でアクセスできる点が大きな特徴です.なお,DLSへの試料送付費用や出張費(旅費や食事代)も施設が負担してくれます.
ところで筆者は2019年10月に渡英したので,長きに渡りCOVID-19による様々な影響を受けることとなり,思い描いていた海外生活とは程遠く想定外の制限にも多々直面しました.特に2020年3月下旬から実施された英国全土最初のロックダウンでは,ようやく研究生活に慣れてきたところで数か月間建物へのアクセスが完全に禁止となり,その後もRCaHでは研究室への厳しいアクセス制限が1年半ほど続きました.その一方で,都市部から離れた(田舎の)Harwellに研究拠点があるため,車通勤で人との接触が少なかった点や,人口の多くないエリアに住んでいた点は救いだったと思います.住んでいる近くを流れるテムズ川沿いをのんびり散歩したり,ベンチに座って鳥のさえずりを聞きながら論文を読んだりするのも良い気分転換になります.大変だったことも多いですが,英国で研究する機会に恵まれたことに感謝しつつ,今後も良い研究ができるように日々努めていきたいと思っています.