Seibutsu Butsuri
Online ISSN : 1347-4219
Print ISSN : 0582-4052
ISSN-L : 0582-4052
Topics
Sperm Motility in Rheological Fluids Mimicking Fertilization Environment
Toru HYAKUTAKE
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2022 Volume 62 Issue 3 Pages 175-177

Details
Abstract

受精環境を模した高粘度かつ粘弾性を有する流体中を遊泳する精子の運動特性に関する研究例を紹介する.粘度増加のみでは精子の運動性は低下するが,Shear thinning粘弾性流体というレオロジー特性が,特徴的な鞭毛形状による精子の直進性向上をもたらしており,さらには精子の協調的な遊泳を促進している.

1.  はじめに

動物の生殖において,精子が卵子に向かう現象は受精を成功させるために重要な因子の1つである.特に哺乳類は体内受精を行うため,膣内で射精された多数の精子は,細長い鞭毛を能動的に屈曲させながら,卵子を目指して複雑な構造を有する女性生殖器内を推進しなければならない.卵子に到達するまでの遊泳距離は精子自身の大きさの数千倍に達し,その間に様々な物理的・化学的影響を受ける.しかしながら,現象が複雑であるがゆえに,生殖細胞が受精に至るまでのプロセスについてまだ十分に解明されているとは言い難い.このような背景のもと,我々は,流体力学的観点から,子宮頚管粘液のレオロジー流体内を遊泳する精子の運動特性に着目した研究を行っている.

一般的に精子運動の観察は,体外受精で用いる媒精液のように水に近いレオロジー環境下で行うことが多い.しかしながら,実際に精子が遊泳する子宮頚管から卵管にかけての粘液は水に比べて非常に高粘性の流体であり,かつ様々な高分子化合物などを含んでいるため,粘度がせん断速度に応じて低下するShear thinning流体である.さらには粘弾性特性も有している.また,月経周期に応じて粘液のレオロジー特性も変化する.このような流体中を,精子は走流性や走触性といった特徴的な性質を利用することで,卵管蠕動による流れの影響を受けながら卵子に向かって遊泳していると考えられる.加えて,卵子に到達する直前ではカルシウムイオンを媒体としたシグナル伝達により,ハイパーアクチベーションと呼ばれる精子運動の著しい変化が起こる.

したがって,哺乳類の受精メカニズムを理解する上で,精子運動と周囲流体の関係性を調査することは非常に重要である.そこで本稿では,受精環境を模した高粘度かつ弾性を有するレオロジー流体中を遊泳する精子の運動特性に関する研究例を紹介する.

2.  子宮頚管粘液のレオロジー特性

まず,高分子を用いて子宮頚管粘液を模した流体を作製し,そのレオロジー特性と実際の子宮頚管粘液特性との比較を行った1)図1Aは,複数の濃度におけるポリアクリルアミド(PAA)溶液のせん断速度と粘度の関係である.ここで用いたPAAの分子量は18,000 kDaである.測定より,PAA溶液の粘度は水の粘度に比べ2~4桁大きく,かつ高せん断速度域で粘度が減少するShear thinning流体であることが分かる.また,ヒトの子宮頚管粘液特性2)と比較した結果,0.5%のPAA溶液と同様の傾向を示した.

図1

(A)各濃度におけるポリアクリルアミド(PAA)溶液のせん断速度と粘度の関係.PAAは高せん断速度域で粘度が減少するShear thinning流体を示す.一方,ポリビニルピロリドン(PVP)溶液はせん断速度によらず粘度はほぼ一定である.(B)各濃度におけるポリアクリルアミド(PAA)溶液の角振動数と貯蔵弾性率Gʹ・損失弾性率Gʺの関係.PAAは粘弾性特性をもつことが分かる.文献1の図を改変.

図1BにPAA溶液の動的粘弾性特性,すなわち,貯蔵弾性率(Gʹ)と損失弾性率(Gʺ)の測定結果を示す.角周波数の増加とともに,Gʹ,Gʺは増加しており,PAA溶液が粘弾性特性を示していることが分かる.ウシの子宮頚管粘液の粘弾性特性を調査した既存の研究では,個体によって大きなばらつきはあるものの,PAA溶液と同様に粘弾性特性を有しており,今回のPAA溶液濃度の範囲内に収まる傾向を示していた3),4)

以上の結果を踏まえ,次節以降では,子宮頚管から卵管内にかけての生殖器内粘液のレオロジー特性を模した溶液としてShear thinning粘弾性流体であるPAA溶液を用いて精子の運動特性を調査した結果を示す.比較として,PAA溶液を添加しない希釈のみの溶液での調査も行った.また,粘弾性の影響を見るためには粘性と弾性の特性を切り分けることが有効である.粘性のみの影響を見るために,ポリビニルピロリドン(PVP)溶液を用いた実験も行った.PVP溶液の分子量は360 kDaであり,せん断速度に関係なく粘度がほぼ一定で,ニュートン流体とみなすことができる5)

3.  疑似子宮頚管粘液中における精子の運動特性

実験ではウシの凍結精液を融解して使用した.この精液にレオロジー調整液を混合し,顕微鏡にて精子の様子を撮影した.観察の結果,高分子溶液を混合せずPBSで希釈した溶液中では,精子は頭部を回転させながら,鞭毛全体を3次元的に屈曲させ,図2Aのようにジグザグに軌跡を描いて遊泳しているのに対して,PAA溶液中では,精子は頭部をほとんど回転させず,鞭毛は先端付近に大きな曲率をもってほぼ平面的に変化し,図2Bのように直線的に遊泳していることが分かった.また,PAA溶液の濃度が増加するにつれて精子運動の直進度は上昇した.一方でPVP溶液の場合,溶液の濃度が増加するに伴い,精子速度と直進性はともに低下した6)

図2

(A)希釈溶液中における精子の運動軌跡.ジグザグに遊泳している.(B)PAA溶液中における精子の運動軌跡.直線的に遊泳している.(C)希釈溶液中における精子鞭毛形状.正弦波に近い形状をしている.(D)PAA溶液中における精子鞭毛形状.付け根から遠ざかるにつれて曲率が大きくなる.(A)(B)のスケールバーは20 μm,(C)(D)のスケールバーは5 μmを表している.文献1の図を改変.

さらに,溶液のレオロジー特性が精子の鞭毛運動にどのような影響を与えるかを調査した.図2C, Dは希釈溶液中,およびPAA溶液中を遊泳する精子の典型的な鞭毛形状を示している.図2C, D上図はある瞬間の精子の画像で,図2C, D下のカラー図は10 ms毎の鞭毛形状の時間変化を表している.これらの図より,希釈溶液中の鞭毛形状は正弦波に近い形をしているのに対して,Shear thinning粘弾性流体であるPAA溶液中での鞭毛形状の曲率は,付け根から遠ざかるにつれて大きくなっていることが分かる1),7).一方で,ニュートン流体であるPVP溶液中では濃度の増加とともに鞭毛の振幅が全体的に減少していた1).つまり,粘度増加のみでは精子の運動性低下を引き起こすが,Shear thinning粘弾性流体というレオロジー特性が,特徴的な鞭毛波形をもたらし精子の運動性向上に寄与していることが示された.このことは,精子が晒された環境下でできるだけ効率的に卵子に到達する運動機構を有していることを示唆している1),5)

鞭毛運動を決定づける要因には,ダイニンによる微小管のすべり運動,鞭毛の弾性スティフネス,そして流体のレオロジー特性に応じた鞭毛への抵抗力が考えられる.また,鞭毛運動の振動数と図1Bから得られた緩和時間よりデボラ数を求めてみると1より大きく,子宮頚管粘液内での哺乳類精子の運動性には,高デボラ数が重要な役割を果たしている可能性が示唆される8).結果として,特徴的な鞭毛波形が形成され,直進性の増加をもたらした.また,Shear thinning性により精子頭部まわりの局所的な粘度は鞭毛まわりに比べて高いため,結果として頭部振幅は減少する.これもまた直進性の増加に寄与していると考えられる.

4.  精子集団の協調運動

疑似子宮経管粘液中における精子の運動特性および特徴的な鞭毛波形は精子鞭毛運動の同調現象をもたらす9)図3A, Bに,希釈した溶液中とPAA溶液中におけるウシ精子を観察した様子を示す.希釈した溶液中では精子はお互い同調することなく各々がランダムな方向に遊泳しているのに対して(図3A),PAA溶液中では黄色枠で囲った精子同士が鞭毛運動を同調させ,小さな集団を形成していることが分かる(図3B).PAA濃度や精子濃度によってクラスター形成の割合は変化する.マウスで見られる精子頭部の付着による集団遊泳とは異なり,ウシ精子の場合,流体力学的相互作用の結果,精子同士が同調していると考えられる.つまり,Shear thinning粘弾性流体が精子の協調的な遊泳を促進しているといえる.さらに高濃度の精子遊泳の場合は,大きな集団を形成するものと考えられる.この現象は,実際の女性生殖器内で精子が受精に至る過程において大きな意味をもつ可能性がある.

図3

(A)希釈溶液中における精子遊泳の様子.ランダムに遊泳している.(B)PAA溶液中における精子遊泳の様子.黄色枠では精子同士の同調現象が見られる.スケールバーは10 μmを表している.

5.  ハイパーアクチベーション化での運動特性

精子は卵子へ向かう行程の中で受精能獲得という過程を経て,受精の直前にてハイパーアクチベーションを起こす.これは,卵母細胞を取り囲む透明帯への精子の侵入を補助する役割があるとされている.ハイパーアクチベーションを起こした精子の運動は,鞭毛振幅の急激な増加から引き起こされる非対称な鞭毛波と直進性の喪失として特徴づけられる.ここでは,体外受精用媒精液を用いて人工的に精子のハイパーアクチベーションを誘起させ,周囲流体のレオロジー特性がハイパーアクチベーション後の精子運動に与える影響を調べた10)図4A, Bに希釈溶液中とPAA溶液中におけるハイパーアクチベーション後の運動軌跡を示す.希釈溶液中ではハイパーアクチベーションを起こすことにより,精子運動は速度の急激な増加と非対称性運動へと移行し,ほとんど前進しなくなる(図4A).これに対して,PAA溶液中,つまりShear thinning粘弾性流体中では,ハイパーアクチベーションを起こすことにより,振動しながらも少しずつ前進していることが分かる(図4B).ハイパーアクチベーションを起こした精子が,受精直前において実際にどのような運動特性をもっているかを把握することは,受精に適した精子を特定する上で有益な情報を与えるであろう.

図4

(A)希釈溶液中におけるハイパーアクチベーション後の運動軌跡.その場で激しく動き回り直進性はない.(B)PAA溶液中におけるハイパーアクチベーション後の運動軌跡.直進性をもちながら遊泳している.スケールバーは20 μmを表している.

6.  おわりに

今回,流体力学的観点から受精環境を模したレオロジー流体中における哺乳類精子の運動特性に関する研究の取り組みを紹介した.受精に至る過程で考慮すべき点としては,今回のような特殊なレオロジー環境だけでなく,たとえば卵管内の微細な壁面形状や蠕動運動による流れの影響なども挙げられる.このように実際の受精環境では,精子側および卵子側双方の物理的相互作用が複雑に絡み合っており,双方が受精に適した形態へと共進化しているという側面ももつと考えられ非常に興味深い.今後,in vitro観察による知見だけでなくin vivo環境下における受精プロセスの現象解明も期待される.紙面の都合上,今回は省略したが,現在,これらのin vitro環境下の実験で得られた知見を活かして,受精に適した精子を特定し,回収する機構についての研究開発を進めている.これにより,生殖補助医療や畜産分野に対して効果的な人工授精ツールを提供することができれば幸いである.

文献
Biographies

百武 徹(ひゃくたけ とおる)

横浜国立大学工学研究院教授

 
© 2022 by THE BIOPHYSICAL SOCIETY OF JAPAN
feedback
Top