2022 Volume 62 Issue 3 Pages 181-183
クモの糸は密度あたりの強度が鋼を上回りながらナイロンに匹敵する伸縮性を併せ持ち,天然繊維の中で最も優れたタフネスを示す再生可能素材である.我々はクモ糸のマルチオミクス解析によって,その高機能発現に欠かせない因子SpiCEを発見し,これを微量添加することで人工クモ糸の強度を2倍にすることに成功した.
「筑波嶺の 新桑繭の 衣はあれど 君が御衣し あやに着欲しも」とは万葉集に収められた詠み人知らずの恋の歌であるが,斯様に古来から私たちはカイコが作る生物由来素材であるシルクを身近な素材として活用してきた.世界的に持続可能な開発目標(SDGs)が定められ,バイオテクノロジーが牽引する新たな産業革命が渇求される今日,タンパク工学で設計可能であり,高機能で再生可能かつ生分解性に優れるタンパク素材が,次世代の高機能材料として再注目されている.中でも,クモの糸は密度あたりの強度が鋼を上回り,ナイロンに匹敵する伸縮性を併せ持ち,天然繊維の中で最も優れたタフネスを示す.近年いくつかの人工クモ糸産業化の試みが成功の兆しを見せつつあるが1),天然クモ糸の優れた物性の再現には未だ至らず,配列と物性の関係性も未知の部分が多く,アミノ酸配列の無限の組み合わせを元に「デザイン」をしていくには前途遼遠である.そこで,我々は網羅的な配列・物性データの収集とマルチオミクス解析を元に,クモ糸高機能発現メカニズムの解明を進めている.
現在約50,000種が記載されているクモは,その全てが何らかの形で糸を利用する肉食動物である.一般的な認識に反して網を張るものはその半数程度に限られるが,営巣,獲物の捕獲,移動,生殖,卵の保護,さらには情報伝達などさまざまな用途に糸は用いられ,この多様性の一つの結実として最も強靭な糸も進化的最適化が進んだものと考えられる.また,クモはそれぞれ複数の種類の糸を作り使い分けている.円網を張るクモであれば,ぶら下がったり移動に用いる強靭な牽引糸,獲物を捕獲するために伸縮性に優れた横糸,捉えた獲物を逃さないように接着性を持つ集合線糸,など,実に7種類もの物性の異なる糸を用途に応じて使い分けている2).さらに,これらの糸遺伝子や実際に糸を作り出す臓器である絹糸腺も糸の種類と同数以上存在し,これら多様な糸遺伝子は全て単系統であることがその配列解析から示唆されている3).つまり,クモはその3億8千万年の進化の過程で少しずつ,共通祖先を持つ配列を変化させながら,片や強度に優れた糸を作り,また一方で伸縮性に優れた糸を作るなど,用途に応じた最適化を行ってきた.よって,現存するさまざまな系統のクモ糸遺伝子とその物性を集め進化を逆に辿ることで,どのような変異,すなわち配列的特性が,どのような物性に寄与しているかを明らかにすることが可能であると考えられる.そこで,我々はまず世界中から1,000種を超えるクモを採取し,その糸遺伝子をシークエンシングによって決定し,巻き取った牽引糸の物性を測定した.クモ糸遺伝子Spidroinは長さが10 kbp程度と通常の遺伝子の十倍程度長く,さらにその大部分がリピート配列によって構成されるため,その全長の決定は困難を極めたが,ナノポアシークエンサーによってまず大まかに全長を決め,ショートリードシークエンサーによってリピートユニットごとにアセンブルした配列をマッピングしエラーコレクションをすることにより全長配列を精度高く決定する手法を確立した4).
7種類のクモ糸の中でも最もタフなクモ牽引糸を構成するタンパクはMaSp1とMaSp2という2種類のSpidroinパラログであるとずっと信じられており,最新の総説でも未だにそう明記するものが後を絶たない5).だが,これは単にSpidroin遺伝子配列全長の決定が困難であるが故に,まともなリファレンス配列が存在しなかったことに起因する.そこで,我々はまず身近にいるクモで比較的優れた物性を示す糸を紡ぐオニグモ(Araneus ventricosus)のゲノムを,そのほぼ全てのクモ糸遺伝子の完全長と共に決定した6).すると,驚くことに,オニグモはMaSp1やMaSp2と明確にパラログファミリーを形成しながらも,そのリピート配列が異なり,かつ異なる物性を示すMaSp3と名付けた遺伝子を持つことが明らかとなった.このMaSp3を含むリファレンスデータを用いて絹糸線のトランスクリプトーム解析と牽引糸のSDS-PAGEやプロテオーム解析を行ったところ,MaSp3はMaSp1/2と同等かそれ以上に糸に含まれていた(図1).さらに,オニグモが含まれるコガネグモ科の十数種のトランスクリプトームアセンブリを比較解析した結果,MaSp3はコガネグモ科でトゲグモの仲間と分岐した以降の全ての大型円網種で保存されていることが示された.つまり,MaSp3は大型円網を支える強いクモ糸を構成する上で欠かせない構成要素であるにも関わらず,高精度なリファレンスの不在によって見過ごされてきたのである.
クモ糸遺伝子全長配列を含む高精度のゲノム解析,絹糸線のトランスクリプトーム解析,牽引糸のプロテオーム解析を組み合わせたマルチオミクス解析から,新規SpidroinであるMaSp3や低分子微量構成タンパクSpiCEの存在を同定した.文献7から転載.
では,MaSp1/2/3が揃えばクモ糸の高機能は説明できるのだろうか.プロテオーム解析やSDS-PAGEで牽引糸を分析すると,Spidroin以外にも多数のタンパクが微量(糸重量の数%程度)に検出されるが,多くは再現性がなかったり,絹糸腺で高発現しているタンパクがそのまま糸に取り込まれていたりするため,実験上のノイズだとみなされることが多い.しかし,高精度のリファレンスを用いれば定量性の高い解析が可能となるため,我々はこの微量成分の中に物性に寄与する因子がないかを探索することにした.この時に注目したのが,クモ糸の物性がクモの体調や摂餌によってある程度変動するという事実である.このため,クモ糸をさまざまな栄養条件で数十サンプル採取し,その時の物性とタンパク構成量比を網羅的に測定した.その結果,微量ながらも再現性高く常に糸の構成成分として検出され,さらに多変量解析によってタフネスに寄与度が高いと予測された遺伝子を見出し,これを微量ながら物性に大きく影響を与える因子とみなしSpiCE(Spider-silk Constituting Element)と名付けた.SpiCEは系統的保存傾向がMaSp3と一致することもその物性への関与が強く示唆された.
ここまでの解析はあくまでも状況証拠からのスクリーニングにすぎないので,次に我々は実際にSpiCEをin vitroで再構成することを試みた7).まず,コガネグモ科で最も強靭な糸を紡ぐジョロウグモの仲間4種のゲノム解析を行い,MaSp3とSpiCEがこれらの種でも確実に糸の構成成分として存在することを示し,この中からSpiCE-NMa1とMaSp2を大腸菌を用いて合成した.そして,MaSp2に,SpiCE-NMa1を1%,3%,そして5%添加したシルク溶液からフィルムを作成し,その物性を測定した.その結果,1%以上のMaSp2-SpiCE混合フィルムは一貫して2倍以上の引張強度を示した(図2A).MaSp2-SpiCE混合の人工糸を作成した際にはフィルムのような強度変化は見られなかったものの,MaSp2単体では見られなかったが天然のクモ糸では特徴的な降伏点,つまり,応力―ひずみ曲線において応力が一定値に達した以降増加せずにひずみだけが急激に増加する特性が,SpiCEの添加で見られるようになった(図2B).このように,SpiCEはわずか1%という微量でも,その名の通り小粒でピリリと効くのである.SpiCEがどのような分子メカニズムによってこのような劇的な物性変化を生み出しているのかについてはまだ未知なところが多いが,MaSpタンパク間の相互作用を促進している可能性が考えられる.
(A)SpiCEとMaSp2によって作成した人工クモ糸フィルム.SpiCE 1%の添加で引張強度が倍以上になっている(右図).(B)SpiCEとMaSp2によって作成した人工クモ糸の応力―ひずみ曲線.SpiCEの添加(右図)でクモ糸に特徴的な降伏点が生じている.文献7から改変.
SpiCEと同様にMaSp1,2,3を合成しフィルム化したところ,WAXS(広角X線散乱)解析によって,MaSp1が主に結晶領域によって強度に,MaSp2が非晶領域によってひずみに効くことがあらためて予測された.MaSp3はその中間的な性質を持つことから,タフネスに寄与すると考えることもできるが,いずれにしてもこれら3つの構成要素とSpiCEが揃い,これら糸タンパク分子やその束が階層的に配向し繊維を形成しなければ強靭なクモ糸は再構成できない.
天然のクモ糸は,Spidroinタンパクが繊維状に束になり,その束が幾重にも束ねられた階層的な繊維構造を示すが,人工的なプロセスでこのような階層構造を模倣することは困難であった.Malayらは近年この階層構造が生み出されるメカニズムを,天然の紡糸過程をin vitroで再現することで明らかにした8).クモ糸を作る臓器である絹糸腺は,糸を放出する糸いぼに近づくにつれて内部のpHが8から5にまで低下する.この紡糸の最初の過程に相当する中性のpHでは,MaSp2タンパクはリン酸塩存在化で液―液相分離(LLPS)を引き起こし,シルクタンパクの液滴が形成されることがまず見出された.さらに,LLPSを形成した状況でpHが酸性にシフトすると,液滴が繊維化し,この繊維化した状態で剪断応力が加えられると,配向した繊維が束になることで特徴的な階層的繊維構造が再現できることが明らかとなった(図3).
クモ糸タンパクは中性pHでリン酸塩存在化で液―液相分離し,さらにpHが酸性にシフトすることで繊維化する.この繊維化した状態で剪断応力がかかることによって,階層的な繊維構造が形成される.スケールバーは10 μm.文献8から転載・改変.
MaSp1/2/3はパラログであり,保存されたN/C末端配列を持つ.このうち,N末端がLLPS形成に必須であることが明らかとなっており,LLPSを介した紡糸は階層構造を生み出すだけでなく,異なる物性を担う複数のMaSpパラログが均一かつ強固な分子間相互作用を実現する上で重要な役割を担っていると考えられる.実際,クモの中でも最もタフネスの高い糸を紡ぐことで知られるダーウィンズバークスパイダー(Caerostris darwini)はひずみを大きくすることによってタフネスを上げているが,そのゲノム解析から本種がひずみに効くと考えられるMaSp2から派生したパラログMaSp4を持つことが明らかになった9).このように,構成要素を多様化し最適化することでクモ糸の高機能性は進化し,それら要素間の分子間相互作用を補助する役割としてSpiCEが関与しているというのが現在我々が考えているモデルである.