Seibutsu Butsuri
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Topics (Young Scientist Series)
Label-free Quantification of Diffusion Constant in Lipid Bilayers Using Diamond Quantum Magnetometry
Hitoshi ISHIWATA
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2022 Volume 62 Issue 3 Pages 190-191

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細胞の外側5 nmの領域を囲う細胞膜(脂質二重層)は,組成・流動性の変化により麻酔薬への細胞反応等細胞の機能を決定する.蛍光プローブを利用せずに計測した脂質二重層の流動性はどのように観測されるのだろうか.ダイヤモンド量子計測を用いたナノスケールNMRによるラベルフリー脂質二重層拡散係数解析法を紹介する.

1.  はじめに(ナノダイヤモンドと薄膜計測)

細胞の外側5 nmの領域に存在し細胞を囲う細胞膜(脂質二重層)はナノスケールの生体構造体であり,市販の薬物の7割以上がこの細胞膜をターゲットとするなど,細胞の機能を決定する最も重要な部分である.細胞膜の機能決定には脂質二重層の組成・流動性が大きく関わっており,例えば麻酔薬の効果は,細胞膜(脂質二重層)における組成変化が膜タンパク質の機能を誘発して発生する1).これまでLaurdanなど様々な蛍光プローブの開発による拡散係数や組成変化に関する研究が行われてきたが蛍光プローブの大きさや重さによる計測結果への影響が懸念されており蛍光プローブを利用しないラベルフリーな計測法の開発が求められている.

ダイヤモンド中のNVセンタは室温で高感度量子計測を実現し,NVセンタを観測対象に対して10 nm以下の距離に配置することで核スピンや電子スピンのラベルフリー計測を可能とする.NVセンタの生体応用代表例であるナノダイヤモンドを用いた次世代蛍光プローブ計測2)はこれまでの蛍光プローブに対して高い生体適合性や蛍光強度安定性により優位性を示す.しかし,ダイナミクス計測ではナノダイヤモンド自体が大きさや重さを持つことから蛍光プローブ同様にその影響が無視できず,またスピン特性劣化やナノダイヤモンド自体の動きを抑制できないためラベルフリー高感度計測は困難である.

筆者は表面近傍10 nm以下の領域に高感度NVセンタを形成する技術を構築し,ナノスケールNMRによる高感度ラベルフリー微小領域核スピン解析技術の開発を行ってきた3),4).ダイヤモンド表面スピン解析技術は細胞計測に利用されるカバースリップ表面にNVセンタが存在する状態に類似しており,カバースリップ表面近傍における高感度ラベルフリースピン解析に適している.例えば筆者はダイヤモンド基板表面に吸着する1 nm程度の吸着分子中のプロトンを計測し,厚みを1 nm以下の精度で導出することが可能であることを実証している(図1左)3).NVセンタを用いた薄膜表面計測は単一タンパク質からの核スピン・電子スピン計測5),6)等世界的にも生体応用が注目されている.

図1

(左)ナノスケールNMRによるプロトン層解析.(右)脂質二重層リン脂質拡散計測.Reproduced with permission7). Copyright 2021, Wiley-VCH.

新規計測技術であるナノスケールNMRは,細胞膜や脂質二重層などカバースリップ表面近傍の高感度ラベルフリースピン解析に適している反面,従来のNMR計測とは異なる計測・解析の制限を持つ.例えば非常に小さい観測体積を持つことから分子拡散の影響が大きく,核スピン計測時間が短いため従来のNMR同様の高周波数分解能NMRは困難である.そこで筆者は発想を転換し,高周波数分解能NMRでなく,微小観測体積を出入りする分子の拡散をNMR信号の緩和時間から高感度に計測することで,ナノスケールNMRを用いた脂質二重層中のリン酸分子拡散係数の導出を世界に先駆けて実現した7)図1右).

2.  脂質二重層ダイナミクスとナノスケール計測

脂質二重層のダイナミクスには様々な要素が関わっておりそれぞれのダイナミクスをどのように扱うのか明確に定義する必要がある.脂質二重層において考慮すべきダイナミクスは,①回転運動~10 nsec,②並進拡散~10 μsec,③フリップフロップ~1 msecの3つである(図2右).それぞれの異なるタイムスケールを考慮し,ナノスケール計測との対応を決定する.フリップフロップ~1 msecに関してはNVセンタの計測が~10 μsecであることから考慮する必要がない.回転運動に関しては計測しているプロトンプロトン間の距離やプロトンの回転時間を考慮する必要があるためMDシミュレーションを導入した(図2左).具体的にはリン酸分子内およびリン酸分子間のプロトンプロトン間距離の計算,および脂肪酸の回転運動相関時間の計算を50 nsecに渡り実施している.筆者はここで計算された結果をもとに拡散係数のみをパラメータとした2次元分子拡散シミュレーションをモンテカルロ法によりpythonを用いて構築した.シミュレーションとナノスケール計測結果を比較することで拡散係数を導出している7)

図2

(左)DPPC分子MDシミュレーション.(右)脂質二重層ダイナミクスとそれぞれのタイムスケール.Reproduced with permission7). Copyright 2021, Wiley-VCH.

3.  ナノスケールNMRを用いた脂質二重層相転移計測

ナノスケールNMRを用いた脂質二重層相転移計測には1,2-ジヘキサデカノイル-sn-グリセロ-3-ホスホコリン(DPPC)リン脂質分子を利用し,ベシクルフュージョン法により脂質二重層を形成した.DPPC分子により生成した脂質二重層は相転移温度(~40°C)へ温度を変化させることでsolid order phase(低拡散係数)からliquid disordered phase(高拡散係数)へと相転移を起こす.ナノスケールNMRを用いたラベルフリー計測による脂質二重層相転移計測を拡散係数の変化から検証した.計測とシミュレーション結果を図3(左)に示す.図に示す相関分光法のシーケンスを利用し,脂質二重層中の水素プロトンが微小領域を拡散により出入りする効果を緩和時間として計測した.計測結果(実線)を2次元分子拡散モデル(破線)と比較することで26.5°Cでの計測結果(赤実線)から1.5 ± 0.25 nm2/μsecの拡散係数,36.0°Cでの計測結果(青実線)から3.0 ± 0.5 nm2/μsecの拡散係数を導出した.温度変化による拡散係数の変化がナノスケールNMRの緩和時間変化から計測されていることがわかる.また,36.0°Cでの計測後に26.5°Cに戻した状態での計測を行い(黄実線)再度同じ1.5 ± 0.25 nm2/μsecの拡散係数を計測し再現性を確認した.

図3

(左)相関分光法による核スピン拡散計測.(右)DPPC分子拡散係数における過去の報告との比較.Reproduced with permission7). Copyright 2021, Wiley-VCH.

4.  その他の計測手法との比較

図3(右)に過去の計測結果と今回の結果の比較を示す.蛍光プローブを利用した計測結果とラベルフリー計測により導出された拡散係数の値に大きな差が存在し,ナノスケールNMRによる計測結果はMAS PFG NMR法によるラベルフリー計測結果と一致していることがわかる.今後蛍光プローブを導入した状態でナノスケールNMRから拡散係数を評価し,蛍光プローブの拡散係数への影響を評価する予定である.

文献
Biographies

石綿 整(いしわた ひとし)

国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構量子生命科学研究所主任研究員

 
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