2023 Volume 63 Issue 3 Pages 163-164
運動性細胞は,狭い生体組織中を素早く移動し,免疫系やガン転移等の生体機能を担う.細胞運動の背景に普遍的な力学的原理はあるのだろうか.我々は,運動性細胞の特徴を抽出した「人工細胞」を開発し,空間的な拘束条件の下で成り立つ運動速度と駆動力の関係式を見出した.実験結果の再現,運動機構,展望について論じる.
細胞の自発運動は形態形成や創傷治癒,腫瘍転移に関わり,その運動原理の理解は生物物理学における重要課題である.近年,生体組織や微小流路などの狭い空間に拘束された細胞の運動様態として“非接着型運動”が注目されている1).上皮細胞などの接着型細胞は基板との強固な接着を介して運動する一方で,非接着型運動ではこの強い接着をはがす必要がなく,10倍以上の速度の効率的な運動が可能である.ガン細胞から免疫細胞に至るまで,生体組織や微小流路中で様々な細胞が非接着型運動を行うことが近年明らかにされ,その普遍的な運動メカニズムに注目した研究が活発に行われている.
非接着型運動で最も重要な役割を担うのは,細胞内に網目状に張り巡らされたアクチン線維と,そこに結合して収縮力を発生するミオシン分子モーターの複合体から成る“アクチン細胞骨格”である(図1a).そして非接着型運動のカギを握るのは,細胞内で生み出された収縮力を細胞外に伝えることで駆動力に変換する“力伝達”のメカニズムにあると考えられている1).細胞表面と周囲環境の相互作用が複雑な生体組織内から,単純化された微小流路に至るまで,様々な細胞種で非接着型運動が可能であることは,その力伝達メカニズムに共通する,系の詳細に依存しない普遍的な力学的原理の存在を示唆している.しかし生きた細胞の研究では,アクチン線維と細胞膜の相互作用の制御が難しく,収縮力活性を制御するシグナル伝達などの副次的要因のために,非接着型運動の背景にどのような力学的原理があるのかを見出すことは困難であった.
(a)実験系の模式図.(b)運動する人工細胞の顕微鏡画像.文献3より改変.
そこで本研究では,複雑な細胞を「アクチン細胞骨格が拘束された微小系」として抽象化した「人工細胞」を作成する構成的手法を採用した.アクチン細胞骨格が含まれる細胞質抽出液をミネラルオイルに分散した液滴(直径50-400 μm)に閉じ込め,細胞膜を模したリン脂質を界面に配列した人工細胞を構築し,アクチン細胞骨格の力学的な寄与のみを独立に調べることを可能にした(図1a)2),3).
本研究では,運動性細胞に共通する特徴である「アクチン細胞骨格と細胞膜の強い結合」が力伝達に重要であると着眼し,アクチン線維と細胞膜の結合を促す脂質膜分子Phosphatidylinositol 4,5-bisphosphate(PIP2)を加えた(図1a).すると,アクチン線維が界面に局在し,運動性細胞に特徴的な“極性”が現れた(図1b).さらに,極性方向にアクチン線維の流れが生じ,生きた細胞のように自発運動を行う人工細胞を世界で初めて開発した(図1b).アクチン線維と膜の相互作用,膜の組成,基板との相互作用を定量的に制御できるため,アクチン細胞骨格の力伝達メカニズムや,3次元的拘束下での運動の物理的性質を調べることが可能である.
人工細胞を高さ30-100 μmの微小流路に挟み込み,空間的な拘束下での運動を解析したところ,微小流路の拘束条件下でのみ活発な自発運動を行った(図2a).人工細胞の膜界面と微小流路には特異的な接着がないため,非接着型運動で移動したと考えられる.さらに,アクチン線維と膜界面の結合を介した力伝達を可視化するため,人工細胞と基板の間に蛍光ビーズを敷き詰めた(図2b).すると,アクチン線維と膜界面の結合がある場合にのみ,アクチン細胞骨格の収縮に伴う流れによって細胞外の蛍光ビーズが輸送された.この結果から,アクチン線維と膜界面の結合という単純な条件のみで,細胞内の収縮力が外部に伝達されることが明らかとなった.
(a)基板の高さの運動への影響.(b)アクチン流動によって輸送される蛍光ビーズ.(c)運動機構の模式図および力伝達と運動速度の関係式.αは摩擦係数,vactはアクチン流動速度,ηoilは周囲の流体の粘性抵抗,G(h/D)は幾何形状のみに依存する関数.(d)運動速度の形状依存性.文献3より改変.
以上の結果を基に,アクチン流動による界面摩擦力と周囲の流体抵抗のバランスによって運動速度が決まるという力学モデルを考案し,狭い空間に拘束された人工細胞の運動速度と力伝達の関係式を導いた(図2c).理論モデルから,人工細胞の閉じ込めの形状(アスペクト比)によって運動速度の増減が決まることが予測された.これを検証するため,基板の高さhと人工細胞の直径Dを系統的に変化させ,運動速度を調べた.その結果,人工細胞と基板の接着面積の増加に伴い運動速度が増すことから,界面摩擦力が接着面積に比例して大きくなることが示唆された(図2d,(i)).一方で,基板の高さが低く狭い空間では運動速度が遅くなることを見出した(図2d,(ii)).この結果は,狭い空間では流体抵抗の寄与が大きくなり,人工細胞の動きが制限されることを意味する.これらの運動速度の変化は理論モデルと一致しており,非接着型運動を閉じ込めの形状で制御できることを明らかにした3),4).
本研究では,単純化した人工細胞を創り,シグナル伝達や接着タンパク質の助けを借りずに,アクチン細胞骨格と膜界面の結合という単純な相互作用から細胞運動が生じ得ることを示した.これにより,幾何学的に課される力伝達と運動速度の関係式を見出し,細胞運動のような一見複雑な現象の背景にある,普遍的な力学的原理を明らかにした.実際の細胞でこの関係式が成り立つかを調べ,細胞運動の普遍性の理解に資する展開を期待したい.アクチン系の再構成は長い歴史を持つが,細胞運動の再構成は我々が知る限り世界初の成果であり,細胞が周囲環境を巧みに利用しながら自律的に動作する原理の解明に貢献するだけでなく,アクチン細胞骨格の自己組織化の物理的理解に寄与し,アクチン細胞骨格の収縮を記述するアクティブ・ゲル物理学から細胞生物学まで広くその発展への貢献が期待される.
本研究は,九州大学の前多裕介准教授のもと博士課程在籍時に実施しました.微小流路は博士研究員(当時)のイズリ・ジャン氏と共同で作成しました.細胞質抽出液は京都大学の宮﨑牧人特定准教授,国立遺伝学研究所の島本勇太准教授に作成して頂きました.この場を借りて厚く御礼申し上げます.