2023 Volume 63 Issue 4 Pages 212-217
ヒトは,味細胞とパターン認識に基づく情報処理を組み合わせることで,膨大な種類の食べ物を判別することができる.我々は,この仕組みに着想を得て,味覚を模倣したバイオ分析法Chemical tongueを開発してきた.本稿では,本技術の原理や設計法,そして,タンパク質や細胞,細菌といった生物試料に適用した例を紹介する.
生命現象を理解するために,多くの研究者がタンパク質や細胞,細菌などからなる生物試料を分析している.こうした試料を特徴づけるための一般的な方法は,抗体や酵素を用いて試料に含まれる特定の物質を‘特異的’に検出することである.しかし,多くの生物試料は数万種類以上の成分で構成されており,数種類程度の限られた成分の情報だけでは,重要な側面を見落として誤った結論を導いてしまう恐れがある.‘網羅的’な検出を目的としたオミクス技術の発展には目覚ましいものがあるが,装置にかかるコストや煩雑な測定プロセス,実験プロトコルに依存する結果のバイアスなどの問題を依然抱えている.
我々は,こうした従来技術の課題を補完し得る技術として,複雑な生体分子や生物試料の全体的な特性を簡易に認識できる分析法‘Chemical tongue’の開発に取り組んできた.本稿では,この技術の原理から材料設計,そして生体分子や生物試料に適用した例を紹介する.
簡潔に述べると,Chemical tongueとは,複数のプローブ材料による‘非特異的’な相互作用を介して標的試料を多角的に調べ,得られたプローブ応答の‘パターン’を認識することにより,試料を識別したり分類したりできる分析技術である1),2).これまでに我々が開発してきたChemical tongueは,典型的には味細胞の働きを模倣した蛍光ポリマープローブのセットと,脳の働きを模倣した多変量解析あるいは機械学習で構成される(図1)2).
Chemical tongueの模式図.(a)蛍光ポリマーセットのアレイによる味覚の模倣.(b)Chemical tongueのためのプローブ設計の例.20種類のタンパク質の蛍光パターン(c)と多変量解析を用いた識別(d).文献5の図を改変.
分析は以下の流れで行う.まず様々な構造の蛍光ポリマーの水溶液を並べたアレイを準備する(図1a, b).アレイには,96穴や384穴のマイクロプレートを利用することが多い.ここに生物試料を加えると,各々のポリマーが試料中の成分と多様に相互作用し,その強弱が蛍光スペクトルの変化として出力される.検出された各ポリマーの蛍光応答をひとまとめにすると,それらは試料の特徴を反映した‘蛍光パターン’となる(図1c).最後に,多変量解析や機械学習を用いて,得られたパターンを比較解析することで試料を評価する(図1d).
Chemical tongueを構築するうえで,特に重要な点はプローブ材料の設計である.前提として,蛍光応答を得るために,使用するプローブが標的試料と相互作用できる必要がある.タンパク質のようにサイズが大きな分子や,生体分子が集積してできた細胞や細菌を標的にする場合,多点的に強く相互作用できる荷電性のポリマーやナノ粒子が骨格材料として選択されることが多い2).
我々は,荷電性の合成ポリマーを骨格とし,そこに以下の二つの機能ユニットを導入する設計法を提案している(図1b).一つは,‘認識ユニット’である.疎水性や荷電性の異なる様々な化学構造をポリマーに導入することで,試料の構成成分に対するポリマーの親和性を変調させることができ,これによって多角的に試料を調べることが可能になる.もう一つはポリマーと試料の相互作用情報を蛍光シグナルに変換させるための‘出力ユニット’である.主には周辺環境の変化に応答して蛍光が増減する蛍光団が使用される.極性変化に応答するダンシル基3)や分子内回転運動の阻害に応答するテトラフェニルエチレン基4)は,結合によって蛍光が生じるTurn-ONタイプの蛍光団であり,感度の面で優れている(図1b).
これらのポリマーの溶液を配置したアレイによって得られた蛍光パターン(図1c)を後述する多変量解析や機械学習によって処理することで,パターンの差異に基づいて生体分子や生物試料を見分けることができる.例えば,図1dに示したように,わずか3種類の蛍光ポリマーにより20種類の精製タンパク質を高精度に識別することに成功している(図1d)5).
Chemical tongueによって得られる蛍光パターンはほとんどの場合,図2aに示されるように多変量であるため,そのままではパターン間の違いを理解することが難しい.そこで,多変量解析や機械学習を利用して,複雑なパターンを視覚的に解釈できる形式に変換して表現しなおしたり,あるいは評価モデルを作成してその精度を定量的に評価したりする.本節では,使用される頻度の高い多変量解析法を二つ概説する(より詳細な解説については文献6も参考にされたい).なお,ここで紹介する解析法はSYSTAT(Systat Software Inc社)など,比較的安価なソフトウェアを用いて簡単に行うことができる.
典型的な蛍光パターンと多変量解析結果.(a)8種のプローブ(A~H)によって得られた5種類の標的試料(①~⑤)の蛍光パターン(n = 11).(b)HCA樹形図.(c)LDAスコアプロット.
多変量解析は‘教師なし(unsupervised)’と‘教師あり(supervised)’に大きく分けられる.両者の違いは,解析に使用する蛍光パターンに‘試料の分類ラベル’を付与して,そのラベル情報を解析の際に考慮に入れるかどうかである(図2a).ラベルとしては,例えば,タンパク質の種類(リゾチームやヘモグロビンなど)や濃度(100 nMや200 nMなど)などの情報が用いられる.大雑把に述べると,教師なしの解析は「パターン間の関係を理解する」ため,教師ありの解析は「評価モデルの精度を見積もる」ために使用される.
代表的な教師なしの多変量解析法として,階層的クラスター分析(HCA)が挙げられる(図2b).HCAは,パターン間の距離が近い組み合わせを順番に結んでいく解析法である.図2bは,図2aで示された8種類の蛍光プローブを用いて①~⑤の5種類の試料を11回ずつ測定して得られた蛍光パターンを,HCAによって解析することで得られた樹形図である.試料の分類ラベル情報を用いずに解析を行ったにもかかわらず,5種類の試料を繰り返し測定することで得られた11個のパターンは各々がひとまとまりのクラスターを形成している.これは,「異種の試料間のパターンの差異」が「同種の試料のパターンの試行間のばらつき」よりも十分に大きいことを意味する.言い換えると,①~⑤の試料由来の蛍光パターンの間には大きな差があるということである.また,5種の試料のうち,①と③が初めにクラスターを形成している.これは5種のなかでは,①と③のパターンが最も類似しているということを意味する.この類似性は,図2aの棒グラフからも読み取れるのではないかと思うが,HCAを用いることでその差をよりはっきりと視覚化および定量化することができる.こうした直感的な差異を数値化できる点が,多変量解析を使用する利点の一つである.
教師あり多変量解析法でよく利用されるのは,線形判別分析(LDA)である.上述のように,この方法では,蛍光パターンにラベル情報をあらかじめ付与した状態で解析する.図2cは解析結果の例であり,LDAスコアプロットなどと呼ばれる.この図は,異なるラベルの蛍光パターンをできる限り分離する2次元平面に蛍光パターンの散布図を射影することで作成されたものである.横軸(第1判別スコア,LD1)が最もクラスターを分離する軸であり,縦軸(第2判別スコア,LD2)がそれに続く軸である.図中の各点は,1回の測定によって得られた蛍光パターンと対応する.図2cにおいて,①~⑤にそれぞれ由来する11個の点は,いずれも他の試料と重なることなくクラスターを形成していることから,5種のサンプルを高精度に識別できることが示唆される.この図は,次に説明する交差検証の結果と概ね一致するので,モデル評価に先立ってChemical tongueの識別性能を見積もるために用いられることが多い.また,90%や100%といった精度の数値を示すだけでは開発したChemical tongueの特性が伝わりにくいため,読み手の理解を助けるための視覚化ツールとしても使われる.
LDAプロットから高い精度が期待できる場合,続いて,交差検証という手法によって,Chemical tongueの性能が評価される.交差検証では,蛍光パターンのデータセットを,評価モデルを作るためのデータ「学習データ(training data)」と,それを評価するためのデータ「テストデータ(test data)」に分割する.ここでは詳細は割愛するが,leave-one-out交差検証やk-分割交差検証と呼ばれる方法がよく使用される.
上記で紹介した方法以外にも,データのサイズや質,目的に応じて様々な多変量解析・機械学習法が使用されるが,Chemical tongueによる分析を初めて行う場合は,この二つが使用できれば十分である.
ここからは,Chemical tongueを利用した生物試料評価の例を幾つか紹介したい.図1dでは,Chemical tongueによって精製タンパク質を識別する例を示したが,Chemical tongueの重要な特長は,組成不明の複雑な生物試料であっても,得られた蛍光パターンを基に比較分析できる点にある.これによって,試料が正常どうかを判断したり,その状態を分類したりすることができる.本節では,その一例として,Chemical tongueによる細胞試料評価を紹介する.
がん細胞の同定は,原発巣を特定するうえで重要である.一般的には,抗体を利用して目的の細胞種に対するバイオマーカーを検出することで,がん細胞が同定される.しかし,バイオマーカーは複雑な細胞プロセスの組み合わせの結果として産生されるため,その検出は細胞状態についての確たる根拠を与えない.Chemical tongueは,細胞表面の全体的な分子組成を認識できるため,この課題を解決できる可能性がある.
図1bに示した蛍光ポリマーは,タンパク質や脂質,多糖類など,細胞表面の構成成分全体と多様に相互作用することができる(図3a).このため,蛍光ポリマーのアレイに細胞懸濁液を加えることで,細胞固有の蛍光パターンを取得することが可能である.10種類の哺乳類細胞をChemical tongueで分析した結果,蛍光応答パターンのLDAプロットでは,各々の細胞のクラスターが重なることなく分離し(図3b),leave-one-out交差検証でも100%の識別精度を示した5).
加えて我々は,悪性度の異なる乳がん細胞株(MDA-MB-453およびMCF-7)の混合試料の組成を識別できることも見出している(図3c)7).以上のように,Chemical tongueは,マーカー分子の検出に頼ることなく,細胞の種類を同定したり,転移性を検出したりできる.そのため,本技術は,細胞の仕組みを解明するための基礎分野から細胞診のような応用分野に至るまで,幅広い応用の可能性があると期待される.
さらにChemical tongueは,細胞そのものではなく,培養細胞が培地中に分泌した成分の認識にも利用することができる(図4a).図4bには,幹細胞の分化誘導過程のモニタリングに適用した結果を示した8).まず骨髄由来間葉系幹細胞株(UE7T-13)を播種し,骨芽細胞への分化誘導を開始した.一定期間の誘導を行った後に,1 vol%のウシ胎児血清を含む培地に交換し,48時間後に培地試料を採取した.Chemical tongueによって,この試料を分析したところ,LDAスコアプロットにおいてクラスターが重なることなく分布し,leave-one-out交差検証によって96%の精度で識別することが可能であった.さらには,誘導の進行に伴うクラスター位置の移動の傾向が,誘導の有無によって大きく異なることが判明した.これは,多量の血清タンパク質が共存していたとしても,分化による分泌成分の変化に関する情報をChemical tongueが抽出できることを意味する.
Chemical tongueによる細胞分泌成分の認識.(a)模式図.(b)間葉系幹細胞の骨芽細胞への分化誘導過程で採取した培地の蛍光パターンとLDAスコアプロット.文献8の図を改変.
この他にも,本技術は細胞の老化9)や抗がん剤に対する応答10)の非破壊的なモニタリングなど,様々な細胞プロセスの評価に適用可能である.
ヒトの腸内に生息する細菌の集団(腸内細菌叢)は疾患と深くかかわっており,その組成の改善によって生活習慣病の改善やがんの治療などに繋がる可能性が明らかになりつつある.細菌の外膜表面は,真核細胞と同様に,タンパク質や脂質,糖鎖など様々な生体分子で構成される.我々は,こうした細菌やその集団である細菌叢の特徴を認識可能なChemical tongueの開発にも取り組んできた(図5a)4).これによって,単離された腸内細菌の識別だけでなく,正常マウスと睡眠障害モデルマウス由来の腸内細菌叢を判別することにも成功している(図5b).
Chemical tongueによる腸内細菌叢の認識.(a)模式図.(b)マウス由来の腸内細菌叢のLDAスコアプロット.文献4の図を改変.
このアプローチは,標準的な腸内細菌叢の解析法であるアンプリコンシーケンス解析とは全く異なる角度から細菌叢を特徴づけることを可能にする.加えて,従来技術よりも,迅速,簡便かつ安価に実施できることから,将来的に個人の健康状態のモニタリングへの応用などが期待できる.
本稿では,味覚の仕組みを模倣したバイオ分析技術Chemical tongueに関して概説した.ここで改めて特異性に基づいた従来技術との比較を行いたい.表1には,我々が報告してきたChemical tongueの特徴をまとめたので,そちらも参照いただきたい.
生体分子・生物試料 | プローブ | 試料濃度 | Ref. | |
---|---|---|---|---|
骨格材料と認識ユニット | 出力ユニット | |||
タンパク質 | 異なるアミノ酸を導入したPEG-b-PLLa | フルオレセイン | 20 μg/mL | 5 |
異なる由来のアルブミンおよび様々な化学修飾を受けたアルブミン | 様々なpHおよびイオン強度の水溶液に溶かしたPLLb | ダンシル | 3~20 μg/mL | 3 |
加熱処理をした抗体 | 酸化グラフェンと配列の異なる一本鎖DNAの複合体 | テトラメチルローダミン | 0.1 mg/mL | 12 |
プロテアーゼ | 配列の異なる一本鎖DNA | テトラメチルローダミン | 10~50 μg/mL | 11 |
様々な濃度比のプロテアーゼ/阻害タンパク質の混合液 | 配列の異なるDNAアプタマー | テトラメチルローダミン | 0~120 nM | 11 |
細胞懸濁液 | 異なるアミノ酸を導入したPEG-b-PLL | フルオレセイン | 10000 cells/mL | 5 |
細胞懸濁液 | 様々なpHおよびイオン強度の水溶液に溶かしたPLL | ダンシル | 2500~20000 cell/mL | 7 |
様々な細胞株の培養に使用した無血清培地 | PEG-b-PAMAc誘導体とアニオン性酵素の複合体 | 酵素反応 | 0.25 μg/mL(総タンパク質濃度) | 13 |
異なる系統に分化させた間葉系幹細胞の培養に使用した無血清培地 | PEG-b-PAMA誘導体とアニオン性酵素の複合体 | 酵素反応 | 0.25 μg/mL(総タンパク質濃度) | 13 |
様々な分裂回数の線維芽細胞の培養に使用した無血清培地 | PEG-b-PAMA誘導体とアニオン性酵素の複合体 | 酵素反応 | 0.67 μg/mL(総タンパク質濃度) | 9 |
様々な条件で薬剤処理した肝臓がん細胞株の培養に使用した無血清培地 | 様々なpHおよびイオン強度の水溶液に溶かしたPLL | ダンシル | 10~50 vol%(採取した培地濃度) | 10 |
様々な細胞株の培養に使用した,1%血清を含有する培地 | 分子量の異なるPLL,PEG-b-PLL,PAMAMデンドリマーd | ダンシル | 5 vol%(採取した培地濃度) | 8 |
分化誘導中の間葉系幹細胞株の培養に使用した,1%血清を含有する培地 | 分子量の異なるPLL,PEG-b-PLL,PAMAMデンドリマー | ダンシル | 5 vol%(採取した培地濃度) | 8 |
単離された腸内由来細菌 | 荷電性や疎水性の異なる様々な官能基を導入したPEG-b-PLL | テトラフェニルエチレン | OD600 = 0.04 | 4 |
単離された異なる株の大腸菌 | 荷電性や疎水性の異なる様々な官能基を導入したPEG-b-PLL | テトラフェニルエチレン | OD600 = 0.04 | 4 |
正常および睡眠障害マウス由来の腸内細菌叢 | 荷電性や疎水性の異なる様々な官能基を導入したPEG-b-PLL | テトラフェニルエチレン | 20 μg/mL | 4 |
a ポリエチレングリコールとポリ-L-リジンのブロック共重合体,b ポリ-L-リジン,c ポリエチレングリコールとポリ(N,N-ジメチルアミノエチルメタクリレート)のブロック共重合体,d ポリアミドアミン.
まず感度については,プローブの性能によって異なる.例えば,多点的に強く相互作用することが可能なポリマーを使用する場合,緩衝液中であれば数 nM程度のタンパク質を検出し,識別することが可能である.より解離定数の小さいプローブを使用すれば,抗体や酵素と同等の高い感度も実現でき得る.ただし,非特異的な相互作用に基づいたChemical tongueの場合は,血清のような夾雑成分が含まれていると感度は低下する.アプタマーのような特異性の高いプローブを使用すれば,夾雑物の影響を回避して数十nMのタンパク質を検出することが可能になる11).
次にコストについて.これまでに報告してきたChemical tongueは,分析に必要なプローブをミリグラムからグラムスケールで比較的安価に合成でき,また分析時の濃度が薄い(100~1000 nM)ために,プローブにかかるコストはごくわずかである(384穴のマイクロプレートの場合,1ウェルあたり20~80 μL).したがって,マイクロプレートなどの消耗品や検出用の装置(マイクロプレートリーダーなど)が主なコストとなる.この点は高価な抗体や酵素を用いる従来技術と比べると優れた点であろう.
最後に,その他の点についての比較を述べる.Chemical tongueを利用するメリットのうち,とりわけ重要なのは,‘特異性’の課題を回避できる点である.従来法で利用される,標的分子の特異的な認識が可能な抗体・酵素を新たな標的に対して一から作製するのは骨が折れるし,特異性の高いプローブ材料を人工的に設計・合成することも容易ではない.蛍光ポリマーのアレイと多変量解析を利用すれば,この特異性という‘質’に関する問題を,‘数’の力で解決できる.
ただし,Chemical tongueには弱点もある.従来の特異的および網羅的な手法では,検出対象が明らかであるために,得られた結果を過去の生物学的な知見と結び付けやすい.これに対してChemical tongueは,試料中の個々の成分に関する情報を得るのには適していないため,特定のマーカー分子の検出や探索といった用途には基本的に不向きである.
以上に述べてきた比較からわかることは,非特異性に基づくChemical tongueと特異性に基づくアプローチでは,認識する生物試料の特性が全く異なるという点である.したがって,これらの手法を相補的に用いることで,より詳細な試料の理解が可能となるだろう.将来的にChemical tongueが様々な実試料に適用されることで,新しい生命現象の解明に繋がることを期待したい.