2024 Volume 64 Issue 2 Pages 104-107
ラマン分光フローサイトメトリーの開発により,従来法では困難であった無標識測定や超多色測定が可能となってきている.本稿では筆者らが最近開発した高速・広帯域ラマン分光フローサイトメトリー法を概説し,無標識での微細藻類分析・分取やラマンラグを用いた超多色測定への応用を紹介する.
細胞には遺伝子発現の違いから様々な個性があることが知られており,多様な生命現象はそれらが複雑に関わり合うことで成り立っている1).そのため生命現象の理解には細胞の個性に注目することが重要であり,個々の細胞の性質を分析する一細胞分析と呼ばれる分野が関心を集めてきた.特に大規模細胞集団の分析や希少細胞の検出へは一細胞分析の高スループット化が重要であり,マイクロ流路中に細胞を流し光学測定を行うフローサイトメトリーという手法が広く用いられている.初期のフローサイトメトリーでは光の吸収や散乱の強度などの簡単な物理的測定のみが行われていたが,細胞表面タンパク質などの標的分子に特異的に結合する化学プローブ,特に蛍光プローブを用いた蛍光フローサイトメトリーの開発により,個々の細胞の化学的性質の測定が実現された.また蛍光タンパク質の利用や細胞分取への応用に加え,蛍光波長の異なる複数の蛍光プローブの多色検出により複数種類の標的分子の同時測定が実現されるなど,ますます応用の幅が広がっている.
近年,フローサイトメトリーの新しい展開として,ラマン分光法を測定モダリティとして採用した手法が提案されている2),3).この分光法は,対象分子に光を照射した際にそのうちの一部が入射光と異なる波長で散乱されるラマン散乱という現象を利用しており,このとき入射光と散乱光の波長の違い,つまりエネルギー差が対象分子の振動エネルギーに対応することが知られる.そのため,例えば最もシンプルかつ現在広く用いられる自発ラマン分光法では,単色光を照射し散乱光のスペクトルを測定することで,対象分子の分子振動の情報を直接得られる.ほとんど全ての分子にはラマン分光法で検出可能な振動モードがあり,それらがスペクトル上で線幅の細いピークを示すことから化学的特異性も高いため,蛍光測定とは異なり化学プローブを用いることなくラベルフリーで細胞の化学的情報を得ることが可能となる.そのため化学プローブが生体分子の挙動へ与える影響を抑えることができることに加え,代謝生成物などの標識の難しい小さな分子の検出も可能であるという利点がある.また化学プローブを用いた場合においても,ピーク線幅の細さはスペクトル上で区別可能なプローブの種類が多くなるという利点へと直結する.このように蛍光にはない特徴を活用することで,蛍光では実現困難な測定がラマン分光フローサイトメトリー2),特に後述するフーリエ変換CARS(FT-CARS)フローサイトメトリーによって可能となってきている(図1)3),4).
様々なフローサイトメトリー法の比較.
このような大きな可能性にもかかわらず,ラマン分光法にはスペクトル取得時間が長いという課題があり,フローサイトメトリーへの応用例は少ない.先に応用の進んだイメージングの分野においては長時間の信号積算やスペクトル取得帯域を絞ることでこの問題を解消してきたが,フローサイトメトリーにおいては,高速一細胞解析という趣旨に照らしても,細胞が通過するまでの短時間での広帯域スペクトル取得が求められる.近年では光源の高出力化・安定化や,以下に紹介するコヒーレントラマン分光法など,ラマン分光フローサイトメトリーに必要な要素が整備されてきている.
従来の自発ラマン散乱における散乱光強度の低さという課題を解消するため,誘導ラマン散乱(SRS)5)やコヒーレント反ストークスラマン散乱(CARS)6)などを用いたコヒーレントラマン分光法が開発され,これまで主にイメージングの分野で用いられてきた.これらの手法では分子振動がコヒーレントに励起され検出されるため,従来の自発ラマン分光法と比べ高い信号強度が得られるという利点がある.しかしながら依然として,フローサイトメトリーへの応用においては,SRSでは短時間で測定可能なスペクトル帯域の狭さが,CARSでは非共鳴バックグラウンド(NRB)と呼ばれる成分によるスペクトルの歪みが課題であった.
このような課題を解決した手法として,筆者らはFT-CARS法を開発し,高速(24000スペクトル/秒)・広帯域(400-1600 cm–1)スペクトル取得を実現した7).この手法ではパルスレーザー光源を用い,マイケルソン干渉計を通して一定の時間差を持ったパルスのペアを生成する.生成されたパルスの一方はポンプ光として対象分子に照射されるが,このとき対象分子では様々なモードの分子振動が同時に励起され,その後分子振動に伴って電気感受率が周期的に変化する.さらに一定時間後にもう一方のパルスをプローブとして照射することで,その変化の一定時間後での時間発展を計測することができる.このとき2つのパルス間の時間差を高速スキャンすることにより,時間領域での分子振動波形が高速で得られる.この波形において,従来の周波数領域CARS分光法で問題となっていたNRBは時間遅延が0付近の領域に集中するため,その領域を除いたものをフーリエ変換することで,歪みを抑えたスペクトルの取得が実現された.
筆者らはFT-CARS分光法を用いた細胞解析法として,本分光手法とマイクロ流体技術を組み合わせた高速・広帯域ラマン分光フローサイトメーターを開発した(図2)3).この装置のマイクロ流体デバイスはピエゾ素子を用いた音響フォーカシングにより細胞がレーザーの集光点を通って流れるように設計されており,高い細胞流速においても再現性の高いスペクトル測定が可能となる.この装置により,2000細胞/秒のハイスループットでの細胞解析が実証された.
FT-CARSフローサイトメーターの概略図.
開発したフローサイトメーターを用いて,ヘマトコッカス細胞中のアスタキサンチン含有量の無標識評価を行った.アスタキサンチンは高い抗酸化作用を持つカロテノイドの一種で,生体内での活性酸素による有害反応を抑制する効果が期待されているものの,従来の蛍光フローサイトメトリーでは測定が困難であった8).ヘマトコッカス細胞では特に窒素欠乏下アスタキサンチン生成が活性化されることが知られ,筆者らはその条件下でそれらを0-5日間培養し,各日ごとに細胞のラマンスペクトルを測定した.図3aに示す各日ごとの細胞の平均ラマンスペクトルでは,時間経過とともにクロロフィル由来のピーク(750 cm–1)強度が減少し,アスタキサンチン由来のピーク(1155 cm–1および1520 cm–1)強度が増大していく様子が見られる.図3bは細胞内のクロロフィル量に対する相対的なアスタキサンチン量に関するヒストグラムであり,時間経過に伴って細胞内のアスタキサンチン含有量が増加している様子が読み取れる.
FT-CARSフローサイトメーターによる細胞内代謝生成物量の測定.(a)窒素欠乏下におけるヘマトコッカス細胞の平均ラマンスペクトル(0,1,4,5日:n = 8000,2,3日:n = 6000).(b)細胞内のクロロフィル含有量に対するアスタキサンチンの含有量に関するヒストグラム.
さらに,近年筆者らは無標識ラマンフローサイトメトリーを細胞分取技術と組み合わせることで,20細胞/秒を超えるスループットでの細胞分取に成功した9).この細胞分取法では,マイクロ流体デバイスを流れる細胞のラマンスペクトルをリアルタイムで解析し,その解析結果に基づいて個々の細胞の進路を変更することで分取を行う.具体的には,ユーグレナおよびヘマトコッカス細胞を混合したサンプルをFT-CARSフローサイトメーターで測定し,まずそれぞれの細胞中の代謝生成物であるパラミロン(1092 cm–1)およびアスタキサンチン(1156 cm–1)由来のピーク強度に基づいて散布図を作成した(図4a).そのうちヘマトコッカス細胞のみを分取することを目指し,アスタキサンチン含有量の多い細胞を分取した.分取された細胞について顕微鏡画像をもとに検証を行ったところ,90%の純度でのヘマトコッカス細胞の分取に成功したことが確認された(図4b).
FT-CARSフローサイトメトリーによる細胞分取.(a)細胞中の標的分子含有量に関する2次元散布図.(b)分取された細胞の画像および細胞計数結果.
筆者らはさらにFT-CARSフローサイトメーターで検出可能な色素を複数種類開発し,それらを応用した超多色フローサイトメトリーを行った4).ラマン分光法では得られるスペクトル線幅が狭いため,原理的に百種類を超える色素分子を同時に測定・分離可能であるという利点がある一方で,得られるラマン散乱光強度は蛍光色素分子から得られる蛍光強度と比較して非常に弱いという欠点がある.この点を解消するため,FT-CARS分光計に用いるパルスレーザーの発振波長(~800 nm)に近い吸収波長(~750 nm)を持つシアニン色素を用い,共鳴ラマン効果により低い検出限界(8 μmol/L)を実現した.さらに,シアニン色素を直径40 nmのポリスチレン粒子に高密度で充填したRdot10)と呼ばれるラマンタグを合成することで,さらに低い検出限界(12 nmol/L)を実現した.無標識フローサイトメトリーでは細胞内濃度が高くラマン散乱断面積も大きい代謝生成物のみ検出可能であったが,これにより表面抗原マーカー等の幅広い対象が測定可能となる.さらに多色測定のため,筆者らは官能基の導入や同位体置換により20種類のシアニン色素を用意し,それらのラマンスペクトルが統計的に分離可能なことを示した.そのうち12種類の色素を用いて合成されたRdotがヒト乳がん細胞(MCF-7)にそれぞれ投与され,FT-CARSフローサイトメーターによってそれらの一細胞ラマンスペクトルが測定された(図5a).得られたスペクトルをもとに,それぞれの細胞に取り込ませたRdotの種類の推定を行ったところ,98%の精度が実現された.
ラマンタグを用いた多色フローサイトメトリー.(a)12種類のRdotによって染色されたMCF-7細胞の一細胞ラマンスペクトル.(b)Rdotを用いたエンドサイトーシス活性の時間追跡実験の概要.(c)細胞のエンドサイトーシス活性に関するバイオリンプロット(n = 2000).
さらに,Rdotを用いたエンドサイトーシス活性の大規模時間追跡を行った.この実験では,細胞を10分ごとに異なる種類のRdotとともに培養し,時間ごとのエンドサイトーシス活性を,それぞれの時間に投与されたRdotの取り込み量によりエンコードした(図5b).また同様の手順に加え,エンドサイトーシス阻害剤であるスクロースの影響を調べるためRdot投与開始から20分後以降全ての培地にスクロースを加え培養した細胞サンプルを作成した.その後それぞれの細胞についてスペクトルの測定を行い,用いた6種類のRdotの持つスペクトル成分の寄与率を計算することで,各時間におけるエンドサイトーシス活性を測定した.その結果,阻害剤が投与されていない細胞のエンドサイトーシス活性はRdot投与開始後20-40分で最大であること,および阻害剤が投与された細胞では20分以降のRdot取り込みが抑制され,投与後すぐに阻害剤の効果が表れることが示された(図5c).これはスクロースによるエンドサイトーシス抑制量が10%程度という過去の研究と一致する10).Rdot表面には抗体やDNA断片などを結合させることで化学的選択性を与えることが可能なため11),今後さらにタンパク質やDNAの定量への応用が期待される.
本稿では,高速ラマン分光法を用いた大規模細胞解析法について概説した.特に,筆者らが近年開発してきた,FT-CARSを用いたハイスループットフローサイトメトリーとその藻類の代謝解析への応用,広帯域ラマンスペクトルに基づく細胞分取,さらにラマンタグとの組み合わせによる超多色細胞解析への応用を紹介した.また,本稿では紙面の都合上紹介できなかったが,大環状分子を用いた分子間距離の制御によるRdotの輝度向上12)や圧縮センシングによるFT-CARS信号の効率的取得・解析13),14)なども実証されてきている.これらの手法を用いることで,細胞の無標識指向性進化や細胞集団の超多次元サブタイピングなど様々な応用展開が期待される一方で,従来の蛍光フローサイトメトリーと比べた感度の低さはその応用を阻む大きなハードルとなっており,今後の技術開発が望まれる.光源の安定化,高出力化や検出光学系の高精度化といった光学的アプローチのみならず,よりラマン散乱断面積の大きなラマンタグの開発といった化学的アプローチ,圧縮センシングなどの情報的アプローチを協奏的に用いることで,多くのバイオ研究者にとって“使える”技術を目指して発展させていきたい.
西山 諒(にしやま りょう)
東京大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程
古屋圭惟(ふるや けい)
東京大学大学院理学系研究科化学専攻修士課程
平松光太郎(ひらまつ こうたろう)
東京大学大学院理学系研究科スペクトル化学研究センター助教
合田圭介(ごうだ けいすけ)
東京大学大学院理学系研究科教授