Seibutsu Butsuri
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The Front-side and Back-side of Career Path Articles
Kaoru SUGIMURA
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2024 Volume 64 Issue 2 Pages 110-111

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1.  私の研究歴

物心ついた頃から,「自分が何をして生きてゆくのか」が大きな関心事だったが,答えはさっぱりわからなかった.年中の学年になり幼稚園に通い始めると,同級生たちが無邪気に「お菓子が好きだからケーキ屋さんになる」などと言うので驚いた.中学校の理科の実験と高一の夏休みに読んだ入門書がきっかけで,生き物を物理学の視点で理解することに魅力を感じ,生物学者になると決めた1)

自宅から15分で通える東大の理IIではなく京大の理学部に進学したのは,薬学や農学などの生物系志望の学生が集まる理IIよりも,純粋数学からマクロ生物学まで学生の興味が多様で,理学を幅広く学べる京大理学部に魅力を感じたからだ.実際,学部の前半二年間は化学と物理学を中心に様々な分野の講義を履修した.原田崇広くんらS5(理学部5組)のクラスメイトと比べて自分は特段優秀だった訳ではないが,この二年間で身につけた理系の基礎学力はのちのち役に立った.

三年に進級して系登録を済ませると,どの研究室に進もうかという話があちらこちらで聞かれた.当時の京大理学部では,生物学実習を履修した研究室の中から卒業研究を行う研究室を選ぶのが一般的だった.私は一回生の頃から興味を持っていた某分野の〇〇研や細胞間接着の竹市研などの実習を履修することにした.ちなみに,〇〇教授の講義の期末試験で100点を取ったのは私が初めてだったそうだ.〇〇研の実習では十分な数のサンプルが与えられ,満足ゆくまで実験を楽しめた.しかし,実習の手伝いにきていた上級生の様子から,この集団の中で女子が一人で安心して過ごせるかに疑問をいだき,〇〇研は卒業研究の選択肢から外すことにした.別の学年の女子学生も同じ印象を持っていたので,私の気のせいでもなさそうだった.結局,竹市研の実習で顕微鏡観察を丁寧に指導してくれた上村匡助教授が新しく立ち上げる研究室で卒業研究をすることに決めた.

上村研では,ショウジョウバエ末梢神経系のdendritic arborization (da) neuronを材料に用いて,樹状突起のパターンの多様性が生みだされる仕組みの研究に取り組んだ.枝の成長をライブで観察したり,枝を折って周りの枝の応答を調べたり,どこか牧歌的な記載型の研究が自分に合っていた.最初の論文は,竹市研上村グループ時代を含めても研究室で初めての変異体を扱わない論文になった2).こうして,自分なりのサイエンスの一歩を踏みだすことができた.

博士二年の秋に二報目の論文を発表し,学位取得後の進路について考え始めた頃,S5で一緒だった三木健くんからネットワーク構造に関するバラバシの著書3)をお薦めするメールが届いた.ちょうどよい機会なので関連論文をまとめて研究室の抄読会で紹介した.それ以降,システム生物学に興味を持つようになったが,学位取得後の進路は神経科学を第一に考えていた.

博士三年の夏に幸運にもMarine Biological Laboratoryの神経生物学のサマーコースに参加する機会を得た.数学や物理学において自分よりも遥かに優れていると思われた神経生物学者たちとの交流を楽しみにしていたが,コースが二週目に入った頃には,参加した学生の中で数式を理解するのは自分が一番得意なことがわかった.ある日の休み時間にシステム神経科学の教室へ偶然,足を踏み入れたことがあった.誰もいない教室で数式とグラフが並ぶ黒板を眺めていると,「自分が好きなのはこっちだ」と確信に近い感情が芽生えた.

サマーコースを修了し,帰国してからは数理生物学や非平衡物理学の関連書籍を読み漁った.留学先を選定するにあたり,自分は生命をシステムとして理解したいのであって,特に対象を神経系に限定する必要はないと判断した.むしろ,より単純な系で問題を定義するのが適切だろうと考えた.十分に単純ながら,集団レベルで表出する生命らしさに迫れる多細胞系.そうした系でシステム生物学研究を行っている研究室を探したが,能力と人脈が不足していたため,よい候補を見つけることができなかった.そこで,将来どのような研究テーマを設定するにせよ,研究手法はイメージング技術を中心に据えるのは変わらないだろうから,この際,イメージング技術を徹底的に学ぶのもよいだろう,留学先はその間に見つけようと考えた.理化学研究所の宮脇研にポスドクの受け入れ可能性を問い合わせ,翌年から基礎科学特別研究員として採用されることとなった.

博士三年の後期は留学先を探すのと並行して,樹状突起パターン形成の数理モデルを作ることを試みた.幸い,博士三年次から学振DC2に採択されていたため,学位取得後の一年間を学振PDとして過ごせることになっており,時間的な余裕があった.没にするアイデアすら思いつかない日が続いていたが,光受容最大化に基づく樹形モデルがヒントとなり,Class IV da neuronの樹状突起を数理で表現できそうなことに気がついた.(自分が観察してきたニューロンの中で)最も複雑なかたちが最も単純なロジックで作られることに妙に納得したのを覚えている.学位公聴会を終えると,京都から岡崎に定期的に通って,望月敦史基礎生物学研究所助教授の指導を仰ぐことになった.望月さんが数理生物学の思考と手法を基礎から丁寧に教えてくださったお陰で研究は順調に進み,一年後に論文として発表することができた4)

石原秀至さんとは望月研で知り合った.ずっと雑談しかしていなかったのだが,理研に着任する少し前に二人で話し合い,個体発生の力学を一緒に研究することになった.力はかたちとパターンに本質的に重要なはずで,その動作原理を解き明かすことに挑戦したいと思った.宮脇さんにもサポートしていただき,以降,現在に至るまで,機械的な力による多細胞秩序形成を研究している.

2.  表(オモテ)面と裏面

前節がキャリアパスの表(オモテ)面とすれば,語り手が誰であれ,所属機関や同業者との関係,または私的な事情など,公にできない裏面が存在する.表面を読む限りは順風満帆に見える人も,実際には職場でハラスメントを経験したり,生まれ育った家庭環境が原因で苦しんでいたりするかもしれない.キャリアパス記事は内容の取捨選択が書き手に委ねられているが故に,書かれたことが起こったことの全てであるかのように錯覚させてしまう可能性がある.読み手には,記事の内容をもとに特定の個人の人生を安易に推し量らないことが求められるだろう.

3.  本当に「選択」したのか?

確かに私は自らの意思で〇〇研を卒業研究の選択肢から外すと決めた.しかし,当時を振り返ると,京大女子は京大の体育館を使えないという大学生活を送る中で(そうなった原因であるインカレについては文献5を参照),性別による制限を避けられないこととして受け入れてしまっていた.研究室の選択が性別により左右されたという事実の重大性に気がついたのは,たった数年前のことだ.このように個人の選択は社会の構造に強く影響されうる.そして,そういったケースは性別に依るものに限らないだろう.

4.  さいごに

近年,若手研究者の自律的なキャリア選択をサポートするために,様々なプログラムが実施されている.しかし,こうした場で語られる個人の経験談はしばしば,他人の選択に口出しすべきでない,本人は幸せなのだから問題ないと,全てを個人に帰属させるような考え方を助長してしまう.また,共有しやすい問題,例えば子育てなどに焦点を絞りがちになる.個人の選択を尊重しつつ,キャリアパスプログラムではあまり取り上げられない問題についても,大学や学会の在り方を議論する必要があるだろう.個人が公にできないキャリアパスの裏面についても,匿名の調査や社会科学研究としてまとめることで世に出せるかもしれない.調査・研究はまた,個人の選択の背後にある社会の構造を明らかにしうる.サンプル数を確保できる場合は,個人の物語を消費するよりも大規模なデータに基づくアプローチが建設的だと思う.

文献
Biographies

杉村 薫(すぎむら かおる)

東京大学理学部生物情報科学科准教授

 
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