Seibutsu Butsuri
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Genome 3D Structure Generated through Chromatin Movement
Shin FUJISHIROMasaki SASAI
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2024 Volume 64 Issue 2 Pages 78-84

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Abstract

測定技術の進歩により,クロマチンは細胞の中で大きく揺らぎながら階層的な構造をつくることが明らかになった.これらの構造はDNA機能と密接に関わるため,構造形成の物理的原理を解明することが重要である.間期のヒト細胞の全ゲノム立体構造を表す計算モデルの試みを紹介し,クロマチンの動的な構造について解説する.

Translated Abstract

Recent biochemical and microscopic measurements have revealed fluctuating chromatin structures of 10–7 to 10–5 m. These structures are intrinsically related to DNA transcription and replication; therefore, elucidating the physical principles of chromatin structural dynamics is essential for understanding cell functions. A three-dimensional computational model of the whole human genome was developed through the physics-based bottom-up approach, which quantitatively explained various genomic and microscopic data on chromatin. The model suggests that the difference in the functional activity among chromatin domains leads to the heterogeneous domain movement in the genome, which entropically drives chromatin phase separation to form A and B compartments.

1.  クロマチンの新しい描像

転写,複製,修復などDNAの機能はどのように制御されているのだろうか?これは細胞を理解するための基本的な問いであるが,真核細胞ではDNAは様々なタンパク質を結合したクロマチンとして存在しているため,クロマチンの性質を理解することがDNA機能の理解の出発点となるはずである.そのためクロマチンには強い関心が集まり,この10数年間に,ハイスループット生化学測定や超解像顕微鏡による観察など,クロマチンを解析するための様々な技術革新が行われた.こうした進歩に伴い,クロマチンに関する基本的な考え方が変化している.とりわけ重要なのは,クロマチンは規則正しい構造に固定されているという古い描像からの転換が生じたことである1)

真核細胞内ではDNAはヒストン8量体に巻き付き,10 nm程度の大きさのヌクレオソーム粒子を構成しており,クロマチンは約200塩基(200 base)に一つの割合でヌクレオソームが数珠つなぎになった鎖である.生きている細胞を顕微鏡で調べることにより,細胞内のクロマチン鎖は溶液に溶けた高分子のように揺らぎ,個々のヌクレオソームは2~3秒の間に150 nm程度動くことが示された1).クロマチンは規則正しいヌクレオソーム配置を保持しているのではなく,様々な配置間を動的に遷移する液体のような存在であることがわかってきたのである(図1).

図1

細胞中のDNA(紫)はヒストン8量体(緑)に巻き付いてヌクレオソームをつくり,クロマチンはヌクレオソームをつなぐ鎖となるが,クロマチン鎖は様々なヌクレオソーム配置を動的に移り変わると考えられる.

しかし,液体のようであると言っても完全にランダムなわけではなく,エンハンサー・プロモーター複合体(≲200 nm),トポロジカルドメイン(Topologically Associating Domains,200-数100 nm),コンパートメント(数100-1 μm),染色体テリトリー(≲数μm)など,クロマチンは様々な空間スケールの秩序構造を示す2).すなわち,クロマチンは運動しながら様々な秩序を細胞内で生成・消滅させている.こうした柔らかい物性の原理を解明して,DNA機能との関係を明らかにすることが重要な課題であろう.本解説では主に理論的な観点から,この課題へのアプローチを議論する.

染色体はクロマチンの長い鎖であり,例えばヒトの1番染色体は約250 Mb(250 × 106 base)の長さを持つ.さらにヒトゲノムは46本の染色体の集合であり,その大きさは6 Gb(6 × 109 base)に及ぶ.本解説では,細胞スケールの大きさを持つゲノムの構造と運動を,クロマチンの分子スケールの性質に基づいて理解しようとする研究を紹介したい.このあと第2,第3節では,クロマチンに関する基本概念と問題を解説した後,10 Mb程度の大きさのクロマチンを対象とした1 kb(103 base)解像度の計算モデルを説明して,トポロジカルドメインの物性を探る.続く第4節では,この1 kb解像度モデルから導かれた100 kb解像度の粗視化モデルを用いてゲノム全体を解析したシミュレーションを紹介し,コンパートメント,染色体テリトリーなどゲノム構造形成の物理を考える.

2.  クロマチンの柔らかい構造:コンパートメント

クロマチンの秩序構造を明らかにする上で重要な役割を果たしたのは,Hi-C法と呼ばれるハイスループット生化学測定法である(図23).この方法ではホルムアルデヒドで細胞を固定するが,これによってクロマチンに結合しているタンパク質が凝集してDNAにからまり,空間的に接触しているDNA鎖が束ねられる.その後,束ねられた場所を回収してそのDNA配列を読み取れば,何処と何処が接触していたか,接触場所をゲノム中に同定することができる.例えば,ゲノム全体を10 kbのビンで区切りijなどとラベルを付けると,ある細胞集団の中でi番目とj番目の場所が接触していた細胞の割合を表す量として,接触頻度Cijを求めることができる.

図2

Hi-C測定の概略.細胞をホルマリンで固定するとクロマチンのタンパク質(黄)が凝集して,空間的に接触していたDNA鎖(青と赤の線)を束ねる.このクロマチンを,制限酵素を用いて細かく切断し,切断箇所のDNAをライゲートすれば,最初に接近していた箇所がつながったDNA断片を回収することができる.このDNA断片の配列を読み取れば,何処と何処が接近していたかをゲノム中にマップできる.

例として間期のヒト細胞の染色体の接触頻度行列を見ると,行列は市松模様を示している(図3a).これは,染色体が二つの領域に分かれていることを意味しており(図3b),二つの領域をAおよびBコンパートメントと呼んで区別することが一般的である.Aコンパートメントに属するクロマチン(Aタイプ領域)は転写の活発な遺伝子を含むことが多く,転写活性に特有のヒストン修飾を示す.また,DNAは細胞周期のうちのS期に複製されるが,Aタイプ領域ではS期の早い時期に複製が行われる4).一方,Bコンパートメントに属するクロマチン(Bタイプ領域)には,転写が抑制されている,あるいは遺伝子を含まない領域が多く,転写抑制に特有のヒストン修飾が見られる.DNA複製はS期の遅い時期に行われる4)

図3

クロマチンの示すコンパートメント構造.(a)間期のヒトリンパ芽球様細胞(GM12878)の12番染色体のHi-C接触頻度行列.文献3の測定データを50 kb解像度で表示.色の濃さは文献5の方法によって正規化した接触頻度の値を表している.セントロメア付近ではデータが欠けて白線に見える.(b)接触頻度行列の市松模様イラスト.領域1と3は共通の領域に,領域2と4は別の領域に属す.(c)マウス小脳顆粒神経前駆細胞の核の3次元低温集束イオンビーム走査電子顕微鏡(3D cryo FIB-SEM)画像.ヘテロクロマチン(えんじ),ユークロマチン(薄い黄),核小体(シアン).文献6より許可を得て転載.(d)水を入れたお皿に油を滴下してできる模様.

顕微鏡で核を調べると,DNA密度の低いユークロマチンとDNA密度の高いヘテロクロマチンに分かれて見えるが(図3c),Aコンパートメントがユークロマチン,Bコンパートメントがヘテロクロマチンに対応している.コンパートメントは植物や動物の多くの種に存在していて,発生段階によってどの遺伝子がどちらのコンパートメントに属するかが変わるABスイッチングが起こる.また,老化細胞やウィルス感染細胞では,コンパートメントの分布に異常が見られる.このようにコンパートメントは転写,複製,そして細胞の生理に密接に関わっていることから,その形成の仕組みを理解することは重要である.コンパートメント分布は水に油を滴下してできる模様(図3d)に似ているが,こうした類推を許すとすれば,クロマチンの相分離によってコンパートメントが形成されることが想像できる.

この相分離仮説を調べるために,計算シミュレーションが行われた7).すなわち,一つのビーズが50 kb程度のクロマチン領域を表すと考え,ビーズをつなげた高分子鎖として染色体を表現し,鎖の動力学計算を行うのである.このモデルでは,Hi-C測定で得られたCijがより大きい値を示すときに,より強い引力がビーズi j間に働くという仮定が用いられた.i jが両方ともBタイプ領域であるときはCijが大きいため,BB領域間にはAAあるいはAB領域間より強い引力が働くことになる.計算の結果,こうした不均一な引力によってクロマチンの相分離が生じ,染色体内にコンパートメントが形成されることが示された.

不均一引力がクロマチン相分離をもたらすと考えるならば,その分子的な背景を調べることが必要となる.HP1はBタイプ領域に結合するタンパク質であるが,試験管内で液滴として凝集することが観察された8),9).こうした液滴はBB領域間の引力を媒介すると想像されるため,この観察結果は不均一引力モデルを根拠付ける実験データとして多くの人々に受け入れられた.しかし,試験管内のHP1液滴形成に必要な条件は細胞内の状況とは大きく異なっているため,この描像にはまだ疑問が残っている10).そこで以下では,この不均一引力モデルをさらに批判的に検討してみよう.

コンパートメントは異なる染色体間にも拡がっているため,間期細胞の染色体を集めたゲノム全体のシミュレーションを行って,染色体の境界を越えたコンパートメント形成を説明する必要がある.上述の不均一引力モデルによってゲノムシミュレーションを行うと,Bコンパートメントは核の中心付近に,Aコンパートメントは核膜付近に集まる.これは,より強い引力を示す部分は系の中心付近に集まるという自然な傾向を反映している(図4).しかし図3cにもあるように,実際にはBコンパートメントは核膜付近,あるいは核小体付近に集まり,Aコンパートメントが核の内側に集まる.つまり,観測結果は計算とは逆である.

図4

コンパートメントの分布.(左)不均一引力モデルを仮定すると,互いに強い引力を及ぼす物質は系の中心付近に集まる.(右)通常細胞の核内クロマチン分布.ユークロマチン(Aコンパートメント)は核の内側に,ヘテロクロマチン(Bコンパートメント)はラミナと核小体の近くに分布する.

この不一致を解消するため,上述のBB領域間引力の他に,核膜の内側にあるタンパク質の網目であるラミナとBタイプ領域の間にも引力が働いていて,これら2種類の引力が競合しているとする修正案が考えられた11).2種類の引力がほど良くバランスし,そして引力バランスが反映されるようにクロマチンが多くの構造を遍歴することができれば,計算されたゲノム構造は観測された構造に近くなる.しかし,この修正案には以下のような問題があった.Bタイプ領域-ラミナ間引力を担うのは,Bタイプ領域とラミナの双方に結合できるLBRなどのタンパク質であると考えられたが,もしそうだとすると,この引力の到達距離はタンパク質の大きさ,つまり10 nm程度のはずである.間期の間にヒトの染色体は,直径およそ10 μmの核の中を,せいぜい2 μmほどしか動かない12).つまり,ゲノムは充分攪拌されているというのとはほど遠い状況にある.こうした状況では,ラミナから数μm離れたクロマチンがBタイプ領域-ラミナ間の引力圏内に入ることは不可能である.こうしてこの修正案でもパラドクスの解消はできず,解決のためには次節のように,より高解像度での分析が必要と思われる.

3.  クロマチンの柔らかい構造:ドメイン

ヒト細胞のHi-C接触頻度行列をさらに高解像度で表示すると,対角線付近にブロック模様が見出される(図5a).これは,クロマチンが100 kbから1 Mb程度の大きさのドメインにまとまっていることを示しており,これらのドメインが集まってコンパートメントを形成している.ドメインごとに異なるヒストン修飾の傾向があり,相互作用するエンハンサーとプロモーターの組は同一ドメインに含まれていることが多い.こうしてドメインはクロマチンの構造と機能の単位であると考えられ,大きな関心を集めることとなった.接触頻度によって定義されたドメインはTopologically Associating Domain(TAD)と呼ばれている.

図5

TADはクロマチン構造と機能の単位である.(a)5 kb解像度のヒト12番染色体のHi-C接触頻度行列.(b)1 kb解像度のヒト11番染色体のHi-C接触頻度行列.CTCFの結合箇所を図の上部に三角形で表示している.三角の頂点方向がCTCFのN末端方向を示す.二本のDNA鎖ごとにN末端方向が異なることを,赤と青で区別している.パネルaおよびbでは,間期のGM12878細胞についての文献3のデータを用いた.色の濃さは文献5の方法によって正規化した接触頻度の値を表す.(c)TAD形成のループ押し出し仮説.コヒーシン(緑丸)はATPを消費してループを押し出し(黒矢印),CTCF(三角,N末端の向きの違いを赤と青で区別)に衝突して止まる.押し出されたループがTADとなる.このイラストでは,ヌクレオソーム粒子の描画は省略して,クロマチン鎖を曲線で表している.

コヒーシンはリング状のタンパク質複合体であるが,クロマチン鎖を束ねて拘束する能力を持つ.コヒーシンのサブユニットを細胞内で分解すると,Hi-C接触頻度行列からTADの特徴がすべて消えることから13),TADの形成にはコヒーシンが必須であることが証明された.また,各々のTADの境界付近のDNAにはCTCFと呼ばれるタンパク質が結合しているため(図5b),コヒーシンがCTCFに結合してできるクロマチン鎖のループがTADの正体であると考えられるようになった2)

では,コヒーシンとCTCFの複合体によるループはどのようにして形成されるのであろうか?そのヒントを与えたのは,DNA鎖の端をガラス基板に固定し,ガラス基板を含む試料溶液にコヒーシンとATPを加えて,DNAとコヒーシンの運動を観察した実験であった14),15).こうした実験により,DNAに結合したコヒーシンはATPを消費する分子モーターとして働き,DNAのループを押し出す能力を持つことが示された.もし,同じ過程が細胞内で実現していれば,クロマチンの適当な場所に結合したコヒーシンがATPを消費しながらクロマチン鎖のループを押し出すが,コヒーシンはCTCFに衝突して止まりループ境界が定まって,押し出されたループが凝縮してドメインとなる(図5c).このループ押し出し仮説はTAD形成を説明する理論として広く支持を集めることとなった16)

しかし,このループ押し出し仮説も問題を持っている.コヒーシンがクロマチンに結合している寿命は20分程度と見積もられているが17),この間に1 MbのTADをループ押し出しで形成するためには103 kb/2/1200秒≈0.4 kb/秒ほどの速度でループを押し出す必要がある.これはガラス基板上のループ押し出し速度0.5 kb/秒に近いので,多くの理論モデルではその程度の,あるいはそれ以上の速度を仮定して計算が行われてきた.しかし,ガラス基板で観測されたのは,ヌクレオソームを含まない裸のDNAのループ押し出しであった.細胞内のクロマチンには,HP1やpolycomb因子などのためにヌクレオソームが塊として凝集した場所があり,コヒーシンの運動を妨げるはずである.また,Aタイプ領域にはRNAポリメラーゼやメディエーターが集合した転写ハブや,複製のためのMCM複合体が結合した場所があり,そのような複合体はコヒーシンの運動を妨げる障害物となるであろう18)

こうした遅い,そして障害物に邪魔されるコヒーシンの運動を考慮してループ押し出し仮説を見直すため,私達は10 Mb程度のクロマチンを対象として,クロマチン鎖の計算シミュレーションを行った19).1ビーズが1 kb領域を表すとして,クロマチンをビーズの連結した高分子鎖と考え,ビーズ間に排除体積による斥力が働くとする.さらにこの計算では,HP1などの因子に媒介されるヌクレオソーム間引力の効果,およびATPを消費するコヒーシンのアクティブな運動の影響が考慮された.鎖の熱運動に伴ってコヒーシンはループを押し出したり引っ込めたりするが,ATP消費によりコヒーシンは押し出し方向に偏ったアクティブな運動を示す.ただしこの運動はヌクレオソームの障害により,ガラス基板の観測より一桁程度遅い運動であるとする.また,コヒーシンは転写などの機能に関わる大きな複合体を通過できないという仮定を置いて計算を行った.その結果,Bタイプドメインではコヒーシンがクロマチン鎖の様々な場所に分布し,鎖内の実効的な引力として働いてBタイプドメインを強く凝縮させるが,Aタイプドメインでは高い転写活性に応じて障害物が多く,自由に拡散できないコヒーシンは鎖のあちこちに局在して凝縮したサブドメインをつくることが示された.このときAタイプドメイン全体は,サブドメインをつなぐリンカーによって拡がった構造をとることになる.

この結果をもとに,100 kb領域間の粗視化相互作用を導くことができる.つまり,100 kbの領域をまとめて一点とみなし,二点が距離r離れたときの実効ポテンシャルエネルギーUAA(r)とUBB(r)を計算するのである.拡がったAタイプ領域は互いに重なることができるため,二つのAタイプ100 kb領域間の実効ポテンシャルエネルギーUAA(r)は穏やかな斥力ポテンシャルとなる.クロマチン密度が低いときはAタイプ領域より強いヌクレオソーム間引力がB領域間に働き,UBB(r)は引力ポテンシャルとなるが,クロマチン密度が高いときは,凝縮したBタイプ領域は互いに重なろうとしないため,UBB(r)はUAA(r)より強い明確な斥力ポテンシャルとなる.細胞内のクロマチン密度は充分高いため,細胞内でUAA(r)は穏やかな斥力,UBB(r)は強い斥力を示すはずである.ヌクレオソーム間引力が働くにもかかわらず,粗視化ポテンシャルが斥力となるのは意外に思われるが,ソフトマター物理学では高分子材料について以前から同様の議論がされており,引力と斥力が共存する高分子間の相互作用について,高密度では斥力が優勢になることが指摘されていた20)

こうして得られた粗視化ポテンシャルを用いて高分子の動力学計算を行うと,Aタイプ領域は互いに重なりを許すため,Aタイプ領域が多数集まったほうが大きな運動が可能になる.こうして,系全体でできるだけ大きな運動を許容するように,言い換えると,エントロピーを大きくするようにクロマチンの分布が変化する結果,Aタイプ領域とBタイプ領域の相分離が生じる19).すなわちこの理論では,AタイプおよびBタイプドメインの機能の違いがドメイン物性を変え,ドメインの運動を変えることによってAおよびBコンパートメントが形成されるのである.次節では,このコンパートメント形成が細胞内の構造を適切に表現して,前述のパラドクスを解決することを説明しよう.

4.  クロマチン運動がつくるゲノム立体構造

染色体はクロマチンの長い鎖であるが,ヒトゲノムはXまたはY染色体を含めて46本の染色体からなっており,およそ6 Gbの大きさである.本稿では,ゲノムを細胞内のクロマチンすべてを集めた物質として,その物理的性質を考える.私達は上述の実効ポテンシャルUAA(r)とUBB(r)を用いて,間期のヒトゲノム全体の構造を100 kb解像度で計算した19).計算を始めるためには,まずゲノム配列を100 kbビンで区切り,それぞれのビンがAタイプかBタイプかの判別をする必要がある.ヒストン修飾の様子を集めたデータの機械学習でこの判別を行う方法もあるが,ここでは,様々な活性を担うドメイン内の局所構造が高次構造の物性を決めると考え,局所構造のでき方を判別法として用いることにする.すなわち,活性の高いAタイプドメイン内部には豊富な局所構造があるため,短い配列間隔での接触頻度が高い.そこで,これを定量化した指標を用いて各100 kb領域をA,B,そしてその中間であるuの3種類に分類する(図619).この判別法では,Hi-C接触頻度行列の対角線付近を利用するが,対角線付近以外の部分,つまり行列情報の大部分は,計算後に結果をチェックする際の比較対象とするものの,計算入力としてはタイプ判別にも,その後のシミュレーションにも利用しないことに注意いただきたい.

図6

ヒト線維芽細胞(IMR90)とヒトリンパ芽球様細胞(GM12878)の10番染色体の一部.100 kbごとにクロマチン領域をA(黄),B(青),u(灰)の各タイプに判別している.文献19から転載.

間期のゲノムは充分攪拌されているわけではなく,分裂期の染色体が脱凝縮した過程の履歴を残していると考えられる.そのため,計算は分裂期のシミュレーションから行われた.染色体が分裂期を終えて脱凝縮を開始すると,クロマチン領域間の斥力により染色体が膨張して,ゲノム全体を包む核膜も拡張する.この過程で不均一斥力による不均一な運動のため,系全体の運動を大きくする方向に相分離が起こり,Aタイプ領域はAコンパートメントに,Bタイプ領域はBコンパートメントに集まり,u領域はAとBの境界付近に集まる.また,この計算ではリボソームRNAと関連の因子を粒子として表し,粒子間に短距離引力を想定したため,これらの粒子が集まった液滴として核小体が形成された.核の外側からの圧力と膨張の圧力がバランスすると,核は安定な間期に到達する(図7).

図7

100 kb解像度で計算された間期のIMR90細胞核の断面.Aタイプ(黄),Bタイプ(青),uタイプ(灰)の各領域,核小体(緑),rDNA(シアン),各染色体のセントロメア(赤)が表示されている.文献19から転載.

この相分離の様子は,接触頻度行列により定量的に評価できる(図8).計算されたゲノム構造から,それぞれの染色体内の接触頻度行列を計算すると,計算結果はHi-C測定結果を良く再現している.この行列を対角化して得られる最大固有値の固有ベクトル(PC1)はコンパートメントの様子を表しており,PC1が正(負)の部分がA(B)コンパートメントと判定できるが,計算によるPC1は測定によるPC1を良く再現する.さらに,異なる染色体間の接触頻度についても,計算とHi-C測定の良い一致を統計的に確認できる19)

図8

間期GM12878細胞の10番染色体の接触頻度行列とPC1.(上)計算による接触頻度(上右三角)と実験によるHi-C接触頻度行列(下左三角).実験データが欠けている箇所はグレーの線で表示.(下)接触頻度行列から得られたPC1.計算(赤線)とHi-C実験による値(黒線).実験値は文献3のデータ.文献19から転載.

接触頻度だけでなく,クロマチンの核内分布についても計算と実験の比較が可能である.計算されたBタイプクロマチンはラミナ近くに集まり,Aタイプクロマチンはラミナ付近を避けているが(図9a),この計算ではBタイプ領域-ラミナ間引力を仮定していない.引力ではなく相分離により,Bタイプ領域のラミナへの接近が生じている.これは,Aタイプ領域がより拘束の少ない核の内側に集まることにより,より大きな運動を獲得できるという理由による.ちょうど,朝倉-大沢のdepletion force(枯渇力)により,動きにくいコロイド粒子が容器の壁に集まり,動きやすい小粒子が容器内部に集まる様子に似ている21).LBRなどのタンパク質は,相分離によって自発的に集まったBタイプ領域に結合して,そのラミナ近傍での滞在時間を延ばす働きをすると考えられる.クロマチンとラミナの接触の程度は定量的に評価することが可能であり,この評価を用いると計算と実験22)は各染色体でも(図9b),ゲノム全体でも(図9c)良い一致を示す.

図9

Bタイプ領域は相分離によりラミナ付近に集まる.(a)計算されたA,B,uタイプの分布をラミナからの距離の関数として表示.GM12878とIMR90細胞.(b)10番染色体と(c)ゲノム全体のIMR90細胞ラミナへの接近度合い.b およびcでは,計算と実験(文献22)の比較を行っている.文献19から転載.

ヒト細胞の核内では46本の染色体が互いにからみ合わずに,各々のテリトリーをつくっている23).不均一引力を仮定するモデルでは,ランダムな鎖を引力で折れ畳むフォールディング計算が行われるが,ゲノム全体でフォールディング計算を行うと異なる染色体鎖がからみ合い,観測事実を説明することが難しい.これに対して,不均一な斥力で分裂期の染色体が膨張するというアンフォールディング計算では,もともと分離していた分裂期染色体の様子を残して間期の染色体も互いにからみ合わず,染色体テリトリーの形成を自然に説明できる.計算された統計分布は,各染色体の空間的拡がりや核内位置についても顕微鏡観察による結果と良い一致を示す19)

このように,不均一斥力による計算はゲノム立体構造についての多くの実験を定量的に説明することができる.大量のHi-Cデータにフィットするよう計算するのではなく,少数の物理的原理に基づく合理的な説明が可能なのである.不均一斥力は不均一なクロマチン運動を生み,この不均一運動が間期の入り口でのクロマチン相分離を引き起こしていた.安定な間期に到達した後でもこの不均一運動は残り,速いAタイプと遅いBタイプ領域の運動の違いが生じることは興味深い24)

5.  クロマチンの機能・運動・構造

緩く分布していて運動が大きいクロマチン領域では,密にパックされた運動の小さい領域に比べて,様々な因子のDNAへの接近が容易であろう.本解説で紹介した私達の計算は,高い転写活性を持つ領域の運動が大きくなることを示していたが,同時に,運動が大きい領域では転写に必要な因子のDNAへの結合頻度が高くなって活性を高めるという具合に,機能・運動・構造は正のフィードバックを示して細胞機能を安定化し,細胞状態の遷移に影響を与えているのかもしれない.この予想を検証するためには,転写に必要な因子のDNAへの結合とクロマチン構造・運動の関係について,とくにコヒーシンとの関係について,さらに深く考える必要があるだろう.

ゲノム立体構造形成についても,さらに考えるべき問題が残されている.とりわけ,ドメインとドメインの間の空間には多量のRNAが存在しているため25),その物理的効果を顕わに考慮することが重要であろう.この問題は,クロマチンの構造変化と転写生成物の移動の協調を調べる興味深い問題でもある23)

クロマチンの生物物理には多くの魅力的な問題がある.クロマチンはミクロな分子の論理とマイクロメートルの細胞の世界を橋渡しする系であり,その理論モデルを考えることを通して,思わぬ発見に導かれることを期待したい.

文献
Biographies

藤城 新(ふじしろ しん)

京都大学福井謙一記念研究センター特定研究員

笹井理生(ささい まさき)

京都大学福井謙一記念研究センター研究員,名古屋大学情報学研究科客員教授

 
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