2024 Volume 64 Issue 4 Pages 215-217
京都大学生命科学研究科の今村博臣といいます.蛍光バイオセンサーを用いた生細胞でのATPなどの代謝物イメージング技術の開発と,その応用研究を行っています.このコーナーの過去の記事を読み返すと,キャリアパスの多様さを改めて実感します.キャリアパスは研究分野に依存するだけでなく,個人の価値観や能力,そして運にも強く影響されるものです.若い人には想像しにくいかもしれませんが,人生の過程でライフスタイルや価値観は大きく変化し,それもキャリアパスに強く影響します.また,社会状況も大きく変わります.例えば,私が大学院生だった25年くらい前は,人工知能がここまで社会や研究に大きな存在感を示すとは思いもしませんでした.天才であれば将来を見据えて人生全体のキャリアをデザインすることも可能かもしれませんが,私を含めて普通の人は将来を見通すとしてもせいぜい5年くらいで,その近未来予想を自分の理想やその時々の価値観に照らし合わせながら次の行動を決断し続けることで,キャリアを形成していくのだと思います.私自身も,運や周囲の人々との関わりがキャリアに大きな影響を与えたと強く感じています.ここで述べる私の経験は一例に過ぎませんが,それでも若い人たちに何かしらの参考になることを願っています.
大学の学部2年生までは,化学に関連する仕事をしたいと漠然と考えていましたが,生物や物理にはあまり興味を持っていませんでした.しかし,3年生から配属された農芸化学科は,化学だけでなく,微生物学や植物学,土壌学まで幅広い学問領域を扱っており,次第に生物学にも興味を持つようになりました.講義中心の3年生までは退屈さを感じていましたが,研究室に配属後は研究の面白さに魅了され,研究者を目指すようになりました.ところが,大学院では卒業研究を行った植物ホルモンの研究室に進むつもりでしたが,入試に失敗し,酵素学の研究室に進むことになりました.大学院では,X線結晶構造解析のグループに入り,苦労しながらも古細菌由来の糖転移酵素の構造を決定することができました.滑り込みで入った研究室でしたが,そこで研究するうちに,タンパク質の面白さに目覚め,本気で研究者を目指すことにしました.この頃から,「タンパク質の形と機能の関係を理解したい.形をコントロールすることで,新たな機能を持つタンパク質を作りたい」という思いが私の研究の基盤となりました.
博士取得後,タンパク質の構造解析から一旦離れることを決めました.周囲の方々が非常に優秀で競争が激しかったこと,結晶化ロボットや自動解析ソフトの登場により,将来は人間がやるべきことが減り,分野が縮小すると感じたためです(現在のクライオ電子顕微鏡による構造解析の隆盛を見ると,当時の私の予測は完全に間違っていましたが).具体的なポスドク先や研究テーマが思い浮かばず途方に暮れていたとき,スウェーデンでの国際会議からの帰りに,大学院時代の先輩がポスドクをしていたイギリス・インペリアルカレッジの岩田想研究室を訪問する機会がありました.そこで岩田さんに,ポスドク先を探していることを話すと,ちょうどそのとき岩田研を訪問していた横山謙さんを紹介されました.当時,ヨーロッパでは口蹄疫という家畜の病気が猛威をふるっていた影響で研究サンプルが税関を通過できず,しびれを切らした横山さんは,自ら運び屋として,日本から共同研究先の岩田研まで来ていたのです.横山さんは,東工大の吉田賢右さんを総括とするERATOプロジェクトでV-ATPaseの1分子解析グループを立ち上げようとしており,一緒に研究するポスドクを探していました.ロンドンで即席の面接を行い,新しい技術への興味もあり,トントン拍子で博士課程終了後に東工大に行くことが決まりました.もし口蹄疫が流行していなかったら,もし私と横山さんの訪問が少しでもずれていたら,この話は無かったかもしれません.横山さんが既にV-ATPaseの発現系を確立していたこと,そして東工大の吉田研究室ではFoF1-ATP合成酵素を使った1分子解析の実績が豊富だったこともあり,私に与えられたV-ATPaseのプロジェクトは驚くほどスムーズに進み,1年目でV-ATPaseが回転分子モーターであることを実証し,4年間で4本の筆頭論文を含む10本の論文を発表することができました.
ところが,これらの論文成果を発表するために出席した国際会議では,論文の内容は知ってもらっていても,あくまで「横山と吉田の仕事」という扱いで,筆頭著者の私の名前は全く覚えてもらえず,軽いショックを受けました.論文を出していれば自動的に名前を覚えてもらえると簡単に考えていた私の浅はかさに気付きました.また,同じ頃,他の人の研究のオリジナリティーにケチをつけるような軽口を叩いてしまい,吉田さんから「今村くん自身の研究にもオリジナリティーはほとんど無いでしょ」と厳しいコメントとともにお叱りを受け,非常に落ち込みました.このとき鼻柱をへし折られたことが,後から考えると良かったと思います.自分の上司が長年やってきた研究の延長線上と思われるような仕事をしているうちは,簡単には認めてもらえないことを痛感し,小さいことでも独自性を打ち出して,自分自身の看板を作らなければならないと真剣に考えるようになりました.
V-ATPaseはATPの加水分解によって軸サブユニットを駆動するので,ATP濃度が変われば回転速度も変わります.V-ATPaseが回転する様子を顕微鏡で観察しながら,「細胞内のATP濃度はどのくらいなのだろう?」という単純な疑問が浮かびました.ところが,文献などで細胞内のATP濃度やその測定技術について調べてみると,生きた細胞内のATP濃度を測定するための信頼性のある技術が無いことに驚きました.そこで思い出したのが,東工大に来て間もない頃,同僚の飯野亮太さんに誘われて参加したシンポジウムで,理研の宮脇敦史博士が発表していたFRETバイオセンサーを用いた生細胞内カルシウムイメージング技術でした.ATPのFRETバイオセンサーを開発できれば,生きた細胞のATP濃度をイメージングできるはずだと考えたのです.非常に幸運なことに,当時吉田研にいた山田康之さんが,ATPに特異的に結合するタンパク質を見つけていました.しかも,このタンパク質(バクテリアATP合成酵素のεサブユニット)はATPの結合に伴って大きく構造変化するという,FRETバイオセンサーのリガンド結合部分として申し分ない性質を持っていることも判明しつつありました.ただ,ERATOプロジェクトではV-ATPaseの研究に専念しなければならなかったため,このアイディアは胸のうちにしまっておきました.
転機は結婚でした.妻が当時大阪で働いていたため,結婚後は関西で研究を続けられる場所を探し始めました.ちょうどその頃,V-ATPaseの1分子解析で共同研究をしていた野地博行さんが大阪大学で新しい研究室を立ち上げるということで,野地さんに受け入れをお願いして翌年から学振PDとして加わりました.ありがたいことに,野地さんはATP結合によるεサブユニットの構造変化を利用した生細胞ATPイメージングのアイディアに興味を持ち,研究を進めることを許可してくれました.さらに,その分野の専門家である永井健治さんを紹介してもらい,阪大の野地研でATPのFRETバイオセンサーを作り,それを持って北大の永井研究室でイメージングする共同研究が始まりました.北大で生細胞内ATP濃度変化をイメージングで捉えた瞬間は本当に感動しました.このときの動画をその直後にあったJSTのさきがけ研究の面接で披露したのですが,それがおそらく採択につながったのだと思います.そこからは,実験を進めると次々に面白いデータが得られました.ただ,初めて経験することが多く,最初の論文が出版されたときにはさきがけの任期は1年半しか残っていませんでした.急いで次のポジションを探し始めましたが,なかなかオファーがもらえず,苦しい期間でした.実はこの頃,東大に移ることになった野地さんからスタッフとして誘われたのですが,大いに迷った末にお断りしました.どうしてもATPイメージングの研究を看板として独り立ちしてやっていけるか勝負したかったというのが一番の理由です.その後,さきがけの任期が切れるタイミングで京大の白眉プロジェクトに採択され,何とか研究を続ける環境を得ました.その後も京大生命科学研究科への移籍を経て,多くの素晴らしい共同研究者に恵まれ,ATPイメージングを軸とした研究を発展させることができました.とはいえ,ATPイメージングの看板も15年経ち,かなり古びてきました.古い看板を磨くと同時に,新しい看板を作るために日々試行錯誤を重ねています.
これまでの私のキャリアを振り返ると,多くの支援や人との縁があったことを改めて実感します.特に阪大在籍時に,研究室の主要テーマから外れた研究にも関わらず野地さんから強力に支援してもらえたことは,自分のキャリアを発展させるうえで大きな助けとなりました.一般論としても,自分の研究サポーターを作ることは非常に重要だと思います.自分のスキルでは対応できない実験には,協力してくれる共同研究者が必要ですし,研究費やプロモーションの審査に自分のことを気にかけている人が入っているかもしれません.常に敬意を持って周囲に接し,研究の面白さを伝えることを忘れないでください.繰り返しになりますが,小さくても独自性のある,自分の看板となる研究テーマを見つけて育てていくことが大切だと私は思います.研究者としてのキャリアパスは多くの選択と偶然の結果で形成されます.その過程で,自分の看板となるテーマや,支援や協力をしてくれる仲間を見つけることで,納得のいくキャリアを歩んでほしいと願っています.
今村博臣(いまむら ひろみ)
京都大学大学院生命科学研究科准教授