2024 Volume 64 Issue 6 Pages 321-323
藍藻はバイオフィルム(BF)を形成し,様々な機能を発現させる.藍藻BFは藍藻と細胞外多糖などの分子で構成され,それらの分布の観察はBFの機能や形成機構の解明に繋がる.本研究では,超解像赤外分光イメージングにより,BF中の硫酸多糖と藍藻を非標識で可視化し,BFの形成機構や機能の新たな知見の獲得を目指した.
微生物は細胞集団(バイオフィルム)を形成して自らの理想的な生活環境を創り,その生態的機能を保持する.また,バイオフィルム内で細胞集団となることで,個々の細胞としては持たない生物機能や性質を発現する1).例えば,バイオフィルムは病原菌の感染力向上や薬剤耐性にも寄与することが知られている.また,バイオフィルム内にて微生物が化粧品や医薬品への応用がなされている多糖類を始めとする有用物質を生産するため,バイオフィルムの形成過程やその機能を解明することは,生物学や医学分野における基礎研究及び応用研究の両方で重要である.海洋や砂漠などの様々な環境に生息している酸素発生型の光合成を行うバクテリアである藍藻(シアノバクテリア)もバイオフィルムを形成する.藍藻はバイオフィルムを形成することで,増殖能やストレス耐性の向上などの生物機能を発揮する.また,環境中の他の生物群にとって良いすみかや栄養源などとしても振る舞う2).そのため,藍藻バイオフィルムの構造や形成機構の理解は,藍藻の生態理解という生物学的な意義だけでなく,SDGs実現に資するという環境学的な意義も大きい.藍藻バイオフィルムを構成する主要成分は,細胞外多糖である.藍藻は非常に多様な分子構造を有する多糖を生産することが知られている.その中でも硫酸基を分子構造に有する硫酸多糖は,バクテリアの中でもほぼ藍藻においてのみ生産が知られている.そのため,我々は藍藻バイオフィルムの構造や機能を特徴づける大きな要因の一つが硫酸多糖であると考えている3).さらに,タンパク質や核酸などの生物機能に係る分子もバイオフィルム内に存在するため,バイオフィルム内の分子と細胞を可視化することは,広い意味でのバイオフィルム科学における重要なアプローチである.
そこで,近年我々が開発した超解像の中赤外分光イメージング技術を利用することで,藍藻バイオフィルム中における硫酸多糖とバクテリア,及びその他の分子の空間分布を可視化し,藍藻バイオフィルムの形成機構に迫った.本記事では,超解像中赤外分光顕微鏡の概要とそのバイオ応用例を紹介する.
従来のバイオフィルム観察では,バイオフィルム内の微生物細胞からの反射や散乱を共焦点観察し可視化することで,バイオフィルムの構造及び形成過程を明らかにしてきた.一方で,この手法は微生物細胞の観察のみに限定される.アルシアンブルーなどを用いて酸性多糖を染色して可視化する手法もあるが,染色により酸性多糖が自己凝集するため,本来のバイオフィルム構造の観察が困難である.また,蛍光標識には褪色の課題があるため,形成過程のタイムラプス観察も難しい.ゆえに,バイオフィルム内で細胞が細胞外分子とどのように共在し,相互作用しながらバイオフィルムを形成するのかを観察することは容易ではない.
非染色で試料の分子組成を可視化する手法としては,分子のラマン散乱や赤外吸収を計測する振動分光学的手法がある.特にラマン分光は,生細胞やバクテリア,バイオフィルムの組成分析に広く応用されている4).しかし,藍藻のような自家蛍光が強い試料では,微弱なラマン散乱が自家蛍光に埋もれてしまい,計測が困難である.また,広視野かつ高精細の画像1枚を得るのに数時間を要することや,高強度のレーザー光を使用するため,高い光毒性も課題であった.その反面,赤外吸収分光は中赤外領域の光信号を計測するため,自家蛍光の影響がなく,藍藻バイオフィルム計測へ有効な手段である.しかし,中赤外光の回折限界により従来の赤外分光イメージングの空間分解能は10 μm程度に制限され,バクテリアやバイオフィルム内の分子の空間分布を可視化することは困難であった.
我々は,サブミクロン空間分解能を有する超解像中赤外分光顕微鏡(中赤外フォトサーマル顕微鏡)を開発し,バイオフィルム計測へ応用することで,バイオフィルム内の構成分子の可視化に成功した5).前述の通り,顕微鏡の空間分解能を制約する大きな要素は,信号を読み出す際に使用する光の波長である.中赤外フォトサーマル顕微鏡は,中赤外領域のパルス光を試料に照射し,分子の赤外吸収によって誘起される瞬間的な光熱効果(試料の屈折率変化や体積膨張)を,中赤外光より波長が10倍短い可視光により検出することで,可視光を用いる顕微鏡の分解能,つまりサブミクロンの空間分解能で赤外吸収分析が可能な技術である(図1).光熱変換により試料の屈折率や体積が変化すると,Mie理論や熱レンズ効果に基づき透過光の進行方向や散乱光の強度・位相も変化する.そのため,光熱変換による可視光の光学応答の変調分を計測することで,分子の赤外吸収情報を間接的に計測できる.
中赤外フォトサーマル顕微鏡の概要図.
我々のグループを含め,国内外で数グループが中赤外フォトサーマル顕微鏡を独自開発してきた5)-7).図2に示すのは,従来の量子カスケードレーザーをベースとした赤外分光顕微鏡で撮像したポリマー粒子(直径3.5 μm)の赤外吸収像と,我々が開発した中赤外フォトサーマル顕微鏡を用いて取得したポリマー粒子(直径0.5 μm)の赤外強度像である.波数1494 cm–1の芳香環C=C由来の振動モードの強度で画像化した.中赤外フォトサーマル顕微鏡では,サブミクロンスケールの構造体でも可視化でき,強度ラインプロファイルからも空間分解能が従来の10倍以上も高いことが分かる.
(a)直径の異なるポリマービーズの中赤外イメージングの結果.(b)強度ラインプロファイルの比較.
藍藻バイオフィルムの構成分子を可視化する上で,我々は中赤外フォトサーマル顕微鏡のもう一つの利点である蛍光との複合化が容易なことに着目した.蛍光フィルターにより,試料からの蛍光シグナルと中赤外信号(入射光と同じ波長の光信号)を分離し検出できる.この蛍光・中赤外分光マルチモーダルイメージングにより,藍藻を自家蛍光で識別しつつ,硫酸多糖の硫酸基特有の振動モードの強度で画像を取得し,藍藻バイオフィルム内におけるそれぞれの空間的な配置を可視化した.図3は,藍藻と硫酸多糖標品の赤外吸収スペクトルである.
(a)藍藻と硫酸多糖の赤外吸収スペクトル.藍藻バイオフィルムの(b)明視野像と(c)自家蛍光・中赤外吸収強度像.(*文献5よりfigureを改変.under CCBY)
硫酸多糖とバクテリア(タンパクを主要成分とする)は異なる特有の赤外吸収信号を示す.透明基板上の藍藻バイオフィルム試料における明視野像,硫酸多糖の赤外吸収信号強度とバクテリアの自家蛍光強度を図3に示す.本計測によりバイオフィルム中の藍藻と硫酸多糖が可視化された.バイオフィルム内では硫酸多糖が繊維状構造を作り出しており,その形状に従い藍藻細胞が整列していることが分かった.その他の領域も調べてみると,必ずしも藍藻細胞が繊維状構造に沿って配列されていないことも分かった.この藍藻種は培養液を静置することでブルーム状のバイオフィルムを液面に形成する3).これまでのマクロな形態観察から,培養液中で藍藻細胞が硫酸多糖の繊維状構造に結合し,その後,同様に付着した気泡の浮力によって浮上することで自然に集結して密集したバイオフィルムが形成されると考えられていた.本結果はその予想の妥当性を示唆すると我々は考えている.つまり,先に細胞外硫酸多糖が繊維状構造を培養液内で形成し,その後藍藻細胞が多糖構造にトラップされることを示唆している.
本技術は硫酸多糖だけでなく,タンパク質など他の分子の配置も可視化できる.バイオフィルム内の構成分子を可視化する試みも現在進めている.プレリミナリーな結果ではあるが,タンパク質イメージング結果において,硫酸多糖と類似の繊維状構造が確認されており,多糖とタンパク質が相互作用しながらバイオフィルムを形成しているのではないかと考えている.
本記事では,超解像中赤外分光イメージングのバイオフィルム応用を紹介した.藍藻バイオフィルム内の硫酸多糖と藍藻を高解像度で可視化し,バイオフィルムの形成機構に新たな知見を与えた.バイオフィルムには,複数種類の多糖類や,酵素・細胞外DNAなど様々な分子が共在しており,その機能を発揮する.特に,藍藻は硫酸多糖を含む多様な多糖を細胞外に生産するため,我々は藍藻バイオフィルム中において多様な多糖がそれぞれ局在して別々の機能に関わっていると考えている.今後は,機械学習などを用いたデータ解析法も取り入れることで,バイオフィルムの形成や機能の複雑な分子機構を解き明かすことを目指す.