Seibutsu Butsuri
Online ISSN : 1347-4219
Print ISSN : 0582-4052
ISSN-L : 0582-4052
Salon
Complex Brain Systems with a Base of Chaotic Dynamics
Ichiro TSUDA
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2025 Volume 65 Issue 1 Pages 24-26

Details

1.  カオスとの出会い

私は大阪大学理学部物理学科の3年生の時,金森順次郎先生の統計力学の講義に魅了されたことがきっかけで,非平衡統計物理の研究を行うために大学院では京都大学の富田和久先生のところへ行った.

修士1年の夏,その秋にノーベル化学賞を受賞するIlya PrigogineがGregoire Nicolisと書いた本1)の原稿が富田先生のところに送られてきたので,研究室のメンバー総出で読んだ.そこには,生物系の化学反応の非平衡定常状態での分岐現象が述べられていて興味をそそられた.

その年の秋,富田先生がセミナーで数学者のT.-Y. LiとJ. A. Yorkeの論文2)を数学教室の山口昌哉先生から紹介されたと言って,楽しそうにその骨子を紹介してくださった.これが私がカオスに出会った最初である.この論文はThe American Mathematical Monthlyという数学の愛好家向けの雑誌に出版されたこと自体驚くべきことだったが,“chaos”という言葉は論文題名にしかなく,本文ではもっと数学的にきちんとした概念を使って“カオス”の数学的実体の一つの在り方が述べられていた.それからずっとカオスが頭から離れなくなった.また,数理生態学者のR. M. MayがNature誌にロジスティック写像などが示す分岐の複雑さとカオスについてレビュー論文を発表した3).これはカオスや分岐現象を多様な研究者や一般の人たちに知らしめるという意味で素晴らしいレビューだった.

これらの論文をきっかけにして,カオス関係の論文を読もうとしたが,理論物理関係では気象学者のE. N. Lorenzの論文くらいしかなく,やむなくカオスと関連しそうな数学論文を片っ端から読んでいった.これがのちの数学研究への滑らかな接続の基礎作りとなった.Lorenzの論文は衝撃的だった4).対流が乱流へと発達する過程で,分岐を起こしカオスが発生する.流体運動と熱伝導をカップルさせた偏微分方程式の二重フーリエ展開を三つのモードに切り詰めた,3変数非線形常微分方程式が示す解軌道の予測不可能性の理由が,幾何学的に見事に説明されていたのだ.次元を一次元もしくは二次元に逓減して写像として理解することで,この二つの性質に関係がつく.こうすることで,すでに知られていた多くの数学の定理が使えることがわかり,“カオス”が腑に落ちたのだった.ちなみにLorenz chaosは2021年度のノーベル物理学賞(眞鍋淑郎,Hasselmann, K.,Parisi, G.)に導いた.

対流の乱流への遷移に関しては,物理全般に精通していたL. D. LandauがE. M. Lifshitzと書いた有名な物理学教程の流体力学の巻に,乱流は無限次元の準周期運動であり,初期位相のランダムネスが乱流のランダムネスを決める,という記述があった.これに疑問を持った数理物理学者のD. Ruelleと数学者のF. Takensは準周期運動は三次元ですら十分滑らかな摂動に対して不安定であることを証明した5).つまり,ランダウの描像は成立せず,準周期運動はすでに低次元で不安定化しストレンジアトラクター(奇妙なアトラクター)になるというのである.そして,このことは非平衡条件での対流実験で実証され注目を集めるようになった.このストレンジアトラクターはカオスの一種である.

このような前知識があってのことだが,修論のテーマを散逸構造を示す典型的な系であるベルーソフ・ジャボチンスキー反応系(BZ反応系)のカオスと分岐構造にした.当時,化学反応の分野にはR. M. Noyesという権威がいて,化学反応にはカオスは存在しえないと強く主張していた.富田先生と私の直感はこれに反していた.複雑な反応経路からなる化学反応系が構造的に安定であるという証明はなく,まして多数の反応分子からなる集団運動は少数自由度の非線形方程式の解としてカオスを生成してよいはずである.さらに,化学反応系の数理モデルでカオスを分類したO. E. Rösslerの論文6)も我々は熟知していた.私は,電気回路でカオスを世界に先駆けて発見していた上田睆亮先生からアナログコンピューターをお借りしてシミュレーションを重ねた.修論でのBZ反応系の微分方程式モデルはアナログコンピューター上ではカオス的振る舞いを示した.そして,1年後にはボルドーグループが我々が発見したカオス的振る舞いとそっくりの現象を実際の反応実験で発見した7)

しかしながら,このモデルはJ. L. Hudsonたちの複雑な分岐現象を説明することはできなかった.悪戦苦闘の末,私は次元を逓減して一次元写像で考えるべきだということに気づいた.そこで,Hudsonの実験データから一次元写像を抜き出してみると散布図が得られた.これを三日三晩眺め続け,ある関数で近似できることを発見した.データフィッティングはせず,ただデータを眺め続けたことがよかった.生物が本質的に持っているパターン認識能力を利用したのだ.さらに分岐パラメータは単にシフトであることも発見した.この写像を今度はデジタルコンピューターを使って反復して,Hudsonらが実験で見つけていた周期解と“カオス”的な複雑な変動パターンすべてを再現することができ,さらに実験では見つかっていなかった多くの解の存在を予言することができた.その後,Hudsonがさらに実験を詳細に行い,私が予言した解がすべてパラメータの範囲とともに実証された8).これで,実験で見つかっていた複雑な変動パターンは力学系のカオスであることが確定した.この研究の過程で,富田先生は言うに及ばず研究室の蔵本由紀さん,相沢洋二さんの応援が,何物でもない院生にとっては決定的だった.さらに,数理モデルを得たことで,これを使っていろいろと遊ぶことが可能になり,さらに新たな数学現象を発見することができて後に数学にも貢献することができたのは大きな喜びであった.

2.  Dynamic Brainへの挑戦

博論を書いている時に,カオスの魅力は,可算個の不安定周期軌道,非可算濃度の非周期軌道,さらに自分自身に常に漸近する非可算軌道,これらすべてを含む存在であるところにあるのだと考えた.これは計算論の立場では計算不可能性を意味する.このような計算不可能なものを理解することを人間は数学を使って難なくやってのける.その不思議さに魅了され,脳の研究を数学,特にカオス力学を基盤にして行おうと決めたのである.“カオスを”計算することは不可能でも“カオスで”計算することはできるのではないかと考えたのだ.脳の中ではきっとカオスが発生し,カオスで情報処理を行うことで,計算を可能にしているにちがいない.こういう“妄想”を抱き,脳科学に飛び込んだ.もともと生命感のある物理をやりたいと思っていて,同時代的には池田研介さん(当時京大)や金子邦彦さん(当時東大)が同様な物理感を持っていたのも心強かった.私はこの“妄想”を池田さんのアイデアも借りて「カオス的脳観」とか「動的脳観」と呼んで研究することにした.

東京に移り,清水博先生やその門下の人たちと脳研究を始めた.いかに脳研究を行うかをしばらく考えていた時に,D. Marrの“Vision”が出版されたが,Marrはすでに36歳の若さで亡くなっていた.私はMarrのすべての論文を読破した.その中でも,次の三つの論文に強い印象を受けた.海馬における連想記憶の論文9),大脳皮質の機能に関する解釈学的理論の論文10),シナプス可塑性(学習)を予言した小脳パーセプトロン説の論文11)である.三番目の論文は後に伊藤正男らによって実証されたことで有名になった12)

私は特に二番目の大脳皮質の理論に強く引き付けられた.大脳皮質の機能に関してはまだまだ仮説というには弱すぎる言明が多数存在する.そこで,Marrは個々の言明に星印をつけて,星の数が多いほど言明が真である確信度が高いという表現を案出した.私はこれに大いに刺激を受け,そもそも脳の重要な機能の一つは解釈機能ではないかと考えた.さらに,Marrのように,脳研究そのものがある種,解釈学的な色彩を帯びるという考えに至った.そこで,Marrの論文などを引用しながらマニフェスト的な論文13)を書いて脳研究の出発点とした.ちょうどこの時期にF. Crickと話をする機会があった.彼は分子生物学から脳科学,特に視覚情報処理に分野替えをして,とても魅力的な仮説を提案していた.彼の仮説もまた解釈学的なものに私には映った.なぜなら,Crickは論文でlikelyやplausibleという表現を多用していたからである.それで彼に私の「脳の解釈学」の論文を送り,お会いした時に意見を求めた.Crickはあなたの方向性は間違っていないと言ってくれた.これは大いに自信になった.

いよいよ脳のダイナミクス研究を行う時,私が最初に影響を受けた論文はJ. Szentágothaiというハンガリーの解剖学者の分厚い論文だった14)-16).ここにはダイナミクスについて触れた記述はなかったが,彼の脳観もまたダイナミックだと感じたのだった.私はこの論文にあるモジュール構造単位のニューラルネットワークモデルを作り,その動作を調べようと考えた.そこで,2モジュールの相互作用系を非平衡状態に保つ工夫をしてシミュレーションを行った.この最小の相互作用系で発見したダイナミクスが,連想記憶がカオス的に遷移するカオス遍歴である.

私がこの論文17)を発表した年と同じ年に,W. J. FreemanがC. SkardaとBehavioral and Brain Sciences誌に私と類似の脳観で嗅球と嗅皮質の相互作用系におけるカオス的活動がにおい情報処理にとって重要な役目を果たすという論文を発表した18).私はすぐさまFreemanに論文の内容に関する様々な質問とコメントとともに,私も類似の考えで脳研究を開始したことを述べ,私たちの論文を送った.Freemanからはすぐに返事が来て,論文を読んで同じ考えだと理解したので,これからDynamic Brainの分野を協力しながら推進していこうという趣旨のことが書かれていた.その後,当時私の知る限り日本で唯一,脳のダイナミクス研究を推進していた玉川大学の塚田稔さんに日本でDynamic Brainのグループを作ってほしいとお願いし,甘利俊一さんの助けも借りて,Dynamic Brain Groupができ上がった.工学者の塚田さん,数学者の藤井宏さん,物理学者の奈良重俊さん,数理工学者の合原一幸さんと私である.日本では脳の五人組と呼ばれ,外国ではJapanese Gang of Fiveと呼ばれた.この五人組が中心になって国際的なフォーラムを世界各地で開催し,大きな影響を与えた.またその後継の中国人R. Wang,F-J. Guらが提案し,共同でCognitive Neurodynamicsという国際学術誌も刊行するに至った.

図1

(a)富田和久先生(右)と(1982年9月).(b)Francis Crick博士(右)と脳の解釈学,視覚情報処理に関する議論をする(1987年10月22日).(c)Walter Freeman 3世(右)と動的な脳に関する議論をする.

私たちがDynamic Brainの研究を始めたころは多くの脳科学者は“ここにこんな刺激に反応する細胞がある”といったたぐいの機能ニューロンの発見競争に明け暮れていた.私たちはそれも重要だが,ニューロンやその集団のダイナミクスこそが情報を担っているという観点で研究を行い,世界中に多くの仲間を得ることができた.今や,脳研究はダイナミクスの研究であると言われている.隔世の感があるが,さらに未来を見据えて,また今こそ新しい研究の方向性を新しい脳観によって生み出していかねばならないと強く感じている.しかし,これは若い人たちの仕事でもある.やり残したことは山ほどあるが,一つ言うとすると脳の解釈学を非因果的な変分問題で解明することだ.私はまだ現役で研究を続けているので今後それらを追求していくつもりだ.

文献
Biographies

津田一郎(つだ いちろう)

札幌市立大学AITセンター特任教授

 
© 2025 by THE BIOPHYSICAL SOCIETY OF JAPAN
feedback
Top