2025 Volume 65 Issue 2 Pages 101-112
日本生物物理学会は1960年に設立され,早くから物理学と生物学の融合を推進してきた.国際純粋・応用生物物理学連合(IUPAB)は1961年に設立され,今年(2024年),京都で第21回国際会議(IUPAB2024)を日本生物物理学会第62回年会と共同開催した.この機に,当学会の二つの刊行誌,本誌「生物物理」およびBiophysics and Physicobiologyの編集委員会は,将来の生物物理学者が今を振り返ることができる「タイムカプセル」を企画した.国際会議の前日に,国内外の7人の著名な研究者が一堂に会して,生物物理学の未来を予見し,若手研究者や次世代にメッセージを残すべく座談会を行った.この記事は,その議論の後半部分である.
Zhang:私の名前はFeng Zhangで,MITのブロード研究所の教授を務めています.私が生物に興味を持つようになったのは,中国で生まれ,11歳のときにアイオワ州に移り住んだ頃です.
Feng Zhang(マサチューセッツ工科大学)
中学校で生物学の授業があったのですが,非常に退屈だと感じました.植物や葉の種類を覚えたり,カエルを解剖して解剖学的な部分を特定したりするだけだったからです.しかし,転機は7年生のときに訪れました.学校では週末クラスがあり,グラフィックデザインやシェイクスピア,アートや絵画など,さまざまなことを学べるクラスがありました.
その中には,分子生物学というクラスがありました.私は,どうやって生物学が分子レベルで説明されるのかまったく想像がつかなかったので,そのクラスに参加してみました.そこで先生は,DNAやセントラルドグマについて教えてくれました.さらに,非常に興味深いドキュメンタリーも見せてくれました.それが映画『ジュラシック・パーク』でした(笑)
そのサイエンスフィクション映画で描かれていたことは,私たちが授業で学んでいたことに直接関連しており,私は生物学に非常に興味を持ち始めました.
小松崎:つまり,『ジュラシック・パーク』がきっかけで,若い中学生が研究者を志すことになったわけですね.なんて面白い話でしょう!
Zhang:そうなんです.生物学が単なる情報のカタログ化ではなく,エンジニアリング分野として活用できることを示してくれたのです.それが,私が生物学に興味を持つようになった理由です.
その後,高校に上がった時,私たちの生物学への関心を覚えていた先生が,地元の病院に遺伝子治療の研究室があり,そこでボランティアを募集しているという話を持ってきてくれました.そこで私は16歳になってからその研究室で働き始め,毎日午後1時半から7時まで,それから3年間ほぼ毎日通っていました.その経験から,生物工学に非常に興奮するようになり,ハーバード大学に進学して生物物理学の研究室で働きました.私は,ウイルス膜上のヘマグルチニン(HA)変異体の構造を解明するための研究に取り組みました.その研究室で1年間働いた後,Xiaowei Zhuangという新任の教授の研究室に参加しました.彼女はSTORMイメージング(超解像蛍光顕微鏡技術の一つ)を開発した方です.
永井:本当に? 初めて聞きました.
Zhang:ええ,私はXiaoweiと3年間一緒に仕事をしました.その後,スタンフォード大学の大学院に進学し,化学を専攻しましたが,次第に神経科学に非常に興味を持つようになり,Karl Deisserothという新任の教授の研究室に参加しました.彼の研究室に参加したのは,彼が精神科医であると同時に生物工学者でもあったからです.私は,ドイツのGeorg NagelとErnst Bambergという2人の教授とも共同研究を行いました.そして,緑藻クラミドモナス・ラインハルティ(Chlamydomonas reinhardtii)から得たチャネルロドプシンというタンパク質をニューロンに導入しました.この研究が光によって神経活動を制御する技術であるオプトジェネティクスの基盤となりました.
光で制御するアクティベーターを開発した後,私たちは,緑色,赤色,そして黄色蛍光タンパク質が存在するように,他の色の光に反応するタンパク質があるのではないかと考えました.それで私たちは自然界を調査し,他のオプシンタンパク質を発見しました.それらを使用することで,異なる色の光をニューロンに照射し,活動を抑制できるようになりました.
その後,ハロロドプシンを使用して,黄色い光で神経活動を抑制できるようにしました.そして現在では,オプトジェネティクスのツールボックスを拡張する他のオプシンがたくさんあります.
博士号を取得する際に,オプトジェネティクスにとって最大の問題は遺伝子ターゲティングであると考えました.脳を研究するためには,他の部分に影響しないように回路を制御できる必要があります.
その方法は,遺伝子ターゲティングを行い,チャネルロドプシンや他のオプシンを特定の回路のニューロンにだけ挿入できるようにすることです.そのため,ゲノム内の遺伝子配列を正確に見つけて操作する方法,つまり現在「ゲノム編集技術」と総称される技術を考え始めました.
そこで,私はジンクフィンガーを使い,DNA配列を認識するように設計しようとしました.それから,モジュール式の構成要素を使用して特定のDNA配列を認識する植物タンパク質に基づくTALEs(転写活性化因子様エフェクターヌクレアーゼ)を開発しました.このTALEsの「コード」は2009年に発見されました.
TALEsはモジュール式なので,ヒトゲノムをターゲティングできるように再プログラムできると考えましたが,それでも使用するのは難しかったです.なぜなら,ゲノムの異なる部分を標的とするたびにタンパク質を再構築しなければならなかったからです.その後,CRISPRについて知り,Cas9を遺伝子ターゲティングに利用することにしました.これにより,タンパク質を変える必要がなく,ガイドRNAを変更するだけで済むため,ターゲティングがはるかに簡単になりました.
いかにして自然がこれらの強力な分子を発明していたのかを見る経験すべてが,自然を採掘し,役立つ分子を見つけて技術を開発するという宝探しのような作業に私たちを駆り立ててくれるのです.
永井:5年以上前,2016年か17年頃だったか,私が研究室を訪問したときのことを覚えていますか? そのとき,あなたは緑色の溶液が入った大きなプラスチック容器を見せてくれました.それは緑藻だと言っていましたが,その藻を使った論文は発表しましたか?
Zhang:はい,発表しました.その藻は,挿入部位をターゲットするためにRNAを使用して転座する特別なタイプのトランスポゾン(可動遺伝子)を持っていました.
そのトランスポゾンが,RNAガイドを変更するだけでどこにでもDNAを挿入できるように再プログラムできることを示しました.これは非常に役立つツールです.
永井:そんなにユニークな生物をどうやって見つけたのですか?
Zhang:私たちはゲノムマイニングを行っています.あらゆる公共データベースから配列を集めました.NCBIやJGI,日本にもいくつかのリポジトリがあります.すべてのデータをまとめ,約100億のユニークなタンパク質を得ました.
これらの新しい手法のいくつかを使用し,タンパク質のクラスタリングをより迅速に行う方法を開発することで,このデータセットにアクセスし,興味深いシステムを見つけることができます.
小松崎:これほど大きなデータベースから新しいタンパク質を見つけるための方法論や手順はどのようなものなのでしょうか? マイニング=発掘であり,どのようにして「その1つ」を選び出せたのかをイメージするのは非常に難しいですね.どうやって見つけることができたのでしょうか?
小松崎民樹(北海道大学)
Zhang:確かにその通り難しいので,進化の原理を利用して興味深いシステムを見つけています.特に細菌や原核生物では「罪による連帯責任」という概念がその一例です.
藤原:罪?
Zhang:はい,「罪による連帯責任」です.
この表現は,犯罪を犯した人たちと一緒にいると,自分も有罪とされてしまう可能性が高いという意味です.進化の観点では,細菌のゲノム座の中で,ある遺伝子の機能は隣接する遺伝子の機能と似ている可能性が高いのです.例えば,細菌では通常,免疫システムのクラスターが一緒に見つかり,これらは防御島と呼ばれます.代謝クラスターであれば,代謝島と呼ばれます.
永井:それはオペロンのようなものですか?
Zhang:そうです,オペロンのクラスターです.そして,防御システムのオペロンが1つある場合,その次のオペロンも防御システムである可能性が高いのです.
これは,多くのこれらのシステムが細菌間で遺伝子水平伝播を通じて伝達されるためです.隣接していると一緒に伝達される可能性が高く,進化の観点からは効率的といえるでしょう.これは原理の1つで,進化の原理は他にも多くあります.
小松崎:その原則は基本的に地球上で発見されるものですよね.少し前の議論で,別の環境に生物システムを置くと,免疫系でさえも変化する可能性があるとおっしゃいました.
その場合,クラスターのシナリオは地球外では機能しないかもしれませんよね? そうなると,そのようなデータベースや知識は異なる環境に転用できるものなのでしょうか?
Zhang:まずは自分が探している機能について始める必要があると思います.探している機能が何であれ,その機能を人為的に操作しなければならないと考えています.これは,直接進化を通じて行うこともできますし,現在では,たとえばタンパク質の言語モデルを使って,重要な構造ドメインを保存しながらタンパク質の配列を急速に多様化させることが可能です.
そして,配列空間内で非常に遠くに行くことができれば,機能空間内でもさらに遠くに進むことができるかもしれません.しかし,そうした場合でも,おそらく最良の方法は,とにかく多くの細胞を取り,目的とする環境に送り出すことだと思います.そこで機能する細胞を選択し,それらにさらに改良された機能性タンパク質を進化させます.
さらに興味深いのは,宇宙空間からサンプルを収集することだと思います.他の惑星にはおそらく微生物が存在する可能性が高いでしょうから.パンスペルミアという概念がありますが,これは地球外にもDNAベースの生命体が存在し,それらが特定の環境で進化している可能性があるというものです.
NASAは金星に探査機を送りサンプルを収集しようとしています.また,木星には氷の下に水がある多くの衛星があります.非常に興味深いことがたくさんあります.
永井:(宇宙開発事業を驀進させているスペースX社の)イーロン・マスクCEOとは友達ですか?(皆笑)
Zhang:カナダのオンタリオ州に古い鉄鉱山があります.この鉱山は約2マイル(3.2キロメートル)ほどと非常に深いです.数年前,2マイルの深さから溜め池が見つかりましたが,その水は地球の主な水系から16億年前に分離されたものでした! 私はそこに行ってサンプルを採取し,それをシーケンス(=DNAなどの配列決定)すべきだと考えています.分離された水系で進化した生物には,非常に面白い生物学が存在する可能性があります.そして,地球上の生物多様性,地球外の生物多様性が私たちに多くの有用な知識をもたらすでしょう.
Li:深海生物を収集する探検隊もあります.
Hummer:そうですね,地球深部の生物は,鉱物のゆっくりとした分解によって非常にゆっくりとした複製速度で生命を維持しているかもしれません.
Li:はい,そこには間違いなく多くの未知があります.
Hummer:カーネギー研究所の友人が一度指摘したのですが,初期の宇宙探査機はおそらく滅菌されていなかったため,今や火星にはほぼ確実に生命が存在しています.
Zhang:それがまさにパンスペルミアです!
永井:先ほども述べたように,林さん,効率の問題について議論したいと思います.たとえば,ソーラーパネルがありますが,光エネルギーを電気エネルギーに変換する効率はそれほど高くありません.しかし,進化を通じて生き残ってきた生物を見てみると,そのエネルギー変換の効率ははるかに高いのです.
ミトコンドリアでは,電子移動の効率はほぼ100%に達します.生物がどのようにしてそんな高い効率を達成したのかは不思議です.これは今後50年以内に解決する必要がある問題だと考えています.多くの物理学者や工学研究者は生物現象にはあまり関心がありません.彼らは生物学とは無関係に機械や技術を開発してきましたが,今後は生物から学び始めるべきだと思います.生物には,他の分野に応用できる設計原理があるからです.なので,生物物理の大事な目標の1つとして,生物がどのようにしてそんなに高い効率を達成しているのかを理解することが挙げられるのではないかと思います.それを理解できれば,人類は今以上に高効率な機械を開発できるようになるでしょう.
林:過去に効率が低い生物がいたとしたらどうでしょうか?
永井:どの生物ですか?
林:わかりませんが,現代ではほとんどの生物が高い効率を持っていますが,古代には逆のタイプの生物が存在したかもしれませんよね.
永井:1000年以上,100万年以上も前の生き物のことは私はよくわかりません.まるで「ジュラシック・パーク」のようなものだけが,それらの生物を復活させることができるように思います.
林:進化だけが一部のタンパク質を効率的にすることができると思いますか?
永井:そう思います.いずれにせよ,私の研究プロジェクトの1つは,2つの蛍光タンパク質を使用したFRETベースのバイオセンサーを作ることに焦点を当てています.2つの蛍光タンパク質間で生じる励起エネルギー移動を100%にしたりほぼ0%にしたりと自由自在に変化させることで高性能なバイオセンサーを開発することに既に成功しています.地球の誕生以来,地球上の生物は,無数の試行錯誤を経験してきました.例として,これだけ多くの植物が非常に効率的にエネルギーや電子を移動するシステムを持っているのはそのためだと思います.
また,これだけでなく,構造解析もこのような非常に効率的で機能的なシステムの開発に役立つでしょう.生物がどのようにして光子を捕らえ,反応中心に移動させているかといった,生物が用いている驚異的な構造を理解することで,その知識をもとに同様の効率的なシステムを作り出すことができるかもしれません.
分子生物学的アプローチではこの問題を解決できるとは正直思いません.構造生物学的解析に基づく生物物理学的アプローチだけがこれを解決できるのです!(皆笑) 遺伝子を削除したり枯渇させたりするだけでは,このように複雑な問題に対する答えは得られないと思います.
Li:私は,分子生物学者と物理学者が協力してこの問題を解決することができると言いたいですね.
Joseph:分子生物学者と物理学者が協力しているように,工学者が生物学に進出するのも流行っていますね.生物工学はまだとても若い分野です.そして,どうしたら生物を操作できるかをたくさんの工学者が考え始めています.これからは逆に,工学者が生物システムから学んだことを活かし,生物に着想を得た素材を作り出すようになるでしょう.
Hummer:エネルギー効率について考えてみましょう.生物システムのエネルギー効率は必ずしも高いわけではありません.明らかに進化は,あらゆる与えられたエネルギー源をより多く収集するための強力な原動力です.しかしながら,修復や損傷の除去,再生の能力も重要な因子です.
私たちはしばしば物質というものを準静的なものと認識しています.たとえば屋根にある太陽電池パネルがそうですね.
ソフトマターは(光などの外部刺激に対し)急速に劣化するのに対し,生物材料は自己修復能力を持っています.たとえば,光吸収に伴う避けられない損傷に対処するために,自己修復能力を備えたソフトマターを作ることが大きな課題の1つです.理想的なシナリオでは,柔らかい化学反応機構によりソフトマターは永遠に「生き残る」でしょう.
大浪:つまり,私たちは材料科学と協力して,このアイデアをまとめるよう努めなければならないということですね.実際,私はこのような持続可能な材料を作る仕事をし始めています.
小松崎:以前,私はStony Brook大学の友人と進化について話し合ったことがあります.彼は進化を流れ場地形(フラックスランドスケープ)と呼ばれる概念で説明していました.
流れ場地形とは,定常非平衡条件下において自由エネルギー地形の概念を拡張したものに相当します.しかし,これは物理的にその地形が準備されている,または事前に存在していることを仮定することに対応します.つまり,これを「神」と呼ぶならば,神は進化のすべてのシナリオを事前に知っており,進化の結果,どこに向かうかはすでに知っていて,それはある種の最適経路であることを知っているとするわけです.
地形について議論するためには,すべての詳細な,可能な経路をサンプルとして持っていることが原理上必要となります.そのため,このような解釈は,すでに誰か超越者が空間全体をサンプリングしてすべての経路を選び取っていることを前提としています.私はこのように進化を流れ場の地形として解釈することに対し違和感を感じましたが,たくさん議論した後,彼はたとえそうだとしても,今,神はあなたを“こっちだ,こっちだ”と誘っているかもしれませんよと話されていました.
進化を記述し合理化する方法は,言語のようなものでありながら,まだすべての質問に答えられるほど完成されていないと考えています.
Zhang:今後50年間で非常に重大な影響を与えるだろうと思うのは,AIを研究のツールとして統合することです.生物物理は,生物学におけるロボットの開発を大いに促進できると思います.50年以内にはAIが文献を読み,情報を統合し,新しい仮説を生み出すという,完全なクローズドループシステムを持つことは確実でしょう.
そして,ロボットが十分に発展していれば,AIはロボットに実験を指示し,データを取得させ,そのデータがAIシステムにフィードバックされ,さらに多くの仮説を生成できます.このクローズドループシステムは,ヒトが行うよりもはるかに速いと推測します.
小松崎:AIが仮説を生成することもできるとお考えですか? これはAIが行う最終的な段階だと思います.もしAIが自発的に仮説をも生成できるなら,人類は研究のために何ができるのでしょうか?
Li:休暇を取る(皆笑)
Zhang:AIは人類の生産性を非常に向上させるでしょう.
藤原:最近では,特にCOVID-19の後,若い学生たちは実験を繰り返すことを望んでいません.彼らは1回の実験で十分だと考えています.
永井:研究において再現性が非常に重要であることを学生たちに教える必要があります.再現性を得るためには,同じ実験を何度も繰り返さなければなりません.
藤原:学生たちが言うには,AIを使えば実験をしなくても何が起こるか予測できるのに,なぜAIが提案することについて考える必要があるのか?と疑問に思うそうです.
小松崎:私は,実験者がAIを過信しないことが重要だと思います.たとえば,分子分光学における画像解析などは相当の注意を要します.
よく知られた単純な例は,AIがヒトデの分類,例えば採取された日付や性別,種類などを,画像から完全に識別できることです.AIは画像データを用いて分類するのですが,その画像全体には必ずしもヒトデに関連する情報だけでなく,他の情報も含まれています.たとえば,誰かがヒトデを手に持って写真を撮ると,その写真にはヒトデだけでなく指も写ります.同様に,日光の下で撮影された写真とそうでない写真がある場合,写真にはヒトデに関する本質的な情報だけでなく,撮影されたときの環境の違いに関連する何かが含まれることになります.AIはその本質的な情報と対象と無関係な外的情報を区別することができないため,利用できるあらゆる情報に基づいて,実験者が設定した目的を達成してしまうことがよくあります.
つまり,AIが非常に良い結果を出し,期待通りの高い分類スコアを提供する場合でも,AIが必ずしも正しい方法で分類問題を処理しているとは限りません.場合によっては,非常に誤解を招くことがあります.これは画像認識だけでなく,実験におけるスペクトル分類でも同様で,AIが目的のために機器のノイズやデバイス依存性の(研究者にとって)不要な情報を利用する可能性があるわけです.
実は,AIが近未来,どのように生物物理に変化をもたらすかについて,この座談会でぜひ皆さんに質問してほしいと,他の編集委員のメンバーから頼まれています.ですので,皆さんにAIがそれぞれの研究分野に,50年のスパンで,どのような影響を与えるかについてご意見をお聞きしたいと思います.
永井:AIは効率を向上させることができるでしょうか?
Hummer:基本的なレベルでは,人工知能は非常に高次元の空間で関数を表現する能力ということができて,非常に柔軟なものですが,高次元ではデータが極めて限定的であるという代償を伴います.
その結果,内挿や外挿,オーバーフィッティングなどのリスクが生じます.私の研究分野では,すでにシミュレーションをAIシステムに結びつけて自己学習するクローズドサイクルを構築しています.
システムは予測を行い,新しいシミュレーションを実行し,その予測を検証します.もし予測が間違っていたらシステムはモデルを否定し,十分な証拠が蓄積されるとモデルを再学習します.
これは非常にシンプルで基本的なことですが,私のグループが研究プロジェクトを進める方法に変化をもたらしつつあります.高次元情報としてメカニズムを数学的に取り扱えるツールが手元にあるからです.私たちの場合,その(知りたい)メカニズムとは分子反応のメカニズムを指します.
同様に(分子がもつ種々の特徴量から構成される)分子回帰は非常に初歩的なアプローチではありますが,学習されるメカニズムは(線形一次)方程式などに帰着されます.AIはこのように私たちに検証できる数式表現を提供しますが,(複雑すぎる場合もあり)あまり美しいといえるものではありません.しかしながら,少なくとも我々に検討材料を突きつけてくれます.
強力なツールが台頭することで,たとえば基盤モデルや大規模言語モデルのように,私たちのモデルは局所的な情報だけでなく,スケールを越えて統合できるようになるかもしれません.
AI駆動の実験の例はすでに見られています.私たちの場合,シミュレーション=コンピュータ実験と考えています.同様のアプローチで,(AIが)ハードウェアと対話することも原理的に可能でしょう.たとえば,マイクロ流体装置を交換する必要性が生じた場合を想像してみてください.交換しないことによる装置のリスクを最小限に抑えるために,AIには,(装置の動作状況が)信頼される動作域を逸脱しているかどうか,数理モデルが予測不能な状況にいるかどうか,を検証するツールが必要となります.
将来を見据えると,AIは私たちの取り組み方を変えて,データを大量に蓄積するだけでなく,強力な「仮説生成器」として機能するようになるものと思います.AIは新しい物理学のヒントを少なくとも仮説的な形で提供するかもしれないと私は考えています.
小松崎:Rongさん,どうお考えですか?
Li:私は50年後には死んでいると思います(皆笑).でも,これは確かに非常に強力なツールだと思います.それ以上のことはよくわかりません.私はAIの専門家ではありません.ただ,少なくとも現在,AIモデルは人間が生成したデータを訓練データとして使用しています.そして,もし私たちがAIに悪いデータを与えれば,悪いモデルが生成されます.したがって,悪い情報がAIを通じて伝播され,それがさらに間違った情報を生み出し,それがさらに広まる可能性があると危惧します.では,それをどう防ぐのでしょうか?
小松崎:それは我々人間の責任なんだと思います.
Li:私たちはAIがタンパク質構造予測に広く使われているのを見ていますが,予測された構造の多くが間違っていることも知られています.
小松崎:非常に注目すべきAIのひとつにアルファ碁ゼロがあります.アルファ碁ゼロには非常に興味深い話があります.みなさん,アルファ碁をご存知ですか? アルファ碁は世界チャンピオンに勝利した最初のアルゴリズムです.その次にでてきたものがアルファ碁ゼロと呼ばれるものです.アルファ碁ゼロのAIは,碁の世界棋士クラスのプレーヤーが行った棋譜の記録を一切訓練データに使用せず,入力データは囲碁のルールだけだったのです.
2台のコンピュータがあり,互いに競い合い始めたとしましょう.しかし,彼らは赤ん坊のようなもので,ルールしか認識していません.彼らは勝ったか負けたかしか理解できないわけです.しかし,彼らは共進化し,互いに競い合うための独自の戦略を自律的に見つけたのです.そして興味深いのは,アルファ碁ゼロがアルファ碁と計算機上で対戦したことです.どちらが勝ったと思いますか? 実際,アルファ碁は,ルールだけを教えて後は自発的に進化したアルファ碁ゼロに負けました.これは,人類(世界クラスの棋士)がまだ到達していない強力な戦略が存在することを意味しています.
ですから,AIが私たちに良い方向に影響を与える可能性もあるというわけです.この話の要点は,科学において単純かつ明確に定義されたルールを持つタスクを設定できるかどうかということになります.ルールを設定すれば,AIに解決を依頼し,人類が想像もしなかった解決策が得られるかもしれません.アルファ碁ではルールが明確でした.しかし,科学研究においてはそういったルールやタスクを設定すること自体,非常に難しいですよね.
Jerelleさん,AIについてのご意見をお聞かせください.
Joseph:ここまでの多くの意見に賛成です.私たちは,生体分子凝縮体の挙動を予測できる計算モデルをどうやって作るかを長い時間かけて考えてきました.これらのモデルの開発に機械学習を活用する方法はたくさんあります.最近になって,生体分子凝縮体を非常によく再現できる計算モデルを開発できれば,それを他の生物物理現象を予測するニューラルネットのための訓練データ生成ツールとして使えることも分かってきました.
つまり,機械学習のツールを使って計算アプローチを開発し,それで得られたモデルを他の機械学習のトレーニングに使用するという,素晴らしいフィードバックができるのです.
実験データを統合して計算モデルを作るのを目指している私たちが直面した課題の一つは,定量的な実験データが足りないことです.AIが実験のワークフローを自動化するために使われるようになれば,物理学に基づいたモデルを作るために使えるデータは大幅に増えるでしょう.そうして得られたアプローチは,生物物理の見識をもたらすだけでなく,生物を操作する工学的な工程でのツールとしても役立つでしょう.
1つ私が気づいたのは,機械学習ベースのモデルは,確固とした先見や物理学的な洞察に基づいていると,より良いパフォーマンスを発揮するということです.モデルを設計する際,生物システムに対する直感や理解は非常に重要です.誤ったデータを与えれば,誤った予測が導かれてしまいます.機械学習やAIツールをどのように使うか,そこから実際に何を学んでいるのかを慎重に考える必要があると,私はいつも主張しています.
Li:ここでの鍵は直感ですが,人間の直感が何であるか,またそれが機械システムによって再現できるかどうかは誰も理解していません.
Hummer:しかし,私たちが自分の専門分野を離れると,非常に難しくなり,チームが必要になりますよね? 今では,生物学のように本来複雑な分野で,一人の研究者がプロジェクト全体を完全にコントロールすることはほとんど不可能です.将来を見据えると,経験と事実の蓄積に強く依存する私たちの人間の直感だけに頼るアプローチは,限界に達するでしょう.
林:AIは何でもできるということですか?
Hummer:我々の研究所を見渡すだけでも,分子生物学と細胞生物学のあらゆる分野が突然連携しはじめているように見えます.多くのことを知っておく必要があります.これは私の小さな世界での話ですが,そうですね,AIは私たちを助けてくれるのではないでしょうか.
Li:まあ,チームとして働く人々と協力することに問題はありませんよね? 小さな問題はほとんど解決されていて,生物学で未解決なのはこういった非常に複雑な問題や疑問です.今後の生物学において,学際的なチームを構築することが必須であると思います.しかし,それはAIのような強力なツールを使用することに反対するものではありません.直感は重要ですが,それが科学的探求の唯一の重要な要素ではないことは誰もが知っています.
小松崎:Fengさん,仮にAIが自律的にCRISPR-Cas9を発見できたと想像できますか?
Zhang:AIは発見を助けてくれると思います.つまり,人類における直感や創造性,すなわち科学者における仮説や創造的なアイデアにあたるものでしょうか.
しかし,誰にでも創造的なアイデアを出すように頼めば,何かしらを思いついてくれます.そして,それらにはより良い創造的なアイデアと,そうでないものがあります.しかし,どれもAIの分野では「幻覚(Hallucination)」と呼ばれるものです.
良い創造的アイデアとは,より正確な幻覚であり,あまり良くないアイデアはあまり良くない幻覚です.それらはすべて,ある種の現実世界のモデルについての私たちの確率的な理解に基づいています.AIも同じことをしていると思います.それは,AI空間で表現される確率的なモデルであり,より良い結果やそうでない結果があります.おそらく,人間の計算システムがどのように機能しているかから学べることがあるでしょう.それは現在のAIには実装されていません.現在のAIモデルは非常にシンプルです.おそらく,ただの新皮質のようなものです.しかし,人間の脳には,皮質層の基本的な構造以上の多くの側面があります.たとえば,睡眠や神経ネットワークを通じて伝播される振動活動などの基本的なプロセスは,記憶の固定や不要な記憶の消去に役立ちます.
これらは,現在のAIモデルによるデータ表現法には実装されていません.AIモデルやAIシステムがより良く学習し,より良く記憶するのに役立つと考えられ,今後人々がさらに追求していくと思います.
そして(より重要なことに),人間の脳は(AIが使っている)GPU(グラフィックス処理ユニット)ほど多くのエネルギーを消費していませんよね.
大浪:そうですね.
Zhang:人はGPUよりも多くの計算を行うことができます.
Joseph:次元に関係していますか?
林:そうですね,その通りです.
Zhang:はい,しかしそれも人類が改善できることです.だから,AIが今後どれほど速く進歩するかを知るのは難しいですが,かなり速く進むでしょう.おそらく,AI専門家が言うほど速くはないでしょうが,非AI専門家が言うよりも速いでしょう.
小松崎:久美子さん,あなたのご意見はどうですか?
林:私ですか? AIは日常生活ではもちろん非常に役立っています.私は頻繁にChatGPTを使いますし,最近ではPythonプログラミングはいつも書き方をChatGPTに聞いています.そして,(プログラミングについて)ChatGPTの提案をほとんど信じています.AIは大変便利ですが,将来,AIが人間の文化を破壊する可能性はあると思いますね.50年後について答えるのは本当に難しいですが,私はそれほど楽観的ではないので.
小松崎:遠い未来を考えること自体は興味深く挑戦的なものだと思います.重要なのは助成金申請のようにいかにもできそうな近未来を思うのではなく,それをはるかに超えたところを想像するということかと思います.それが私たち編集チームが50年というスパンを選んだ理由でした.
藤原:次世代へのメッセージは好奇心です.特に今の高校生にとって,それが鍵ではないでしょうか.彼らのモチベーションを保ち,研究分野に興味を持たせるためには,楽しむことが必要です.だから,楽しさと好奇心は,人間としての私たちを維持するための鍵になるでしょう.
藤原郁子(長岡技術科学大学)
永井:私は,日本の教育システムを更新することを考えるべきだと思います.
林:それをどのように変えることができるのでしょうか?
永井:単に知識を得るだけでは,好奇心を刺激するには十分ではありません.もちろん,知識を得ることは重要ですが,それだけではなく,常識を超えて考える方法を学ぶことも重要です.それが現在の日本の教育システムに足りないことだと思います.
大浪:論理的思考が物事を進める唯一の方法であるならば,人間よりもコンピュータの方がより良い結果を出すでしょう.好奇心に基づくアプローチが現在の状態を前に進める最も効率的な方法なのでしょうか?それは疑問です.多くの人々はエネルギー効率や,モデルの効率的な開発方法といったことについて議論しています.単に効率だけを考えるなら,理想的にはAI,あるいはAIとロボティクスの組み合わせが,人間よりも良い結果を出すはずです.
しかし,好奇心に基づくアプローチは,必ずしも最も効率的な方法ではないと思います.私は,好奇心に基づいたアプローチと,AIに基づいた効率的なプロセスを組み合わせることに対して,比較的楽観的です.
永井:ここからはテーマを「AIのそのまた先」に変えるべきでしょう.
大浪:AIは単なる新しいツールに過ぎません.それをうまく利用できるようになり,そのツールの利点を活かすことで,私たちは興味を惹きつける違いを見つけ出すことができるでしょう.
小松崎:私の理解では,AIはまだ何もないところからプログラムを自発的に生成することはできません.
Joseph:逆に,そういう何時間もかかる面倒な作業をAIが全部やってくれるなら,私たちはもっと野心的で好奇心旺盛になり,もっと難しい問題を解こうとするかもしれませんね.
Zhang:科学は決して終わらないと思います.新しい発見をするたびに,さらに多くの疑問が生まれ,解決すべき難しい問題が増えるでしょう.
林:でも,私はChatGPTを使い始めてから,とても怠惰になりました.ChatGPTを使うと,すぐに怠けてしまいます(皆笑)
Zhang:でも,あなたは他のことができるでしょう(皆笑)
大浪:創造性を高められますよね.
林:そうですね.
Zhang:しかし,こう考えてみてください.シミュレーションを実行して,そのパラメータが無限であるとしたら,無数の解が存在するでしょう.つまり,AIや他の技術がどのように進化しても,時間や未来の結果は常に存在し,それをすべて探し尽くすには何らかの手段が必要だということです.
林:もしAIがなければ,私はPythonのプログラミングにもっと多くの時間を費やさねばならなかったでしょう.AIのおかげで時間を節約できるので,確かに,私はもっと(プログラミングで)創造的になれるかもしれません.でも,危険な道もあります.もしかしたら,余った時間は漫画を読むことに使ってしまうかもしれません(皆笑).人間がAIによって怠惰になってしまう傾向を心配しています.
Zhang:いや,人間は報酬システムと戦うと思いますよ.どちらがより多くのドーパミンを与えるかの比較に過ぎません.多くの報酬を与えるのは本当に漫画を読むことでしょうか? それとも,AIの助けを借りてさらに大きな発見をすることでしょうか? それは違ってくるはずです.一部の人々は,小さなドーパミンの瞬間を楽しむだけで十分だと思い,小さなドーパミンを繰り返し得続けるでしょう.しかし,他の人々は少量のドーパミンでは不十分であり,さらに多くを求めるかもしれません.彼らは薬物に走るかもしれません.さらに他の人々は,発見を通じて本当にアドレナリンやドーパミンを感じる必要があるでしょう.
だからこそ,多様性は美しいのです.
永井:ああ,それは明日のあなたの講演! これは私たちへのプレビューですね(皆笑)
小松崎:最後のテーマに移りたいと思います.それは次世代についてです.私たちには,中学生だったFengさんがジュラシック・パークの映画を機に研究者の道を歩まれたように,次のFengさんを生み出すチャンスがあるかもしれません.次世代へのメッセージを残してもらいたいと思います.Fengさんから始めてもらえますか? あなたの話は非常に感動的でした.
Zhang:未来の世代へのメッセージですか? 彼らを好奇心旺盛に保つことが大切だと思います.知識欲と学びたいという欲求が非常に重要です.若い人たちには,好奇心を持ち続け,飢えた状態を保つように,と伝えたいです.
小松崎:Rongさんはどうですか?
Li:私は2人の子供がいます.一人は大学を卒業したばかりで,もう一人はまだ大学に通っています.私が彼らに伝えたいのは,自分の夢を追いかけることです.それが私が彼らに言いたいことです.
小松崎:科学の分野に興味を持たせるために,特別な策や勧めたことはありますか?
Li:息子は環境科学に非常に興味を持っています.それが彼の好奇心であり,彼の原動力です.娘は若手の作家で,すでに3冊目の本を書いています.私は彼女に科学をやりたいと思わせることはできません.彼らはそれぞれの方法で社会に貢献する満足のいく人生を送ることができるでしょう.
小松崎:ありがとうございます.それでは,健治さんはどうですか?
永井:若い頃,私は少し変り者だったかもしれません.高校時代,質問があるときはいつでも手を挙げていました.私は決してためらうことはありませんでした.ですから,他の国のみなさんは,日本人がためらう傾向があることを理解していないかもしれません.ほとんどの(日本の)学生は,質問をすることをためらうのです.なぜなら,わからないということを恥ずかしいと思うからです.
そのような環境では,学生は「先生,何を言っているのかわかりません」と言えません.誰もそれを言えないのです.そのため,99%の学生は,質問や好奇心を持っていたとしても,手を挙げません.私が未来の学生たちに伝えたいのは,ためらわないで,恥ずかしがらないで,ということです.
これは日本の教育において,小学校から高校までずっと取り入れられるべき重要な教訓です.私は,すべてのあらゆる学生や生徒が何かに好奇心を持っていると思います.ただ,「なぜこれが起こるの?」と質問しないだけなのです.
例えば,なぜシアン化カリウムが私たちにとって危険なのかを知っていますか? 高校時代,私は生物の先生に,特定の有毒な化学物質がどのようにして毒として作用するのかを尋ねましたが,先生はすぐには答えることができませんでした.それで先生は,大学時代の研究室仲間に連絡を取りました.最終的に,彼らはその化学物質がどのようにして人体の機能や活動を阻害するかについて説明してくれました.その後,私は「なぜ植物は光をグルコースに変換できるのですか?」と質問しましたが,それにも先生はすぐに答えることができず,再び大学時代の仲間に問い合わせてくれました.
こういった質問は,高校生や中学生にとって本当に重要です.しかし,当時の生徒のほとんどは,こうした質問をしませんでした.これが日本の問題であり,もしかしたら他の国では見られない日本文化に根ざしたものなのかもしれません.
私がこの日本生物物理学会という学会で本当に気に入っているのは,学会でたとえ大した質問でなくても何でも質問できる環境があることです.それは非常に重要な環境ですよね.しかし,日本の高校にはそういうものがありません.私はいつも会議であまり良くなさそうな質問をしますが,ためらうことはありません.しかし,日本の他の学会に参加すると,雰囲気が違います.たいへん遺憾ながら,これは日本固有の問題のように思えます.
藤原:最終的に,子供たちは,彼らの質問が先生を苛立たせると口を閉じてしまいがちです.ですから,私たちが子供たちに教えなければならないのは,忖度をしないということです.これが生物物理学者からのメッセージの一つだと思います.
永井:しかし,AIはこの問題を克服するのに役立つかもしれません.ためらわずに質問しやすいから.
藤原:ええ,確かにそうですね.
小松崎:Gerhardさんからのメッセージをお聞かせいただけますか?
Hummer:私がまず伝えたいメッセージは,今ほど科学がエキサイティングな時代はないということです.なぜなら,私たちはますます自分たちの周りの現実世界,例えば木がどのように機能するのか,筋肉がどのように働くのかについて考えるようになっているからです.
これまで,私たちは現実のシステムを高度に抽象化して扱ってきました.先ほど,自己修復材料について言及しました.同様の問いが次々と現れ,私たちの手の届く範囲に入ってきています.
第二のメッセージは,複雑さを受け入れることです.最初から還元主義者になろうとしないでください.もちろん,最終的にはそうなる必要があるでしょう.しかし,問題をオープンマインドで捉え,狭める前にできるだけ全体的に問題を考えることです.
第三のメッセージは,生物物理学がもしかすると最初の統合科学かもしれないということです.例えば,ガルバーニの仕事は,物理世界と生物世界の結びつきをもたらしました.それは,両者にとって非常に実り多いものでした.実際,物理科学の多くの概念は,生物学的観察に端を発しています.例えば,拡散やブラウン運動は,最初は花粉が動き回る様子として記述されました.
現代の生物物理学は,単に物理学と生物学の結びつきのみならず,コンピュータサイエンス,数学,もちろん化学までも含む分野です.要するに,すべての科学が生物物理学に集まっています.
生物物理学は,現実世界についての新しい考え方を象徴しています.本座談会で指摘されてきたように,このリアルな世界に好奇心を持ち続け,問いを立てることを厭わないことが魅力的かつ重要な過程になるでしょう.若手の生物物理学者たちが複雑さと安定性の問題を認識することにより,挑戦的な科学的問題,あるいは社会問題にさえ申し分なく取り組めるようになるだろうと思います.
私の四つ目のメッセージは,もしこの分野に少しでも興味を持っているならば,たとえ何らかの理由で学術界での仕事を見つけられなかったとしても,それはあなたの功績とはあまり関係のないランダムな要因によるものかもしれないということです.あなたは(ご自身が思う以上に)科学的および社会的な課題に対処するために非常に良い知識や能力を持っているはずで,生物物理学者の中核を担っているということです.
Joseph:Gerhardさんの言った多くのことに賛同します.特に,生物物理の分野にはまだ多くの未解決問題があるという点です.また,学部生や若い世代と交流する中で,彼らは非常に好奇心旺盛だと感じています.なので,好奇心があるかはあまり心配でなくて,むしろその好奇心を育てることに力を入れるべきです.
個人的な経験から言うと,私たちの分野がどれだけ競争的であるかを考えると,一番大切なことの一つは,良いメンターを持つことです.メンターは,あなたをサポートし,励まし,好奇心を育てるのに役立つ人物です.私は,他の人たちの生物物理学でのキャリアの軌跡や成功物語を聞くのが好きですが,多くの人たちが良いメンターを持っていたことが分かります.素晴らしいメンターがいることは,大きな変化をもたらします.
ですから,私はいつも学生たちに,一番いい学校に行くことだけに注目するより,自分のメンターが誰で,自分を育ててくれる人が誰かを考えることのほうが,この競争的な環境を乗り越えるために大事なことだと伝えています.
林久美子(東京大学教授):林教授は,東京大学の物性研究所で生物物理計測領域のグループを率いている.林研では,蛍光顕微鏡観察,非平衡統計力学,情報科学,数学を利用し,細胞内のタンパク質やオルガネラの力,速度,エネルギーといった物理量を精密計測する技術を開発している.測定した物理量を用いて理論モデルを構築し,細胞に関する現象を定量的に理解することが研究室の目標である.そのような物理計測を用いて,神経疾患などの医学的課題の解明を目指している.
Gerhard Hummer(マックス・プランク生物物理学研究所Director・教授):Hummer教授は,フランクフルトのマックス・プランク生物物理学研究所に所属する理論生物物理学者である.彼らの研究目標は,エネルギー変換,分子輸送,シグナル伝達,酵素触媒など,主要な生体分子プロセスを詳細かつ定量的に表現する理論体系を構築することである.彼の研究グループでは,分子構造,安定性,動力学,分子機能を探るために,幅広い計算および理論手法を開発・実装している.彼らは高性能コンピュータを使用し,X線結晶構造解析や電子顕微鏡,単分子蛍光および力学的分光法など,実験グループとの緊密な共同研究も多い.ますます複雑化する生体計測に正しい解釈を与えるべく理論支援し,新規な実験設計を導くことにも貢献している.
Jerelle A. Joseph(プリンストン大学化学・生物工学部助教):Joseph助教の研究目標は,細胞内の区画形成の原理を解明し,それを生物工学に応用することである.彼女のグループの主な目標は,生体分子凝縮体の運命を決定する物理化学的要因を明らかにし,その特性を制御するための戦略を作ることである.究極的には,生体系における自己集合の本質的な理解を広げ,生物工学での応用に役立てることを目指している.
Rong Li(シンガポール国立大学教授):Li教授は,ジョンズ・ホプキンス大学で細胞ダイナミクスセンターのディレクターを務めた後,2019年にシンガポール国立大学のメカノバイオロジー研究所のディレクターに就任されている.彼女の研究目的は,遺伝学,定量イメージング,生物物理測定,数理モデリング,ゲノミクス,プロテオミクスを統合し,真核細胞がどのようにしてゲノムを伝達し,環境に適応し,特定の機能を果たすために組織化されるかを理解することである.彼女の研究室で行われる多くのプロジェクトは,主に細胞と組織の老化,細胞および生物体の適応に焦点を当てている.得られた知見は,健康寿命を延ばす新しい方法や,機能の修復と再生,慢性炎症性疾患に関連するがんの予防に役立つ方法の開発に応用されるものと期待されている.
永井健治(大阪大学教授,日本生物物理学会元副会長):永井教授は,大阪大学産業科学研究所と大阪大学先導的学際研究機構,および北海道大学電子科学研究所に所属している.彼のグループは,マイノリティな構成要素の視点から生命とは何かを解明することを目指している.従来の科学的アプローチでは,観察対象を構成する主要かつ平均的な成分に焦点を当てることが一般的であり,データ点の平均的な振る舞いから大きく逸脱する外れ値はしばしば除外されてきた.そのため,稀少な成分に関する知識の蓄積はほとんどない.彼のグループでは,生物機能を対象とした蛍光および生物発光インジケーターの開発だけでなく,100万個以上の細胞を細胞内空間分解能で同時に観察できる光学イメージングシステムAMATERASなど,最先端の光学イメージング装置も開発している.これらの技術を組み合わせることで,彼のグループは,少数の要素(タンパク質,ウイルス,細胞など)が生物システムにおいてどのように特異点を生み出すかを解明しつつある.また,次世代の超省エネルギー社会の実現を目指し,電力を使わない発光装置として利用可能な自律的に発光する植物の開発にも取り組んでいる.
大浪修一(理化学研究所チームリーダー・教授):大浪教授は,理化学研究所の発生動態研究チームのリーダーである.多細胞生物の発生は,空間的および時間的に動的過程である.受精卵という単一細胞は,多くの機能的に異なる細胞を生み出すために何度も分裂し,それぞれが特定の位置に配置されて複雑な多細胞構造(すなわち,臓器や体)を作り出す.このような空間的および時間的に動的な過程に対する効果的なアプローチは,定量計測技術とモデリングおよびコンピュータシミュレーションを組み合わせたアプローチである.彼は,線虫の胚やマウスの胚,三次元細胞培養システムなど,発生システムのメカニズムを理解するために,分子細胞生物学やゲノム科学を生物物理学やコンピュータサイエンスの手法と組み合わせた数理モデルなどを開発している.最近では,オープンイメージデータの形式とリポジトリの標準化にも取り組んでいる.
Feng Zhang(マサチューセッツ工科大学教授):Zhang教授は,現在,マサチューセッツ工科大学マクガバン脳研究所で,脳と認知科学および生物工学の教授を務めている.また,ブロード研究所(マサチューセッツ工科大学とハーバード大学の共同研究機関)のコアメンバーでもある.彼は,オプトジェネティクスおよびCRISPR技術の開発における中心的な役割を果たしていることでもよく知られている.IUPAB京都では基調講演をしている.彼は自然の多様性を探求し,自然界の生物系や生物過程を研究対象とし,数多くの発見をしている.
左から右へ:角五彰,永井健治,大浪修一,北村朗,林久美子,Gerhard Hummer,Rong Li,藤原郁子,Jerelle Joseph,小松崎民樹,Feng Zhang,冨樫祐一
異なる分野のリーダーが集まり,生物物理学における私たちの研究の“相転移”や未来について共に夢を見るという非常にエキサイティングな試みでした.パネリストの皆様,特に海外からのゲストであるFeng Zhangさん,Rong Liさん,Gerhard Hummerさん,そしてJerelle Josephさんには心から感謝申し上げます.彼らはIUPAB京都国際会議前日の座談会当日ないし前日到着したばかりで,ひどい時差ボケの中で参加してくださいました.この座談会のために費やした実際の時間は,夕食の時間を含めて4時間で,予定よりも長くなりました.我々が記録した総語数は24,943語もありました.1978年に日本で開催されたIUPAB(国際生物物理学連合)会議以来,46年が経過しています.1978年に,現在の生物物理学の状況を想像できたでしょうか? おそらく,一部は想像の範囲内だったかもしれませんが,他の部分は当時の想像をはるかに超えていたに違いありません.私たちはこの座談会の記事がFeng Zhang教授にとっての「ジュラシック・パーク」映画のように,次世代の生物物理学者を目指すきっかけになることを心より願っております.
なお,本稿では,非専門家の読者にも読めるように,わかりにくい専門用語にはできるだけ解説を付記していますが,この座談会の内容は生物物理学会発刊の欧文誌Biophysics and Physicobiology(Vol. 21, Issue Supplemental 2, e212012. DOI: 10.2142/biophysico.bppb-v21. e2012)でも紹介していますので,直接英語で読みたい方はそちらもぜひ参照されることを勧めたいと思います.