2025 Volume 65 Issue 2 Pages 67
私は日常的にいつも違和感を求めている.思わず二度見するような光景や名曲に潜む不協和音などをこよなく楽しんでいる.科学においても同様で,あなたにとって顕微鏡とは何?と聞かれたら,違和感を授けるひみつ道具だと答えたい.予想を裏切る観察結果を前にあれこれ考えるのは面白い.あえてそういう状況を迎えるため,科学の常識で決められた基準に沿わないように観察条件を設定することがある.その代わり,観察の対象や行為に関する情報を,なるべく多くかつ定量的にロギングするよう努めている.違和感が溶けながら洞察が深まる過程を味わうのはこの上なく面白い.
もちろん不愉快な違和感もある.おかしい!と徹底的に突っ込みたくなる違和感である.2022年のカタールW杯で,日本はスペインに対し劇的な勝利を収めた.勝ち越し点は,三苫選手のゴールラインぎりぎりの折り返しによってもたらされた.直後に解説の本田圭祐氏が「出てったぽいで」と嘆いたあの場面である.三苫選手の左足先に吸い付くように接するボールとゴールラインの微妙な位置関係がハイライトされた.やがて,それを切り取った一枚の写真が一世を風靡し,やはりボールは出ていなかった!と,日本中のファンがボールインの最終判定を擁護したが,この論理に私は強い違和感を覚えた.ある時刻の通常のデジタル画像一枚でボールアウトを否定することはまず不可能である.少なくとも数枚の画像から内挿的に連続的な軌跡を描き出し,究極の折り返し点を提示すべきである.ボールアウトの証明は「∃ある」時刻での反証で十分なのに,ボールインの証明は「∀すべて」の時刻での検証が必要となるのだ.
あの状況で,三苫選手の重心もボールも大きな運動量でアウトに向かっており,ボールだけをインに折り返す驚異の力学は徹底解析の価値がある.三苫選手の左足はどんな力積をあのボールに与えたのだろう?それによってボールはどうたわんだのだろう?いずれ,こうした判定にも,今流行りのAI技術が絡んでくるのであろう.あらゆる文脈を考慮し,多くの折り返し場面の画像データをもとに,適当な画像一枚でアウト判定を可能にする技術が登場するかもしれない.でも,そんな予測を超えた次元でボールを操るレアな選手も存在するわけで,やはり三苫選手などはその類なのだろうと想像を膨らませるのであり,こうやって取り留めもなく思いを巡らすこと自体が愉快となってくる.違和感は私にとってささやかな生きがいである.