2025 Volume 65 Issue 2 Pages 74-76
線虫(Caenorhabditis elagans)は,実験室内で最もよく調べられているモデル生物の一つであるが,体長1 mmほどの足や羽といった運動器官をもたない線虫がどのように世界中に広まったのかは謎の一つとなっている.本研究では,線虫は周りの昆虫などがもっている静電場を利用して,高速にしかも複数で跳躍できることを紹介する.
Caenorhabditis elegans(以下単に線虫)は多細胞生物で最初にゲノム配列が決定された種であり,また単一細胞である受精卵が分裂し成体になるまでの系譜が明らかにされている,実験室内で最もよく調べられているモデル生物の一種である.しかしながら,線虫が野外でどのような生活を送っているかはほとんど明らかにされていない.特に,線虫は地球上のさまざまな環境で生息している汎存種であるが,体長1 mmほどで足や羽といった運動器官をもないこの生物がどのように世界中に広まったのかは謎となっている.本研究では,線虫の分散行動に関しうるある特徴的な振る舞い(周りの静電場を利用して,高速に跳躍するという行動)を紹介する.
線虫の跳躍行動は,線虫のライフサイクルと密接に関係しているため,以下にその概要を説明する.
線虫は雌雄同体であり,自分自身だけで受精卵を作ることができる.環境がよい状態では,線虫は卵から孵った後,L1,L2,L3,L4という4つの幼虫のステージを経て約3日で成虫になる.成虫となった線虫は卵を産みつつ2週間ほどでその一生を終える.しかしながら,卵から孵った時の環境が,強いストレスが掛かる状況(餌がない,温度が高い,線虫の密度が高いなど)であった場合,L1幼虫は成虫にならずに耐性幼虫(dauer larva)になる1).野外で見つかる線虫のほとんどはこの耐性幼虫である.耐性幼虫では劣悪な環境に耐えるために,その皮膚は厚くなり,口は閉ざされる.何も食べない状態で数か月(2か月)間生き延びることができる.この間によい環境に移動できれば,耐性幼虫は成虫になり,卵を産み,その場所で増殖することができる.耐性幼虫は今いる悪環境な場所を離れて,よい環境に移ることを目指している.耐性幼虫は運動能力を上げるために体の筋肉比率が増えることが知られている2).
耐性幼虫はよりよい環境に移動するために,通常では行わないいくつかの特徴的な行動をとる.その一つにnictationと呼ばれる行動がある.通常の状態では,線虫は主に地表を這うだけであるが,耐性幼虫になると,地面の凹凸などを利用して体を地面から持ち上げて,尻尾の先端だけで地面に立ち上がる(nictation)(図1;t = 0の図).立ち上がった状態で体を左右に激しく振り,近くを通る大きな移動物(鳥や昆虫)に付着し遠くまで運んでもらおうとする.この行動は便乗行動の一つであると考えられている3).今回,私たちは,新規の便乗行動としてnictationをしている耐性幼虫が空中に飛び上がることを発見した(図1A)4).
A:線虫の耐性幼虫のnictation(t = 0)とそこからの跳躍.B:複数(数十匹)の線虫によって形成されたnictationの柱の跳躍.線虫はnictationをしている線虫の上でさらにnictationすることができ,nictationの柱(木)を形成することができる.C:線虫の跳躍の際の尻尾の動きの拡大図.40000 fpsのカメラでの撮影.スケールバーの長さはそれぞれA:100 μm,B:400 μm,C:20 μm.
この飛び上がる行動は,実験室内で比較的簡単に観測することができる.具体的には,シャーレの中でnictationしている線虫を見つけて,その直上のシャーレの蓋の部分を指で何度かたたくと,立ち上がっていた線虫が突然視界から消える.線虫は指でたたいていたシャーレの蓋の裏に飛びついて移動している.
この跳躍行動にはいくつか特徴がある:(i)通常の跳躍行動に見られるような体を曲げたりなどの前動作5)がほとんどない.飛び上がる直前まで体をまっすぐにしている(図1A).(ii)唯一地面についている尻尾の先端もほとんど動かない(図1C).(iii)複数の線虫で構成されたnictationの塊(柱,タワー,数十匹)も飛ぶ(図1B).(iv)シャーレの蓋がない時は飛ばない.(v)シャーレがプラスティック製の場合には飛び,ガラス製の場合にはほとんど飛ばない.(vi)シャーレの蓋の一部を指でたたくとその場所に向かって飛ぶ.
(vi)を発見した当初は,線虫には指が見えていて,指に飛び乗るためにそこをめがけて向かって飛んでいるのかと大いに興奮したが,冷静になって考えてみると,線虫には目がないので,これは何か違う効果を見ているとなった.特徴(i),(ii)はこの跳躍は自力でのものではないことを示唆している.また特徴(iv),(v)はシャーレの蓋と材質がこの跳躍と深くかかわっていることを示しており,またプラスティック製のシャーレはしばしば静電気を帯びていることとから,この跳躍は自力のジャンプではなく,シャーレの蓋の帯電による静電気力によるものなのではないかという推察に至った.
C. elegansの跳躍は静電場を利用したものであるという仮説を立証するために,電場を制御できる装置を作製し(図2A)詳細な観測を行った.結果は次のようである.
A:電場制御実験の模式図.耐性幼虫が乗っている寒天をITOガラスで挟んでその間の電場をコントロールした.寒天には線虫がnictationできるように小さな凹凸がつけてある.d = 5 mm,L = 2 cm.B:線虫に掛かる電場を変えた時の跳躍の頻度.電場が0の時は線虫は飛ばない.電場の強さが200 kV/m以上になると線虫は飛ぶ.電場感受性のない変異体の耐性幼虫(tax-6 (p675))は1000 kV/mの強さの電場を掛けてもほとんど飛ばない.
(i)電場がない時,線虫は飛ばない.(ii)200[kV/m]以上の電場が掛かると線虫は飛ぶ(図2B).(iii)正負のどちらの電場を掛けても線虫は飛ぶ.(iv)空中での平均速度はおおよそv = 1[m/s],加速度はa = 10[km/s2].(v)C. elegans以外の種(C. briggsae, C. japonica)でもnictationできる種であれば飛ぶ.(vi)電場を感知できない変異体(tax-6 (p675))の耐性幼虫は野生株と同様にnictationするが,電場を掛けてもほとんど飛ばない.
結果(i),(ii)よりC. elegansの跳躍行動は電場を利用したものであることが明らかとなった.また(iii)により,その駆動力は,静電誘導によって線虫に誘導される電荷に掛かるクーロン力であることが示唆された.電場によって線虫に誘導される電荷qは,結果(iv)と線虫の質量m = 10–10[kg]から見積もることができ,q = 2[pC]ほどである.野外のハエやハチは摩擦などにより100[pC]ほどの電荷をもっており,それから見ると十分小さな電荷であることが分かる.線虫が電場から受ける静電力も加速度から見積もることができ,F = 1[μN]であり,線虫が筋肉で作り出す力6)の10分の1ほどの強さである.
特筆すべきはこの跳躍の速さ(1 m/s)である.線虫が基板上を這う時の速度はおよそ1 mm/sであるので,1000倍の速さとなる.人で例えるなら時速4 kmで歩いていた人が上空にいきなり弾丸と同じ速度で飛び上がるほどの速度の変化である.この速度の変化があるため顕微鏡下では跳躍の様子をとらえることが難しい現象となっている.
C. elegansは静電気力を使って飛ぶことが判明したわけであるが,静電気で飛ぶのであれば,小さな埃でも飛ぶことができるため,どこに生物らしさがあるのかという疑問がわく.一般に1 mm以下のウェットな生物は,自身の体と基盤との間にある水の界面張力の効果によって,基盤に比較的強い力で接着しており,その生物に電場が掛かったとしても簡単には飛び上がらない.実際,基板上を這っている線虫に電場を掛けたとしても決して飛ばない.またnictationをしている線虫であってもほとんどの線虫は飛ばない.基盤との接地している幅をある値(線虫の場合7 μm)以下にできた線虫のみが空中に飛び上がる.これが可能であるのは(i)耐性幼虫の尻尾の先端は他の幼虫に比べて鋭くとがっている7)(ii)尻尾の先端ギリギリで立つことができることによる.またこの界面張力を最小にするプロセスでは体を動かさないことが重要になる.なぜなら上から静電気力によって引っ張られている時にもし体を揺らしたとすると接地面積が増えてまた一からやり直しになるからである.つまり尻尾で立つだけではなく,電場で引っ張られる力に身をゆだねた線虫のみが空中に飛び上がる.その意味でこの飛び上がり行動は能動的である.また,(vi)に示したように電場を感知しない変異体(tax-6 (p675))では野生株と同じようにnictationしているのにもかかわらずほとんどの耐性幼虫は飛ばない.この跳躍行動は電場感知と関係している可能性がある.
この跳躍が自然界で使われているかを調べるために,生きたハチを花粉で擦り帯電させて,立ち上がっている線虫に接近させた.ハチが線虫に2 mmほどに近づいた時,線虫はハチに飛びついた.この飛びつきは80匹ほど線虫が束になって立ち上がっている場合にも起こった(図3B).この実験でのハチの帯電量を計測したところ800[pC]程であり,自然界で観測されるハチの帯電量8)と同程度であった.この実験は野外での線虫の飛びつき行動を直接観測したものではないが,野外でも線虫の飛びつき行動は起こりうることを示唆する.また,この電場を使った跳躍では,大量の線虫が一度に同じ移動物に飛び乗ることを可能にするため,自然界でこの現象が起こっていたとすると,線虫の生き残りに大きく寄与することが予想される.さらなる研究が期待される.
A:昆虫に線虫が飛び移るかの実験の模式図.生きたハチを花粉で擦り線虫に近づけた.B:中央の白い柱は80匹ほどの線虫が束になってnictationしているもの.1 mmほど離れたところにハチがいる.ハチに接触することなく線虫の束がハチに飛び乗っていることが分かる.スケールバー:1 mm.