2025 Volume 65 Issue 4 Pages 210-212
菌類の菌糸には脳や神経系はないが,記憶・決断・学習といった基盤認知的能力が知られている.本稿では,菌糸ネットワークの形状と活性の関係から脳における図形識別との類似性を考察するとともに,菌糸の知的な行動のメカニズムとして電気的なシグナル伝達の可能性について最新の研究結果を紹介する.
キノコやカビとして知られる菌類の体は,直径10 μm程度の細長い細胞が紐状につながった菌糸と呼ばれる構造でできている.この菌糸が分枝と融合を繰り返して形作るネットワークのことを菌糸体と呼ぶ.細胞と細胞を仕切る細胞壁(隔壁)には穴が空いており,原形質や細胞小器官がそこを通って細胞間を移動することができる.これにより,菌糸体は物質輸送ネットワークとなっている.
菌類は生態系の中で有機物の分解や植物との共生関係,いろいろな生物の病原体として重要である.また人間生活においてもさまざまな発酵食品を製造する上で必須な種や,病原体として公衆衛生上重要な種を多く含む.これらのプロセスを理解・予測し,制御するためには菌類の菌糸体の成長特性とそのメカニズムを理解することが重要である.近年,菌類の菌糸体が,記憶や決断,学習といった知的な特性を示すことが次々と明らかになってきた.このトピックスでは,菌糸体の成長特性を行動と呼び,そのメカニズムについて議論したい.
菌糸は先端が伸びることで伸長成長する.成長の方向は菌糸が伸び始めた時に決定され,維持される.つまり菌糸の伸長方向には極性があり,それが細胞レベルで記憶されているということもできるだろう.この記憶の仕組みは,菌糸伸長に関わる細胞小器官の動態から説明されている1).菌糸細胞が伸びるために必要な細胞膜の成分やタンパク質は,菌糸先端から合成されるアクチン繊維を含む細胞骨格に沿った分泌小胞の輸送によって菌糸先端に供給される(図1).この小胞が菌糸先端に到達すると,エキソサイトーシスにより細胞膜が追加され,これが繰り返されることで細胞が伸長していく.菌糸先端の細胞内部には,エキソサイトーシス前の小胞の集団が塊になっており,これは先端小体(Spitzenkörper;スピッツェンケルパー)と呼ばれる.菌糸先端が自由に伸長成長している時は,先端小体は菌糸先端の中央に位置しており,先端小体のある方向へ菌糸は成長していくので,成長方向が維持される.一方,菌糸が障害物に接触してそれに沿った成長を余儀なくされると,先端小体は菌糸先端中央よりも障害物寄りの位置に維持され,菌糸先端の形状も障害物寄りに歪んだようになる.これは,小胞を輸送する細胞骨格の剛性によるようだ.そして,障害物がなくなると,再び先端小体が菌糸先端中央に来るように菌糸の伸長方向が修正され,障害物以前の方向への成長が再開される.ただし,障害物に沿った成長の期間が長くなると,次第に細胞骨格もそれに沿った方向へ伸びるようになるので,伸長方向の記憶は失われる.伸長方向の記憶がどのくらい維持されるかは,菌種によっても異なると思われるが,この研究がなされたアカパンカビ(Neurospora crassa)では少なくとも菌糸直径の10倍以上の距離は維持されるようだ.
菌糸先端の成長方向の記憶.成長する菌糸は,障害物に当たるとそれに沿って成長する(A)が,障害物がなくなると元の成長方向へと軌道修正して成長を続ける(B)2).
菌糸の伸長方向に極性があるため,ある1点から成長を始めた菌糸体は,放射状に外側へと広がっていく.常に周縁部分の菌糸細胞が最も若く活性が高い.逆に中心部分の古い菌糸細胞は次第に死んでいくので,菌糸体はドーナツのような輪のかたちになる.菌糸体でできた輪が次第に広がっていく様子は,水紋の広がりのようだ.菌糸活性の高い部分からキノコの発生が多いので,地上からキノコが輪のようにならんで生えていることがよくあり,「菌輪」と呼ばれる.菌糸の成長方向の極性はとても強いので,人為的に切り取って180度向きを変えてやらない限り,中心部分に菌糸が戻ってくることはないようだ3).一度探索した場所にはすでに利用可能な資源(枯木など)は少ないことが予想されるため,このような成長特性は資源探索戦略上も適応的であると考えられる.
条件が良ければ菌糸体は次第に大きく広がっていく.また,1本の菌糸は非常に細いが,何本もの菌糸が束になることにより肉眼で確認できるほどの太さ(2-3 mm)になることも多く,これを菌糸束(きんしそく)と呼ぶ.菌糸束には,単純に複数の菌糸が束になっただけのものから,表皮と通道組織が分化したものまで多様であり,大型のネットワークを形成する菌種は菌糸束のネットワークになることが多い.これまで確認されている最大の菌糸束のネットワークは,アメリカ・オレゴン州の森林の地中に広がっていたオニナラタケ(Armillaria ostoyae)の菌糸体で,965ヘクタールの範囲に同一のジェネット(遺伝子型の同一な細胞.つまり同一個体だと考えられる)が広がっていたことが報告されている4).ただ,これだけ巨大だと全体がつながりを保っているかどうかはわからない.菌糸体はちぎれてもそれぞれが何の問題もなく生きて成長していくことができるからだ.むしろ,積極的に分裂してクローンの菌糸体を増やしていくという生存戦略も考えられる.しかし,どうやら菌糸体はなるべくつながっていようとしているように見える.
人為的に菌糸体の接続の有無を操作した培養実験を行った結果,菌糸体が接続していた方が菌糸体全体での資源利用活性が高いことがわかった5).これには水分や養分など必須な物質を豊富な場所から足りない場所へ輸送できることが重要だと考えられる.野外環境は不均一なので,たまたま条件の悪い場所(水分や養分が少ない,など)で孤立してしまうと,菌糸体の活性は低下せざるを得ないが,条件の良い場所にいる菌糸体とつながっていれば,必要な物質を輸送により融通することで,活性を保つことができるだろう.
輸送の有無によって菌糸体の活性が変わるということは,ネットワークの輸送効率も菌糸体の活性に影響する可能性がある.菌糸ネットワークの輸送効率は,菌糸の太さや長さ,隔壁孔のサイズ,細胞質の粘度などにより変わるが6),同一菌株でこれらは等しいと仮定して,ここではネットワークのかたちの影響について考えてみた実験を紹介する7).まず,1 cm角の立方体に調整したブナの角材に木材腐朽菌の一種であるチャカワタケ(Phanerochaete velutina)の菌糸を定着させたものをたくさん作成した.この角材9個を培地上に円形状になるように配置した場合とバツ状になるように配置した場合,角材から培地上に成長してきた菌糸体はお互いにつながって,円形あるいはバツを描くようなネットワークを形成する(図2).この時,最初はそれぞれの角材から放射状に伸びていた菌糸が,次第に角材同士をつなぐ菌糸束に収束していき,それ以外の部分の菌糸は多くが消失した.116日間培養したのち,角材の重量減少率を測ると,ネットワークの次数すなわち角材と接続している菌糸束の数と正の相関関係があった.また,バツ状にくらべ円形状に配置した角材で重量減少率が大きかった.つまり,ネットワークのかたちが菌糸体の活性に影響することが確認できた.
土壌培地の上にP. velutinaの菌糸を定着させたブナの角材(1 cm3)を置いて培養すると,土壌上に菌糸が伸びてくる.培養34日目と116日目の様子.文献6を改変.
このような,ネットワークのかたちの違いによる活性の違いは,異なる図形の視覚情報により脳の視覚野で異なるニューラルネットワークの活性が高まることによる図形の識別プロセスと本質的には似た現象と捉えられるかもしれない.つまり,菌糸体は図形のかたちの違いを識別している可能性がある.これは,菌糸体が意識をもっているかどうかとは無関係である.脳でも,外部環境の認知は意識の有無とは無関係に起こっている8).
さらに面白いことに,培養後期の菌糸体の分布を見ると,培地の周縁部のみに菌糸が多く分布していることがわかる.特に円形状に角材を配置した実験では,円の内側には菌糸がほとんど見られない.培養の初期にはそれぞれの角材から菌糸体が培地上へ放射状に伸びていたのに対し,菌糸体がつながってひとつの大きな菌糸体となってからは円の中心方向への菌糸成長が阻害されたのだ.菌糸体は常に中心から外側へと成長することを考えると,これは菌糸体がつながる前と後で菌糸体にとっての「中心」が変化したことを示唆している.つまり,菌糸体はその内部の空間的な位置情報を知覚する能力もあると考えられる.
菌糸体はどのようにして位置情報を把握しているのだろうか? 私たちのグループでは,菌糸体が電気的なシグナルにより情報を全体で共有することで位置情報を把握していると考えている.電極を放射状に配置した培地上に菌糸体を成長させ,培地の片隅に資源となる角材を置いて培養すると,菌糸体のさまざまな部位における電気的な活性の時系列データが得られる(図3).このデータを用いた時系列因果推論により,角材に定着した部分の菌糸体から菌糸体の他の部分へと向かう,有意な因果関係が検出された9).
(A)直径9 cmのシャーレに設置した電極,接種源,エサ角材の配置.中心の接種源の部分には基準電極が設置されている.(B)培養中の電極シャーレの様子.(C)エサを設置したシャーレでの電位の測定結果の例.線の色はAの電極の色と対応している.培養60日あたりからエサの電極(黄色)でのみ,明瞭な振動が見られる.文献8を改変.
菌糸体が知的な行動を制御する上で,電気的な情報の伝達がなされているのかもしれない.ただ,本稿で紹介した電位変化は,菌糸の外側で測定しているため,動物の神経細胞のような膜電位かどうかはわからない.細胞外の電位は細胞からの有機酸の分泌などによるpHの変化によっても起こりうる.今後,電位変化の由来をさまざまなアプローチで確かめる必要がある.また,本稿で紹介した電位変化に情報が含まれているのか,電位変化を受け取った先で何か活性の変化が起こっているのかについては全くわかっていない.今後これらの点を明らかにすることで,菌類の菌糸体に見られる知的な行動のメカニズムが解明されることが期待される.
本稿で紹介した成果は,武樋孝幸博士(長岡工業高等専門学校),長田穣博士(東北大学生命科学研究科),赤井大介氏(東北大学工学部学生),濵野公輔氏(東北大学農学研究科博士前期課程学生),加賀浩嗣氏(東北大学農学研究科)との共同研究によるものです.この場を借りて厚くお礼申し上げます.