Rinsho Shinkeigaku
Online ISSN : 1882-0654
Print ISSN : 0009-918X
ISSN-L : 0009-918X
Committee Report
Recommendations (Proposal) for promoting research for overcoming neurological diseases 2020
Hideki MochizukiMasashi AokiKensuke IkenakaHaruhisa InoueTakeshi IwatsuboYoshikazu UgawaHitoshi OkazawaKenjiro OnoOsamu OnoderaKazuo KitagawaYuko SaitoTakayoshi ShimohataRyosuke TakahashiTatsushi TodaJin NakaharaRiki MatsumotoHidehiro MizusawaJun MitsuiShigeo MurayamaMasahisa Katsunothe Future Vision Committee of Japanese Society of NeurologyYoshitsugu AokiHiroyuki IshiuraYuishin IzumiHaruki KoikeHitoshi ShimadaYuji TakahashiTakahiko TokudaHideto NakajimaTaku HatanoSonoko MisawaHirohisa Watanabe
Author information
JOURNAL FREE ACCESS FULL-TEXT HTML

2021 Volume 61 Issue 11 Pages 709-721

Details
要旨

日本神経学会では,脳神経内科領域の研究・教育・診療,特に研究の方向性や学会としてのあるべき姿について審議し,水澤代表理事が中心となり国などに対して提言を行うために作成委員*が選ばれ,2013年に「脳神経疾患克服に向けた研究推進の提言」が作成された.2014年に将来構想委員会が設立され,これらの事業が継続.今回将来構想委員会で,2020年から2021年の最新の提言が作成された.本稿で,総論部分1)脳神経疾患とは,2)脳神経疾患克服研究の現状,3)脳神経疾患克服研究の意義・必要性,4)神経疾患克服に向けた研究推進体制,5)脳・神経・筋疾患克服へのロードマップ,6)提言の要約版を報告する.

*提言作成メンバー

水澤 英洋,阿部 康二,宇川 義一,梶 龍兒,亀井 聡,神田 隆,吉良 潤一,楠進,鈴木 則宏,祖父江 元,髙橋 良輔,辻 省次,中島 健二,西澤 正豊,服部 信孝,福山 秀直,峰松 一夫,村山 繁雄,望月 秀樹,山田 正仁

(当時所属:国立精神・神経医療研究センター 理事長,岡山大学大学院脳神経内科学講座 教授,福島県立医科大学医学部神経再生医療学講座 教授,徳島大学大学院臨床神経科学分野 教授,日本大学医学部内科学系神経内科学分野 教授,山口大学大学院神経内科学講座 教授,九州大学大学院脳神経病研究施設神経内科 教授,近畿大学医学部神経内科 教授,湘南慶育病院 病院長,名古屋大学大学院 特任教授,京都大学大学院臨床神経学 教授,国際医療福祉大学大学院医療福祉学研究科 教授,東京大学医学部附属病院分子神経学特任教授,国立病院機構松江医療センター 病院長,新潟大学脳研究所臨床神経科学部門神経内科学分野,新潟大学脳研究所フェロー,同統合脳機能研究センター産学連携コーディネーター(特任教員),順天堂大学医学部神経学講座 教授,京都大学大学院高次脳機能総合研究センター 教授,国立循環器病研究センター病院長,東京都健康長寿医療センター研究所 高齢者ブレインバンク,大阪大学大学院神経内科学 教授,金沢大学大学院脳老化・神経病態学 教授)

Abstract

The Japanese Society of Neurology discusses research, education, and medical care in the field of neurology and makes recommendations to the national government. Dr. Mizusawa, the former representative director of the Japanese Society of Neurology, selected committee members and made “Recommendations for Promotion of Research for Overcoming Neurological Diseases” in 2013. After that, the Future Vision Committee was established in 2014, and these recommendations have been revised once every few years by the committee. This time, the Future Vision Committee made the latest recommendations from 2020 to 2021. In this document, the general part is 1) What is neurological disease? 2) Current status of neurological disease overcoming research, 3) Significance and necessity of neurological disease overcoming research, 4) Research promotion system for overcoming neurological disease, 5) the roadmap for overcoming neuromuscular diseases, 6) a summary version of these recommendations are explained using figures that are easy for the general public to understand.

1. はじめに

脳神経内科では,脳と脊髄から成る中枢神経とそこから出て体中に張り巡らされた末梢神経,ならびに末梢神経にコントロールされる骨格筋,平滑筋等をコントロールする自律神経を侵す全ての疾患を対象としている.神経系は単純な臓器ではなくまさに系(システム)であり非常に広汎で,それらが担う機能は人間のもつ全ての機能といっても過言ではない.したがって,それらの疾病としての脳神経疾患,筋疾患には極めて多くの疾患が含まれており,驚くほど多彩な症候(自覚症状と他覚的徴候)がみられる.例えば,ヒトを人たらしめている記憶力,判断力,遂行力,人格などが障害されてしまう認知症,急性の脳卒中から徐々に進行する血管性認知症まで広汎な病態を有する脳血管障害,動きが鈍くなってしまうパーキンソン病,大脳ニューロンの過剰な発射により反復性の発作を起こすてんかん,呼吸筋も含め全身の筋力低下・筋萎縮が進む筋萎縮性側索硬化症(amyotrophic lateral sclerosis,以下ALSと略記),筋ジストロフィー,脳の癌を含む脳腫瘍などがすぐ挙げられる.すなわち,人々の人間らしい,ごく当たり前の生活をしようとする願いすら脅かすような疾患が多数存在している.さらに,よく知られているように神経組織は再生が難しく,これらの脳神経疾患や筋疾患は難治性で,いまだ本質的治療法のない疾患が非常に多い.このような現状から,人々が人としてごく普通の生活を送るために,これらの脳神経疾患・筋疾患の克服が極めて重要なかつ喫緊の課題といえる.そのためには,脳神経疾患・筋疾患に関わる研究者や医師はもとより,政策立案者,行政担当者,患者を含む国民が,脳神経疾患・筋疾患の実態,そしてその克服のための道筋を理解し,共有していることが必要と思われる(Fig. 1).

Fig. 1 

注目すべきは,長寿社会を迎え,脳神経疾患の有病率が増大していることである.厚生労働省の患者調査によると,平成8年は神経系の疾患の割合は推計外来患者数の1.6%,推計入院患者数の4.5%であったが,平成28年には推計外来患者数の2.3%,推計入院患者数の9.6%に増加している.脳血管疾患を加えると平成28年の推計外来患者数の3.5%,推計入院患者数の20.7%を占める.さらに平成28年国民生活基礎調査によると要介護者となる最多の原因は認知症であり,認知症,脳血管疾患とパーキンソン病を合わせると要介護者となる原因の46.6%を占める.さらに高齢化が進む我が国において,脳神経疾患が社会に与えるインパクトは甚大であり,正面から向き合う必要がある.

日本神経学会では,国連サミットで採択された持続可能な開発目標(SDGs)や「国際社会の先駆けとなる健康長寿社会の実現」という我が国の国家目標を踏まえ,全ての脳神経疾患・筋疾患を俯瞰して,その克服への道筋を検討し,ここに提言としてまとめた.この提言が,今後の政策に活かされ,一日も早く脳神経疾患・筋疾患が克服されることを祈念する.

2. 総論

(1) 脳神経疾患とは

脳神経内科が対象とする器官が担う機能は人間らしさを保つ機能といっても過言ではない.また,脳死や脳移植の議論を持ち出すまでもなく,脳が人格そのものあるいはその背景となっていることもよく知られている.したがって,それらの疾病としての脳神経疾患,筋疾患には極めて多くの疾患が含まれている.脳神経疾患の代表は,認知症であり,ヒトを人たらしめている記憶力,判断力,遂行力,人格などが障害されてしまう.アルツハイマー病(Alzheimer’s disease,以下ADと略記),血管性認知症,レビー小体型認知症,前頭側頭葉変性症など多くの疾患が含まれるが,厚生労働省の最近の発表では我が国で500万人を超える患者が本症に侵されている.てんかん,片頭痛,神経痛などの発作性疾患も興奮性細胞から構成される脳・神経系に特徴的であり,薬物や外科的治療を行っても難治性の症例は少なくない.髄鞘が障害される多発性硬化症には急性期の免疫治療や疾患修飾療法(disease modifying therapy,以下DMTと略記)が一定の効果はあるものの,治癒させることはできない.神経変性疾患は,徐々に神経細胞死を来す一群で,前述のAD,動きが鈍くなってしまうパーキンソン病,ふらついたり,喋れないなどの脊髄小脳変性症,呼吸筋も含め全身の筋力低下・筋萎縮が進むALS,末梢神経が徐々に萎縮するシャルコー・マリー・トゥース病などであり,多くが難病と認定されている.その他,脳血管障害,脳腫瘍,脳外傷,奇形,炎症・感染症,代謝性神経障害,内科疾患に伴う神経障害,悪性腫瘍に伴う神経障害などが知られ,他臓器と違って大脳皮質から皮膚あるいは筋に至るまでの広汎な神経系のどこが,どのように障害されるかで,症候が異なり多彩である.例えば,脳血管障害でも急激に発症する脳卒中や,徐々に進行する血管性認知症や血管性うつ病などがあり,300万人を超える患者数が想定されている.

このような膨大な脳・神経・筋疾患を扱う診療科としては脳神経内科,精神科,脳神経外科,整形外科が挙げられる.脳神経外科と整形外科は,これらの疾患のうち,脳腫瘍,手術,血管内治療を要する脳卒中(クモ膜下出血を含む),脊椎病変,手根管症候群などを扱い,精神科ではいわゆる精神疾患,すなわち統合失調症,うつ病,躁病,神経症(身体表現性障害)などを扱う.心療内科は,主に心理的背景をもつ身体症状を扱う.脳神経内科は,これらの疾患の診断に関わるとともに,認知症,脳血管障害,運動疾患,炎症性疾患,感染症,末梢神経疾患,筋疾患など広汎かつ膨大な脳・神経・筋疾患の診断治療も担っている.したがって,関連する他の診療科との連携・協力は極めて重要である.

このように,脳神経疾患は,その種類と患者数の膨大さ,また日常生活活動度(activities of daily living,以下ADLと略記)や生活の質(quality of life,以下QOLと略記)を障害する度合いの大きさが特徴である.しかし,神経組織の再生し難さにより,国内の患者数が200万人以上と思われるADを含め,ほとんどの疾患で根本的な治療法がなく対症療法にとどまっている.また,本邦では行政的に稀少疾患という意味を含めて原因不明で治療法のない疾患を「指定難病」と認定して対策を講じているが,脳神経疾患は,この「指定難病」(欧米では単に「稀少疾患」と表現されている)として多くの疾患が指定され,総数では膨大な患者がいる.

(2) 脳神経疾患克服研究の現状

神経・筋疾患のスペクトラムは極めて広く,国内の患者数約460万人の認知症や約300万人に上る脳血管障害をはじめ,超高齢社会を迎えた今,加齢とともに頻度の増加する脳神経疾患の患者数は軒並み急激に上昇しており,治療法や予防法開発の必要性がより一層高まっている(Fig. 2).

Fig. 2 

脳神経疾患のうち,血管障害や炎症に対してはそれぞれ抗血栓・抗凝固療法および免疫抑制剤・免疫調節療法の開発により,多くの患者が救われるようになってきた.多くの治療薬が開発され治療法の選択肢が増える中で,どの患者にどの治療を行なうべきかを明らかにすること(プレシジョン・メディシン:precision medicine)が必要となってきている.プレシジョン・メディシンの実現に向けたバイオマーカー研究などを促進するためには,多施設共同研究・国際共同研究を通じてデータ・サンプルを収集し解析することが極めて重要である.また,急性期を乗り切っても高度の後遺症が残る例も少なくなく,後遺症状を軽減あるいは代償させるための,再生医療や,リハビリテーションの標準化,およびその効果に関する科学的検証が必要となっている.さらには,脳と外界とを人工的な回路等によって接続し,失われた機能を補綴するブレイン・マシン・インターフェース(BMI)研究の成果をこうした研究に導入していくことも重要と考えられる.

一方,AD,ALSなどの神経変性疾患は,家族性神経変性疾患の原因遺伝子が同定され,発症の分子機構の解析が目覚ましいスピードで展開している.さらに,基礎研究で明らかとなった分子病態を標的としたDMTが開発され,その一部は臨床試験において有効性が認められ保険診療で使用可能となっている.特に,ALSや球脊髄性筋萎縮症(spinalbulbar muscular atrophy,以下SBMA と略記)に対するDMTが,我が国で行なわれた治験成績に基づいて世界に先駆けて薬事承認されたことは画期的である.しかし,一方で,いまだにDMTのない多くの脳神経疾患が存在するのも事実である.今後,基礎・臨床両面からのイノベーションにより,両者を橋渡しするトランスレーショナルリサーチを成功させる必要がある.

また,再生医療に関しては,iPS細胞を軸とした病態研究・治療研究が,現在精力的に進められているが,正常な幹細胞を移植するという方法論だけでは,脳の複雑な神経機能を回復させることは困難ではないかと予想されている.近年,脳神経疾患では疾患の原因となる異常タンパクが神経細胞から分泌されて周囲の神経細胞を障害するというプリオン仮説が提唱されており,事実パーキンソン病などでは移植した神経細胞にも異常タンパクの蓄積が見られる.脳神経疾患に対する細胞治療を臨床応用していくためには,使用する細胞の種類や移植方法および併用する治療法など,今後検討すべき課題が多く残されている.

(3) 脳神経疾患克服研究の意義・必要性

脳はヒトが人として生きる「こころ」の源であり,認知,行動,記憶,思考,情動,意志などの全ての高次脳機能を担っている.さらに,脳・脊髄・末梢神経・筋は,運動機能,感覚機能,自律神経機能など,人の持つあらゆる機能をコントロールしている.したがって,これらの神経系と骨格筋のどこがどのような疾患に冒されても,その機能障害は,ヒトが人らしく生きるために必要な認知機能,芸術を鑑賞する,喋るといった機能から,立ち,歩き,走るといった機能まで,また生物として極めて重要な,食べる,呼吸するといった機能までが冒されることとなり,ADL,QOLの大幅な低下に直結する.

脳の研究は,20世紀の終わり頃から現在に至るまで,米国の「Decade of Brain」や我が国の「脳の世紀」など,様々な努力がなされ,多くの成果が上がっている.とくに2017年以降,これまで治療法が全く存在しなかった脳神経疾患に対して治療法が開発・実用化され,「治らない病気」の壁が破られつつある.なかでも脊髄性筋萎縮症(spinal muscular atrophy,以下SMAと略記)に対する核酸医薬は,1年以内に死亡ないし人工呼吸器装着の必要な重症患者の運動機能と生命予後とを著明に改善し,脳神経研究の歴史を塗り替える画期的開発となっている(Fig. 3).

Fig. 3 

しかし,前述の研究の現状に明らかなように,脳神経疾患には未だ根本的な治療やDMTが確立されていない疾病も多く,決して満足できる状態では全くない.その理由の一つは,神経細胞が,一旦障害されると,極めて再生し難いということが挙げられる.さらに,加齢性疾患が多いことから,国内患者数600万人かつ軽度認知障害を含めると1,000万人とも言われる認知症に代表されるように,超高齢社会の進展に伴って,脳神経疾患の患者数が飛躍的に増加している.すなわち,現代社会は,感染症,胃腸疾患,循環器疾患など,多くの疾患を克服し,長寿社会を達成しつつあるが,一方で,豊かで実りある生活を脅かす多くの脳神経疾患に直面している.したがって,多くの脳神経疾患の研究を推進し,これを克服することは,現代社会を質の高い豊かなものとするためには必須である.

脳は小宇宙にたとえられ,脳・神経科学が極めて裾野の広いビッグ・サイエンスであることを考えると,脳神経疾患の克服研究はまさにビッグ・メディシンであり,単なる診療レベルの向上に止まらず,周辺の様々な分野にも波及効果をもたらし,医療・薬品産業はもとより関連産業の発展にも繋がると期待される.このことは,我が国の脳科学研究戦略推進プログラムに大きく遅れたものの,米国のObama前大統領が,新しいNeurotechnologyの創出を含むBRAIN Initiativeプロジェクトを公表したことからも明らかである.我が国ではすでにBMIの開発,マーモセットのモデル動物化,多くの脳神経疾患の原因遺伝子の同定,脳疾患発症における時間軸の解明を目指した脳科学研究戦略推進プログラムなど,世界に誇る実績がある.この我が国の伝統と特徴を活かした形で,脳神経疾患克服研究を強力に推進し,国際的協調は進めつつ,独自の飛躍的な発展を遂げることは十分可能と思われる.

(4) 脳神経疾患克服に向けた研究推進体制

脳・神経・筋疾患の克服を実現するためには,①発症機構を分子レベルで解明する,②疾患の進行を抑制する分子標的を同定する,③同定された分子標的に対する候補薬剤・治療法を発見する.④候補薬剤・治療法の効果を臨床試験・治験で確認する,という段階を着実に推進することが必要である.また,①~④で目指す病態修飾療法と併せて,⑤リハビリテーション,再生医療を含めた神経症候改善を目的とする対症療法を開発する.さらに,発症段階では既に神経細胞・神経機能喪失が進み治療効果が限定されることへの対策として,⑥時間軸を意識した発症前自然歴の解明・先制治療戦略の開発を行って,生涯にわたる脳の健康をめざす.

この目的の達成の為には,リソースや解析設備などの研究基盤の整備と,それを推進する人材の育成が急務である.技術的革新に伴い得られるデータが巨大化しており,それらを扱う,脳神経疾患に精通した情報・数理学者,また臨床研究を推進できる生物統計学者,さらにそれらの研究基盤を支える支援スタッフの育成が急務である.また,2019年公布された「医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律(次世代医療基盤法)」により,カルテ情報を含む医療情報を利活用した研究を円滑に行う環境が整備されつつあり,これを生かした脳神経疾患研究を今後推進していく必要がある.

以下に,特に整備すべき基盤を挙げる.各論II(方法論)とは一部重複するが,画像研究,動物モデルなど方法論についての詳細はそちらを参照していただきたい(Fig. 4).

Fig. 4 

A.多階層オミックス解析拠点の確立

近年の分析技術の進歩にはめざましいものがあり,タンパク,RNA,代謝物質,ゲノムなど,膨大なデータを対象とするいわゆるオミックス解析技術が進んでおり,これら多階層オミックスを統合・連結したマルチオミックスやトランスオミックスの時代へと進んでいる.こうした解析技術は,脳神経疾患の発症機構の解明において今後ますます重要な役割を果たすと期待される.この解析は,大規模機器を必要とし,情報学,数理学,計算科学,物理学などを駆使することのできる人材が必要不可欠である.また,技術革新のスピードも速いため,拠点を整備し,これらをネットワーク化する必要がある.さらに,国際共同研究への対応も十分な議論を踏まえ推進する必要がある.これらのデータの解析にはAIをはじめとするバイオインフォマティクス解析技術が不可欠である.現在は腫瘍や遺伝研究でゲノム解析を行うバイオインフォマティシャンの活躍がめだつが,脳神経疾患分野でも,これを扱う人材の育成と導入が急務である.

B.発症前・早期診断と先制治療の開発

脳神経疾患の病態解明は,1990年代の「Decade of Brain」に米国をはじめ国際的に研究が進み,多くの遺伝性疾患の原因が同定され,マウスモデルの開発やそれによる分子レベルでの病態解明へとつながった.とくにADを初めとする神経変性疾患については,異常蛋白質の蓄積やその下流で生じる神経細胞障害の病態が明らかとなり,それらに対するDMTのトランスレーショナルリサーチへと展開した.しかし,これまでに神経変性疾患の動物モデルを用いた基礎研究(前臨床試験)で病態を抑止することが示された薬剤の多くが,臨床試験では期待された効果を示さず,治療法として確立されたものは現在のところ極めて乏しい.すなわち,基礎研究の成果がそのまま臨床に還元されない状況にあり,治療法開発の過程における基礎と臨床の隔たり(死の谷)が大きな問題となってきている.そのもっとも重要な原因として,神経変性の病態が症状の発症よりもかなり以前から始まっていることが明らかとなっている.すなわち,認知症や運動機能障害といった神経症状が出現した時点ではすでに分子レベルでの病態が進んでおり,その後にDMTを開始しても症状を改善することはできないということである.このため,欧米では遺伝性神経変性疾患(ADやハンチントン病,脊髄小脳変性症など)の遺伝子保有者(発症前キャリア)を対象としたコホート研究が進められており,発症前・早期治療実現に向けた検討が始まっている.一方で孤発例に対してはバイオマーカーによる早期診断技術の開発が進んでいる.最も進んでいるADでは,病因蛋白質であるアミロイドβやタウをPETや血液で検出することが可能となっており,こうした技術は今後他の脳神経疾患にも拡大・普及していくと予想される.こうした研究を支えるためには,画像,PETに関する研究人材,設備リソースの拡充が必要であり,またfMRIなど画像研究に関するプロトコルの統一なども重要である(Fig. 5).

Fig. 5 

C.患者レジストリの整備と大規模リソース収集拠点の確立

オミックス解析技術をヒトの疾患の研究に最大限に生かすためには,詳細な臨床情報に紐付けられた,生体試料,リソースが何よりも重要となる.臨床情報,血液,細胞(iPS細胞を含む),ゲノム,髄液などのバイオリソースの収集が必要である.また,疾患の進行を推し量るためには,経時的な追跡が重要である.患者数や観察期間などが限られる治験・臨床試験のみで得られるエビデンスは限定的となる可能性がある.また,ロボットリハビリや呼吸,栄養への介入など,ランダム化比較試験が困難な介入の検証も求められる.実臨床下(リアルワールド)での情報収集を,長期追跡が可能な大規模患者レジストリにより行う体制整備が強く求められる.我が国では筋ジストロフィーのレジストリ(Remudy)やALSのレジストリ(JaCALS)などレジストリ研究が進んでおり,今後もclinical innovation network(CIN)とも連動して推進していくことが重要である.さらに,稀少疾患であるため,リソース拠点を整備し,全国から一定の方法で収集する必要がある.提供施設のプロフィットを保証しつつ,リソースの分配の優先度,公平性を担保する仕組みを確立し,研究者が広く活用できるシステムを構築する必要がある.また,難病法の制定に伴い難病政策が実現したが,臨床調査個人票などの診療リソースのデータベース化が進んでいないことが,医療の充実や研究の進展の阻害要因となっている.レセプト情報など同様,National Database(NDB)としての利活用が望まれる.

D.疾患研究拠点の整備

脳神経疾患は膨大であり,多くの脳神経疾患の研究を一つの研究室で行うことは困難である.また,我が国のアカデミアの課題としては,近年,国立大学の独立行政法人化,卒後初期臨床研究必修化,新専門医制度の導入など大きな変化があり,診療・教育の負担の増大による研究力の低下があげられる.実際,過去10年間,我が国からの医学研究の論文発表が先進国の中で例外的に減少している.この状況下で研究力の復活のためには疾患毎の研究拠点を重点的に整備し,十分な人員を配置して,それらをネットワークで結び,各疾患研究で得られた成果を他の類似疾患の研究に積極的に活用し,多くの疾患が遅滞なく研究発展の恩恵を得られるようにすることが必要である.これらの研究拠点が,さらに最近進歩が著しい人間工学や情報学(機械学習)などの分野と連携を深めることで,世界的競争力の高い研究拠点が整備されると考えられる.

日本神経学会では,すでに疾患領域毎にセクションを設け学術研究や診療向上に寄与する体制を構築している.また,我が国には複数の類似疾患を扱う厚生労働省主体の研究組織があり,各疾患について研究拠点を決め重点的に整備することで,従来の臨床研究班ならびに疾患基礎研究者などと協力して疾患研究拠点形成に向けた司令塔の役割を果たすことが可能である.さらに,神経変性疾患については,AD,パーキンソン病,脊髄小脳変性症,ALSなどで疾患研究コホートが形成されつつあり,整備方針が決定されれば,疾患研究拠点の形成に向けた迅速な対応が可能である.

E.治験・特定臨床研究推進体制の整備

発症機構が分子レベルで解明され,治療の標的分子が同定され,開発候補薬物(シーズ)が発見された後の研究もきわめて重要である.脳神経疾患には稀少疾患が多いが,最近は稀少疾患に対する治療薬開発に対する優遇制度も整備され,企業の関心は高まってきている.これには稀少疾患の病態がコモンな疾患と共通している場合がしばしばあり,希少疾患の治療法開発から,より広範な疾患の治療開発に応用可能なブレークスルーが得られる期待があるためである.このような背景から,アカデミアと企業の連携をさらに強化すべきである.しかし「死の谷」と言われるように,実用化に至らない創薬研究が多く存在する.よって,膨大な数のシーズを創薬開発につなぐ仕組みを構築する必要がある.臨床試験・治験等の臨床研究の推進については,我が国でもacademic research organization(ARO)など治験の実施体制の強化が進められてきており,かなり改善している.しかし,企業主導の治験の実施に比べて,医師主導の治験の場合はやはり医療現場の負担が大きすぎるのが実情であり,脳神経疾患や認知症性疾患に特化した支援体制のさらなる充実が望まれる.また,2019年4月から臨床研究法が施行され,法規制のもとに特定臨床研究として厳密に遂行することが求められている.アカデミア発の研究を臨床応用するためには,この基準に対応しうる体制をAROとも連携して整備していく必要がある.

F.神経機能「再生」治療の実現

神経変性疾患,例えばADやSBMAのこれまでの基礎研究からは,発症後の進行抑制治療介入では,それまでに失われた神経細胞の補完はされず,症状は回復しない.そのため,失われた神経細胞を補完する,すなわち再生医療による治療介入の開発,iPS細胞を用いた臨床研究を含めた再生治療研究の進展が期待される.

各種幹細胞,iPS細胞を活用した,細胞・組織移植再生治療は,様々な脳神経疾患の治療法としてきわめて重要である.これまでの研究で高い障壁であった,免疫原性・拒絶反応と胚性幹細胞に関わる倫理的問題はiPS細胞の活用で克服が可能となり,移植治療は大きな発展が期待される.例えば,パーキンソン病では,すでにヒトにおいて胎児神経組織などの移植治療の経験があり,一定の成果が得られており,ある年齢以下の軽・中等度症例を対象として臨床研究もしくは治験が開始されるものと考えられ,将来の臨床応用は十分可能である.また,栄養因子・抗炎症作用を有するグリア細胞移植等のアプローチも,選択肢の一つである.さらに,今後,特定の神経回路・ネットワークの再構築方法の確立が必要である.脊髄小脳変性症,ALS,脳梗塞など多くの脳神経疾患がその対象になる.膨大なシナプスのきわめて精緻かつ複雑な再生は,一見不可能のようにも見えるが,微小環境の活用,あるいは試験管内での眼球,下垂体など自己組織化技術を用いた神経組織誘導などの成功は,その可能性が十分あることを示している.前述の脳神経疾患研究拠点として脳神経疾患の再生治療研究を行う拠点を整備して,iPS細胞研究拠点とネットワークを構成して研究を進めることで,大きな発展が期待できる.国際的にも競争の激しい分野であるからこそ,脳科学研究の伝統と実績のある我が国で,この最も高度の技術を要する神経組織の再生治療研究を重点的に推進することは,再生医学研究においても世界のトップを維持しさらに前進することに大きく貢献すると思われる.

G.新規モダリティ治療研究の推進

脳神経疾患には,多数の遺伝性疾患が含まれる.変異遺伝子が毒性を獲得することが病態機序として想定される遺伝性疾患では,原因となる変異遺伝子の発現を選択的に抑制できれば,疾患発症の予防や進行を抑制できる可能性が高い.近年,遺伝子発現制御機構の解明が急速に進行し,これを利用したRNA制御治療(RNA-modulating Therapeutics)は,多くの脳神経疾患で新規の治療法になりうる.これには,アンチセンス核酸(antisense oligonucleotides,以下ASOと略記),siRNA,アプタマーRNA,加えていくつかの新規の核酸医薬が開発されている.さらに核酸医薬のデリバリーにも大きな進歩がある.実際にSMAに対するASOは日米欧の規制当局で承認され,特に小児例では劇的な効果を挙げている.Duchenne型筋ジストロフィーのモルフォリノや家族性アミロイドポリニューロパチーのsiRNAも実用され,臨床で使用されるようになった.とくに後者は変性疾患の症状を改善させるという前例のない効果が臨床試験で実証されており,“game changer”となっている.ALS,ハンチントン病,筋強直性ジストロフィー,脊髄小脳変性症などに対しても,ASOなどの核酸医薬を用いた治験が開始されている.また,アデノ随伴ウイルスベクター(AAV)などを用いた遺伝子治療の開発も急速に進んでいる.すでにSMA小児例に対するAAVを用いた遺伝子治療が米国および日本で承認されており,我が国ではパーキンソン病のAromatic l-amino acid decarboxylase(AADC)遺伝子を用いた臨床試験が開始され,ALSや遺伝性脊髄小脳変性症に対する遺伝子治療の臨床応用が計画されている.また,より多数を占める孤発性~非遺伝性疾患についても,分子機構が明らかとなれば,それを制御する遺伝子治療の可能性がある.遺伝子治療研究は脳神経疾患克服のための重要な分野であり,国際的に競争が激化している核酸医薬産業との連携を含めて,研究拠点の重点整備が必要である.将来的には,CRISPR/Cas9システムを用いた原因遺伝子変異の修復治療や,子宮内での遺伝子治療なども考えられ,究極の治療法の一つといえる.

H.イノベーション創造のための産官学連携

1980年代までの創薬は糖尿病,高血圧,脂質異常症などの生活習慣病に対するブロックバスターの開発によりその最盛期を迎えたが,その後脳神経疾患に代表される希少・難治性疾患に対する治療法開発へとビジネスモデルが大きくシフトして現在に至っている.さらに,その動きは発症前の段階における予防的治療の開発へと展開しつつある.こうした動きは,電子カルテデータやスマートフォン・ウェアラブルデバイスなどを用いたビッグデータの解析ならびにそれに基づく行動選択への介入へとつながりつつある.ADにおいて認知症発症の20年以上前から脳のアミロイド沈着が始まっていることが知られているように,脳神経内科領域はこうした「未病」に対する対策も極めて重要であり,そのためにはバイオマーカー開発や薬物的および非薬物的予防介入法の開発を,産学連携で進めていく必要がある.近年AMEDをはじめとする公的機関がマッチングファンドを積極的に導入しており,アカデミアにおいても産学共同研究の推進,起業の活性化,アントレプレナーシップ教育など,産学連携に対する取り組みが加速的に進んでおり,脳神経内科領域でもこうした取り組みを活性化させる必要がある(Fig. 6).

Fig. 6 

I.ポストコロナ社会における脳神経疾患の診療と研究

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックを経験し,社会は大きく変わろうとしている.とくに感染予防のために拡大する物理的距離をサイバー空間で埋めることにより,個人,集団,都市の機能分散による「分散社会」の到来が予測されている.こうした分散社会は,内閣府のSociety 5.0に基づくスマートシティ構想あるいは第5次環境基本計画(環境省)の地域循環共生圏とも合致し,5Gの整備にともない,今後さらに加速すると思われる.分散社会は感染症対策のみならず,防災,過疎化対策,環境保全,新たな産業創成と既存産業の活性化,ひいては日本社会の国際競争力の向上の面で極めて重要であるが,情報・医療・教育・文化という側面では実現に向けた多くの課題が残されている.COVID-19対策の一環で一般化しつつある遠隔医療は,分散社会の実現推進のために欠くべからざるインフラであり,Society 5.0構想にもあるように医療情報とAIとの連結により,疾患の診断・治療あるいは医学研究を大きく変革する可能性が高い.脳神経疾患に対するバイオマーカー開発などの研究応用,診療連携システムの高度化に向けて,行政との連動によるスマート医療の社会実装が必要である(Fig. 7).

Fig. 7 

(5) 脳・神経・筋疾患克服へのロードマップ(Table 1
Table 1  
2020~2030 2030~2040
孤発性・common diseaseの克服 認知・運動障害なき健康寿命100歳を達成
遺伝性神経難病の遺伝子治療法開発 遺伝性神経難病の早期治療実用化
孤発性神経難病の遺伝子寄与の解明 孤発性神経難病の治療法実用化
認知症,運動異常症,ALSなどの早期診断法の開発 認知症,運動異常症,ALSなどの治療薬の実用化,先制医療の開発
神経系悪性腫瘍の分子機構の解明 神経系悪性腫瘍の遺伝子治療・抗体治療
脳卒中の脳血管病変進展機序の解明 脳卒中の血管病変進展抑止候補薬の開発
白質脳症のバイオマーカー・自然歴の同定 白質脳症の発症機序の解明・治療法開発
片頭痛の発症機序の解明・治療法開発 片頭痛のプレシジョン・メディシンの確立
てんかんの発症機序・難治化の解明,抗てんかん原性薬の開発 てんかんのプレシジョン・メディシンの確立
多発性硬化症・視神経脊髄炎の診断・予後予測バイオマーカー同定・早期治療法開発 多発性硬化症・視神経脊髄炎のテーラーメイド根本治療・先制医療の法開発
自己免疫性末梢神経障害の発症機序の解明 自己免疫性末梢神経障害の新規治療法開発
単純神経再生治療法の開発(回路再生なし) 神経回路再生技術の開発
主要神経疾患におけるニューロリハビリテーションの確立 BMI活用ニューロリハビリテーションの開発
脳神経疾患における神経回路異常の解明 神経回路を標的とした脳神経疾患の新規治療法開発

(6) 脳神経疾患克服に向けた研究推進の提言2020の要約版

1) 脳神経疾患克服に向けた研究推進の必要性

● 超高齢社会とともに,認知症・神経変性疾患・脳血管疾患などの脳神経疾患の有病率が増大し,最近20年間でほぼ倍増となっている.

● 脳神経疾患による様々な機能障害により人間らしい生活が脅かされるが,多くは難治性のものが多く,いまだ治療法が見出されていない疾患が数多く存在する.

● 認知症をはじめとする難病の病態が解明されつつあり,分子病態を標的としたDMTの開発を推進し,研究成果を社会実装する必要が高まっている.

● 治療法が存在する脳血管疾患や神経免疫疾患などについては,プレシジョン・メディシンによる治療の最適化に加え,機能再生のためのBMIや再生医療の開発が必要である.

2) 我が国における脳神経疾患研究:最近の成果

● 運動ニューロンを障害する神経変性疾患であるALSとSBMAに対するDMTが,我が国の基礎研究と治験成績に基づいて,世界に先駆けて薬事承認された.

● モルフォリノを用いた,筋ジストロフィーに対する核酸治療が実用化された.

● 我が国で開発されたロボットスーツHALが,医療機器として承認され,普及した.

● iPS細胞を用いた病態解明・創薬研究開発と,パーキンソン病への細胞移植治療応用が進んでいる.

● ASOを用いた神経難病の治療法開発が進んでいる.

● パーキンソン病や多系統萎縮症などの難病に関するゲノム解析により,孤発例を含めた遺伝的要因を同定し,それを応用した治療法開発が進んでいる(Fig. 8).

Fig. 8 

3) 今後の研究推進に向けて

人生100年時代における脳神経疾患の早期発見・治療を確立するとともに,疾患を有する人と共存する社会を実現するために,下記の体制整備が必要と考えられる.

● バイオインフォマティクス解析技術を用いて,多階層オミックス情報や画像情報をはじめとする各種医療情報を解析する数理学・計算科学人材の育成

● トランスレーショナルリサーチや再生医療など,我が国の研究の強みを生かすためのレジストリ・バイオバンク整備および臨床研究推進体制の強化

● 発症前・早期治療を実現する研究に必要な遺伝カウンセリングなどの体制整備と人材育成

● 遺伝子治療など先端技術の臨床応用に向けた産官学連携体制の強化

● プレシジョン・メディシンの実現に向けたバイオマーカー開発等を促進するための多施設共同研究体制の整備と国際共同研究の推進

● 国立大学の独立行政法人化,卒後初期臨床研究必修化,新専門医制度の導入による,診療・教育の負担の増大による研究力の低下に対する疾患研究の拠点化推進(Fig. 9

Fig. 9 
Notes

※著者全員に本論文に関連し,開示すべきCOI状態にある企業,組織,団体はいずれも有りません.

 
© 2021 Societas Neurologica Japonica
feedback
Top