2022 Volume 62 Issue 6 Pages 429-442
日本神経学会では,脳神経内科領域の研究・教育・診療,特に研究の方向性や学会としてのあるべき姿について審議し,水澤代表理事が中心となり国などに対して提言を行うために作成委員*が選ばれ,2013年に「脳神経疾患克服に向けた研究推進の提言」が作成された.2014年に将来構想委員会が設立され,これらの事業が継続.今回将来構想委員会で,2020年から2021年の最新の提言が作成された.この各論Iでは,遺伝子研究,トランスレーショナルリサーチ,核酸医薬,iPS研究,介護・福祉など,多様性を増す脳神経内科領域の臨床と研究について,最新トピックスを交えて取り上げる.
*提言作成メンバー
水澤 英洋,阿部 康二,宇川 義一,梶 龍兒,亀井 聡,神田 隆,吉良 潤一,楠 進,鈴木 則宏,祖父江 元,髙橋 良輔,辻 省次,中島 健二,西澤 正豊,服部 信孝,福山 秀直,峰松 一夫,村山 繁雄,望月 秀樹,山田 正仁
(当時所属:国立精神・神経医療研究センター 理事長,岡山大学大学院脳神経内科学講座 教授,福島県立医科大学医学部神経再生医療学講座 教授,徳島大学大学院臨床神経科学分野 教授,日本大学医学部内科学系神経内科学分野 教授,山口大学大学院神経内科学講座 教授,九州大学大学院脳神経病研究施設神経内科 教授,近畿大学医学部神経内科 教授,湘南慶育病院 病院長,名古屋大学大学院 特任教授,京都大学大学院臨床神経学 教授,国際医療福祉大学大学院医療福祉学研究科 教授,東京大学医学部附属病院分子神経学特任教授,国立病院機構松江医療センター 病院長,新潟大学脳研究所臨床神経科学部門神経内科学分野,新潟大学脳研究所フェロー,同統合脳機能研究センター産学連携コーディネーター(特任教員),順天堂大学医学部神経学講座 教授,京都大学大学院高次脳機能総合研究センター 教授,国立循環器病研究センター病院長,東京都健康長寿医療センター研究所 高齢者ブレインバンク,大阪大学大学院神経内科学 教授,金沢大学大学院脳老化・神経病態学 教授)
The Japanese Society of Neurology discusses research, education, and medical care in the field of neurology and makes recommendations to the national government. Dr. Mizusawa, the former representative director of the Japanese Society of Neurology, selected committee members and made “Recommendations for Promotion of Research for Overcoming Neurological Diseases” in 2013. After that, the Future Vision Committee was established in 2014, and these recommendations have been revised once every few years by the committee. This time, the Future Vision Committee made the latest recommendations from 2020 to 2021. In this section I, we will discuss clinical and research topics of neurology categorized by the methodology, including genetic research, translational research, nucleic acid therapies, iPS research, and nursing/welfare.
脳神経疾患の克服を実現するためには,疾患の進行を防ぐ治療法の開発が必要で,そのためには,発症機構を解明し,それに対し効果的に介入する治療法の実現が何よりも望まれる.しかし,1980年代以前は,疫学的所見,臨床症候・経過,病理所見などを記述する研究が中心であり,その本態に迫ることはできていなかった.この壁を突き破ったのは遺伝性の神経変性疾患に対する分子遺伝学によるアプローチである.1983年にハンチントン病の遺伝子座が解明され,1993年にその病因遺伝子が解明された.この成功を契機として,ポジショナルクローニングにより多くの遺伝性神経疾患の病因遺伝子が解明され,その知見に基づき,in vitro研究,細胞モデルを用いた研究,動物モデルの作出などにより,病態機序の解明が飛躍的に発展した.その成果により,球脊髄性筋萎縮症(SBMA)では,病態機序に直接介入する治療法研究が発展し,医師主導治験が行われるまでに至っている.現在は,次世代シーケンサーと呼ばれる高スループット・シーケンサーによる解析が実用化され,従来の解析では困難であった小家系でも遺伝子変異が同定されてきている.
一方,孤発性の脳神経疾患は,複数の遺伝的要因と複数の環境要因とが関与して発症すると考えられている.この場合も臨床遺伝学的なエビデンスのある遺伝的要因の解明がまず目標となる.2000年代になって,DNAマイクロアレイの技術が実用化され,DNA多型,特に一塩基多型について,網羅的解析が可能となった.当初は,孤発性疾患の疾患感受性遺伝子は,よく見られる多型に関係すると考えられ,健常者集団で5%以上の頻度で存在する一塩基多型をゲノムワイドに解析するゲノムワイド関連解析(genome-wide association study,以下GWASと略記)が行われてきた.しかし,実際,GWASにより見いだされた疾患感受性遺伝子の影響度は小さく,病態機序全体の解明には至っていない.これより,影響度の大きい遺伝子変化(variation)は,実は低頻度のものである(rare variant)と考えられるようになり,次世代シーケンサーによる解析に期待が高まっている.
B.ゲノム医学研究前述のように,次世代シーケンサーが実用化されたことによって,遺伝性神経疾患,孤発性神経疾患の発症機構の解明が発展しつつあり,特に多因子疾患である孤発性神経疾患においては,それぞれの患者において発症ならびに疾患の進展に関わる分子病態機序は,従来考えられていたより多様であることが解ってきた.オバマ前大統領が2015年の年頭教書演説においてPrecision Medicine Initiativeの重要性を述べたことに象徴されるように,個々の病態ごとの治療法の確立ならびに予防医療の提供が,目指すべきものであるという考えが台頭している.このような研究戦略と実用化は,がんとならんで神経難病を含む希少疾患において活発化している.今後,実際の臨床現場においても,ゲノム解析の果たすべき役割は大きくなり,診断や治療法の選択などの飛躍的な質の向上がもたらされることが期待されている.
B1.遺伝性神経疾患のゲノム医学研究の推進遺伝性疾患の病因遺伝子の解明のための研究パラダイムすなわちポジショナルクローニングは既に十分確立されており,多くの原因遺伝子が発見された.遺伝性神経疾患は,臨床症候はもちろん,各疾患に特徴的な封入体(蛋白質凝集体など)を含め神経病理学所見も孤発性神経疾患と共通している疾患が存在するため,遺伝性疾患の分子病態の解明は,孤発性疾患の分子病態の解明にも大きく貢献するものと期待されている.遺伝性疾患は,単一遺伝子の変異で病態機序全体が理解できることから,病態機序研究においては非常に有力であり,病態モデルの作出などを通して治療法開発も進展する.
しかし,家系が小さく,また症例が少なく,未だ病因遺伝子が見いだされていない遺伝性神経疾患は少なからず存在する.しかし次世代シーケンサーの実用化により,全ゲノム配列の解析が可能になり,その結果,病因遺伝子の解明が可能となった.この成果として,これまで神経変性疾患でよく知られているタンパク質の異常凝集とは全く異なる病態機序として,非翻訳領域に存在する反復配列の異常伸長が発症原因になっている疾患が数多く見いだされている.我が国においても,稀少疾患の調査,集積を行い,本研究を推進する必要がある.この研究を推進するためには,①次世代シーケンサー解析拠点の整備,②稀少な遺伝性疾患家系の丹念なリソース集積と臨床情報の解析,③国際共同研究が重要となってくる.
B2.孤発性神経疾患のゲノム医学研究の推進また,多くの孤発性疾患は,複数の遺伝的要因と複数の環境要因とが関与して発症すると考えられている.この場合も臨床遺伝学的なエビデンスのある遺伝的要因の解明がまず目標となる.孤発性疾患の病因解明には,低頻度のvariationに注目して解析することが極めて有用であると考えられ,次世代シーケンサーによる解析は極めて有効である.この解析には,膨大な数の孤発性神経疾患症例および健常者集団の解析が必要となる.しかし,神経変性疾患においては,生活習慣病などで必要とされる解析規模と比較すると,1,000~10,000名程度の解析で可能であり,相対的に少ないという利点がある.この理由としては,脳神経疾患の発生頻度が生活習慣病などに比較して少なく,また遺伝的要因の関与が強く示されていることがあげられる.このため,低頻度variationに着目したゲノム配列解析を適用する疾患群としては,脳神経疾患は最適であると考えられる.パーキンソン病におけるglucocerebrosidase,多系統萎縮症におけるcoenzyme Q2の発見はそれを裏付けている.また,環境要因については,その影響を分子レベルで解析する事が必要であり,エピゲノムや体細胞変異を含めた遺伝子発現変化の解析も有用と思われる.これにも次世代シーケンサーによる解析が期待される.
しかし,次世代シーケンサーによる解析費用は依然として高く,長期間に継続が可能な大型研究として位置づけ,次の点を推進する必要がある.①全国規模で大規模な症例・対照の臨床情報,ゲノムリソースの収集,②大規模ゲノム解析が可能な研究拠点の整備,③国際共同研究が必須となる.このような高額の公的研究資金を必要とする大規模研究に関しては,収集されたリソース,ゲノム情報などは,研究者コミュニティーが広く活用できるようにして,研究の活性化を計るとともに,国民や社会の理解を得るようアウトリーチ活動も積極的に行う.
脳神経疾患の有病率や実態把握と共に,診断法の確立とバイオマーカー開発,発症や進行に関連する危険因子の解明や治療法の開発,さらに,予防・ケア・介護の展開に向けて,疫学研究・臨床研究は不可欠である.脳神経疾患には,脳卒中,認知症,頭痛などのように頻度が高くて患者数の多い疾患も多く,一方,頻度は比較的低いが介護度の高い,いわゆる神経難病も少なくない.急性期から慢性期までの幅広い脳神経疾患について,それぞれの疾患の特性,症例収集の進め方やその診療状況などに配慮しながら,疫学研究・臨床研究を進めていくことが必要である.我が国においては,認知症,脳卒中などの比較的頻度の多い脳神経疾患に関しては縦断的疫学データベースの構築が行われており,頻度の低い神経難病に関しては難治性疾患克服研究事業による班研究などが成果をあげている.しかし,欧米に比較して高精度の縦断的疫学研究が少ない.縦断的研究により,初めて脳神経疾患の進行や予後に関する危険因子の解明,予防・治療法の開発やその評価や効果の検証などの実施が期待され,遺伝子・画像やバイオリソース研究,さらに,神経病理学的研究などとも関連付けた研究が展開できるようになる.さらに,予防や治療法の開発に向けて発展しつつある基礎研究の臨床展開も行われ,介入試験などの臨床研究の一層の展開も求められている.新たに薬事承認された治療法の長期の有効性・安全性に関するリアルワールドデータの収集も極めて重要である.このためには,それを応用可能なレジストリの構築が必須である.自己抗体や遺伝子検査など,診断に有用な検査が保険収載されて臨床現場に広がっていく事も,幅広いデータ疫学調査の一助となると考える.
また,神経変性疾患では,臨床症状の発症前から生化学的・病理学的変化が進行していると考えられるようになっており,今後は発症早期および発症前も視野に入れた臨床研究を進めていく必要がある.事実,欧米ではハンチントン病や遺伝性アルツハイマー病,遺伝性脊髄小脳変性症などの保因者の大規模レジストリを用いたコホート研究が進んでおり,それに基づいて発症前の先制医療の臨床試験が行われている.
脳神経疾患の研究において解決されていない重要課題の一つは,神経変性疾患などにおける病態過程そのものを抑止しようとする治療法の開発である.従来の神経変性患の治療薬のほとんどは神経伝達物質などの補充を目的としたものであり,こうした治療法は神経症状の緩和には役立つものの,疾患の本質そのものには介入できないという欠点がある.近年様々な脳神経疾患の分子病態が明らかとなり,それをターゲットとした治療薬の開発が急速に進められており,根本的治療として大きな期待を寄せられている.
しかし,現在の所,動物モデルでは成功しても,治験で成功した事例はほとんどなく,動物モデルを用いた治療研究から臨床応用へと展開するトランスレーショナルリサーチの方法論が見直しを迫られている.例えば,アルツハイマー病については,異常集積するアミロイドβ蛋白質を標的とした抗体療法やワクチンなどが動物モデルにおいて認知機能を改善することが示された.実際,その一部は患者脳においてもアミロイドβ蛋白質の集積を減少させることが示されているにもかかわらず,現在のところ臨床的効果が確実に証明された治療法はない.同様の状況は他の神経変性疾患にも共通している.この原因としては,治療の開始タイミングが遅いこと,薬効評価方法が確立されていないこと,患者数が少ないことなどがあり,このことが基礎研究と臨床試験の結果の乖離の原因となっている.
これを乗り越えるには,革新的な手法・概念を導入した研究が必要である.例えば,霊長類などよりヒトに近いモデル動物の開発や,患者由来iPS細胞を用いた病態解明と創薬,有効性評価の指標となるバイオマーカーの開発などが必要と考えられる.また,臨床的に症状が見られる際にはすでに神経変性過程はかなり進行していると考えられることから,発症前あるいは発症後早期の治療介入開始のための優れたバイオマーカーの開発とその健康診断などへの導入についても検討が必要である.また,短期試験によるバイオマーカー評価と長期試験による臨床指標評価とを組み合わせるなど,従来の悪性腫瘍や生活習慣病などに対する治験とは異なる脳神経疾患に特化した開発・承認のストラテジーを規制当局とも協議して確立していくことが重要である.このためには我が国全体としてレギュラトリー・サイエンス,トランスレーショナルリサーチの拡充を図る必要があり,その一環として脳神経疾患に関わるトランスレーショナルリサーチ研究拠点の整備を行う.
さらに,神経変性の時間的特性,すなわち神経症状の発症に20~30年以上先行して分子レベルでの変化が生じていることを踏まえ,発症前の先制医療を開発する必要がある.すなわち,遺伝性神経難病の未発症保因者や,パーキンソン病におけるREM期睡眠行動異常症のように神経変性疾患のリスク因子を有する者に対し,予防的に介入する治療法を開発・実用化する必要がある.すでにアルツハイマー病の保因者コホートやビー小体病のハイリスクコホートが構築されており,これらを先制治療研究に生かしていく試みが始まりつつある.我が国では世界的にもトップレベルの健康診断制度があり,今後はそれを生かした発症前臨床研究を推進することが重要である.
脳神経疾患の克服には,臨床情報を加味した死後脳を含めたバイオリソースの系統的,統合的,大規模集積拠点の整備と統合ネットワークの構築は不可欠であり,臨床,基礎研究を推進する原動力となる.欧米では国家戦略としてバイオリソースの構築が推進され,英国ではUK Brain Bank Networkという統合データベースにより7000症例の脳組織が利用可能となっている.我が国においても,日本ブレインバンクネット(Japan Brain Bank Net,以下JBBNと略記)が平成28年に日本医療研究開発機構の支援を受けて設立され,国内主要8ブレインバンクが連携して共同運用するネットワーク型ブレインバンクが構築されており,2020年6月現在2,000例以上の症例が登録されている.このようにリソースネットワークの整備が進んでいる領域がある一方で,多くの領域では依然として個別の脳神経内科学ならびに神経病理学教室の自助努力で,バイオリソースの蓄積が行われているのが実情である.これらのリソースは,臨床情報に信頼性がある,画像情報が充実している,病理情報が確実である,iPS細胞樹立可能である等の国際的優位性を持つ.しかし,収集情報が,各組織において統一化されておらず,情報が統合されていない.さらに,個別研究の大きな問題点は,研究期間・資金の終了や研究代表者の異動などの理由で,個別研究で収集されたリソースが死蔵され利活用が滞ることである.今後,統一された基準で収集され,継続的に利活用可能なバイオリソースネットワークの確立が急務である.これは,今後の疫学研究,介入研究の成否に直結する.収集する情報,検体,収集方法,診断方法,保存方法などを共通化し,データベースを構築し,利用者の窓口を一本化し,公平で幅広いリソース活用を推進する.これにより,貴重なバイオリソースを効率的に活用することが可能となる.学会と公的機関の連携によりオールジャパン体制の構築を計り,既存組織を組織化あるいは新たな組織を構築するなど強力なサポートのもとに発展させる必要がある.さらに近年,剖検取得率が低下している.前述のJBBNでは剖検の生前登録システムを運用している.神経難病の克服のためには,このようなアプローチが必須であることを啓発し,事前登録を含め,それを維持する仕組みの確立が急務である.これらは短期的な成果の出るものではないため,従来型の研究資金とは別に恒久的な研究資金を獲得できる仕組みを確立し行うべきである.バイオリソースは企業における研究開発にとっても必要不可欠であり,今後産学連携の推進による持続可能なバイオバンクシステムを構築していく必要がある.
従来の,線虫,ショウジョウバエ,魚類,齧歯類などを用いたモデルは,各々のモデル動物の利点を生かし,今後も推進する必要がある.
一方,ヒトの脳神経疾患の治療に応用可能な動物モデルの開発が切望されている.しかし,齧歯類をはじめとする今までのモデルは,ヒトの治療への応用に関し,様々な問題の存在が露わになっている.まず精神活動・高次脳機能のみならず,運動系まで,齧歯類とヒトでは大きく異なる.さらに,血管系,免疫系,遺伝子やその制御系まで,その違いは枚挙に暇がない.これらの差異は,治療を考える上で,大きな障害となっている.よって,現在の疾患モデルを用いるにあたっては,これらの相異を念頭に,そのモデルの限界を理解し,目的を絞り,解析する必要がある.
これらのモデルで得られた成果と,実際のヒトの治療研究の間にあるミッシング・リンクを繋げるためには,霊長類を用いた研究は重要である.日本ではコモン・マーモセットを用いた遺伝子改変モデルによる病態・治療研究が推進されてきた.しかし,霊長類モデルでは,倫理面での規制が厳しい欧米を尻目に,近年,中国が,量的・質的に,その存在感を増している.本邦でも,霊長類の疾患モデルのセンター化の可能性を含み,量・質ともに,危機感をもって整備する必要がある.
また,近年,脳神経系疾患への,環境要因の寄与に注目が集められている.これら環境要因には,腸内細菌叢,日内変動,睡眠,運動などがある.これら環境要因の影響を明らかとするには,まず動物にて,環境要因をコントロールする方法の確立,設備,施設の整備が必要である.
モデル動物の遺伝子改変技術では,遺伝子導入技術,部位空間特異的な遺伝子改変・発現技術,CRISPR/Cas9システムを用いたゲノム編集技術,DREADDやオプトジェネティクスによる選択的回路活性化方法など,目覚ましい進歩がある.また神経変性疾患領域では,異常タンパク質の伝播仮説に基づくモデル形成が進み,本邦も重要な発信をしている.今後これらの技術を標準化し,利用するため,モデル動物開発・維持・供給研究拠点の整備が必要である.さらに,研究成果産物の,より開かれたバンク化を推進し,広く研究者コミュニティーが利用できる体制整備が重要である.
モデル動物の解析方法としては,マルチオミックス網羅的解析が主流となり,データ量が爆発的に増大している.また,機能的MRI(fMRI)やポジトロン断層法(positron emission tomography,以下PETと略記)といった画像解析,二光子励起レーザー顕微鏡,透明化技術などの新技術による解析もめだっている.これらの解析には数理モデル,AIの導入が必要であり,応用数学者の疾患病態研究領域への参入,人材育成を推進する必要がある.さらに,齧歯類,霊長類などの行動・心理学的評価法の確立,その人材育成も必要である.

神経筋疾患の病態におけるRNA制御機構が解明に伴って,RNA制御治療(RNA-modulating Therapeutics)として核酸医薬は多くの神経筋疾患で革新的な治療法として開発が急ピッチで進んでいる.神経変性疾患の最初の疾患修飾療法(disease modifying therapy,以下DMTと略記)開発が,2017年に脊髄性筋萎縮症(spinal muscular atrophy,以下SMAと略記)に対するアンチセンス核酸(ヌシネルセン)によって達成されたことは脳神経内科に大きなブレイクスルーをもたらした.引き続いて,2019年に世界初のsiRNA薬(パティシラン)がトランスサイレンチン型家族性アミロイドポリニューロパチーを対象に日本でも承認された.さらにDuchenne型筋ジストロフィーを対象としたスプライシング制御型アンチセンス核酸(ビルトラルセン)が2020年に薬事承認を受け,初めての日本発の核酸医薬は誕生した.アンチセンス核酸およびsiRNAが現在の核酸医薬開発の主流であるが,そのほかにもマイクロRNA関連医薬,アプタマー,デコイ,ベイト,CpGオリゴなど新規のモダリティも次々に開発されており,その標的分子制御の様式や応用性は幅広く,神経変性疾患だけでなく神経免疫疾患,虚血性疾患,腫瘍疾患を含めて多様な神経筋疾患が対象とした研究開発が進行している.
核酸医薬は分子設計から開発品の選定まで他のモダリティに比べて速やかに進めることが可能である特徴を有する.最近注目を浴びているのが,Batten病の6歳の少女に対して,カスタムメイドのスプライシング制御核酸(milasen)が開発され,2018年にFDAに承認された.究極のカスタムメイド治療薬である“N-of-1 customized therapy”である点に加え,遺伝子変異同定から薬事承認までの期間が約1年といった迅速な点も特筆すべき点である.遺伝性の中枢神経疾患の約10%がこのようなカスタムメイド治療の対象となり得るとされており,日本でも未診断疾患イニシアチブ(Initiative on Rare and Undiagnosed Diseases,以下IRUDと略記)を含めた疾患レジストリと連携した神経遺伝性疾患のゲノム医学研究からカスタムメイドの創薬にはモダリティとして核酸医薬は適していると言える.
また,核酸医薬創薬には新規の人工核酸や化学修飾の開発がその医薬品としての能力を大きく左右するが,日本の核酸医薬の基礎的な化学技術は世界でトップの実績を達成してきており,2019年以降のAMEDの創薬基盤として最重点分野に挙げられている.今後日本が核酸医薬創薬開発で世界のリーディングになるために,医薬工学の分野横断的な基礎研究体制の充実,レギュラトリーサイエンスを含めた産官学の創薬基盤の社会的な整備が求められている.
2007年に,ヒトiPS細胞とその作製技術が誕生した.iPS細胞を用いた医療への応用は二つの方向性がある.iPS細胞を用いた病態解明・創薬研究と細胞移植治療・再生医療である.

脳神経内科領域におけるiPS細胞を用いた病態解明・創薬研究は,2008年のハーバード大学からの遺伝性筋萎縮性側索硬化症( amyotrophic lateral sclerosis,以下ALSと略記)患者iPS細胞の作製を皮切りに,神経変性疾患を中心として進められてきた.患者iPS細胞から病態を再現するモデルを構築,そのモデルを用いた治療薬候補の評価やスクリーニングが実施されるようになった.特に,iPS細胞モデルを用いて,既存薬を別の疾患の薬に転用するdrug repurposingを行うための研究開発が進められている.脳神経内科領域においては,わが国でも,現在,この方法で同定された治療薬候補の臨床試験が,ALSについて2件,家族性アルツハイマー病について1件,実施中である.
さらに,iPS細胞モデルは,これまでの低分子化合物に加えて,核酸,遺伝子治療ベクターなどの新たな治療モダリティの探索や評価に利用されると考えられる.神経変性疾患以外では,海外において,ジカウイルス感染症の病態解明に,ヒトiPS細胞から作製した3D脳オルガノイドが利用され,小頭症の生じるメカニズムが明らかにされた.今後,iPS細胞から作製した3Dオルガノイドの病態解明・創薬研究における利用も進められると考えられる.
iPS細胞を用いた細胞移植治療・再生医療は,2014年,世界に先駆けて我が国において,滲出性加齢黄斑変性症患者に対して,iPS細胞から分化誘導した網膜色素上皮の移植手術から始まった.5年間たった時点での腫瘍化などは認められていない状況である.脳神経内科領域においては,2018年に,パーキンソン病患者に対して,iPS細胞から分化誘導したドパミン神経前駆細胞の移植手術が実施された.2019年には,亜急性期脊髄損傷患者にiPS細胞由来神経前駆細胞を移植する計画が承認されている.iPS細胞など,幹細胞を用いた医療は,新たなルールが必要とされ,2014年に,我が国では,「再生医療等の安全性の確保等に関する法律」,「医薬品医療機器等法」という法律が施行され,治験を行う際の特定認定再生医療等委員会での審査の義務化,条件および期限付承認の設定などが行われている.これらの法律的な仕組みの中で,我が国においては,今後,神経・筋疾患や脳血管障害などの領域でも,iPS細胞を用いた細胞移植治療の開発が進められると考えられる.
AIは1956年に提唱された.AIの概念が包含する領域,意味,内容は非常に多様であるが,大きく分けて1)人間のような意識や思考を持つAIを研究する流れと,2)特定の目的に特化したAI(画像認識,音声認識,囲碁,将棋など)を研究する流れがある.前者は,ロボット工学の進歩とあいまって身体的負担の大きい神経変性疾患の介護や日常生活の支援に大きな役割を果たす可能性がある.後者については,2000年代に入り,コンピューターやGPU(画像処理に特化した計算処理を行う演算処理・プロセッサ)の著しい性能向上,ディープラーニング,特に畳み込みニューラルネットワークの発展が相まって,特にAIを用いた画像認識技術は革新的な進歩をとげた.近年,FDAも複数の技術を認可し,脳神経疾患領域では,CTを用いた急性期脳卒中の診療において世界的に重要な成果が上がっている.
ディープラーニングは,データそのもので学習されるため,それまでのAIのように人がデータから特徴的な表現を抽出する膨大な手間がなく,画像のように符号化された大量のデータを取り扱うことができる領域との相性が良く,更なる発展が期待される.しかしながら,データ数の少ない稀少疾患への対応や,ディープラーニングを組み立てる層の数,フィルターの数や深さに最適解はなく,例外的なデータに対する処理機能にも限界がある.また一般的には二次元のデータが対象となっているなど,脳神経疾患全般で応用されるには解決すべき問題が多い.
一方,脳神経疾患領域では,ゲノム・オミックス情報,モバイルヘルス生命情報,電子カルテの普及による膨大なリアルワールド情報,脳MRI,脳磁図,脳波など多様なモダリティを用いた脳内神経回路情報など多次元に渡る情報,アミロイドPETやタウPETなどの高感度タンパク質PETや神経伝達物質に関連する空間的情報など,ビッグデータ解析を必要とする研究や医療が急速に拡がっている.このようなビッグデータは人間の解析能力を超えており,仮説を立てて検証するプロセスも容易ではないため,AIが積極的に導入されつつある.
しかしながら,それぞれの次元,次元と次元の間には,既存の概念にフィットしない非線形で複雑なネットワークや,時系列データが含まれているため,各次元が不適切な仮定に基づく統計手法で検討されると誤った結論となる危険性がある.このため,対象となる現象,データ生成のルール,変数間の関係性などを適切に模擬できるような数理モデルを構築する必要がある.さらに,脳神経疾患では,パラメータ数に対してサンプル数が少ない問題(新NP問題)をより適切に解決する方略を開発していく必要がある.
いまだ未解明な課題の多い脳神経疾患領域において,それを解決する糸口となる新しい知見や,精緻医療の実現へ向けた核心は,多次元なビッグデータが織りなす複雑なネットワークの中に存在する可能性がある.本領域に精通した専門家の参入により,数理モデル構築に基づいたAI研究が定着・発展することは,極めて重要である.
神経筋疾患領域では,難病の医療提供体制整備の一環として遺伝学的検査の保険収載が順次進められており,さらにはAMEDのIRUD事業による未診断症例の遺伝学的解析でも神経筋疾患がかなりを占めるなど,ゲノム研究の医療への実装化が進んでいる.また,これまで症状改善薬すらなかった稀少遺伝性疾患においてむしろDMTの開発に成功し承認されていることから,これら疾患の早期発見・診断とそれによる早期治療開始が求められる時代となってきている.また,アカデミアや企業の開発研究も,不可逆な病変が少なく,より有効性が高いと思われる,未発症者や遺伝的リスク保有者を対象とした,いわゆる先制治療を目指し,一部では臨床治験が行われている.このような現状を背景に,ゲノム医療の実用化,質の高い臨床遺伝医療の提供を行うのための体制を検討する研究を,遺伝性神経・筋疾患を多く扱う神経学会においても積極的に取り組まねばならない.
遺伝性神経筋疾患の多くは成人期発症であるため,診断時にはすでに子の世代が存在することが多く,血縁者の発症前診断や保因者診断が大きな問題である.これらのアットリスクの血縁者には,認定遺伝カウンセラーや臨床遺伝専門医が中心に対応してきたが,諸外国に比べ我が国の体制は大学病院をはじめとする高度医療機関においても非常に遅れている.また,これまでのモデルは,「治療法のない神経難病」に対する,心理・社会的側面を重視した慎重な遺伝カウンセリングであった.今後,治療開発研究の一部として行うものや,治療法確立した後の発症前診断や保因者診断など,新しい時代を見据えた遺伝カウンセリングの方法とその体制などについて,関係学会・関連職種とはもちろんのこと,心理・倫理・法律の専門家,開発企業,規制当局・保健行政を交え検討することが求められている.
多因子遺伝とされる孤発性神経疾患についてもゲノム研究の進捗により,メンデル遺伝の疾患と同様に新たな展開を迎えている.アルツハイマー病におけるAPOE,パーキンソン病におけるglucocerebrosidase,多系統萎縮症におけるcoenzyme Q2などのバリアントが疾患の遺伝的要因として明らかにされてきている.これらの成果はPrecision Medicine推進につながることが期待されるいっぽうで,種々のゲノム検査ビジネスにも利用される危険性もある.頻度の比較的高い疾患であるためその対象者は多く,その影響も大きい.患者・社会のゲノムリテラシー向上,一般の医療機関の医療職のゲノム情報理解と伝達能力の涵養,検査の体制とその質の保証,商用利用の規制など,産官学連携体制をいかに整備するかも重要な課題である.
脳神経疾患の診断および治療法の確立は喫緊の課題であり,本提言ではバイオマーカーのさらなる開発の研究推進について述べる.脳神経疾患の頻度は高く,一般診療で良く遭遇し,的確な診断及び治療が求められる.そのような状況で,いまだ,脳神経疾患は神経学的所見の評価に基づく割合が高く,熟練した脳神経内科医以外では診断さえ困難である事がしばしば生じる.また,治療の評価についてもアウトカムの多くは運動機能や認知機能など症状の改善を指標としている.しかし背景病理の重症度とこれらの症状との対応は個々の症例で異なり,また脳神経疾患は症状が多彩で経過にも個人差があることなどから,症状のみでの評価では不十分である.さらに,この多様性は個別化医療の必要性に繋がり,そのためには患者層別化が必要であるが適切な指標は無い.上記の問題点から,客観的に症状を診断し経過観察が行えるようなバイオマーカーの開発が重要である.PMDAより提唱されているバイオマーカーの定義とは「通常の生物学的過程,病理学的過程,もしくは治療的介入に対する薬理学的応答の指標として,客観的に測定され評価される特性」としている[https://www.pmda.go.jp/files/000155839.pdf, Clin Pharmacol Ther 2001;69:89-95].

バイオマーカーの用途として,診断,予後予測,薬力学評価,サロゲートマーカー,モニタリングマーカー,患者層別化,安全性や毒性評価などが挙げられる.これらのバイオマーカーには臨床所見,遺伝子,血液/尿/脳脊髄液より得られる代謝産物・蛋白・抗体・ペプチド,MRI,PET,SPECTといった神経画像などが含まれる.
現在までに開発された脳神経内科領域におけるバイオマーカーは,診断および治療のパラダイムシフトを引き起こしてきた.例えば,脳血管障害における拡散強調MRI画像は急性期脳梗塞の診断を革新的に向上させた.神経免疫疾患においては抗アクアポリン4抗体の発見,抗MOG抗体の発見は多発性硬化症,抗アクアポリン4抗体関連疾患,抗MOG抗体関連疾患を鑑別することを可能とし,新たな層別化診断によって治療方針が異なることを明らかにした.また,自己免疫脳炎に関する各種自己抗体の発見は多くの診断困難な脳炎を一連の疾患群として同定することを可能とした.神経変性疾患領域については,APOE蛋白によるアルツハイマー病を始めとした認知症の予後予測,ダットスキャンの開発によるパーキンソン症候群の診断向上への寄与,アミロイドPET,タウPETの開発における認知症疾患の診断,脳脊髄液タウ蛋白や脳脊髄液シヌクレイン蛋白の定量による認知症疾患の鑑別などが可能となっている.上記の通り,優れたバイオマーカーの発見により脳神経領域の診療は格段に向上しているが,その多くは診断に関連したものである.一方で病態の進展予測,治療効果の判定などについてのバイオマーカーは未だに不十分であり,その充実が必要である.例えば,脳卒中の発症前予測が簡便にできるバイオマーカーや,神経免疫疾患の進行を予測するマーカーの開発などが必要である.さらに,神経変性疾患のマネージメントにおいても,診断,治療,重症度,疾患モニタリングバイオマーカーはいずれも渇望されているが,現状では不十分である.さらに,今後,数理モデル,AIの発展による未来型診療では診断,治療選択,予後予測について数値化されたバイオマーカーが重要になることが予測される.
また,高齢化社会を迎えて,マススクリーニングに応用できる簡便かつ非侵襲的なバイオマーカーの開発もニーズが高い.しかし,脳神経疾患領域においては,これまでは画像・脳脊髄液バイオマーカーが主体であり,神経画像はコストが高く,超高齢社会における医療費の高騰に関係し,脳脊髄液は侵襲が大きく,専門医による施行が必要であり汎用性が低い.一般的な診療へ利用可能にする場合,血液や尿などから得られる簡便な体液マーカーが必要である.
今後,これらの問題点を解決できる神経領域のバイオマーカーの開発について強化をしてく必要がある.
日本神経学会は,疾患発症の最初から最後まで患者・介護者に寄り添い,生活の質(quality of life,以下QOLと略記)を高める努力を行い,死亡時剖検診断で最後の貢献をし,フォローする過程で得られたバイオリソースと剖検で得られたブレインバンクリソースにより,根治療法の開発を目指すことを理念としてきた.生検,剖検における病理組織診断は,疾患克服への熱意を持つ脳神経内科医の関与が本邦においては極めて大きい.欧米においてはブレインバンク診断が研究業務に振られ,理学博士が診断でなく所見として記載する結果,質の低下が問題となっている.
ブレインバンク維持継承のための,神経病理を担う次世代若手育成のため,神経病理学会認定医制度に病理学会と共同して協力し,全国に神経病理教育拠点を構築し,本学会専門医に認定医登録を推進したが,これを維持・発展する必要がある.
また,ブレインバンク生前献脳同意登録を推進することで,稀少疾患を含む難治性神経疾患の剖検例の獲得,診断確定によるバイオリソース・ブレインバンクリソースの確保を推進することで,疾患の病因解明への国際競争力基盤を構築する必要がある.生前献脳同意登録者は,疾患の自然歴調査,治療のみならず早期診断治験への参入のリクルートだけでなく,最終診断による確認ができる点で,極めて重要な位置を占める.自分の世代では無理でも次世代に希望を託す命のバトン運動は,医師・患者・研究者の希望である.
劇的に進歩している画像と臨床の経時変化,最終病理を組み合わせる手法は動的神経病理と呼ばれる.形態・機能画像,fMRIとの関連を追及することで,診断のみならず病因追求にも貢献が期待される.
久山町に代表される,バイアスのかからない多数例の病理学的検索に基づく疫学研究は,疫学神経病理と呼ばれる.コホート研究と病理を組みあせるためには,コホート住民の理解と,全国レベルでの協力関係の樹立が不可欠である.米国NIHはブレインバンク拠点を全国に構築し,データベースによる統計研究を推進している.本邦においても同様の取り組みが推奨される.
蛋白・遺伝子異常と形態病理を結びつける手法を分子病理と総括している.これらは蛋白科学者,分子遺伝学者,脳神経内科医と,神経病理専門家が緊密に協力することで達成出来る.この体制を,国立大学機構,ナショナルセンター,地方自治体医療組織の枠組みを統合するかたちで推進することが重要である.
小児期発症発達障害・神経筋疾患に関して,米国では小児神経内科医と(成人)脳神経内科医が密接に協力するかたちで対応しているが,本邦においてこの部分の構築が未熟である.神経病理はこの全ての経過をみる責任を持つ点で,橋渡しを行うことが使命である.
ヒトのゲノムの解析が終了し,次に,人の脳をシステムとして理解し,どこがどのような関連を持っていて異常を呈しているかを明らかとするために,ヒトの脳のより詳細な地図を作製しようとするプロジェクトが推進されている.その中で,解剖学的,機能的な神経回路網を同定する研究,コネクトーム研究が推進されている.このためには,専任研究者の参入の基づくビッグデータ解析が不可欠である.実際,安静時fMRIにおけるデフォルトモードネットワークをはじめとした大規模ネットワークの疾患の診断や病態把握に対する応用や,精神疾患に対する,心理物理学的手法,脳イメージング,計算論的神経科学を融合し,脳の状態を望ましい方向に導くことをめざす「デコーデッドニューロフィードバック」法が我が国で提唱され,その医療応用も提唱されている.
また,組織学的な脳の構造や線維連絡の解析には,通常使われている3テスラMRI機を遥かにしのぐ解像度を発揮する7テスラMRI機の応用が期待されている.現在,世界では50台以上の7テスラ機が稼働しているが,日本で稼働している7テスラ機は数台である.さらに,9.4テスラになると,13C,15N,17O,23Naなど,脳内の安定同位元素を画像化することができるので,これまでPETでしかできないと考えられていた脳内物質を被爆することなく,画像化することが可能になる.9.4テスラ機は,世界でも数台が稼働しているのみであり,日本の神経画像研究を世界最先端にするには,9.4テスラ機を導入,あるいは,日本独自に開発する必要がある.
脳をシステムとして研究するために,脳機能画像と神経線維走行を解明し,神経回路を念頭に置いた脳機能局在研究を重点的に進める必要がある.コネクトーム(神経回路の地図)は疾患の発症前の状態や進行の解釈,新機軸の病態理解,さらには新たな治療方法の開発の為の指針ともいえる基盤研究であり,国際的にも関心が高い.しかし,この分野は,海外に比して遅れている.原因の一つは,神経回路は,従来の画像解析とは桁の異なる大容量データや,顕著な多様性を有するという特性があるため,これを高い信頼性のある結論へと高速に導くためには,高度な情報工学者やMR物理士などの参入が重要であるが,そのような人材が少なく,また医学教育でも十分に取り上げられていないことがあげられる.本邦でも精力的な人材の育成と脳画像研究拠点の整備と大型予算が早急に必要である.また,コネクトーム解析で用いるビッグデータは,AIとの相性がいいと考えられ,臨床情報とリンクさせた解剖,機能画像情報により,脳神経疾患の診断法,評価法に大きな変革が期待される.情報工学は,従来の基礎研究と臨床研究の間に存在するミッシングリンクを解消することが期待されており,AIや数理に精通した神経研究者,脳神経内科医の養成が急務である.この点で,我が国は大きく遅れている.
またPETは,多くの神経変性疾患の診断・治療上の標的分子である脳内異常蓄積タンパク質を生前に可視化しうる唯一の方法であり,発症前を含めた生前における確定診断の実現可能性を示している.実際,アルツハイマー病の原因タンパク質の一つであるアミロイドβのPETによる評価をもとにした診断は,同疾患を対象とした疾患修飾薬開発研究において必須の項目となりつつある.また,タウタンパク質病変の画像化がヒトでも可能となりつつあり,本邦はこの分野をリードしている.これらの重要な病的タンパク質を発症前から画像としてとらえられるのは現状ではPETのみであり,神経変性疾患の診断,治療研究の推進はもとより,近い将来に実現が期待されるDMTを推進する上でも,PETは不可欠な基盤的技術となると推定される.
さらに病原タンパク質以外にも,中枢領域における炎症の主たる担い手である活性化ミクログリアなどの可視化技術も開発が進んでいる.脳神経疾患における多様な脳内環境変容を,非侵襲的に評価することで享受できる恩恵は計り知れない.しかし,本邦では脳神経疾患に対するPETの保険適用がなされていないこともあり,臨床施設で用いられるPETの多くは全身のがん転移検索に用いられており,脳研究への活用は限定的である.さらに脳研究においては,可視化標的に応じて設計・合成されるさまざまなリガンドの開発と,がん診断とは異なるレベルで高い解像度を有するPET装置が必要であるが,十分な技術と設備を有する研究施設は数えるほどしか存在していない.今後,本邦において脳神経疾患克服を目指した研究の推進に資する脳画像研究を実現するためには,①中枢領域におけるPETの保険適応の拡大,②現存する臨床施設におけるPETの脳研究分野への活用,さらに③サイクロトロンや高解像度のPETを備え,各種リガンド開発に求められる技術を有する脳画像研究拠点の緊急整備,などが求められる.
さらに,PET-MRIでは脳代謝と脳形態を同時に撮像でき,9.4テスラ以上のMRIとPETの組み合わせでは,脳内代謝をPETとMRIの両方で確認できる.磁場の影響でポジトロンの飛翔が少なく,PETの画像が精緻になる.これは,ドイツのユーリッヒ研究所で行われ始めているが,日本にこのようなMRIとPETを共同して研究できる体制を早急に確立していくことで,システム神経学の基礎となる神経画像研究が推進される.
その上に立って,分子病態研究と脳画像によるシステム神経学研究を統合し,世界最高精度で脳機能・神経症候・精神症候と脳部位・神経回路・神経ネットワークとの関連を解明する.この脳をシステムとして見たヒトを対象とした脳神経疾患研究を精力的に進める必要がある.
さらに,ここでは,MRIとPETに焦点をあてて記載したが,21世紀中には光画像法と音響画像法が極めて重要なものになると推測する.これらは,撮像場所を選ばず,集中治療室などで持続的な脳機能のモニターが可能になるなど応用領域が広く,このような先駆的な研究を発展させる環境整備も必要である.
我が国が世界に類を見ない少子化および急激な高齢化を迎えて,健康寿命(障害調整生命年:Disability-Adjusted Life Years,以下DALYと略記)を延ばし,医療費・介護費用の軽減を図りながら,高齢者の雇用による労働力を確保することは,最優先の課題となりつつある.近年急増している介護保険利用者の最大の原因は脳卒中と認知症である.脳卒中は,昨年死因の第3位から4位になったが,平成16年には169万人であった患者数が現在推計約300万人と急増している.脳卒中は,発症すれば社会復帰できる患者は約3分の1に限られ,社会や家族の負担になるばかりか,本人の尊厳の喪失などQOLに与える影響は極めて大きい.
このような状態にリハビリテーションが極めて有用である.また近年では,神経変性疾患の治療にも有効であるというエビデンスが揃いつつある.この点から,脳病態・脳神経回路の深い理解に立脚した様々な神経科学的知見・工夫を加味したニューロ・リハビリテーションを行うことで,効果を増強することが可能となって来ている.例えば,脳神経内科主導でおこなったボツリヌス毒素による脳卒中後の下肢痙縮に対する臨床試験で,世界で初めて,その安全性・有効性を証明し,世界に先駆けて,本薬剤の下肢痙縮に対する認可を得た.これは,米国から見学者が来るなどの「逆ドラッグラグ」が生じている.また,特殊なリハビリテーションと併用することにより,寝たきりの脳卒中後遺症患者を歩行可能にすることにも成功している.脊髄小脳変性症のような有効な薬物治療の乏しい神経難病においても,我が国が主導して集中リハビリテーションの効果を立証し,診療ガイドラインにも掲載されている.さらに,我が国の先端医療技術開発特区で開発され,極めて安全性・有効性の高い新世代ボツリヌス毒素製剤(A2NTX)などの先進バイオテクノロジーを用いた治療薬の開発,我が国の得意とするHAL®(Hybrid-Assisted Limbs)などのパワードスーツ(ロボットスーツ)をリハビリテーションに応用する技術開発などが進んでいる.この先行している利点を生かし,神経細胞の可塑性・脳神経回路の再構成といった最先端の脳神経科学を臨床に応用して,①様々な脳神経疾患における標準的ニューロ・リハビリテーションの構築,②ニューロ・リハビリテーションと新しい技術との統合的活用法の開発,をめざす.それにより我が国でのDALYを延ばしながら新しい医療産業の創出をも計る.
神経筋疾患によって喪失した感覚・運動機能をはじめとする様々な身体機能を人工回路にて補綴・再建・増進する技術であるBMIは,脳と様々な情報通信機器との直接的な結合を可能にすることにより,ALSや筋ジストロフィーなどを含めた様々な脳神経疾患における機能障害を飛躍的に改善させることができる画期的な技術である.
BMIには,人工内耳や人工網膜などの感覚機能の補綴を行う感覚型BMIのほか,脳活動から脳内の意図を解読し,周辺機器への情報伝達をバイパスすることによって運動・コミュニケーション能力の補綴を行う運動制御型BMIがあり,重症ALS患者を対象とした臨床研究では脳内埋込型電極を用いたロボットハンドの操作なども可能となっている.運動制御型BMI技術の実用化にむけて解決すべき技術的ハードルとしては,①安全で長期的に安定した脳情報測定方法の確立,と②高精度で安定した脳情報解読技術の確立,の2点があげられる.①の脳情報測定方法に関しては,脳内電極や硬膜下/硬膜外電極などの侵襲的ではあるが,精度の高い測定方法と,脳波,fMRI,NIRSなどを用いた精度は低いが非侵襲的な測定方法があり,それぞれの疾患や病態に応じたニーズの違いによって最適化された手法が選択される状況が望まれる.また,②の脳情報解読技術の確立に関しては,脊髄損傷や筋ジストロフィーなどの脳実質の機能が保たれる疾患と,脳卒中や神経変性疾患などのように病理学的な変化が脳におよぶ疾患とで各々最適化されたアルゴリズムの確立が望ましい.最近では,この脳情報解読技術を用いて脳内の機能異常を視覚・聴覚などの感覚刺激として提示し,被験者が随意的に脳内の機能異常を矯正するニューロフィードバックと呼ばれるアプローチについても検討が進められており,NIRSなどの非侵襲的脳機能画像を用いた手法による脳卒中後片麻痺後の機能回復促進効果などが明らかになっており,より安全で安価な補完的治療法としての臨床応用が期待されている.
BMI研究は,医療工学分野における今後の成長分野のひとつとして注目されており,世界的にも開発競争が激化している.今後我が国においてBMI研究を推進させ,できるだけ早く臨床応用へとつなげていくために,実際に患者に接している脳神経内科医と,基礎研究に携わる神経科学研究者,さらには医療工学分野やAIに関する技術者を含めた横断的な協力体制を構築し,オールジャパン体制で研究推進を進める.
本提言は,脳神経疾患克服のための研究推進に関わるものであり,発症機序の解明に基づく病態修飾治療の開発,遺伝子治療や再生医療を含む根本的治療法の開発,MRガイド下集束超音波療法など新規対症療法の開発,BMIやロボッテイックスを含む革新的ニューロ・リハビリテーションの開発などが中心となっている.ただ,それらが達成されるまでにはある程度の時間が掛かると予想され,その間,難治性の脳神経疾患に苦しむ患者を放置することはできない.またそれらが達成されたとしても,医療と介護・福祉の充実は患者のQOL向上には不可欠である.
脳神経疾患はいわゆる「寝たきり」の最大の原因でもあり,進行性あるいは完治しない疾患を抱えながら,患者とその家族が住み慣れた地域での生活を可能な限り維持していくことができるように,現在利用可能な医療を十分かつ継続的に提供し,介護・福祉との連携による包括的な支援を実現することは極めて重要である.
そのためにまず必要なことは,膨大な種類と患者数の脳神経疾患を担当する診療科としては,約8,000名という脳神経内科医数,約5,000名という専門医数は絶対的に不足しており,脳神経内科医の充足である.とくに,脳神経内科の独立した講座のない医科大学あるいは医学部がまだ13カ所存在しており,その地域では脳神経内科の卒前・卒後教育や診療を十分に行うことは困難である.このような,脳神経内科講座がまだ整備されていない大学での同講座の設立が特に必要で,脳神経内科専門医の少ない地域の解消に繋がると期待される.
また,多彩な脳神経疾患についてそれらの適切な診療を全ての患者に供給できるよう,脳神経疾患に関する医療供給体制等について改善を進める.さらに,介護・福祉分野との地域性をも考慮した相互の連携についても研究を進めることが,目の前の患者の日常生活活動度(ADL)とQOLの向上には必須である.具体的には,前述の疾患研究拠点を中心とした疫学研究・臨床研究拠点のネットワークを活用すべきであり,その充実が必要である.
加えて新型コロナウイルスパンデミック後の脳神経疾患に対する新しい医療体制の構築に関する研究が必要である.慢性疾患が多い脳神経内科領域では,病院での感染を恐れ,従来どおりの受診ができなくなり,きめ細かなケアが困難になっており,遠隔診療の導入が求められている.またリハビリテーションを要する患者の診療,嚥下障害を呈する患者の診療,感染予防措置の取れない認知症患者の診療も課題が多い.さらに状況の長期化に伴う患者,家族,医療者の精神的ストレスへの対処も喫緊の課題といえる.ポストコロナ後の医療と介護・福祉のあり方についての研究は極めて重要である.
生命現象はゲノム,エピゲノム,トランスクリプトーム,プロテオーム,メタボローム,メタゲノム,そして疾患を含むフェノームというレイヤーにより構成される.多レイヤーを“システム”として理解するには手法的限界があった.近年,次世代シークエンサーや質量分析機の登場により,それぞれのレイヤーを網羅的に観察することが可能になり,それと同時に生命現象をシステムとして捉えるバイオインフォマティックス的方法論が確立しようとしている.レイヤーをまたぐ包括的な研究をマルチオミクスと呼び,数多くの生命現象,疾患解明に貢献してきた.たとえば,ゲノム情報のみから行われてきたGWASは近年,エピゲノム,トランスクリプトームの統合により大きく解釈性が向上した.さらに,近年開発されたシングルセル解析では複雑なヒト疾患や神経現象を1細胞レベルの粒度で観察することに成功した.手のひらサイズまでの小型化に成功した第3世代シークエンサーと呼ばれる技術の登場により,診療所までシーケンスが一般化するかもしれない.一方で,その解析を取り扱うバイオインフォマティックスには生物学,遺伝学に加え,統計学,計算科学,情報学の幅広い知識と高度な専門性が要求される.良い論文には優秀なバイオインフォマティシャンの参画が不可欠となった今でさえ,脳神経内科学領域でバイオインフォマティックスを扱える人材は極めて不足している状況であるといえ,その人材育成が急がれる.くわえて,計測技術,解析技術の進歩とともに,ライフサイエンスはビッグサイエンスへと変化してきた.複雑な疾患理解や個別化医療の実現のためには,ブレインバンクをはじめとするバイオリソースをデータ化,蓄積し,ライフサイエンスの集合知として機能させる枠組みが必要である.
注:本提言は,2020年時点における最新の知見をもとに執筆いたしております.最新の治験情報や研究の状況に関しては,神経疾患克服に向けた研究推進の提言2022に反映いたしますので,そちらをご参照ください.
※著者全員に本論文に関連し,開示すべきCOI状態にある企業,組織,団体はいずれも有りません.