The Journal of Engaged Pedagogy
Online ISSN : 2436-780X
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HENNY TJANDRAAtsushi Kasao
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2025 Volume 24 Issue 1 Pages 11-29

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障害者アートの魅力をインクルシーブで共創的な社会の実現に活かす 知的障害者との共創的社会の実化に向けたワークショップデザインの提案

TJANDRA HENNY(東京工芸大学大学院)・笠尾敦司(東京工芸大学)

1. はじめに

日本で障害者のアートと考えられているもの(一般的に障害者アートと呼ばれているもの)と、それにほぼ対応すると考えられる西洋諸国における障害者のアート(一般的にアール・ブリュットと呼ばれているもの)との間にはかなりの違いがある。西洋諸国での障害者のアートは、精神障害者をはじめとした正規の美術教育を受けていない人の描いた作品を主に指している(服部 2003)。そのため、知的障害者の作品も含まれるがその数は少ない。一方日本では1922年に生まれ、3歳の時の病気の後遺症により知的障害が見られるようになった山下清が「日本のゴッホ」と呼ばれるようになり、展覧会が開催(山本ら 2015)されるなどして有名であった事とも関係すると思われるが、障害者アートという言葉は知的障害者の作品を指すことが多い。この論文では日本の障害者アートの特徴でもある知的障害者の作品の魅力を探り出し、その魅力を活かすことで共創社会を作り出すことを目的としたワークショップを提案する。

著者らが知的障害者のアート(以下、知的障害者アートと記す)の研究を始めたのは、著者の1人チャンドラ・ヘニー(以下チャンドラと記す)が日々の内省をするために描いている絵画(以下、チャンドラの内省絵画と記す)と知的障害者アートとの類似性を指摘されたことに端を発する。チャンドラの内省絵画とは、チャンドラ自身が日課として日々の内省を行いながら描いてきた絵画作品のことである。ここで内省絵画という言葉を内省を促すために描く自由な絵画と定義することにする。写仏なども内省絵画に近いものといえるが、自由に描くのではなく写し描いていることと、チャンドラが日々の出来事の内省を行っているのとは違い写仏では佛の心と同一になることを目指しているという説明が多いことから、チャンドラの内省絵画とは違いがあることを付記しておく。内省絵画を人に見せるものとして意識して描くと内省ができなくなるため、彼女は意識が内省からそれない描き方を模索してきた。その結果、抽象的な模様の繰り返しによって大面積の作品を制作するスタイルに辿り着いた。制作には長い時間がかかるものの、出来上がった作品の緻密で自由な模様は見た人の気持ちを揺さぶるらしく、魂に触れる作品という感想を得ていた。魂に触れる作品という表現は知的障害者アートを評する時にもよく使われる表現であり、実際、障害者アートのキュレーターからも彼女の作品は障害者アートに類似していると言われている。

精神障害者をはじめとする人たちの広義の障害者アート(以後アール・ブリュットと記す)と知的障害者アートは見た目に大きな違いがある。知的障害者アートの場合、具象的な絵が多く描かれることは少なく。描かれていたとしても、類似した具象的な絵柄が繰り返され模様のような様相を示すことが多い。一方アール・ブリュットの場合は、その代表と言えるアメリカ出身の精神障害者であるヘンリー・ダーガーが『非現実の王国で』などのような挿絵入りの長編物語を執筆した(マクレガー 2000, 木部 2009)ことからも、アール・ブリュットでは作品が具体的に表現され、世界観や物語が付随しているものも珍しくない。ヘンリー・ダーガーにとっては描き出された絵が意味する世界が物質としての作品そのものより大切だったと思われる。つまり、我々に理解不能だとしても、自らの頭の中にある世界を意識的に描き出しているので、その意味においては一般の現代のアート作品と表現しているものは大きくは違わない。

しかし、絵画制作において世界観や作品コンセプトを描き出すという行為は高度に知的な行為であるため、知的障害者が作品コンセプトを自ら考えだして制作しているとは考えにくい。もちろん、同じ対象を繰り返し描くような作品群を作り出す知的障害者の作品からはコンセプトらしきものが感じられることもあるが、執着を持って描き続けられた作品とは別のものとして扱うことにする。また、何を描くかに関してはある程度の意識はあると思うが、知的障害者が描き出したものが何なのかについては理解できないものが多数存在している。

ところで、知的障害者アートと類似点があると評されたチャンドラの内省絵画も描き出しているものは頭の中の思念ではなく、内省をしている間に半自動的に頭の中から出てくる図柄である。初めからこのようなスタイルになったわけではなく、繰り返し描いているうちに今のスタイルに落ち着いたものである。著者らは、知的障害者の作品に類似した印象を与える作品づくりをしており、彼らと同じ様に主に自分のために描いているチャンドラが内省絵画を描く時に、彼女自身がメタ認知を働かせて自分の意識が内省そのものに向かうようにし、できるだけ描くことに意識が向かないように心がけて描いてもらった。このようにして描かれた内省絵画を手がかりとして、直接研究者の質問に適切に答えられない知的障害者が何に意識を向けているのかを探ることにした。

知的障害者は(チャンドラの内省絵画についても同じように感じるのだが)作品のほんの小さな範囲を見つめて描き続けて完成させているのに、作品が出来上がると作品全体から何かしらの統一感を感じるのは何故かという疑問が著者らにはある。この疑問を解き明かすために、知的障害者アートに対して視覚言語を用いた解析を行なった。その結果、画面全体と部分との関係性が見えて来たが、さらに研究を続けていくうちに、知的障害者アートの抽象的な模様には人にいろいろなものを想起させる「見立てを生み出す力」があることにも気づいてきた。

このような「見立てを生み出す力」のある知的障害者アートについては、ただ鑑賞したり、商品などのビジュアルに使うだけではなく、積極的に一般の人の創造力を高めたり、障害者の心を理解しようとする心を育てたりする教材に使えるのではないかという気づきを著者らは得たので、その気づきから生まれたアイディアについて紹介する。著者らとしては、この教材を使った活動が、障害者と一般の人、双方のウェルビーイングや共創の場作りに貢献することを願っている。

2. 日本における障害者アート

アール・ブリュットはフランス語でart(芸術) brut(加工されていない)、芸術世界のアカデミズムから離れた影響されていないものを意味する言葉としてフランス人画家ジャン・デュブッフェによって提唱されたもの(服部 2003)であるが、日本では独自の発展を見せている。「障害者アート」が日本で注目される前に、日本では障害者をプロの芸術家に育てようという動きがあった(小暮 2018)。このように欧米の流れと類似するものもあったが、日本障害者芸術文化協会の設立で決定的に路線が異なることになった(小暮 2018)。

始まりは1976年に設立した市民団体「財団たんぽぽの家」が障害者のアート活動を支援し「エイブル・アート」を提唱し(中務 2010)、障害者に自由に表現できる機会を設けた。1994年に「たんぽぽの家」を中心に、日本障害者芸術文化協会(のちにエイブル・アート・ジャパンに改名)が成立されて文化的イベントを定期的に開催し、障害者の芸術的才能を生かした社会進出の試みがなされた。そこを中心に企業と行政機関を巻き込んで、展覧会やシンポジウム、ワークショップが行われ(中務 2010)そこで障害者アートが世間の注目を浴びるようになった。最近では、展示を行う際に「アール・ブリュット」や「アウトサイダー・アート」などの呼称も使われるようになったため、日本ではアール・ブリュット = 障害者アートという認識が生まれた。2008年に厚生労働省主導で障害のある人達の芸術活動を推進するための「障害者アート推進のための懇親会」が始まり、「障害者アート」を知的障害者と精神障害者による美術の活動であると定義した(厚生労働省 2008)。その後、2015 年の「2020 年オリンピック・パラリンピック東京大会に向けた障害者の芸術文化振興に関する懇談会」が設置され、積極的に障害者と芸術を繋ぎ社会進出を推進する動きが見られるようになった(厚生労働省 2008)。

以上のことから、障害者アートは欧米では正規の美術教育を受けてない人のアートであり、日本では知的障害者と精神障害者のアートということになった。また、今までの経緯から、日本では精神障害者のアートより知的障害者の作品が多く含まれることになった。

3. 視覚言語を用いた障害者アートの解析

知的障害者アートの例として八重樫道代の作品(図2参照)の描かれ方を推測してみることにする。他の知的障害者の作家と同じように八重樫道代も他者のために絵を良くしようと強く意識しているとは思えないので、自分の楽しかった経験を思い出しながら(NAKANO街中まるごと美術館!参照日2024年10月7日)抽象的な絵柄(図2の2-1,2-2参照)を塗っていると思われる。なので色選びにおいても明確な意識を持って色を選び取っているのではなく、その時の感情が無意識に作品の色と形に現れていると考えるのが自然ではないだろうか。知的障害者の場合、意識による制御が十分効いてないので、一般の人には出しにくい感情が容易に作品に出てくるとも考えられる。つまりユングが提唱した意識が無意識の海に浮かぶ島という例え(林 2001)を用いれば、知的障害者の場合、島である意識は容易に無意識の高波で沈み無意識の感情が顔を出してしまうものだと考えられるからである。

すでに述べたように日本の障害者アートの多くは知的障害者アートであり、多くの作品は明確なコンセプトを持っているわけではない。そのため、我々が知的障害者アートを見て受けた感動は、現代アートで重視されるコンセプトなどではなく、その作品から受けた何かしらの感情や図柄からの連想を手掛かりに受けた印象から生じたものである。つまり、感情や連想を感じさせる元になるものが作品の中に存在しているはずである。この章では、その元になるものが何かについて視覚言語を用いて解析していくことにする。

3. 1. 視覚言語を用いた解析の概要

視覚言語とは、描かれた作品を色や形やテクスチャーといった抽象的な表現の要素に分解し、それぞれの要素がどのように組み合わさり、鑑賞者にいかなる印象を伝えているのかを解析するための言語である。色、形、テクスチャーをもったある領域を単語と考え、それらがどのように組み合わさって何を伝えているかを文法に沿って考えていくことになる。これについては、ゲオルギ・ケペッシュがまとめて書籍にしている(ケペッシュ 1973)。

3. 2. 知的障害者アートに対する視覚言語を用いた解析例

以下にチャンドラの作品と比較可能な2次元作品を書籍などから選び出し解析をおこなった。作品の選定にあたっては、障害者アートのキュレーターの方から権威のある展覧会で出版された図録をお貸し頂き、その中から、明らかに知的障害者であると判断できる作品を選んだ。

3. 2. 1. 得能サチ子

図1に示した得能サチ子の「無題」はマーカーで描かれた97×67cmの作品(第8回全国障碍者芸術・文化祭滋賀大会実行委員会 2009) 。制作時期は不明。

赤で枠を描いた模様を塗りつぶした右と、黒で枠を描いて塗りつぶした。左の対比が明確である。左はほぼ黒と暗色のチェックであるが、明るい色の柄もある。逆に右のほとんどの部分は赤と黒のチェックである。ユングの元型論(ユング 1999)が生まれたきっかけには、多くの人が二極対立の図を描くという気づきがあったと言われているが、この作品も二極対立の構図になっていることから無意識や元型との近さを感じることができる。

 どちらも三角形(四角形の場合もある)の組み合わせで画面が構成されている。図1-2に示した拡大図を見ると、三角形の中は曲線で歪んだ反対色が併置されたチェックの柄で埋められているため色の対比は強いが、線が丸みを帯びているので柔らかい印象を与えている。更にその周囲を見ると図1-3に示したように作品には大きな三角と小さな三角が並んでいる箇所がいくつか存在している。小さな三角には小柄な模様があり、大きな三角には大柄な模様があるので、その大きな三角と周囲の小さな三角が作り出す明暗の対比のみではなく、遠近を感じさせる対比もあるため、より強く大きな三角を目立たせていることがわかる。従って、最初に視線がそこに誘導されやすいことになる。また、作品全体に渡る法則として、大きな三角には大きな模様、小さな三角には小さな模様という規則が存在しているように見える。

3. 2. 2. 八重樫道代

図2に示した八重樫道代の「ワープロ」(Halle Saint Pierre 2010)はマーカーで描かれた109×79cmの作品である。

図2に示した作品は、先の図1「無題」の三角形が四角に、またチェック柄がストライプに変わったものと見ることができるが、連続的なストライプ柄になったことで、画面全体に大きな流れを生み出している。画面全体に黒く細い線が縦にも横にも描かれているが、領域ごとに縦もしくは横のどちらかの線に沿って彩色されることで縦縞か横模かが決まる。「無題」と類似したルール、つまり大きな矩形は太い縞模様で、小さな矩形は細い縞模様で描かれており、これがこの作品でも統一感と心地良いリズムが作り出されている。

拡大図である図2の2-2の上部中央に位置する縦長の横縞2本は少し順番をずらして同じような順で色が塗られている。そのためこの隣同士の縦長の横縞はお互いに響き合っている(類似する2つの領域を目が交互に追いやすい状態)。このように画面全体に分散している響き合う箇所が鑑賞者の目を楽しませている。また、縞模様も曲線状の歪みのある部分がところどころにあり見る人を飽きさせない。

3. 2. 3. 西山洋亮

 図3は西山洋亮のペンとインクで描かれた作品(Halle Saint Pierre 2018)である。大きさは25×35cm。何度も描き込みを行うため制作時期は不明。

西山洋亮の作品は描かれている物が何かはわからないものが多いが、全てが具象的なものだと思われる。八重樫も具象的なものを描くことはあるが、その周囲を含め画面全体が模様で埋め尽くされていることが多い。しかし、西山の作品に描かれるのは、乗り物や機械、宇宙服、キャラクター、文字の模写らしきものなどである。ただ、それらが何重にも描き重ねられているため抽象的な模様に見えているようである。黒く描き潰されている部分の周囲は緑と黄色で塗られ統一感を感じさせ、その中にある少しの赤や紫がアクセントになっている。周囲には余白もある。ここまで見てきた作品が作家の心の中にある感情を絵にしているように感じられるのに対し西山は彼が収集した知識が配置された世界を描いていると言えそうである。具象的なものを描くことに意識は使われていると思われるが、大きさや配置に関してはどこまで意識的に行わけているのかはわからない。しかし、私達が何かを描く時に重ねて何かを描く時は意識的に行っているはずである。普通は無意識に余白を探してそこに描くからである。なので理由はわからないが場所選びに関しては意識を使っているのだと思われる。また、これも推測でしかないが、他の知的障害者にも同じような傾向のある作家がいるが、自分が過去に描いた絵に自分が刺激されそこからの連想で、記憶の底にしまわれていた物や事を思い出し、それらをほぼ自動的に(無意識に)引きずり出しては同じ紙の上に書き加えているように思われる。これは、画家のマチスが意識的に最適なフォルムを探しながら何度も描き直していたのとは違う行為である。つまり、連想で思い出したものを描き出す行為そのものに重きがあるため、場所選びには意識を使うが、重なり具合を意識して調整するようなことはなく、幾重にも重ね書きしてしまい黒い塊になってしまっているように思われる。我々鑑賞者はその結果から絵そのものというよりは、彼の行為を想像して心を打たれるのではないだろうか。つまり、知的障害者アートには自然に鑑賞者に制作過程を想像させる効果があると言えるのかもしれない。

3. 2. 4. 大梶公子

図4は大梶公子の水性と油性マーカーで描かれた作品(Halle Saint Pierre 2010である。大きさは92×60cm。

2000年から2005年まで断続的に制作された。

 楕円形のものが多数散らばっていて、その楕円の中に2つの円が描かれているものが多いため、何かしらの生物に見えなくもない。その生物のような楕円の周りには、放射状の直線が描かれており、その直線と直線の間に無数の小さな円が描かれているため、タコやイカの足のようにも見えるが、直線性が強いので光線を発しているように見えると言ったほうが伝わるように思われる。画面全体を見ると、下にある白く明るい楕円から下は暗い色で覆われており、上部の暗い楕円から上はわりと明るい色で覆われている。そのため、画面の上下の対比が明確になっている。いい加減に描かれているようで、画面の上部と下部が対比する構造をもっていることが分かる。また、ある程度のずれを伴いながらも規則性を感じさせる配置と円の大きさの大小から強弱のあるリズムが感じられるので、見ていると楽しくなる。また、小さい楕円は遠くに、大きな楕円は近くにあるように見えるため、奥行き感も感じられる。西山の作品と同様に同系色の使い方が効果的で、彼女の場合はさらにグラデーションの効果もあるため、知的障害者アートからしばしば感じることがある強烈な反対色の並置はほとんどなく、それによって作品の魅力が高められている。もう一つ、西山の作品と類似している傾向は、作品を見ている時に、いろいろなことが連想されたり、作品の部分が何かに見立てられたりすることがとても多いということである。この件については後に改めて述べる。

3. 3. 知的障害者アートとチャンドラの作品との比較

少し詳しく見ていくために、得能サチ子の作品と八重樫道代の作品をグループAとし、グループAとチャンドラの作品1(図5)を、また、西山洋亮の作品とチャンドラの作品2(図6)を比較することにする。ここで紹介するチャンドラの作品群はチャンドラが描くことに意識を向けず内省にのみ多くの意識向けられるように工夫しながら描いてきた作品群である。したがって、時系列上最後の作品では描くことに関してはほぼ無意識になっているとチャンドラはメタ認知を用いた解析により報告している。チャンドラは作品を作りながら内省を行うことはすでに述べたが、初期に描いた作品1は紋様に彼女の出身国であるインドネシア由来のものが多く、またそれらを並べて見栄えの良いものにしようという意図があった。一方、作品2では描く行為を無意識に行えるようにし、意識を自分の内省に向けようとしているため、作品全体の構成を意識することなく、描いているわずかな部分に集中して描かれたものである。

グループAの作品は、ひたすら緻密に部分を埋め尽くすことの繰り返しで作り上げられた作品群であり、その結果として、無意識に蓄えられていた感情が色や線になって現れているように感じられる。西山洋亮の作品は、過去に見たものや空想したものを紙面に重ねて定着させるのであるが、その結果として、グループAとは異なり画面に疎密が生じ、作品の部分ごとに異なった印象を与えている。

以上の考察より、チャンドラの作品2は部分に集中して描くことを繰り返して画面全体を埋め尽くしていることからグループAに近いと考えられる。チャンドラの作品1に描かれた文様は彼女の頭の中に蓄えられていたインドネシア由来の文様である。そして作品全体を意識しながらその紋様を適切な場所に描くことで作られたチャンドラの作品1は西山洋亮の作品に近いと考えられる。作品2はチャンドラが絵を描きながら行う内省が最もうまくできるようになった頃の作品であり、ほとんどの意識は内省に使われ、描くことは無意識に行えていたので無意識の作品とも言える。この無意識の作品が知的障害者アートのグループAに類似するという結果は興味深いものである。グループAの魅力は塗りの細かさや力強さでもあるが、その部分もチャンドラの作品2に近い。両作品とも心の奥底(無意識)にある感情を描いている様に感じられ、また、その塗りの繰り返しという行為が作品制作上どちらの作品にも大きな役割を担っていると思われる。

4. 知的障害者が作り出す作品の特徴と創造性開発や障害理解教育への応用

前章で述べたように、知的障害者アートでは無意識が大きな役割を果たしているらしいことがわかってきた。知的障害者アートは主に無意識が作り出したアートであるという特性を考えると、明確な意図を持って作り出された一般の現代的なアート作品とは違う鑑賞法があっても良いはずである。その鑑賞法の一つとして、知的障害者への理解を深くする鑑賞法が考えられれば、インクルシーブな社会づくりにも役立つはずである。また、知的障害者の抽象性の高いアートを見た時に自然に頭の中に生まれる「見立て」の効果をうまく利用できれば、創造性開発教育にも活かせる。そうなると、作品の一部を単なる商品のデザインに利用するというだけではなく、より発展的な関係性を障害者施設と教育機関が生み出せる可能性も見えてくる。今まで、欧米中心にいろいろなアートは展開されてきたが、日本庭園における「見立て」などのように曖昧にして奥深い鑑賞方が知的障害者アートの鑑賞法をきっかけに、新たな局面として立ち現れてくるかもしれない。

4. 1. スクリブルと知的障害者アートの比較

チャンドラの作品も知的障害者の作品も、近い関係の人に見せる目的はあるかもしれないが、多くは自分のために描いているものであり、他者(全くの第三者)に見せることを意識しているものではない。しかし、それにも関わらず、展示した際に鑑賞者には何かしらの感動を与えている。これについては、無意識に構築された視覚言語が重要な役割をしているはずであり、この視覚言語によって構築された抽象的な表現は、鑑賞者にいろいろな見立てを思いつかせる力がありそうなことは前章で示した。つまり、人に見せようと意識していない分、人に分からせるために具体的な何かを描く必要がないので、自分や身近な人にだけがわかれば良い、もしくは、そのような人たちだけが感じられれば良いということから、非具象的な模様のようなものが多く描かれることになるのではないだろうか。

そのため、それを見た鑑賞者は知的障害をもつ作者が何を表現しようとしているのかを知りたいと思うようになれば、画面に現れている模様のような絵からいろいろなものを見ようとするはずである。実はこの行為は、絵画療法のひとつである精神分析医が行うスクリブル法に類似する。スクリブル法とは、ナウムバーグ(Naumburg, M.)が開発した手法であり、まず、クライエントが自由に画用紙にぐるぐると適当に作画を行い、その上で、その線描(これをスクリブルと呼ぶ)の中に、何を発見したかを聞きそれの説明を求め、さらにその部分に彩色などして完成させてもらう。それについて質問を続けながら、本人も気づいていない無意識の奥に潜む問題を探り出すという手法である(内藤 2018)。実はこの手法は美術教育をしていたナウムバーグの姉が、創造的過程を抑制するような当時の美術教育に反発し、感情が創造性の源泉であると考え自由な表現を促すために始めたものであった(内藤 2018)。

 障害者アートのキュレータの方にも確認したが、知的障害者も始めはいたずら書きのようなものだったという傾向があるようで、何度も繰り返すうちに、自分の無意識から造形が生まれ、それがだんだんと自分のスタイルになるのだと思われる。このようにして作られた知的障害者アートをナウムバーグの姉が狙いとしていた感情が創造性の源泉であるとして行ったスクリブルと比較すると、アート的な発想の源泉としては、作品に色が含まれていたり表現が繊細であったりすることなどから、より創造性の源泉として適したものであると考えられる。

ここで、創造性教育を大きくアート的な創造性教育と手法開発的な創造性教育とに分けて考えてみたいと思う。手法開発的な創造性教育としては、具象的な思考と抽象的な思考を行き来しながら創造をしていく手法がよく知られている(細谷2020)が、これは、全て意識下で合理的に行われるものである。一方、アート的な発想としては、例えば、印象派のモネが絵画制作の中で描く影の色を黒ではない鮮やかな色を使うことにしたというような発想であり、合理的なものではなく、感情面と関わるものと言える。この章では、後者のアート的な創造性教育に関係したものとして論じていく。しかし、どちらの教育を受けたとしても、具象と抽象を行き来する手法であることから、両方に良い効果を生み出せるはずである。

ところで、鑑賞者が知的障害者アートを作者(知的障害者)と同じ視点で作品を見ることができれば、その作者がどんな思いでこの作品を描いたのかをより感じられるようになるはずである。作品は抽象性が高いので、スクリブルのように作者個人が考えていたことや作者の思いや気持ちを超えて、鑑賞者の独自の発想を膨らますこともできる。このような企画が実現できれば、鑑賞者に障害者の才能に対する尊敬が生まれると共に、障害者への理解も進むと考えられるため以下のワークショップを提案する。

4. 2. 障害者とウェルビーイングな関係を作り出すワークショップ型授業

4. 2. 1. 知的障害者アート専用の鑑賞法の例

知的障害者の作品は見ただけで一般に見慣れたアーティストの作品と違うことには気づくと思うが、何故違うのかについてはあまり意識に上らない。そこで、制作者である知的障害者がどのようにこの作品を作っているのかを鑑賞者に知ってもらうことが知的障害者を理解するためには大切だと考えられる。多くの知的障害者は作品全体を俯瞰しながら作品を良くしていこうとは考えておらず、自分が今描いている小さな範囲に集中し、顔をできるだけ近づけながら描いている。なので、障害者が描いている環境と似た状況を作って鑑賞してもらうことが、知的障害者である作家の気持ちを理解するための一つの方法になるはずである。そのため、作品を見る前に倍率の高いルーペを来場者に渡し、気に入った作品を見つけたらそのルーペを使って鑑賞してもらう鑑賞法を提案する。ルーペを使うと必然的に狭い範囲しか見られなくなるため、独自の世界がその狭い範囲の中で展開していることに気づきやすくなる。さらにそのことでその作者が描いている時の気持ちも疑似体験しやすいはずである。

4. 2. 2.  知的障害者アート専用の鑑賞法を用いたワークショップ型授業の提案

本節では、授業に取り入れられることのできる、創造性を育むことを目的とした「インクルーシブな社会を目指す見立て遊びワークショップ」を提案する。このワークショップを企画するに当たり、創造性教育を行っている他のワークショップを参考にしたので、いくつか示しておく。Gakkenのこそだてまっぷには、【想像力が養えるだけじゃない!】見立て遊びのメリットと年齢別の遊び方をご紹介という記事があり、そこではぬいぐるみのようなキャラクターの利用などを勧めている。さらに、NPO法人クリエイティブスマイルの「親子ワークショップ第2回「みたてモン」をみつけろ!! 切株編」では、創造性を育てる教育の実験が大学とNPOを主としたチームで行われており、一般的なみたて遊びに加えて、発見するという行為をその前段階に加えている。この「見立て遊びワークショップ」では見立てる対象を立木に絞り、そこからみたてモンというキャラクターを探すというものであるが、私達は、立木の代わりに知的障害者アートを用いることにした。このような変更を加えることで新たなワークショップ「インクルーシブな社会を目指す見立て遊びワークショップ」が企画された。

この「インクルーシブな社会を目指す見立て遊びワークショップ」は以下の4つのセッションで構成されている。

(1)鑑賞セッション: 知的障害者アートのコピーを各自の机に広げ、ルーペを使って部分を拡大しながら観察する(これには細かく描かれている作品を良く見るという意味があるが、前述のように多くの知的障害者が紙のほんの一部分しか見えないほど顔を近づけて描いている様子に近い状態を再現する意味もある)。

(2)知的障害者を知るセッション: 作者は何に興味を持ち、どのような心持ちで描いているのかについて想像してもらう。

(3)見立て遊びセッション: 何かしらに見立てられる作品の部分をみつけたら、トレッシングペーパーでできた半透明の付箋をその上に貼り、そこに見立てた物を描き、それについての簡単な説明文を書く。この行為を一定時間続ける。

(4)創造性開発セッション:自分が見立てたものと何故それに見立てたのか等を他の参加者に発表し、それについてみんなで話し合いを行う。

以上が手順になるが、(4)の部分は参加者に合わせて難易度を上げていくことができる。例えば、図2に示した八重樫道代の作品「ワープロ」の一部をピアノの鍵盤に見立てて、「この作品はピアノで楽しい音楽を奏でているところを描いているのだと思います」というように見立てたものを使って知的障害者の作品を解説するなどである。

このような創作行為を含んだワークショップにより創造性開発に必要な発見力、洞察力、創造力が参加者に付くだけでなく、この作業からも知的障害アートを制作した作者への興味も湧くはずである。このワークショップが他より優れたものになると考えられる理由は、知的障害者アートが持つ適度な抽象性と多様性から生まれる解釈の自由さにある。更に付け加えるならば、精神障害者のアートに多く見られる不穏な雰囲気がなく大体において楽しい雰囲気をまとっていることも理由に上げられる。

4. 2. 3.  ワークショップの実施と結果

この論文内で紹介した作品を用いて提案したワークショップを東京工芸大学大学院の博士前期課程3名、博士後期課程1名、合計4名に対して実施した。参加者には知的障害者アートについて説明せずに実施した。参加者がどれだけ創造的になったかについて一度のワークショップの結果から推察することは難しいので、主に、ワークショップから得られた気づきについて以下に述べることにする。

知的障害者を知るセッションにて感想を述べ合ってもらったが、参加者からは、意図的でない表現、制作者の心との対話、表現に無意識が関係していること、などが作品から感じられた事として述べられた。八重樫道代の作品(図2参照)に関して、参加者の一人は八重樫道代が母親と外出した際の記憶を母親と一緒に思い出しながら描いている(NAKANO街中まるごと美術館!)という背景を知らなかったにも関わらず、追憶や風景などのキーワードが鑑賞者の発話の中に使用されていたことが印象に残った。また、作者の色選びのルールや好みのパターンやモチーフへの執着、さらには、作者に楽しさを与える行為などを推察する人もいた。また、描かれた抽象的な要素から作者の好みやこだわり、性格などについて洞察しようとする姿勢も多く見られた。

後日、参加者にこの鑑賞法は直接知的障害者アートを鑑賞する場合に比べれば、障害理解がどう変わったのかについてのアンケートを取った。アンケートの回答は(1)理解が深まらなかった、(2)理解がわずかに深まった、(3)理解がある程度深まった、(4)理解が深まり更に関心が高まった、(5)理解が深まり更に関心が高まっただけではなく、実際に障害者アートの作品展などを見学する意欲が喚起された、から一つを選んで回答してもらった。結果として(3)を回答した参加者は2名、(4)を回答した参加者は2名 となった。本格的な実験を行う前の予備的なものとして行ったので、参考にしかならないが、一応の効果はあったと言えると思う。ただし、インクルーシブな社会を作り出すためには、(5)の行動を起こすところまで関心を深めた、という回答が欲しいところである。さらなる改良が必要であることは確かであろう。

次に、見立て遊びセッションの時に参加者が見立ててそれを絵にしたものの中からいくつかを図7に示す。図7の7-1は西山洋亮の作品の色をベースに金魚に見立てた付箋、

7-2は大梶公子の作品の楕円形の形を卵、細胞などに見立てた付箋、7-3は八重樫道代の作品の横縞から簡略化された風景に見立てた付箋である。

この結果を見ると、参加者は抽象的な表現から作品と無関係な具象的なモチーフを見立てていることがわかる。見立てをするには細かい部分を詳細に観察する必要があるため、ルーペを使ったことで、視界が限定され、参加者と作品の接触時間と集中力が増加したものと思われる。

 このワークショップにおいて、母親と外出した際の記憶を思い出しながら描いたことがそれを知らないワークショップ参加者に伝わったかのような見立てがなされたことから、これは偶然ではあろうが、知的障害者とその参加者が知的障害者アートを媒介としてユングの主張する集合無意識という深い部分で繋がっているように感じさせる結果も得られた。

以上のことから、一般の展覧会でただ単に直接知的障害者アートを鑑賞する場合に比べると、このワークショップを行うことで参加者の障害理解はある程度深くなったと言える。

4. 3. 授業提案の年齢層ごとの工夫

本節では知的障害者アートを用いた「見立て遊びワークショップ」をターゲット年齢層毎に効果的に実施するための工夫を紹介する。

 同じ知的障害者アートを鑑賞しても参加者ごとに異なるものに見立てられるということを実感してもらうのが基本であるが、年齢や発達段階を考え、見立てたものをどこまで創造的に発展させていくと良いかについて著者のアイディアを年齢ごとに以下に示した。

  1.    小学生(低学年)

見立てたものをもとに思いついたお話を自由に語ってもらう。その際、子供に適宜質問することでお話が展開していくようにする。この時の対話の流れはスクイグル法とほぼ同じである。

  1. 2.   小学生(中~高学年)キャラクター化(名前とビジュアルを作る)

見立てたものをもとに、それを自分の好みの形に変えてキャラクターの外見を創造してもらう。キャラクターの性格なども作り込む。最後は他の参加者とそれらを発表しキャラクター集としてまとめる。

  1. 3.   中学生以降

(2)と同じく、見立てたものからキャラクターを作るが、さらにそのキャラクターを中心に短い簡単な物語を作ってもらう。その際に、他の参加者が考えたキャラクターも使うように促す。物語そのものよりも、その物語が語られる世界がどのようなものかが重要になる。よって、世界観を頭の中に描いてもらうことを目指すことになる。その世界の中に障害者やそれに関係するものが登場するかどうかも注目すべきポイントになる。

 このように年齢層に適した工夫を行うことで年齢に合った楽しさも提供できるようになる。また、他者とアイディアを共有して、一つの世界観を作り上げるという方向にすることも可能だと思う。

 上記では直接触れていないが、このようなワークショップをしながら、参加者にこれだけの創造のもとになった知的障害者のアートへの気づきや尊敬が起こるように、ワークショップ中に知的障害者のアートの作者やその制作の様子などについて語ることも大切な要素となる。

以上からわかるように、このワークショップの一番の特徴は、障害への理解と創造性開発が同時に行えるだけではなく、相乗効果があることにある。

5. まとめ

本論文では、チャンドラの自作品に対するメタ認知を用いた解析を入り口として、知的障害者アートと無意識の関係を探りだし、さらに、両者の作品に対して視覚言語を用いた解析を行うことで部分のルールが全体のルールとして働いていることで知的障害者アートの統一感が保たれていることなどを示した。また一般の人の創造力を高め、且つ、障害者を理解しようとする心を育てる鑑賞法や創造性育成ワークショップも提案した。

6. おわりに

一般の人にはない特殊な能力(例えば長い時間をかけて紙面全体を細かい模様で埋め尽くすことを根気良く行う能力など)を知的障害者は持っており、その能力はコンセプトや意識を重視する西欧のものとは対極のものであり、その意味では知的障害者アートはこれから日本でこそ研究すべき対象ではないかと著者らは感じている。本論文では、障害者の心を理解しようという心を育てる教材が作れる可能性を示せたので、知的障害者アートを単純にビジュアルとして使うだけではなく、知的障害者アートを使ったいろいろな企画が立てられ、その結果として障害者と一般の人、双方のウェルビーイングを刺激する企画も考えられると思う。例えば、高橋(2019)は「芸術はその制作者が属する文化、コミュニティの声であり、それらを読み取り他の文化と共有できる形に変換し、社会全体の状況改善につなげる作業を含めて芸術活動を捉えることが、障害者福祉、社会福祉の視座において重要である」と述べているが、このような芸術活動の捉え方ができるようになるためにも、アートに対する単一的な見方ではなく、他の文化に資するものをそのアートの中から見つけ出そうという気持ちこそが大切だと思う次第である。

謝辞

社会福祉法人愛成会の副理事長であり、キュレーターでもあらせられる小林瑞恵氏におかれましては、本論文の出発点となる第一著者の作品と知的障害者アートの類似性に関して貴重なご意見を頂くと共に、さらに知的障害者の制作したアートに関する資料も多数貸与して頂きました。このご温情のおかげをもちまして、本論文を仕上げることができました。ここに心より感謝申し上げます。

参考文献

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