抄録
近世において養蚕が副業であつた八王子周辺村は,天保14年(1843)頃までに生糸織物関係の農間渡世が増加した.地域的に八王子北方は織物,南側は生糸がそれぞれ生産され,地域分化していたと思われる.
ここにとりあげた小比企・鑓水両村は,その後八王子町方に対して異つた立場で変化した.両村民は, 1戸平均6反余の質的に低い耕地では生計をまかなえず,養蚕,薪売り等の副業に依存した.しかし八王子市場の発展にともない,そこで取引する糸繭商が小比企は元文期,鑓水は文政期に発生し農業から在方商業へのりかえようとする態勢を示した.さらに文化文政以後発達した八王子織物業は,小比企に波及し1850年代には家内織物業地域に転移しつつあつた.かかる小比企の帰趨は八王子の変化に対応する従属した立場をもつ村であるとみられる.一方,鑓水は天保以後,しだいに,糸繭商が増加した.安政6年(1859)横浜開港以来,この新市場とも取引し,取引高も飛躍的に増大し,周辺村における在方糸繭商の基地として独自の立場を形成するにいたつた.かかる事実は封建的村落体制の異質的要素としての意義をもつものとみることができる.