抄録
本稿は,北関東に展開する,いわゆる館林機業圏が館林町を核として,館林の元機を中心として組織された統一的な機業圏とされてきたことの吟味と,北関東機業圏という地域体系の中での館林の位置を明らかにしようとするものである.そのため,邑楽地方の明治期から昭和期の機業の生産配置・品種構造・機業資本の性格について考察を進めた.その結果,いわゆる館林機業圏の変容は,農村から発展した中野機業と都市から発展した館林機業が邑楽郡域の中で織物市場開設および賃機圏をめぐって変化することであり,統一的な機業圏として機能するのではなかった.同時にこのことが北関東機業圏の末端部分を構成する機業圏としての性格をもつことが明らかとなった.