抄録
東京都東村山市の下宅部遺跡における縄文時代中期中葉〜晩期中葉の木材資源利用を,放射性炭素年代測定による時期区分にもとづいて出土木材から解析した。その結果,縄文時代後期前葉から晩期中葉にかけて遺跡周辺にクリ林が維持され,規模が大きい水場遺構にはクリ材を優占的に使い,小規模の遺構にはクリの他にも様々な落葉広葉樹を利用していたことが明らかとなった。中期中葉〜晩期中葉にかけて自然木の組成に変化は見られないものの,小規模の遺構に使われる樹種は時期によって異なっていた。下宅部遺跡における木材資源利用を,関東地方の同時期の遺跡で大規模な低地の遺構をもつ寿能泥炭層遺跡と,赤山陣屋跡遺跡,寺野東遺跡における利用と比較したところ,大規模な遺構ではクリが50 〜80%を占めるのに対し,小規模な遺構ではクリ以外の樹種が増えるという同様の傾向が認められた。これは,重要な遺構の構築には周辺のクリ林を全面的に活用し,それ以外の小規模な遺構の構築には,クリ林の一部とその近辺の森林から木材を調達したことを示していると考えられた。遺構構築材の直径は遺構の規模に比例して大きくなるものの,平均はどの遺構でも10 cm 前後であり,大体同じ構造のクリ林から採取されたと想定された。またクリ材の直径には幅があり,成長輪の数にも幅があることから,一斉林に由来するとは考えられず,複雑な構造のクリ林を縄文人は居住域の周辺に維持していたことが想定された。