抄録
本稿では、サハリン先住民の言語接触に関する先行記述を概観した後、ウイルタ語に及んだ言語接触の影響について述べる。サハリン先住民は集団ごとに異なる言語を母語としつつも互いに交流し、また、周辺地域の諸民族の交流を仲介してきた。19世紀から20世紀前半までのサハリン先住民の言語状況は、概して多言語併用によって特徴づけられる。20世紀後半にはロシア語への言語交替が起こり、先住民言語の多様性は失われた。
サハリン先住民間の言語接触についての記述は、当初、主として諸言語の系統関係への関心において行われていた。しかし1980年代以降は、より類型論的な視点から言語間の相互関係が注目され、単語借用や文法借用の研究が行われている。ウイルタ語に及んだ言語接触の影響については、サハリンのニヴフ語やアイヌ語との間の借用語彙および文法の類似がいくつか指摘されている。また、19世紀中頃にサハリン北部へ移住して来たエウェンキーの影響により、エウェンキー語からウイルタ語北部方言への音韻・文法的な干渉がみられる。このことがウイルタ語の方言特徴の一部を形作ったと考えられる。