法学ジャーナル
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論説
在外国民に対する最高裁判所裁判官国民審査権の行使制限に関する一考察
――在外国民最高裁判所裁判官国民審査地位確認及び違法確認並びに国家賠償請求事件控訴審判決(東京高等裁判所令和2年6月25日判決)を手がかりに――
薄井 信行
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2022 年 2022 巻 100 号 p. 1-48

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  • 目次
  • 1.はじめに
  • 2.本件判決の概要
  •  ⑴ 事案の概要
  •  ⑵ 本件判決の要旨
  •   1) 在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性
  •   2) 地位確認の訴えの適法性
  •   3) 違法確認の訴えの適法性
  •   4) 国家賠償請求の成否
  •  ⑶ 関連判決
  • 3.検討
  •  ⑴ 選挙権と国民審査権の憲法上の保障の程度に「差異がない」について
  •   1) 国民審査の歴史的沿革・意義・法的性格等
  •   2) 選挙権と国民審査権の比較
  •   3) 厳格な審査基準
  •  ⑵ その他の争点について
  •   1) 地位確認の訴えの適法性について
  •   2) 違法確認の訴えの適法性について
  •   3) 国家賠償請求の判断枠組みについて
  • 4.国民審査権行使の活性化
  • 5.おわりに

1.はじめに

令和2年6月25日、東京高裁において、日本国外に住所を有する日本国民(在外国民)が最高裁判所の裁判官の任命に関する国民の審査(国民審査)における審査権(国民審査権)を行使できないことについて違憲とする控訴審判決が下された(本件判決)1。第一審である東京地裁においても違憲判決が下されていたこともあり2、本件判決は報道等によって注目をあつめている。

国民審査法4条では、「衆議院議員の選挙権を有する者は、審査権を有する。」と規定され、同法8条では、「審査には、公職選挙法(昭和二十五年法律第百号)に規定する選挙人名簿で衆議院議員総選挙について用いられるものを用いる。」と規定されている。公職選挙法には、「選挙人名簿」に加えて、「在外選挙人名簿」が規定されているところ、国民審査法には、「在外選挙人名簿」の規定や、在外国民に関する規定はおかれていなかった。つまり、在外国民は、「在外選挙人名簿」に登録することで在外選挙において投票することはできるが、国民審査において審査の投票を行うことができないでいた。そこで、「在外選挙人名簿」に登録されている在外国民である原告らが、被告(国)に対して本件訴訟を提起した3

本稿は、こうした本件判決を手がかりにして、在外国民に対する国民審査権の行使制限について考察するものである。なお、本件判決の争点は、多岐にわたるため、本稿では、主に在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性を中心に検討することとするが、他の争点も重要なものであるため、適時、触れていくことにしたい。そして、これら検討を踏まえた今後の展望について考察をすることとしたい。

2.本件判決の概要

⑴ 事案の概要

在外国民である一審原告らが、国を一審被告として、[1]①主位的に、憲法15条1項、79条2項及び3項等により国民審査における審査権が保障され、国民審査法4条によりその行使が認められているにもかかわらず、平成29年10月22日執行の国民審査(平成29年国民審査)において一審被告がその行使の機会を与えなかったとして、一審原告らが次回の国民審査において審査権を行使することができる地位にあることの確認を求め(本件地位確認の訴え)、②予備的に、一審被告が一審原告らに対し、日本国外に住所を有することをもって、次回の国民審査において審査権の行使をさせないことが違法であることの確認を求めるとともに(本件違法確認の訴え)、[2]平成29年国民審査について、中央選挙管理会が在外国民であった一審原告らに投票用紙を交付せず、または、現実に審査権を行使するための立法を国会がしなかったことにより審査権を行使することができなかったために精神的苦痛を受けたとして、国家賠償法1条1項に基づき、各金1万円の損害賠償等を求めた事案である4

第一審判決は、在外国民に対する国民審査権の行使制限につき、やむを得ない事由があったとは認められないとして違憲とした。また、本件地位確認の訴え及び本件違法確認の訴えをいずれも裁判所法3条1項にいう「法律上の争訟」に当たらないから、不適法として却下したが、しかし、中央選挙管理会が、在外国民であった一審原告らに投票用紙を交付しなかったことは違法でないものの、国会の在外審査制度を創設しないという立法不作為には違法性が認められるとして国家賠償請求を一部認容した。

そのため、一審原告ら及び一審被告は、敗訴部分を不服として、それぞれ控訴を提起した。

⑵ 本件判決の要旨

以下、争点ごとに本件判決の要旨をまとめていきたい5

1) 在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性

まず、本件判決は、「国民審査法は、方法の如何を問わず、在外国民については、国民審査の審査権の行使を一切認めていないものと解される」とし、「国民審査は、最高裁判所の裁判官の解職の制度であると解される」としたうえで、「憲法は、国民審査制度を設けて、主権者であって公務員の選定罷免権を有する国民に、最高裁判所の裁判官について、定期的に解職の可否という形で任命についての審査をする機会を付与することによって、その民主的統制を図ろうとしたものと理解できる」とした。そして、「このような国民審査権の制度の趣旨に照らせば、選挙に関する憲法の規定(15条3項、4項、44条ただし書)及び投票の機会の平等の要請(14条1項)の趣旨は、国民審査についても同様に及ぶものと解され、憲法は、国民に対し、国民審査において審査権を行使する機会、すなわち投票をする機会を平等に保障しているものと解するのが相当である」とした。そのうえで、本件判決は、「憲法のこのような趣旨に鑑みれば、国民の審査権又はその行使を制限することは原則として許されず、これを制限するためには、そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならないというべきであって、そのような制限をすることなしには国民審査の公正を確保しつつ審査権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合でない限り、上記のやむを得ない事由があるとはいえない。このような事由なしに国民の審査権の行使を制限することは、憲法14条1項、15条3項及び44条ただし書の趣旨に反することとなり、審査権を認めた同法15条1項並びに79条2項及び3項に違反することとなるものといわざるを得ない。また、このことは、国が審査権の行使を可能にするための所要の措置を執らないという不作為によって国民が審査権を行使することができない場合についても、同様である」とした。

また、一審被告は、「①選挙制度は、議会制民主主義の根幹を成すものであって、民主政治の歴史的発展によって獲得されたものであるのに対し、国民審査制度は、国民主権制度を採用している諸外国においても、我が国と同様の国民審査制度を採用している国はほとんどみられないように、国民主権の在り方として普遍的な制度ではなく、憲法の制定により解職制度という形で国民に創設的に付与されたものであり、その意義や成り立ちが異なる、②憲法上の規定ぶりも、国民審査については、79条があるのみであり、44条た だし書に相当する規定もない、③憲法は、国会議員については、全ての選任を国民の選挙によるものとしているのに対し、国民審査権については、必ずしも全ての裁判官に対して審査がされるものではなく、かつ、衆議院議員総選挙の機会の限度で実施することとされていることから、選挙権と国民審査権を同等の権利とすることはできず、国民審査制度が違憲と判断されるのは、国会の裁量権の行使が著しく不合理と評価される場合に限るというべきであるから、厳格な審査基準を用いることは相当ではない旨」主張していたところ、本件主張に対して本件判決は、「選挙権と国民審査権がその歴史的な沿革等を異にするものであるとしても、選挙権も国民審査権も国民主権に根差す重要な権利であることには変わりがなく、憲法上の保障の程度に差異があるものではない。また、憲法44条ただし書は、議会制民主主義の下においても制限選挙が実施されていたという歴史的経過を踏まえ、特に選挙について規定されたものにすぎず、その趣旨は同じく国民主権に根差す国民審査制度にも当然及ぶものと解すべきであるから、国民審査について同様の規定がないからといって、選挙権に比べて国民審査権が重要ではないということはできない。また、国民審査が全員の裁判官を対象としていないのは、解職制度に内在する制約であり、選挙がいわば事前の任命であるのに対し、解職はいわば事後の任命であるという関係にあるから、事後の任命に係る審査権が事前の任命である選挙権に比べて重要ではないとはいえない。そもそも、憲法は、憲法改正の国民投票制度(98条)とともに、国民審査を主権者である国民がその意思を司法作用に直接反映させる重要な制度の一つと位置付けているのであるから、国民審査権が代表者である国会議員を選出する選挙権に比べてその保障の程度において差異があるとはいえない」とし、「国民審査権については、選挙権と同様の厳格な審査基準は妥当せず、国会の裁量権を尊重すべきであるとする一審被告の主張は、採用できない」とした。

そして、「平成29年国民審査当時、国民審査法が、在外国民の審査権の行使を制限していたことについて、前記のやむを得ないと認められる事由があったか否かについて」、次のように判断した。すなわち、「在外国民に対して国民審査権の行使を認めない理由は、記号式による投票を前提とした場合における技術的な問題があるということに尽きるものといえ」、平成28年の国民審査法改正により、「審査等の事務には必要な時間は確保されていることとなり、ほとんどの場合には……技術上の問題は事実上解消されたものといえる」とし、「憲法は、国民審査権の行使につきどのような方法を用いるかについて、法律に委ねており(79条4項)、現行の記号式による投票以外の方法を採用することも許容している。……極めてまれな場合において記号式による投票を前提にすると技術的な問題がなお残るというのであれば、記号式による方法との併用も含めて他の方法を採用することが、著しく合理性を欠くような事情がない限り、上記のやむを得ないと認められる事由があるとはいえない」とした。そして、「実際、国民審査法16条1項は、……点字による審査につき自書式による投票を採用しており、既に同法の下においても、現行の記号式による投票を前提として審査権の行使が技術的に不能ないし著しく困難となるような場合において、他の合理的な投票方法を用いることにより審査権の行使が可能となるときには、その方法を採用している例が存在している」とし、「通信手段が地球規模で目覚ましく発展を遂げている状況において、在外国民に審査公報の配布による周知と同程度の情報伝達が不可能であるとはいえない」などとして、「一審被告が主張する記号式による投票以外の方法を採用できないとする理由も、在外国民の審査権の行使を制限することを正当化するに足りるものではなく、記号式による投票以外の方法によることに著しく合理性を欠くような事情もない」とした。

「以上によれば、国民審査法が在外国民の審査権の行使を一切認めずこれを制限していることについては、遅くとも平成29年国民審査の時点においては、やむを得ないと認められる事由があったとはいい難く、同法は、憲法15条1項並びに79条2項及び3項に違反するものというべきである」とした。

2) 地位確認の訴えの適法性

本件判決は、「憲法は……国民のうち審査権を有するとされる者にどのような枠組みにおいてこれを行使させるかという点も含めて国民審査を具体的にどのような制度とするかについては、国権の最高機関である国会の立法政策に委ねているものと解される」とし、確認が求められている「『次回の国民審査において審査権を行使することができる地位』は、国民審査法4条に基づくものとしても、同法8条に基づくものとしても、現行の法令の解釈によっておよそ導き出すことのできるものではなく、国会において、在外国民について審査権の行使を可能とする立法的措置を新たに講じなければ、具体的に認めることのできないものといわざるを得ない」とした。

また、「国会による国民審査法の規定の改正なくして、同法8条の『選挙人名簿で衆議院議員総選挙について用いられるもの』との部分を存在しないものとし、『在外選挙人名簿に登録されている』という要件を解釈によって導き出すことも、裁判所が同法にはない要件を創設することになって、実質的に国会の機能である立法作用を行うことになるから許されない」とした。

したがって、「確認を求める対象となる法的地位は、国会において、新たに立法を行わなければ、具体的に認めることのできないものであって、確認を求める対象として有効、適切ではないから、本件地位確認の訴えは確認の利益を欠くものというほかはなく、不適法というべきである」として、本件地位確認の訴えを却下した。

3) 違法確認の訴えの適法性

本件判決は、違法確認の訴えについて、「国会において、在外国民に国民審査権の行使を認める旨の立法的措置を講じない限り、一審原告らが、次回の国民審査においても、同様に、国外に住所を有することを理由として、投票することができず、国民審査権を行使する権利が侵害されることになるので、あらかじめ次回の国民審査において国民審査権の行使を許さないことが違法であることの確認を求める趣旨であると理解できるところ、その権利侵害の危険は、当審口頭弁論終結時において、現実的なものとして存在するものと認められる」とした。

そして、「国民審査権は、選挙権と同様、その権利を行使することができなければ意味がないものといわざるを得ず、侵害を受けた後に争うことによっては権利行使の実質を回復することができない性質のものであり、損害の賠償によっても十分に救済されるものではない」とし、「救済を図るために他に適切な方法がなく、即時確定の利益もあるから、予備的請求に係る一審原告らの本件違法確認の訴えは、公法上の法律関係に関する確認の訴えとして適法であるというべきである」としたうえで、請求を認容した。

また、「本件違法確認の訴えを認容した判決が確定した場合には、在外国民に国民審査権の行使を可能とする立法措置を執るべきことになるが(行政事件訴訟法41条1項、33条1項)、その立法措置の内容については国会が定めるのであるから、国民審査法上規定がない場合において、在外国民において国民審査権を行使できる地位を裁判所が積極的に確認することと異なり、裁判所が立法作用をしたとの批判も当たらない」とした。

4) 国家賠償請求の成否

さて、本件判決は、「国会議員の立法行為又は立法不作為が国家賠償法1条1項の適用上違法となるかどうかは、国会議員の立法過程における行動が個々の国民に対して負う職務上の法的義務に違反したかどうかの問題であ」とし、「法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして、例外的に、その立法不作為は、国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである」とした。

そして、平成17年大法廷判決は、「在外選挙制度を設けていない公職選挙法等の合憲性について判示するものであり、在外審査制度の当否について直接判示するものではなかった。……したがって、同判決があるからといって、直ちに在外審査を認めないことの違憲性が明白になったとはいえない。 

「また、平成23年東京地裁判決は、在外国民らが国民審査の投票をすることができる地位の確認等を求めた事案において、平成21年国民審査の時点で、在外審査制度の創設に係る立法措置を執らないという立法不作為によって在外国民が国民審査権を行使することができないとの事態を生じさせていたことの憲法適合性については、重大な疑義がある旨の指摘をしていたが、上記時点においては、憲法上要請される合理的期間内に是正されなかったものとまでは断定することができないとして、結論としては、憲法に違反するものとまではいえないと判示し」た。

「さらに、日本弁護士連合会は、平成14年7月及び平成24年3月にそれぞれ衆議院議長及び参議院議長等に対して在外国民が国民審査権を行使することができないことが著しい人権侵害に該当するとして、法改正等の措置を執るよう勧告したことが認められるが、上記勧告も、法的拘束力はなく、在外審査創設のための議論の契機となり得るものとしても、これをもって、国民審査法の違憲性が明白になったとはいえない」とし、「他に、内閣から在外国民審査に関する法案が提出されたり、国会において在外国民審査について議論されたりしたような形跡もない」とした。

「以上のような在外国民審査をめぐる議論の状況等に照らすと、……その権利の擁護の重要性も認識され、平成22年に施行された国民投票法においても在外投票制度が認められているなどの事情を踏まえても、平成29年国民審査の時点で、国会において、在外審査を認めていない国民審査法の違憲性が明白になったものということはできない」とした。

また、「中央選挙管理会は、平成29年国民審査において、在外国民であった一審原告らに対し、投票用紙を交付していないが(前提となる事実)、当時、国民審査法その他の関係法令において、在外国民が国民審査権を行使することは認められていなかったのであるから、中央選挙管理会が一審原告らに対し投票用紙を交付しなかったことは、その職務上通常尽くすべき注意義務に違反したとはいえず、国家賠償法1条1項の適用上違法とはいえない」とした。

以上のことから「国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求はいずれも理由がない」として、国家賠償請求を棄却した。

⑶ 関連判決

次に、本件判決を検討するにあたって必要となる関連判決の要旨をまとめておきたい。

まず、在外国民の選挙権の行使制限に関する平成17年大法廷判決6である。平成17年大法廷判決は、在外国民に対する選挙権の行使制限の憲法適合性について、厳格な(審査)基準を採用し、①平成8年10月20日に施行された衆議院議員の総選挙において、「在外国民が投票をすることを認めなかったことについては、やむを得ない事由があったとは到底いうことができない」とし、「公職選挙法が、本件選挙当時、在外国民であった上告人らの投票を全く認めていなかったことは、憲法15条1項及び3項、43条1項並びに44条ただし書に違反する」、②「遅くとも、本判決言渡し後に初めて行われる衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の時点においては、衆議院小選挙区選出議員の選挙及び参議院選挙区選出議員の選挙について在外国民に投票をすることを認めないことについて、やむを得ない事由があるということはできず、公職選挙法附則8項の規定のうち、在外選挙制度の対象となる選挙を当分の間両議院の比例代表選出議員の選挙に限定する部分は、憲法15条1項及び3項、43条1項並びに44条ただし書に違反する」とした。そして、地位確認の訴えについては適法とし、違法確認の訴えについては却下し、国家賠償請求については、一部認容した。

次に、在外国民の国民審査権の行使制限に関する平成23年東京地裁判決7である。

平成23年東京地裁判決は、在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性について、厳格な審査基準を採用し、「国会において在外審査制度の創設に係る立法措置を執らなかったことについては、やむを得ない事由があったものというべきである」とし、「少なくとも本件国民審査が行われた平成21年8月30日の時点では、在外審査制度の創設に係る立法措置を執らないという不作為によって在外国民が審査権を行使することができないとの事態を生じさせていたことの憲法適合性については、重大な疑義があったものといわざるを得ない」としながらも、「憲法上要請される合理的期間内に……事態の是正がされなかったものとまでは断定することができない」として、「憲法に違反するものとまではいえない」とした。そして、地位確認の訴えについては却下し(違法確認の訴えは、提起されていない)、国家賠償請求については棄却した。

以上の関連判決について、本件判決及び本件第一審判決も含めて、争点ごとの判断をまとめると表1及び表2のようになる。

表1
国民審査権 平成23年東京地裁
判決
令和元年東京地裁
判決(第一審)
令和2年東京高裁
判決(本件判決)
① 在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性 合憲 違憲 違憲
② 地位確認の訴えの適法性 却下 却下 却下
③ 違法確認の訴えの適法性 却下 適法
④ 国家賠償請求 棄却 一部認容 棄却
表2
選挙権 平成17年大法廷判決
⑴ 在外国民に対する選挙権の
行使制限の憲法適合性
違憲
⑵ 地位確認の訴えの適法性 適法
⑶ 違法確認の訴えの適法性 却下
⑷ 国家賠償請求 一部認容

3.検討

次に、検討にうつりたいと思う。

⑴ 選挙権と国民審査権の憲法上の保障の程度に「差異がない」について

本件判決では、国民審査は、「最高裁判所の裁判官の解職〔リコール〕の制度」であり、「憲法は、国民審査制度を設けて、主権者であって公務員の選定罷免権を有する国民に、最高裁判所裁判官について、定期的に解職の可否という形で任命についての審査をする機会を付与することによる民主的統制〔民主的コントロール〕を図ろうとしたものと理解できる」とし、「選挙に関する憲法の規定(15条3項、4項、44条ただし書)及び投票の機会の平等の要請(14条1項)の趣旨は、国民審査についても同様に及ぶものと解され、憲法は、国民に対し、国民審査において審査権を行使する機会、すなわち投票をする機会を平等に保障しているものと解するのが相当である」とした(〔〕内は筆者による)。また、「選挙権も国民審査権も国民主権に根差す重要な権利であることには変わりがなく、憲法上の保障の程度に差異があるものではない」、などとして、「選挙権と同様の厳格な審査基準」が妥当するとした。そして、選挙権と同様、制限をすることが「やむを得ないと認められる事由」がなければならないという厳格な審査基準を採用し、「国民審査法が在外国民の審査権の行使を一切認めずこれを制限していることについては、遅くとも平成29年国民審査の時点においては、やむを得ないと認められる事由があったとはいい難く、同法は、憲法15条1項並びに79条2項及び3項に違反する」とした。

選挙権も国民審査権も重要な権利であることに、異存はないであろう。本件判決は、上記のように、選挙に関する憲法の規定及び投票の機会の平等の要請の趣旨は、国民審査についても同様に及ぶものと解されること、国民審査権が国民主権に根差す重要な権利であること、選挙権と国民審査権の憲法上の保障の程度に「差異がない」ことなどを根拠として、選挙権と同様、厳格な審査基準を採用できるとしている。しかし、選挙権と国民審査権を類似のものと考えて、その憲法上の保障の程度に「差異がない」とすることは、検討の余地があるものと思われる。そこで、ここでは、国民審査の歴史的沿革・意義・法的性格等を確認したうえで、選挙権との比較をとおして、本件判決が、それらの権利の憲法上の保障の程度に「差異がない」としていることについて検討したい。

1) 国民審査の歴史的沿革・意義・法的性格等

ここでは、国民審査の歴史的沿革・意義・法的性格等について、いくつかの点から確認し、検討していきたい。

第1に、国民審査の歴史的沿革について確認し、そこから検討していきたい。

そもそも、明治憲法下においては、国民審査について規定されていなかった。しかし、日本国憲法において国民審査が規定されることになった。具体的には、マッカーサー草案起草過程において国民審査の規定が入ることになったが、国民審査が創設された理由は「司法部を国民により近い存在にする一方、その独走を抑えるために、司法部をコントロールする手段を国民に担保すること」と指摘されている8。なお、当時の貴族小委員会においては、国民審査について、「裁判官の心証形成に悪影響を及ぼす可能性」や「アメリカの実施例」から、憲法案から削除する提案がなされていたが、GHQ 民政局により、国民審査条項を削るならば、最高裁判所裁判官の選任は「国会の承認」とするか、または、「国会による選挙」とするかの選択を要求され、国民審査を採用することとなった9。つまり、国民審査が採用されなかった場合でも、「同等の民主的保障」が求められたのである10

また、学説によって異論11もあるものの、著名な英米法研究者である田中英夫によれば、国民審査は、ミズーリ州の裁判官選任制度にかかる「ミズーリ・プラン」がもとになったとされる12。その歴史的背景は次のように解説される。すわなち、1830年代のアメリカにおける「ジャクソニアン・デモクラシーの時代に、……任期制の裁判官を選挙で選ぶ裁判官公選制」が始まり、「19世紀末の革新主義の時代になると、非党派的選挙を導入する州が現れた。裁判官を選挙で選ぶと裁判所に党派性を持ち込むことになり、これはよくないという考えが広まったためである。……非党派的選挙制度は、裁判所から党派性を取り除くには不十分であり、1940年以降、メリット・システム」が広がる13。このメリット・システムとは、「特別に設置される諮問委員会が裁判官候補者リストを作成し、州知事がその中から選んで任命するというものである。任命された裁判官は任期中に州民から審査を受ける」というものであり、「ミズーリ州が最初に導入したためミズーリ・プラン」と呼ばれる14。田中英夫によれば、「ミズーリ・プラン」は、「裁判官の人選に民意を反映するという要請と、すぐれた裁判官を確保するという要請との調和を図ったもの」とされる15。このようなメリット・システムは、その後、他の州でも採用されるようになり、2017年現在では、最上級裁判所においてメリット・システムを採用するのは24州である16

こうした歴史的沿革を踏まえるならば、国民審査の意義は、国民による司法の民主的コントロールと司法の独立との調和であろう。そして、国民審査創設の理由やその背景にあるアメリカのミズーリ・プランにかかる内容も、国民審査の性質として考慮してもよいように思われる。

なお、国民審査の歴史的沿革等については、一審被告から詳細な説明がなされていたが17、しかし、本件判決では、「選挙権と国民審査権がその歴史的な沿革等を異にするものであるとしても、選挙権も国民審査権も国民主権に根差す重要な権利であることには変わりがなく、憲法上の保障の程度に差異があるものではない」とされた。つまり、本件判決では、歴史的沿革等は憲法上の保障の程度に影響しないとされたように思われる。

第2に、国民審査の意義・目的・趣旨について確認し、そこから検討していきたい。

高見勝利の「芦部憲法講義ノート拾遺」によれば、芦部信喜は、「この制度の本来の目的が、裁判官の法律家としての適否を判断するのではなく、裁判官のものの考え方ないし意識と民意・国民ないし広義の世論との間のずれを是正することにあることを評価して、その目的をできる限り実現するように努めることが先決である。法律家としての適否は判断しえないとしても、しかし、このものの考え方と国民の意識のずれはありうるわけで、それを審査し是正することに、この制度の本旨がある」としており、「国民審査制の『本旨』、その意義・目的は、最高裁裁判官のものの考え方ないし意識と民意との『ずれの是正』に求められる」とされる18。そして、「最高裁裁判官に求められている最も重要な資質は、ステイツマンシップ(statesmanship)という高い識見である。もし判決の結論やその結論に至る筋道、ものの考え方に民意とのずれを大きく感じさせるものがあるとすれば、『識見の高い』裁判官とはいえない。かくして、国民審査制は、われわれ国民がそれについて意見を述べる『唯一の貴重な機会』だとされる」19

また、柏﨑敏義によれば、「『その主なねらいは、裁判官の任命を民主的にコントロールし、一面では、適任でないと認められる裁判官を民意にもとづいて罷免すると同時に、他面では、適任と認められる者については、公選による場合と同じように、民意の背景とともに、その地位を強化するにある』20とされる。すなわち、最高裁判所の地位を国民の意思に近づけていくことが期待されている」とされる21。そして、「『裁判所が違憲立法審査権をもつ以上、裁判官がその権限を行使する場合には、純粋な司法的機能ではなく、国家の政策の適否の審査という本質的には政治的機能を行つているものであり、このような場合には、裁判官は当然に国民に直接の責任を負うべきである』22。司法権の独立は、国民からの独立を意味するものではないのである。すなわち、国民審査制は違憲立法審査権をもつ司法権の独裁を抑止するために設けられたものであるといえるであろう」とされる23

このようにみてくると、国民審査の意義・目的・趣旨は、司法権に対する民主的コントロールにあり、国民による民主的コントロール下において、「最高裁裁判官のものの考え方ないし意識と民意との『ずれの是正』をすること」、「最高裁判所の地位を国民の意思に近づけること」、「違憲立法審査権をもつ司法権の独裁の抑止」などを実現することが肝要と考えられているものといえるであろう。そして、このような国民審査は、国民が意見を述べる「唯一の貴重な機会」として位置づけられるものと思われる。

本件判決は、「憲法は、国民審査制度を設けて、主権者であって公務員の選定罷免権を有する国民に、最高裁判所の裁判官について……その民主的統制を図ろうとしたものと理解できる」としている。一般論として、そのこと自体は否定しないけれども、国民審査制度の目的を民主的統制だけに還元できるものかどうかは、疑問だと思われる。

第3に、国民審査の法的性格に関して検討したい。

国民審査の法的性格については、次のような学説がある。

中島茂樹によれば、学説は次のように大別できる。すなわち、「A説は、国民審査を一種の国民解職(リコール)として捉える」、「B説は、法的効果の面ではリコールであるということを承認しつつ、さらに、内閣の任命についての事後審査としての性格を併有するものとみる」、「C説は、不適任者の解職であると同時に、適任者の信任という性格を強調し、後者につき民意の背景のもとにその地位を強化するという意味をもつものとして捉える」、「さらに端的に、国民審査をリコールと同時に適格者の信任投票として捉える見解も認められる」24

上記のうち、A説が、通説・判例である25

また、芦部信喜は、「審査の性質をリコール制(解職制)と解するのが通説・判例であるが、任命後第一回の国民審査がなされる裁判官については、その審査は内閣の任命を国民が確認する意味も含まれていると解するのが、妥当であろう」とする26。そして、辻村みよ子は、通説・判例(A説)の立場に立ったとしても、「任命後最初の審査の際には(解職よりむしろ)信任ないし事後審査機能と捉えるのが妥当であろう……これに対して、10年後の審査については解職と捉えることが妥当となり、一元的に捉える必要はないものといえる」とし、「国民審査制度は、最高裁裁判官の任命に対する信任・不信任の機能とともに、10年ごとに審査し罷免する強い機能をもつ点で、民主的役割を担うものといえる」とする27

本件判決は、従前の判例28を引用して「国民審査は、最高裁判所の裁判官の解職の制度」としていることから、これら法的性格のうち、基本的にはA説を採用していると思われるが、本件判決は、「定期的に解職の可否という形で任命についての審査をする機会を付与することによって、その民主的統制を図ろうとしたものと理解できる」としていることから、B説と解する可能性も完全には否定できないであろう29

たしかに国民審査は、法的な性格としてはリコール制であることは間違いないが、学説が指摘するように、内閣の任命についての確認、事後審査、信任としての機能も果たしているものと考えられる。制度の「本質」と「機能」との関係や、そもそも、何を本質と捉えて、何を機能として位置づけるのかは、難しい問題ではあるが、単純に国民審査をリコール制度と位置づけることは、議論のあるところであろう。

以上のように、国民審査の歴史的沿革、意義、法的性格等からは、国民審査の重要性とともにその独自性が確認できよう。

本件判決は、歴史的沿革などによる国民審査権の独自性を必ずしも重視することはなく、選挙権との類似性から、その憲法上の保障の程度を根拠づけようとしたものと思われる。しかし、近代国家の統治制度の歴史的沿革などに鑑みれば、(選挙権と国民審査権との関連性まで否定しないにしても)選挙権との類似性から根拠づけるのではなく(少なくとも、選挙権との類似性のみから根拠づけるのではなく)、むしろ、国民審査権の独自性から憲法上の保障の重要性を根拠づけるべきではないだろうか。

2) 選挙権と国民審査権の比較

これまでみてきたように、国民審査の歴史的沿革、意義、法的性格等は、独自性がある。つまり、国民審査権は、これら独自性の点においては、選挙権との比較にはなじみにくいように思われる。とはいえ、ここでは、本件判決がしたように、おそらく、一般には、選挙権と国民審査権の重要度について比較可能と思われる点を検討したい。

第1に、本件判決にある「選挙権も国民審査権も国民主権に根差す重要な権利であること」についてである。

この点については、日本国憲法の著名な研究者である芦部信喜による憲法のテキストにおける主権論の解説が参考になるものと思われる。すなわち、「近代的な主権概念を学問的に構成し、諸国の近代国家化に大きな理論的武器を提供したと言われるジャン・ボダン(Jean Bodin, 1530-96)の主権論」によれば、「『主権の真の標識』は、立法権、宣戦講和権、官吏任命権、最高裁判権、忠誠服従要求権、恩赦権、貨幣鋳造権、課税権であるとし、なかでも立法権は、『その中に主権の他のすべての権利および標識が含まれている』」とされる30。このように、ボダンは主権について立法権の中に他のすべての権利を含むとしている。こうしたボダンの理論によれば、主権と結びつく中心は立法権であり、したがって、国民主権の下では、立法権を担う国会議員を選出する選挙権こそが、国民の権利として、特に重要なものとなってくるものと思われる。したがって、参政権のなかでも、選挙権は特別な位置づけにあるものと考えるべきであり、そうであるならば、選挙権と国民審査権の憲法上の保障の程度に「差異がない」とすることには、やはり異論の余地があるのではないだろうか。

第2に、本件判決が、「国民審査権の制度の趣旨に照らせば、選挙に関する憲法の規定(15条3項、4項、44条ただし書)及び投票の機会の平等の要請(14条1項)の趣旨は、国民審査についても同様に及ぶものと解され、憲法は、国民に対し、国民審査において審査権を行使する機会、すなわち投票をする機会を平等に保障しているものと解するのが相当である」としていること、についてである。

このように、選挙に関する憲法の規定及び投票の機会の平等の要請の趣旨が、国民審査に及ぶとすることは、一定の積極的な評価ができるであろう31。しかし、逆にいえば、本件判決では、選挙に関する憲法の規定及び投票の機会の平等の要請が直接適用されるとしているわけではなく、「趣旨」が適用されるのである。このように、そのまま直接適用されるわけではなく趣旨適用に留まるのであれば、選挙権と憲法上の保障の程度に「差異がない」ということは一概にいえないのではないだろうか。

第3に、参政権についてである。

「参政権は、国民が、主権者として、直接もしくは代表者を通じて間接的に、国の政治に参加する権利である」32。憲法学の基本的なテキストにおいては、参政権として選挙権、広義の参政権として国民審査権と理解されてい る33。前述したところとも重なるが、「選挙は、議会制民主主義を実現するために不可欠の手段であり、選挙権はそのための『国民の最も重要な基本的権利』」とされている34。そして、判例においては、「国民主権を宣言する憲法の下において、公職の選挙権が国民の最も重要な基本的権利の一であることは所論のとおりである」と判示していたり35、「選挙権は、国民の国政への参加の機会を保障する基本的権利として、議会制民主主義の根幹をなすもの」と判示しているものもある36。さらに、このような選挙権を欠く場合、立憲民主制は想定できないが37、国民審査権の場合も同じようにいえるのであろうか。そして、選挙権と国民審査権の憲法上の保障の程度に「差異がない」とするならば、選挙権と国民審査権における広義と狭義の違いや選挙権が「最も重要な基本的権利」といった判示はどのようにとらえればよいのであろうか。

第4に、選挙権を失う条件についてである。

選挙権を失う条件として、「禁錮以上の刑に処せられその執行を終わるまでの者」等がある。仮に選挙権と国民審査権の憲法上の保障の程度に「差異がない」とするならば、国民審査においても、同様に考えられるのであろうか。

冤罪その他を考えた場合、冤罪によって禁固以上の刑罰を科された者にとってこそ、国民審査権は重要な意味をもつものと考えられる。そうした者を排除することは、選挙権においては一定の正当性があるにしても、国民審査から排除することは、正当化できるものとはいえないであろう。この点、国民審査権の重要性を強調する立場に立つとするならば、国民審査権と選挙権を比較するのではなく、国民審査権は選挙権とは別次元として捉える、あるいは、選挙権よりは国民審査権の方が重要度が高くなる可能性もあると思われる。

以上のように、いくつかの点から選挙権と国民審査権の相違について確認し、比較・検討してきたが、(国民審査権が重要であることに異存はないものの、)やはり、単純に選挙権と国民審査権とを類似のものと考えて、その憲法上の保障の程度に「差異がない」という結論を導き出すことは難しいように思われる。

3) 厳格な審査基準

次に、審査基準について考えていきたい。

本件判決は、一審被告による、「①選挙制度は、議会制民主主義の根幹を成すもであって、民主政治の歴史的発展によって獲得されたものであるのに対し、……国民審査制度を採用している国はほとんどみられないように、国民主権の在り方として普遍的な制度ではなく、憲法の制定により解職制度という形で国民に創設的に付与されたものであり、その意義や成り立ちが異なる、②憲法上の規定ぶりも、国民審査については、79条があるのみであり、44条ただし書に相当する規定もない、③憲法は、国会議員については、全ての選任を国民の選挙によるものとしているのに対し、国民審査権については、必ずしも全ての裁判官に対して審査がされるものではなく、かつ、衆議院議員総選挙の機会の限度で実施することとされていることから、選挙権と国民審査権を同等の権利とすることはできず、……厳格な審査基準を用いることは相当ではない旨」の主張にもかかわらず、在外国民に対する選挙権の行使制限に関する平成17年大法廷判決に沿う形で選挙権と同様の厳格な審査基準を採用して、選挙権と国民審査権の間に「序列を設けずに」ともに厳格度の高い保障を与えている38

では、そもそも、厳格な審査基準とは、どのような場合に採用されるのであろうか。ここでは、まず、違憲審査基準論にかかる二重の基準論を確認しておきたい39

二重の基準論は、「人権のカタログのなかで、精神的自由は立憲民主政の政治過程にとって不可欠の権利であるから、それは経済的自由に比べて優越的地位を占めるとし、したがって、人権を規制する法律の違憲審査にあたって、経済的自由の規制立法に関して適用される『合理性』の基準……は、精神的自由の規制立法については妥当せず、より厳格な基準によって審査されなければならないとする理論である」40。「『二重の基準』論の根拠は、(a)精神的自由の重要性(精神的自由が民主的な政治過程にとって不可欠な権利であること等を理由とする)と、(b)経済的自由の規制立法についての裁判所の審査能力の限界(司法の能力の限界)であると一般に解されている」41

違憲審査基準論は、「利益衡量を行う際の手がかり・目安を類型的に提供するために、学説が法令審査を念頭において導入を提唱してきた」ものであり、「利益衡量の枠組みを目的と手段の関連構造に再構成する」ものとされる42。「厳格度の高い順から、①厳格審査基準、②中間審査基準(LRA の基準と『厳格な合理性』の基準)、③合理性審査基準に区別するのが一般的であり、目的について順に、憲法上の権利を制約する法令の規定が、①『やむにやまれぬほど必要不可欠(compelling)』な利益、②『重要(important)』な利益、③『正当(legitimate)ないし合理的(rational)』な利益を達成するためのものであることを求め、その目的を達成するために採られた手段が、①『必要最小限のものとして厳密に設定されていること(narrowlytailored)』、②『より制限的でない他の選びうる手段では立法目的を十分に達成できないこと(LRAが存在しないこと)』、③『合理的関連性を有していること』の論証を要求する」43

「このように違憲審査基準論は利益衡量の一種であるから……基準を設定するだけでは結論は出てこない。……目的の重要度と目的と手段の関連性といった検討を、事案に即して個別的・具体的に行わなければならない」44

「審査基準の厳格度は、問題となる権利の意義・重要性に左右される場合」があり、平成17年大法廷判決については、「国民主権の原理(憲法前文・1条)や『全国民〔の〕代表』としての国会の地位(同43条1項)、『国民固有の権利』としての公務員の選定・罷免権(同15条1項)、普通選挙の保障と選挙人資格平等の要請(同15条3項・44条但書)など、憲法全体を通じて選挙権が重要な権利とされていることを確認した上で、選挙権とその行使への制限は原則として許されず、制約の正当化は『やむを得ないと認められる事由』でなければならない、という厳格度の高い審査基準を示した」45。ただし、選挙権については、その重要性だけで厳格な審査基準が採用されるとは限らない。すなわち、「選挙権については、その重要性に加え、民主政過程に対する『不信』から審査が厳格となる場合がある」とされている46。民主的な政治過程にとって重要な権利である選挙権に対して、当該平成17年大法廷判決の事案では、このような厳格度の高い基準で判断したことは妥当といえよう。

では、本件判決の事案における国民審査権については、どうであろうか。

本件判決は、選挙権との比較でその憲法上の保障の程度に「差異がない」としているところ、「1)国民審査の歴史的沿革・意義・法的性格等」のセクションで確認したとおり、その歴史的沿革、意義、法的性格等の独自性は、憲法上の保障の程度にかかわるものだと思われる。結果として、国民審査権の独自性から選挙権と同程度の保障が根拠づけられるかもしれないが(後述のように、本稿はその立場である)、国民審査権の独自性を重視せずに選挙権との類似性(のみ)から保障の程度に差がないとはいえないように思われる。また、「2)選挙権と国民審査権の比較」のセクションで確認したところからしても、少なくとも単純に選挙権と同様のロジックを用いるのは説得力に欠けるように思われる。

また、たとえば、内野広大は、本件判決で厳格な審査基準を採用することについて、次のように指摘する。すなわち、「憲法がいわば『国民審査事項法定主義』に立脚する……ことからすれば、審査の具体的制度構築は立法政策に委ねられ、厳格な基準の採用は難しいようにも思われる」47としながらも、しかし、「裁判所が『民主的な政治過程の正常な運営を維持するために積極的役割を果たすべき』……であるにしても政治部門による最高裁判所裁判官の任命が恣意的であればその役割を果たすことができないところ、審査は、内閣の任命を国民が確認する側面をももつとすれば、民主的政治過程の正常な運営維持に資するものといえるから、審査権の制限行使については、表現の自由に対する制限の場合と同様に厳格な基準を適用すべきであるという理由づけも考えうる」としている48

このように、内野は厳格な審査基準は採用することは難しいとしつつも、選挙権ではなく、表現の自由との類似性を見いだし、そのことから厳格な審査基準を採用する場合のロジックを提唱していると思われる。

これまでみてきたように、本件判決における、「選挙がいわば事前の任命であるのに対し、解職はいわば事後の任命であるという関係にある」などという選挙権との比較によるロジックで、厳格な審査基準を採用することには合理的な説明がしにくいように思われる。したがって、本稿では、本件判決のように、選挙権と国民審査権とを類似のものと考えて、その憲法上の保障の程度に「差異がない」という結論を導き出す考え方には、賛同し難いものと考える。

もっとも、本稿は、在外国民の国民審査権の重要性を否定するものではない。むしろ、その重要性を確認してきた。そのため、たとえば、内野のように、別のロジックから厳格な審査基準を採用することを正当化すべきものと考えている。今後、上告審である最高裁が、当該事案に即した検討のうえで、どのような基準で判断するのか、または、厳格な審査基準を採用するならば、どのようなロジックを採用するのか注視すべきところである。

⑵ その他の争点について

さて、本件判決では、在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性に関する争点以外にも、いくつか注目すべき争点がある。以下では、それらの点についてみてきたい。

1)地位確認の訴えの適法性について

まず、本件は、公法上の法律関係に関する確認の訴え(行政事件訴訟法4条)として、提起された。本件地位確認の訴えの適法性につき、第一審判決では却下されていたところ、当該第一審判決に対する興津征雄の意見書では、「一部無効、合憲拡張解釈により救済可能」と主張されていた49。本件意見書は、国民審査法4条・8条に平等原則(憲法14条1項)の要請を介することにより、在外国民に国民審査権を行使できる具体的な地位が発生するという理解を採ったうえで、「一部無効は、国民審査法8条を、在外選挙人名簿に登録された在外国民の国民審査権の行使を認めていない点で違憲無効と解することにより、平等の要請……から在外選挙人名簿に登録されている者が審査権を行使しうる地位を導き出すことができる」とするものであり、ここでいう「合憲拡張解釈」は、同法8「条は、選挙人名簿(に登録されている者)に関する規範内容のみを含み、在外選挙人名簿(に登録されている者)に関する規範内容は含んでいない。在外選挙人名簿に登録されている者が国民審査の審査権を行使できないのは、同条があるからではなく、立法者が在外選挙人名簿に登録されている者について何も規範を定めていない不作為が原因ということになる。そのように解すると、違憲状態を解消するためには、同条の趣旨を、本来の適用対象ではない在外選挙人名簿に登録されている者にも拡張する拡張解釈」である50

しかし、本件判決は、「『次回の国民審査において審査権を行使することができる地位』は、国民審査法4条に基づくものとしても、同法8条に基づく ものとしても、現行の法令の解釈によっておよそ導き出すことのできるものではなく」、「同法8条の『選挙人名簿で衆議院議員総選挙について用いられるもの』との部分を存在しないものとし、『在外選挙人名簿に登録されている』という要件を解釈によって導き出すことも、裁判所が同法にはない要件を創設することになって、実質的に国会の機能である立法作用を行うことになるから許されない」として、「確認を求める対象となる法的地位は、国会において、新たに立法を行わなければ、具体的に認めることのできないものであって、確認を求める対象として有効、適切ではないから」、「確認の利益を欠く」として、本件地位確認の訴えを却下した。

裁判所の役割に、どこまで積極性を求めるべきかは、憲法学において重要な論点の1つであるが、本稿は、さしあたり、本件判決の結論については妥当なものだと考えている51

しかしながら、地位確認は、認められるべき、あるいは、認められる余地があるとする学説も有力である52

たとえば、本件判決に対して、地位確認の訴えを認める余地があるとする学説として、次のようなものがある。すなわち、「第1に、一部違憲の可否は総合考慮よりに決せられ、複数の立法政策の選択肢の可能性はその一要素にとどまるし……そもそも合憲性審査局面では本件制約は審査制度の仕組みの問題とは捉えられてはおらず立法裁量は限定されている。……第2に、……救済の必要性が高いのであれば、在外審査実施の財源確保の見通しがある限り、憲法上の救済の一環としてなされる創造的な『救済としての合憲解釈』を選択しうる」とするものである53

しかしながら、「在外審査実施の財源確保の見通しがある限り」という財政上の観点については、逆にいえば、財政上の観点で救済の是非が決まることは、法的安定性から問題であるという批判もあり得よう。

地位確認の訴えを認めるべきだとする学説、あるいは、認める余地があるとする学説は、いずれも傾聴に値するものであり、それらの学説を上告審である最高裁がどのように扱うのか注目したい54

2)違法確認の訴えの適法性について

そして、本件判決では、「本件違法確認の訴えは、救済を図るために他に適切な方法がなく、即時確定の利益もある」として、確認の利益を認め、「公法上の法律関係に関する確認の訴えとして適法である」としたうえで、本件請求を認容した55

ここでは、次の3点を指摘しておきたい。

第1に、第一審判決は、「いわゆる無名抗告訴訟として提起しているものと解される」としていたが、本件判決は、公法上の当事者訴訟とした点は、注目できよう。本件違法確認の訴えは、「行政処分の予防を目的とするものではないから、公法上の当事者訴訟に当たる」56

第2に、本件判決は、「立法不作為による権利制限の違法確認訴訟の適法性を肯定し、請求を認容するという、裁判例上おそらく初めての、画期的な判断を示した」と高い評価がなされている57。なかでも、「国民審査権は、選挙権と同様、その権利を行使することができなければ意味がないものといわざるを得ず、侵害を受けた後に争うことによっては権利行使の実質を回復することができない性質」であるとしたこと、そして、「即時確定の利益」を認めている点は高く評価すべきであろう。

ところで、確認の利益とは、「公法上の当事者訴訟としての確認訴訟における確認の利益は、民事訴訟の議論を借用し、①即時確定の利益(紛争の現実性・成熟性)の成否、②確認訴訟によることの適否(確認訴訟の補充性)、③確認対象の選択の適否の観点から検討するのが通例」58と説明されるところ、「①即時確定の利益(紛争の現実性・成熟性)」に関して、本件判決では明確な基準は示されていない。このような明確な基準がないなかで、今後、違法確認の訴えが積極的に認められることで、濫訴等の可能性も指摘されるかもしれない。しかしながら、すでに学説では、当該基準が提唱されている59。したがって、上告審である最高裁等で、今後、即時確定の利益にかかる基準が設定されることが期待されるところであろう。

そして、第3に、公法上の当事者訴訟の活用可能性についてである。

中川丈久は、平成17年大法廷判決が「法律の違憲無効を争う方法として、次回の選挙で投票することができる地位の確認の訴えを適法とした(2005年)のを皮切りに、様々な場面で当事者訴訟を活用している」等、最高裁の行政訴訟の扱いの変化を指摘していた60。本件判決は、東京高裁による控訴審判決ではあるが、公法上の当事者訴訟としての違法確認の訴えを適法とし、さらに請求を認容しており、中川が指摘していた行政訴訟の扱いの変化の傾向に沿うものと位置づけることができるのではないだろうか。

かつては、「『行政訴訟は門前払いが原則』などと揶揄されていた頃」もあったが61、本件判決も含めた(裁)判例の変化を踏まえれば、今後、公法上の当事者訴訟の活用の可能性がより一層広がることを期待できるものと思われる62

3)国家賠償請求の判断枠組みについて

さて、本件判決は、在外国民に対する選挙権の行使制限にかかる平成17年大法廷判決とは事案を異にするとして、また、平成23年東京地裁判決は、在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性について、重大な疑義があるものの、憲法に違反するものとまではいえないとされたことから、違憲性につき明白でないなどとして、国家賠償請求を認めなかった。一方で、第一審判決では、平成17年大法廷判決及び平成23年東京地裁判決を踏まえて国家賠償請求を認めている。

本件判決の国家賠償請求における結論は妥当と思われるが、ここでは、国家賠償請求にかかる判断枠組みについて、次の2点を指摘しておきたい。

第1に、本件判決は、国家賠償法上の違法要件につき、「法律の規定が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制約するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などにおいては、国会議員の立法過程における行動が上記職務上の法的義務に違反したものとして、例外的に、その立法不作為は、国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けることがあるというべきである」としており、平成27年大法廷判決63の判断枠組みを採用している。曽我部真裕は、当該違法要件につき、在宅投票制度廃止事件判決(昭和60年最高裁判決)64による違法要件から、平成17年大法廷判決において「違法要件緩和」がなされ、平成27年大法廷判決において「定式化」がなされており、発展可能性もありつつも基本的には当該定式化が用いられることになるだろうとしていた65。本件判決も曽我部のいう「定式化」に沿うものと思われる。

第2に、第一審判決は、「平成17年大法廷判決は、平成8年10月20日に施行された衆議院議員の総選挙当時、公職選挙法が、在外国民が国政選挙において投票するのを全く認めていなかったことは、憲法15条1項及び3項、43条1項並びに44条ただし書に違反する旨判示したのであるから、国会としては、同判決が言い渡された平成17年9月14日の時点において、在外国民に対し、……国民審査権を行使するのを認めていないことについて、技術上の問題を解消する方法……を見いだし得る状況にあったことを併せ考えれば、憲法に違反するに至っていたものといえることについて、十分に認識し得たものというべきである」とし、「平成23年東京地裁判決は、……少なくとも当該事案で問題とされた国民審査が行われた平成21年8月30日の時点において在外国民が審査権を行使することができないことの憲法適合性につき『重大な疑義があった』旨判示している(なお、同判決は、……同日の時点以前に憲法の規定に適合しない状態に至っていたことを実質的に含意するものと理解される。)。……遅くとも同判決が言い渡された平成23年4月26日の時点においては、在外審査制度を創設しないことが憲法に違反するに至っていたことは明白となっていたものということができる」としていた。そして、「平成23年東京地裁判決が、平成21年8月30日時点で在外審査制度の創設に係る立法措置を執らないという不作為によって在外国民が国民審査権を行使することができないという事態を生じさせていたことの憲法適合性について、重大な疑義がある旨判示した上に、その後平成24年にも、日本弁護士連合会が衆議院及び参議院の各議長等に対し、在外審査制度の創設を勧告したことがあったにもかかわらず、国会において、在外審査制度の創設について何らの措置も執らないまま、平成23年東京地裁判決から約6年半、平成17年大法廷判決からは約12年もの期間が経過する状況の下で、前回国民審査を迎えたことから、原告らが国民審査権を行使することができない事態に至っているところ、そのことについて正当な理由があることはうかがわれない。そうすると、このような長期間にわたる立法不作為は、……例外的な場合に当たり、国家賠償法1条1項の適用上違法の評価を受けるというべき」としていた。

第一審判決におけるこの点について、大石和彦は、平成17年大法廷判決及び平成27年大法廷判決が「共通して言及する、(国会にとって)『明白』という要件があるが、これまで在外審査制度不存在問題が国会で審議されたのが、委員会レベルでの1例を数えるのみであり、両院議長に対する日弁連の勧告にしても、これらをもって国会議員(国会という組織)全体にとって違憲問題が明白になったとは言いがたいのではないか」と指摘しており、また、平成17年大法廷判決にしても、「公選法を対象とした判断であって、国民審査法について直接判断した部分は無い」とし、平成23年東京地裁判決は、「端的な違憲判断ではなく、その『重大な疑義』の指摘に過ぎない。本件判決〔第一審判決〕は、在外審査制度創設の提案が国会に対しなされたことがない中、上記経緯を寄せ集めて(強引に)国会という組織全体にとって違憲問題が『明白』となった後も、なんら措置もとられないまま長期が徒過したため国賠違法と断じたが、この点については異論もあり得よう」と述べていた(〔〕内は筆者による)66

本件判決は、平成17年大法廷判決は、「在外選挙制度を設けていない公職選挙法等の合憲性について判示するものであり、在外審査制度の当否について直接判示するものではなかった。……したがって、同判決があるからといって、直ちに在外審査を認めないことの違憲性が明白になったとはいえない。……平成23年東京地裁判決は、……結論としては、憲法に違反するものとまではいえないと判示し、在外国民らの訴えを一部却下し、その余の請求をいずれも棄却したものであるから、……国民審査法の違憲性が明白になったものともいえない。……内閣から在外国民審査に関する法案が提出されたり、国会において在外国民審査について議論されたりしたような形跡もない。……平成29年国民審査の時点で、国会において、在外審査を認めていない国民審査法の違憲性が明白になったものということはできない」と判示している。こうした本件判決が国家賠償請求を認めなかったロジックは、大石の指摘が妥当するように思われる。

4.国民審査権行使の活性化

以上、検討してきたように、本件判決においては、国民審査権の憲法上の保障の程度について、検討の余地があるところではあるが、国民審査権が選挙権に比肩するほど重要な権利であることが確認された。

本稿は、国民審査権の保障にあたって、厳格な審査基準を用いるとする本件判決のロジックには疑義を呈するものであるが、厳格な審査基準を用いることそのものには、反対の立場ではない。

ところで、現実には、国民審査権行使にあたって、国民の判断材料が少な過ぎるといった問題があるなど67、国民審査の形骸化が指摘されている68。さらには、廃止論も主張されている69

しかしながら、国民審査権が選挙権に比肩するほどに重要な権利だとするならば、安易に廃止に向かうべきではなく、その形骸化の指摘を踏まえつつ、むしろ、その権利行使の活性化を考えるべきであり、また、そのことが不可欠といえるのではないだろうか。すなわち、本件判決が指摘しているように、「通信手段が地球規模で目覚ましく発展を遂げている状況において、在外国民に審査公報の配布による周知と同程度の情報伝達が不可能であるとはいえない」状況下において、今後、国民審査権行使の判断材料の少なさや形骸化を改善するとことが、より一層求められなければならず、国民審査権行使の活性化を図るための対策も積極的に検討すべき課題となるものと思われる70

国民審査権行使の活性化を図るための対策は、様々な学説があるところだが、ここでは次の2点を提案しておきたい。

第1に、国民審査権行使のための判断材料としての裁判例公開の推進である。

国民審査において、最高裁判所裁判官を審査するに当たっての判断材料として、当該最高裁判所裁判官の下した裁判例をあげることができよう。この点、かつて、久保利英明は、次のように指摘していた。すなわち、「国民審査とは、司法への国民参加であり、最高裁裁判官への不信任投票である。投票行動である以上、事前情報として裁判官ごとにいかなる判決を下したのかが公開されなければならない。ところが、国民審査公報には問題判決が掲記されているわけでもなく、メディアも積極的に問題判決に誰が関与したのかを報道することもなかった」71。このように、国民審査権行使の判断材料としては、裁判例が有用であるところ、現在でも、その情報提供は十分ではない。

実際、日本においては、裁判例の公開件数が少ないとの指摘も多い。裁判には様々な種類が存在するため、正確な公開件数を算出し、一概に比較することは難しいが、司法統計によると、令和元年度の最高裁判所で扱った民事・行政事件における上告審訴訟既済事件、特別抗告及び許可抗告既済事件の判決及び決定の合計は、5,859件であった72。これに対して、裁判所HPに公開された最高裁判所の裁判例の民事・行政事件の件数は、わずか34件であった73。このように現実の既済事件に比して、実際に公開されている裁判例は非常に少ないことがわかる。

また、現在、裁判例の公開を増加させる動きとして、官民による民事判決のオープンデータ化(本件オープンデータ化)が推進されている74。具体的には、日弁連法務研究財団の下に「民事判決のオープンデータ化検討プロジェクトチーム」が立ち上げられ、弁護士、法学研究者、情報解析の専門家、関係省庁などの参集を得て、2020年3月27日より会合が開催されている75。民事判決のオープンデータ化検討プロジェクトは、「民事裁判手続のIT 化に伴って、民事判決情報の活用拡充のニーズ・活用可能性が高まっていることを踏まえ、民事判決データの管理及び利活用に当たり検討すべき課題・対応策について、幅広い観点から、実務的協議を行うことを目的としている」76

現在、「民事訴訟事件の判決文を含む訴訟記録は原則として誰でも閲覧請求可能であるものの……、実際に閲覧するには、事件を特定した上で裁判所の記録閲覧室に赴く必要がある」77。また、上記のように裁判所HP での公開件数が非常に少ない状況下において、本件オープンデータ化の推進により、民事判決の一層の活用が期待できよう。具体的には、ビッグデータの集積・分析による①リサーチ支援や②判決予測システムが指摘されている78

また、憲法82条の裁判の公開の観点からは、「憲法学では憲法82条の公開原則は訴訟記録の一般公開までをも要求するものではないとされているが、判決書については、憲法82条により判決の言渡しは必ず公開法廷でなされ、判決書の公開も同条の要求するところと解されている」と説明がなされている79

そして、本件オープンデータ化による民事判決の公開件数について、町村泰貴は、「法の解釈適用例としてアクセスを可能にし、さらに二次利用による関連産業の発展につなげるというオープンデータ戦略を踏まえるならば、現在の公開割合とは次元の異なる量のデータを公開すべきである」と主張している80。一方で、「プライバシーや営業秘密の保護のために一部の秘匿措置を施したり、利用者の属性に応じて匿名化や公開範囲の限定を行うなどの工夫が必要」とも指摘している81

そもそも、裁判例の公開件数を増加させる目的としては、実際の裁判、予防法務、研究のための資料として活用するため、などが考えられる。さらに、本件オープンデータ化の推進がなされれば、「①リサーチ支援や②判決予測システムの推進」、「裁判の公開」、「法の解釈適用例としてアクセスを可能にし、さらに二次利用による関連産業の発展につなげる」といった目的に資することになろう。このような目的に加えて、国民審査権の重要性及び国民審査権行使の活性化を図るという観点からも、本件オープンデータ化を推進する必要があろう。つまり、本件判決により国民審査権は選挙権に比肩するほどの重要な権利として確認され、在外国民が国民審査権を行使できないことは違憲と判断されたのであり、国民審査権行使の活性化をより一層図るために、裁判例におけるプライバシーや営業秘密等に十分配慮しつつ、国民審査権行使の判断材料として、本件オープンデータ化を推進していくべきと思われる。

また、国民審査権行使の判断材料としては、「最高裁判所」における裁判例のみで良いとの見解もあり得るかもしれない。しかしながら、当該裁判官が過去に下した下級裁判所における裁判例、あるいは、当該裁判官の下した全ての裁判例が、引用した、または、引用された裁判例、さらには、それら全てに関連する裁判例も参考になるであろう。

第2に、国民審査の周知に際する国民審査公報の質向上である。

国民審査が行われる際には、審査に付される裁判官の氏名、生年月日、経歴、最高裁判所において関与した主要な裁判その他審査に関し参考となるべき事項を掲載した国民審査公報が発行される(国民審査法53条、国民審査法施行令23条)。審査に付される裁判官は、国民審査公報の掲載文を審査の告示の日に中央選挙管理会に提出しなければならない(同令24条)。国民審査公報は、審査ごとに一回、都道府県の選挙管理委員会が発行し(同法53条、同令22条)、市町村の選挙管理委員会が、当該市町村における選挙人名簿に登録された者の属する各世帯に対して、審査の期日前二日までに、配布している(同令28条)。

当該国民審査公報は、国民審査権行使の判断材料になるが、上記のようにその判断材料が少ないとの批判がある。そのため、当該国民審査公報においても、国民審査権行使のための判断材料を増加させるべきと考えるが、一方で、判断材料を多くするだけでは効果が期待できない場合もあり、その質の向上も必要となろう。実際、このような国民審査公報に対して、記載内容が分かりにくいなどの批判がある82

また、本件判決は、国民審査について「最高裁判所の裁判官について、定期的に解職の可否という形で任命についての審査をする機会を付与することによって、その民主的統制を図ろうとしたものと理解できる」としている。このように、国民審査が、最高裁判所の裁判官に対する「内閣」の任命についての審査をする機会を付与することで、民主的統制を図るものであるならば、「内閣」は、国民審査権行使のための十分な情報提供を行う必要があるといえよう。そのためには、国民審査公報における内容が十分とはいえないとの批判がある中で、行政機関の情報発信のあり方を見直し、少なくとも国民審査公報の質を向上させることが必要であろう。

このような行政機関の情報の質を担保するシステムとしては、アメリカ合衆国のInformation Quality Act(IQA)が参考になるものと思われる83。IQA は、ウェブサイト、レポートなどにおいて、連邦行政機関が普及させる情報について一定の品質基準を満たすことを要求する法律であり84、「①行政機関が普及させる情報の品質、客観性、有用性そして完全性を確実なものにし、かつ、最大化すること、②利害関係人が、情報の訂正を求めることができ、かつ、当該情報の訂正ができる行政メカニズムを設定すること」等を要求するものである85

このようにIQA はアメリカ合衆国の連邦行政機関を対象としているところ、日本においては、国民審査公報は行政機関である中央選挙管理会等が対応するのであり、参考とすべき制度として適切なものと考えられる。

ここで、注目されるのが、情報の有用性を確実なものにしなければならないこと、及び、情報の訂正ができる行政メカニズムがあることである。なお、有用性とは「情報の実用性に関連するもの」とされる86。このようなIQA を参考にした制度を取り入れることにより、行政機関の発信する国民審査公報の内容は、有用でなければならず、最高裁判所裁判官を審査するに足るより質の高い情報を掲載することになる。また、本件オープンデータ化により裁判例がより多く公開されるようになれば、国民審査公報により多くの裁判例を掲載することができ、または、当該裁判例にリンク設定することにより当該公報の内容も充実するであろう。さらに、国民審査公報をHP等に掲載するのであれば、その検索性の向上も必要となる。それらは、その有用性に資することになろう。また、情報訂正メカニズムが設定されることにより利害関係人の訂正要求も可能となり、国民の国民審査への参加向上も期待できるであろう。そのことで、国民審査の形骸化を改善しその権利行使の活性化への一助となるものと思われる。

さて、在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性について、本件判決は、違憲と判断したが、国家賠償請求は、違憲性が明白になったとはいえないとして、違法とはされなかった。今後上告審である最高裁の判断が待たれるところではあるが、本件判決によれば、平成29年国民審査の時点において、憲法に違反するとしており、上告審が本件判決を支持するとすれば、遅くとも当該上告審判決が下された時点で、その違憲性が、明白になったものと考えられる。また、本件判決では、本件違法確認の訴えについて適法性を認め、請求を認容しているところ、「本件違法確認の訴えを認容した判決が確定した場合には、在外国民に国民審査権の行使を可能とする立法措置を執るべきことになるが……、その立法措置の内容については国会が定めるのであるから、国民審査法上規定がない場合において、在外国民において国民審査権を行使できる地位を裁判所が積極的に確認することと異なり、裁判所が立法作用をしたとの批判も当たらない」としている87

こうした本件判決を受けて(そして、近日、下されるであろう最高裁判決を受けて)、今後、もし、国会が在外国民に対する国民審査権に関する法改正を行うのであれば、上記のように、国民審査権行使のための判断材料としての裁判例公開の推進、及び、国民審査の周知に際する国民審査公報の質向上の2点の提案も踏まえた立法措置を期待したい。

5.おわりに

本稿では、以上のように、本件判決の各争点、特に在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性について検討してきた。

最後に、以下では、本件判決の意義及び今後の展望についてまとめておきたい。

まず、在外国民に対する国民審査権の行使制限の憲法適合性について、第一審判決につづき本件判決でも違憲と判断したことは注目に値しよう。一方で、国民審査には、歴史的沿革、意義・法的性格等について独自性がある。この独自性こそが、国民審査権の憲法上の保障の程度を根拠づけるものだと思われる。そして、本件判決が、国民審査権の独自性を必ずしも重視せずに選挙権との類似性(のみ)から保障の程度に差異がないとした点については、今後の検討の必要があるように思われる。

次に、その他の争点に関しては、地位確認の訴えの適法性について、本件判決では、地位確認の訴えの適法性を認めなかった。本稿では、その立場を妥当とするものの、地位確認が認められるべき、あるいは、認められる余地があるとする学説も有力である。そのため、今後の上告審の判断や関連する判例、学説の展開を注視する必要があると思われる。違法確認の訴えの適法性については、公法上の法律関係に関する確認の訴えとして適法とされ、請求が認容された。この点について、本稿は、本件判決を高く評価している。また、このことは、今後の行政訴訟の積極的展開にもつながるものとして、期待できるものと考えている。国家賠償請求の成否について、本稿は、本件判決が、平成27年大法廷判決に関して曽我部が指摘する「定式化」に沿うものと位置づけられるものと考えている。また、国家賠償請求を認めなかった判断枠組みは、大石の考え方が妥当だと思われる。

さて、従来、国民審査権は、選挙権に比べると、必ずしも意識的にその重要性が強調されてこなかったと思われる。しかしながら、上記のように、本件判決は、在外国民に対する国民審査権の行使制限について、第一審判決につづき憲法違反とした。

もちろん、本稿でも指摘しているように、国民審査の性質や選挙権との関係について、なお、検討の余地はある。ただし、本稿は、本件判決のロジックに疑義を持つものではあるものの、在外国民の国民審査権の重要性を否定するものではない。つまり、本稿は、別のロジックから厳格な審査基準を用いることを正当化すべきものと考えている。したがって、今後、上告審である最高裁が、当該事案に即した検討の上で、どのような基準で判断するのか、または、厳格な審査基準を適用するならば、どのようなロジックを採用するのか注視すべきところだと考えている。

国民審査の意義や目的等は、本件判決も指摘しているとおり「司法権の民主的コントロール」にあり、学説においては、「最高裁裁判官のものの考え方ないし意識と民意との『ずれの是正』をすること」、「最高裁判所の地位を国民の意思に近づけること」、「違憲立法審査権をもつ司法権の独裁の抑止」を実現すること、国民が意見を述べる「唯一の貴重な機会」などと説かれている。このように国民審査権は重要なものである。

今後、在外国民の国民審査権に関する最高裁の判断が待たれるところであるが、新井誠は、第一審判決に関わる論文において、「最高裁判決が示されるか否かにかかわらず、在外国民審査制度の創設が進められてよいように感じられる」88と指摘している。

一方で、国民審査権が重要な権利であるにも関わらず、その形骸化が叫ばれて久しい。国民審査権が選挙権に比肩するほどに重要な権利であるならば、当然、その権利行使の活性化も不可欠なものといえるであろう。今後、形骸化を改善することがより一層求められなければならず、国民審査権行使の活性化を図るための対策も積極的に検討すべき課題といえるであろう。その対策として、本稿では、国民審査権行使のための判断材料としての裁判例公開の推進と国民審査の周知に際する国民審査公報の質向上という2点を提案した。今後の立法措置を期待したい。

[追記]

本稿は指導教授の許可を得て掲載している。

Footnotes

1 東京高判令和2年6月25日call4(https://www.call4.jp/file/pdf/202006/2be75071b9add092718465b9780fbf43.pdf)(2021/1/15最終閲覧)、裁判所ウェブサイト、判時2460号37頁。

2 東京地判令和元年5月28日call4(https://www.call4.jp/file/pdf/201905/3ce5a2e895a852a46f4b43ec0bf83658.pdf)(2021/1/15最終閲覧)裁判所ウェブサイト、判時2420号35頁。

3 本件訴訟の背景等については、谷口太規「在外国民審査権違憲判決の来歴――東京地裁2019年5月28日判決」法律時報91巻9号4-6頁参照。

4 詳述すれば、在外国民である一審原告X1、X2、X3 及びX4 が、[1]主位的に、本件地位確認の訴えを、予備的に、本件違法確認の訴えを提起するとともに、[2]国家賠償を求めた事案(第1事件)、並びに一審原告X5 が、上記[2]と同様に国家賠償を求めた事案(第2事件)であり、一審原告X4 は、帰国して

在外国民ではなくなったとして、第1事件[1]の訴えを取り下げている。

なお、「平成29年10月1日の時点における在外国民の総数は、135万1970人であり、第48回総選挙の公示日前日の時点における在外選挙人名簿登録者数は、約10万人であった。また、第48回総選挙における在外投票者数は、約2万1000人であった」(東京高判令和2年6月25日・前掲注1)。外務省によると、平成29年10月現在の在外国民の総数は、統計を始めた1968年以降最多である(日本経済新聞(2019/5/28 11:07)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45349670Y9A520C1CR0000/(2021/1/15最終閲覧))。

5 なお、本件判決に対して、最高裁に上告及び上告受理申立がなされている。

6 最大判平成17年9月14日民集59巻7号2087頁、裁判所ウェブサイト、判時1908号36頁。

7 東京地判平成23年4月26日裁判所ウェブサイト、判時2136号13頁。

8 西川伸一『最高裁裁判官国民審査の実証的研究――「もうひとつの参政権」の復権をめざして――』(五月書房、2012年)29頁。

9 西川・前掲注8、49-51頁。

10 西川・前掲注8、52頁。

11 倉田玲「最高裁判所裁判官の国民審査」長谷部恭男ほか編『憲法判例百選Ⅱ〔第7版〕』(有斐閣、2019年)389頁によれば、「帝国憲法改正案75条が帝国議会の衆議院本会議に上程された当日の担当相の答弁には、……諸州の裁判所ではなく合衆国最高裁がニュー・ディール改革期の社会経済立法を違憲無効と判定して議会と対立した例が引かれ、解消策」が示されたとされる。

12 田中英夫『アメリカの社会と法――印象記的スケッチ――』(東京大学出版会、1972年)279頁。

13 梅川健「2018年中間選挙とアメリカの州裁判官公選・審査制(1)」東京財団政策研究所(2018年)https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=84(2021/1/15最終閲覧)。

14 梅川・前掲注13。

15 田中・前掲注12、279頁。

16 重村博美「アメリカ諸州における裁判官選任方法と裁判官の役割」近畿大学法学65巻2号(2017年)199頁。

17 一審被告準備書面(1)4-10頁参照(Call4(https://www.call4.jp/file/pdf/201911/0e9df66f7aeb1a39cfe2db943c82d027.pdf)(2021/1/15最終閲覧))。

18 高見勝利「最高裁判所裁判官の国民審査制」法学教室262号(2002年)39-40頁。

19 高見・前掲注18、40頁。

20 清宮四郎『憲法Ⅰ〔第3版〕』(有斐閣、1986年)349頁。

21 柏﨑敏義「最高裁判所裁判官の国民審査について」千葉商大論叢34巻3号(1996年)129-130頁。

22 伊藤正己「裁判官弾劾法及び最高裁判所裁判官国民審査法」国家学会雑誌62巻5号(1948年)55頁。

23 柏﨑・前掲注21、130頁。

24 中島茂樹「最高裁判所裁判官の国民審査」大石眞=石川健治編『憲法の争点』(有斐閣、2008年)266頁。

25 宮澤俊義(芦部信喜補訂)『全訂日本国憲法〔第2版〕』(日本評論社、2018年)642頁、最大判昭和27年2月20日民集6巻2号122頁参照。

26 芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法〔第七版〕』(岩波書店、2020年)361-362頁。

27 辻村みよ子『憲法〔第6版〕』(日本評論社、2018年)451頁。

28 最大判昭和27年2月20日民集6巻2号122頁、最二小判昭和40年9月10日裁判集民80号275頁、最三小判昭和47年7月25日裁判集民106号633頁。

29 なお、本件判決が「選挙がいわば事前の任命であるのに対し、解職はいわば事後の任命であるという関係にある」としている点は、国民審査の重要性を強調する趣旨とも思える。

30 芦部信喜『憲法学Ⅰ 憲法総論』(有斐閣、2005年)224-225頁。

31 宮澤・前掲注25、643頁は、「国民審査は、……一般国民の意志による公務員の解職にほかならない。選挙が公務員を積極的に指名する行為だとすれば、解職は公務員を消極的に指名する行為だといえる。その意味で、公務員の選挙に参加する資格について憲法の定めるところは、すべて、国民審査に参加する資格について準用されるべきである」とする。

32 辻村・前掲注27、310頁。

33 芦部・前掲注26、84、270頁。

34 辻村・前掲注27、311頁。

35 最大判昭和30年2月9日刑集9巻2号217頁、裁判所ウェブサイト。

36 最大判昭和51年4月14日民集30巻3号223頁、裁判所ウェブサイト。

37 松本哲治「在外日本国民最高裁判所裁判官国民審査権訴訟」新・判例解説Watch(法学セミナー増刊)10号(2012年)12頁。なお、同稿では、平成23年東京地裁判決について、「選挙権と審査権は同じではない。前者を欠く立憲民主制は想定できないが、後者についてはそうではない。しかし、ある実定憲法においてともに保障されている場合に、本件のような文脈で、後者の重要度が劣るといえるだろうか」としている(同12頁)。

38 なお、山崎友也「在外邦人国民審査権訴訟第1審判決」判時2448号148頁は、平成23年東京地裁判決について、「『国民主権原理や議会制民主主義』を採用している国家において、国民審査制度は必ずしも一般的でないことや、憲法上の審査権と選挙権の『規定ぶりの違い』を根拠として、審査権と選挙権とを区別している。審査権は選挙権ほど強い保障は受けないので、審査権の制約は選挙権の制約ほど厳格な審査は要しないということであろう」と指摘している。そして、第一審判決について、「審査権と選挙権の間に序列を設けず、ともに強い保障を与えたうえで、在外審査制度の不存在の違憲を宣言した」として、平成23年東京地裁判決と第一審判決との違いを指摘している。

39 詳細は、芦部・前掲注26、104-107頁、渋谷秀樹『憲法〔第3版〕』(有斐閣、2017年)710-714頁参照。

40 芦部・前掲注26、105頁。

41 辻村・前掲注27、136頁。

42 横大道聡「違憲審査基準の適用の仕方」曽我部真裕ほか編『憲法論点教室〔第2版〕』(日本評論社、2020年)8頁。

43 横大道・前掲注42、8-9頁。

44 横大道・前掲注42、9頁。

45 尾形健「違憲審査基準論の意味と考え方」曽我部ほか編・前掲注42、4-5頁。

46 尾形・前掲注45、5頁。

47 内野広大「国民審査法が在外国民の審査権行使を制限していることの合憲性」新・判例解説Watch 文献番号z18817009-00-011761928(Web 版2020年9月18日掲載)3頁。

48 内野・前掲注47、3頁。

49 興津征雄「在外国民最高裁判所裁判官国民審査権訴訟意見書――法律上の争訟および一部無効(部分違憲)と合憲拡張解釈について――」神戸法学雑誌69巻4号(2020年)1-37頁。

50 興津・前掲注49、21-22、34-36頁。

51 山崎・前掲注38、146-147、149頁も参照。

52 たとえば、巻美矢紀「在外国民に対する国民審査権行使の制限の合憲性」法学教室483号(2020年)163頁は、「救済の必要性に鑑み、『衆議院議員の選挙権を有する者』は審査権を有するとする立法者の基本的な意思決定(法4条)や趣旨等をふまえ、再考の余地がある」とする。

また、本件判決は、確認の利益を欠くとして訴えを却下しているところ、第一審判決は裁判所法3条1項にいう法律上の争訟にあたらないとして地位確認の訴えを却下している。第一審判決における地位確認の判断についての学説は、興津・前掲注49、1-37頁の他、大石和彦「最高裁判所裁判官国民審査法が在外審査制度を設けていないことの合憲性」新・判例解説Watch 文献番号z18817009-00-011661862(Web 版2020年2月21日掲載)2-3頁、高橋雅人「在外日本人最高裁裁判官国民審査権制限違憲訴訟」令和元年度重要判例解説=ジュリスト臨時増刊1544号(2020年)29頁、渋谷秀樹「在外国民は最高裁判所裁判官国民審査において審査権を行使できるか――2019(令和元)年5月28日東京地方裁判所をめぐって」ジュリスト1538号(2019年)59-62頁参照。

53 内野・前掲注47、3-4頁。

54 杉原則彦「活性化する憲法・行政訴訟の現状」公法研究71号(2009年)204頁

は、「裁判の第一線で多数の事件と日々取り組んでいる者としては、研究者の方々に期待するところが大きい」とし、「優れた学説の果たす役割は大変大きいものである。……優れた学説は、基礎理論を基に体系的な考察がされているものであるから、その考察を敷衍することによって、新しい法律問題を解決する糸口が見つかることが多いからである。正に、学説が判例を作るのは、このような場面においてである」としている。

55 なお、曽我部真裕「立法不作為の違憲審査」法学教室476号(2020年)61頁は、「一般論として、こうした消極的確認判決については、『三権分立の制度下における司法権の役割と守備範囲をめぐる問題が先鋭化するおそれ』という慎重姿勢と、むしろ原則形態(積極的確認は例外)であって、権力分立原理にもよく適合するという肯定的な評価とが交錯している」と解説している(『』内は、杉原則彦・最高裁判所判例解説民事編平成17年度646頁、肯定的評価については、山本隆司『判例から探究する行政法』(有斐閣、2012)495頁)。

56 興津征雄「立法不作為と違法確認訴訟」判例時評(法律時報)(Web 日本評論、2020年)。

57 興津・前掲注56。

58 曽我部・前掲注55、58-59頁。確認の利益の判例の詳細については、村上裕章「公法上の確認訴訟の適法要件――裁判例を手がかりとして」高木光ほか編『阿部泰隆先生古稀記念行政法学の未来に向けて』(有斐閣、2012年)733-752頁参照。

59 中川丈久「行政訴訟としての「確認訴訟」の可能性――改正行政事件訴訟法の理論的インパクト――」民商法雑誌130巻6号(2004年)978頁は、紛争の成熟性という点から、「(ア)行政機関が原告の法的地位を否認する見解を、暫定的でなく最終的なものとして示し(たとえば通達の形で)、またはそれとは同視すべき事情により、原告の法的地位に不安が生じていること、(イ)原告・被告間の紛争にかかる裁判審理における争点が明確になっていること、(ウ)その紛争について、今裁判審理をするよりも行政過程を進ませることでむしろ紛争解決の可能性が残されているという事情がないこと、(エ)このタイミングでの裁判が認められないと、原告が実効的な裁判的救済を受けられなくなること」という4点を総合して判定する、としている。

興津征雄「憲法訴訟としての公法上の当事者訴訟(確認訴訟)」曽我部ほか編・前掲注42、188、190頁は、即時確定の利益の要件を「①原告の地位・権利に対する危険や不安がどういう場合に存在するか、および、②それはどの程度現実的・具体的でなければならないかという2つの観点から分析することができる」とし、後者の基準として、「①原告の行動を規制する被告の見解が職務命令や行政指導などにより確定的に示されているか。②これに違反すると一定の不利益を受けるおそれがあることが、法令の仕組みや過去の経緯、被告の見解などに照らしていえるか。③当該不利益を待ってから争うのでは実効的な権利保護が得られないか。」を総合的に考慮する、としている。

60 中川丈久「行政訴訟と最高裁の変化」先物・証券取引被害研究46号(2016年) 1 頁。同稿では、最高裁において、①行政処分の相手方ではない第三者にも取消訴訟の原告適格を認めるロジックを登場させ、定着させたこと、②本案審理の活性化が目立ち、裁量濫用が認定されるようになったこと、③行政事件訴訟法が改正され、その改正行訴法で活用を促された当事者訴訟(行政訴訟のもう一つの類型)を非常に積極的に利用していること、を指摘・解説している(同1頁)。なお、同「行政事件訴訟法の改正――行政と司法の関係は変化するか?――」都市問題研究58巻4号(2006年)120-121頁は、平成17年大法廷判決は、「当事者訴訟を利用して直接に法律の違憲性を確認することを認めた」が、「旧行政事件訴訟法のもとでも十分同じ結果がでたはずの事案であったことには注意しておく必要がある」と指摘しており、さらに「当事者訴訟の活用は、実は最高裁自身がこれまで時々行ってきたことであった……が、あまり注目されていなかった。在外邦人選挙権訴訟〔平成17年大法廷判決〕は、その意味では驚くべきことではなかった」と指摘している(〔〕内は筆者による)。

61 中川・前掲注60、1頁。

62 公法上の当事者訴訟(確認訴訟)の詳細は、春日修『当事者訴訟の機能と展開――その歴史と行訴法改正以降の利用場面――』(晃洋書房、2017年)、中川丈久「抗告訴訟と当事者訴訟の概念小史――学説史の素描」行政法研究9号(2015年)1-50頁、同「行政訴訟の基本構造(一)(二・完)――抗告訴訟と当事者訴訟の同義性について――」民商法雑誌150巻1号(2014年)1-62頁、150巻2号(2014年)171-208頁、同・前掲注59、963-1017頁参照。

63 最大判平成27年12月16日民集69巻8号2427頁、裁判所ウェブサイト。

64 最判昭和60年11月21日民集39巻7号1512頁、裁判所ウェブサイト。

65 曽我部・前掲注55、57-58頁。

なお、昭和60年最高裁判決の判断枠組みは次のとおりである。すなわち、「個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものではないというべきであつて、国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けないものといわなければならない。」

そして、平成17年大法廷判決の判断枠組みは、次のとおりである。すなわち、「立法の内容又は立法不作為が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合や、国民に憲法上保障されている権利行使の機会を確保するために所要の立法措置を執ることが必要不可欠であり、それが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってこれを怠る場合などには、例外的に、国会議員の立法行為又は立法不作為は、国家賠償法1条1項の規定の適用上、違法の評価を受けるものというべきである。」

66 大石・前掲注52、4頁。

67 西川・前掲注8、26-27頁、久保利英明「テスティモニー一人一票原理と最高裁裁判所最高裁判所裁判官国民審査の結果を見て」The Lawyers6巻11号(2009年)63頁、米倉洋子「司法をめぐる動き(32)透明で民主的な最高裁裁判官の任命手続を――第二四回最高裁裁判官国民審査を終えて」法と民主主義523号(2017年)47頁。

68 西川・前掲注8、185頁。また、国民審査は、平成29年(2017年)国民審査で24回目であり、本件国民審査も含めて、これまでに一度も罷免された例はなく、さらに、平成29年国民審査における罷免要求率は、いずれの裁判官も10%未満であり、過去最高の罷免要求率は、第9回国民審査(1972年)の15.17%(下田武三裁判官)にとどまる(最高裁判所裁判官国民審査の結果(https://www.soumu.go.jp/senkyo/kokuminshinsa/kekka.html)(2021/1/15最終閲覧)、平成29年10月22日執行衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査速報資料(https://www.soumu.go.jp/senkyo/48sansokuhou/)(2021/1/15最終閲覧)、西川・前掲注8、237-247頁)。

69 芦部・前掲注26、362頁参照。実際、新憲法起草委員会の司法に関する小委員会は、2005年3月14日、起草委に国民審査廃止にかかる報告書を出している(井芹浩文「資料版憲法改正案(7)司法――憲法裁判所新設と国民審査見直しが焦点――」法令解説資料総覧296号(2006年)12頁)。

70 笹田栄司「在外国民の最高裁判所裁判官国民審査権」法学教室469号(2019年)135頁は、第一審判決に対して、第一審判決は、「国民審査を司法の『民主的統制』に結びつけている。このこと自体は適切であるが、国民審査の現状からは民主的統制の『実質』が問題になる」と指摘する。

71 久保利・前掲注67、63頁。

72 裁判所HP 司法統計(https://www.courts.go.jp/app/sihotokei_jp/search)(2021/1/15最終閲覧)。但し、当該司法統計において、「判決」及び「決定」の項目についてカウントしている。

73 裁判所HP(https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/search1)より検索し、カウントしている(2021年1月15日現在)。

74 町村泰貴「民事判決オープンデータ化の期待と展望」NBL1172号(2020年)28-30頁、大坪和敏「民事判決オープンデータ化プロジェクトの始動」ジュリスト1546号(2020年)62-63頁、増田雅史ほか「民事判決オープンデータ化に関する取組みと判決データの利活用の可能性~各国の状況と日本における現状と展望~」NBL1183号(2020年)44-50頁参照。

75 町村・前掲注74、28頁。

76 大坪・前掲注74、63頁。

77 増田ほか・前掲注74、48頁。

78 増田ほか・前掲注74、49-50頁。

79 大坪・前掲注74、63頁。

80 町村・前掲注74、30頁。

81 町村・前掲注74、30頁。

82 西川・前掲注8、168-178頁。

83 IQA に関しては、宇賀克也『情報公開と公文書管理』(有斐閣、2010年)321-323頁、同『情報公開法――アメリカの制度と運用――』(日本評論社、2009年)20-22頁、拙稿「Information Quality Act から考察する情報発信者としての自治体――パブリック・コメントの質的向上のために――」小林直三ほか編『地域に関する法的研究』(新日本法規出版、2015年)62-88頁、壬生裕子「行政が活用する情報の質の向上に関する検討――Information Quality Act とそれに関わる取り組みを材料として――」同志社政策科学研究20周年記念特集号(2016年)75-82頁参照。

84 拙稿・前掲注83、79頁。

85 拙稿・前掲注83、73 頁。§515 of the Treasury and General Government Appropriations Act for Fiscal Year 2001, Pub. L. No. 106-554, H. R. 5658 (2000)(codified at note to 44 U.S.C. § 3516).

86 拙稿・前掲注83、75頁。Guidelines for Ensuring and Maximizing the Quality,Objectivity, Utility and Integrity of Information Disseminated by Federal Agencies, 67 Fed. Reg. 8452 (Feb. 22, 2002) at 8459.

87 なお、確認判決の拘束力の学説については、南博方ほか編『条解行政事件訴訟法〔第4版〕』(弘文堂、2014年)698頁[興津征雄]参照。

88 新井誠「在外国民による最高裁判所裁判官国民審査権の行使を認めていないことの合憲性――東京地裁令和元年5月28日判決の検討――」広島法科大学院論集16号(2020年)282頁。

 
© 2022 本論文著者
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