法学ジャーナル
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論説
1870年5月13日北ドイツ連邦二重課税排除法第3条における「営業の実施」概念の検討
加野 裕幸
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2022 年 2022 巻 100 号 p. 131-150

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  • 目次
  • はじめに
  • 第1章 北ドイツ連邦二重課税排除法における「営業の実施」概念
  • 第2章 固定した営業(stehenden Gewerbes)の問題点
  • 第3章 ブレーメンにおける「営業の実施」(Betrieb eines Gewerbes)の判定の1885年判例
  • おわりに

はじめに

現在の国際課税において、恒久的施設(perman entestablishment)概念はキーコンセプトとなっている。わが国ではこれに相当する概念は明治32(1899)年所得税法(法律第17号)まで遡ると考えることができる1。さらに、営業場を課税の要件として明記されたのは国税としての明治29(1896)年営業税法(法律第33号)である2。恒久的施設概念に相当する当時の条文は営業税法では「営業場」、所得税法では「営業」と規定されるのみであった。本稿は、「営業場」及び「営業」の概念がどこからきたのかを研究しようとするものである。明治42(1909)年に関口健一郎は、わが国の所得税法の「営業」は、ドイツの所得税法から来ていると述べている3。また汐見三郎は、わが国の営業税法はフランスやプロイセンから来ていると述べている4。本稿では19世紀のドイツにおける所得税法や営業税法にわが国の「営業場」や「営業」の源があると考える立場である。さらに、明治32(1899)年所得税法の帝国議会の審議において、若槻礼次郎は、所得税法第5条第6項の国外源泉所得の解説において「営業」とは支店に、「立派ニ据エ付ツケタモノデ無ケレバ課税セヌ」5と説明しとしている。ドイツの税法の概念から来ているものと考える。その意味において本稿では、19世紀のドイツを中心に、北ドイツ連邦及びドイツ帝国における二重課税排除法の「固定した営業」概念について研究しようとするものである。

先行研究として、国内の研究では次の研究がある。吉村典久は、恒久的施設概念がプロイセンで誕生したとして19世紀を中心に分析を行っているいる6。その分析では、Skaar の文献を引用し次のように述べている。「1864年東部プロイセンのモデル市町村規則1条“stehende Gewerbe”(恒久的営業)の場合、その所有者が他の市町村に居住していても当該市町村において課税されることを示すもので恒久的施設概念の嚆矢をなすと評価できよう」としている7。そして、Skaar は、恒久的施設の概念について1845年にプロイセンの営業条例(the Industrial Code of Prussia)において出現し北ドイツ連邦の営業令で用いられていたBestriebsstätte という用語がドイツ帝国の営業令に採用された。そして国際連盟での議論を通じてブレイクスルーし現在の恒久的施設概念になったと説明している8。Skaar が示しているその歴史的な恒久的施設概念の説明は次のとおりである9。すなわち、北ドイツ連邦二重課税排除法(Bundesgesetzblatt des Norddeutschen Bundes 1870, 119)に「不動産及び営業の実施ならびにこれらの源泉から生じる所得は、当該不動産が存在するか又は営業が営まれている連邦構成国においてのみ課税される」(3条)と規定し、少なくとも法文上からはプロイセンの狭い源泉地課税とは異なる比較的広い源泉地課税を認めていた10。そして当時の恒久的施設ついて「出典は乏しいが、後の展開を踏まえれば、歴史上この時点での用語は、特定の場所に物理的に位置するのではなく、都市のような地域内での永続性と場所を必要としたと考える11のが妥当であろう。」としている12

そして、その論拠となる部分についてSkaar が参照しているKolck の文献では、その時代の恒久的施設概念について次のような分析がある。「1869年プロイセン・ザクセン租税協定2条13において“stehende Gewerbe” 固定した営業の具体例としてgewerbliches oder Handels -Anlangen”(事業施設)の存在が必要とされ(Gesetzsammlung für die Königlich- Preußischen Staaten (1870) S142)、従前の規定と比較して源泉地課税の範囲がより限定されるようになった」14としている。営業に対する二重課税排除を目的としてプロイセン・ザクセン租税協定では、物的施設を必要と明確にしているのに対して、ドイツ二重課税排除法では、営業を課税対象として営業が行われる連邦構成国においてのみ課税されるとしている。

本研究では、ドイツにおいてどのような過程を経て1869年北ドイツ連邦営業令のBetriebsstätte 固定した営業(Stehnde Gewerbes)が変化していったのかその過程を観察している。本稿では1870年ドイツ二重課税排除法における「営業の実施」(Betrieb eines Gewerbes)の概念について当時の立法趣旨や判例及び学説から、変化の過程について一部分を明らかにしようとするものである。

第1章 北ドイツ連邦二重課税排除法における「営業の実施」概念

プロイセンにおける営業税法は19世紀はじめ、所得税法は19世紀中ごろに制定された15。その後に二重課税が問題となり北ドイツ連邦二重課税排除法が制定されたのではないかと推測できる。本章では、北ドイツ連邦二重課税排除法について概観する。なお、北ドイツ連邦二重課税排除法における「営業の実施」は、営業税法及び所得税法を含むものである16

第1節 1870年北ドイツ連邦二重課税排除法の条文

北ドイツ連邦二重課税排除法の条文について、ここで確認することとする。北ドイツ連邦二重課税排除法は、全部で5条からなる連邦法である。ここでは「営業」に関係する第1条と第3条のみ訳している。本稿では、この第3条の条文解釈を中心に営業の意味について、立法趣旨、判例と学説の確認を行う。

Drucksachen zu den Verhandlungen des Bundesrathes des Norddeutschen Bundes / 1870, Bd. 1 = Nr. 17 Berlin, 1870

第1条北ドイツ国民は、3条及び4条の規定の定めるところにより、直接国税についてその住所を有している連邦構成国においてのみ賦課徴収される。

北ドイツ国民は、この法律での意味における住所をそのような人物の継続する住居を保持という意図を有している一定の条件の場所に住所を有するものとする。

第2条省略

第3条不動産及び営業の実施(Betrieb eines Gewerbes)ならびにこれらの源泉から生じる所得は、当該不動産が存在するかまたは営業が営まれている連邦構成国によってのみ課税が許される。

条文は、第1条で居住地国課税の原則が定められ、第3条において不動産からの所得と営業からの所得については源泉地国課税で二重課税を排除しようとする仕組みであることが窺える。つまり住所17をきっかけとした第1条の例外として営業に着目した第3条を規定している。

第2節 1870年北ドイツ連邦二重課税排除法立法趣旨

第1項 立法の背景

1870年北ドイツ連邦二重課税排除法の立法趣旨の説明において、制定の背景について、次のように説明がある18

北ドイツ連邦二重課税防止法の立法趣旨について、すべての連邦構成国での課税は、最終的に外国人がその国に所在する不動産及びそこで行われる営業から受ける所得が対象となる。

それぞれの連邦構成国の租税法の立法者の相互作用により、これらの原則を適用することにより、いくつかの二重課税が相次いで発生した。その二重課税は連邦領域内で負担をもたらし重荷になるような二重課税となっている。1867年11月1日の人の移転の自由に関する法律により、滞在と定住を許され、1869年6月21日の北ドイツ連邦の営業条例(Gewerbeordnung)によって連邦構成国の領土内で事業を行うことについての権利が基本的に拡張された後には、これらの原則を完全に実現するための障害となっている現に存在している二重課税を排除することが必要であり、連邦国の憲法と立法によって2つの自由を機能させることができる。ここでいう移動の自由と栄養の自由を指していると思われる。今回の草案では、一つ一つの国家の課税権を制限し、同一対象物の多重課税を可能な限り排除することで、この目的を達成しようとしている。以上が制定の背景についての説明である。

第2項 第3条の立法趣旨

第3条は、第1条に対する例外が規定されており、源泉地国課税を優先する原則となっている。立法趣旨での解説は次のようになっている19

不動産及びあらゆる種類の営業の実施(Betrieb eines Gewebes)は、すでに直接税(不動産税及び営業税)に関しては、その不動産が所在し及び営業が行われている国においてのみ結び付けられ課税される。

これらの源泉から流出する所得については、話は別である。ほとんどの連邦構成国の立法によれば、これらの所得源泉が存在する国においても課税出来るし、不動産の所得又は営業の所得が総額で課税される国も課税権が留保される。さらに、人的なつながりにより課税される場合もある。この種類の所得のために課税の権限がこれらの国の一つにだけ割り当てられるべきであるならば、その国の保護にある所得の源泉が存在する国が当然優先される。

第3項 第3条における「営業の実施」の意味

立法過程において第3条の「営業の実施」(Betrieb eines Gewerbes)の説明について、ライヒスタークにおけるヴァイケル議員の発言によれば次の通りである20。第3条は、営業税法及び所得税法の営業は、それぞれに北ドイツ連邦の営業条例第14条に規定されているように立派な固定した営業の実施(feines stehenden Gewerbebetriebs)が所在する連邦構成国においてのみ課税されるべきとしている21

北ドイツ連邦営業令第14条における固定した営業(stehenden Gewerbes)について解説書では次の通りである22。営業の実施(Gewerbebetriebes)は、それぞれ自己の計算において自己の責任で運営されている場合に限り、独立しているとみなされる23。そして通常の賃金労働と肉体労働及びいわゆる女性の労働(sogant Arbite)は、それらが一般向け販売場(offenerVerkaufs oder)または営業場(Betriebsstätte)での営業が行われていない限り独立した営業の実施(selbständiger Gewerbebetrieb)とみなされない(Nr. 203, R. A. d. B.R. S. 52.)それゆえ営業条例第14条の届出義務に服さないとしている24

小括

第1条及び第3条の関係によって営業による所得に対する二重課税を排除する仕組みが作られていた。北ドイツ連邦二重課税排除法では、第1条の居住地国課税が原則であり、二重課税を排除するために第3条においてその例外を示していることが分かった。立派な固定した営業がある場合にのみ課税される。営業を行っている国の認識として営業を狭くしている。第3条の営業という文言は1869年6月21日の北ドイツ連邦営業条例を用いて説明されている点から考えると、北ドイツ連邦二重課税排除法の「固定した営業」の概念は、営業条例に現れる「営業」と同一の意味で考えるべきではないだろうか。この段階では営業を認識する為の基準を高めに設定していると考えられ、一般向け販売場・営業場が重要な基準となっていた。さらに、「立派な固定した営業の実施」は、若槻礼次郎の「立派ニ据エ付ケタルモノ」という説明に符合する。

第2章 固定した営業(stehenden Gewerbes)の問題点

1870年に二重課税排除法が制定されたのちに、「営業の実施」概念について、どのような変化があったのか1885年頃まで概観する。営業が複数の連邦構成国にまたがって行われている場合、どのような問題が生じていたのかを観察する。

第1節 複数の連邦構成国にまたがる「営業の実施」を行う場合の問題点

Clauss は、次の疑問点を示している25。本店以外の場所での固定した営業(stehenden Gewerbes)の実行は、少なくとも支店の設置を前提としたものではないか、また、営業施設を設置せずに他の場所で一時的にのみ行われる営業活動は、少なくとも主たる事務所の場所での事業に属するものとはみなされず、他の場所では課税されないのか、と言う問題であった。1869年4月16日プロイセン・ザクセン条約によれば、その条約は、「営業及び商業取引の為の施設における固定した営業の実施(Betriebe eines stehenden Gewerbes)に対する課税」についてのみ実質的な営業の場所に課税する原則の例外としている。同様にプロイセン緊急地方税法(Preußischen Kommunalsteuer-Notgesetz vom 27. Juli 1885)26の第2条も、実質的な営業の場所に課税する原則の例外を認めるものであれば同じ事が認められていた27

そしてスイス連邦法である二重課税禁止法では、営業場(gewerblichen Niederlassung)の要件は他の場所に拡張する場合において一定の支店(einer festen Zweigniederlassung)とし、単なる通常の商取引だけでは営業場と認識しないとしている。ヴァイケル議員は、ライヒスタークで見解を述べ、このような事例に対して、実質的な営業の場所に課税する原則を現実の営業場のそれぞれの場所に、はっきりと限定するというこの解釈について条件つきではあるが承認を得た28。以上のように、課税のきっかけとしての営業場は、営業の場所で決まるのが一般的であったが、1869年プロイセン・ザクセン条約やプロイセン緊急地方税法及びスイス連邦税法によれば営業所のある場所に変わったと言えるとしている29

第2節 二重課税排除法に関する判例におおける「営業の実施」の変化

実際の営業の実施(Gewerbebetriebes)のあらゆる場所での支配の一般原則を制限した、この解釈の正しさは議論の的となってしまった。カールスルーエ上級裁判所(Oberlandesgericht)もこの解釈に参加しており、1884年2月21日の判決では、上記のライヒスタークの議論30に対して次のように述べられている。このような言葉の理解は、それまでの条文における、事の性質、法律の解釈とは一致しない。北ドイツ連邦営業条例(Gewerbeordnung)第14条及び第42条から明らかなように、そこに固定した営業が実際に営業を行う店の基礎を通じて、一定の場所と結び付けられる場合は、営業令(Gewerbeordnung)においては、その場所はその場所以外での取引の実施も含めて、実際に取引が行われている場所であると考える。

営業の実施(Gewerbebetriebes)は、このような場合には営業の本拠地として、営業の固定された場所として、また、営業活動の中心地となるであろう。しかし,ライヒ裁判所は,1884年12月18日の判決31で,逆の意味で判示した。その判決の理由は、次のように述べられている。北ドイツ連邦営業条例(Gewerbeordnung)は、固定した営業(stehenden Gewerbes)の実行については営業をしている店または営業者の決まった住所は必要な前提ではないと述べ、さらに、二重課税排除法第3条の解釈については、次のように述べた。即ち、二重課税排除法第3条は明示的ではないが、営業を行う店が所在する連邦の構成国においてのみ、営業が実行されていると定めている。

小括

北ドイツ連邦二重課税排除法第3条の営業について、立法趣旨からは北ドイツ連邦営業条例の営業の概念が出発点となっていることが分かった。営業場の概念として単なる取引の場所や物理的施設だけでは営業場とはならず、一定の支店(einer festen Zweigniederlassung)である必要があった。1869年の営業条例での営業概念では、第14条及び第42条からは営業場以外の取引を含むこととされていた。これに対して二重課税排除法の立法過程において営業概念は、ヴァイケル議員により実質的な営業の場所に課税する原則を現実の営業場のそれぞれの場所に、はっきりと限定するという考え方が確認され承認された。したがって、北ドイツ連邦二重課税排除法の制定当時から営業場ごとに課税するという原則を用いられており、その営業場とは、恒久的な支店(einer festen Zweigniederlassung festhält)が必要であった。

第3章 ブレーメンにおける「営業の実施」(Betrieb eines Gewerbes)の判定の1885年判例

本章では営業が複数の連邦構成国またがる場合、その連邦構成国に営業が有るか無いか判断が分かれた事例について紹介する。

第1節ブレーメン事件に対する1885年11月7日判決

ブレーメンの本店とハノーバーの工場のいずれが重要か判断され工場が営業場に当たるかどうか問題となった判例である。1870年の二重課税排除法によればドイツ帝国のどの構成国に営業による所得を課税する権限があるかは、帝国内の複数の構成国家に渉ってその事業が行われており、ライヒの複数の構成国に広がっているような営業からの所得に課税する権限はドイツ帝国のどの構成国に存するのか。

Zivilsenat. Urt. v. 7. November 1885 i. S. Bremer Sutespinnerei u.-Weberei (Al.) w. Generalsteueramt zu Bremen (Bekl.). Rep. I. 229. S.85.

1885.11.7 Entscheidungen des Reichsgerichts in Zivilsachen/1886, Bd.15, Leipzig : Veit &amp ; Comp. S. 27

事実関係

原告(紡績および織物の製造販売を営む株式会社)は、ブレーメンに本店が所在している。そして本店があるブレーメンにて販売と購入の事務が行われている。工場はプロイセンのハノーバー地区のエメリンゲンに存在している。原告はブレーメンにおいて所得税の納税義務があり、納付した税額の返還を求めている。第一審では、ブレーメンの税務署が、徴収した税額の4分の3を返すように判決した。第二審では、訴えが棄却された。ライヒスゲリヒトがそして控訴審判決を取消そして事件を控訴審に差し戻した。

判旨

以下の理由により、1874年12月17日に制定された所得税に関するブレーメン法(Gezetzblatt der freien Hansestadt Bremen 1874 S : 121)は、ブレーメン領内にある会社にも所得税を課しており、第5条では、納税者の全所得の合計額から以下のものを控除後して課税所得を得ると規定している。

第5条

  • A 他のドイツの連邦構成国において不動産からの所得
  • B 他の同一連邦の構成国における営業的活動から生じる収入
  • C 他のドイツの連邦構成国から支払われる、年金、休業手当

➢ ブレーメン所得税法第5条について

控訴審は、上で述べた第5条の規定を適用できるか検討している。原告の営業活動について次のように検討している。エメリンゲンではなくブレーメンをその営業活動の場所として考えるべきであるから、その上で述べた第5条のBのもとで使えると考えた。実際、ブレーメンから購入した原料ジュートを製糸し、その糸を用いて織物、すなわち袋物を製造する。工場はエメリンゲンにあるものの、営業部門全体の取引はすべて、原告会社及びその経営の本拠地であり、かつ、事業所の所在地であるブレーメンでのみ締結されていることから、エメリンゲンではなく、ブレーメンを原告の営業が行われている場所とみなすべきものである。

➢ 「営業の実施」(Betrieb eines Gewerbes)について

この事件においては、問題とされている決定が次のような考慮に基づいて行われている。「営業は概念によると製造はそのための手段でしかない。利益の額がさまざまな要素を退けて最も重要な事項である。それゆえ営業は利益が効率的に直接的に実現する所でなされるのであって地理的要素が存在する場所で営まれるのではない。しかし、二重課税排除法が基礎にしている根本的な法律の考え方に立ち返るならば、控訴審判決のこのような考慮は、決定的なものとみることはできない。」

➢ 営業の有無について

「工場の運営によって生じる所得の問題であれば、この所得の源泉は、より高い価値が購入費や運営費を上回る価格で販売することを可能にする商品を生産する材料を加工する活動と、商品の回転率を目的とした原材料の購入と製品の販売の活動の両方である。工場がどこで操業されているかという問いに対しては、前者の技術的活動と後者の営業的活動の両方を考慮することができ、工場がある場所と営業的取引が成立している場所の両方で営業されているということに他ならない。」

検討

国外にある工場が営業に当たるかどうかが、問題とされた事例である。ここでは、工場の運営が営業に当たるか否かが検討されている。裁判所は、取引が実際に行われている場所(営業的活動)だけではなく、商品の価値を高める行為(技術的活動)も「営業の実施」だとして、工場も営業所得の源泉で営業を行う場所となり得るとしている。二重課税排除法第3条の立法趣旨から「営業の実施」の概念として単なる取引の場所や物理的施設だけでは「営業の実施」とはならず、固定的な支店(einer festen Zweigniederlassung festhält)である必要があった。プロイセンの工場は単なる物的施設に留まらず材料を加工して販売できる状態にすること、つまり商品の価値を高める行為(技術的活動)が行われ「営業の実施」が行われていたと判断したと考えられる。

おわりに

恒久的施設概念が1845年プロイセン営業令で出現するとされるがその後の過程としてどのように税法の概念として発展してきたのかその一部を見ることができた。1870年北ドイツ連邦二重課税排除法の後に1909年二重課税防止法そして租税調整法へどのようにつながっていくか今後明らかにしていきたい。本稿はClauss の論文を中心に1870年北ドイツ連邦二重課税排除法を素材として恒久的施設概念につながるであろう「営業の実施」について考察した。Clauss の論文では、営業場により課税の範囲が決定するとされる。そしてClauss は二重課税排除については、スイスで当時議論されていた二重課税禁止法案が望ましいものだと結論づけている。紙幅の都合上1870年の北ドイツ連邦及び1871年ドイツ帝国に至るまでの構成国の法律上の関係が十分には解明できていないので、今回不十分であるが今後の研究で補っていきたい。若槻礼次郎のわが国の所得税法の説明では、「営業」について「立派ニ据エ付ケタルモノ」としており、北ドイツ連邦営業条例の「立派な固定した営業の実施」に符合する。わが国において明治・大正・昭和の所得税法や営業税法の制度にどのような影響を与えたか、その後のわが国の国際課税にどのような影響があったのか今後の検討課題としたい32。

[引用文献一覧]

[国内文献]

・論文

占部裕典「租税条約における恒久的施設概念の機能と限界」総合税制研究1巻(1992)21-52頁

加野裕幸「所得税法における課税客体としての営業による所得の範囲」法学ジャーナル99号(2021)21-119頁

加野裕幸「国税である営業税及び営業収益税における課税客体としての営業の範囲」法学ジャーナル98号(2020)23-68頁

黒田英雄「戰時中の瑞西經濟狀况」日本経済新誌社、21巻6号(1917)13頁

宮武敏夫「国際課税における恒久的施設(1)事業を行う一定の場所を中心に」国際税務16巻11号(1996)18-26頁

吉村典久「国際租税法における恒久的施設概念(P. E.)に関する若干の考察(国際課税の動〈特集〉)」ジュリスト1075号(1995)47-50頁

・書籍

河上倫逸=Harder Manfred『ドイツ法律学の歴史的現在』(ミネルヴァ書房・1988)

関口健一郎『現行所得税法要義』(巌松堂・1911)

野津高次郎『独逸税制発達史』(有芳社・1948)

諸田實『ドイツ関税同盟の成立』(有斐閣・1974)

・議事録

第13回貴族院所得税法改正法律案特別委員会第1号明治32年1月12日9頁

[外国文献]

・論文

Th. Clauss, Das Reichsgesetz vom 13. Mai 1870 wegen Beseitigung der Doppelbesteuerung, FINANZ-ARCHIV Jg. 5, Bd. 1 FINANZARCHIVE(1888). S. 138-176

・書籍

ARVID AAGE SKAAR, PERMANENT ESTABLISHMENT (Kluwer Law and Taxation Publishers. 1991)

ARVID AAGE SKAAR, PERMANENT ESTABLISHMENT (Kluwer Law International. 2020).

F. Marcinowski, Die deutsche Gewerbe-Ordnung für die Praxis in der Preussischen Monarchie, Berlin 1884.

J. D. Kolck, Der Betriebsstättenbegriff im nationalen und im internationalen Steuerrecht, 1974.

・議事録

Drucksachen zu den Verhandlungen des Bundesrathes des Norddeutschen Bundes / 1870, Bd. 1 = Nr. 17 Berlin, 1870

Verhandlungen des Reichstages des Norddeutschen Bundes / Stenographische Berichte, 38. Session, 1870.

・判例

Entscheidungen des Reichsgerichts in Strafsachen. Bd. 11,(Entscheidungen des Reichsgerichts in Finanzfragen Burkhardt, Wilhelm in : Finanzarchiv Jg. 3, Bd. 1 ,S. 296. で確認した)

1885.11.7 Entscheidungen des Reichsgerichts in Zivilsachen/1886, Bd. 15,Leipzig : Veit &amp ; Comp. S. 27

・条文の参照

➢ 1869年プロイセン・ザクセン条約

Gesetzsammlung für die Königlich-Preußischen Staaten / Zeitschriftenband (1870) S. 142

Artikel 1. Die beiderseitigen Staatsangehörigen find vorbehaltlich der Bestimmungen in den Artikeln 2-4,      nur in demjenigen Staate zu den direkten Staatssteuern heranzuziehen, welchem sie als Unterthanen  angeboren. Nimmt jedoch ein Unterthan des einen Staats in dem anderen Staate feinen dauernden Wohnfig und Aufenthalt, ohne die Staatsangehörigkeit daselbst zu erwerben, fo geht nach Ablauf von fünf Jahren seit Begründung des Wohnfiges die Berechtigung zur Besteuerung in vollem Umfange auf diesen Staat über.

Artikel 2. Steuern von Grundbesis, sowie vom Betriebe eines stehenden Gewerbes (von gewerblichen oder Handels-Anlagen und von dem aus diesen Quellen her : rührenden Einkommen werden mur in dem Staate bezahlt, in welchem diese Viegenschaften fich befinden, der in welchem dieses Gewerbe ausgeübt wird. Bei der Besteuerung des ganzen Einkommens in dem nach Artikel 1. berechtia : ten Staate ist das Einfommen aus diesen Quellen, soweit es dein gemäß bereits in dem anderen Staate mit Steuern belegt ist, zu verschonen, beziehentlid, die von folchen Quellen in dem anderen Staate nachweislich erhobenen Steuern von dem im Ganzen ausgeworfenen Einkommensteuerbetrag des nach Artikel 1. bes rechtigten Staats in Abzug zu bringen.

Artikel 3. Das Einkommen aus Gehalten von Militairpersonen und Civilbeamten, sowie aus Pensionen wird lediglich in dem Staate besteuert, aus dessen Staats. faffen diefe Einnahme fließt.

Wegen Besteuerung der Bundesbeamten entscheiden die in dieser Beziehung bestehenden bundesgeseblichen Bestimmungen.

Artikel 4. Das Einkommen der Gewerbegehülfen, Arbeiter und Dienstboten,soweit dasselbe nicht aus Liegenschaften fließt, wird nur an dem Wohnorte des Steuerpflichtigen besteuert.

➢ 1870年北ドイツ連邦二重課税排除法

Drucksachen zu den Verhandlungen des Bundesrathes des Norddeutschen Bundes / 1870, Bd. 1 = Nr. 17 Berlin, 1870

第1条 北ドイツ国民は、3条及び4条の規定の定めるところにより、直接国税についてその住所を有している連邦構成国においてのみ賦課徴収される。

北ドイツ国民は、この法律での意味における住所をそのような人物の継続する住居を保持という意図を有している一定の条件の場所に住所を有するものとする。

第2条 どの連邦構成国に住所を有しない北ドイツ連邦国民は、自らが滞在する国においてのみ直接国税について賦課徴収される。

北ドイツ国民が、自分のふるさとの国とそれに附け加えて別の連邦構成国にも住所を有している場合には彼は前者の連邦構成国においてのみ直接国税が賦課徴収される。

連邦の役所または構成国の役所に勤務している北ドイツ国民はその職務上の住所が存在する連邦構成国においてのみ課税されうる。

第3条 不動産及び営業の実施ならびにこれらの源泉から生じる所得は、当該不動産が存在するかまたは営業が営まれている連邦構成国によってのみ課税が許される。

第4条 北ドイツの軍人及び文官ならびにその遺族が連邦構成国の国庫から、俸給、年金、休職手当は、支払をしなければならない構成国のみ課税される。

第5条 連邦の領域の外に存在する不動産、または連邦の領域の外で行われる営業、もしくは外国の政府による給料休業手当年金の支払、連邦領域の外での住所または滞在が述べている効果については、現在のこのの法律によって何も変更されない。北ドイツ連邦国民の納税義務について述べている効果、この法律によって何等変更されない。

➢ 1885年スイス二重課税禁止法の草案

(Th. Clause 文献の巻末にある資料を参照した(Th. Clauss, Das Reichsgesetz vom 13. Mai 1870 wegen Beseitigung der Doppelbesteuerung, FINANZARCHIV 1884. S. 195-197)。)

1885年二重課税禁止に関するスイス連邦法の草案

第4条 

土地の所在及びそれらから獲得される賃貸料を含む所得についての租税は、当該不動産が所在するカントンにおいてのみ徴収されることができる。

当該土地に関して負担する債務を控除できるかどうか、いくら控除できるか、租税徴収に権限のあるカントンによって決せられる。

不動産によって担保されてた債権及び賃料収益は、土地としての財産及び所得としてこの条項の意味においてみなされるべきではない。

第5条

商人としての活動及び営業場の活動はその財産及びその営業について営業場のあるカントンにおいて課税することが許されるか支店又は設備が存在するカントンにおいてその関係に応じて課税することが許される。

ただし、株式会社および協同組合の構成員は、株式または持分権の実際の価値について払われた金額まで、配当についてはこの額の5%まで、住所地おいて課税される。

株式会社又は協同組合の財産税及び営業税を会社所在地で計算する場合には株式または持分権の現実の價値については支払われた額まで配当については、その金額の5%まで控除される。

以上

Footnotes

1 加野裕幸「所得税法における課税客体としての営業による所得の範囲」法学ジャーナル99号(2021)21-119頁。

2 加野裕幸「国税である営業税及び営業収益税における課税客体としての営業の範囲」法学ジャーナル98号(2020)23-68頁。

3 関口健一郎『現行所得税法要義』(巌松堂・明治44(1911)年)35頁。

4 汐見三郎「營業税と營業收益税」經濟論叢26巻3号(1928)528頁。

5 第13回貴族院所得税法改正法律案特別委員会第1号明治32年1月12日9頁。

6 吉村典久「国際租税法における恒久的施設概念(P. E.)に関する若干の考察(国際課税の動向〈特集〉)」ジュリスト1075号(1995)47-50頁。宮武敏夫弁護士は、恒久的施設は、東部プロイセンであるとし、国際連盟の議論やOECD モデル条約における「事業を行う一定の場所」について分析を行っている(宮武敏夫「国際課税における恒久的施設(1)事業を行う一定の場所を中心に」国際税務16巻11号(1996)18-26頁)。なお占部裕典は国際連盟、OECD、国際連合により公表されたモデル条約を検討し、その「恒久的施設」概念の機能を検討している(占部裕典「租税条約における恒久的施設概念の機能と限界」総合税制研究1巻(1992)21-52頁)。

7 吉村典久「国際租税法における恒久的施設概念(P. E.)に関する若干の考察(国際課税の動〈特集〉)」ジュリスト1075号(1995)47-50頁。

8 ARVID AAGE SKAAR, PERMANENT ESTABLISHMENT (Kluwer Law International. 2020). 76 なおARVID AAGE SKAAR, PERMANENT ESTABLISHMENT (Kluwer Law and Taxation Publishers. 1991). 76 も同じ内容であるため以下2020年を引用する。

9 id. at. 76

10 id. at. 76

11 1820年の営業令では、都市と業種が限定されており許可制であったためこのような考察がされたのかもしない。

12 SKAAR, op. cit. 76

13 条文は資料として第1条から第4条まで後掲している(Gesetzsammlung für die Königlich-Preußischen Staaten / Zeitschriftenband (1870) S. 142)。

14 J. D. Kolck, Der Betriebsstättenbegriff im nationalen und im internationalen Steuerrecht, 1974. Kolck の書籍では、19世紀から20世紀初頭に掛けてのドイツを含むヨーロッパの租税条約における恒久的施設概念について調査研究している。ドイツ国内法については租税調整法に至る歴史を中心にその沿革として恒久的施設概念が論じられている。

15 ドイツの営業税法及び所得税法に関連する法律の制定の時期をまとめると次のようになる。1810年プロイセン「国家財政と租税の新編成に関する勅令」の原則にもとづいて同年11月の「一般営業税の採用に関する勅令」によって、「営業の自由」と同時に営業税法が導入された。これはフランスの法律の影響を強く受けたものといわれ、王国内で営業を営もうとする者は営業税を納付して営業鑑札(Gewerbeschein)を取得し、これによって自由に営業を開始できるという趣旨のものであった(諸田實『ドイツ関税同盟の成立』(有斐閣・1974)267頁)。さらに、1845年プロイセン営業令、1851年プロイセン所得税法、1867年北ドイツ連邦結成、1869年北ドイツ連邦営業条例、1870年北ドイツ連邦二重課税排除法、1871年2月28日ドイツ帝国、1874年12月17日ブレーメン所得税法、同22日ザクセン所得税法、1895 年10 月22 日ドイツ二重課税防止法(河上倫逸= Harder Manfred『ドイツ法律学の歴史的現在』(ミネルヴァ書房・1988)頁)。なおドイツの税制については次の文献も参考にした。野津高次郎『独逸税制発達史』(有芳社・1948)。

16 Verhandlungen des Reichstages des Norddeutschen Bundes / Stenographische Berichte, 38. Session, 1870. S. 750

17 この立法趣旨の解説によると「住所」は一般の意味での用いられるとして、「生活の中心点」であるとしている(Id. at. 750)。

18 Drucksachen zu den Verhandlungen des Bundesrathes des Norddeutschen Bundes / 1870, Bd. 1 = Nr. 17 Berlin, 1870

19 id. at. Nr. 17

20 Verhandlungen des Reichstages des Norddeutschen Bundes / Stenographische Berichte, 38. Session, 1870. S. 750-1

21 id. at. 750-1

22 F. Marcinowski, Die deutsche Gewerbe-Ordnung für die Praxis in der Preussischen Monarchie, Berlin 1884.

23 id. at. 32

24 id. at. 32

25 Th. Clauss, Das Reichsgesetz vom 13. Mai 1870 wegen Beseitigung der Doppelbesteuerung unter vergleichender Berücksichtigung des schweizer Bundesrechtes erläuter, Jg. 5, Bd. 1 FINANZARCHIVE (1888). S138-176

26 Herrfurth, L.Das preuss. Kommunalsteuer-Notgesetz vom 27. Juli 1885 in :Finanzarchiv Jg. 3, Bd. 1,S. 168-202

27 B. Gr. Entsch. Bd. 1, S. 35 : 5, S. 143 : 10, S. 19-B. GsEntw. vom 6 Marz 1885.Art. 5(Th. Clauss, FINANZARCHIVE S176 を参照した。).

28 Verhandlungen des Reichstages des Norddeutschen Bundes / Stenographische Berichte, 38. Session, 1870. S. 750-1

29 Th. Clauss, FINANZARCHIVE, (1888). S. 176

30 Verhandlungen des Reichstages des Norddeutschen Bundes / Stenographische Berichte, 38. Session, 1870. S. 750-1

31 Entscheidungen des Reichsgerichts in Strafsachen. Bd. 11, S. 809 ; Entscheidungen des Reichsgerichts in Finanzfragen Burkhardt, Wilhelm in : Finanzarchiv Jg. 3, Bd. 1,S. 296. なおFinanzivarchiv III, S. 296 で確認した。

32 1916年ごろ当時大蔵省参事官の黒田英雄がスイスへ調査訪問しドイツ及びオーストリアへ赴き財政並びに経済に関する書物を400~500冊程度持ち帰ったとある。この時に二重課税排除法などの文献を日本に持ち帰った可能性があると考える(黒田英雄「戰時中の瑞西經濟狀况」日本経済新誌社、21巻6号(1917)9頁)。

 
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