法学ジャーナル
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『法学ジャーナル』100号に寄せて
髙作 正博
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2022 年 2022 巻 100 号 p. i-ii

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院生自らの手によって世に送り出される『法学ジャーナル』は、100号を迎えることとなった。1967年の創刊以来53年の長きにわたり発行を続けてきた学術論文誌であり、その道のりは容易ではなかったはずである。100回目の節目に接し、深く敬意を表するとともに、心からお祝い申し上げる。

大学院の門をたたきそれをくぐった者は、既に「研究者」である。「研究倫理」を遵守し、学問上の作法に従いつつ学問を遂行する。『法学ジャーナル』に掲載されてきた数々の業績は、そうした学問の成果物である。今、100号の発刊にあたり、学問に携わる同じ研究者として、共に確認すべき学問の3つの側面について記しておきたい。

第1に、学問の自由と自律性である。学問は自由であり、未来に向かって開かれている。それは、自由な批判的理性によって硬直した権威から解放され、絶えざる問い直しや再検討の結果、ようやく真理に到達し得るとする近代的な「学問観」に裏打ちされている。古くから、学問は、宗教や教会の権威によって脅かされ、政治や資本の権力によって侵されもしてきた。様々な圧力から学問の自由を守り、その自律性を維持することは、学問に携わる私たち一人一人の不断の努力によってしか成し遂げることができない。関西大学法学研究科で学問の営みを享受してきた全ての院生・修了生も、そうした理解を共有し得ていることを確信している。

第2に、学問の「政治的中立性」である。「学問」は、政治に対しては中立であるべきで、特定の政策や法律に向けて批判的な発言を行うことは慎むべきである、とする見解は適切であろうか。この問に正面から取り組んだのが、マックス・ヴェーバーである。Die »Objektivität« sozialwissenschaftlicher und sozialpolitischer Erkenntnis, 1904(祇園寺信彦・祇園寺則夫訳『社会科学の方法』(講談社学術文庫、1994)、富永祐治・立野保男訳、折原浩補訳-『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(岩波文庫、1998))において、理想や価値判断についての科学的な批判とはどのようなものかを問い、自らの見解を述べている。学問から離れた次元から行う政治的発言とは異なり、学問の見地から政治に対する批判的発言を行うことの可能性について、今一度、理解を深めておく必要がある。

第3に、学問の方法論、特に、研究テーマの選択である。大学院で院生を指導する側からいえば、論文の執筆が容易なテーマが好ましいものとなりやすい。既に先行研究があり、資料が数多く蓄積されているもので、取り組むべき課題が明確になっているテーマが選ばれる。しかし、学問や論文執筆が、沸き上がる情熱を原動力として推進されるものであるならば、始めから結論が見えているテーマでは研究への情熱は湧いてこない。では、研究の原動力となるべきテーマ設定はどのようなものであるか。それは、一つには「究極のもの」の探究である。宇宙の始まりといった「究極のもの」については、「ビッグバン宇宙論」が有力な見解となっている。法律学においても、「根本規範」(ハンス・ケルゼン)や「主権」(カール・シュミット)の研究が多くの研究者の興味を引き付け、また、現在でも、法とは何か、国家とは何かといった「究極のもの」の研究がなされ続けている。研究の原動力となるべき皆さんにとっての「ビッグバン」を見出し得たであろうか。

院生の皆さんにとって貴重な論文発表の場である『法学ジャーナル』を、一人一人が全力を傾注した論文で彩り、充実した内容のものにすることを期待し、祝辞とする。

 
© 2022 本論文著者
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