2023 年 2023 巻 102 号 p. 1-10
本稿は、独立企業原則の出現について、1885 年1 月12 日のザクセン財務省決定について分析を行おうとするものである。今回の調査で1885 年1 月12 日のザクセン財務省決定において独立企業原則についての考え方が出現したことがHattinngh などの先行研究により判明した。その先行研究からドイツ領域内で独立企業原則がどのように形成されたのか検討しようとするものである。素材としてザクセン財務省決定について分析を行ったものである。ライヒ裁判所の判例よりも10ヶ月早く示されていることを考えると1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定が早い段階で独立企業原則を理論的に明示していたと結論づける。録。
本稿は、独立企業原則の出現について、1885 年1 月12 日のザクセン財務省決定について分析を行おうとするものである。今回の調査で1885 年1 月12 日のザクセン財務省決定において独立企業原則についての考え方が出現したことが先行研究により判明した。その研究は、モデル租税条約の起源を歴史的に研究したHattingh の論文である。本稿では、その先行研究からドイツ領域内で独立企業原則がどのように形成されたのか検討しようとするものである。
1885 年ごろの時代背景として、ザクセン王国はドイツ帝国の連邦構成国であった。1867 年に北ドイツ連邦が成立し、普仏戦争(1870 年)にプロイセンが勝利することで南ドイツ諸国を加えて連邦帝国を組織した(1871 年1月1 日)1。北ドイツ連邦成立以前に二重課税の排除をプロイセン・ザクセン租税条約(1869 年)によって行っていた。後に、北ドイツ連邦構成国内での二重課税を排除する北ドイツ連邦二重課税排除法(1870 年5 月13 日)が制定された。ザクセン王国の所得税法は、1874 年12 月22 日に改正された。拙稿「1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法第3 条における『営業の実施』概念の検討」法学ジャーナル100 号(2021)131-150 頁では、1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法について立法趣旨ならびに「営業の実施」に関する判例を研究した。上記の研究では、ブレーメンでの判例を分析し、どのような条件が1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法第3 条の「営業の実施」に該当するのか調査した。
1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法を研究する意義として2 つの文献で確認することができる。第1 の文献は、大竹虎雄の「国際連盟と二重課税問題(上)」税2 巻8 号(1924)である2。大竹虎雄の論文では戦前のわが国における租税条約の研究である。その研究では源泉地を決定するための資産の所得に関する指摘の中で1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法が参照されている。大竹虎雄は、ヨーロッパの1851 年から1922 年までの租税条約について「前記二十三の獨立國家間の條約も是等國内法的規定の影響を受け一八九九年の普墺間などの條約などは殆ど一八七〇年の帝國法に準拠している」と分析している3。なお、杉村章三郎の翻訳では1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法は、「国内的二重課税防止に関する規定」と紹介されていた4。第2 の文献はSunita Jogarajan の租税条約の歴史的研究である。1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法が租税条約について影響を与えていたという指摘がある5。すなわち、2 つの文献から1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法は、租税条約を研究する上で重要な素材であると考えるのが本稿の立場である。
先行研究として、モデル租税条約の起源を歴史的に研究した次の論文がある。Hattingh は、2013 年の論文における歴史的研究から、19 世紀に二重課税に関する租税条約やドイツ連邦法が制定され、その後の20 世紀に租税条約やモデル条約が発展する基礎となったことを示唆している6。また,Hattingh によれば、これらのドイツの租税条約・法律の内容が、当初はドイツ法の他の分野で見られる一般的な考え方や概念に触発され、当時影響を受けていたことも、この歴史的研究によって明らかにさたといえるであろう7。そして,二重課税を排除するための租税条約固有の解釈の発展・改良のきっかけとなったのは、ドイツ連邦裁判所の司法判断(jurisprudence)であった8。このようにHattingh は19 世紀ドイツにおける立法や判例などにモデル租税条約の起源があると指摘している。Hattingh は、その論文において1888 年のAntoni の論文9を紹介し二重課税の排除や独立企業原則及び租税条約の起源について言及している10。そしてHattingh は、次のように述べている。「Antoni の見解と1885 年1 月のザクセンの決定は、OECDモデルの用語では、独立企業原則に基づき恒久的施設11に利益を帰属させるためのアトリビュータブルアプローチとして今日知られているものを、おそらく最も早く明確に表現したもの(the earliest articulation)と思われる。」と見解を示している12。Hattingh は、独立企業原則について最も顕著に表れた例として1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定を指摘している。
本稿では、その1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定を取り上げ紹介する。本稿の目的は、どのような議論を経て独立企業原則が出現したのか、1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定の審決を手がかり確認しようとするものである。
本章では、問題となる独立企業原則とザクセン王国所得税法について確認する。
第1 節 独立企業原則について独立企業原則による所得の算定について例を紹介する13。なお次の例は増井良啓『国際租税法』の初版に掲載されている例である14。テキストでは「締約国間の課税権の分配」のなかで独立企業原則の説明が行われている。後述する1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定を理解するためにここで示している。
「外国法人Fは、ニューヨーク(NY)に本店があり、東京に支店を有している。次の①と②の場合に『独立企業原則』を厳密に適用すると、いつ、どれだけの額が、PE(東京支店)に帰属することになるか。いずれの数値も適正価格を反映しているものとする。
①第1 年度に東京支店が150 の価格で商品を仕入れ、第1 年度中にNY本店が東京支店から200 の価格で当該商品を仕入れ、第2 年度にNY本店が300 の価格で当該商品を販売する場合。
② NY 本店が東京支店に100 を融資する場合、利子率を年10%と仮定する。」15
上記の本支店間の所得について、①と②についてそれぞれ次のような算定方法になる。米国に本店が所在し日本に支店がある場合、米国と日本では、どのようにその所得を算定するのかが問題となる。下記の例の説明を見ると、支店に帰属する所得については次のようになると説明されている。下記の①と②は上記の①と②にそれぞれ対応する。例では対応する答えに相当すると思われる。
「①本店と支店があたかも独立の企業であるかのようにして支店に帰属する額を算定するから、第1 年度において、200 の売上げから150 の仕入原価を差し引いた50 が、支店に帰属する額となる。②本店と支店の間の『融資』はひとつの法人の内部取引(dealings)にすぎないから、法的には利子を徴する関係にはない。しかし、もし本店と支店がそれぞれ独立の企業であったとすれば、本店は支店に対して10 の利子支払を要求したであろうから、支店に帰属する額を算定するにあたり10 の利子を控除することになる。」16
例の①と②についてそれぞれ、もう少し詳しく検討すると次のような問題点を考えることができる。①では、仮に第2 年度以降も150 で仕入れを続けると支店に多くの所得が本店に発生する。また支店からは250 で仕入れを行えば本店の所得は増えず支店の所得が増える。②では、支払利子は本店が自由に設定できる。そのため利子を10 以下にもできるし10 以上にも設定できる。したがって本支店や親子会社などの従属支配関係があれば、このような取引の価格の設定は本店及親会社が自由にできる。
以上が独立企業原則による所得の算定の問題である。本稿で取り上げる1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定では、本店(ザクセン王国)と支店(プロイセン王国)との間の課税所得の配分が問題となった。
第2 節ザクセン王国所得税法について1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定に影響した異議申立てで現れるザクセン王国所得税法について、本節で確認することとする。1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定の当時に考慮された条文(ザクセン王国所得税法及び北ドイツ連邦二重課税排除法)は、次の通りである17。なお1878 年7 月21 日改正のザクセン王国所得税法の翻訳である。
ザクセン王国所得税法
第5 条第1 項
「他のドイツ連邦構成国に所在する不動産または他のドイツ連邦構成国で営まれる営業からの所得、および軍人、公務員またはその遺族が他のドイツ連邦構成国の国庫から受ける給与、年金、待機手当は、課税所得の計算において考慮されないものとする。」
第16 条の最後段
「年額で変動する種類の所得は、以下に別段の定めがある場合を除き、年額で変動する種類の所得とみなされ、評価の直前の暦年における金額に基づくものと仮定する。種類の所得がそれほど長い間存在しなかった場合には、その存在した時期または評価時の状態を参考とするものとする。」
第21 条第5 項第2 文
「営業、独立した営業及び賃貸借からの所得を計算する場合、過去3 事業年度の平均で獲得した純利益、または当該所得源泉がそのような長期間にわたって所得を提供していない場合は、その存在期間を基準とするが、もはや所得を得ていない場合は、評価の時点において同一である所得の水準に基づくものとする。」
以上の異議申立てに現れるザクセン所得税法を整理すると次のようになる。所得税法第5 条では国外源泉所得を除外する規定となっている。所得税法第16 条は所得の算定方法について別段の定めを見ることとなる。その別段の定めである第21 条第5 項第2 文では、所得の推定方法が示されている。そこで異議申立てでは、第21 条第5 項第2 文が問題となった。
異議申立てでは、1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法も考慮されている。条文は次の通りである18。
1870 年5 月13 日の北ドイツ連邦二重課税排除法
第3 条
「不動産及び営業の実行ならびにこれらの源泉から生じる所得は、当該不動産が存在するかまたは営業が営まれている連邦構成国によってのみ課税が許される。」
1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定は、複数の国家において事業活動を行う企業の所得についての課税所得が問題となった事例である。プロイセンとザクセン間で事業活動を行う場合に所得算定についてザクセンの苦情処理委員会委において検討された。以下全文の翻訳である。なお原資料からは、苦情処理委員会の見解が主に述べられている。なお「下級審で争われた」との記述があるが、現在までの調査では、当時の異議申立て手続きや訴訟手続は不明である。
1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定
「ザクセン王国で商品を生産し、他のドイツ連邦構成国にある支店で販売する製造業者の所得税における調整の検討とザクセン王国での課税所得の決定について。」
Finanzministerium Nr. 37 vom 12. Januar 1885. Nr. 33 Steuer-Reg. D.S130-134.
事案の概要異議申立人(製造業及販売を営むLM 社)は、ザクセンで製造しドイツ領域内の他の国家において販売していた。LM 社のベルリン支店(プロイセン)とザクセン本店での所得算定についてザクセン税務当局と争われた。事業は異議申立人と異議申立人の義父の共同事業で行われていた。ザクセン本店での製造は異議申立人、ベルリン支店での販売は義父の事業であった。1883 年10 月に義父が事業を異議申立人に移転し1884 年のザクセン本店における所得算定について問題となった。加えて異議申立人においては、支店に対しての運転資金の無利息貸付や事業譲渡による所得の変化が存在した。そこで、異議申立人は1884 年の所得について1880 年から1883 年の平均を所得として主張していたが認められなかった。異議申立人の事業活動を整理すると下表のようになる。
異議申立人の事業 (ザクセン) |
義父の事業 (ベルリン) |
|
1880~1883.10 | 商品の製造 | 商品の販売 |
1884 | 異議申立人の単独事業 商品の製造・販売 |
義父の退職 |
異議申立人の主張:1884 年の所得算定については1880~1883 年の所得の平均値。
ザクセン課税当局の主張:取引価格に着目し原価価格で取引されていれば問題がある。
判旨棄却。
苦情処理委員会の認定事実1884 年の事業所得の算定について
「異議申立人のその事業所得は、1880 年10 月から1883 年までの3 事業年度におけるLM 社の共同経営者としての自らの事業成績の平均値によって算定されたものではなく、1883 年10 月に義父が事業を辞め、異議申立人の単独経営に移行したことについて、同3 事業年度における異議申立人と義父の事業成績に基づき、そのように算定されていた。また、1883 年にLM 社がベルリンに支店を設立するために使用した資本金90000 マルクの利息は、見積もられた所得から控除されていない。」
「いずれの点でも、財務省はその異議申立てを根拠がないものとみなさなければならない。」
「1883 年10 月に事業移転の結果事業が異議申立人の所有に移ったことにより、異議申立人の所得状況に大きな変化が生じ、所得税評価額に影響を与えないわけにはいかなくなった。」「もし義父の共同事業関係が継続することによる事業所得が確実で1884 年の事業所得は、所得税法第21 条5 項により、1880 年から1883 年の平均によって異議申立人の事業持ち分に対応する純利益に基づいて決定されなければならなかったのは確かだが、事業の単独所有への移転により、異議申立人の事業における既存の所得源泉が大幅に拡大したのであるから、その評価は上述の法律の規定にほとんど合致しないものになっただろう。」
「後者の事情に鑑みれば、所得税法第16 条の最後段および、それに関連する訓令の第21 条と、所得税法第21 条第5 項の第2 文の規定によれば、異議申立人の事業所得は推定されなければならない。」「苦情処理委員会は、それに従って手続きを進めた。そして、LM 社の1880 年から1883 年までの会計年度の決算書を調査して得た資料に従い、1883 年10 月に同社を退職した者の持ち分権者と異議申立て人によって、その取引先がこれらの年度に達成した営業成績の平均値によって異議申立人の営業収入を決定したとすれば、これを承認することはできない。」「苦情処理委員会がこの主張の根拠としたのは、争われた判決に詳細に記載されており、委員会によって立証された観察事実の下で、下級裁判所が、このように異議申立人単独による取引の変更がない限り、異議申立て人の事業所得を完全に享受する権利を有していたことは否定できない。」
「ベルリン支店に投資された資本金9 万マルクの利息を事業所得から控除するようにという異議申立人の要求は、1883 年10 月18 日の財務諸表にその結果が考慮されているベルリン事業への投資資本の利息が全く得られていなければ、所得税法第5 条第1 項と1870 年5 月13 日の北ドイツ連邦二重課税排除法第3 条との関連において完全に正当化されるであろう。」「しかし、そうではなく、この支店事業は、LM 社による決算書の調査で明らかになったように〓19を見ると、赤字で終了している。」
異議申立人の主張
LM 社のベルリン支店が赤字であることについて取引価格に関しては製造原価でも問題ないと次のように主張している。他社の取引を引き合いに出し請求価格は妥当であったという主張である。
「異議申立人はまた、これに異議を唱えず、この事実は、ベルリン支店がケムニッツ社から仕入れた商品が製造価格ではなく卸売価格で請求されていることを引き合いに出し、これらの商品の請求が製造価格でも同様に行われていた可能性がある。いずれにしてもベルリン支店は損失が生じるのではなく利益が生じるように請求されるべきだったと考える。」
ザクセン課税当局の主張
適切な取引価格で取引をしたと考えて初めて、それぞれの適切な課税所得が計算できると次のように主張している。支店への請求が原価価格のみであった場合問題であるという指摘である。
「異議申立人は、商品の支店への請求方法について指示を与えることができないのは事実である。」「しかし、支店がドイツの他の連邦構成国にある場合、税務当局は、上記の法的規定に照らして、親会社の商品が支店にどのように請求されているかを調べることにかなりの関心を持ち、異議申立人の商品のベルリン支店への請求が原価価格でしか行われていない場合、これに異議を唱える立場にあるであろう。もし、異議申立人の商品のベルリン支店への請求が原価価格のみであった場合、異議申立人の所得がベルリン事業に移行し、ザクセン税務当局に不利益を与えているとみなされるため、異議を唱えることができる立場にある。」
苦情処理委員会の判断理由
① 支店に帰属する所得のみ課税できるとするという判断
「ある業者がドイツのある連邦構成国で商品を購入し、それを別のドイツの連邦構成国の商業施設で販売する場合、その業者は2 つの連邦構成国のそれぞれで商売をしていることになり、したがって2 つの連邦構成国のそれぞれはその業者に直接国税を課す権利を有する。」「しかし、これらの税金は、それぞれ当該連邦構成国内で行われる取引とそこから生じる所得にしか適用されない。本件では、異議申立人は一方の連邦構成国で製造し、他方の連邦構成国で販売した商品の取引に従事している。」
② ザクセンとプロイセンの課税権について
「競合する課税権を行使するために、商人の両事業からの所得は、製造利益と取引利益に分けられなければならない。」
「その後、支店に製造者より納入した商品よりも高い価格で販売するため、支店に納入した商品の価格が取引者に不利になることはない。支店に納入された商品の計算が低くても、その後支店でその販売により大きな利益を得るので、取引業者にとって不利にはならないが、製造が行われている国の課税所得を減らすことになり、製造が行われている国の課税権を侵害するので、製造が行われている国で認める必要がない。」
③ 国家間の課税の公平の問題について
ベルリンで損失が発生している場合「異議申立書によれば、ベルリン支店に納入された商品の請求書の内容は、異議申立人が行った方法が唯一正しいものである。ベルリンの事業で発生した損失は、異議申立書に書かれているように、異議申立人にとっては単なる見かけ上の損失かもしれないが、税務当局にとってはそうではない。なぜなら、ザクセン王国で得た課税所得から控除することが、許されないという点では、それを考慮に入れなければならないからである。」
ベルリンで利益が発生している場合
「これは、逆のケースで、仮にベルリンの事業で得た利益が、この事業に投下した資本の利子に達するか、それを超えるか、それを下回るかにかかわらず、ザクセン王国の課税事業所得に加えられるのと同様に、認められないからである。」
所得税法第21 条についてそれぞれの主張について
問題となっている1884 年の課税所得について、苦情処理委員会は、次の条文を指摘している。ザクセン所得税法第5 条、第16 条最後段及び第21 条第5 項第2 文の3 つを指摘している。加えて1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法第3 条も考慮に入れている。
異議申立人とザクセン課税当局の主張を条文に当てはめると次のようになる。異議申立人の主張は、所得税法第21 条第5 項第2 文の前半部分の「過去3 事業年度の平均で獲得した純利益」を主張していた。これに対してザクセン課税当局は、その後半部分「当該所得源泉がそのような長期間にわたって所得を提供していない場合は、その存在期間を基準とするが、もはや所得を得ていない場合は、評価の時点において同一である所得の水準に基づくものとする。」と主張していた。
これらの主張に対して苦情処理委員会は、ザクセン所得税法と1870 年5月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法によって、「営業の実施」に対する帰属所得の算定について以下のように見解を述べている。
本件の苦情処理委員会の判断理由の分析
苦情処理委員会の見解は次のように組み立てられている。苦情処理委員会は、所得税法第5 条第1 項でザクセン国外での営業所得はザクセンでの課税所得に算入しないとしている。そして所得税法第16 条の最後段によれば、「別段の定めがある場合を除き」と規定している。すなわち、第5 条によって国内の事業に帰属する所得と限定される。その帰属する所得についての算定方法に関して第16 条以下の別段の定めを参照することになる。所得税法第16 条が定める本件に用いられる別段の定めについて以下のようになる。本件で問題となったのが、所得税法第16 条の別段の定めである第21 条第5項第2 文である。第21 条第5 項第2 文は「商業、独立した営業及び賃貸借からの所得を計算する場合、過去3 事業年度の平均で獲得した純利益、または当該所得源泉がそのような長期間にわたって所得を提供していない場合は、その存在期間を基準とするが、もはや所得を得ていない場合は、評価の時点において同一である所得の水準に基づくものとする。」としている。
A)所得推定の根拠条文第21 条第5 項第2 文について
本件では所得の推定を行っている。その根拠条文として次の条文があげられている。所得税法第21 条第5 項第2 文では、その所得の推定について、2つの方法が示されている。第1 は「過去3年度の平均で獲得した純利益」、第2 は「評価の時点において同一である所得の水準に基づくもの」である。所得税法第21 条第5 項第2 文によって所得の推定を行うものである。今回の異議申立てでは、苦情処理委員会は、「評価の時点において同一である所得の水準に基づくものとする。」を採用した。この苦情処理委員会の判断によって後の異議申立てに対する判断理由が現れてくる。
B)所得を国家間で配分する方法について
苦情処理委員会は、判旨の中で「これらの税金は、それぞれ当該連邦構成国内で行われる取引とそこから生じる所得にしか適用されない。」「競合する課税権を行使するために、商人の両事業からの所得は、製造利益と取引利益に分けられなければならない。」としている。すなわち、連邦構成国のそれぞれの課税権の調整のため本店と支店の所得に関しては、「製造利益と取引利益」に分けなければならない。したがって、本店と支店がそれぞれあたかも独立した企業が取引を行ったものとしてみなさなければならないと説明している。
C)所得を国家間で配分する理由
苦情処理委員会の見解として、独立企業原則を用いて、国家間の課税の配分を行うことについて次のように説明している。「支店に製造者より納入した商品よりも高い価格で販売するため、支店に納入した商品の価格が取引者に不利になることはない。支店に納入された商品の計算が低くても、その後支店でその販売により大きな利益を得るので、取引業者にとって不利にはならないが、製造が行われている国の課税所得を減らすことになり、製造が行われている国の課税権を侵害するので、製造が行われている国で認める必要がない。」すなわち、取引価格が高すぎても低すぎても問題がある。納税者にとって不利にはならないが、国家とっては不利になると指摘している。その結果、第21 条第5 項第2 文の後半部分を採用した。
D)課税所得の算定における苦情処理委員会の見解について
苦情処理委員会は、ザクセンでの課税所得について見解を述べた後、「これは、逆のケースで、仮にベルリンの事業で得た利益が、この事業に投下した資本の利子に達するか、それを超えるか、それを下回るかにかかわらず、ザクセン王国の課税事業所得に加えられるのと同様に、認められないからである。」と述べている。この「逆のケースで」という部分については、苦情処理委員会は1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法第3 条を根拠として課税権を考慮しザクセンだけ多く課税所得を見積りすることはできないとしている。つまり1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法第3 条によりプロイセンでも国外源泉所得が切り離される。したがって、連邦法によってザクセンの本店に帰属する所得のみを考慮される。
本店と支店に所得を配分する問題は1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法の法案検討時まで遡ることができる。国家間の所得配分の問題として次のように取り上げられている20。1870 年3 月21 日の連邦内閣委員会の報告書には「支店に対する課税と、複数の国家領土にまたがる営利事業の場合について検討されたことが明記されている。1870 年3 月21 日の連邦内閣委員会の報告書には、支店に対する課税の問題が議論されたが、その決定は常に事実関係の特定の構成に依存し、したがって個々の事例における実践に委ねられなければならないと確信した」と明確に記されている。このように1870 年には、複数の国家にまたがる事業が問題であると指摘されるに留まった。そして1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法には、独立企業原則が規定されなかったのである。1870 年法の立法過程において、支店に帰属する所得の問題が取り上げられたが名明確に規定されるところまでは至らなかった。
関連する判例として、1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定の影響を受けていると考えられる判例として次の判例がある。1885 年11 月5 日のライヒ裁判所の判例(Entscheidungen des Reichsgerichts in Zivilsachen (RGZ),Band 15, 1885, S27-33)では、「事業活動(Gewerbebetriebes)の総支出に対する個々の部分の支出の割合や、個々の部分で行われる事業活動の類似性などが考慮される」と述べられた21。このライヒ裁判所で示されている基準は独立企業原則につながると思える。
2 つの先行研究では、取引価格の問題に着目して次のように指摘している。Antoni は、次のように問題点を指摘している。
Antoni は、1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法では先送りにされていた問題点について、「個々の事業間でどのように利益を配分するか、特に製造事業から販売事業に供給される商品をどのような価格に設定するか、という新たな困難が生じることになった」としている22。つまり本店と支店の利益配分を新たな問題と指摘した。
本支店間の取引価格の内容について、Hattingh は、「一法人の散在する事業活動は、事実上反対に扱われなければならなかった。商品とサービスの供給に関する取引は、事業活動が異なる連邦国家で行われた場合に解釈されなければならず、これらの推定取引は、独立した当事者によって締結されたかのように価格設定されなければならなかった。」としている23。したがって法人の事業活動における内部の取引価格によっては、一方の国家に不利益が生じてしまう。つまり、このことを受けて先述したように、この1885 年1月12 日ザクセン財務省決定が独立企業原則の出発点となる事案であったと考えることができるとHattingh の論文は指摘している。
1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定の中で、独立企業原則の考え方を理論的にはっきりと確認することができた。Antoni は価格決定を新たな問題と表現した。Hattingh が指摘するように最も早い時期のものである可能性がある。1885 年11 月5 日のライヒ裁判所の判例よりも10ヶ月早く示されている。取引価格の修正の問題は、実際に記帳された価格ではなく別の基準によって本支店の利益がそれぞれ計算されるようになった。Hattingh の論文を手がかりに、その先行研究からドイツ領域内で独立企業原則がどのように形成されたのか観察した。ライヒ裁判所の判例よりも10ヶ月早く示されていることを考えると1885 年1 月12 日ザクセン財務省決定が早い段階で独立企業原則を理論的に示していたと結論づける。
1 山田晟『ドイツ法概論』(有斐閣・1954)14 頁。
2 大竹虎雄「国際連盟と二重課税問題(上)」税2 巻8 号(1924)16 頁。なお大竹は「エーベルヒ財政二重課税の項」「フィナンツ・アルヒヴ所載の諸条約」「フィナンツ・アルヒヴシャンツの論文『国際連盟と二重課税』」「大蔵省主税局『内国税時報』」を参照したとしている。
3 大竹・前掲注2)18 頁。
4 Hensel Albert =杉村章三郎訳『獨逸租税法論』(有斐閣・1931)52 頁。なお、この文献において1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法の十分な説明は発見できなかった。
5 Sunita Jogarajan, Prelude to the international tax treaty network: 1815-1914 early tax treaties and the conditions for action, 31 OXFORD JOURNAL OF LEGAL STUDIES 694. (2011). Sunita Jogarajan は、Melbourne Law School の教授である。Sunita の研究対象は、第二次世界大戦前の国際租税法史である。Sunita の著書SUNITA JOGARAJAN, DOUBLETAXATION AND THE LEAGUE OF NATIONS(Cambridge University Press. 2018)は、2019 年フランスバニステンダール賞を受賞した経験がある(出典https://law.unimelb.edu.au/about/staff/sunita-jogarajan 2022 年8 月アクセス)。なお租税条約の出発点を1869 年プロイセン・ザクセン租税条約とする論文(Christian Freiherr, The very Beginning-The First Tax Traties, in HISTORY OF TAX TREATIES(Thomas Ressler Ecker, Gernot ed. .2011). pp-17-39)がある。Christian Freiherr の論文では、“1869/1870 treaty”(p23)と記述しているので1869 年プロイセンザクセン租税条約と1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法の両方を示している可能性がある。1963 年OECD モデル条約の基礎は1869 年プロイセン・ザクセン租税条約にすでに存在していたと指摘している(p35)。
6 Johann Hattingh, On the Origins of Model Tax Conventions : Nineteenth-Century German Tax Treaties and Laws Concerned with the Avoidance of Double Tax, in STUDIES IN THE HISTORY OF TAX LAW, VOLUME 6 1, (John Tiley ed. 2013). Johann Hattingh は、ケープタウン大学の商法学部の教授であり、南アフリカ高等裁判所の弁護士である。ケンブリッジ大学で法学博士号を、ケープタウン大学とオランダのライデン大学での両方でLLM 学位を取得し、ステレンボッシュ大学でB. Com(法律)とLL. B 学位を取得した(出典http://www.tax.uct.ac.za/aprof-johann-hattingh 2022 年8 月アクセス)
7 ibid.
8 ibid.
9 G. Antoni, Die Steuersubjekte im Zusammenhalte mit der Durchführung der Allgemeinheit der Besteuerung nach den in Deutschland geltenden Staatssteuergesetzen, Finanz-Archiv 1888.5, S.392.
10 Hattingh, 2013.
11 恒久的施設とは、支店、事務所、工場などをいう。
12 “Antoniʼs observation and the Saxon Ruling of January 1885 probably represent the earliest articulation of what is nowadays known in OECD Model parlance as the separate entity approach to attributing profit to a permanent establishment on the basis of the armʼs length principle.” Hattingh, 21. 2013. なお、OECD モデル条約について他の論文では、恒久的施設に帰属する所得については1920 年代の国際連盟での議論が出発点とする文献がある(Luque Jimena, Article7 Business Profits, in HISTORY OF TAX TREATIES(Thomas Ecker & Gernot Ressler ed., 2011). p343.)。特殊関連者条項の独立企業間価格については、米国での1917 年の内国歳入法典が出発点であるとする文献がある(Martin Lehner, Article9 Associated Companies, in HISTORY OF TAX TREATIES(Thomas Ecker & Gernot Ressler eds., 2011). p392)。
13 増井良啓=宮崎裕子『国際租税法』(東京大学出版会・2008)38 頁。
14 増井・前掲注13)38 頁。
15 増井・前掲注13)38 頁。
16 増井・前掲注13)38 頁。
17 ザクセン王国所得税法については次の文献を参照した。Rossberg, Die kgl. Sächs. Steuergesetze, Leipzig 1882. S76
18 1870 年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法については次の文献を参照した。Drucksachen zu den Verhandlungen des Bundesrathes des Norddeutschen Bundes / 1870, Bd. 1 = Nr. 1 - 50 Berlin, 1870
19 3 文字程度読み取れないため〓とした。BLT とも読める。
20 Bericht Bundesratsausschüsse Nr. 44. 1870 S.8.
21 Th. Clauss, Das Reichsgesetz vom 13. Mai 1870 wegen Beseitigung der Doppelbesteuerung, Finanz-Archiv 1884. S.179、Clauss の論文によれば、1870年5 月13 日北ドイツ連邦二重課税排除法制定後の判例がいくつか紹介されているが、独立企業原則が決定的な所得配分方法ではなかったと推測できる。例えば鉄道会社の所得の問題でハンブルクとリューベックに駅が存在しプロイセンを通過する場合プロイセンの課税が問題となっていた(B.R.D.S. Nr. 118 von 1873)。
22 G. Antoni, 1888, S.444.
23 Johann Hattingh, 2013, 21.