2020 Volume 2 Pages 29-35
子ども文化の中でも,日本の子どもの歌は多種多様で,その豊かさには目を瞠るものがある。それは,かつて近代化を急ぐ日本において導入された西洋音楽と従来の日本の伝統音楽とのせめぎ合いの中で唱歌や童謡が生まれ,さらにはレコードから始まり,ラジオやテレビ,また最近ではゲーム,ネットなどの各種メディアの目覚ましい普及に伴い,子どもの歌が量産されてきたからである。このような多種多様な子どもの歌の混在は日本独自のものとも考えられるが,だからと言って野放図なままに量産と消費を繰り返すだけでことは済まないであろう。とくに保育の場にあって子どもの歌は,発達にも関わり重要である。
本稿は,唱歌の成立に関わったとされる賛美歌に着目し,「子ども賛美歌」を視座に子どもの歌とは何か,さらには子どもたちにとって歌とは何かについて改めて問うものである。
Within children’s culture, Japanese children’s songs are remarkable for their richness and diversity. As Japan rapidly modernized, western music fused with traditional Japanese music leading to the birth of singing songs and nursery rhymes. Children’s songs have been mass-produced with the rapid spread of various media, starting with records, radio, television, and more recently computer games and the internet. This rich variety of children’s songs can be thought of as unique to Japan, but it is not just a matter of repeating mass production and consumption. Especially in childcare, songs are very important to children’s development.
This paper focuses on hymns which are said to have influenced the creation of singing songs, revisits what children’s songs are, and what the songs are for children, from the perspective of children’s hymns.
「子ども賛美歌」注1)とは,キリスト教(プロテスタント)の教会の教会学校注2)やキリスト教保育注3)の幼稚園,保育所,認定こども園などで歌われる子どものための賛美歌をいう。現在は『こどもさんびか改訂版』(日本キリスト教団出版局,2002)が用いられている。
日本の教会も「日曜学校」の時代から「教会学校」,「こどもの教会」やようち園,ほいく園,家庭でも,「こどもさんびか」を歌ってきました。今まで歌ってきた『こどもさんびか』ができたのは1966年(1~84番),1983年(85~143番)でした。1997年に『讃美歌』も43年ぶりに新しくなり『讃美歌21』が生まれました。このさんびか集には,おとなとこどもがれいはいでいっしょに歌える歌や,いろいろな国の歌がはいっています。(日本キリストきょうだんさんびか委員会「新しい『こどもさんびか』のしゅっぱんにあたって」)注4)
『こどもさんびか改訂版』(以下,改訂版とする)出版にあたっての言であるが,ここに述べられているように改訂版は,43年ぶりの賛美歌の見直しによる『讃美歌21』にあわせて,「おとなとこどもがれいはいでいっしょに歌える歌」や「いろいろな国の歌」,つまり「ともに」「みんな」という現在私たちが直面しているいわゆるグローバリゼーション,そしてダイバーシティ,さらにはインクルーシヴということを重視した「子ども賛美歌」なのである。
「時代と共に『こども理解』『教育観』『教会学校観』『礼拝理解』が変わってきたこと」(塚本潤一)注5)に対峙し,満を持して出版されたと言っても良いこの改訂版は,後述のように子どもたちにも受け入れられ,「全体的には好意的に迎えられ,また順調に育っているこどもの賛美歌集」(同)なのである。しかしながら,このような改訂版は一般にはあまり知られず,歌われることのないものとなっている。それは一言でいえば,賛美歌はキリスト教という宗教に関わる歌であり,クリスマスの賛美歌などの例外はあるもののなかなか一般化するものではないということだが,「讃美歌こそ,今日の日本の歌の起源なのだ」(安田寛)注6)と明言されるように日本において唱歌の誕生と賛美歌は分かちがたいものであったことを思えば,「子ども賛美歌」を限定されたものと見做し,子どもの歌としての検討を疎かにするのは今後に問題を残すのではないだろうか。
本稿は,現在,子どもの歌であっても特殊であり,限定的で一般的な子どもの歌とは異なる扱いをされている「子ども賛美歌」を視座に,その検討を通して日本の子どもの歌の現在,またその諸問題を考察するものである。
改訂版までの「子ども賛美歌」の歩みについて,そのおおよそをまず確認したい。賛美歌の研究をライフワークとした小宮郁子は,「日本のプロテスタント宣教初期に初めて歌われた賛美歌は,子ども賛美歌だったと言われている。わたしたちがよく知っている『主われを愛す』である。一八七二年,ジェームズ・バラ宣教師による『エスワレヲアイシマス』という訳で『一同で試唄』したという記録が残っている」注7)と述べ,「今の日本の教会の賛美のルーツに子ども賛美歌があった」(同)と「子ども賛美歌」が賛美歌の原点であったことを指摘している。この小宮郁子「子ども賛美歌の歴史」注8)を参照しつつその足取りを辿ると次のようになる。
最初の賛美歌集は奥野昌綱,戸川安宅編纂の『童蒙讃美歌』(1890年)とされるが,1892年には教会というよりは幼稚園での使用を念頭においたA・L・ハウ選『幼稚園唱歌』,子どもの感性に寄り添い,歌詞表現が平明で,明朗な曲が多く取り入れられた画期的な『ゆきひら―少年讃美歌集』(1901年),1920年に東京で開催された第8回世界日曜学校大会の結実というべき『日曜学校讃美歌』(1923年),その直後の「改訂増補」(1928年),戦時中の「戦中版・時局版」(1944年),戦後すぐの「戦後・臨時版」『日曜学校讃美歌』(1947年),その後に全面改訂した『日曜学校讃美歌』(1949年)を経て,1953年『こどもさんびか』全97編が刊行された。この1953年版は大幅にタイトルが変わっただけで,『日曜学校讃美歌』の外観としての版型や体裁はほとんど変えられずに受け継がれ,収録賛美歌が十数曲増えただけであった。
1966年の改訂『こどもさんびか』全84編は今までの倍以上の大きさで,楽譜・歌詞も見やすく配置され,歌詞の口語化が進み,日本人作の賛美歌も増えた。1983年には幼い子どもたちの歌を中心に1966年版を補完し,通し番号で編まれた『こどもさんびか2』全59編が刊行され,1987年には合本にもなった。
2002年の改訂版は,1966年版以来37年ぶりの改訂で,全143編の内訳は,前歌集から69編,『讃美歌21』から新しく46編,その他新曲28編であった。新しい賛美歌も積極的に選ばれ,『讃美歌21』と共通で歌える賛美歌も増えて,子どもだけ,大人だけと峻別するのではなく共に用いる可能性が増えた。
以上,改訂版に至る歩みを概観したが,この改訂版の特徴について,小宮は「礼拝重視」「多様性と共同体性」「単なる歌を超えて」「子どもと大人と共に」の4点を挙げている。ここでは主に「多様性と共同体性」に着目し,改訂版を検討するものであるが,この点についての小宮の説明は次のとおりである。
日本人作の賛美歌が増えた他,アジア・アフリカ・南アメリカの賛美歌も収録される等,収録賛美歌が多様になっているのも特徴である。内容的にも,これまでの子ども賛美歌にはない,あるいは少なかった観点の賛美歌が見られる。「正しい良い子になりましょう」という道徳的内容が前面に出た歌は減り,多様性を認め合い,隣り人と共に生きるという賛美歌,平和をわたしたち自身が作り出すという賛美歌,神さまの創造と自然や環境について歌う賛美歌など,現代の教会が向き合っている問題を歌いこんだ賛美歌も収録された。(小宮郁子)注9)
このような「多様性と共同体性」は,改訂版以前にも実は見出されるものであり,とくに1983年版では,神の子,つまり「よい子」「強い子」という固定したイメージ,道徳的な内容が少なくなり,「共に」「みんなで」が増え,また少ないながらもアジアの賛美歌(台湾,ネパール,韓国)も入った。それが改訂版では,中道基夫によれば,「『よい子』『強い子』という言葉が出てくるのはたったの三%,ほんの五曲ほどです。『共に』『みんなで』という曲は三五%にも及びます」注10)となり,欧米以外のアジアやアフリカ諸国の子ども賛美歌も収録され,今を生きる子どもたちに寄り添い,教会の課題にも向き合うものとなったのである。
このような改訂版は子どもたちにも好評で,「こどもの礼拝アンケート」注11)では,「『こどもさんびか改訂版』でよく選曲される歌」の30曲中,「こどもが好んで歌う」上位10曲は,2曲(10ことりたちは,106どんどこどんどこ)以外は改訂版で特徴的な賛美歌である公募のもの(94ふしぎなかぜが),「世界と人間」としてまとめられたもの(114やさしいめが,135きゅうこんのなかには,119しゅにしたがうことは,129どんなときでも,132きみがすきだって,131かなしいことがあっても,137かみさまにかんしゃ)なのである。
このように子どもたちに受け入れられている改訂版であるが,以下,音楽面からその理由についての考察を試みたい。
「宗教改革者ルターは『牧師は言葉で説教をし,会衆は賛美で説教をする』と語ります。『こどもさんびか』をみんなで歌うことによって,『み言葉の伝道』となるのです。ですから賛美の核には『聖書の言葉』あるいはそのパラフレーズ(他の言葉で元々の文や一節を言い換えること)が用いられなければなりません」注12)と塚本潤一が述べるように,賛美歌は言葉が重要である。いわゆる詞先であり,それゆえに「よい子」「強い子」のように歌詞が取りざたされることが多いのだが,一方では,「歌は強い力で無意識のうちに歌う者の心の中に入っていきます。賛美歌を作り,そして編集していく作業は,非情に優れて宣教的な働きだと思いますし,歌詞だけでなくメロディーもまたメッセージを伝えるものなので,神学的な考察の対象としなければならないと考えています」注13)と水野隆一が指摘するように音楽面の検討もゆるがせにできないことがらなのである。
水野は台湾のパイワン族の賛美歌で,東アジアの音階の「マリ マリ ティ イエスさま」(改訂版138)を取り上げ,「ヨーロッパの音階で,和声法の基本的な規則に従ったものだけを歌うのか,それとも,そこから離れた,もっと別の歌を歌っていくのかという選択は重要になります。というのも,自然とメッセージになって伝わるからです。『マリ マリ ティ イエスさま』を歌うと,『キリスト教はヨーロッパだけのものじゃないよ,アジアの気持ちで,アジアの体で,アジアの仕草で,イエスさまをお迎えしてもいいのですよ』というメッセージがこの音楽を通して伝わっていくことになります」注14)と,具体的にその音楽の重要性を明らかにしている。
賛美歌がどのように子どもたちに届き,受け入れられているのかをさらに音楽面から掘り起こすために「どんなにちいさいことりでも」(改訂版58)を次いで取り上げたい。
『こどもさんびか改訂版略解』注15)によれば,「どんなにちいさいことりでも」は,長年保育園,幼稚園に関わった仙台の尚絅短期大学教授で牧師の伴侶でもあった菅千代が作詞し,京都市立芸術大学,同志社女子大学,東京芸術大学等で教鞭をとり,「尺八とオーケストラのための協奏曲」で尾高賞,合唱組曲「海鳥の歌」で芸術賞優秀賞を受賞した廣瀬量平が教会学校の子どもたちが歌う歌声を思い出しながら作曲した賛美歌である。
「どんなにちいさいことりでも」
1 「どんなに小さい 小鳥でも 神さまは 育ててくださる」って,イェスさまの おことば。
2 「名前も知らない 野の花も 神さまは さかせてくださる」って,イェスさまの おことば。
3 「よい子になれない わたしでも 神さまは 愛してくださる」って,イェスさまの おことば。
同書の解説には「この歌は『 』の中の言葉をイエスが直接いわれた言葉として強調し,神とわたしたちの関係,いのちあるものを愛される神を表現しています。/音楽的にも作曲者はこれを見事に表現しています」注16)とあるが,水野は,「子どもの一つの信仰告白として三つの『イエスさまのおことば』が歌われ,/今までの『こどもさんびか』で歌われていた,よい子になれないと怒られる,ちょっとでも悪いことをすると嫌われるというメッセージが,『よい子になれないわたしでも神さまはあいしてくださる』というメッセージに変わって」注17)いる菅千代の歌詞に廣瀬量平は2小節が最小単位である西洋音楽の基本構造から踏み出し,11小節としていると,詳細に分析,説明し,これは画期的な曲であるという。
わずか一一小節の間に巧みなハーモニーの変化を織り込んでいます。特に一段目から二段目へ行くところで,短調の和声を響かせていますが,その中に「ちいさい」ということと「神」との間の本質的な断絶が感じられるように思います。わずか数拍の間に,どんどんハーモニーが変わって,臨時記号がいくつもついています(C-Cmin7-A(D)-D-Emin9-A7-D-Gm-Cmin7-F-Fmin7-B♭)。その結果,ニュアンスが生み出されていて,それが歌詞によく合っています。先ほどの正則の中のハーモニーから一歩も出ない賛美歌(「かみよ わたしの」など:筆者注)とは全く違って,むしろそこから自由になって,感情を表現していると思います。(水野隆一)注18)
歌詞と相まって,否,より正確には歌詞を見事に生かした曲であるがゆえに,賛美歌の言葉は確実に届き,根付いていくのである。賛美歌が先述の「み言葉の伝道」となるゆえんである。
キリスト教が旧教と呼ばれたカソリックからプロテスタントという新教になった時,一番目立った変化の一つは,それまでは主に専門の僧侶の仕事だった歌うことが,お祈りに集まったみんなで声をそろえて歌うことになったことだ。新教,プロテスタントはまさに歌う宗教だった。彼らの祈禱にとっては,それほど歌うことが大切だった。歌なしでは彼らの宗教は考えられなかった。その歌う歌が,彼らの宗教の魅力でもあった。(安田寛)注19)
歌うこと,つまり賛美歌によって伝道すること,それを
皆で声を揃えて合唱するという行為は,人々に連帯感を生み出し,維持してゆく上で絶大な効果を発揮します。/
十九世紀という時代は,ヨーロッパ諸国において,共通の公用語や法律,戸籍管理システムなどの統治のもとにある「国民」が同時に主権者として国家を支えてゆく「国民国家」という新たな統治システムが成立した時代でした。それはまた,人々に,そこに帰属する「国民」としてのアイデンティティ意識をもつことが求められたということでもあり,それを推進するものとしての合唱が未曽有の隆盛をきわめた時代でもあったのです。(渡辺裕)注20)
今や当たり前になった歌うことの歴史的な意味を明らかにした渡辺は,音楽の「コミュニティ・ソング」的な機能が1970年代あたりから希薄化してきたのではないかと指摘するが,このような変化・変容については子どもの歌も同様であり,さらに拍車がかかったのが現状だと言い得るであろう。そこに子どもたちを含めたメディア環境の激変という事態があるとは今さら言うまでもない。例えば,小宮「子ども賛美歌の歴史」も次のように述べた後にその最後は閉じられるのであった。
インターネットの急速な発展により,音楽環境は激変した。音楽のネット配信が日常のこととなり,音楽文化もあらたな時代を迎えているともいえる。このように,「個別に消費される音楽」に取り囲まれている時代にあって,「人間のナマの歌」を媒体とし,活用して,「メッセージ」を表す・伝えるとはどういうことなのか。「個」であり「弧」である時代に,共に集まり,祈り,歌うということのたいせつさを,改めて考えてゆきたい。(小宮郁子)注21)
メディアと子どもの問題は現在喫緊の課題であるが,メディアの文明論的な規模ともいうべき変容は今に始まったことではなかった。ヴァルター・ベンヤミンの「複製芸術」の問題,またウォルター・オングの「声の文化と文字の文化」の指摘などがすぐさま想起できるが,日本においてはレコードやラジオによる「声の文化」の再編は1920年代にみられた。「一九二〇年代の近代日本の社会変動は,まさに子どもとメディアとが構造的に結び付いていく変容のプロセスだった」注22)と童謡を焦点化しメディアの変容と子ども文化について論じた周東美材の卓見のとおり,メディアと子どもの問題は,1920年代から検討すべきことがらなのだが,ここではその問題の所在を確認するにとどめるものとする。
私たちの周りには様々な音が満ち溢れている。人の声をはじめ生活音,自然音,音楽,また雑音もそこに含められようが,そのような中でも音楽は子どもたちにとってとりわけ重要なものとしてある。
何よりも音楽は子どもにとって,遊びの一種である。年齢の低い子どもにとっては音響それ自体が好奇心の的であり,環境内にある事物に触ったり,叩いたり,押さえたりするたびに,どんな音が出るのかとか,高い音,低い音,明かるい音色,暗い音色と変わったりすることが興味深いのである。また,環境内の事物の音だけではなく,子ども自身の音声それ自体が遊びの対象である。幼児期の子どもにとっては,言葉は完全に意味をもったコミュニケーションの道具となりきっているわけではなく,その途上にあり,音声の音響性への興味を残しているので,言葉のイントネーションは,ともすれば遊びとなり,歌となる。このような子どもにとって歌うことは音声の遊びであり,大人と違って遊びが生活の中心となっている子どもにとっては,歌うことも,音を鳴らすことも,生活にとって,また成長にとって必要不可欠の精神的栄養になっている。すなわち,自分の行為と環境の変化との因果関係を調べることを通して世界像を作り上げるのに不可欠なものであるともいえる。(梅本堯夫)注23)
子どもにとって音楽とは何かについて,梅本はこのように述べ,「子どもをとりまく教育環境の世界,すなわち幼児教育の現場では,伝統的に音楽の重要性を認識して,日々の教育や行事のなかに音楽を取り入れている」(同)と続けている。こうして,幼児教育・保育の現場において,歌と遊びのみならず,リズムへの同期が効果的に取り入れられ,集団での動きやふるまいなど,社会性が自ずと身につくこととなるのである。
このように子どもにとって重要な音楽であるが,なかでも歌は言語習得にも関わって着目され,研究も多く,様々な知見を得ている。比較行動学の正高信男の研究成果を踏まえながら,歌と言語について触れてみたい。
正高は「赤ちゃんはなぜ歌が好きか」注24)として,母親が出す子どもへのメッセージはまず旋律として把握されること,ヒトの新生児は協和音への生得的な好みがあること,言葉の発声そのものが複数の音程の協和音の連鎖であり,言語音の持つ倍音構造と呼ばれる特徴であること,育児語もさることながらそれ以上にメロディーにのせて言葉が発せられると微妙な差異にも子どもは反応し,言葉を習得するための第一歩となる,と示唆に富んだことがらを明らかにし,「言語の習得とは,子どもにとって身体全体を巻き込んでなされる営みなのだ」注25)と述べている。
養育者との情緒的交流を通して,分節的発声の技術がつちかわれ,喃語が生まれる。そして身体運動が緻密化するなかで,大人は一定のパターンの動作に社会的意味づけを与え,彼らが生まれる文化圏での喃語に類した語彙に対応する指示対象は身のまわりのどれであるかを教示する。他方,子どもはというと,特定の対象との関係から,ことばの適切な意味を「からだ的思考」を介して,酌みとっていく――(正高信男)注26)
この「からだ的思考」に関わってくるのが声という肉声,身体性に根ざす歌なのであり,その源にこのような歌があるからこそ,私たちは次のような音楽をめぐる言説に出会うことになるのである。
音楽と数学とは,それぞれを美的なものとして鑑賞するときには共通するところが多いが,数学というものは,音楽のように肉体に影響を及ぼすことがない。/
音楽が数学ほど抽象的でないのは,生理的な興奮を引き起こすからであり,しかも,音楽の起源と目されている人の声というものは,情緒に訴えて心を通わせ合う手段だったからである。音楽は知的なものであると同時に情緒的なものであって,心と体の結びつきを繕っているのである。こういう理由で,音楽というものが数学よりもいつも個人的にずっと重要なものに感じられるし,主観的で,繊細でもある人生の浮き沈みにずっと密接な関連があるように感じられるのである。とはいえ,進行を整えること,つまり,抽象的な諸関係を問題にする点では,同じである。ピタゴラスが,宇宙の調和とは音楽の調和であるとともに,数学の調和でもあると確信していたのも,別に不思議ではない。(アンソニー・ストー)注27)
きわめて哲学的なものではあるが,音楽について馴染みのある物言いのひとつである。音楽について,また歌に関して,それは人間の根源にまつわることがらであって,問題は多岐にわたる。本稿では,「子ども賛美歌」から子どもの歌についての検討を試みたが,それは緒に就いたばかりで,問題は多く残されたままである。子どもの歌についてその歩みの確認,そこから見出される今の問題,とりわけメディアに関すること,また保育における子どもの歌についても今後のこととなった。
現在「子ども賛美歌」として用いられている改訂版は,賛美歌としてあくまでも教会の礼拝を重視したものとなっているが,今を生きる子どもたちへの理解と共感,また今の時代や社会を見据えてまとめられた今の子どもの歌でもある注28)。課題は山積しているが,このような「子ども賛美歌」によって,少なくともその存在を知ることによって,量産と消費に終始するかのような子どもの歌の現在を振り返る契機となることを期待したい。