抄録
本稿は、岡崎哲夫の森永ヒ素ミルク中毒事件の被害児救済運動の感情史研究である。この事件は後遺症が公的には無いとされたことから、各地の運動が衰退の一途を辿ることになった。ところが岡崎率いる岡山県組織だけが活動を継続し、事件発生から14年後の出来事を機に世論の支持を受け、恒久救済機関の設立を得、今日に至っている。
このような世間の無理解という社会体制における感情に抗ったリーダーの感情を理解し、今後の支援に活かすためには、社会福祉分野における感情史研究が必要である。なぜなら社会福祉は人間の「幸福」を追求し、この幸福とは感情語であるからである。AI など高度化する情報化社会、感情の平板化が危惧される現代社会にあって、「感情体制」の再解釈や「感情共同体」において共有された感情語に着目、研究を進める感情史研究は、社会福祉の価値を追求し、人々をエンパワメントするソーシャルワーク実践に有益な示唆を与えてくれよう。