稲盛和夫研究
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論文
アーカイバル研究から見た稲盛ライブラリーの魅力と将来の可能性
―渋沢栄一記念財団での体験を通じて―
木村 昌人
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ジャーナル オープンアクセス HTML

2022 年 1 巻 1 号 p. 55-72

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Translated Abstract

The Inamori Library, which holds all documents relating to Inamori Kazuo, is one of the most precious archives in Japan and the world in terms of both quality and quantity, comparing favorably with those of Shibusawa Eiichi, Matsushita Konosuke, Honda Soichiro, and others. In this paper, I present the appeal of the Inamori Library from the perspective of archival research as well as discuss the challenge of developing its library functions further, referencing the long-term archival development project of the Shibusawa Eiichi Memorial Foundation.

The Inamori Library “focuses on Kyocera founder Inamori’s philosophy of life and management, and showcases his path as an engineer and business leader, as well as many philanthropic activities,” with the aim of being a place of learning for its visitors. It is a treasure vault of primary sources for managers and researchers with an interest in Inamori Kazuo or Kyocera.

The focus of this paper is the documents organized and stored in the library room. I discuss how it can be made easier to use mainly for researchers studying Inamori or Kyocera, considering three perspectives: (1) method of archivization (organizing unorganized documents and storing them), (2) method of making documents available, and (3) organizational development for archivization. Based on that, I wish to offer advice for enhancing the library’s future potential.

To speed up the progress of this work, it is crucial that I properly decide on detailed practical elements. As such, this paper goes beyond theoretical analysis and touches on practical aspects as well.

1. はじめに

稲盛和夫に関するすべての資料を保管している稲盛ライブラリーは、質量ともに渋沢栄一、松下幸之助、本田宗一郎などのライブラリーと並ぶ世界と日本にとって貴重なアーカイブズである。本稿では、稲盛ライブラリーをさらに充実するための課題を、公益財団法人渋沢栄一記念財団(以下渋沢財団と略す)の長期にわたるアーカイブズ整備および展示・研究事業を参考にしながら論じたい1

稲盛ライブラリーは、「京セラ創業者、稲盛和夫の人生哲学、経営哲学を中心に、技術者、経営者としての足跡や様々な社会活動を展示」2して、来館者に学びの場を提供することを目的としている。稲盛和夫や京セラ株式会社に関心を持つ経営者、研究者にとっては、一次資料の宝庫である。

本稿が焦点を当てるのは、稲盛ライブラリー収蔵庫に整理保管されている資料である。研究者が稲盛研究や京セラ研究を進めるため、こうした資料をより利用しやすくする方法を、①アーカイバル化(未整理の資料整理を行い、保存すること)、②稲盛和夫資料の補充、③アーカイバル化を進めるための組織体制の整備の3点から、短期、中期、長期に期間を分けて考察し、最後に将来の可能性を伸ばすための提言を行いたい。

こうした作業には、実務的な細かい要素をしっかりと決めておくことが欠かせない。本論文では、理論的分析にとどまらず、実務面についても触れることになる。

2. 所蔵資料のアーカイブ化への準備

(1) 稲盛ライブラリーの現状

はじめに稲盛ライブラリーの現状を把握しておこう3。アーカイブはもともと書庫や保存記録を整理整頓の上保存するという意味である。また必要な資料をすぐに取り出せることが肝要である。次に誰にとって必要かということが重要なポイントとなる。公共図書館の場合には、広く図書館を利用する人々の多様なニーズに応えるため、すべての資料を一定のルールに基づき整理保存している。これに対して稲盛ライブラリーは、京セラ株式会社の総務人事本部に所属する組織である。稲盛ライブラリーでは、京セラ株式会社の創業者稲盛の経営者・技術者としての足跡、思想、社会活動などを展示品と写真、さらには映像で紹介している。すでにウェブ上から展示の内容をバーチャル見学できるようにもなっている。ここで京セラ株式会社本社に隣接している現在の稲盛ライブラリーの8階建て(展示フロアは1階~5階)のビルディングの内部を見てみよう。

稲盛和夫の座右の銘「敬天愛人」が掲げられている1階入り口を入ると、稲盛の生い立ち、経営思想、社会活動が展示されている。2階には、京セラ、KDDI、日本航空という稲盛がその経営に深くかかわってきた3社に関する記念品や展示を解説している。3階は、稲盛の思想の解説、4階は社会活動として稲盛財団の京都賞、盛和塾の活動が展示されている。5階には、国内外の産業界、行政、大学から稲盛に贈られた賞や記念品が展示されている。これらの展示を見学すれば、来館者は稲盛の思想と活動の全貌を理解できるであろう。

次に稲盛ライブラリーの文書管理の現状はどうなっているのであろうか。「稲盛和夫研究会」の数回にわたる研究会および第1回シンポジウムでの粕谷報告、井上報告により、収蔵庫の保存資料とその現状が明確になった。報告によると稲盛和夫の手書きの手帳や日記、および原稿草稿が時系列に沿って保管されている。また社内資料などデジタル化されている文書データは、件数にして4,111件あり、それとは別に約3,000件が、ファイルボックスに入れられて保管されている。ファイルボックスの中の資料は案件ごとにまとめられているが、すべてを把握しているわけではない。

これに加えて、稲盛ライブラリーのスタッフは、渋沢史料館、PHP研究所、三菱史料館、三井文庫、住友史料館などの見学、アーカイブ研究専門家と企業アーカイブ建築業者(大日本印刷、凸版印刷)などへのインタビューを終え、他の企業家博物館・企業史料館の状況も把握しているといえる。

最後に稲盛ライブラリーの組織を見ていこう。稲盛ライブラリーは次の3部門、すなわちアーカイブ課(資料整備と保存、企画展示)、研究・出版課(稲盛和夫の著作、講演録などの整理と出版、「稲盛和夫研究会」への支援)、オペレーション課(展示フロアの案内)に分かれ、それら3部門を館長が統括している。

以上からわかるように、稲盛ライブラリーは、かなりの程度資料整理が行われ一般向けの資料の展示やデジタル化が進んでいる段階にあるが、研究者が内部資料にあたり研究を進めるための体制はまだ整っていない段階にあるといえよう。

(2) 外部の専門家から見た稲盛ライブラリーへの疑問

すでに指摘したように稲盛ライブラリーはデジタル化が進んでいる。ここでアーカイブ化を進めるにあたり、外部のアーカイブ専門家や筆者から見た率直な疑問を2点提示しよう。一つ目は「ライブラリー」という名称にもかかわらず、所蔵資料に関する情報がホームページに掲載されていないことに違和感を覚えるという点である。

英語ページでは「Inamori Library」となっているが、この点について海外の研究者の目にはどう映るかが気にかかる。パナソニックと比較してみよう。パナソニック社のアーカイブズについては下記ページで記事にしている。

パナソニックのアーカイブズ―「世界/日本のビジネス・アーカイブズ」

https://www.shibusawa.or.jp/center/ba/bunken/doc018_panasonic.html

ちなみに英語版は、https://www.shibusawa.or.jp/center/ba/bunken/doc019_panasonic_en.htmlである。

パナソニックの例で重要と思われるのは、それぞれの行動に理由があり、それらが一つのコンテクスト上にある点といえよう。

二つ目は「稲盛ライブラリー」は博物館(ミュージアム)/図書館(ライブラリー)/アーカイブズのうちのどれにあたる施設と考えればよいか、という疑問である。現在のホームページを見る限りにおいては稲盛ライブラリーは「博物館(ミュージアム)」である。しかし活動や組織全体を見れば、三要素をすべて含んでいることがわかる。そこで「ミュージアム」と「ライブラリー/アーカイブズ」(MLA)に分けて考えてみよう。その設置根拠となる博物館法と図書館法の定義によれば、アーカイブズは図書館に準じるものと考えることができる4

以上から、博物館は「自機関で収集した資料を展示して見せる」場所となり、「展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し」た施設となる5。一方、図書館は「収集した資料(と情報)を利用してもらう」施設になる。稲盛ライブラリーの目指すのはどちらか、それともMLAを組み合わせるのか、を決めなければならない。それによってデジタル化へのアプローチの仕方が変わってくる。

筆者の今までの調査からは、稲盛ライブラリーを渋沢財団と比較して次のように考えてみるとわかりやすい。

a)稲盛和夫OFFICIAL SITE https://www.kyocera.co.jp/inamori/

b)稲盛ライブラリー https://www.kyocera.co.jp/company/csr/facility/inamori-library/index.html

c)稲盛デジタル図書館 https://www.inamori-dl.jp/

これら3つは、渋沢財団の

1)→渋沢栄一はa)にあたり、

https://www.shibusawa.or.jp/eiichi/index.html

2)→渋沢史料館(6人の専任学芸員と館内案内係として外部委託職員約10名)の中にb)とc)が含まれる。c)は稲盛の講話映像を視聴できるサービスで、稲盛ライブラリーにてコンテンツを提供し、京セラの子会社、KCCSが運営している。

https://www.shibusawa.or.jp/museum/index.html

3)→情報資源センター(4人の専任スタッフと、外部のパートタイム職員数名)は、稲盛ライブラリーの中にその萌芽が見られる。

https://www.shibusawa.or.jp/center/index.html

また、稲盛ライブラリーの「研究・出版課」を渋沢財団の「研究センター」にあてはめて考えたい。

「稲盛和夫研究会」は1989年5月に正式に発足した「渋沢研究会」に対応できる。ただし渋沢史料館の「渋沢研究会」との関係は、『渋沢研究』(年1回刊行)の出版費用を支援しているが、「渋沢研究会」は渋沢財団とは別個に独立した任意団体として事務局を設け、研究会会員が企画運営を行っている。具体的な活動内容は、研究会の開催(原則月1回、ただし8月、9月、2月、3月休会。年間8回)や特別イベントの企画・運営や、会費徴収、会員名簿の管理、研究会の周知などの事務作業である。

稲盛ライブラリーの場合は、ライブラリーが所蔵する図書と文書資料というリソースを組み込んで、事業をコンテンツ-リサーチ-リソースという3層構造とし、

・リソース:稲盛ライブラリーの「図書館/アーカイブズ」機能

・リサーチ:稲盛和夫研究会

・コンテンツ:稲盛和夫OFFICIAL SITE、稲盛ライブラリーの展示(ウェブでの発信を含む)、稲盛デジタル図書館

に割り当て、それぞれが情報発信を行っていると理解すればよいであろう。以上の現状を踏まえたうえで、今後の課題を考えていこう。

3. 今後の課題

(1) 目標設定と短期(1年以内)の課題

様々な分野で社会に大きく貢献した人物の資料を公開することは、その人物の再評価につながることが期待される。つまり生前や同時代に評判の必ずしも芳しくなかった人物も、本人の日記や関係資料の発掘と公開により知られざる一面が見いだされ、その人物の奥行きの深さや多面性が明らかになると、それまでの評価が一変する場合がある。概して人物評価が上がる場合が多い。したがって稲盛ライブラリーのさらなる資料公開により、稲盛和夫の経営者、リーダーとしての側面だけでなく、昭和、平成、令和の三つの時代に生きる一人の人間としての魅力をより多面的、かつ深く伝えることができるであろう。

今後の作業計画の全体像から始めよう。稲盛ライブラリーの充実を図るためには、全体計画を立て、達成するまでに要する期間と人員、予算を綿密に作成しておかなければならない。計画を立てるときに、重要なことは完成するまでの期間を短期(1年以内)、中期(2~3年)、長期(5~10年)のような3つの期間に大別し、目標を立てることである。

まず、すぐに始める必要のある短期の課題から述べることにする。

① オーラルヒストリーによる稲盛関連資料の補充

短期(1年以内)には、稲盛の人生や活動に関するオーラルヒストリー資料の拡充である。稲盛和夫本人へのインタビューはすでに多く行われているが、できるだけ早い時期に稲盛と関係の深い社員と社外の友人、家族から稲盛についての様々な話を聞いておく必要がある。稲盛和夫本人はもちろんのこと、社内の関係者や家族からの聞き取り調査も可能な限り、早く実施してほしい。

聞き取り調査の場合、本人に対して行うことはもちろんだが、2~3人同席して行う方法も有効である。同席者との会話の中から、記憶がよみがえることが多々あるし、本人の記憶違いが修正されることも期待できる。また当初予想していなかった新事実の発見につながり、当時の社内の雰囲気などもうかがい知ることができる。例えば、渋沢財団では、渋沢栄一の曽孫の渋沢雅英(前渋沢財団理事長)と阪谷芳直(阪谷芳郎の孫)の対談を1990年代に数回行ったが、対談の中から、渋沢栄一の嫡孫で後継者となった渋沢敬三(日銀総裁、大蔵大臣を歴任)や阪谷芳郎(渋沢栄一の次女の夫、大蔵大臣、東京市長を歴任)のひととなりに加えて、渋沢、阪谷両家の家風や様々な人的ネットワークが次々に明らかにされ、対談の成果は大きかった6

稲盛和夫の場合、講演録をはじめ、数多くの著作はほとんど単著であるので、彼自身の経営哲学や技術開発に関する苦労談などは明らかになっているが、家族や親戚、社内関係者、社外の友人などとの複数インタビューを行うと経営哲学や技術開発に関して今まで語られなかった事実の発掘につながることが期待できる7

② 保存資料の整理―パイロットスタディの活用

ファイルボックスに保存されている約3,000の資料群の内容をチェックし、分類することが急がれる。1年ですべての資料をチェックすることは不可能であるから、まずは分類整理方法を確立するためにパイロットスタディの活用が考えられる。作業に当たる人員としては、専門スタッフ(学芸員、司書、デジタル技術者、研究者など)数名が妥当であろう。

資料をどのように整理分類するかは、ライブラリーの基本であるが、周知のように図書館では、日本十進分類法(NDC)が広く使用されている。どのジャンルの本がどの場所にあるか数字でわかるようになっている。しかしながら稲盛ライブラリーでは、必ずしも分類法にとらわれず独自のルールに基づいて、研究者にとって利便性の高いものにする必要があろう。

案件別にまとめられている塊集資料をどのように整理するかが問題になるが、まずは内容の分析から始めることである。ファイルボックスの中に何が入っているか、その内容・性質などを明らかにすることである。次に解析作業である。解析とは分析から得られた情報をベースにして、より細かい作業を繰り返し、物事の本質に近づくための作業になる。資料を取り扱った本人の氏名や肩書を調べておくことが肝要である。もし最初に分類した関係者に聞き取りが可能であるならば、本人の立会いの下に、資料群を収集した日時、場所、その際に気がついたことなどを聞き取り調査し、記録しておくことが大切である。こうした作業を通じて、整理方法も見えてくるであろう。

③ デジタル化の開始

デジタル化は長期間継続して行われるが、方法論を議論する前に、まずは開始することが大切である。最初は「社内報」のようなすでに公表されていて、スキャンなどの比較的作業が容易なものから始めるとよいと思われる。次にパイロットスタディの結果から、分類方法を決定したファイルボックスの資料に案件名称と通し番号をつけ、デジタル化を行うことである。

この事業を行うにあたっては予算に制約があることを考えておかなければならない。専門家が計画を立てると、今までにないより良いものを創りたいという意識から、ともすれば経費を考えずに計画を立ててしまう傾向がある。経理の立場から無駄を省くという観点からも、その作業の必要性や作業にかかる時間と人数を厳しく査定する必要がある。

他方、働き方改革が叫ばれている今日、作業にかかわる人員の健康管理に十分注意して、無理のない計画を立てなければならない。経理担当者はどうしても「遊び」を少なくしたいと考えるが、作業を開始すると思わぬ落とし穴がある。例えば、担当者が急に何らかの理由により、作業を継続できなくなる場合も想定しておかなければならない。いわゆるリスク管理を徹底して行い、予備費として計上しておくことも必要だろう。

その意味では、図書の整理はアウトソーシングも考えられる。アーカイブズの整備は、関西の諸大学でアーカイブズ学の講座を持っているところ等と提携し、学生の実習として整理作業を協力してもらうこともできる。ただし図書もアーカイブズも、それを統括する内部の責任者(専門家)が必要であることは言うまでもない。

(2) 中期(2~3年)の課題

① 長期を見据えた予算計画の策定

すぐに開始しなければならない作業のうち、単年度で終了するものはともかく、ほとんどは年度をまたがる。次に2~3年先までの中期計画について考えていく。その作業は2~3年で終了せず、時には5年、10年先に完成する長期目標に組み込まれることもある。その場合留意しなければならないのは、いったん開始された長期プロジェクトが、途中で予算の削減や打ち切りになることである。こうした事例は決して例外ではなく、文部科学省科学研究費や企業の長期計画に往々にして見られる現象である。文教予算の削減や、企業利益が減少した場合、経費削減はこうした長期計画の見直しまたは取り止めにつながる。特に基本資産の運用益を財団活動の原資にしている財団法人は、近年の低金利時代には長期プロジェクトそのものを取り止めることが多い。

渋沢財団実業史研究情報センター(現在は情報資源センター)の場合は、『渋沢栄一伝記資料』のデジタル化の完成までの期間を10年と定め、初年度に予算を審査する際にその旨を付帯決議として理事会で承認を取った。このため数年後の金利の低下による運用益の減少にもかかわらず、約4億円の全費用は削られず、10年間で予定通りデジタル化がほぼ完成した。

② 広報活動

中長期にわたる計画を進めるときには、広報を通じて、組織内外の人々にその必要性や内容をよく理解してもらうことが肝要である。渋沢財団の場合、実業史研究情報センターは、こうした同センターの長期にわたる活動を周知させるために、次の2つのことを行った。

a)センター・マンスリーの発行

渋沢財団で新しく立ち上げた実業史研究情報センターによる情報基盤の整備は、渋沢史料館や研究活動には不可欠であったが、内部での理解が重要であった。特に長期間の地味な作業だけに、2006年1月から「センター・マンスリー」を発行し、事業ごとに前月の成果と翌月の予定をまとめ、プリントアウトして、毎月財団内で行われる全職員が参加する事務打ち合わせ会で簡単な説明を行い周知を図った。これはセンターに限らず、史料館、研究部(現在の研究センター)も同様な方法で、全職員が財団事業への関心を高める努力をした。

b)メール・マガジンの発行

ライブラリーの活動実績を公表し、ライブラリーの世界の最新情報を広く知らしめるために、年4回(季刊)メール・マガジンを発行した。かつては史料館や博物館では、「紀要」や「年次活動報告書」という形式の紙媒体で刊行していたが、現在では、ホームページ上での発信が多くなっている。

メール・マガジンの問題点は保存方法にある。メール・マガジンに限ったことではないが、紙資源の節約や保存場所の確保といった観点から、現在ではほとんどがネットやパソコン上での保存になっているが、数十年以上の長期保存を考えるのであれば、少なくとも1部は紙媒体で保存する必要があろう。すべてのメール・マガジンの保存が難しければ、年4回分の要約あるいは項目だけでもよいかもしれない。

保存スペースの確保はすべての史資料館に共通する頭痛の種である。この数十年間に、企業や公共機関で保存スペース確保の困難さから、大量の紙媒体の資料が廃棄されている。例えば、各都市商工会議所での商工図書館では、戦前から刊行されていた月報が、東京、大阪などの大都市ではマイクロフィルムで保管されているものの、多くの会議所が50年史、または100年史などを刊行した機会に原資料を廃棄することが多い。地元の大学や公共図書館へ寄贈することが望まれるが、そのような受け入れ機関がない場合には廃棄されている。商工業に関する史資料を失うことは、歴史研究者だけでなく、近代日本社会の歩みを商工業の視点から考える教材を失うことになるので残念なことである。稲盛ライブラリーには、是非デジタル化が進んでも、紙媒体の原資料は保存してほしい。

③ デジタル化の作業の本格的始動

研究者の関心が高いと思われる稲盛和夫の手帳および自筆のノートや原稿などは、スキャンしてマイクロフィルムを作成するなどデジタル化の準備を行わなければならない。次にファイルボックスに保管した資料に関しては、引き続きファイルボックスの中身のチェックが終わり次第、リストに加えていく。その際外部の利用者にデジタル化資料について、アンケート調査を行うことが望ましい。『渋沢栄一伝記資料』のデジタル化の場合は、ある程度進捗した際に、いくつかの大学のゼミナールで資料検索のワークショップのケーススタディとして利用してもらい、担当教員やゼミナール生に、その使い勝手についてアンケートを行った。アンケート実施により、今まで見逃していた問題点が数多く指摘され、資料検索システムの改善作業につながった。

デジタル化はいったん開始した作業を何らかの都合により途中で中断または停止すると、それまでの作業はまったく意味のないものになってしまう。数年後に作業を開始するとしても、その間にデジタル技術の進歩があれば、すでに古くなってしまった技術に基づく計画は使い物にならず、最初から計画自体を作成しなおすという大きな無駄を生み出してしまう。

したがって、先述したように複数年度にまたがるプロジェクトでは、プロジェクトの予算案を諮る際には、単年度経費だけでなく、計画の全体像を示し、所要期間と全費用を明示し、完成時までに内外環境の変化にかかわらず、途中で変更しないことを付帯事項として、理事会や評議員会で承認を取っておく必要がある。その意味でも、中期計画や長期計画の中にデジタル化を組み込んでおかなければならないのである。こうしたことは、直接ライブラリー活動には関係ないように思われがちであるが、計画を達成するためには不可欠である。

渋沢史料館の場合は、長年にわたる寄贈資料を整理するための学芸員の不足により、本格的に資料を整理するのが遅れ、デジタル化を始めるまでに相当な年月を要した。それに比べて稲盛ライブラリーの場合は、すでに書庫に大まかといえども分類され保管されている。とりあえず、一般向けの資料の展示やデジタル化が進んでいる段階にあるので、ここでは研究者向けの資料整理を対象に考えてゆきたい。もちろんライブラリー所蔵の資料を用いた研究が進展するにつれ、その成果は広く世に問うだけでなく、一般向けの館内の展示に反映されなければならない。また一般の見学者の反応や質問などから変更すべき点も多々生じる。つまりライブラリー関係者と一般の見学者との双方向の対話は欠かせない。

④ 外部資料の発掘と塊集

中期計画で手を付けておかなければならないのは、稲盛和夫に関する外部資料の収集である。渋沢栄一、松下幸之助、小林一三、本田宗一郎など経営者として高く評価される人物の記念館は、その思想や業績を顕彰する目的で作られているため、公開されている資料はその人物を好意的に評価しているものばかりになる傾向がある。公表するかどうかは別として、その人物に対する批判や場合によっては非難中傷のようなものでも、人物を多角的に検証する場合には重要な史料となりうる。『渋沢栄一伝記資料』は、一民間人としての資料としては、世界でも類例を見ないほど膨大な量が含まれ、渋沢栄一研究の基礎的資料になっている。500近くの企業の設立や経営と600といわれる非営利団体(NPO)の設立、運営、支援を行った渋沢の超人的な活動を分析するために活用されている。しかし残念なことに、渋沢栄一に批判的な資料はほとんど収録されていない。

第一国立銀行の設立や初期の倒産の危機への対応、1909年の大日本製糖の疑獄事件と酒匂常明社長の自殺事件などでは、渋沢は反対派やメディアから手厳しい批判を受けた。しかし渋沢の事件に対する弁明や主張は掲載されているが、反対派の意見や新聞・雑誌記事は掲載されていない。渋沢栄一についての研究に対して、肯定的な評価ばかり強調されていて、彼の欠点や失敗についての分析が少ないと内外の学会でよく指摘される。当然の疑問であるが、伝記資料に基づく研究だけでは、この疑問に答えることはできないのである。

そこで研究部では、国内外のメディアや同時代に生きた政治家や財界人の日記や自伝などから渋沢栄一についての記述を渉猟し研究を進めた。死去したときの弔辞や新聞の死亡記事は参考になるが、やはり功績をたたえるものが多く批判的な論評は少ない。

しかし渋沢の場合、20世紀に入り米国を4回、ヨーロッパを1回、中国を1回、韓国を2回訪問しているので、現地メディアの記事を丹念に追った結果、数多くの関係記事を発掘することができた。特に1914年の中国訪問については、武漢の華中師範大学渋沢栄一研究センターが中国各地の新聞から渋沢関連の記事を収集し、資料集として刊行した。その一部は日本語にも翻訳され出版した8

人物研究をより客観的なものにするためには、反対派や中立的な立場にある人物からのコメントを利用することが望ましい。こうした観点から稲盛ライブラリーでも、稲盛和夫に対する批判的なメディアの記事や論文もぜひ収録してほしい。中には的外れの記事もあると思われるが人物研究の深化には欠かせない作業である。日本の多くの人物記念館の場合にこの作業が行われていないケースが多いのであえて言及しておきたい。

⑤ 稲盛和夫卒寿祝賀記念シンポジウムの開催

1932年に生まれた稲盛は2022年に90歳(卒寿)を迎える。この祝賀記念事業として、企画展示、講演会、シンポジウムを行い、その内容をまとめ、刊行し、新たな資料として保存することが考えられる。記念行事は経費もかかるが、それを機に様々な資料が発掘されるチャンスでもある。渋沢財団でも、渋沢栄一生誕150周年記念シンポジウムや渡米実業団(1909年)100周年などの企画展示などを通じて、新資料が数多く発掘された。

次の段階として、解析を終えた資料をどのように整理・保存するかという作業に入るわけであるが、研究者の観点からは、塊集資料群は細かく分類せず、その塊をそのままにし、案件名を明記して一つのファイルボックスに入れておくことが望まれる。その理由は、出来事や案件を分析する際に必要な資料は一カ所に集まっている方が好ましい。多角的に分析できるし、一見関係なさそうな資料も思わぬ発見につながるからである。もしバラバラに分類されて保管されるとそうした作業ができなくなり、のちの研究者のその案件に対する正確な理解を妨げることになるのである。

(3) 長期(5~10年)の課題

デジタル化の推進は、引き続き行わなければならないが、長期の課題としては、出版事業、国内外のネットワークの形成、外国語(英語と中国語)での発信について言及したい。

① 『稲盛和夫を知る事典』の刊行―記録としての文字情報の重要性

稲盛和夫自身の資料については、彼が数多くの講演を行い、その多くは著作物やCDとして利用できることができる。その数は膨大なものであるが、稲盛和夫に関する基礎的で全体的な情報を簡便にまとめ、社会に提供する事典が必要であろう。

渋沢財団での事例を紹介したい。2011年、辞書や事典の出版に関して長い歴史を有する東京堂出版から渋沢栄一に関する基礎的で全体的な情報を、簡便にまとめた『渋沢栄一を知る事典』9を創りたいとの提案があり、研究部が主導して財団挙げてのプロジェクトとしてスタートした。

全体を二部構成として、第一部では、多岐にわたる渋沢栄一の生涯にかかわる出来事や彼自身の思想について100項目に絞り込み、I生涯、II活動・実績、III思想・知的人的ネットワークに分類して記述した。II活動・実績では、栄一の業績を20代から80代以降と10年ごとに区切って紹介した。原資料の『伝記資料』や多くの書物は、事業別、分野別に分類、紹介されることが多い。このため、栄一の同時に多方面の事業にかかわってきたというユニークな面がうまく紹介できない。そこで事業開始の時期を編年でとらえ同時並行的に多面的な活動を理解できるようにしたわけである。

第二部では、資料から見た渋沢栄一の具体的な内容として、人物事典には欠かせない系図、年譜、文献案内に加えて、『伝記資料』の総目次と渋沢栄一がかかわった主要な企業の社名変遷図を作成し、収録した。

a)『稲盛和夫を知る事典』の内容

こうした『渋沢栄一を知る事典』を参考にして、『稲盛和夫を知る事典』を刊行するとすれば、どのような内容にすればよいであろうか。やはり二部構成とし、内容は、100項目(生涯、活動実績、哲学と知的人的ネットワークなど)、資料から見た稲盛和夫―稲盛家系図、稲盛和夫略年譜、文献案内(主要資料、著書、講演録、伝記、評伝、研究書など)、関連会社社名変遷図などとなろう。一種の啓蒙書であるが、稲盛和夫だけでなく、「稲盛和夫研究会」の社会へのプレゼンスを示すという点からも重要である。

注意すべき点は、没後90年になる渋沢栄一と異なり、1932(昭和7)年に生まれた稲盛和夫は、89歳の現在も盛んに講演や執筆活動を続けている。したがって系図や人的ネットワークをどこまで収録するかは、個人情報の保護という点から注意が必要となる。

b)執筆チームの結成から出版に向けて

事典を編纂する場合には、執筆者チームの編成が欠かせないが、執筆者全員に、出版の目的や趣旨を明確にして共有させることが肝要である。また編者が最終的に全体に目を通し、文体や用語法を整えることが、一体感を醸し出すためには欠かせない。

② 綱文の英訳および中国語・韓国語訳の作成

稲盛和夫は、1983年に「盛和塾」を25名で開始し、塾生は「心を高め、会社業績を伸ばして従業員を幸せにすることが経営者の使命である」という稲盛の経営哲学をじっくり学んだ。「盛和塾」は36年の活動を行い、2019年末の閉塾時には、国内で56塾、海外では48塾、塾生数は約15,000名にまで増加した。1993年にはブラジルで初の海外塾が開催され、その後米国や中国などでの海外塾開催につながった。2019年に開催された世界大会には、4,791名の参加があった。全国会員名簿が作成され、5,000人を目標にして、組織化が推進された。1992年には季刊「盛和塾」が発刊され、のちに、機関誌「盛和塾」に名称を変更した。「盛和塾」の国際的な広がりからもわかるように、稲盛は現在の日本の経営者の中で、世界から最も注目されている人物といっても過言ではない。特に中国の経営者は、日本航空を再建した稲盛の手腕を高く買っている。

しかし、稲盛の経営哲学や実績を紹介する英語および中国語文献の数は非常に少ない。グローバル化が進む時代において、現在のコロナ禍が2~3年以内に収束すれば、再び、日本には毎年4,000万近くの外国人観光客やビジネス関係者が訪問すると予想される。来日した外国人が最も多かった2018年の訪日外国人数は、日本旅行業界協会によると、約3,118万人に上り、内訳は、中国(約840万人)、韓国(約780万人)、台湾(約476万人)、香港(約220万人)、米国(約153万人)、タイ(約110万人)の順になっている10。中国人の数は訪日外国人の約37%に上り、中国語圏全体では約半数を占める。コロナ禍で2021年の人数は激減しているが、早晩元の水準に戻ると考えられる。ますます稲盛ライブラリーに海外経営者のツアーや研究者が訪問する機会は多くなると想像できる。すでに英語と中国語によるキーコンセプトの説明はなされているが、さらに詳しい英語と中国語の説明、加えて、韓国語のパンフレットや解説が必要である。

例えば松下資料館では、松下幸之助と出会い対話するというコンセプトの下で、松下の肉声と映像が視聴できるだけでなく、日本語、英語、中国語、韓国語の4カ国語の展示室ガイドブックをそろえている。渋沢史料館も中国、韓国からの見学者が多いのだが、日本語の解説しかなく英文パンフレットがあるだけである。そのため、多くの潜在的な外国人への配慮が欠けている。

稲盛ライブラリーでは、英語と中国語で展示のエッセンスが紹介されているが、稲盛和夫を世界の人々に知らしめる機会を増やすために、英語および中国語の音声ガイダンス設置やパンフレットを配備してほしい。

③ 国際的な学会への参加

企業アーカイブズはどのような価値を持つかを考えてみよう。意思決定、透明性の確保、コンプライアンス、説明責任、リスク管理、法務、CSR、社史編纂、教育研修、経営理念継承、マーケティング、製品開発、ブランド戦略、広告宣伝などが考えられる11

アーカイブズのデジタル化をはじめ、アーカイブズの整理、保存、展示に関しては、IT技術の著しい進歩により、新しい方法論が生まれている。したがって、こうした動きを追うことは、各ライブラリーやライブラリアンにとっては不可欠になっている。そこで国際アーカイブズ評議会(ICA: International Council on Archives)の企業・労働アーカイブズ部会(現在のビジネス・アーカイブズ部会〈SBA: Section for Business Archives〉)、世界経営史学会(WCBH: World Congress of Business History)などへの参加を勧めたい。国際アーカイブズ評議会の企業・労働アーカイブズ部会は、デジタル化への注目が集まった21世紀に入ってから設立された。

また、世界経営史学会(WCBH)は、2年に1回世界各地の大学を会場として開催される。2021年は、日本の南山大学で開催された。ヨーロッパ経営史学会や各国の経営史学会とは独立して、経営史の国際連合のような存在といえる。この学会には、毎回300名近くの経営史研究者が参加するので、こうした機会に稲盛和夫の経営哲学や事績を報告するだけでなく、稲盛ライブラリーの特色を紹介することは、資料に基づいて経営者研究を行う多くの研究者に当ライブラリーの存在を知らしめる絶好の機会になるであろう。

加えて、稲盛ライブラリーを会場として、国際シンポジウムを開催することも大切である。渋沢史料館の企画展に合わせて、研究部がそれぞれのテーマに詳しい研究者や実務家によるシンポジウムを開催した。また世界経営史学会で、渋沢栄一を岩崎弥太郎など同時代の日本の実業家と比較するだけでなく、カーネギー、ロックフェラー、アルベール・カーン(仏銀行家)、張謇(中国実業家)、ハン・サン・ヨン(朝鮮実業家)などと比較分析を行うパネル報告を行った。またハーバード・ビジネス・スクール、パリのOECD本部、トロント大学マンク国際関係研究所、北京大学「儒商論壇」などで、渋沢栄一の思想と行動について発表した。

情報資源センターは、国際アーカイブズ評議会の企業・労働アーカイブズ部会で、渋沢栄一伝記資料のデジタル化や、渋沢栄一の関連会社の社名変遷図などについて報告を行ってきた。その結果、情報資源センターのブログは、2009年度グッドデザイン賞を受賞した。

④ 共同展示

博物館や史資料館の世界では、企画展を行う際、ほかの博物館から資料を借りて展示することはあるが、学芸員同士が展示について相談し、共同で企画展示を行うことはめったにない。しかし研究者の学会では、複数の研究者が同じテーマに関して議論し、テーマを様々な角度から掘り下げ、共同論文や共著として刊行することは多々ある。研究者個人研究とは一味も二味も違う多面的な研究成果が得られる。

共同展示についても同様な効果が期待できる。渋沢史料館の事例を紹介しよう。渋沢栄一の足跡をたどり、彼の国際協調の精神を生かし、海外の史料館との共同展示を行った。

経済や文化を中心とする国際交流を促進するために渋沢が尽力した日本と米国、中国、カナダ、フランスとの近代化・産業化の比較展示を下記のように行った。

「日米実業史競(くらべ)」(会期―2004年9月9日~10月2日、会場―セントルイス・マーカンタイル・ライブラリー、主催―渋沢史料館、セントルイス・マーカンタイル・ライブラリー)

「渋沢栄一の生涯」(会期―2005年5月21日~23日、会場―文峰飯店、中国江蘇省南通市、主催―渋沢史料館、張謇研究センター)

「日本開化自慢」“The Birth of Modern Industrial Society in Japan”(会期―2005年6月13日~7月29日、会場―国際交流基金トロント日本文化センター、主催―渋沢史料館、国際交流基金トロント日本文化センター)

「日米実業史競」“Different Land/Shared Experiences: The Emergence of Modern Industrial Society in Japan”(会期―2005年10月2日~11月27日、会場―渋沢史料館、主催―渋沢史料館、セントルイス・マーカンタイル・ライブラリー)

「日中米の近代化と実業家」“Modernization and Entrepreneurs of Japan and America”(会期―2009年6月7日~7月31日、会場―渋沢史料館、主催―渋沢史料館、南通博物苑、セントルイス・マーカンタイル・ライブラリー)(同じコンセプトで展示内容に変化を加え、南通博物苑〈2009年8~9月〉とセントルイス・マーカンタイル・ライブラリー〈2009年10~11月〉においても開催された。)

「渋沢栄一とアルベール・カーン」“Shibusawa Eiichi and Albert Kahn: Exchanges between Two Businessmen from Japan and France”(会期―2010年3月20日~5月5日、会場―渋沢史料館、主催―渋沢史料館、フランス・オードセーヌ県立アルベール博物館)12

稲盛和夫の思想や実績を他の経営者と比較して展示することは、稲盛の特色を引き出すことになり有効であろう。

⑤ 70年社史の編纂

日本の企業は、海外の企業に比べて、自社の歴史すなわち社史を30年、50年、70年、100年など10年刻みで刊行することが多い。一方外国企業は、執筆する研究者に資料の閲覧を可能にして、委託事業とするのがほとんどである。しかし日本企業の場合は、社内に社史編纂室を設けているところが多い。筆者が訪問した東京、大阪、横浜商工会議所商工図書館や日本郵船や東洋紡の社史編纂室などには、社史作成一筋に30~40年勤務した研究員が在籍していた。彼らは社史編纂のために利用した資料のすべてに目を通して、企業のキーパーソンへのヒアリングなどに同席しているため、社史の行間に社内および業界事情に通暁していた。最近では日本企業の多くは社史編纂室を閉鎖し、総務部などが代わりに資料管理などを行っているが、100年史など節目の社史を刊行したのを機に、企業史料は地元大学または創業者の出身大学へ寄付される。

また最近のデジタル化の普及と経費が掛かるという点から、紙媒体の社史を刊行する企業が減少している。先述したように資料の保存という観点からは、デジタル化現象は必ずしも好ましいとは限らないのである。

京セラ株式会社は、2029年に、1959年4月に資本金300万円をもって、京都市中京区西ノ京原町101番地に本社および工場を設立してから創業70周年を迎える。現在から8年後にあたり、本格的な社史を編纂するには、十分な期間があるので、是非取り組んでほしい。稲盛和夫研究会の発足により、今後、稲盛和夫の経営哲学と京セラの企業としての歴史も次々に解明されていくであろう。成果は年1回刊行予定の研究紀要に掲載され、論文集としても刊行されるであろう。そうした研究成果を踏まえながら、充実した70年史を刊行することを勧めたい。

⑥ プライバシーの保護と著作権処理

最後にデータベース資料の公開にあたり、注意すべき点として、プライバシーの保護と著作権の問題を考えたい。

a)透明性の確保とプライバシーの保護

経営者の思想の形成を分析するときに、生まれ育った地域の環境や家庭環境が重要な要素となる。まず家庭環境から考えてゆこう。少年期は人間の性格や思想形成に大きな影響を及ぼす。例えば、渋沢栄一の場合は、北関東の裕福な農家の長男として生まれた。商才のある父は藍玉販売、養蚕などを手掛け、そのうえ漢学の教養もあり、血洗島村で有数のリーダーであった。栄一はお金の苦労もなく、武士に引けを取らない文武両道にわたる教育を受けた。こうしたことは、渋沢の円満な性格形成に大いに役立ったと考えられる。その意味では、家族構成や生家や養子先の職業、慣習、人間関係は人物研究には欠かせない。

しかし渋沢のようにすでに没後90年経過している人物であれば、それほど問題にはならないが、現在に至るまで活躍している稲盛和夫の場合には、家族や友人関係を公開することは、プライバシーの保護の観点から難しい問題を含んでいる。たとえ稲盛本人の了解を得たとしても、家族や関係者が公開を望まない場合は、写真や映像を公開することはできない。他方、稲盛の人生哲学、経営哲学や京セラ株式会社との関係などをより深く研究する場合には看過できない要素を含んでいる可能性がある。

それでは未来永劫公開できないのであろうか。例えば、日本の外交文書の場合は、30年経過したら原則として公開するという「30年ルール」がある。第二次世界大戦前日本では、外交活動は国家間の機密とされ、非公開が前提であった。したがって外交文書は、一般には公開されなかった。伊藤博文内閣で外相を務めた陸奥宗光が三国干渉を受け入れざるを得なかったことに対する弁明の書として、日清戦争の外交指導に関する論考、『蹇蹇録』の公表を試みたときには物議をかもした。

第二次世界大戦後、外交文書は公開されることになり、外務省外交史料館での資料閲覧が可能となった。また主要文書は『外交文書』として刊行され、外交史研究が一挙に進展することになった。現在では外交文書の多くが、アジア歴史資料センターでも閲覧できるが、それにもかかわらず安全保障上の秘密事項や生存する政治家や外交官にかかわる箇所についてはなかなか公開されない。2021年現在、1990年代の外交文書の公開時期になったが、差しさわりのない文書に限り公開されているのが実情である。

稲盛和夫の場合は、経営者・技術者としての側面の研究に関係することを条件に公開を進めることになろう。

b)画像資料の利用拡大と著作権処理

学会における研究動向や大学での教育には、学問の深化と流行が反映される。21世紀に入り注目されるのは、どの分野においても画像や写真などの視覚的な史料の利用が格段に進んだことである。以前から、美術史や書道史などの芸術分野では、当然のことであったが、人文社会科学でも広く利用されることになった。

人物研究では、対象とする人物だけでなく、その家族、関係者と一緒に撮られている写真や絵画などである。歴史研究においても人物のほかに建物や場所の画像が研究論文に掲載されることが多くなった。

研究テーマに画像を必要とするものが多くなったことも指摘できる。例えば、政治と建物である。御厨貴『権力の館を歩く』13のように、政治を動かす権力者の住居や会談が行われた場所から政治権力の分析がなされている。またジャーナリズム研究においても、新聞や雑誌記事の分析だけでなく、写真、漫画、広告などを分析対象にするものもあらわれた。特に政治漫画やポスターなどは格好の素材になっている。

最近では、図や写真などの静止画像だけでなく、映画やテレビ番組など映像を伴うものや音楽などの録音素材についての研究も見られるようになった。オンラインによる学会開催や授業が増加することにより、静止画像や映像・音楽を利用した研究発表や教育が広く普及するようになるであろう。

技術的な問題は次々と解決され、より見やすい画像や音楽が提供されるようになると思われる。このため大学における教育メディアも多様化し、従来のような、黒板を使っての文字や言葉だけによる教育は、過去のものになりつつある。2020年来のコロナ感染の拡大によるオンライン授業の普及は、その傾向を一挙に推進することになった。

研究方法にも変化が生じている。絵画や写真などの視覚的な史料が多用されるようになった。例えば歴史研究では、肖像画の持つ意味を考える研究が出てきた。写真が登場する前の王侯貴族は、宮廷画家を雇い、ルイ14世、ナポレオン1世などは数多くの肖像画を残している。特にナポレオン1世は、アルプス越えやロシア遠征の戦場における彼の姿を描かせて、国民にその雄姿を強く印象付けるのに成功した。こうした絵画の持つ美術史を超える政治・軍事的な意味を考える研究も盛んになってきた14。この結果、研究成果の出版に関しても、これまで以上に数多くの図や写真が用いられるようになってきた。

画像資料の利用に関しての最大の問題は、著作権の処理をどのようにして行うかである。海外向けの出版を考える場合には、画像処理に関する基準や処理方法が海外と日本では異なることを踏まえなければならない。

海外では著作権処理は厳しい。例えば、英語圏について見てみよう。米国ハーバード大学で2007年8月に行われた第1回画像資料使用特別委員会(IUP: Image Use Protocol Task Force)で、日米の学術出版の違いが浮き彫りにされた。米国では、学術書のほとんどは大学出版会から刊行されるため、刊行目的がアカデミックなものであるか、商業目的であるかは出版社を見ればすぐにわかる。したがって学術出版の場合は、発行部数は数百部ということが多く、金銭的に見て利益が上がることはまずない。そこで出版助成金があると出版が容易になる。

渋沢財団の場合も、ケンブリッジ大学出版会との間で出版助成の契約を締結し、East Asian Perspectives on Political Legitimacy: Bridging the Empirical-Normative Divide, edited by Joseph Chan, Doh Chull Shin and Melissa S. Williams, Cambridge University Press, 2016など2冊を刊行した。またトロント大学出版会との間で、「日本とグローバル社会(Japan and Global Society)」シリーズ出版に関して、ミズーリ州立大学との共同出版助成の契約を結んだ。その結果、2011年以降現在までに、Ethical Capitalism: Shibusawa Eiichi and Business Leadership in Global Perspective, edited by Patrick Fridenson and Kikkawa Takeo, University of Toronto, 201715を含む8冊の研究書が刊行された。

一方日本では、著作権の取り扱いはあいまいである。まず大学出版会の出版活動は米国ほど盛んではないし、研究書の多くは大学出版会以外の商業出版社からも刊行されている。研究成果が公表される刊行物における著作権に関しては、その存在があいまいなものが多い。例えば、自治体に所蔵されている地域の写真などである。画像を出版物に掲載するのは、「引用」に準じて考えられる。したがって論述が主で、画像が従であれば画像を掲載することは著作権法上は問題が生じないが、画像とその対象の所有権が問題になるケースが多い16

稲盛ライブラリーの場合、稲盛和夫本人の写真や画像、ビデオを含め社員と一緒に撮られたものが数多くある。まずは、一緒に写っている社員や関係者、家族などを特定しておくことが必要である。古い写真は特に関係者を知っている人が生存しているうちに実施しておくことが肝要である。また撮影時期と撮影場所の特定と明記も併せて行わなければならない。渋沢史料館が2009年に渡米実業団100周年記念の企画展を行った際に、渡米実業団に参加した団員が撮った写真百数十枚が、子孫から提供された。しかし撮影日と場所が記録されていなかったため、米国の地理学者に依頼して撮影場所の特定を試みた。その結果約3分の2が判明した。渡米実業団の訪問先と日程はすべて判明しているので、写真が特定できたことは、その史料価値を著しく高めた。

稲盛本人を除く家族や関係者の場合、著作権上難しい問題がある。公表するかしないかを決める前に写真や映像資料の細部にまで目を通し、著作権やプライバシー保護の対象になるものをできるだけ多くリストアップしておく必要がある。プライバシー保護のルールはますます厳しくなる状況にあるので、この点は留意すべきであろう。また、著作権やプライバシー保護のルールや法律は今後改訂されると思われるので、絶えずその動向を学んでおくことが著作権侵害やプライバシーの侵害をめぐるクレームや訴訟の予防策としても重要である。

4. むすび

本稿では、渋沢財団(渋沢史料館、情報資源センター、研究センター)での経験を踏まえて、稲盛アーカイブズの充実を図るための様々な提言を行ったが、最後にグローバル化に向けて、三つの可能性を指摘してむすびとしたい。

(1) 独立法人化に向けて

「公開なくして(外部の)活用なし」とも言える現在、「デジタル」が力を発揮する。資料の「収集」「整理」「保存」「公開」をシステマティックに行い、資料の内容と扱い方を知る専門家を養成することが必要であろう。資料を扱うのに不可欠な専門家の知識と実務能力を兼ね備えた人材は、ジョブローテーション型の人事ではなかなか育たないように思われる。

また現在アーカイブ課にて整備を進めている資料がいずれ『稲盛和夫伝記資料』になり、デジタル化されるであろうが、完成した後には無料公開とした方が国内外でのネットワークは築きやすいと思われる。そのためにも稲盛ライブラリーを京セラ株式会社から切り離し、独立した公益財団法人になることを勧めたい。

そのためには、今後のデータベース化に向けての体制を整える必要がある。三極体制(博物館・情報資源センター・研究部門〈稲盛和夫研究会〉)を確固たるものとし、これらの事業を統合して京セラとは独立した財団法人が行うこととし、「図書館」であることを明確にしておけば、著作権法第31条の適用を受けることができる17

(2) 国内外ネットワークへの積極的参加

まずは、企業史料協議会や専門図書館協議会のような国内ネットワークに参加し、アーカイブズ/図書館としての役割についてポリシーあるいは方向性を組織として明確にし、実績(=リソースの整備・活用)を積むことが必要であろう。それが優良事例となれば、ICA/SBAのカンファレンスで発表されることにつながる。その際渋沢財団情報資源センターとの共同作業も可能になるであろう。したがって稲盛ライブラリーも、従来の慣習を超えて、松下資料館や小林一三記念館などとの共同企画展とその図録作成などを実施してほしい。

(3) 外国語(英語・中国語)での発信強化に伴う稲盛和夫研究のグローバル化の進展

外国語による発信を強化することにより、稲盛の経営哲学や事業が世界的に知られるようになれば、海外の経営者との比較研究を通じて、新しい資本主義体制の担い手として注目されることになるであろう。

稲盛ライブラリーのアーカイブ化は、稲盛研究のグローバル化のインフラ整備といえよう。インフラが堅固なものになれば、その上に多様かつより深い稲盛研究が花開くことが期待できよう。

謝辞

本論文作成にあたり、公益財団法人渋沢栄一記念財団情報資源センター長の茂原暢氏、および稲盛ライブラリー研究・出版課の粕谷昌志氏、井上友和氏から貴重なコメントをいただいた。ここに記してお礼申し上げます。

(1)  筆者は、1999年7月から2018年3月までの約20年間、渋沢栄一記念財団研究部(現在研究センター)の設立と企画・調査・研究活動にかかわった経験をもとに本稿を執筆した。詳細は、公益財団法人渋沢栄一記念財団編(2015)、英語版:Shibusawa Eiichi Memorial Foundation (eds.)(2014)を参照されたい。

(2)  稲盛ライブラリーホームページより。

(3)  筆者は2019年10月11日、2021年9月、11月29日の3回、稲盛ライブラリーを訪問し、所蔵資料を見学し、稲盛ライブラリーの粕谷昌志氏、井上友和氏、宮田昇氏へのヒアリングを行った。

(4)  博物館法での博物館の定義は、第2条を

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=326AC1000000285

図書館法での図書館の定義は

https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=325AC0000000118

を参照されたい。

(5)  前掲博物館法参照されたい。

(6)  渋沢雅英(1967)および阪谷芳直(2007)が参考になる。

(7)  第1回稲盛和夫研究会オンライン・シンポジウム(2021年8月26日)のコメンテーター、元PHP研究所経営理念研究本部長の佐藤氏の、「今できることをした方がよい」とのアドバイスに基づいている。

(10)  日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数(年表)」jata-net.or.jp。

(12)  同上、46–51頁。

(15)  日本語による出版は、橘川武郎・パトリック・フリデンソン編(2014)

(17)  著作権法第31条(日本図書館協会)http://www.jla.or.jp/committees/chosaku///tabid/878/Default.aspx

文献一覧
  • 橘川武郎・パトリック・フリデンソン編(2014)『グローバル資本主義の中の渋沢栄一 合本キャピタリズムとモル』東洋経済新報社。英語版:Fridenson P., Kikkawa, T. (eds.) (2017) Ethical Capitalism: Shibusawa Eiichi and Business Leadership in Global Perspective, University of Toronto Press.
  • 公益財団法人渋沢栄一記念財団編(2012)『渋沢栄一を知る事典』東京堂出版。
  • 公益財団法人渋沢栄一記念財団編(2015)『渋沢栄一記念財団の挑戦』不二出版。英語版:Latz, G., Shibusawa Eiichi Memorial Foundation (eds.) (2014) Rediscovering Shibusawa Eiichi in the 21st Century.
  • 阪谷芳直(2007)『三代の系譜』洋泉社。
  • 渋沢雅英(1967)『父渋沢敬三』実業之友社。
  • 鈴木杜幾子(1994)『ナポレオン伝説の形成-フランス19世紀美術のもう一つの顔』筑摩書房。
  • 日本政府観光局(JNTO)「訪日外客数(年表)」jata-net.or.jp
  • 御厨貴(2010)『権力の館を歩く』毎日新聞社。ちくま文庫版(2013)、筑摩書房。
  • 田彤編(2014)『一九一四渋沢栄一中国行』(中国語)華中師範大学出版会。
  • 田彤編・于臣訳(2016)『渋沢栄一と中国 一九一四年の中国訪問』不二出版。
 
© 2022 稲盛ライブラリー

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