稲盛和夫研究
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論文
京セラトップマネジメントの属性及びキャリアパス分析
―1960年代~90年代―
金 容度
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2024 年 3 巻 1 号 p. 17-43

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Translated Abstract

This article aims to clarify the attributes and career paths of top management of KYOCERA from the 1960s to the 1990s.

Compared to companies such as Panasonic, Hitachi, and Sony, KYOCERA had a shorter tenure from entry of each firms to entering directorship, especially for mid-career recurits. Correspondingly, the age at which they took executive offices was also lower than other companies. However, over time, the tenure from entry to executive positions has tended to become longer in KYOCERA as well as Panasonic, Hitachi and SONY.

The mid-career recruits assumed directorship shortly after joining KYOCERA or a short time afterwards. In addition, there were only few job rotations before they became directors of KYOCERA.

In the case of executives from new graduates, they were nurtured over time and groomed to become key players in management. After joining the company, they would typically become department heads such as the head of a business unit, manufacturing department, or sales department within 15 to 18 years. Accumulating 5 to 10 years of experience in that position, they would then be promoted to director. Additionally, it was not uncommon for individuals who joined the company as new graduates to rotate through various businesses and jobs before being promoted to director.

Even after becoming executives, they often hold high-ranking positions in various departments. The career path after becoming the executives was also the process of being nurtured as general managers. In that process, there were many persons who experienced job rotation while the others did not. This job rotation was one of important reasons why KYOCERA tended to have longer tenures for its executives.

At the same time, a series of proactive consolidations and mergers by KYOCERA resulted in a greater need for managerial manpower. Consequently, there were many cases of executives being dispatched from KYOCERA to its subsidiaries, or of KYOCERA headquarters’ executives concurrently serving as executives of subsidiary companies. There were also a lot of cases where KYOCERA top management served as executives of multiple subsidiaries. This practice of appointing executives from KYOCERA to subsidiary companies was also a strategy to cultivate young business leaders of it.

1. はじめに

本論文の課題は、企業者企業であり、多角化、系列化によって事業幅を広げてきた京セラを対象に、1960年代~90年代のトップマネジメント(役員)の属性とキャリアパスを明らかにすることである。

まず、京セラの役員の属性をみる理由について述べておこう。

経営史家のチャンドラーによれば、現代の大企業は経営者企業(managerial enterprise)と企業者企業(entrepreneurial enterprise)の二つに分類できる。経営者企業は所有と経営が分離し、俸給経営者がトップマネジメントを構成している企業であり、企業者企業は階層的な経営組織を備え、ミドルマネジメントに俸給経営者が登用されるが、トップマネジメントは創業者やその家族、友人が占めている企業である1

こうしたチャンドラーの定義に従えば、京セラも創業者の稲盛和夫氏が創業以来長年、経営のかじ取りを主導してきたことから、少なくとも1990年代まで企業者企業であったといえる。ただ、京セラの場合は、1名を除くと、創業者の家族や友人がトップマネジメントを占めたことがなかったため、企業者企業の中でも「創業者型」企業とみることができる。

こうした企業者企業では創業者がいずれ経営の第一線から退き、企業への影響力が低下し、ついになくなっていき、その代りに、創業者でない次世代のトップマネジメントがその影響力、存在感を高めていく。その意味で、企業者企業は個人企業から経営者企業へと変化する過渡の企業形態である2。さらに、日本の大企業は、社長一人ではなく、トップマネジメント集団によって経営されるという「集団経営」が特徴としていわれる。従って、日本の企業者企業の成長過程や経営上の特徴をみる上では、トップマネジメント集団の特性を分析する必要性がある。京セラのトップマネジメントである役員集団の属性に注目するのはそのためである。

実は、現代日本の大企業のうちにも企業者企業と見做しうる企業が多く存在する3。例えば、1997年3月時点の上場企業(金融機関を除く)2,159社のうち、企業者企業に該当する企業が427社であり、非上場の大企業は企業者企業である可能性がより高いから、企業者企業は少なくとも日本大企業の1/5を占めている4。従って、京セラの役員属性分析は、日本の大企業のトップマネジメント分析としての、ある程度の代表性を持つが、他の代表的な企業者企業であるパナソニック(旧松下電器)、ソニーなどの役員属性の軌跡との比較を行うことによって、京セラの特殊性と企業者企業としての他社との共通点を明らかにする。

次に、なぜ京セラのトップマネジメントのキャリアパスをみるかであるが、京セラは、創業以来、積極的な多角化と系列化によって事業幅を広げつつ成長してきた企業である。こうした多角化、系列化の中で、次々に加わる新事業を経営する担い手は常に足りなかったとみることが妥当であろう。つまり、既存のトップマネジメントでは、経営を行うマンパワーが常に不足しがちであった。それゆえ、トップマネジメントの人をどのように育てて経営に当らせるかが重要な課題であったはずである。必要なトップマネジメントをすべて外部からの即戦力の人で賄わない限りは、新卒であろうが、中途採用であろうが、社内でトップマネジメントに育てるプロセスが必要であった。いわば、スペシャリストのジェネラリストへの転換をどのように行うかが重要な課題であったのである5。こうしたジェネラリストへの転換過程を役員個人からみれば、キャリアパスである。そこで、役員のキャリアパスをみる必要がある。

特に、後に明らかになるように、京セラでは役員のうち、中途採用者の比重が高かった。新事業や系列企業の経営を行わせるために、どのような中途採用の人を社内でどのようなキャリアパスを踏ませて育てたか、トップマネジメントに入ってからはどのようなキャリアパスで経営の仕事を行ったかをみる必要がある。もちろん、時間が経つにつれて、新卒の中でもトップマネジメントに加わる人材が徐々に増えていく。こうした新卒出身の役員の場合はどのように昇進の階段を上り、役員についてからはどのようなルートで経営の仕事に当ったかをみる。後述するように、役員昇進までの勤続年数が相対的に短く、役員昇進年齢が低い方であっただけに、京セラでは取締役になってからのキャリアパスもトップマネジメントの育成過程と見做しうるため、その時期のキャリアパスも分析に含める。分析の資料として、主に、京セラ及び比較各社の有価証券報告書に記載されている役員経歴情報を利用する。

本稿の構成であるが、まず、2では、創業以来、京セラの役員数の推移と役員構成を、ソニーやパナソニックと比較しながら概観する。3では、役員就任までの各個人の経歴や属性を整理する。4では、入社してからトップマネジメントに加わるまでのキャリアパスと属性を、5では、役員に就任した時の属性、また役員就任後のキャリアパスを分析する。

2. 役員数及び役員構成の推移

(1) 役員数の推移

まず、京セラの役員数推移をみておこう。京セラの取締役(監査役を除く)6数は1970年代初頭に約15名であった。その後、持続的に増加し、ピーク時の90年代初頭には40名程度に達した。その後、90年代を通して横ばいであり、執行役員制の導入で90年代末~2000年代初に急減している。2000年代の20年間には、10名~15名で安定的に推移しており、この水準はほぼ1970年代初頭と変わらない(図1)。

図1 

京セラの取締役数推移(1973年6月~2020年6月)(単位:名)

資料:京セラ『有価証券報告書』。

こうした京セラの役員数推移を同じ企業者企業であるソニーやパナソニックのそれと比較すると、類似したパターンである(図2図3)。例えば、ソニーも創業間もない時期に役員は10名前後であり、60年代~90年代にかけて持続的に増加する趨勢にあった。ピーク時の90年代末には40名近くまでなったが、90年代末の執行役員制導入と取締役会改革によって、取締役数が急減し、2000年代後半以降は20名前後で安定している。パナソニックの場合は創業時期が京セラより40年も早いため、役員数の直接的な比較はそれほど意味がないが、50年代初頭の10名前後から、その後の約40年間、役員数増が続いた。しかし、京セラと同様に、90年代には横ばいに転じ、90年代末の執行役員制導入後には急減した。従って、執行役員制導入時期まで、企業成長、組織拡大に伴って、役員数が増加し続けるというパターンは、京セラだけでなく、企業者企業では一般にみられる現象であったということができる。

図2 

ソニーの取締役数推移(1957年1月~2018年6月)(単位:名)

資料:ソニー『有価証券報告書』。

図3 

パナソニックの取締役数推移(1951年8月~2018年6月)(単位:名)

資料:パナソニック『有価証券報告書』。

(2) 従業員1,000名当り取締役数

京セラ(本体)の従業員1,000名当り取締役数は、総じて、下落する趨勢であった。具体的に、1970年代前半に7名~8名水準であったが、その後10年ぐらい下落を続け、80年代半ばには2名に止まった。その後、増勢に転じ、約10年間は滑らかに増加し、3名水準を超えたものの、98年~2003年には再び下落に回り、2000年代には、約1名で安定している(図1)。1970年代初、従業員1,000名当り8名から、現在は1,000名当り役員1名で極めて少なくなったのである。他の企業者企業のソニーやパナソニックも、従業員1,000名当り取締役数は、例外的にやや上昇した70年代後半を除く、総じて下落趨勢にあった(図2図3)。このように、全従業員数に対する役員数を基準にすると、一部の時期を除けば、役員になることが難しくなる方向にあったという点に、京セラを含め、企業者企業の共通点を見出すことができる。

(3) 取締役会構成:平取締役比率

次に、取締役の中でも、平取締役と常務以上の上級役員は、経営への影響力が異なる点を考慮して、取締役会メンバーの中で平取締役がどれほどの割合(平取締役比率)であるかをみてみよう。

京セラの平取締役比率は、1970年代前半には70%台であった。10名の取締役の中で7名は平取締役でフラットな構造であったのである。しかし、80年代前半にかけて持続的に下落し、83年には15%にまで低下し(図4)、逆ピラミッド構造の取締役会に変化した。その間、平取締役からどんどん昇進していく人が増えていくと共に、外部からのヘッドハンティングで入社時から常務以上のポストにつく人がかなりいたためである。ただ、84年には平取締役比率が50%近くまで戻り、その後は、長期に渡って50%前後で安定的に推移している。80年代後半より半分ぐらいの人が常務以上であるという取締役会構成が定着しているのである。70年代~90年代におけるソニーやパナソニックの平取締役比率をみれば、50%を前後にして上下を繰り返している(図4)。従って、3社の企業者企業共に、取締役のうち、半分ぐらいの人が常務以上であるという取締役会構成が続いたといえる。

図4 

平取締役比率推移(京セラ、ソニー、パナソニック)(単位:%)

資料:各社『有価証券報告書』。

3. 入社までの経歴

(1) 役員のうち、新卒者、中途採用出身者比率

創業以来、京セラの取締役の大半は中途採用の人であった。時間が経つにつれて中途採用役員の比重がやや下がってはいたものの、1990年代においても取締役の3分の2近くは中途採用者であった(表1)。常務取締役以上の上級役員に限定してみても、創業以来、多数派は中途採用組であり、90年代になっても、上級役員の3分の2近くが中途採用者であった(表2)。京セラの場合、社外からリクルートされた人材(補完的な経営能力)への依存が大きかったのである。

表1 

役員のうち新卒、中途採用役員比率(京セラ、パナソニック、ソニー、日立)

(単位:%)
企業名 年代 合計 新卒役員 中途採用役員
京セラ 1960年代 100.0 16.7 83.3
1970年代 100.0 18.8 81.2
1980年代 100.0 24.1 75.9
1990年代 100.0 37.7 62.3
パナソニック 1960年代 100.0 74.1 25.9
1970年代 100.0 64.3 35.7
1980年代 100.0 67.8 32.2
1990年代 100.0 76.5 23.5
ソニー 1960年代 100.0 0.0 100.0
1970年代 100.0 10.3 89.7
1980年代 100.0 33.4 66.6
1990年代 100.0 60.3 39.7
日立 1960年代 100.0 86.7 13.3
1970年代 100.0 94.1 5.9
1980年代 100.0 91.7 8.3
1990年代 100.0 94.1 5.9

注:パナソニックとソニーでは社外取締役を除いて新卒役員と中途採用役員の比率を計算。

出所:京セラ『有価証券報告書』;金(2017)金(2019)

表2 

常務、専務取締役の新卒・中途比率

(単位:%)
年代 役職 合計 新卒採用 中途採用
1960年代 常務 100 0.0 100.0
専務 100 0.0 100.0
1970年代 常務 100 26.7 73.3
専務 100 20.0 80.0
1980年代 常務 100 33.3 66.7
専務 100 38.5 61.5
1990年代 常務 100 34.8 65.2
専務 100 33.3 66.7

しばしば急成長企業では、トップマネジメントの一角にまで昇進した重要人物の中に中途採用者が多数含まれる。好業績企業は活力ある民間企業から必要な人材を引き抜いて、トップマネジメントの一員とし、トップマネジメント機構を編成する場合が少なくない7

逆に、一般に、経営者企業の役員のほとんどは新卒の人である。例えば、表1でみるように、典型的な経営者企業である日立では、戦後に、役員の9割以上が新卒出身者であり、外部からの中途採用者の存在感は小さかった。企業者企業の中でも、創業してかなり時間が経った段階では、社内で経営に加える人材群が育ち、役員の多数派は新卒の人になった。例えば、1918年創業で、70年代までは企業者企業といえるパナソニックの例でも、1960年代~90年代の取締役の3分の2~4分の3が新卒出身者である(表1)。

ただ、戦後創業の企業者企業、ソニーでは、1960年代~70年代に取締役のうち、中途採用者が高い割合を占めた。だが、ソニーも80年代には役員のうち中途採用の割合が低下し、さらに、90年代には新卒役員が多数派になった。それゆえ、創業以来、90年代に至るまで中途採用の人が役員の大半を占めたことに京セラの特殊性をみることができる。多角化の推進及び事業構造変化に伴って、新事業のかじ取り・経営執行を担うトップマネジメントのプールが社内では足りず、外部で育った人材から補うしかなかったためであろう。従って、トップマネジメントの育成・補充・活用をみる上で、この中途採用出身役員群のキャリアパスを分析する必要が高いのである。

(2) 中途採用役員の入社前経歴

1990年代まで取締役会の多数派を占めた、この中途採用役員が京セラに入社する前にどのような経歴を積んできたかをみておこう。

まず、1980年代と90年代の役員歴任者が、入社前にどのような組織に勤めたかをみれば、一般企業に勤めた人が7割で多く、中には京セラが合併した企業に勤めていた人も1割強あった。他に、政府、公共研究機関など公的組織、そして金融機関に勤めていた人がそれぞれ15%前後を占めた(表3)。

表3 

中途採用役員の入社前勤務組織と経験年数

入社前の勤務組織 公的組織 被合併企業 金融機関 その他の企業 中途採用者合計
人数(人) 8 8 10 35 61
構成比(%) 13.1 13.1 16.4 57.4 100.0
入社前の経験年数 10年未満 10年~20年 20年~30年 30年超 中途採用者合計
人数(人) 14 21 16 10 61
構成比(%) 23.0 34.4 26.2 16.4 100.0(平均19.1年)

次に、入社前の経験年数をみれば平均19.1年であり、入社前経験年数が10年~20年が3割、20年~30年と10年未満が共に約4分の1ずつであった(表3)。つまり、入社前の経験年数は多様であったのである。

表4で京セラ入社前に「どの組織」で「どれほど」勤めたかをみれば、「その他の企業」からの人が14.6年で、他のカテゴリの中途採用役員より入社前平均経験年数が遥かに短かった。10年未満の人が3分の1を超えている。公的組織、被合併企業、金融機関からきた中途採用役員は、入社前平均経験年数は25年前後で、目立った差はなかった。ただ、公的組織からの人では、入社前の経験年数が30年を超える人が半分も占める一方、経験年数10年~20年の人も4割あるなど、個人間のばらつきが大きかった。

表4 

中途採用役員の入社前勤務組織別の経験年数

(単位:%)
入社前の勤務組織 平均(年) 10年未満 10年~20年 20年~30年 30年超
公的組織 25.3 0.0 37.5 12.5 50.0
被合併企業 26.2 0.0 12.5 50.0 37.5
金融機関 23.6 10.0 20.0 60.0 10.0
その他の企業 14.6 36.0 44.3 13.9 5.8

注:1980年代と90年代の役員歴任者。

中途採用役員が京セラに入社した時の平均年齢は43.7歳であった(表5)。表4と突き合わせてみれば、20歳代前半に学校を出て社会人になってから、20年程度他の組織で働いてから、40歳代半ばに京セラに入社することが平均像になる。カテゴリ別には、被合併企業からきた人の入社年齢が高く、平均52.2歳であった。被合併企業ですでに上のポストについていた人が京セラに入ったためであろう。逆に、「その他の企業」からきた人の京セラ入社年齢が最も低かった。これは、このカテゴリの人が入社前平均経験年数が短かったことと整合的である。公的組織、金融機関からの転職者の京セラ入社年齢は前記の両カテゴリの間ぐらい(48歳~49歳)であった(表5)。

表5 

中途採用役員の勤務組織別入社時平均年齢

(単位:歳)
入社前の勤務組織 入社時年齢
中途採用役員全員 43.7
(公的組織) (48.6)
(被合併企業) (52.2)
(金融機関) (48.5)
(その他の企業) (38.7)

(3) 役員の文理系比率

最後に、入社前、学校で理系、文系のどちらを専門にしていたかを計算してみれば、1960年代~90年代の京セラ役員では、理系が文系よりやや多かったが、極端に文系出身か理系出身に偏ることはなかった。例えば、60年代に役員のうち理系出身が6割強で、70年代と80年代には共に53%、90年代には60%強であった(表6)。

表6 

取締役の文理系比率

(単位:%)
年代 合計 理系 文系
1960年代 100.0 62.5 37.5
1970年代 100.0 53.1 46.9
1980年代 100.0 53.6 46.4
1990年代 100.0 60.3 39.7

しかし、中途採用役員と新卒役員を分けてみると、様相はかなり異なる。すなわち、新卒で役員になった人の理系比率は1970年代から90年代まで8割前後で極めて高かった。中途採用出身者がほぼ半々で拮抗していたこととは大きく違う(表7)。即戦力のトップマネジメントとしての役割が期待された中途採用者は必ずしも技術系に偏ったわけではなかった。対して、新卒入社して育ってトップマネジメントに入った人のほとんどは技術系だったのである。

表7 

新卒と中途採用の役員の文理系比率

(単位:%)
年代 合計 理系 文系
新卒 1970年代 100.0 83.3 16.7
1980年代 100.0 76.9 23.1
1990年代 100.0 78.3 21.7
中途採用 1970年代 100.0 46.2 53.8
1980年代 100.0 50.0 50.0
1990年代 100.0 52.8 47.2

4. 取締役就任までのキャリアパスと属性

(1) 取締役就任までの勤続年数

次に、京セラに入社してから取締役入りするまでのキャリアパス、属性をみておこう。

まず、京セラ入社から取締役昇進までの勤続年数は総じて短かった。創業間もない1960年代には、創業メンバーを含め、すぐに役員になった人が多く、入社後役員になるまでの勤続年数は平均で4.4年でしかなかった。90年代でも15年であった。こうした京セラの役員になるまでの勤続年数は、歴史の長い企業者企業のパナソニック、経営者企業の日立と比べ、大幅に短かった(表8)。同じ企業者企業で創業時期がそれほど遠くない(13年の差)ソニーとはかなり近い。企業規模の差、創業時期及び企業成長段階の差、また、後述するように、役員就任までの勤続年数が相対的に短い中途採用役員の比重差などがこうした各社の役員までの勤続年数差を生み出す理由とみられる。特に、京セラの成長、事業幅の拡大の中で、新卒を役員になるまで育てるには時間がかかったから、まだ社内の「経営者」マンパワープールは狭く、供給不足であったがゆえに、経営の「即戦力」になる中途採用者を役員に上げることに大きく依存した。

表8 

取締役昇進までの勤続年数と昇進時年齢(京セラ、パナソニック、ソニー、日立)

(単位:年、歳)
企業名 年代 取締役昇進までの勤続年数 取締役昇進時年齢
京セラ 1960年代 4.4 48.4(0.222)
1970年代 7.2 44.8(0.180)
1980年代 9.7 47.4(0.121)
1990年代 15.0 48.6(0.095)
パナソニック 1960年代 19.8 50.7
1970年代 24.7 55.8
1980年代 24.8 55.0
1990年代 28.0 55.6
ソニー 1960年代 5.9 47.0
1970年代 13.5 52.0
1980年代 19.7 52.8
1990年代 23.8 55.1
日立 1960年代 29.6 54.2
1970年代 31.1 54.9
1980年代 32.2 55.5
1990年代 32.5 56.4

注:( )は変動係数。

出所:京セラ『有価証券報告書』;金(2017)金(2019)

他方、時間が経つに伴って、京セラで役員になるまでの勤続年数は、段々長くなっている。つまり、役員昇進までの期間が長期化する傾向にあった。こうした役員就任までの勤続期間長期化は、京セラに限らず、ソニー、さらに、パナソニック、日立にもみられる現象であった(表88

中途採用者と新卒者を分けてみれば、1970年代~90年代にどちらも役員昇進までの勤続年数が長期化している(表9)。ただし、入社から役員就任までの勤続年数は新卒役員に比べ、中途採用役員が短かった。新卒者に比べ、中途採用者は「即戦力」のトップマネジメントとしての色彩が濃かったということができる9

表9 

中途採用、新卒者の取締役昇進までの勤続年数と昇進時年齢

(単位:年、歳)
年代 取締役昇進までの勤続年数 取締役昇進時年齢
中途採用取締役 1970年代 5.2 46.1
1980年代 6.8 49.5
1990年代 11.2 50.1
新卒取締役 1970年代 15.7 39.1
1980年代 20.1 44.9
1990年代 23.9 48.1

中途採用者の中のカテゴリ別にみれば、京セラ入社から取締役までの期間が最も短かったのは被合併企業からの人であり、僅か2年強にすぎなかった。平均で、入社2年余りで取締役になったのである。合併時に、ヤシカ、サイバネット工業、AVX等の社長を京セラ役員として受け入れていたことが影響したとみられる。金融機関からの人も、同期間が平均3.4年でかなり短かったことが注目される(表10)。逆に「その他の企業」からの人は、中途採用者の中で取締役になるまでの期間が最も長く、12年近かった。

表10 

中途採用役員の勤務組織別、取締役昇進までの勤続年数

(単位:年、歳)
入社前の勤務組織 取締役昇進までの勤続年数 取締役昇進時年齢
公的組織 8.2 48.3
被合併企業 2.2 52.3
金融機関 3.4 51.8
その他の企業 11.8 49.3

注:80年代と90年代の役員歴任者を対象。

(2) 取締役就任時の年齢

京セラの役員就任時年齢をパナソニック、ソニー、日立などのそれと比較すれば、まず低いことが特徴である(表810。こうした企業間差には企業の歴史、組織規模などの差が関連するであろう11

ただ、前述したように、取締役昇進までの勤続年数が長くなることに連動して、(創業間もない60年代を除けば、)取締役昇進時の年齢も徐々に上昇しており(表8)、それは中途採用役員にも新卒役員にもいえることである(表9)。パナソニック、ソニー、日立などでみられる、取締役就任年齢が上がっていく「役員就任年齢の高齢化」(表8)が京セラでも観察されるのである12

また、京セラでは、取締役就任年齢の変動係数は小さい(表8)。中途採用役員カテゴリ別にみても、取締役就任年齢に大きな差はない(表10)。役員就任年齢において個人間ばらつきがそれほど大きくないのである13

さらに、取締役就任年齢の変動係数は小さくなる傾向にあった(表8)。1970年代から90年代を通して、中途採用者の取締役昇進年齢は新卒者のそれより高かったものの、その格差は縮まる傾向にある(表9)。京セラ内では、役員昇進年齢の相場が形成、定着されていったという解釈も可能であろう14

(3) 入社から取締役就任までのキャリアパス

次に、1980年代~90年代に役員を歴任した各個人が入社から役員就任までどのようなキャリパスを踏んでいたかをみておこう。

① 中途採用役員の取締役就任までのキャリアパス

公的組織、被合併企業、金融機関からの中途採用役員、そして「その他の企業」での経験年数が長い中途採用役員は、入社時から、あるいは入社後短期間に取締役に就任する場合が多かった。中途採用の場合、いわば、経営の「即戦力」としての採用が主流であったとみられる。

そして、役員になるまで複数職種や複数事業を経験する人は少なかった。取締役入りするまでのジョブ・ローテーションはそれほど活発でなかったのである。

中途採用役員の各カテゴリ別に、京セラ入社から取締役就任までのキャリアパスの特徴をみておこう。

i) 公的組織からきた人(8名)

このカテゴリの中途採用役員は、取締役として入社するか、入社して短い期間に役員になったケースが多かった。従って、京セラ入社後の役員までのキャリアがないか、ごく短かった。例えば、通産省官僚及び電電公社出身の2名は副社長、常務として入社し、同じ時期に立ち上げられたKDDIに移った。官僚出身で50歳代前半に京セラに入社した3名は当初から役員(2名は専務、1名は常務)として入社した。工業技術院から40歳に京セラ入社した人は入社して2年で取締役になった。

2名のみが入社後10年以上の割と長い期間を勤めてから取締役に昇進している。一人は米弁護士で38歳に海外子会社である京セラ・インターナショナルに取締役として入社し、12年後京セラ本体の取締役に就任しており、もう一人は国立大学助手から42歳に京セラに入社し、技術開発企画・管理で10年間勤務後、取締役に就任している。

ii) 被合併企業から採用された人(8名)

1980年代~90年代に被合併企業から京セラ役員になった人は8名いた。サイバネット工業から3名、AVXコーポレーションから3名、ヤシカから2名であった。そのほとんどはすでに被合併企業で社長あるいは上級役員であり、京セラに合併された当初から京セラの取締役になった15。京セラ入社後の役員までのキャリアがないか、ごく短かった点で、公的組織からの転職者と同様である。

iii) 金融機関からきた人(10名)

金融機関から転職してきて京セラの役員になった人は10名いた。銀行から6名、証券会社から4名である。銀行から採用された人は全員が入社後短期に京セラ取締役に就任しており、そのうち1名は、某銀行の頭取から、63歳に京セラに入社し、翌月に副会長になっている。取締役になるまでの京セラでの経歴がないか、短い点で、前述した公的組織、及び被合併企業から移ってきた中途採用役員カテゴリと同じである。

証券会社からの4名のキャリアは異なる。つまり、この4名の前職での勤務期間が多様で、京セラで取締役になるまでのキャリア期間も多様である。例えば、証券会社に僅か1年勤務後、1972年に京セラに転職し、入社後、28年間勤務してから、電子部品事業本部副本部長になり、その1年後、勤続30年弱で取締役に就任する人がいる。新卒役員平均よりも遅い取締役昇進であった。証券会社に11年間勤務してから1970年に京セラに入社し、15年後に取締役に就任したケースがあり、他の2名は、証券会社で約25年も働いて、40歳代後半に京セラに転職し、3年余りの短い期間で取締役になった。

iv) 「その他の企業」からきた人(35名)

「その他の企業」から転職してきて、1980年代~90年代に京セラの役員を歴任した人は35名で多い。そのうち、技術系(理系)が18名で、文系出身と拮抗している。

一般に、日本のトップマネジメントはジョブ・ローテーションを通じて様々な職能、事業分野を経験してきているといわれ、日本企業だけでなく、20世紀のアメリカ大企業でも、トップマネジメントのジェネラリストの育成には社内のジョブ・ローテーションの貢献が大きかったとされる16。しかし、有価証券報告書記載の役員情報から確認する限り、京セラの技術系中途採用者が取締役になるまで、複数事業、あるいは複数職種を経験した人はほとんどいない17。特に、前職の会社で20年以上勤務した人(7名)は京セラに転職してから役員就任までの期間が短く、なおかつ、入社して複数職種や複数事業を経験してもいない。ジョブ・ローテーションを伴うキャリアパスはさほど顕著でなかったのである。このカテゴリの文系役員も、基本的に、同じ職種、同じ部署あるいは関連部署に勤めて役員昇進している。少なくとも、中途採用役員が役員入りするまで活発なジョブ・ローテーションを伴うキャリアパスを辿ったわけではないのである。京セラの特殊性といえそうである。

また、このカテゴリ役員35名のうち7名は役員になる前に海外子会社で経歴を積んでおり、そのうち、文系出身が5名で理系より多い。特に、入社前経験年数が長い人は採用時から海外子会社役員になっており、入社前経験年数が短い人は、キャリアの早い段階で海外子会社に出向している。

② 新卒役員の取締役就任までのキャリアパス

前述したように、1960年代~90年代に、京セラの新卒役員の平均像は勤続20年~25年、年齢的には40歳代後半に取締役に就任することであった(表9)。この時期、京セラの新卒役員は圧倒的に技術系が多いことから(表7)、技術系の新卒役員を中心に、取締役になるまでの20年~25年間の社内キャリアにどのような特徴があるかをみておこう。

まず、入社して15年~18年(30歳代後半)で、事業部長か、製造部門や営業部門の長(例えば、工場長、営業責任者)になった人が多い。その上で、5年~10年間、そのポストでの経験を積んでから取締役に昇進し、取締役になってからも、しばらくその現業の長のポストも兼職する場合が多かった。やはり、入社後、経営の「即戦力」にされる傾向がある中途採用者と違って、新卒者の場合は、(日立、パナソニックなど歴史の長い企業に比べれば、短い時間ではあるものの、)時間をかけて育てられ、経営の担い手にされていたということができる。

次に、どのように育てたかに関連して、1980年代~90年代に新卒で役員を歴任した技術系の17名のキャリアパスをみれば、複数事業あるいは複数職種を経験する人と、同じ職種、同じ事業に長く携わった人に分かれる。

まず、新卒として入社し、取締役になるまで複数事業、あるいは複数の職種を経験したケースをみておこう。

A氏は入社17.7年後に蒲生工場長になり、その4年後に岡谷工場長になった半年後に取締役に就任した。入社後、製造畑を貫いている点では同じ職種を経験しているものの、扱う製品が異なる複数工場の責任者になって、複数事業を経験している。B氏は、入社16.3年後、第1半導体部品事業部長になり、5.5年後、光学機器事業本部副本部長に就任し、0.4年後に取締役に就任した。半導体事業に長く携わったが、光学機器事業の責任者にもなり、複数の事業を経験したことになる。C氏は、入社17年後にメタライズ事業部長になったが、その2年後から役員就任までの間に、半導体部品事業の責任者としても活動していた。D氏は入社16.5年後に機械部品事業部長になったが、その4.4年後には、ファインセラミック事業本部副本部長に就任している。機械部品とファインセラミックという複数の事業に携わったのである。

E氏は、入社12年後に、本社経営管理部責任者になったが、その7.6年後にはAPS事業部長に就任している。F氏は、入社6.3年後という早い時期に機械工具製造責任者になったが、その6.7年後には産機製造責任者になった。その9.1年後、機械工具事業部長になり、また、2.2年後に商品事業本部副本部長になると共に取締役に就任した。G氏は、入社21年後、ファインセラミック部品営業本部副本部長兼海外営業統括部責任者になり、営業という同じ職種の中でも、ファインセラミック部品営業と海外営業という複数事業の営業を担当していた。さらに、その1.7年後にはプラント事業部長になってから、取締役に昇進している。H氏の場合は、入社16.7年後ファインセラミック関西営業所開発営業責任者になり、2.7年間勤務した後、応用商品営業責任者に就任した。その2年後にはクレサンベール応用商品事業部長になり、その2.5年後に取締役に就任している。I氏は、営業畑の経歴を積んだが、プラント事業部長も歴任し、なおかつ、営業の対象もファインセラミック部品、電子部品全体、海外向け部品や機器などへと変わった。

以上の例から、新卒技術系の場合には、中途採用役員とは違って、取締役になる前に、ジョブ・ローテーションに基づいてジェネラリストへの道を辿った人が多かったといえる。

しかし、役員就任まで一つの事業のみ、あるいは一つの職種のみに特化して経歴を積んだ人も少なくない。つまり、幅広いジョブ・ローテーションを経験せず、役員になった人も少なくなかったのである。

例えば、J氏は、入社14.7年後に電子部品営業責任者になったが、8.3年間勤務後には電子機器の営業統括責任者になった。さらに、1年後には用賀事業所長に就任し、その2.2年後に取締役に昇進した。役員になるまで営業に携わり続けたのである。K氏は、入社以来、取締役になるまでの全期間を総合研究所で勤めた。すなわち、入社15.9年後に総合研究所プリント技術責任者、0.2年後、同研究所機械開発部責任者、その後、取締役になるまで、同研究所副所長、総合技術本部副本部長を歴任した。L氏は、入社6年目に研究部長になり、その5年後には滋賀工場総務部長になり、その0.7年後に滋賀工場長代理になった上で、2.8年後に取締役に就任した。M氏は入社から役員就任までの全期間、自動車部品営業のみに、N氏は半導体部品事業のみに、O氏はバイオセラム事業のみに携わっていた。

要するに、新卒役員では取締役になるまでジョブ・ローテーションを経験する人が多数派であるものの、4割近くの人は役員になるまで狭い幅のジョブしか経験できず、あるいは、ジョブ・ローテーションを経験しなかった。ジョブ・ローテーションによる「ジェネラリスト」経営者の育成に限界もあったのである。

他方、新卒役員者21名のうち、4名が海外子会社を含め、子会社に出向して経歴を積んで本社の取締役になっている。例えば、入社12.1年後、ジャパン・ソーラー・エナジーに出向し、同社で代表取締役専務にまで昇進し、その2年後に京セラ本体のソーラーエネルギー事業部長になると共に、取締役に就任している。また、4名のうち2名は、入社後かなり早い時期に子会社に出向している。一人は入社初期から海外子会社のキョウセラ・インターナショナル・インコーポレイテッドに出向し、財務畑の経歴を積んで、本社の取締役に就任しており、もう一人は入社して1年も経っていない段階で、トライデントに出向し、その1年後に、被買収企業のサイバネット工業に出向している。

5. 役員就任後の属性とキャリアパス

(1) 役員在任期間

1970年代~90年代に京セラ取締役の平均任期をみれば、3.7年~4.5年で安定しており、パナソニック、ソニー、日立などと比較して目立って長くも短くもない(表1118。常務と専務取締役の任期は、1990年代を基準にすれば、約5年であり、これらの企業に比べ、やや長い方であるが、大きな差はない19

表11 

役員在任期間(京セラ、パナソニック、ソニー、日立)

(単位:年)
企業名 年代 取締役 常務取締役 専務取締役
京セラ 1970年代 4.1 2.1 3.2
1980年代 3.7 4.4 4.5
1990年代 4.5 4.7 5.1
パナソニック 1960年代 7.6 7.8 9.5
1970年代 5.1 5.9 3.3
1980年代 2.6 2.7 4.2
1990年代 3.2 2.4 3.0
ソニー 1960年代 5.0 7.2
1970年代 4.0 2.4 5.2
1980年代 4.7 4.7 4.8
1990年代 4.2 3.7 3.5
日立 1960年代 6.0 3.2 2.6
1970年代 2.3 3.0 2.8
1980年代 3.0 2.9 2.8
1990年代 2.0 2.6 2.9

出所:京セラ『有価証券報告書』;金(2017)金(2019)

しかし、長期の変化をみれば、京セラの特殊性が浮かび上がる。すなわち、表11で確認できるように、パナソニック、ソニー、日立共に、役員の任期が段々短くなっており、さらに、戦後日本大企業で、こうした「取締役の短任期化」傾向は一般にみられたが20、京セラの場合は、逆に、常務と専務の任期が長くなっている。

田中・守島(2004)によれば、日本の大企業で役員経験年数が1970年社長から2000年社長まで経時的に低下している。経営者育成という観点からみれば、こうした役員経験年数の低下は経営者になる過程で、全社的な視点から「総合判断」をする経験を積む機会が少なくなっていることを意味するという21。同じ観点、つまり、経営者育成という観点から、京セラの役員任期の長期化は経営者としての経験を積む機会が多くなる、望ましい変化ということができる。

(2) 役員の兼務比率

京セラは、役員が現場の部門の長のポストを占める度合いが高い(表12)。役員が執行のトップを兼務している場合が多かったのである。これは、パナソニック、ソニーだけでなく、日立、東芝、三菱電機など総合電機メーカーにもみられ22、大企業に一般的な現象といえる。また、日本の大企業の取締役制は担当重役制をとる場合も多く、その場合、常務、専務は、戦略の決定と実施とが一体化し、その決定された戦略の実現可能性が高くなった23

表12 

常務、専務取締役の現業兼務比率

(単位:名、%)
年代 取締役 (兼職者) (兼職比率) 常務
取締役
(兼職者) (兼職比率) 専務
取締役
(兼職者) (兼職比率)
1970年代 32 24 75.0 15 5 33.3 4 0 0.0
1980年代 58 46 79.3 12 10 83.3 11 11 100.0
1990年代 52 46 88.5 24 20 83.3 18 13 72.2

このように、取締役が現場の部門の長にもなっていたことによって、彼は現場の生の情報を握り、組織のすみずみまで精通することになった24。さらに、取締役が現場の部門長を兼務することによって、スペシャリストとジェネラリストの両方の経験を積むことができた。役員になってからのキャリアパスは経営者としての活動であると共に、経営者として育てられるプロセスでもあった。

(3) 中途採用者、新卒者の平取締役止まり比率

次に、平取締役比率を通じて、役員の中での昇進の度合いをみておこう。取締役会の多数派を占めた中途採用役員を中心にみれば、1980年代に平取締役止まりの比率は52.4%であった(表13)。京セラ役員全体のうちの平取締役比率(図4)と比較して、80年代前半には高く、80年代後半にはほぼ同じ水準であった。さらに、90年代には、中途採用役員の平取締役止まり比率は80年代より下がり、47.2%であり、京セラの役員全員のうちの平取締役比率50%~60%より低かった(表13)。80年代と90年代の新卒役員歴任者21名のうち、取締役止まりは11名で52.4%であり、同じ時期、中途採用役員歴任者のそれとほぼ同じ水準であった。中途採用役員のうち、上級役員まで昇進する人の割合は徐々に下がってはいるものの、新卒役員のうち上級役員にまで昇進する割合とそれほど変わらなかったのである。中途採用者、新卒者どちらも、役員になった人の半分程度が平取締役に止まらず、常務、専務など上級役員にまで入り込んだのである。上級役員は特定の担当を持ちつつも全社的な経営に関わるのが普通であり、それゆえ、社長になる前に経営者的立場での様々な実践的訓練を積むことができたといえる25

表13 

中途採用役員の中での昇進状況

(単位:人、%)
中途採用出身取締役数 取締役止まり 常務まで歴任者 専務まで歴任者 副社長歴任者 社長 平取締役止まり比率
1980年代 42 22 11 6 3 0 52.4
1990年代 36 17 10 6 2 1 47.2

(4) 取締役就任後のキャリアパス

取締役になってからのキャリアパスはトップマネジメントとして活動した軌跡とみることができるが、他方ではトップマネジメントに育つ過程であるとみることもできる。

① 中途採用者の取締役就任後のキャリアパス

i) 在任期間

中途採用役員を対象に、各カテゴリ別に通算何年間京セラに在職したかをみれば、被合併企業からの人が最も短く8.6年である(表14)。被合併企業の人は「即戦力」を期待しての採用の色彩が濃かったのである。

表14 

中途採用役員の勤務組織別、通算京セラ在職年数と通算役員在任期間

(単位:年)
入社前の勤務組織 通算京セラ在職年数 通算役員在任期間
公的組織 10.5 2.3
被合併企業 8.6 6.6
金融機関 11.5 7.9
その他の企業 20.8 8.8

通算役員在任期間をみれば、公的組織からの人が平均2年余りで最も短かった。金融機関からの人の役員在任期間は短くはないものの、京セラでのほとんどの在職期間を役員として過ごしている(表14)。従って、公的組織からの人も、金融機関からの人も被合併企業からの人と同様に「即戦力」を期待しての採用の色彩が濃かったと思われる。すなわち、経営者として育てられたというより経営者として活躍した面が大きかった。

対して、「その他の企業」から中途採用された人は京セラでの在職年数が平均21年で、他カテゴリの中途採用役員より長く、通算役員在任期間も最も長い(表14)。従って、「その他の企業」からの人は、他のカテゴリの中途採用役員に比べ、京セラの中で経営者として育てられた可能性が相対的に高いことが推測できる。

中途採用役員は、子会社の役員を兼務することが少なからずあるが26、多様な事業に携わりながらトップマネジメントとして育てられた面は弱かったとみられる。各カテゴリ別に役員に就任してからのキャリアパスの特徴をみておこう。

ii) キャリアパス

公的組織からきた人(8名)

入社後、1年~2年の短い役員歴任後、それぞれ第二電電の社長、企画専務として移った2名を除く、公的組織からきて役員になった人は、京セラ内でかなりの期間、役員を務めている。

まず、役員になってからも、終始研究畑を歩んだ2名がいる。すなわち、工業技術院からきた人は、取締役1年、常務11年、専務6年、合わせて18年間という長い期間、役員を歴任しながら、全期間、研究開発管理に携わった。国立大学助手からの転職者は、取締役になる前の10年間、技術開発企画・管理業務を務めたのに次ぎ、6年間の取締役在任期間にも、総合技術本部長など研究開発管理に携わった。

官僚出身の3名のうち、2名は役員在任期間中、子会社の経営に携わった。すなわち、専務6年間、光学機器事業本部長を兼務して、被合併企業ヤシカの経営に携わった後に退職しており、もう一人は、専務8年在任中、京セラオプテック社長を兼務していた。

海外子会社の取締役として入社し、12年後京セラ本体の取締役に就任した人は、京セラでの取締役在任10年間も海外子会社の経営に携わり、京セラグループでの22年全期間を海外子会社で活動していた。

被合併企業から採用された人(8名)

ヤシカ、サイバネット工業、AVX等被合併企業から京セラに入社した人の中で、合併時、被合併企業の社長で京セラに入社した3名はいずれも短期の役員歴任後、退職している。すなわち、ヤシカから副社長として入社した人は僅か1.7年で退社している。サイバネット工業の社長から京セラ取締役として入社した人は、1年で専務昇進し、また1年後に副社長になり、3年在任してから相談役に退いた。AVXのCEOから京セラ入社した人は取締役2年、専務3年、合わせて5年で退職した。

8名のうち、残りの5名は京セラの役員として在任した期間が長く、4名は常務以上の上級役員にまで昇進しており、AVXからの人は京セラの役員であると同時にAVXの取締役も兼務した。

金融機関からきた人(10名)

金融機関からの人は、取締役になってから、経理、総務、人事などのスタッフ部門の責任者を兼務しているが、基本的に一つの職種に携わっている。ジョブ・ローテーションはみられないのである。10名のうち2名は、役員就任後、被合併企業のヤシカ、サイバネット工業の取締役にもなっており、他の子会社の役員になった1名もいる。従って、金融機関からきて京セラの役員になった人のほとんどは、(子会社の経営を含めて)経営を担う「即戦力」を期待され、京セラ内で経営者として育てられた側面は弱かったといえる。

また、銀行からの人は、入社してすぐKDDIの社長に就任した一人を除けば、取締役就任後、京セラで上級役員にまで昇進しながら、長い役員在任をしていた。対照的に、証券会社からきて役員に昇進した4名全員は取締役止まりであり、2年~4年の取締役任期を終えてから退職している。経営の即戦力として活躍した時期は、銀行からの人が長かったのである。

「その他の企業」からきた人(35名)

前述したように、「その他の企業」から転職して京セラ役員になった人で、取締役になるまで複数事業、あるいは複数職種を経験した人は少なかったが、役員になってからは異なった。つまり、このカテゴリの役員歴任者35名の約半数が、取締役就任後、複数の事業に携わっている。他のカテゴリの中途採用役員歴任者とも異なるキャリアパスである。

特に、技術系役員歴任者18名のうち、12名、文系の役員歴任者の17名のうち、8名が複数事業に携わっていた。新事業を次々に立ち上げていく中で、次から次へと新しい事業分野を担当した人がかなり多かった。取締役になってからジョブ・ローテーションによって経営者として育てられ、経営活動をした人が多かったのである。京セラの役員在任期間が長くなる傾向にあった理由の一つもそこにあったと思われる。

iii) 子会社役員の兼職

京セラの取締役になってから、子会社の役員を兼務した人も多かった。1980年代~90年代、中途採用で京セラ役員を歴任した61名のうち、28名が子会社の役員を兼務していた。中途採用役員のほぼ半数が、京セラ本体だけでなく、子会社の役員でもあったのである。詳細にみれば、金融機関からの人10名のうち6名、公的組織からの人8名のうち3名、被合併企業からの人8名のうち4名、その他の企業からの人35名のうち15名が子会社役員を兼務していた。系列化の中で、系列企業の経営に携わる人材を京セラ本体がかなり提供していたといえる。

もちろん、サイバネット工業、ヤシカ、AVXコーポレーションなど被合併企業から京セラに採用された人の中で、京セラ本体の取締役であると同時に、その被合併企業の役員を兼務した人もいたが、それだけでなく、それまでその被合併企業と全く関わりのなかった人の中にも、被合併企業役員を兼務した京セラ取締役もいた。例えば、京セラの常務として、ヤシカに出向した人がいれば、また、京セラで12年間取締役を務めながら、京セラ・ヤシカ・ド・ブラジル・インダストリア・エ・コマーシオ・リミターダ社長を兼職した人もいる。専務時に、技術開発担当でサイバネット工業副社長を兼務した例もある。

② 新卒役員の取締役就任後のキャリアパス

i) ジョブ・ローテーション

前述したように、新卒役員は取締役になるまでジョブ・ローテーションを経験した人が多数派であったが、役員になってからも活発なジョブ・ローテーションがあったことが確認できる。例えば、a氏は取締役になった1年後にファインセラミック事業本部長、その1年後から自動車部品事業部、光部品事業部、精機事業部のトップを次々に務めた。b氏は取締役になると共に、ソーラーエネルギー事業部長を兼職し、その後も、ソーラーエネルギー事業に長く携わっていたが、バイオセラム事業部長も務めた。c氏は、取締役就任10カ月後に総合技術本部総合企画部長、その2年後に自動車部品事業部長を兼職し、さらに、その3年後からは、ファインセラミック事業本部副本部長、有機材料部品事業本部長を兼職した。

d氏は、取締役就任後、情報通信機器の営業責任者を務めたが、その後、資材管理の責任者にもなった。e氏は、取締役8年間に、半導体部品事業、有機材料部品事業の責任者、さらに、法務知的財産管理の責任者にもなった。f氏は、取締役在任期間中に、パーソナル通信機器事業部長、機器研究開発本部長、光学機器事業部長を務めた。

g氏は、取締役就任7カ月に、電子機器営業本部副本部長兼営業統括部長になり、その1年半後には通信機器事業本部長になった。1年半後に秘書室長、また、その1年2カ月後には資材本部長になった。役員になってから、営業、秘書、資材の幅広い仕事に回っていることが特徴的である。h氏は取締役就任後、半導体部品事業本部の副本部長兼営業部長になり、その後、通信機器事業本部長、関連会社統括本部長も務めた。

このように、役員になって幅広い仕事を経験する人が多かったが、しかし、一方では、有価証券報告書の情報から確認される限り、新卒で1980年代~90年代に役員を歴任した人の4割近くは、役員就任後、同じ事業、あるいは同じ職種のみに携わっていた。例えば、役員任期中に継続して特定工場の工場長のみを兼職した人もいれば、光学機器、半導体部品、機械工具、ファインセラミック製品、クレサンベール応用商品などそれぞれの事業に特化して役員在任期間中、専ら一つの事業の責任者を担った役員も少なくなかった。また、現業の支援活動に当る特定職種、例えば、人事・教育、総務・環境、関連会社育成などの仕事を兼務する役員は、役員任期満期までその職種のみに携わった。仕事の性格によっては、トップマネジメント入り後ジョブ・ローテーションを経験していない人も多かったのである。

ii) 子会社への役員派遣

京セラに新卒入社し、1980年代~90年代に役員を歴任した21名のうち、取締役就任後に子会社役員にもなった人は11名であり、半数以上に上る。そのうち、海外子会社の役員を経験した人が過半を占めており、国内の子会社としては被合併企業のサイバネット工業に取締役として出向した人もいた。

なお、一つの子会社ではなく、複数の子会社の役員を務めた人も少なくなかった。中には、京セラ本体から送り込まれた役員が子会社の経営を軌道に載せ、その後、その経験を生かしてさらに他の子会社の立て直しに行くケースもあった。

このように、京セラ本体の役員を子会社の役員にしたのは、京セラグループとして事業を行っていくために京セラの考え方を子会社に注入しなければならないためであったとみられるが、それだけでなく、若い経営者を育てる方策でもあった27。実際に、京セラフィロソフィの土台がなかった子会社に送り込まれ、そのフィロソフィを浸透させることをやり遂げた人は、その後も京セラ本体で様々な事業部門を担当することができたとされる。

6. おわりに

京セラの取締役数は、創業以来、1990年代まで一貫して増加して、ピーク時には40名を超えていたが、その後には減少に転じ、10名~15名で推移している。取締役会の中での平取締役の比率は1970年代前半には70%台であったが、80年代前半にかけて下落し続け、2000年代以降50%前後の水準を維持した。平取締役が約半数である点で、京セラはソニーやパナソニックなど他の企業者企業と類似する。

他の企業者企業と違って、京セラでは中途採用された人が1990年代まで取締役会の多数派を占めた。多角化で事業幅が拡大し、経営者の供給不足が続く中で、その経営を担う役員を新卒の中で育てるには時間がかかり、経営の「即戦力」になる中途採用者に大きく依存したのである。

これら中途採用役員の平均像は、20歳代前半に学校を出て社会人になってから、20年程度、他組織で働いて40歳代半ばに京セラに入社したものであったが、しかし、中途採用役員のバックグラウンドは多様であった。入社前の経験年数において多様であり、転職前に勤めた組織も多様であった。技術系だけでなく、文系出身も多く、技術系の比率が8割前後で極めて高かった新卒役員とは異なった。

パナソニック、日立、ソニーなどと比べ、京セラでは入社から取締役就任までの勤続期間は短く、とりわけ、中途採用役員のそれが短かった。それに連動して、役員就任年齢も他社より低かったが、役員就任年齢の個人間ばらつきは小さく、京セラ内では、役員昇進年齢の相場が形成、定着されたとみられる。ただ、時間が経つにつれて、入社から役員になるまでの勤続期間は長くなる傾向にあり、これは他社にもみられる現象であった。

入社から取締役就任までのキャリアパスをみれば、まず、中途採用の役員の場合、「その他の企業」での経験年数が長い人、そして、公的組織、被合併企業、金融機関からの中途採用役員は、京セラ入社時、あるいは入社後短期間中に取締役に就任している。いわば、経営の「即戦力」としての採用が主流であったのである。中途採用役員で取締役就任まで複数職種や複数事業を経験する人も少なかった。取締役入りするまでのジョブ・ローテーションはさほど活発でなかったのである。

中途採用者とは違って、新卒役員の場合は、時間をかけて育てられ、経営の担い手にされていた。すなわち、入社して15年~18年で、事業部長か、製造部門や営業部門の長(例えば、工場長、営業責任者)になり、その上で、5年~10年間そのポストでの経験を積んでから取締役に昇進した。また、役員になるまで、複数事業あるいは複数職種を経験する人と、同じ職種、同じ事業に長く携わった人に分かれる。新卒で入社し、取締役になるまでジョブ・ローテーションに基づいてジェネラリストへの道を辿っていく人が少なくなかったのである。

なお、中途採用役員であろうが、新卒役員であろうが、中には、入社初期から海外子会社を含め、子会社に出向し、その後、京セラ本体の役員に昇進した人も珍しくなかった。

役員在任期間は長期化する傾向がみられる。他の大手電機メーカーで役員の「短任期化」が現れることと対照的である。これは、他社に比べ、経営者群の供給不足が著しかったことを示すが、経営者としての経験を積む機会が多くなる、望ましい変化であったとみられる。また、中途採用者、新卒者どちらも、役員になった人の半分程度が上級役員にまで昇進しており、両者間の昇進度合いの差はそれほどなかった。

役員になってからも、現場の諸部門の長のポストを占める度合いが高く、役員が執行のトップを兼務している場合が多かった。よって、スペシャリストとジェネラリストの両方の経験を積むことができた。役員になってからのキャリアパスは経営者として育てられるプロセスでもあったのである。

そのプロセスで、ジョブ・ローテーションを経験する人がいれば、そうでない人も多数いた。「その他の企業」からの中途採用役員中の約半数が、取締役就任後、複数の事業に携わっており、技術系役員歴任者18名のうち12名、文系の役員歴任者17名のうち8名が複数事業に携わっていた。取締役になってからジョブ・ローテーションによって経営者として育てられながら、経営活動をした人が多かったのである。これは京セラの役員在任期間が長くなる傾向にあった理由の一つでもあった。新卒役員も取締役就任後活発なジョブ・ローテーションを経験した人とそうでない人に分かれた。

他方、京セラは、買収・合併を伴う積極的な系列化を行っていたため、必要な経営者のマンパワーが大きくなり、それゆえ、本体から子会社への出向、あるいは、京セラ本社役員の子会社役員兼務も少なくなかった。例えば、1980年代~90年代、中途採用で京セラ役員を歴任した61名のうち、28名が子会社の役員を兼務していた。京セラに新卒入社し、1980年代~90年代に役員を歴任した21名のうち、取締役就任後に子会社役員にもなった人も11名あり、半数以上に上る。

京セラの取締役でありながら、複数の子会社の役員を務めた人も少なくなかった。京セラ本体から送り込まれた役員が子会社の経営を軌道に載せ、その後、その経験を生かしてさらに他の子会社の立て直しに行かせられたのである。このように、京セラ本体の役員を子会社の役員にしたのは、京セラグループとして事業を行っていくために京セラの考え方を子会社に注入しなければならないためであったが、新卒出身の若い役員をトップ経営者に育てる意味もあった。

(1)  Chandler(1977)

(2)  橋本・西野(1997)、82頁。

(3)  橋本・西野(1997)、82頁。

(4)  橋本・西野(1997)、83頁。この際、個人大株主が企業の社長や会長を占めている企業、トップの同族が役員に名を連ねている企業を企業者企業と見做している。

(5)  もちろん、経営者企業も社内で経営者を育ててきたはずなので、企業者企業に限らず、経営者企業の役員キャリアパスをみることも重要である。さらに、それは、日本だけでなく、世界各国の企業についてもいえることである。

ウィリアム・ラゾニックによれば、20世紀米大企業の場合も、分業化された各組織を調整できるジェネラリストを育てるために、スペシャリストの中で一部を選抜し、社内調整者としてのキャリアを開始するエリート集団をつくった。彼らを昇進させることによって企業と自身を同一化する意識を彼らに植え付けると共に、その間に広い幅の仕事を経験するキャリアパスを踏ませ、ジェネラリストとしての能力を身につけるようにしたが、それには、社内での広いジョブ・ローテーションが使われた。また、企業がジェネラリストを育てられる基盤として、アメリカの大学及び大学院教育(特に、MBA)システムが機能したという(Lazonick, 1992, 102–105, 113–114, 119, 116–117, 134)。

(6)  本稿の分析時期には京セラの取締役会メンバーには社外取締役がいなかった。従って、この時期、取締役会全員は経営の「執行」に携わっていた人である。

(7)  橋本・西野(1997)、106頁;奥村(1982)、48頁。

(8)  経営者の勤続年数が長ければ、その企業の多角化がより進む傾向があるとの実証研究がある(Wiersema and Bantel, 1992)。日本の企業者企業で、役員になるまでの勤続年数が長期化することは、多角化の進展と正の相関関係があるかもしれない。

(9)  勤続期間は企業の役員を当該企業やトップマネジメントチームに合わせる「社会化」の「調整者」(equalizer)とみることができる(Finkelstein and Hambrick, 1996)。ウィアセマとバードの実証研究によれば、中途採用され、当該企業における短い勤続で取締役になった人はその企業の共通の「言語」や経験を共有できず、早く企業を辞める傾向があり、アメリカよりも日本で特にその傾向が強いとする(Wiersema and Bird, 1993, 1005–1006)。しかし、京セラの場合は、そういう傾向は強くないとみられる。

(10)  1987年、日本の40社2,600名の役員を対象とするバードの調査によれば、50歳以下の新任取締役は全体の18%にすぎなかった。産業別には、家電・弱電産業における新任取締役は55歳~59歳の年齢区間に最も多く、造船、鉄鋼、化学、自動車などの産業は、50歳~54歳が最も集中する年齢区間であった(アラン・バード、1988、127)。『ダイヤモンド』誌の81年調査では656社、1,522名の新任取締役の平均年齢は53歳であった(アラン・バード、1988、49)。どの調査結果と比較しても、京セラの役員就任年齢はかなり低いことが分かる。

(11)  産業の成長速度と経営者の年齢の間に負の相関関係があるとの研究がある。例えば、アメリカ鉄道業は成長が遅くなったことに伴い、1950年代以降、経営者の世代交代が鈍くなり、経営者の年齢が他産業より高まった。対照的に、同じ時期、成長が速かった電子産業では企業役員の勤続年数が短くなり、年齢が若かった(Harris, 1979; Hambrick and Mason, 1984, 197)。

企業レベルでも、経営者の年齢が若い方が企業成長に有利であるとの実証研究がある(Child, 1974; Hart and Mellons, 1970)。例えば、年齢の高い経営者は安定を重視し、良くない結果が予想される案件については、自分の決断に対する確信を持てないがゆえに、リスクを負う方向の決断をしない傾向がある(Carlson and Karlsson, 1970; Vroom and Pahl, 1971; Taylor, 1975)。そのため、企業戦略を変えることに消極的になりがちであり、逆に、経営者・役員の年齢が低ければ、企業戦略の変化に積極的である(Wiersema and Bantel, 1992)。もしこうした立論が正しいとすれば、京セラの成長も同社の役員就任年齢が低かったことと高い正の相関があったことになる。

(12)  戦後日本の大企業では、役員だけでなく、社長の就任年齢が遅くなる現象もみられるが(伊丹、1995田中・守島、2004)、同じ現象が戦後の米大企業でも観察される(金、2023、第3章)。

(13)  トップマネジメントメンバー間の異質性が企業のパフォーマンスにどのような影響を与えるかについては多くの実証研究がある。例えば、Hambrick et al.(1996)は米航空業でトップマネジメントチームの異質性が同産業の業績に正の影響を与えたとする。

(14)  京セラで観察される、トップマネジメント人事における経営者の強い影響力は企業者企業一般の特徴とみることができる(橋本・西野、1997、115)。さらに、企業者企業に限らず、日本企業で一般的に、社長の権力が遺憾なく発揮されるのは役員人事における影響力であった(アラン・バード、1988、91)。

橋本らは、高度成長期、企業者企業のパナソニックと、経営者企業の日立の役員就任年齢を比較して、パナソニックの役員就任年齢の標準偏差が圧倒的に大きい、つまり、パナソニックで遥かにばらつきが大きいことから、役員への承認に対するトップ経営者の裁量の余地が大きかったと解釈している(橋本・西野、1997、115)。しかし、京セラの場合はそういう解釈は困難である。すなわち、京セラの役員就任年齢の標準偏差は小さいものの、創業以来、かなりの時期まで役員人事に創業経営者だった稲盛和夫氏の裁量が大きかったとされる。従って、役員就任年齢の個人差と、特定経営者の役員人事への影響力の間にはリニアな関係は想定できない。

(15)  ヤシカからの1名だけが合併後、6年間勤務してから京セラ取締役になった。京セラの場合、企業を買収した時、基本的に、その企業の経営者をまずは受け入れていたとされる。

(16)  奥村、1982、73頁;Lazonick, 1992, 102–103, 116, 134。

(17)  他社で11年間勤めて転職してき、応用技術研究所責任者、自動車部品事業部長、ファインセラミック事業本部長を経験した一人だけが異なる。

(18)  1980年代後半、日本とアメリカの取締役に関する調査によると、どちらの国も役員の在任期間は6年~7年であったとされる(アラン・バード、1988、57)。日米の平均より、京セラの取締役在任期間が遥かに短かったのである。

(19)  奥村によれば、1980年代初頭、取締役の任期は、アメリカでは1年、日本は2年、フランスでは5年となっており、日米の取締役平均在任期間がほぼ一致している(奥村、1982、38)。京セラの取締役任期は日米の平均よりやや長いことになる。

(20)  金(2017)。役員の任期のみならず、社長の任期も短くなる傾向があり(伊丹、1995)、これはアメリカにもみられる現象である(金、2023、第3章)。

(21)  田中・守島(2004)、41–42、46頁。

(22)  金(2017)金(2019)

(23)  奥村(1982)、73頁。例えば、パナソニックは、1960年代に次第に事業部を単位とする「自主責任経営」という本来の趣旨が損なわれ始め、事業本部制の行き過ぎを是正するため、72年末に関連製品群別に担当重役を設ける担当重役制を導入し、製品グループ別に担当重役を分権化した(下谷、1998、31、157)。

(24)  奥村(1982)、73頁。よって、戦略決定の場に常に現場の情報が流れ、戦略決定が高度に実質的になった。

(25)  田中・守島(2004)、42頁。

(26)  子会社のトップマネジメントの人事は京セラ本体(特に、その経営者)によって決められたとみられるが、これは、戦後1970年代までのパナソニックと類似している。この時期、パナソニックで、分社の役員人事は分社トップの判断が基本であるが、分社のトップ人事権はパナソニックに属しており、特に、事業部の新設や分社化に際して、新組織の事業部長や分社の社長には、松下幸之助からトップダウンの意思決定が伝えられるのが普通であったとされる(橋本、1995、88;橋本・西野、1997、97)。

(27)  パナソニックでも、本体の若い役員を分社のトップに登用して学び取らせ、経営者を育てるという方策をとり、分権制が経営者の育成という教育機能を担った(松下、1980橋本・西野、1997、98–99頁)。この点は京セラと類似している。

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