2016 Volume 36 Pages 9-18
目的:本研究は,患者教育の変遷を,看護基礎教育と臨床現場の実践という2つの視座から検討し,戦後70年の看護の発展を明らかにした.
方法:Rankeの実証史学を踏襲した歴史学の手法を用いた文献研究である.対象とした史資料を,一次資料,二次資料,三次資料に分類した.分類した史資料の史料批判を行いながら,それぞれの史資料を照らし合わせ患者教育が発展していく一連の連関を分析し論証した.
結果:1960~70年代から生活習慣病の増加や高齢化の進展によって指定規則が改正され,看護基礎教育における患者教育の学習基盤が整えられた.それに伴い,個別的な対象者理解と分析的な視点に基づいた学習が行われた.1980年代から人権意識の高まりに伴い,臨床現場の実践では,患者の意思決定を尊重する援助が行われた.また,新自由主義政策の導入によって,患者の能力へのかかわりが求められた.
結論:患者教育は,政治や経済の発展に即しながら,看護基礎教育や臨床現場の実践を変革させてきた.
第二次世界大戦後(以下,戦後とする)70年のあいだに看護はいかにして発展してきたのか.本研究は,そうした問いに応えるために,患者教育の変遷を通して看護の発展について明らかにする.
なぜ,さまざまな看護があるなかで患者教育を取り挙げ,その変遷を明らかにするのかというと,患者教育は,戦後日本の看護が発展していくなかで看護職者が実際に成果を生み出してきた最たる援助のひとつだからである.戦後は,世界人権宣言や患者の権利章典の影響を受けて患者主体の医療に向けた動きが進展した.患者の尊厳を守るために教育的機会を提供する重要性が高まり,看護職者によって患者教育の方法論の開発が進められてきた(河口ら,1997).星(2004)が,看護が専門性と自律性を発揮する上で看護職者の教育的機能は重要な役割を担ってきたと述べているように,患者教育は,専門的な援助として固有の学習体系を成立し,患者の生活に裨益する実践として重要視されている.これまでの患者教育に関する文献研究は,対象者を特定し一定期間の研究動向を報告した論文が多い(野村・鈴木,2000;山口,2008).森山(2011)の研究が,患者教育を長い時間軸において把握しており,患者教育の変遷を理解する上での前身となっている.
したがって本研究では,看護基礎教育と臨床現場の実践という2つの視座を導入することによって患者教育の変遷を連続的・統合的に把握し,看護の発展を再発見することを目的とする.患者教育がいかにして発展してきたのかを歴史学の手法で分析することは,看護における文献研究の方向性や範囲を拡大することでもあり,看護学研究に新たな地平を拓くものとして意義がある.また,このように看護学研究に歴史学などの人文・社会科学的手法を取り入れることによって学際的な看護科学研究の発展に資するものと期待している.
日本の看護に定着してきた患者教育の概念としては,戦後すぐは“医師の指示のもとで行う知識の提供”として,看護職者から患者へ一方的にあらゆる事柄を詰め込むように行われていた(二井矢,2012).1978年にプライマリヘルスケアが宣言されると,日本でもセルフケアという新しい見通しに立って患者教育が捉えられるようになった.
川田(1984)や小島(1986)による患者教育の定義が日本で認識された最初の患者教育の概念として広く周知されている.その定義とは,川田が「患者教育は,患者が病気の治療と社会復帰のために必要な知識を獲得し,治療と社会復帰にかかわる意思決定のための能力を身につけることができるように,さらに,患者が自ら治療と社会復帰に積極的に取り組む態度と実行力を身につけることができるように援助すること」と述べている.また,「患者教育とは,最適な健康の維持・増進という目標をもった,行動の変化をもたらす個々人のニードに基づいた,系統的,計画的な学習経験である」(Bille, 1981/1986).その後,日本看護科学学会(2005)は「患者教育は,自分で疾病管理や生活調整をするための知識・技術・態度の習得を助けること」とし,服薬指導,疼痛コントロール指導,退院指導,食事指導,ストマ管理指導,性生活指導・相談を包含する,と定義した.これらの定義に共通しているのは,教育の対象者が何らかの病気をもった「患者」であり,患者への教育活動は「援助」として捉えられているということである.
本研究では,これらに共通している定義を基礎としながら,戦後日本の患者教育の変遷を分析する.
2. 分析の視点本研究が戦後を対象とした根拠を述べる.1948年の保健婦助産婦看護婦法(以下,保助看法とする)の成立によって,看護業務が「療養上の世話」と「診療の補助」と規定され,患者教育はこの両方に関わる看護業務として今日に至っている.1951年には看護職者の養成教育として保健師助産師看護師学校養成所指定規則(以下,指定規則とする)が定められ,本格的な看護基礎教育が始まった.そのため保助看法や指定規則の成立を起点として分析することは,戦後日本の看護における患者教育の変遷を捉える視角として極めて有益だと判断した.なお,表記の留意点として2001年に「婦」(看護婦)は「師」(看護師)へと変更された.そのため史料などからの直接引用の場合を除き,現在呼称の「師」を用いる.
次に,分析の視点について述べる.本研究では,患者教育の変遷を2つの視点から分析する.1つは,看護基礎教育における患者教育の学習である.戦後の看護職者に期待される役割は,療養上の世話や患者教育に至るまで幅広く拡大し,看護基礎教育では指導能力を高める教育が行われてきた(石塚ら,1988).野口ら(1987)の調査では,ほとんどの看護師学校養成所および短期大学で患者教育が学習されていることが報告されているように,患者教育は看護基礎教育において重要な学習として位置づけられてきた.2つめは,臨床現場における患者教育である.かつて結核などの感染症が多かった時代では,医療は医師主体で行われていた.しかし,1980年代になると治療中心の医療からケア中心の医療へと変化したこともあり,患者教育は,患者のセルフケアの確立に向けた学習援助型の教育が注目されてきた(正木,1994).また,市民権運動,女性権運動,消費者運動に関連して,生命倫理,患者の人権保障,自己決定権を重視する動きが台頭してきたことも要因となっている.こうした動きは,健康管理を自ら積極的に行おうとする患者の意識と行動を強めることとなり(西田,1997),医師主体から患者主体の患者教育へと進展させてきている.
以上,2つの視点から分析する妥当性としては,これらは相互に関わり合い,または重複するところもあるように,お互いに影響を与え合いながら実用的な実践や研究を生み出し,看護の発展に貢献していることが考えられる.したがって,患者教育がこれまでの実践や研究成果によって成り立っていることを証明するためにも,2つの視点から分析することは妥当性があると判断した.
3. 分析方法本研究は,Ranke(Leopold von Ranke: 1795~1886)の実証史学を発展的に継承した現在の歴史学研究の手法を踏襲した文献研究である.Rankeは,創作や空想を排し,真摯に史資料を吟味すれば,過去の事実が浮かび上がり,それを積み重ねれば科学的に客観的な歴史を叙述することができるという方法論を提唱した(Ranke,1890/1966).史資料の網羅的探索をふまえ,客観的事実のみを語らんとする彼の研究手法は,精緻な吟味と立証という科学的な概念に従って史資料を丹念に分析することであり,林健太郎歴史学(1913~2004)など現在の歴史学研究に発展的に継承されている.本研究においてRankeの実証史学を踏襲して分析するということは,看護や医療に関する資料のみで患者教育の変遷を論究するのではなく,政府の公文書等を併せて史資料そのものが語る事実を積み重ねて考察することであり,これによって,研究者の主観や先入観を取り除いた正確な事実を論証できる.
分析方法としては,対象とした史資料を出来る限り大量に収集し,それらを一次資料,二次資料,三次資料に分類した.分類した史資料の中に含まれる真実と虚偽を弁別して史料批判を行い,過去の正確な歴史的事実を認識した.次に,患者教育に関する二次資料と三次資料の個別研究および文献が,政治,経済,文化とどのような関係にあったのかを意識しながら一次資料と照らし合わせ,患者教育が発展していく一連の連関を分析し論証した.論証をするにあたり史実の考証に関しては,国会議事録や各省庁報告書等の公文書類,朝日新聞(1945~2013年)や読売新聞(1945~2013年)と照合し,その史資料と史実の信頼性を検討しながら進めた.また,ライダー島崎の『戦後日本の看護改革』,大森文子の『看護の歴史』,日本看護歴史学会の『日本の看護120年』と『検証―戦後看護の50年』,日本教育制度学会の『現代教育制度改革への提言』の著作も,史実の信頼性を補う上で重要な参考とした.さらに,史資料を正確に読解・分析するために,歴史学の研究手法に精通した研究者と,政治経済学を専門とする研究者の教示を受けながら,論証に対する史資料の信憑性や解釈の論理性,裏づけの妥当性を吟味し分析した.
本研究で対象とした一次資料は,信頼性と現実性を伝える資料として,国立公文書館所蔵の各省庁の公文書と,国立国会図書館所蔵の厚生行政年次報告,厚生統計調査総覧,戦後の社会保障資料など104件収集した.
二次資料は,患者教育や健康教育の関連単行書,医療・看護関係雑誌,看護系学会誌等を選定した.二次資料は,医学中央雑誌やCiNiiの検索システムを使って資料収集するだけでは不十分である.そこで,商業誌『看護学雑誌』『医療』『病院』『看護』『看護技術』『看護教育』『綜合看護』『看護研究』『臨床看護』『看護展望』『月刊ナーシング』『看護MOOK』を選定し,著者が各創刊年から2013年まで総覧した上で,患者教育に関する主要論文802編を収集した.これらは当時の医療や看護に対する要求を反映して編集・発行されてきたため,そこに書かれている内容や特徴を分析することは,患者教育の意識や教育実践を知る手掛かりとして重要な史資料として位置づけられると判断したからである.
三次資料は,看護テキストを155冊収集した.一般的にテキストとは教科書を意味する.教科書は,狭義には文部科学大臣の検定を経たもの,または文部科学省が著作した著書をいうが,広義には教科の主たる教材として用いられる図書を教科書という.本研究では,戦後から現在まで継続的に出版・改版されてきた図書を「看護テキスト」として取り扱う.看護テキストは,指定規則が示した学習内容を踏まえて改版され続けており,その内容を系統的に教えるための教材である.戦後に広く普及していた看護テキストは,医学書院の『高等看護学講座』と『系統看護学講座』,メヂカルフレンド社の『新版看護学全書』である.これらは,戦後から現在まで出版・改版を重ねて全国の看護学校で使われており,戦後の看護テキストのスタンダードになっていると推察される.
このように,一次資料,二次資料,三次資料という多面的な視点から患者教育の変遷を捉えることによって,患者教育は,時代や政治,経済,文化と複雑に絡み合って発展しているという事実を導き出すことができる.また,看護基礎教育と臨床現場の実践という2つの視座から結果を示すことで,患者教育は看護職者による個々の実践や研究からのみ発展していったのではなく,むしろ,政治や経済との影響関係のなかで絶えず変革を図ってきたのであって,今日の患者教育もその延長線上に位置づけられていることが明らかになる.つまり,Rankeの研究手法を取り入れることによって,看護が,自然科学のように政治や経済から分離されて論じられるものではないことの証明根拠となる.この点からみても,本研究は看護における文献研究を発展させる一助になるといえる.
戦後の時代背景を踏まえ,一次資料を裏づけながら指定規則の改正に伴う患者教育の学習基盤の変容について述べる.
指定規則は,社会の状況に応じて1951年,1967年,1989年,1996年,2009年に大きな改正が行われている.1951年の指定規則は,従来の治療医学に偏重した教育内容であったため,看護が教科として独立しておらず,患者教育の学習は極めて不徹底であった.厚生省(1964)は,看護師の役割を検討するなかで,看護師と患者の人間関係は,教育的関係(educational relationship)と述べており,医師へ従属しがちだった看護職者の患者教育に,自律性と主体性を示した.また,1960年代から生活習慣病による死亡率が増え,看護職者による患者教育が求められるようになった.そこで1967年の指定規則の改正では,成人看護学が新たに設定され,患者教育を学習できる時間が確保された.それに伴い,新しい看護テキストの出版によって知識と技術を系統的に学習する体系が成立した.医師の教える看護ではなく,看護職者が専任教員となって看護を教育する体制が整えられたことで,看護の教育的役割について基本的な意識の統一性を喚起することになった.
1970年に日本は高齢化社会となった.また,食生活の欧米化や運動不足などの社会環境は改善せず生活習慣病も増え続けた.看護制度検討会では,退院時や訪問看護における患者教育の必要性に伴い看護職者の指導力が検討されたことから(厚生省健康政策局看護課,1987),1989年の指定規則の改正では,慢性疾患の増加や高齢化の進展を踏まえて患者教育のあり方が見直され「指導技術」が明記された.看護テキストで習った内容や方法を教える技術よりも,個々の患者の状況に合わせた指導能力を育成することが重要とされたのである.
しかし,完全に治癒しえない慢性疾患は年々増大し,高騰する医療費の負担増のなかで「自分の病気は最終的には自ら治す」というセルフケアに対する関心が高まってきた.少子・高齢社会看護問題検討会(1994)でも「慢性疾患は生活習慣と密接に関係していることから,患者のセルフケア能力を高めるために教育的な働きかけの看護が求められる」と,患者の主体性を意識してセルフケアの考え方を示している.そのため1996年の指定規則の改正では,セルフケアの観点から患者教育が重視されており,教科の枠を超えてあらゆる領域で学習されるようになった(二井矢,2014a).
1996年の指定規則の改正から10年以上経過したなかで指定規則の改正が行われたのが2009年の改正である.改正の背景には,国民の医療に対する安全意識の高まりがある.1997年の第3次医療法改正では「医療の担い手は,適切な説明を行い,医療を受ける者の理解を得るよう努めなければならない」と定められたように(医療法1条の4第2項),患者の意思決定や情報提供が重視される時代となった.医療提供体制の改革ビジョンでも,患者・家族への適切な情報提供や安全な医療提供体制の構築が必要とされ,看護基礎教育の充実が求められている(厚生労働省,2003).これと並行して高齢化の進展は医療費の増大をもたらし財政を圧迫してきた.そのため医療の機能分化と患者の視点に立った医療提供体制が,第二次から第四次の医療法改正によって行われてきた(厚生労働省,2007).医療の機能分化によって在院日数は短縮化し退院指導や在宅看護における教育的関わりが一層重視され,看護基礎教育でも,患者が自己回復力を引き出せるような関わり方の学習が提案された(厚生労働省,2004).その一方,新卒看護職員の臨床実践能力の低下が問題となり,看護基礎教育で行われる教育と臨床現場で求められる実践能力とに乖離があることが指摘されるようになった(日本看護協会,2004).そこで2009年の改正では,改めて看護実践能力の強化と統合能力が求められた.専門分野Iと専門分野IIには「演習を強化した内容とする」と明記されているように(看護行政研究会,2008),看護職者としての「能力」は,演習によって強化することが掲げられている.
看護職者としての「能力」については,予防的な視点に基づいて患者をアセスメントする能力や三次予防的な視点を「能力」として示している(厚生労働省,2008).また,厚生労働省(2011)は,健康の保持増進,疾病の予防,健康の回復にかかわる実践能力を明示し,患者教育は,患者が治療計画を生活の中に取り入れられるよう支援する看護技術として位置づけた.文部科学省(2011)は,学士課程における看護実践能力と卒業時到達目標を示しており,患者教育を学習効果のひとつとしている.このように患者教育を看護職者の「能力」として位置づける傾向は,臨床現場を中心とした現場主義への傾斜を意味すると同時に,指導能力の育成を早期化することで患者教育に関わる学習を体系化し看護の専門性を高めることを意味している.
次に,2009年の指定規則改正後の看護基礎教育における患者教育の学習について検討する.
2) 個別的な対象者理解と分析的な視点の強化二次資料と三次資料を概観した結果を通して,看護基礎教育における患者教育の学習について述べる.
中嶋ら(2013)は,1996年の指定規則の改正では教育内容が大網化され各看護師学校養成所では自由裁量でカリキュラム編成を行ってきたが,2009年の指定規則の改正では,看護実践能力を強化することを目的に,現在のようにある程度拘束感のある教育内容となったと述べている.例えば,看護実践能力の強化を目的として,看護技術に対する卒業時の到達度が明確にされているのもそのひとつである(厚生労働省医政局看護課,2007).患者教育は,看護職者としての能力や看護技術のひとつとして位置づけられた.
しかし,茂木・白石(2007)は,臨床では患者教育が促進されているにもかかわらず,看護基礎教育では,学生の患者教育の学習方法が十分に検討されていないことを指摘している.確かに臨床現場の患者教育に比べて,看護基礎教育における患者教育の研究は少ない.そのなかでも,2009年の指定規則の改正以降の看護基礎教育における患者教育は,2つの研究成果に立脚した教育が行われている.第一が学生についての研究(学生研究)であり,第二は教育方法の研究である.学生研究は,何らかの研究的意図をもって,授業や演習,実習を実施し,患者教育に対する学生の認識などを分析するものである.例えば,逸見(2009)は,患者教育に対する学生の達成感が得られる要因には,患者がプラス方向に変化することや患者教育を実践できた喜び,指導者からの承認,をあげている.工藤ら(2011)は,学生が捉える患者教育は,患者とその人の生活に寄り添う看護として捉えていることを明らかにしている.このように学生の認識を明らかにすることは,患者教育の学習内容や教育方法を細部にわたって整備していくために必要である.しかし,これらの研究結果でも明らかにしているように,学生は自分にとっての患者教育を学習する意味は捉えやすいが,患者が「生きる」意味について思考することは少ない傾向がある.大切なのは,患者の人生や生活において患者教育がどのような意味をもつのかの視点の方が重要なのであり,人間らしく生きることの視点と関連させて患者教育を捉える学習が必要である.
次に,教育方法の研究について述べる.これは,授業・教育を計画し,計画に基づき実施し,実施した結果を評価する一連のプロセスである.ロールプレイや模擬患者,集団学習,パンフレット作成など,様々な教育方法が検討されている.これらに共通しているのは体験的な学習という点である.この背景には,2009年の指定規則の改正で演習を強化することへの対応として,主体的な学習や思考力,問題解決能力などを育成するための教育が重視されていることが考えられる.体験的な学習を行うなかで最も重視されているのが,対象者理解という点である.対象となる患者の生活背景や価値観,年齢,疾病の状況などを個別的に捉えることが重視されている.例えば,迫田・清水(2012)は,学生がパンフレットを作成し患者教育を実施したことで,患者の心理面の理解や自己管理への支援,患者を取り巻く環境の重要性を学んでいることを明らかにしている.小濱ら(2011)も,ロールプレイは,学生が,患者の理解度を確認したり,患者を尊重して関わる必要性に気づくための学習であると述べている.このように教育の対象者である「患者」という個別的な存在を重視していることは,患者教育を一方的に看護職者側の論理に適応させる発想ではなく,患者主体という視点に立ってその対象者に合った方法論を学習していることでもある.つまり,体験的な学習をすることは,学生が対象者の「個別性」を深く意識できることを意味する.また,体験的な学習では「知識」よりも,患者教育が「どうあるべきか」を問うような分析的な視点が強い.分析では「どうあるべきか」を問うことで,患者教育に内包された患者主体の意味を思考することができる.
それでは,学生研究と教育方法の研究という2つの研究成果の結節点として,臨床現場ではどのような患者教育が実践されてきたのか.次に,戦後から現在までの臨床現場における患者教育の変遷について検討する.
2. 臨床現場における患者教育の変遷時代状況を踏まえながら一次資料と二次資料を通して,患者主体を形成する意思決定の尊重と,患者の能力にかかわる援助,という2つを中心に述べる.
1) 患者主体を形成する意思決定の尊重日本は,敗戦によって連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)指導のもと,看護教育,業務,資格などが改革されてきた.1952年のサンフランシスコ平和条約とともにGHQが撤退した後は,日本医師会の力が台頭し「看護婦の勤務は全て医師のためにあり,医師への奉仕が第一に要求されている」(水野,1955)ということばに特徴づけられているように,1950~60年代の患者教育は,医師の指示したことを守らせるという戦前からのヒエラルヒーが継続していた.
1970年代になると政策的な推進として,生涯教育が家庭,学校,職場,地域で行われるようになった(文部省,1971).学習基盤となった教育理念が「学習者主体」である.患者教育も学習者主体(患者主体)という教育理念に基づいた個別的具体的な患者教育が実践されるようになった.その実践は,抽象的で一般化された内容の提供から具体的で個別的な内容へ,教える-教えられる関係から相互協力的な関係へ,一方的な指導から行動科学的な実践へ,問題解決から問題を明確にする方向へ,というように,患者教育は,方法論的側面から研究が積み重ねられてきた(二井矢,2014b).
1980~90年代の日本では,医療事故や薬害エイズ事件の影響から,医療のあり方が厳しく問われ,患者の人権擁護や自己決定権,エンパワメントを重視する動きが台頭した.こうした時代の患者教育に問われてきたのは,どういう実践が「患者主体」を形成することなのか,ということであった.それは,前述した川田による患者教育の定義にもあるように「意思決定のための能力」を援助することであった.患者の意思決定は,患者主体を形成するにあたって要となる援助として見出されてきた.具体的な実践が情報提供である.城ヶ端(1993)や山川(1993)は,患者教育は情報提供の役割を果たしていると述べているように,情報提供は,看護職者が一方的に知識や情報を説明することではなく,患者が自分の健康問題や状況を正確に理解できるように患者の思考に対してわかるように「教える」ことである.この場合の「教える」ことは,患者の意思決定を尊重する立場から行われている.教えた内容を患者が理解することによって,「質問する」「自分の考えを表現する」という行動が認めやすくなり,そうした患者の自発的な行動を「主体性」として特徴づけてきた.
2000年代になると,療養病床と一般病床の区分(2000年),回復期リハビリテーション病棟の新設(2000年),地域医療連携体制の構築(2006年),高度急性期の設置(2008年)など,医療の機能分化が促進された.それに伴い在院日数は短縮化し,医療の場は病院から在宅へ移行した.患者教育は情報提供のみならず,一人ひとりの患者の具体的な生活の意思決定への介入が行われるようになった(小野,2006).このように患者の思考に対して,情報提供や具体的な意思決定への介入を検討することは,患者は「保護されるべき人間」という捉え方のみではなく,意思決定できる「自律的な個人」としても尊重されるようになったことを意味する.しかし現実の患者教育では,患者の意思決定を尊重すると同時に,他方では,患者が自分の健康問題について思考し行動変容を促すためのかかわりも必要である.そうした患者の変化を促すために注目されたのが,患者の「能力へのかかわり」であった.
2) 患者の能力にかかわる援助先進諸国では医療費の高騰が問題となり,1980年代から現在にかけて新自由主義政策が導入されている.新自由主義政策とは「効率化」「自立」「自己責任」をスローガンに掲げた市場原理を重視する政策である.日本もオイルショックによって経済成長が低迷し医療費財政難が深刻化すると,医療の効率化を基本路線とする行政改革が進められた(臨時行政調査会,1981).新自由主義政策の欧米諸国では,セルフケアやセルフマネジメントといった自己責任を基本とする「Self」を徹底した研究・実践が注目され,その成果は日本にも浸透している(松繫,2012).そのため,最近の患者教育はかなりの部分を「Self」の考え方に移ろうとしている.Levin(1978)は,セルフケアとは,自分の健康を増進し,疾病を予防し,病気を回避し病気から回復しようとする個人の活動であり,専門家から得られる知識と技術は活用するが専門家の援助を求めない活動という.セルフケアの概念はさまざまに捉えられているが,共通していることは,自分の健康問題に主体的に行動することである.日本では,健康を障害された患者が行う自己管理はセルフケアとみなされてきた(西田,2001).セルフマネジメントについては,Lorig & Holman(2003)が,生涯にわたる課題であり,それは治療や役割,感情の管理を含んでいると述べているように,薬や食事といった治療に関する管理だけではなく,自分の精神や生活を含めて管理することを目指している.
セルフケアとセルフマネジメントの違いについて,旗持(2003)は,セルフケアは健康問題の解決という当事者の主体性を強調した概念だが,セルフマネジメントは生活上の対処に関する意思決定プロセスに焦点をあてているという.旗持がいうように,厳密にいえばそれぞれ異なる概念をもつが,日本では混在して用いられてきた.黒江ら(2002)は,日本ではセルフマネジメントというカタカナ表記ではなく,自己管理という和語が多く用いられてきたという.1970年代から「自己管理」が用いられ,1980年初期から「セルフケア」が用いられるようになったと説明しており,その多くは,健康教育や患者教育という看護のなかの教育的活動と結びついていると述べている.
セルフケアやセルフマネジメントでは,患者は「能力」をもっていることが前提とされているため,能力の概念化や評価が行なわれてきた.例えば,吉田・神田(2010)は,がん患者のセルフケアの概念分析を行っている.本庄(1997)は慢性病者のセルフケア能力を査定する測定ツールを開発し,清水ら(2009)は糖尿病患者のセルフケア能力測定ツール,武内・村嶋(2008)は透析患者のセルフケアの測定尺度,谷村ら(2013)は変形性膝関節症のセルフケア能力など,多様なセルフケアに関する能力が評価されるようになった.セルフマネジメントの観点からは,今戸(2012)の慢性閉塞性肺疾患患者のセルフマネジメントの概念分析,坪田ら(2005)の高血圧症患者の自己管理度測定尺度,野澤ら(2007)の血液透析患者の自己管理行動尺度,がある.
これまでの患者教育で重視されていたのは「知識の理解」や「行動変容」など問題解決を目的とした一元的な評価であった.しかし,セルフケアやセルフマネジメントのように「能力」を概念化し評価することは,一元的な評価から離れて意思決定力や主体的な行動など,別の可能性を追求していることである.つまり,患者主体を可視化しようとする実践の追求は,結果として,問題解決を目的とする患者教育ではなく,さまざまな課題やニーズを抱えた個人を援助することを目的とする患者教育へと発展した.
Rankeの実証史学を踏襲し,看護や医療とは異なる政府各省庁の一次資料と,患者教育に関する膨大な二次資料と三次資料を併せて分析することで,患者教育の発展には政治や経済が関与しており,これらは根底において深く通じあっていることが明らかになった.
まず,看護基礎教育における患者教育の学習は,医師ではなく,看護職者による教育体制が整えられたことが発展の起点となった.1960~70年代から生活習慣病の増加や高齢化の進展に伴って,医療の場は,病院から在宅へと拡大し,治療からセルフケアへと移行してきた.このことから,患者教育の変遷の大きな要因は,患者教育に関わる業務の拡大によって指定規則が改正されてきたことがあげられる.指定規則の改正によって患者教育の基本的な学習体系が成立し,指導能力の育成と向上が目指されてきた.現在,看護基礎教育では専門性の向上を目的として,各省庁や検討会による教育内容の明確化とそれに伴う看護技術評価の流れが進んでいる.とくに2009年の指定規則の改正によって看護職者としてのさまざまな能力が重視されるようになったことは,看護基礎教育と臨床現場とが双方向的な関係に改められていることでもある.看護基礎教育では,学生がどのようにして患者の個別性を捉え,分析的な思考力を高められるかに主眼がおかれているため,体験的な学習が検討されている.こうした学習は,患者教育に関する知識の量ではなく,患者の個別性という視点を通して患者主体となる方法を,他者とのコミュニケーションや体験によって分析する能力,すなわち指導能力の育成を目的として行われている.
しかし,患者教育に関する知識の獲得から指導能力の育成へと移行するにつれて,患者教育の学習も何を基準とするかを明確に定めることが難しくなる.なぜなら,知識の獲得であるうちは,その学習範囲や内容を定めることができるが,能力の涵養となるとそこに至る道筋は一義的には決まらないからである.そのため看護基礎教育では,河口(2010)がいうように,患者に必要な疾患・治療の情報を提供する,という学習が主として行われてきた傾向がある.情報提供のような指導的なアプローチは,患者の意思決定を尊重する援助であり,患者教育に含まれる重要な一部分である.一部は指導的アプローチ,もう一部は個別性を捉え分析する能力,こうした2つの側面によって看護基礎教育における患者教育の学習は構成される必要がある.両者は対立するものではなく,いずれも指導能力を育成するために不可欠な教育といえる.
一方,臨床現場では,どういう実践が患者主体を促す患者教育なのかということが問われてきた.とくに1980年代から人権意識の高まりによって,患者が主体的に医療に参加する観点から意思決定を尊重する患者教育が求められた.そこには,患者がそれぞれの生き方の基盤を,生活のどこに見出していくべきなのかという視点が尊重されている.すなわち,意思決定を尊重する患者教育とは,患者に思考の自由を行使しうるような環境や情報を提供すること,思考に基づく意思決定が権利として保障されていること,である.
また,新自由主義政策の導入に伴い,厚生省(1987)は「自分の病気は最終的には自らが治すというセルフケアの観点を重視する方向で改革を行う」と示し,自己責任や自助努力を徹底させ医療費財政難の軽減を図ってきた.患者教育も,患者の意思決定を尊重し主体的な行動を促す援助が求められた.実践では,患者の意思や行動の強さを「能力」として捉え,患者教育では「能力へのかかわり」が求められた.これまで患者教育で重視されてきた評価は「理解したかどうか」「できたか,できないか」という知識の理解や行動変容など一元的な評価であった.しかし「能力へのかかわり」では,セルフケアやセルフマネジメントの影響を受けながら,患者ができないことをどのように評価するか,あるいは,できなくても患者が「治ろう」とする意思や主体性を捉えるために,人間が本来もっている能力―セルフケアやセルフマネジメント―を評価し,患者-看護職者との関係性(相互作用)や,患者にとっての目標(自立)と結びつけてきた.つまり,患者の「能力」を多元的に評価し,それを看護職者の援助に結びつけることは,患者が人間らしい生活をおくるための援助を実現しようとしていることである.このことは,欧米諸国が「self」を重視しているのに対して,日本では「援助」を強く意識していることを表している.援助とは,患者の「意思決定の尊重」と「能力へのかかわり」の両者を連関あるいは融合させた実践として見出され,これらのかかわりによって患者教育には“患者主体の形成”という素地がつくられてきた.
今後,患者の人間性や価値観を尊重しつつ,患者主体の専門的な患者教育を提供し,患者の行動変容を促すような実効性を高めていく必要がある.
本研究は,Rankeの実証史学を踏襲した分析によって,看護における患者教育は,伝統的に固着してきた“医師の指示のもとで行う知識の提供”という見解を排し,専門的な援助として発展させてきた歴史をもつ,という見解を導き出すことができた.
現在,患者教育は,医師,看護職者,薬剤師などあらゆる医療関係者によって行われている.その中でも看護においては,戦後70年の間に,政治や経済の発展に即しながら,看護基礎教育や臨床現場での実践を工夫し変革させてきた患者教育の長い歴史がある.看護基礎教育では,生活習慣病の増加や高齢化の進展に伴って指定規則が改正され患者教育の学習基盤を整えてきた.2009年の指定規則改正後は,指導能力を高める学習を目指して学生研究と教育方法の探究がなされている.今後は,教育評価の研究も加える必要がある.なぜなら,指導能力といわれる能力の評価をどのように行うかが,専門的な援助としての発展を左右させると考えられるからである.臨床現場では,1980年代から人権意識の高まりや新自由主義政策の導入に伴い,患者の意思決定の尊重と能力へのかかわりによって患者主体という普遍性を堅持してきた.これらを臨床現場に定着させることが,患者教育を専門的な援助として一層発展させる重要な要件になると考える.
したがって,患者教育は,看護が戦後70年にわたって看護基礎教育と臨床現場の実践によって専門的な援助として発展させてきた歴史的な所産といえる.
謝辞:本研究論文の作成に際し,ご指導くださいました福岡大学の勝山吉章教授に心より感謝申し上げます.本研究は,平成26年度福岡大学大学院人文科学研究科博士後期課程へ提出した博士論文の一部を加筆・修正したものである.戦後から現在までの患者教育に関する史資料や先行研究は,提出した博士論文にまとめている.本研究では,その一部を歴史的事実に基づいて紹介した.また本研究は,平成27~29年度科学研究費補助金(基盤研究C:課題番号15K11494)を受けて行った研究の一部である.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.