2017 Volume 37 Pages 170-178
目的:緩和ケア病棟(以下,PCU)という場において退院支援を行うことが,看護師にとってどのような意味を持つかを明らかにすることを目的とした.
方法:エスノグラフィを用いて,都内にある1病院のPCUに勤務する看護師を中心に,参加観察及びインタビューを実施し,Spradleyの段階的研究手順法を参考にして分析した.
結果:『その人らしさを追求し,患者・家族と共に家を目指すチャレンジ』というテーマが生成された.退院支援は看護師にとって,患者と家族の穏やかな時間を脅かすリスクを伴いながらも,その人らしく生きることを支えるために家を目指すチャレンジだった.看護師は,自宅退院を選択する際や,退院に向けて準備する際も常に退院支援に伴う葛藤を抱えながら,PCUに戻れることを保証して家へ送り出していた
結論:退院支援というチャレンジに伴う葛藤に対処することにより,PCUにおける退院支援が促進される可能性がある.
緩和ケア病棟(Palliative Care Unit,以下PCU)は,末期がん患者を中心に緩和ケアの提供と看取りの役割を担ってきたが,時代とともにその役割は変化しつつある.2008年の診療報酬改定以降,PCU対象者が末期患者に限定されなくなった.そして看取りの他に,在宅移行支援や緊急入院の受け入れという新たな役割が加わり,地域と連携して緩和ケアを提供することが求められるようになった.2012年には61日以降の長期入院患者の入院料が大幅に減額され,PCUでも退院支援の必要性が高まっている(厚生労働省,2012).
PCUの患者は,苦痛症状の強い場合が多く(Tsai et al., 2006),PCUでの死亡率が高い(宮下ら,2013).さらに,最期を過ごす場としてPCUを選択して入院する患者もいる(吉田・小島,2006)ことから,PCUは患者と家族の苦痛を緩和しつつ最期を迎えられるよう支援する場所という特徴を持つ.そのため,PCUからの退院を促すことは,患者と家族に対し最期を過ごす場の再選択を迫ることになる.一方,一般病棟は治療を目的として入院し,治療が終わると退院することが求められる場であり,PCUのように,患者と家族が最期を迎えられると認識している場からの退院とは異なる.
このような病棟の特徴,すなわち文化的な側面は,看護師の行動や認識に影響を与えると考えられる(McDaniel & Stumpf, 1993).そのためPCUと一般病棟では,看護師が必ずしも同じ意味で捉えて退院支援を行っているとは限らない.PCUにおける退院支援のあり方を検討するためには,PCUという場のもつ文化的な特徴を踏まえた上で,看護師が退院支援をどのような意味で捉えているのかを理解する必要がある.
そこで本研究は,PCUの看護師が退院支援を行う意味をどのように捉えているのかを,PCUの文化と共に明らかにすることを目的とした.本研究で退院支援の意味を明らかにすることにより,終末期及び緩和ケア領域における退院支援の発展に寄与することが期待できる.
本研究では,エスノグラフィを用いた.エスノグラフィとは,文化,つまり「人々が経験を解釈し,行動を起こすために使う習得された知識」を記述する方法論であり,ある行為や出来事が対象集団にとってどのような意味を持ち,文化を構成しているのかを理解することができる(Spradley, 1980/2010).大森は,エスノグラフィを用いて特定の農村地域に居住する高齢者にとっての健康の意味を明らかにしている(大森,2004).本研究においても,PCUの文化を理解した上で,看護師にとっての退院支援の意味を明らかにするためにエスノグラフィを採用した.
2. 研究フィールド及び研究協力者本研究は,都内にあるA病院のPCU及び緩和ケア外来で実施した.A病院のPCUは約20床あり,医師,看護師,看護助手,音楽療法士,病棟ボランティアが在籍する,一般的な規模のPCUである.年間200人以上の患者が入院し,うち約8割がPCUで亡くなっており,転院及び自宅退院は1割ずつにも満たない.平均在院日数は約30日である.また,A病院は退院調整看護師やソーシャルワーカーが在籍する医療連携室を有している.
3. データ収集及び調査期間参加観察及びインタビューでデータを収集した.
1) 参加観察参加観察は,2014年9月から11月に,週に4日程度,日勤帯と夜勤帯で実施した.申し送りやカンファレンス,看護師が患者や家族と接する場面を中心に観察し,逐語録に近い様式でフィールドノートに記述した.適宜5分程度のインフォーマルインタビューも実施した.参加観察およびインフォーマルインタビューで得たデータは,フォーマルインタビューのインタビューガイドにも反映させた.
2) フォーマルインタビューPCUに勤務する看護師を対象とし,看護師経験年数及びPCU経験年数に偏りがないよう協力者をリクルートし,インタビューガイドを用いた個別の半構造化面接を1人につき1回行った.インタビューではまず,PCUが患者と家族にとってどのような場であり,何を大切に支援しているかを尋ねた.次に印象に残っている退院支援について,社会資源の調整などの具体的支援に加え,アセスメントや思考の過程も語ってもらうと共に,支援に際しての思いも尋ねた.インタビュー内容は同意を得てICレコーダーに録音し,逐語録を作成した.
4. データ分析データ分析は,Spradleyの段階的研究手順法(Spradley, 1980/2010)を参考に行った.まず,フィールドノートとインタビューの逐語録を精読して意味関係を見つけ出すドメイン分析を行い,PCUの文化的ドメインを発見し,意味関係毎に整理した.
次に一つの文化的ドメインに着目し,そのドメインを構成するデータを分類する分類分析を行い,暫定的な文化的テーマを見出した.そのテーマの構造を明らかにするため,対比を意識しながらデータを系統的に整理してカテゴリを形成し,カテゴリ間の関連が見え始めてきた段階で,PCUにおける退院支援の看護師にとっての意味を表す文化的テーマを発見した.
最後にそのテーマを中心にデータ及びカテゴリ間の関連を整理し,洗練した.分析に際しては,定期的に共同研究者とディスカッションを行い,エスノグラフィに精通した研究者よりスーパーバイズを受けた.分析結果は看護師経験年数及びPCU経験年数に偏りがないように,6名の協力者にメンバーチェッキングを依頼し,妥当性の確保に努めた.
5. 倫理的配慮A病院PCUの管理者の許可を得て参加観察を実施した.看護師及び医師には研究概要を個別に文書で説明し,同意を得た.フォーマルインタビューへの協力の可否は,同意を得る際に確認した.看護師への同行に伴い,患者や家族と接する際は,研究概要を患者と家族に文書で説明し口頭で同意を得た.なお,本研究は東京大学大学院医学系研究科・医学部倫理審査委員会(10514-(2))及び協力施設A病院の研究倫理審査委員会(14-R028)の承認を得て行った.
参加観察時間は計225時間であった.フォーマルインタビュー協力者14名(協力者ID:A~N)は全員女性で,年齢は平均31歳(範囲:23~38歳),看護師の経験年数は平均9年(1~17年),そのうちPCUでの経験年数は平均4年(1~14年)であった.フォーマルインタビューは平均49分(41分~72分)だった.
生成されたカテゴリ・サブカテゴリの一覧を表1に示す.本文及び表中の『 』はテーマ,《 》はカテゴリ,〈 〉はサブカテゴリ,斜体はインタビューデータ,「 」は協力者の言葉の引用,[ ]はフィールドノート,( )は研究者による補足を表す.
カテゴリ | サブカテゴリ |
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最期へと向かう患者・家族を迎え入れるホーム | 急変のリスクを持ち,遠くはない未来に死がある患者が入院する場 |
安らぎを求めて患者・家族が入院する場 | |
死の訪れを自然に受け止める場 | |
家のようにその人らしく生活できる場 | |
家族が患者とかけがえのない時間を過ごす場 | |
患者・家族が戻って来られるホーム | |
病院運営上長くいることはできない緩和ケア病棟 | 国や病院の方針に左右される緩和ケア病棟 |
より重症な患者が入院を待っている | |
患者・家族の穏やかな最期を守る | 患者との死別後を見通して家族と関わる |
看取りの時が近づく家族を医師と共に支える | |
患者の最期を家族が落ち着いて見守れることを大切にする | |
患者・家族の穏やかな時間を守る | 医師と共に患者の苦痛緩和を図る |
患者個々の状態に合わせたケアを行い日々の生活を支える | |
患者・家族が心を許せる関係性を築く | |
その人らしく生きることを尊重する | |
その人らしく生きることを支える | その人の生活スタイルを家族と共に可能な限り支える |
意思や感情を持ち,生を実感できるように支える | |
他者との関係の中で自分の存在を見出せるように支える | |
その人が選択する生き方を最期まで家族と共に支える | |
その人らしく生きる場として家を選ぶチャレンジ | PCUでその人らしく生きることの限界を感じる |
家に帰れるタイミングを見逃さずに退院の選択肢を提示する | |
患者・家族の穏やかな時間を守れないリスクを認識する | |
患者・家族と共に家に帰ることを目指すチャレンジ | タイミングを逃さず退院支援を始める |
実現できない可能性を認識しながらも家に帰ることを目指す | |
患者の帰りたいという希望を引き出し家族の協力を得る | |
患者・家族の退院に伴う不安を和らげる | |
家族のサポート体制や社会資源を整える | |
退院支援に伴う葛藤 | PCUからの退院を考えていない患者・家族がいることを認識する |
患者・家族の穏やかな時間が揺るがされることへの懸念 | |
自宅退院後の生活が見えないため退院支援を躊躇する | |
退院支援が病棟の運営方針に左右される | |
戻れることを保証してホームから家へ送り出す | PCUでの最期を望む患者・家族がいることを認識する |
PCUにいる間には患者・家族の退院に伴う不安は取りきれないことを感じる | |
いつでも戻ってきていいことを伝える | |
自宅退院後,穏やかに過ごせているか気に掛ける | |
ホームに帰ってきた患者・家族を迎え入れる |
分析の結果,PCUの看護師にとっての退院支援の意味として,『その人らしさを追求し,患者・家族と共に家を目指すチャレンジ』というテーマが生成された.本研究で“チャレンジ”とは,困難に立ち向かう挑戦を意味する.
PCUという場は,《最期へと向かう患者・家族を迎え入れるホーム》であり,《病院運営上長くいることはできない緩和ケア病棟》という制約下にある場だった.本研究で“ホーム”とは,家ではないが患者と家族が戻ってきて安心できる場所を意味する.PCUでは《患者・家族の穏やかな最期を守る》というゴールを目指し,看護師は《患者・家族の穏やかな時間を守》り,《その人らしく生きることを支える》ケアを行っていた.退院支援は,《その人らしく生きることを支える》支援の一つと捉えられていた.
PCUにおける退院支援は,《その人らしく生きる場として家を選ぶチャレンジ》,そして《患者・家族と共に家に帰ることを目指すチャレンジ》だった.すなわち,自宅退院の選択と,自宅退院に向けた準備は,《患者・家族の穏やかな時間を守》れないリスクを伴うため,看護師にとってチャレンジだった.看護師は《退院支援に伴う葛藤》を抱えながらも自宅退院を目指し,PCUに《戻れることを保証してホームから家へ送り出》していた.
1. 《最期へと向かう患者・家族を迎え入れるホーム》PCUは,〈急変のリスクを持ち,遠くはない未来に死がある患者が入院する場〉であるとともに,〈安らぎを求めて患者・家族が入院する場〉でもあった.また,医師と看護師にとっては〈死の訪れを自然に受け止める場〉だった.
(PCUに)期待することは何ですかって聞いた時に,だいたいみんな毎日穏やかに過ごしたいですとか,痛みが無くなること,とか言う(D).
PCUでは,飲酒やペットとの面会を許可しており,患者にとって〈家のようにその人らしく生活できる場〉であることを目指していた.また,PCUは〈家族が患者とかけがえのない時間を過ごす場〉だった.
ここにいる人は,体に害になるほどお酒は飲まない.それよりも家族とか,私たちとかみんなで楽しい時間を過ごせる思い出づくりみたいな.ここでもお家のようにこんなことできるんだと(患者が思う)(H).
またPCUは,退院しても〈患者・家族が戻って来られるホーム〉だった.
ここがホームっていう感じ.だから,お家に帰っても,ホームがあるからとか,あの人たちがいるからとか,そういう存在になればいいな(J).
2. 《病院運営上長くいることはできない緩和ケア病棟》看護師は,PCUを〈国や病院の方針に左右される緩和ケア病棟〉だと認識していた.カテゴリの“緩和ケア病棟”という表現は,診療報酬など国や病院の方針における位置づけを意味する.看護師にとってPCUは,“緩和ケア病棟”と“ホーム”という2つの側面を持つ場だった.
〈より重症な患者が入院を待っている〉ことから,過去には病院の運営方針として,病棟は2ヶ月を目途に退院を促していた.そのため,病院運営上の理由で退院や転院を迫られ,患者や家族が追い出されると感じることが少なからずあり,患者と家族および職員の「ストレス」になっていた.看護師は,病院運営上必要という理由で退院を準備する際,「仕方がない」と思いつつも,患者と家族に「申し訳なさ」を感じていた.看護師は,病院運営上必要な退院の準備を,「病院の都合」のための「施設探し」と捉えており,退院支援とは捉えていなかった.なお,調査時点には,病棟の運営方針が変更され,「退院はプッシュしない」ことになっていた.
(PCUから)出て,状態悪くなったら帰ってくるっていう上で戻ってくる人は,心苦しいながらも,制度の下でみんなやってるから仕方がないし,帰って来れたからよかったって思うんですけど,転院した先で(再入院の)タイミングが合わなくて亡くなったりして,ご家族がもうちょっと居させてくれたらよかったのに,って感じで乗り込んできたときは,悲しかったですね(C).
3. 《患者・家族の穏やかな最期を守る》PCUが目指すゴールは,《患者・家族の穏やかな最期を守る》ことだった.看護師は家族の悲嘆の過程において,患者の最期の迎え方と,最期へ向かう過程が重要だと認識していた.そのため,入院中から〈患者との死別後を見通して家族と関わ〉っており,患者の最期が近づくにつれ,〈看取りの時が近づく家族を医師と共に支え〉ていた.そして〈患者の最期を家族が落ち着いて見守れることを大切に〉しており,死亡退院後も,家族に49日頃に手紙を送付したり,遺族会を開催したりし,家族のグリーフケアをしていた.
本人が一番納得した最期を迎えられることが,家族にとっては満足できることだと思う.(中略)本人が音楽が好きなのに誰も知らなくて,全く何もしないまま最期を過ごすのと,音楽好きだからってみんなで音楽を聴く機会をつくったりするのとでは,(家族の満足感が)全然違うと思う(N).
[ナースステーションで看護師「○○(患者の名前)さんがアプニア(呼吸停止)で,今奥さんが向かってるから,落ち着いたら(死亡)確認になります.」(中略)看護師「奥さん今到着されて,心臓動いていますって説明をしたら,「あぁ,間に合ってよかった」って今お二人(患者と奥さん)でお話しされています.」]
看護師は,《患者・家族の穏やかな最期を守る》ために,限られた《患者・家族の穏やかな時間を守る》ことと《その人らしく生きることを支える》ことが重要だと考えていた.
4. 《患者・家族の穏やかな時間を守る》看護師は,患者と家族が訴える苦痛に耳を傾けながら薬剤の調節やケアを行い〈医師と共に患者の苦痛緩和を図〉っていた.また,排泄介助,食事介助,保清といった日常生活援助や気分転換を促し,〈患者個々の状態に合わせたケアを行い日々の生活を支え〉ていた.さらに,看護師は患者や家族と「さりげない日常会話」を重ね,〈患者・家族が心を許せる関係性を築〉いていた.
[医師と看護師のカンファレンスで,看護師「うとうとできるのが(患者が)気持ちいいみたいで,オピオイド(医療用麻薬)増量してますね.夜は痛みを感じないくらい深く寝てもらいたいという家族の希望があります.寝ている時の方が明らかに穏やかなので,その方が家族も見ていて辛くないそうです.」]
来た当初は(表情が)固くて,攻撃的な発言してる家族も,一緒に過ごしてくことで穏やかになっていって,(中略)それには(家族が看護師に)任せられる,委ねても大丈夫だって思ってもらえる,信頼関係(の影響)も大きいかなぁ(K).
看護師は,個々の「生活スタイル」や希望する生き方が尊重されることで患者と家族が穏やかに過ごせると感じており,〈その人らしく生きることを尊重〉していた.《その人らしく生きることを支える》ことによって《患者・家族の穏やかな時間を守る》ことができると感じていた.
本当はね,こだわりも強い人だったし,(中略)要求も,他の病院じゃ対応しきれないだろうなって予測できる人だったから,(中略)ここで(私たちと)一緒にいられたら,この人は穏やかに過ごせるだろうになって(N).
さらに,《患者・家族の穏やかな時間を守る》ことが《その人らしく生きることを支える》基盤にもなっていた.
入院してほっとしたとか,痛くなくなったとか,って言葉が聞けるとちょっと安心して,なんかプラスアルファのこと,あったらいいな,と思う.趣味とか,余暇を楽しむとか,やろうと思えばできる病棟だから(K).
5. 《その人らしく生きることを支える》看護師は,患者のこれまでの「生活スタイル」を本人や家族から聞き出してスタッフ間で共有し,「入院中も継続できる」方法で実践することで,〈その人の生活スタイルを家族と共に可能な限り支え〉ていた.
患者が「自分のからだのこと」だけ考えて過ごすのではなく,生活の中で「生きがい」や「生きている」ことを感じ,〈意思や感情を持ち,生を実感できるように支え〉ていた.また,患者が人生の先輩としての役割を担う機会を作り,これまで家族と共に「生きてきた道」を振り返るよう促すなどして,〈他者との関係の中で自分の存在を見出せるように支え〉ていた.さらに,患者が最期までどのように生きたいかを早期から把握することにより,〈その人が選択する生き方を最期まで家族と共に支え〉ていた.
水を飲みたいとか,リモコンをこの位置に置きたいとか,歯磨きの仕方にもこだわりがあったりとか.それがその人のしてきた人生で,でも(色々な事が)できなくなっている今,唯一その人が,その人を主張していることというか,自分の意思を,貫けることだと思う(N).
(患者の希望は)一番大事かなと思うので,今後どこで過ごしたいか,症状が良くなったら帰りたいかは,入院時に聞くようにする(E).
6. 《その人らしく生きる場として家を選ぶチャレンジ》PCUは,患者と家族にとってのホームにはなりうるが,療養生活は,医療者側の「時間の流れ」の中で送らざるを得ない.看護師は,患者がPCUで本当に「その人のまま」でいることはできないと,〈PCUでその人らしく生きることの限界を感じ〉,自宅退院という選択肢を考えていた.また「患者の残りの時間」を意識しながら患者の状態に気を配り,〈家に帰れるタイミングを見逃さずに退院の選択肢を提示〉しようとしていた.
病院だと,医療のある程度制限,決まりとか,私たち側の時間の流れで療養してもらう部分が大きいと思う.(中略)でもお家なら,自分のペースで過ごせるし,好きな時に寝て,好きな時に起きることもできる(L).
症状もコントロールできて,今が一番,その(自宅退院できる)時期かなっていうのは見逃したくない(N).
一方,患者の病状が不安定であることから,看護師は同時に〈患者・家族の穏やかな時間を守れないリスクを認識〉していた.看護師は,自宅退院を選択することは《患者・家族の穏やかな時間を守る》ことを脅かす可能性があると認識していた.
みんな何かしら不安と症状を持って入院しているから,万全な状態ではなく(家に)帰っても2,3日で(PCUに)帰ってきてもおかしくないといつも思ってる(N).
7. 《患者・家族と共に家に帰ることを目指すチャレンジ》PCUでは,自宅退院に向けて準備を始めても,病状の悪化などにより,その過程で退院できなくなることも珍しくはないため,看護師は,〈タイミングを逃さず退院支援を始め〉ていた.しかし,それでも希望するすべての患者での退院が実現するとは限らない.PCUにおいて退院支援は,〈実現できない可能性を認識しながらも家に帰ることを目指す〉過程だった.
[カンファレンスで自宅退院に向けた準備について話し合っている.看護師「昨夜からADLがガクンと下がって,今日は全然歩けないです.(中略)帰れるのかな.今から医療連携室に連絡して間に合うのかな.」]
帰りたいと言ってもすぐに環境が整うわけじゃないので,早め早めに動けるように,病状のコントロールがつき始めたかなと思った時は,その都度患者さんに(「今後どこで過ごしたいか」)希望を聞いている(E).
看護師は〈患者の帰りたいという希望を引き出し家族の協力を得る〉ため,患者に「今後どこで過ごしたいか」を聞くと共に,「家族の意向」も確認していた.患者と家族の話を聞きながら〈患者・家族の退院に伴う不安を和らげ〉,医師などの他職種と協力しながら〈家族のサポート体制や社会資源を整え〉ていた.
(自宅退院は)家族次第ってところがあると思う.本人の病状も落ち着いて,本人も帰りたかったんだけど,家族問題みたいなのが立ちふさがってた.それが,家族の気持ちが変わったら帰れたっていう人がいた(D).
8. 《退院支援に伴う葛藤》退院支援は《その人らしく生きることを支える》支援の一つだが,同時にPCUで大切にしている《患者・家族の穏やかな時間を守る》ことができない可能性があるため,看護師に葛藤が生じていた.
看護師は,患者と家族が外来でPCUからの退院の可能性を説明されているが,それにもかかわらず〈PCUからの退院を考えていない患者・家族がいることを認識〉しており,退院という選択肢の提示は患者と家族に「ストレス」を与える可能性があると感じていた.また,患者の病状が急変する可能性があることから,〈患者・家族の穏やかな時間が揺るがされることへの懸念〉を抱いていた.さらに,在宅療養に関する知識や経験も乏しく,看護師は〈自宅退院後の生活が見えないため退院支援を躊躇〉しており,看護師自身が退院の「障壁」になっていると感じていた.
(外来で入院期間について説明されても)忘れちゃうと思います.(中略)だから,たぶん出て行かなきゃいけないなんて思ってないし,緩和ケアと銘打っている以上,最期まで居させてもらえると思ってました,みたいな人が多いかなと思います(E).
退院の話,しちゃうわけって(患者に)思われるのも困るし,こっちの(退院した方がいい時間が過ごせるのではないかという)意図が伝わらない,うまく伝えられるかどうか不安.だから,この人はそういう意図を汲めるか,相手にストレスを与えないかは,結構考えて聞いた気がする(I).
私たち在宅で実際に暮らす患者さんを見てないから,患者さんがこんな状態じゃ帰れないよって言ったときに,あ,そうだね,って思っちゃうんだよね.(中略)心配ですよね,退院しない方がいいですよねって一緒になって思ってしまうので,私たち看護師がすごい障壁になってると思う(J).
PCUでの〈退院支援が病棟の運営方針に左右される〉ことも看護師に葛藤を起こしていた.「退院をプッシュ」する方針だった頃は,看護師は申し訳なさを感じていた一方で,その方針が葛藤する看護師の背中を押していた.「プッシュしない方針」となった現在では,逆に退院支援に踏み出しにくくなるという問題も新たに生じていた.
退院勧めないから,聞かなくてもいいやじゃないけど,本人から退院したいって言うまで,あまりこちらから言わなくなった.前は,もう少しその時間について(医療者間で)話し合いとか,どうするかって考えてたような気がする(N).
9. 《戻れることを保証してホームから家へ送り出す》看護師は〈PCUでの最期を望む患者・家族がいることを認識〉しており,退院支援をしても〈PCUにいる間には患者・家族の退院に伴う不安は取りきれないことを感じ〉,患者と家族に〈いつでも戻ってきていいことを伝え〉て家へ送り出していた.そして〈自宅退院後,穏やかに過ごせているか気に掛け〉,患者が再入院してきた場合〈ホームに帰ってきた患者・家族を迎え入れ〉ていた.
患者さんの家が病院の近くだったので,いつでも戻ってきていいよという保証はして,(帰って)行きました.当院の訪問看護が入ったし,そういう意味では不安をできるだけ少ない状態にしたと思うんですけど,でもたぶんすごく不安だったとは思います(H).
本研究は,PCUの看護師にとっての退院支援の意味を明らかにした.退院支援は看護師にとって『その人らしさを追求し,患者・家族と共に家を目指すチャレンジ』という意味を持っていた.
1. チャレンジになる退院支援PCUでの退院支援において,“家を選ぶ”ことと,“家に帰ることを目指す”こと,すなわち自宅退院という選択と,それに向けた準備が看護師にとってチャレンジと受け止められていた.自宅退院に向けた準備の段階では,一般病棟での退院支援においても,看護師は社会資源に関する知識不足,ケア継続性確保への困難に向き合っていることが示されている(Nosbusch et al., 2011).PCUにおける退院の準備が《患者・家族と共に家に帰ることを目指すチャレンジ》であるという本研究の結果は,一般病棟での研究結果と類似していた(Nosbusch et al., 2011).
一方,PCUの看護師は,退院支援を《その人らしく生きる場として家を選ぶチャレンジ》とも捉えており,自宅退院を選択することそのものをすでに困難と感じていた.これは,一般病棟の看護師を対象に退院支援の困難を記述した先行研究(Morris et al., 2012;Nosbusch et al., 2011;清水・安井,2008)では報告されていないため,PCUの看護師に特徴的な認識であろう.この違いは,病棟機能の違いに起因すると考える.一般病棟は疾患の治療と回復が目的であり,その後は退院することを前提としている.一方,PCUは“ホーム”という側面を持ち,がん患者が残された時間を穏やかに,その人らしく生きることを支える役割があり,PCUから退院することなく最期を迎える患者も多い.このような特徴を持つPCUにおいて自宅退院を選択することは,患者に残された時間をよりその人らしく過ごすことができる選択である一方で,同時に,PCUで守ろうとしている患者・家族の穏やかな時間が揺るがされるリスクを伴うことだった.そのため自宅退院の選択は,PCUの看護師にとってチャレンジだったと考えられる.
2. 退院支援に伴う葛藤への対処PCUの看護師は,《退院支援に伴う葛藤》を抱えながら退院支援を行っていた.
患者は病状が不安定で,症状コントロールに不安を感じる患者・家族が多く(Tsai et al., 2006),看護師自身が自宅退院後の生活をイメージできないこともあり,看護師は自宅での穏やかな時間を守ることができないことへの不安を感じていた.PCUの看護師が自宅退院後の症状コントロールや在宅療養に関する具体的な知識・イメージを得ること(小倉ら,2012;高木ら,2014)や,退院支援の過程で地域の医療者と相談し合える関係性の構築(森田ら,2012)が重要であると考える.
また,PCUからの退院を考えていない患者・家族がいることも,看護師に葛藤を生じさせた.人生の最期を患者が望んだ場所で過ごすことは,患者の重要な希望の一つである(Hirai et al., 2006)ため,看護師は,PCUで最期まで過ごすつもりで入院してくる患者と家族への退院の提案を躊躇していたと考えられる.
しかし,がん患者の多くは自宅で過ごす希望を持っている(Yamagishi et al., 2012)ことから,患者に自宅退院という選択肢を早期から具体的に提示すれば,自宅で生活したいという患者の潜在的な希望を引き出す(Fukui et al., 2011)ことにつながる可能性がある.PCUへの入院前から,退院を想定して終末期における在宅療養を可能にするサービスを紹介することや,終末期をどこで過ごすかについての家族内での話し合いを促しておくことが有効と考える.また,入院後も看護師が定期的に自宅退院の可能性をアセスメントするなど,早期から自宅退院に向けた支援をすることによって,より多くの末期がん患者が自宅で過ごすという希望を叶えることができると考えられる(Fukui et al., 2011;Yamagishi et al., 2015).
3. 本研究の限界と実践への示唆本研究には3点の限界がある.第1に,都内にある1病院のPCUをフィールドとして行った研究であり,得られた結果を他のPCUにそのまま適用することはできない.第2に,調査期間が限られていたため,記述可能な場面には限界があった.第3に,エスノグラフィでは,情報収集及び分析のすべての過程を研究者が行うため,研究者自身の情報収集及び分析能力が研究結果に関連する.3点目に関しては,共同研究者とのディスカッションやエスノグラフィに精通した研究者のスーパーバイズを受けることで影響を最小限に留めるようにした.
以上の限界はあるが,本研究により,看護師が在宅に関する知識を得ること,入院前から自宅退院を視野に入れて患者と家族に関わること,定期的に患者の自宅退院の可能性をアセスメントすることにより,退院支援に伴う看護師の葛藤に対処することができ,PCUでの退院支援が促進される可能性が示唆された.
PCUの看護師にとっての退院支援の意味を明らかにすることを目的に,エスノグラフィを用いて研究を行った.PCUの看護師にとっての退院支援の意味として,『その人らしさを追求し,患者・家族と共に家を目指すチャレンジ』というテーマが生成された.退院支援は看護師にとって,患者と家族の穏やかな時間を脅かすリスクを伴いながらも,その人らしく生きることを支えるために家を目指すチャレンジだった.看護師の退院支援に伴う葛藤に対処することにより,PCUでの退院支援が促進される可能性があることが示唆された.
謝辞:本研究に御協力くださいましたA病院緩和ケア病棟スタッフの皆様に深く御礼申し上げます.また,エスノグラフィの専門的見地から貴重なご助言を頂きましたコロラド大学Kathy Magilvy名誉教授に心より感謝申し上げます.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.
著者資格:MMは研究の着想及びデザイン,実施,分析,執筆のすべてを行った.MK,NM,SNは研究の着想及びデザイン,研究プロセス全体への助言,KYはデータ分析過程において専門的な見地からの助言及びデータの解釈に貢献した.すべての著者は最終原稿を読み,承認した.