Journal of Japan Academy of Nursing Science
Online ISSN : 2185-8888
Print ISSN : 0287-5330
ISSN-L : 0287-5330
Original Articles
Experience of Elderly People with Charles Bonnet Syndrome Due to Visual Impairment
Koji Tanaka
Author information
JOURNAL OPEN ACCESS FULL-TEXT HTML

2019 Volume 39 Pages 91-99

Details
Abstract

目的:視覚障害によってCharles Bonnet症候群を呈した高齢者の経験について,身体知覚の側面から解釈することである.

方法:視覚障害とそれに伴う幻視・抑うつをもつAさんに対して参加観察と非構成的インタビューを行い,AさんのナラティヴをMerleau-Pontyならびに伊藤の身体論に依拠して解釈した.

結果:Aさんの経験を解釈することで,視覚障害に伴う幻視の特徴や喪失体験の苦悩を受容する過程として【視覚に対する思考や感情の影響と幻視のはじまり】【重なる喪失体験による侵襲的な幻視と抑うつ】【感覚の代償】【他者を通して芽生えた生きる力】【喪失したものの現れ】【運命の引き受け】という6テーマが導き出された.

結論:視覚には当事者の思考や感情が関与しており,状況によって幻視・抑うつが変化することが示唆された.そのため,当事者の苦悩を理解した上で,生きることの意味の探求や生活の再構築などを支援しながら,障害や喪失の受容のプロセスを支えていくことが重要である.

Translated Abstract

Purpose: To interpret the experience of elderly people with Charles Bonnet Syndrome (CBS) due to visual impairment from the perspective of embodied perception.

Method: Participant observation and unstructured interviews were carried out with Patient A, who had visual impairment complicated by hallucinations and depression. The patient’s narratives were then interpreted based on Merleau-Ponty’s theory and Ito’s theory of embodiment.

Results: By interpreting the experience of Patient A, the following six themes were derived as processes for accepting the characteristics of hallucinations accompanying visual impairment and the distress of experiencing loss: (1) “the impact of thoughts and feelings on vision and the onset of hallucinations,” (2) “invasive hallucinations and depression due to repeated experiences of loss,” (3) “sensory compensation,” (4) “an incipient ability to live vicariously through others,” (5) “the manifestation of what has been lost,” and (6) “acceptance of fate.”

Conclusion: These results suggest that vision is subject to the thoughts and feelings of those affected by impairment, and that hallucinations and depression can be transformed as a result of sensory compensation, connections with others, and the acceptance of impairment and loss. Thus, after understanding the distress experienced by those affected, it seems important to support the process of accepting impairment and loss while aiding in the reconstruction of lifestyles and the quest to find meaning in life.

Ⅰ. 緒言

厚生労働省の全国在宅障害児・者等実態調査(2013)によると,平成23年で視覚障害者は約316,000人存在している.人間にとっての情報源は80%が視覚であり,視機能を喪失することの生活や心理社会的側面への影響は非常に大きい.

視覚障害者にみられる心理社会的問題として,視機能の喪失に対する悲嘆や生活上の困難(柴崎・福島,2012)の他に,精神科治療の対象となるものとしてCharles Bonnet症候群があげられる.これは,スイスの哲学者Charles Bonnetが白内障の祖父が体験した幻視を観察し,最初に記録した症候群であり,その後Morsierが系統的に調査し,視覚障害者の幻視についてCharles Bonnet症候群という病態が確立した.Charles Bonnet症候群は,明らかな精神疾患を有せず十分な病識をもつ意識清明な高齢者が,視覚障害をきたした場合に,持続的・反復的な幻視を呈するものを言う(武井・濱田,2012).この症候群では,これまで薬物療法(恩田ら,2003)や診断(大塚ら,2007)に関することなどで症例報告が散見されているが,当事者の主観的な経験に焦点を当てた報告はない.視覚障害の原因となる眼疾患は,自覚症状がないまま慢性的に進行すること,また視覚障害によって発症するCharles Bonnet症候群は,幻視や抑うつなど精神症状を伴うことなどから,当事者の苦悩は長年の生活の連なりの中でつくられており,そうした当事者の主観的な経験に接近することが視覚障害や精神症状に対する看護の前提になると考えられる.

そこで,本研究では視覚障害によってCharles Bonnet症候群を呈した高齢者の経験について,身体知覚の側面から解釈することを目的とする.それによって,当事者の視覚や経験に対する深い理解が得られ,視覚障害の早期発見・早期治療に向けた示唆や視覚の喪失と幻視・抑うつの苦悩に対するケアのあり方が開示され,当事者へのケアの質向上に寄与するであろう.

Ⅱ. 用語の定義

中木ら(2007)は,看護学研究における「経験」「体験」について概念分析した結果,これらの言葉には,時間の経過に伴うプロセスの概念が含まれること,すなわち,不確かな状況で生じた印象に残る出来事とその時の心身の状況,その結果として自己受容,自己の存在意味の見直し,問題への対峙,修得・熟達などを示す現象であることを述べている.そこで,本研究では「経験」を「視覚障害を始めとする様々な喪失体験やそれに伴う幻視・抑うつの体験から,それらの苦悩を受容する過程」と定義した.

Ⅲ. 研究方法

1. 研究デザインと理論的パースペクティブ

本研究では,方法論としてRiessman(2008)のナラティヴ研究法を用いた.ナラティヴには時間を順序立てる機能があり,時系列に沿って一つの全体としてのライフヒストリーを構成する.この方法を用いることで,長年の人生における出来事の連なりから意味づけられる当事者の主観的な経験に接近できると考えた.また理論的背景としては,視覚障害によってCharles Bonnet症候群を呈した高齢者の経験を,身体知覚の側面から解釈するためにMerleau-Pontyならびに伊藤の身体論を用いた.これらの立場に立脚することで,視覚障害とそれに伴う幻視や抑うつの経験について,大脳の病理学的視点からではなく,当事者の身体知覚を通して理解することができると考えた.

2. 研究協力者

視覚障害によってCharles Bonnet症候群をきたした高齢者Aさんである.

3. データ収集方法

データ収集には,参加観察と非構成的インタビューを用いた.具体的には,入院期間中毎週1回,Aさんの病棟での生活を観察しながら対話を行い,フィールドノートに記載した.その後,Aさんが入院中および退院後に1回1~2時間の非構成的面接を3回実施した.1回目の面接では,現在の幻視や抑うつ症状の経過を,2回目の面接では,視覚障害の進行プロセスを,そして3回目の面接(退院8か月後)では,視覚障害と症状について出生から現在までの生活史や重要他者とのかかわりも含めて語ってもらった.データ収集期間は,2014年7月~2015年5月であった.面接データは許可を得てICレコーダーに録音した.なお観察データは,非構成的面接の実施,面接データの解釈・記述のための手がかりとして使用した.

4. データ分析と記述

Riessman(2008)のナラティヴ研究法に基づき,テーマ分析,対話分析の要素を活用し,以下の手順で分析を行った.まず,逐語録化した面接データを精読し,事例の全体的な意味を理解した.そして,語られた文脈やシークエンスに着目しながら,Aさんの経験をつかみ,関連性のある出来事を並べ,解釈のためのストーリーを見出した.ナラティヴの全体と部分を行き来したり,語り手と聴き手の相互作用に着目しながら,Aさんのストーリーがなぜそのように語られるのか,またその現象には,どのような意味があるのかについてMerleau-Pontyならびに伊藤の身体論に依拠して解釈し,そこに含まれるテーマ的な意味を抽出した.ナラティヴ研究の信用性・妥当性は,構築されたナラティヴの一貫性,解釈の理解可能性が研究者と参加者あるいは第三者の間で相互主観的に確認できることによって担保される.そのため分析の全過程では質的研究者からスーパーバイズを受け,研究者とAさんあるいは他の看護学研究者との間で,ナラティヴの一貫性,解釈の理解可能性について確認を得た.

5. 倫理的配慮

金沢医科大学医学研究倫理審査委員会の承認(258)を受けて実施した.Aさんには,研究内容および研究への参加は自由意志であること,途中中断できること,語りたくない内容は語らなくてよいこと,協力の有無にかかわらず病院で受ける医療には影響がないこと,得られた情報は研究の目的以外には使用しないこと,プライバシーの保護などについて文書と口頭で説明し,同意を得た.なおデータは,プライバシー保護の観点から個人が特定されないように内容を損ねない範囲とし,結果の公表内容についてはAさんから同意を得た.

Ⅳ. 結果および解釈

1. Aさんの背景

Aさんは,60代後半の女性であり,視覚障害からくるCharles Bonnet症候群のために3か月間入院し,幻視と抑うつの治療を受けていた.子どもの頃から弱視であったが,生活に支障はなく,高校を卒業後県外で就業していた.就職してから目が見えづらくなっていたが,帰郷後結婚し2人の子どもを育てた.「結婚して普通に生活もしていたし,自分が不自由な人間だと思ったことはなかった」と話す.Aさんは,長男の嫁として嫁ぎ,農業や子育て,家族の介護,夫からの暴力などで苦労をしてきた.この間,少しずつ視覚障害が進行していたが,多忙で視力低下を気に留める余裕もなかった.振り返ってみると,Aさんが視覚障害を認識したのは,50歳頃,Aさんを大事に思ってくれていた舅が亡くなった頃であった.次第と周りの景色が変わっていた.その2年後(52歳時),視覚障害2級と幻視の診断を受けた.そして62歳の時,実母が亡くなった.その後,視覚障害が急速に進行し,侵襲的な幻視や亡くなった人の幻が見えるようになった.65歳からは視力をほとんど失っていた.

2. 解釈された6つのテーマ

Aさんの経験を身体知覚の側面から解釈することで,視覚障害に伴う幻視の特徴や喪失体験の苦悩を受容する過程等が見出された.このようなAさんの経験から【視覚に対する思考や感情の影響と幻視のはじまり】【重なる喪失体験による侵襲的な幻視と抑うつ】【感覚の代償】【他者を通して芽生えた生きる力】【喪失したものの現れ】【運命の引き受け】という6テーマが導き出された.以下,「A:」はAさんの言葉,「イ:」はインタビュアーの言葉を示す.

1) 【視覚に対する思考や感情の影響と幻視のはじまり】

Aさんは,18年間かけて視覚障害が非常に緩徐に進行していた.振り返ってみると,ストレスで心身が弱っている時に物の色が薄くみえることがあった.

A:色が薄くなってくる,だんだん,あら今年の桜ってピンクじゃないんだねって言って,ちょっと白いよねって言って.近くで落ちたの拾ったら,ああきれいなピンクなんだわって思って,だんだんそうなってきて.

そして,視覚障害の進行に伴って,Aさんには幻視が見えるようになっていた.Aさんは,50歳の時,脳梗塞で倒れた舅の介護をしていた.約1年間介護した後,舅は亡くなった.その時夢を見ているかのような体験をしていた.

A:不自由やなって感じたのは,やっぱりうちの舅が亡くなった時から,私が,だんだん,目,あらあらと思ううちに周りの景色が変わってくるんですその時に夢でもない,私は幻覚症状っていうのがその時は分からなかったんだけど,目の前でずっと親戚一族がワイワイガヤガヤ私の悪口を言っていたんです.それが2週間ほど続いたんです.

イ:その時に幻覚が見えていた?

A:そういうのが幻覚だったと思う.

イ:ああ,本物そっくりに見えたんですか.その親戚がみんな集まってた時に.

A:うん,言葉もみんな聞こえる.顔が分かって,誰が何を言っとるか全部分かるんです.私が一体何をしたって言いたいくらい.親戚からのいじめはずっと前からあったから,神経がおかしくなっていたと思うんです.その後,母親が生きている間はあまり幻が出なかったです.

Aさんは,これが幻視の始まりであり,幻視が見えるということは視覚障害の進行を示唆するものであったと振り返った.しかし,この時は視覚障害が進行していながらもまだ視力があったこと,また幻覚が生活世界と密接に関連して体験されていたことから,器質的に視力が低下していたことに気づかなかった.Merleau-Ponty(1945b, P23–29)は,「視覚はある特定の領野に所属したひとつの思考であり,私の意識がほとんどすっかり触覚もしくは視覚になりうる」と述べている.このように,視覚には意識あるいは無意識の思考や感情が影響しており,結婚後苦労してきたAさんのよき理解者であった舅を亡くしたことの悲嘆や以前より親戚からのいじめを体験してきたことのストレス,舅を亡くした時のAさんの「親戚から評価されている」という思いなどから,心因反応によって幻視に加えて一時的に幻聴も現れていたことが考えられた.

舅が亡くなった2年後(52歳時),視力低下を心配した息子に勧められて眼科を受診し,視覚障害2級と幻視の診断を受けた.医師から幻視について説明されたAさんは,気づかない間に視覚障害が進行していたこと,ストレスがかかった時に出てきていたものが幻視であることを理解した.Aさんは結婚後,農業や家事,夫の暴力などで視覚の変化を認識する余裕もなく,診断を受けて初めて視覚障害を認識するようになった.Aさんは,医師の診断によって幻視については受け入れ,現実との区別を明瞭にすることができた.Aさんにとっては,当初,幻視よりも視覚を喪失したことの苦悩のほうが大きかった.

A:何か所かの病院で診てもらって,幻視だって言われました.気持ち悪いものが見えても,実際には存在しないって分かってから,幻視は本物(の気持ち悪いもの)が見えるよりは楽だけど,目が見えなくなったことは受け入れられなくて,眼科の先生達が視力は回復しないっていうのが信じられなかった.

2) 【重なる喪失体験による侵襲的な幻視と抑うつ】

Aさんは62歳の時に実母を亡くし,同時期に数人の大切な友人も亡くした.この頃から視力が急激に低下し,幻視が非常に侵襲的なものになった.

A:急にきたもんね,母親が亡くなって.すごいショックで,私そのショックでなったんでないかと思うくらいそして,視力が落ちてるというより,もう目の前がみんな幻覚状態に入って.ある日突然,岩みたいなものがいっぱい出て,くるくる回ったり,(それによって)ずっとめまい状態が続いていたから,それがもう気持ちが悪いのとイライラと怖いのと全部で,どうしたらいいか,これを治すのには寝るか死ぬかどちらかしか考えられないくらいになって.

Aさんは,視覚障害の進行という器質的な喪失と母親や大切な友人の死という精神的な喪失が重なり,悲嘆や絶望が強くなった.そのような思考や感情が侵襲的な幻視や希死念慮となって現れているように考えられた.

A:ずっと蛇やなめくじとか気持ち悪い物が見えてるんです.2年前(65歳時)全然見えなくなった時には,蛇の風呂(浴槽にたくさんの蛇が見える)にも入りました.幻と思えば頑張って入れました.でも幻覚が強い時は,怖くて何もする気が起きなくて,ご飯も食べれなくて55 kgの体重が39 kgに痩せました.

Merleau-Ponty(1945b, P129, 199)は,「幻覚をつくりだすのは生きられた空間の狭まりであること,幻覚は時間や世界の上を滑っていくこと,すなわち幻覚は現在のループであること」を述べている.Aさんは視覚や大切な人を失ったことで悲嘆や絶望に支配され,生きられた空間が狭まったことによって,侵襲的な幻視が繰り返し現れていることが考えられた.そして幻視の侵襲は,抑うつや希死念慮をさらに強めていることが考えられた.また,抑うつや希死念慮が強くなった時,幻視で自殺の名所が見えた.

A:つらい時は幻視で自殺の名所が出てきて,その中に私が入って行くんです.先生に言ったら,「それは怖かったでしょうね」って言うから,「先生,私そこに行きたいんです」って.だってそこに行くと,出て来れなくて死ねるでしょう,「私先生それくらいつらいです」って言ったら,先生も黙っていたけど.

視覚や聴覚は,精神的活動と結びついている(伊藤,2015)と言われており,死にたいという思考や感情が自殺の名所の幻視を創りだしていると考えられた.

3) 【感覚の代償】

Aさんは,視覚を失ったことの代償として嗅覚が鋭くなっていた.母親が亡くなる1か月前(62歳時)に藤の花を見に行った時には,綺麗なピンクの花が見えていた.翌年,姉たちと同じ場所に行った時には幻視がありながらもピンクと紫の花が見えていた.Aさんは,年単位で徐々に花の色が薄くなっていき,2年前(65歳時)には花しか見えなくなっていた.そして,去年(66歳時)は藤の花が全く見えなくなっていたが,藤の花に匂いがあることに初めて気づいた.

A:藤の花ってすごくいい匂いがするんですよ.それまではあんまり匂いを感じたことはなかったけど.バラの匂いも全部一緒だって誰かが言うけど,私はバラによって全部違うんですよ.強い匂いのも甘い匂いのもある.

イ:昔と比べたら,匂いの感覚が強くなったとかありますか?

A:あります,あります.全部,花の匂いが(違う),桜の花の匂いが分かるんです,目の見える人はそこまで匂いは感じないって言いますね.

Merleau-Ponty(1945b, P21)が,「感覚は私の身体の順応なしには起こらない,たとえば私の手の運動がなければ特定の接触はありえない」ことを述べているように,Aさんの嗅覚が鋭くなったのは,嗅覚に対する身体の能動的な運動がみられていることを意味すると考えられた.それは,視覚に対する能動的な運動の限界の中で生じた現象であるといえるのではないだろうか.

また,こうしたAさんの身体の能動的な運動は,短期間での点字の修得にもつながっていた.伊藤(2015, P112–113)は,何らかの器官を失うことは,その人の身体に進化と似た根本的な作り直しを要求すること,そのため器官と能力を結びつける発想を捨てなくてはならないことを述べている.点字修得の基盤には,視覚喪失という困難や母親としての息子への思いがあったが,これらが触覚に対する能動的な運動を促進し,元々は目で行っていた「読む」という能力を触覚を通して再獲得していったと考えられた.

A:息子が就職面接の時に,「お母さんは2年前(50歳時)から目が不自由になって,(視覚障害2級の診断を受けてから)毎日泣いていましたけど,もうそれを振り切って頑張ってパソコンも,ブラインドタッチできるようになったし,点字の本も読めるようになりました」って言ったそうなんです.本当は,私はパソコンも持ってないし,点字も読めないのに.面接は,私のことと部活のことで合格したみたいですけど,私もじゃあ頑張らなきゃと思って,パソコンの特訓と点字は,自分で一生懸命1日中,わかんないけど,触っていたらある日突然パッと指の中に1つの点字が入ってきたんです.それから読めるようになったんです.本が読めるようになった.

Merleau-Ponty(1945b, P16–17)は,「眼や耳は知覚の道具ではなく,身体興奮の道具でしかない」とし,「精神が知覚の主体である」と述べている.Aさんは,思考や感情という精神機能を主体としながら,眼ではなく手の能動的な運動を駆使し,点字が意味するものを知覚していったと考えられる.視覚障害や侵襲的な幻視によって死への思考が強くなりながらも,一方では困難な状況に向き合いながら生きようとする精神の強さがあり,そのことが嗅覚や触覚に対する身体の能動的な運動を引き起こし,視覚を補っていることが考えられた.

4) 【他者を通して芽生えた生きる力】

Aさんは,視覚の喪失と母親や友人の喪失によって抑うつや希死念慮を抱えていたが,他者との確かなつながりがあることで喜びや希望を見出し,生きる力が芽生えていた.Aさんは,聴覚や触覚など様々な全身の感覚を通して,孫との一体感をもつことで抑うつから回復したことを語った.

A:ご飯が全然食べれない時があったんです.喉通らなくて,これでは駄目やと思った瞬間に,死ぬことを考えて.その時孫に会いに行ったんです.孫が朝起きたら,とんとんとんとんって,私が寝てる所に走ってくるのが聞こえるんです.私が布団の上に座ってると,孫が私のお膝にちょこんと乗って,ぎゅっとと抱きしめて,いっぱい,いろんなこと言ってくれるんです.「お婆ちゃんの目,僕がいい子にしてたら治るんでしょう,僕一生懸命いい子にしてるんだよ.おばあちゃん,少しは,見えるようになった?」って言うんです.

イ:かわいいですね.

A:かわいいんです,それが3日間続いたんです.私は,もうすごく全てが楽.幻もすごく出てるんですけど,そんなに気にもならないし.そこで,だいぶ癒されて,それから食べれるようになって.私は孫に救われてて,本当はこんなんになってても,すっごく幸せなんだなって,今は思ってます

Aさんは,孫の家に宿泊した時,「とんとんとんとん」と孫が接近してくることを聴覚で捉え,「ぎゅっと抱きしめて」語りかけてくれたことを全身の身体感覚で捉えたことで,孫との一体感を体験した.この時の「おばあちゃんの目,僕がいい子にしていたら治るんでしょう」という孫の言葉は,Aさんの琴線に触れ,孫とAさんの境界を取り払った.Aさんはこのような喜びと一体感から,孫の身体のうちに自らの存在を自覚し,孫を通して世界が見える感覚をもったのではないだろうか.Merleau-Ponty(1945b, P218)は,「他者の身体を知覚するのもまさしく私の身体であり,私の身体は他者の身体の内におのれ自身の意図の奇蹟的な延長のようなもの,つまり世界を扱う馴染みの仕方を見いだす」と述べている.Aさんは,孫の生きる力やAさんへの顧慮を通して生きることへの希望を感じ,抑うつや希死念慮から解放されたのではないかと考える.

またAさんは,息子の後押しや視覚障害をもつ人とのつながりの中でも生きることへの希望を取り戻し,抑うつから回復した経験を語った.

A:(視覚障害2級と診断された時)息子に勧められて視覚障害者センターに行ってみたら,目の全く見えない人が習字をしたり,編み物をしたり,お花を生けたり,いろんなことしてたんですよ.私も行こうと思って,その時私52歳だったけど点字が覚えられたんです.障害者フォーラムにも出ました.視覚障害者でも普通の生活ができるんです.人に頼らなくても生活できるんです.

ここでもAさんは,視覚障害をもちながら生き生きと活動している視覚障害者センターの人々を通して自己の身体を知覚し,世界への関与の仕方を見出していったと考えられる.このような他者とのつながりによる喜びや新たな発見が,社会活動や自立して生きることへの原動力になったことが考えられる.

5) 【喪失したものの現れ】

【感覚の代償】や【他者を通して芽生えた生きる力】が育まれるとともに,Aさんが失った母親や友人たちも幻視で現れるようになっていた.それは,Aさんにとって不思議でありながら,うれしい体験でもあった.

A:最初,眼が見えなくなって幻視が現れた時には泣いてばかりいたんですけど,だんだんと幽霊みたいに,それがまた亡くなった人ばかり出てくるんですよね.亡くなった私の両親や友人がニコニコと手を振りながら観光バスみたいなのに乗っていくんです.それで私も行く,連れていってっていうけど,私を置いてバスは行ってしまうんです.お母さんや友達が出てきたらうれしいと思うけど,どうして亡くなった人ばかり出てくるのか分からないんです.生きてる人で出てくるのは私だけ.

このような語りから,幻視はAさんとって意味性を帯びていることが考えられるが,Aさんはそのことを十分には認識しておらず,また幻視はAさんの意志とは無関係に現れていた.

A:お母さんが出てきてくれたら落ち着くけど,お願いして出てくるわけじゃない.子どもや孫に出てきてほしいと思うけど,出てこない.先生は「私の顔が出てくるのは,目が見えなくなって鏡が見れなくなったから」とか,「気にするから出てくる」って言うけど,蛆虫とか岩とかは気にしなくても出てくる.

幻視は意識的につくり出せるものではないが,亡くなった人の幻視には,Aさんの失ったものを取り戻したいという思考や感情が影響しており,Aさん自身をサポートする力があると考えられた.これは重なる喪失体験をもつ孤独なAさんにみられる,幻覚の自己治療的側面(中井・山口,2001)であり,そのような側面は支持的な環境とAさんの願望との相互作用の中で現れていると考えられた.そして,長い経過の中でAさんの思考や感情が喪失の悲嘆によって乱されることが少なくなった時,意味性を帯びた幻視は次第と少なくなっていった.

A:でも最近,人間が出るのって少なくなった.最近は,ぐにゅーっとしたものばかり.前みたいにたくさんの幻視は出なくなった.

イ:視力の喪失や大切な人の喪失の受け入れと関係がありますか?

A:それは関係あると思う.受け入れるまでに3年くらいかかったけど,孫の力で救われて,目のことはもうどうしようもないって思えるようになって.

Aさんは,孫に救われたことで視力の喪失をはじめ様々な喪失体験を受け入れられるようになったこと,受け入れの過程で幻視の内容が変化していったことが考えられた.Merleau-Ponty(1945a, P148–149)は,幻影肢の発生について,「現勢的身体」の層からは既に消失しているものが「習慣的身体」の層ではまだ姿を見せているためであり,われわれを己の慣れ親しんだ地平へと投げ入れている自然的な運動に対立するようなものを認めまいとする現象であると述べている.Aさんの知覚に既に亡くなった人が現れるのは,「習慣的身体」の層で彼らが存在し続けているためであると考えられる.Merleau-Ponty(1945a, P239)は,新たな習慣の獲得とは身体図式の組み替えであり,それによって幻影肢は消失するとしている.喪失の悲嘆が強い時には,それを補うかのように「習慣的身体」の層で喪失したものが次々と幻視となって現れていた.しかし時が経過し,息子や孫に救われて思考や感情が穏やかになり喪失を受容できるようになった時,即ち幻視によって喪失を補う必要がなくなった時,身体図式が更新され,幻視は意味性を帯びないものに変化していったことが考えられた.

6) 【運命の引き受け】

Aさんは,これまでの人生の苦労や視覚障害の苦悩をもちながら生きることを自分自身に与えられた「生業」としてとらえ,【運命を引き受け】ながら生きようとしていた.Aさんは人生の統合が求められる老年期にあることや【他者を通して芽生えた生きる力】をもっていること,さらにもともともっている気質などが【運命を引き受ける】覚悟を構築していると考えられた.

A:結婚したら,こんな目にあうんだ,こんなこともあんなこともしなきゃいけない,そう思っていたから,それを全部否定したら,私の人生は,もう40年間なくなっちゃうでしょう.だから私は,こういうふうに幻になって見えなくなったけど,それはマイナスではないと思うんです.思いたくないんだと思うんです.私に与えられた生業だから,仕方のないことなのかなって.これだけのことを積み重ねてきたのは,私はいばってもいいくらい.

Merleau-Ponty(1945b, P279)は,「実存はいつもおのれの過去を引き受ける」と述べている.Aさんは,人生を振り返って苦労が多く,現在も視覚障害の苦悩を抱えているが,これらを受け入れることはAさんが自身の人間存在としての尊厳を保つことでもあると考えているようであった.また,自身の「生業」というとらえ方は,亡くなった母親からの教えでもあった.

A:母親は,「私の生業だし,生業だからがんばって〇〇家(嫁ぎ先)のことするんだよ」って言って死んでいきましたから.母は,私のために田んぼでも手伝いに来てくれたり,太巻きとかお弁当もってきてくれたりしました.

Aさんは,過去・現在の自分の状況やそれらを引き受けながら生きることについて,根本には周りの人よりも耐える力が強いという自らの精神が影響していると考えていた.

A:どうしてこういうことになったのか,やっぱり我慢強くて耐えてきたから.まあ耐えれる人しかこんなにならないって言われたら,それもそうかって思って.「私,誰にも負けないほど我慢強くて耐えられる人間だから,こんなになっても耐えますよ」って言ったら,先生には,「そんな人間しかこんなんにならない」って言われて,ああそうかって思って.

Aさんの体験は,様々なライフイベントや喪失体験に対して,人間的に反応しながら耐えてきたこと,このような強さが視覚障害や幻視の苦悩がありながらも【運命を引き受け】て生きることにつながっていると考えられた.Aさんは,現在も夫と2人で住み慣れた自宅で生活しており,ガイドヘルパーを活用して買い物に出かけたり,視覚障害者センターの人々との交流をもったり,年に数回の子どもや孫たちとの交流を楽しみながら生活を送っている.Aさんがもともともっている人間的な魅力や生活者としての豊かさが苦悩をもちながらも今を生きるAさんの力となっている.

Ⅴ. 考察

本研究結果から,視覚障害によってCharles Bonnet症候群を呈した高齢者の経験として6つのテーマが導き出された.Charles Bonnet症候群の病態についてはこれまでに数多く報告されている(武井・濱田,2012)が,本研究では,新たに当事者の語りから,視覚障害と幻視に関する具体的な経験世界や喪失体験の受容の過程が明らかとなった.

視覚障害と幻視に関する具体的な経験については,【視覚に対する思考や感情の影響と幻視のはじまり】で示されたように,視覚を含む知覚への思考や感情の関与が鍵となっていることが考えられた.見え方の変化に関するAさんの認識は,変調に気づいた頃では「今年の桜ってピンクじゃないんだね」と語っていたように,客体の変化にあった.すなわち,見えることは人間の意識の上で自明のこととなっているため,器質的に見えにくくなっていても普段当たり前に見えているという認識が視覚に影響を与え,見え方の変化自体が認識され難い状況や変化が感じられても主体の問題という認識がもち難い状況があった.そして,舅の看取りというライフイベントを経験した時に,視覚障害の進行と幻覚が同時に生じていた.Aさんを大切にしてくれていた舅が亡くなったことの悲嘆や長男の嫁としての責任感,以前より受けていた親戚からのいじめのストレスなどが,視覚が遮断され現実世界の認識が曖昧になりつつあることで幻覚の世界に投影されやすくなっていた.このように幻覚が生活世界に関連していたことやその後一旦落ち着いていたこともあって,当初幻覚を主体が創り出したものと捉えることはできていなかったが,視覚障害と幻視の診断を受けたAさんは,見え方の変化や幻視は主体の問題であることに直面した.Aさんは幻覚を体験していながらも現実検討力をもっており,医師からの診断と告知によって現実と幻視を明瞭に区別することができたと考えられた.しかし,その後母親や友人達の死が重なったことや視覚を急激に喪失したことで,悲嘆や絶望に満ちた体験の影響が大きくなり,論理では幻視と分かっていても実感では脅かされる感覚が非常に強く,投影された幻視の世界はAさんに迫り【重なる喪失体験による侵襲的な幻視と抑うつ】をきたしたと考えられる.

Aさんが喪失体験と諸症状の苦悩から救われた背景には,【感覚の代償】や【他者を通して芽生えた生きる力】があった.福島(2015, P21)は,「盲ろう者の世界は,単に見えない,聞こえないという状況だけでなく,自分の存在さえも見失い認識できなくなるような状況で生きていることを意味する」とした上で,「その真空に浮かんだ私をつなぎ止め確かに存在していると実感させてくれるのが他者とのかかわりである」と述べている.Aさんが,息子の存在がきっかけで【感覚の代償】が進んだこと,さらに孫や息子・視覚障害者センターの当事者とのかかわりの中で【他者を通して芽生えた生きる力】が認識できたことは,Aさんの存在の意味を確かなものにし,喪失体験の苦悩を乗り越える大きな要因となったと考えられる.またこのような喪失体験の受容のプロセスで,亡くなった人や見ることのできなくなった自分の顔の幻視が現れるという【喪失したものの現れ】が生じていた.古城(2011)は,高齢になって視覚器あるいは聴覚器からの外界刺激が遮断されることによってもたらされる孤立の代償として,見えないものが「観える」,聞こえないものが「聴こえる」という心的現象を報告している.孤独なAさんが体験していた意味性を帯びた幻視は,【感覚の代償】や【他者を通して芽生えた生きる力】の影響も受けながら,喪失体験の受容が進むとともに,意味性を帯びない幻視に変化していった.年をとることは,個人差はあるにせよ,それまでは見えなかったものが見えたり,聞こえなかったものが聞こえるようになることであり,そうして跋扈する死者たちを拒絶せず,否定せず,彼らとともに腰を据えて生きていくことが求められる(六車,2012).Aさんは,【感覚の代償】や【他者を通して芽生えた生きる力】とともに,【喪失したものの現れ】という自分自身の中で創り出した世界からの影響も受けながら,次第と視覚の喪失や重要他者の喪失を受け入れるようになっていったのではないだろうか.死者の声が聞こえる高齢者は,その幻覚に戸惑っているが,幻覚症状そのものというより周りの人がそれを理解してくれないことに苦しんでいる(六車,2012)という.そのため,まず幻覚を治療することよりも幻覚の存在を受けとめてくれる周囲の人の存在が重要であろう.

以上のようにAさんは,苦悩が大きい中でも喪失体験を受け入れながら,【運命を引き受けて生きる】という状況に至っていた.福島(2015, P39)は,盲ろう者として,苦悩に意味や価値を見出すことから生きる意味を獲得していった経験を述べている.またKleinman(2015, P112)は,人間の体験における耐えるということの価値,すなわち耐え忍び,生き抜き,我慢をし,苦しむことについての価値の再考が,苦難や心身の重荷と直面する人々にとって有効であることを述べている.Aさんは,苦悩に耐え,苦悩とともに生きることに意味を見出したことが【運命を引き受けて生きる】という精神の強さや今を豊かに生きていることにつながっているのではないだろうか.視覚障害によってCharles Bonnet症候群をきたした事例では,心理的ストレスに敏感で対処能力が低いことが示唆されている(野澤ら,2007)が,Aさんは視覚障害による苦悩や侵襲的な幻視・抑うつがありながらも,様々な生活上のストレスや生活のしづらさにも果敢に対処しながら【運命を引き受けて】生きる覚悟をもっていた.そのことがAさんにとっての尊厳となっていることが考えられた.

Ⅵ. 看護への示唆

本研究結果から,視覚には思考や感情が影響していることや普段見えているという視覚に対する自明の認識によって,視覚障害の進行は気づかれ難い状況が考えられた.このような現象を理解した上で,見え方の些細な変化を捉え,早期発見・早期治療につなげることが重要である.

そして視覚障害の進行と幻視・抑うつを呈した高齢者には,見えない世界と侵襲的な幻視や抑うつによって,存在が脅かされるような苦悩があるため,そのような苦悩を理解した上で,代償された感覚機能や他者とのつながりを見出しながら,生きることの意味の探求や生活の再構築への支援が重要であろう.

さらに幻視には,その人の生活世界に根ざした体験や障害あるいは喪失体験の受容の過程など,当事者の思考や感情が関与していることが見出された.そのため,当事者が精神的な安寧を取り戻すことができるよう,看護師は当事者の主観的経験を解釈したり苦悩に共感しながら,障害や喪失の受容のプロセスを支えていくことが重要である.このように看護師には,当事者の主観的な経験や生きる意味に触れた実存的なかかわりが求められているといえよう.

Ⅶ. 研究の限界と今後の課題

本研究は,精神症状の言語化水準が高い事例から,視覚障害と幻視・抑うつに関する詳細な経験を語ってもらい解釈した点で,ケース志向一般化につながる1人の人の深い経験を導き出すことができたと考える.しかし,今回の研究では当事者の対処行動や生活の再構築については明らかにできておらず,今後はリハビリテーションに関する研究を進めていくことが課題である.

謝辞:本研究にあたり,貴重な経験を語ってくださったAさんに厚く御礼を申し上げます.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

付記:本研究の一部は,19th East Asian Forum of Nursing Scholarsで発表した.

文献
 
© 2019 Japan Academy of Nursing Science
feedback
Top