Journal of Japan Academy of Nursing Science
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The Experiences of Mothers Who Raise Severely Disabled Children at Home and Their Ties with The Outside World
Natsuko ShindouKazumi Natsuhara
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2019 Volume 39 Pages 116-126

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Abstract

目的:乳幼児期の重症心身障がい児(重症児)を育てる母親がどのように社会との接点を持つのか,そのきっかけやパターンを母親の体験から明らかにする.

方法:6~8歳の重症児の母親9名に出生から幼児期までの育児における母親の心理,地域社会との関係等について半構造的面接を実施し,質的記述的分析を行った.

結果:21カテゴリー,5[大カテゴリー]が抽出された.母親は[重度な障がいの子どもと向きあう]体験を基盤に,[遠い他者に感じる冷ややかな世間]の影響を受けると[思い込みに囚われて行き場がない子育て]を体験し,[顔が見える他者からのエネルギー]によるプラスの影響があると[他者との関わりへと広がっていく自分の世界]という体験をしていた.

結論:乳幼児期の重症児の母親は,子どもの不安定な体調や,他者を冷たく感じる体験から社会との接点をもてない状況となる.社会との接点は,家族や友人のような顔の見える他者からもたらされるパターンと,自ら身近な他者の理解を求めるパターンを認め,母親同士のつながりが重要な役割を担っていた.

Translated Abstract

Purpose: The purpose of this study is to analyze the experiences of mothers who raise severely disabled children at home and also to discover their ties with the outside world. Particularly, we clarify a chance and pattern of the connection to the community of the mothers.

Method: Semi-structured interviews were conducted with nine mothers of severely disabled children aged between six and eight years old. The data was qualitatively analyzed.

Results: The results are divided into twenty-one categories and five main categories.

The main categories are as follows:

[A] Mothers faced the reality of raising a child with a severe disability

[B] A frosty attitude from strangers led to [C]

[C] The mothers became blind to the possibility that they can raise their children properly

[D] They gained energy from positive experiences with others resulting in [E]

[E] The mothers got out and widened their horizons

Conclusion: We found several ways that mothers of disabled children connect to the community. The main way mothers did this was by their own efforts, and not just brought about by those close to them. Also, when the mothers faced difficulties in child-raising, they tried to gain sympathy from friends and acquaintances. In order for mothers of disabled children to widen their horizons, relationships with other mothers played a very important role.

Ⅰ. 緒言

我が国では1980年代後半から重症心身障がい児(以下重症児)や医療的ケアを必要とする児が増加している(厚生労働省,2016).近年では障がい児・者福祉制度の改変を反映し,重症児の在宅・地域での生活への移行が進み(厚生労働省,2012田村,2015),在宅療養する乳幼児期の重症児は今後も増加が予測される.

乳幼児期における重症児の育児の特徴として,夜間も含め1日の大半を介護に使う生活であり,体調が不安定な子どもの生命を守る負担が大きく(水落ら,2012馬場ら,2013),子どもの主体性・社会性・発達の変化が見えにくく(有本ら,2012),就学まで子どもと離れる機会がほとんどないこと(鈴木ら,2016西原ら,2014)がある.これらの研究からは,乳幼児期の重症児を育てる母親は子どもとの関係が生活の殆どを占め,閉塞感が高くなりやすいことがうかがえる.

それに対してレスパイト等の社会的支援を受けることは,母親の時間の確保やQOLの支援(田中ら,2003)にとどまらず,障がい児自身にとっても世界が広がる変化につながる(田村,2006)効用がある.しかし,児の家族には自分のために利用するレスパイトへの後ろめたさがある(馬場ら,2013),という報告もある.

母親が,子どもとサポートする相手との関係が良好であると捉えることがサポートの受け入れを促進する(本田・新井,2010)ことから,母親が自分と子どもが生きる世界の外側の人々への信頼感をもち,その人々とつながること,つまり社会との接点をもつことは重要である.しかし,乳幼児期の重症児を育てる母親が,子どもの障がいをどう捉えて,日常の中でどのように家族を含めた社会との接点を持っているのか,その実態を明らかにした先行研究はみられない.そこで本研究では母親の体験を分析することで,母親がどのように社会との接点を持ち,その社会とのつながりを持続させるのか,あるいは社会から疎外されている感覚を持つのか,そのきっかけやパターンを明らかにしたいと考えた.母親が受け入れやすいアプローチや孤立に陥りやすい状況を知ることで,母親支援対策に役立てられるのが本研究の意義である.

Ⅱ. 研究目的

乳幼児期の重症児を育てる母親がどのように社会との接点を持ち,その社会とのつながりを持続させるのか,あるいは社会から疎外されている感覚を持つのか,そのきっかけやパターンを母親の体験を分析することで明らかにする.

Ⅲ. 研究方法

1. 用語の定義

1) 「母親の体験」

中木ら(2007)の研究を参考とし,何を意味しどのような結果になるのかが不明確な状況で出会った,子どもの出生から乳幼児期の印象に残る出来事とそのときの心身の状態・反応であり,強い感情や発達的変化などの現象を結果として見出せるもの,と定義した.

2) 「社会との接点」

母親が生きている社会を構成する人々とのつながり,とした.

2. 研究協力者およびデータ収集方法

研究デザインは質的記述的研究を用いた.研究協力者は,研究協力施設の外来に通院中の,6~10歳頃までの重症児またはその周辺児を乳幼児期から在宅で育てている母親で,研究協力に同意が得られ,30分~1時間程度の面接が可能な母親とした.母親が乳幼児期の子育てについて冷静に振り返ることが難しい場合は除外することとした.

インタビューガイドの内容は,1)研究協力者の背景:年齢,学歴,職業,家族構成,2)子どもの障がい,発達についての主な経過,3)子どもの出生から幼児期までの子育ての過程における母親の心理状況,4)母親の障がいに対する理解,5)家族との関係から感じていること,6)地域社会との関係から感じていること,であった.研究目的である社会との接点について直接たずねるのではなく,母親の体験の中から社会との接点を浮き彫りにしたいと考え,家族や地域社会との関係の質問を設定した.

データ収集方法は,研究協力施設のプライバシーが保持できる個室において,外来受診等の際に面接を実施した.面接は半構造的面接とし,内容は承諾を得て録音した.調査期間は,2015年8~10月であった.

3. 分析方法

本研究は乳幼児期の重症児の子育てという個人的で複雑な体験をデータとし,その中から社会との接点をどのように持つのかに焦点をあてて分析することを目的とした.よって語りや行いが示す意図や理由を発見しようとする谷津(2015, pp. 103–154)の手法,現象のリアリティある記述から一貫して存在する概念を見出し,中心となるカテゴリーの関係図を描いて全体像と関係性を示すことを勧める萱間(2007, pp. 31–79)の手法を分析の参考とした.

協力者毎のコード作成では,具体的な描写やニュアンスはできる限り丁寧に拾い上げ,データ・ニアであるよう留意しながら2次コード,サブカテゴリーと抽象度を上げた.全協力者のサブカテゴリーを概観し,データに戻りながら解釈を深めて抽象化し,カテゴリーとした.カテゴリー作成までのデータ上,母親と社会との接点や関係性の広がりは,自分と他者との関係,母親自身の余裕,が基軸となっていることを見出したため,これらに注目してカテゴリーを2次元に位置づけ,大カテゴリーとした.データ分析の過程において質的研究の複数の研究者からスーパーバイズを受けて,信頼性と妥当性の確保に努めた.

4. 倫理的配慮

本研究は,日本赤十字秋田看護大学大学院研究倫理審査委員会(承認番号27-103)および研究協力施設の倫理審査委員会の承認を得て行った.協力者に研究参加に伴う情報を十分開示し,自己決定および研究協力拒否の権利,プライバシー,匿名性,機密性確保の権利の保障について説明し,文書による同意を得た.データと個人識別情報は分離し,個別に施錠管理した.また,母親との面接の際に重症児である子どもが同席する場合は,子どもに心身の変調がないよう配慮した.

Ⅳ. 結果

研究協力者は9名で,面接時間は平均47.2分(SD = 11.1)であった.

1. 研究協力者の背景

研究協力者の平均年齢は,39.2歳(SD = 6.6)であった.職業と世帯特徴は,有職者は4名で全て三世代同居,無職者は5名で,核家族3名(うち祖父母が近隣居住2名),三世代同居2名であった.子どもの年齢は6~8歳であった.障がいの程度は,大島分類(日本重症心身障害児福祉協会,2008)の判定上,重症児は7名,その周辺児が2名であった.調査時に周辺児だった2名は,乳幼児期までの判定は重症児であったため,分析対象として適切であると判断した.

2. 乳幼児期の重症児の母親が,在宅で子育てする体験についての分析結果

母親の体験について,得られたデータを分析した結果,113サブカテゴリー,21カテゴリー,5大カテゴリーが抽出された(表1).以下,[太字]は大カテゴリー,【 】はカテゴリー,《 》はサブカテゴリーを示す.母親の言葉は『 』で示し,その文末に語った研究協力者を示すアルファベットを付けた.母親の語りを補足する内容は,『 』内の(斜字)で示した.

表1 乳幼児期の重症心身障がい児を育てる母親の体験:大カテゴリー,カテゴリー,サブカテゴリー
大カテゴリー カテゴリー サブカテゴリー
[A]重度な障がいの子どもと向き合う 子どもの生命力は育てる意欲のトリガー 子どもが反応して交流できるようになり,家族が強く結びつく(a)
子どもやきょうだいの反応をみて,改めて子どもの思いを大事にしたいと思う(b)
子どもが生きようとするのを感じ,自分も頑張ろうと切り替わった(b)
子どもが成長の節目を迎えたことに感動した(b)
子どもの発達や楽しんでいる様子を感じて嬉しい(c)
子どもが楽しんで表情豊かだと良かったと思う(e)
子どものいい表情や成長を見て,幸せだと感じる(f)
子どものために今を大事にできるだけのことをしたい(f)
子どもが言いたいことを言えず,急に暴れるとイライラして泣きたくなる(g)
子どものために,できるだけのことをしたい(h)
子どもが楽しめることが増えて嬉しい(h)
道筋は見えないが進むしかない子育て 子どもの先の事がわからず一心に通院や訓練をした(b)
母親として果たすべき役割に没頭する(d)
子どもの今後をイメージできるかどうかで,気持ちの安定が左右される(f)
子どもの将来がわからず,自分の育て方に責任を感じたが,わからなかったからやってこれた(f)
病名を知りショックだったが,検査結果を待つ間が一番不安だった(h)
病名を知り,いずれ受容できると気づいてからは徐々に落ち着いた(h)
子どもの様子への違和感や,病気がはっきりしないことに不安があった(i)
振り返ると見える子どもの障がいと自分の行動の関係 子どもの事故のことは,今も甦ると動揺が抑えられない程ショックだった(b)
子どもの障がいは自分の決断に起因していると思う(d)
子どもが心肺停止になったのは自分に原因があったと後悔する(e)
身近にある死を意識した記憶 子どもの発作では死ぬ可能性も常に考えている(a)
子どもの体調が安定しているよう常に注意している(b)
最初のてんかん発作には,意外に冷静に対応できた(c)
亡くなった子と育っている子どもが一緒にお腹にいた辛さや,亡くなった子を産んだ大変さは,産まれた子二人にも気持ちが向かない程だった(d)
予期しなかった前期破水や子どもの障がいにショックを受ける(f)
てんかん発作に動揺した(g)
子どもが呼吸停止しかけて死を意識した(h)
子どもの体調を安定させるために必死だった(h)
「自分だけが」という抱え込み感を左右する家族からのサポート 夫と精神的に支え合えたことが良かった(b)
地元や実家の理解があり,安心して楽しく子育てしている(c)
家族と一緒に世話することが子育ての支えとなる(d)
子どものケアは自分だけが苦労して覚え,家族は医療的なケアへの協力には消極的である(e)
家族の協力が子どもの世話の支えとなる(e)
子育ては家族を頼りにしている(g)
夫には障がいのある子どもを育てることへの共感や一緒に世話をしてほしい(h)
家族が子育てに協力してくれる(i)
重症心身障がい児ならではの成長に伴う身体的負担 子どもの体が大きくなり,移動の介助が重労働になった(c)
子どもの体が大きくなり,移動や入浴介助が重労働になった(d)
子どもの状態は落ち着いてきたが,自分の体調が悪くなった(h)
子どもの成長と世話の難しさから連れて行ける場所が限られてきた(i)
子どもの体調に感じる安定感 超低出生体重児だったが生後は順調に育った(f)
てんかん発作はなく風邪以外は落ち着いて過ごしている(g)
子どもの体調は安定している(i)
自分の一部になる障がい 障がいのある人は別世界の存在だったが,子どもが障がいをもって気持ちが変化した(e)
障がいは大変だが,不幸ではないと思う(g)
自ら求める身近な他者の理解 周囲の母親に理解してもらえるよう,子どものことを話した(b)
身近な他者に子どもを理解してもらうために,周囲との関係づくりに心を配る(i)
[B]遠い他者に感じる冷ややかな世間 予想できない社会への不安 夫は,きょうだいが子どもの存在でいじめられないか心配している(b)
まだ見ぬ周囲の存在が子どもにどう反応するかが不安である(b)
顔が見えない情報がもたらす不安 仲間に出会う前は,ネットの情報で不安になった(f)
病気の進行や,ネットでの予後不良という情報で子どもの死への不安をもっていた(i)
障壁になりかねない援助職の関わり 職場復帰のために保育園を探した時ひどい対応をされた(d)
医療者の言動で嫌な気持ちになった(f)
医療者から通園の十分な情報がなかった(g)
[C]思い込みに囚われて行き場がない子育て 無意識に否認していた障がいのサイン 子どもの障がいは後から思いあたることがあった(a)
子どもの反応がない間は,赤ちゃんの延長で育てている感覚だった(b)
他の子との違いがわかり,障がいを自覚した(b)
子どもが普通の経過で育たないことに動揺した(c)
子どもの発達の遅れに気づき,きょうだいとの違いで障がいを確信した(d)
子どもの発育不良が不安だったが,実際に遅れを指摘されると驚いた(g)
任せられない子どもの世話 福祉サービス利用時も発作は心配だった(a)
初めての母子分離への不安と期待があった(b)
子どもに障がいがあっても,医療関係職の自分だから育てることができている(d)
仕事と子育ての両立で悩み,子どもに手をかけたくて仕事を辞めた(f)
子どもが家族以外の人に食事介助されることが入学時の不安だった(h)
きょうだいのために時間を作りたいが,子どもを家族に預けることが心配でできない(i)
他者からの視線に左右される自分 世間から子どもがどう見られているかを意識する(a)
周囲が子どもをどう見ているかに敏感になる(d)
子どもの障がいの話は自分から人にきいてと言えず溜め込んでいた(e)
同じ立場の母親や多くの人の影響で気持ちが変化し,周囲からの視線も気にならなくなった(f)
当事者になって周囲から見られることの嫌さを再認識した(f)
周囲の反応は気にせずに外に出ている(g)
以前は周囲の反応に敏感だったが今は気にならない(h)
社会からの疎外感 子どもをどう育てたらよいか真っ白になり,子どもに付きっきりになって引きこもった(a)
同年齢の元気な子を見るとひがむ気持ちで辛かった(e)
他の子と比較してしまい苦しく,引きこもった(f)
子どもの障がいについて,自分だけが不幸という気持ちがあった(h)
[D]顔が見える他者からのエネルギー 身近なところからもたらされた社会との接点 仕事の強い要請と夫の後押しで外に出た(a)
父親は,母とは別に外の世界へ働きかけるきっかけになる(a)
身近な他者や祖父母からのサポートで,外に出る行動が促された(b)
通園の母親仲間から学校は楽しいと聞き安心できた(c)
職場復帰について悩んだが,同僚の勧めで復帰を目指した(d)
近所の母親の理解で,子ども同士遊ばせることができた(e)
子どもの訓練の機会は外に出る良い機会だった(e)
通園や学校での出会いで,沈みがちだった気持ちが励まされた(f)
積極的に外に出る夫の影響で,外に出ていけるようになった(f)
知り合いに紹介された通園での専門的支援が,子どもに合っていて良かった(g)
きょうだいのために外に出る機会が多く,子どものためにもそれが良かった(i)
きょうだいは子どもにとって社会につながる仲間 きょうだいには子どもを心にかけるようにと働きかけてきたので,子どもを思いやってくれることが嬉しい(a)
通園の母親仲間にきょうだいについての悩み事について情報収集した(b)
子どもの障がいとの折り合いをつけながら,きょうだいを育てる(d)
親のエゴかもしれないが子どものためにきょうだいをもち,大変な事もあるがやはりいてよかった(e)
きょうだいの妊娠を後ろめたく感じたが家族も喜び,子どもの反応をみても今は良かったと思える(g)
きょうだいにも子どもを自然に理解してほしいと思いながら行動してきた(h)
きょうだいには子どもの障がいを理解し心にかけるようにと働きかけてきた(i)
きょうだいには将来も子どもの理解者であるよう期待している(i)
母親同士がつながる安心感 子育てを通して自分が成長でき,他の母親を助けたい気持ちが生まれた(a)
通園の母親仲間は一生の友達と思える(b)
共感できる母親仲間が精神的支えとなる(d)
母親仲間や理解ある他者が精神的支えになる(e)
通園の母親仲間が精神的支えとなる(g)
通園の母親仲間と共感でき,自分だけが不幸のような気持ちが解消した(h)
[E]他者との関わりへと広がっていく自分の世界 はじめてわかる社会と接する価値 子どもは外の世界を楽しんでいることに,外に出てみたことで気づいた(a)
自分や子どもの世界の広がりに喜びを感じる(c)
子どもが喜ぶ様子を見て気持ちが変わり,外に出るようになった(f)
子どもと離れる充電時間 福祉サービス利用等で,きょうだいと過ごしたり自由な時間をもつことは,親子相互にプラスになる(a)
子どもと離れた時間で,自由な活動を楽しんでいる(b)
子どもの就学で自分の時間ができ仕事を始めた(c)
子どもの預け先の確保に苦労しながらも仕事を続けてきた(d)
家や子どもと離れる仕事の時間でリフレッシュできる(g)
家族や福祉サービス利用で子どもを預けて自分の時間をもつことは,子どもの世話を続けるために大切だと思う(h)
子どもが小さい頃は育児・家事で自分の時間がないとイライラしていた(i)

 (a)~(i)は研究協力者を示す

2軸に基づくカテゴリーの位置づけから見た大カテゴリーを図1に示した.縦軸は社会を構成する人々との関係性で,上は自分と他者とのポジティブな関係,下は自分と他者とのネガティブな関係を表す.横軸は,母親と社会との関係性の素地となる,自分と子どもの関係における母親自身の心身の余裕を示し,自分に余裕がある(右)・ない(左)状態を表す.

図1

母親と社会の接点

図の説明:縦軸は自分と他者との関係,横軸は自分と子どもの関係における母親自身の心身の余裕を表す. は自分と子どもを中心として外側に向けて広がる世界を表す. はカテゴリー,カテゴリーを囲む は大カテゴリーを示す.[A][重度な障がいの子どもと向きあう]は,自分と子どもとの関係の中で起きた体験である.[A][重度な障がいの子どもと向きあう]の{自分に余裕がない}状況に,[B][遠い他者に感じる冷ややかな世間]の影響があると,[C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]となる.[A][重度な障がいの子どもと向きあう]の{自分に余裕がある}状況に,[D][顔が見える他者からのエネルギー]が加わると,母子それぞれが[E][他者との関わりへと広がっていく自分の世界]という体験に至る.

[A][重度な障がいの子どもと向きあう]は,子育ての最初の時期から,様々な出来事を通して自分と子どもとの関係の中で起きた体験であった.[A][重度な障がいの子どもと向きあう]において,自分に余裕がない状況に[B][遠い他者に感じる冷ややかな世間]の影響が加わると,母親は[C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]に陥っていた.また[A][重度な障がいの子どもと向きあう]において,自分に余裕がある状況に[D][顔が見える他者からのエネルギー]が加わると,母親は社会からポジティブな影響を受け,[E][他者との関わりへと広がっていく自分の世界]という体験に至っていた.

1) [A][重度な障がいの子どもと向き合う]

大カテゴリー[A]は9カテゴリーで構成された.【子どもの生命力は育てる意欲のトリガー】は,母親は子どもの笑顔や成長の様子に感動や嬉しさを覚え,逆に子どもの要求がわからない時や子どもが暴れる時にはイライラするという,子どもの生命力をきっかけとして正と負両方の心情を呼び起こされる体験であった.

【道筋は見えないが進むしかない子育て】は,子どもの先の事がイメージできないながらも,毎日夢中で子どもの世話をする,という体験であった.『先がどうなるのかってその(事故の)時全然わかってなくって,障がいがどういうふうに残るかも,ただ漠然と今を何とかしなきゃって,そんな感じだった.』(b)のような,《子どもの先の事がわからず一心に通院や訓練をした》などが含まれた.【振り返ると見える子どもの障がいと自分の行動の関係】は,子どもの障がいの背景には,自分の決断や行動があったという思いが述べられていた.【身近にある死を意識した記憶】は,呼吸停止などの生死に関わる状態に遭遇した体験であった.『(子どもが呼吸停止しかけた時)障がいをもって生きて色々苦労ばっかりするよりも,このまま亡くなった方が幸せなのかな,ってちょっとだけ思いましたね.』(h)のような《子どもが呼吸停止しかけて死を意識した》などが含まれた.

【「自分だけが」という抱え込み感を左右する家族からのサポート】は,家族のサポートに支えられていたり,逆に母親が求めるサポートが得られず不満を持っている体験であり,自分だけが頑張っている負担感,疲労感を左右していた.『本当は,(祖母に)吸引とか覚えてやってもらえればな,って気持ちはあるんですけど,頼めないんです.』(e)のような,《子どものケアは自分だけが苦労して覚え,家族は医療的なケアへの協力には消極的である》などが含まれた.【重症心身障がい児ならではの成長に伴う身体的負担】は,《子どもの体が大きくなり,移動や入浴介助が重労働になった》などが含まれた.

【子どもの体調に感じる安定感】は,その子どもなりに体調が落ち着いていることが,子どもの良い反応をもたらしていることに気づく体験であった.『入院したことは1回だけなんで,落ち着いて過ごせてるかな.』(g)のような,《てんかん発作はなく風邪以外は落ち着いて過ごしている》などが含まれていた.【自分の一部になる障がい】とは,障がいのある子どもを育てる中で,障がいに対する眼差しが変化したり,障がいを自分なりに受け入れるようになったことを表していた.【自ら求める身近な他者の理解】は,周囲の母親の理解が自分にとって社会とつながる援護となるように,自ら他者に働きかけるという体験であった.『(障がいのある子どもを育てていることを)いくら口で大変って言ってても,周りのお母さんたちも「何が大変なの」ってなるけど,…ウチはこういう状況です,っていうのは見てもらっている方が,周りの理解は得やすいと思うし,わかってくれる人は多いですね.』(i)のように,《身近な他者に子どもを理解してもらうために,周囲との関係づくりに心を配る》などが含まれていた.

【道筋は見えないが進むしかない子育て】【振り返ると見える子どもの障がいと自分の行動の関係】【身近にある死を意識した記憶】【重症心身障がい児ならではの成長に伴う身体的負担】は,母親は子どもとの関係において自分に余裕がない状況であった.その対極の自分に余裕がある状況として,【子どもの体調に感じる安定感】【自分の一部になる障がい】【自ら求める身近な他者の理解】という体験があった.

2) [B][遠い他者に感じる冷ややかな世間]

大カテゴリー[B]は3カテゴリーで構成された.【予想できない社会への不安】は,実際に対面していない世間に対して不信感を抱いている体験であった.実態のない世間の中でも,インターネットの情報に関する体験が【顔が見えない情報がもたらす不安】であった.『今パソコンあれば何でも調べられて,同じような病気について検索すると,必ず予後が悪いって出てくる,…だから,この子が生きられないんじゃないか,っていう不安の方が当時は大きかったんです.』(i)のような《病気の進行や,ネットでの予後不良という情報で子どもの死への不安をもっていた》などが含まれた.【障壁になりかねない援助職の関わり】は,社会に出ていこうとした時などに,援助職者との関わりから困難や嫌悪感が生じた体験であった.『障がい児も預かる,ってパンフレットにも書いてあった保育園に,2週間お試しでまず行って,申し込んだら,市の窓口の人に「無理だ,って会議で決まりました.お母さんもう1年仕事休んだら」って言われて』(d)のような,《職場復帰のために保育園を探した時ひどい対応をされた》などが含まれた.

[B][遠い他者に感じる冷ややかな世間]は,[A][重度な障がいの子どもと向き合う]において自分に余裕がない母親を[C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]に追い込む方向に影響していた.

3) [C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]

大カテゴリー[C]は4カテゴリーで構成された.【無意識に否認していた障がいのサイン】は,子どもの様子に違和感を持ちながらも否定しようとする自分がおり,診断を受けた後に振り返ると,実は障がいを察知していたことに気づく,という体験であった.【任せられない子どもの世話】は,自分以外の他者に安心して子どもの世話を委ねることができない体験であった.『私も本心言うと,お兄ちゃんが野球頑張ってるところゆっくり見たいし,応援したいって気持ちもありますよ,でも祖父母にも長時間は預けれないし,長時間になると,どうしても薬とか食事とか心配で.子どもはもう大丈夫なのかもしれないけど,私が,心配でできなくて.』(i)のように,《きょうだいのために時間を作りたいが,子どもを家族に預けることが心配でできない》などが含まれていた.【他者からの視線に左右される自分】は,『あとやっぱり年齢がいくにつれて,こうね,赤ちゃんみたいな,周りからみて,あれ?っていうところもでてきたのもあって』(a)のように,周囲の人からの反応や視線に敏感になる体験であった.【社会からの疎外感】は『(子どもを育てることについて)自分でもどうしたらいいのかわからないから,未知の世界っていうかね,真っ白になってしまって,で結局引きこもるっていうかね,私自身ウチに引きこもって,本当に最低限の買い物しか外に出なくなったりとか.』(a)のように《子どもをどう育てたらよいか真っ白になり,子どもに付きっきりになって引きこもった》などが含まれ,[A][重度な障がいの子どもと向き合う]において自分に余裕がない母親が,他者からの視線を意識した時に[B][遠い他者に感じる冷ややかな世間]を感じると[C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]に陥っている体験であった.

4) [D][顔が見える他者からのエネルギー]

大カテゴリー[D]は,3カテゴリーで構成された.【身近なところからもたらされた社会との接点】は,夫やきょうだい,障がい児を育てる母親仲間のような身近な他者からの影響の中で起こった出来事が,社会との接点を持つ契機となった体験であった.『私は家から出られなかった間も,お父さんは普通に公園に行ったり,おんぶひもでおぶって,散歩行ったり,バスに乗って出かけたりね.』(f)のように,《積極的に外に出る夫の影響で,外に出ていけるようになった》などが含まれた.【きょうだいは子どもにとって社会につながる仲間】は,きょうだいの存在が母親にとって社会とのつながりを考える要素になり,子どもときょうだいの関係づくりを考えるという体験であった.【母親同士がつながる安心感】は,通園(療育施設で行っている障がい児向け通所サービスの通称)で知り合った母親や似た境遇の母親同士が仲間となることで,社会での安心感を得る体験であった.『同じくがんばっている人がこういうとこにいるんだ,ってわかって,そこで(通園に通って)ちょっとずつ勇気がわいてきた,がんばろうって感じになってきた気がします.』(b)のように,《通園の母親仲間は一生の友達と思える》などが含まれていた.

5) [E][他者との関わりへと広がっていく自分の世界]

大カテゴリー[E]は2カテゴリーで構成され,[A][重度な障がいの子どもと向き合う]において自分に余裕がある状況で,[D][顔が見える他者からのエネルギー]の影響を受けていた.【はじめてわかる社会と接する価値】は,身近な関係から社会に出て行くきっかけがもたらされ,それが自分にも子どもにも価値があることに気づいた体験であった.『(しばらく引きこもっていたが,久しぶりに子どもと外に出た時に)初めて(子どもの)笑顔をみたっていうか,声出して笑ったり体揺らしたり,それみたのが初めてだったんですよ.そういうのもあって,「あ,出たいんだな」って,私だけがそう(どこも行きたくないと)思ってたんだ,と思って,そこから気持ちを切り替えて,お散歩連れ出したりとか』(a)のように,《子どもは外の世界を楽しんでいることに,外に出てみたことで気づいた》などが含まれていた.【子どもと離れる充電時間】は,子どもと離れて自分の時間をもつことが,自分と子どもにとって社会とのつながりを広げていくための貴重な時間となっていることを実感するという体験であった.

Ⅴ. 考察

1. 社会とつながりにくいパターン~母子が閉鎖的になる体験

本研究では[C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]の【社会からの疎外感】として,湧水ら(2009)が報告しているのと同様に,ひきこもった体験が抽出された.乳幼児期の重症児を育てる母親が,閉鎖性を強めていく体験は以下のように整理できるだろう.[A][重度な障がいの子どもと向き合う]の【身近にある死を意識した記憶】という体験や,夢中で重症児を育てている【道筋は見えないが進むしかない子育て】という日々の中で,子どもの病状についての情報がほしくてインターネットで情報を集めるが,[B][遠い他者に感じる冷ややかな世間]の【顔が見えない情報がもたらす不安】に陥る体験があり,[C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]となり,ひきこもる要因の一つとなる.インターネットという媒体は自由に外出しにくい子育て中の情報源として定着してきており,時間や場所を選ばない利便性がある.しかし,インターネットで医療情報を検索することで健康への不安や心気症状が悪化する現象が,cyberchondriaと呼ばれ問題視されてきており(熊谷ら,2014),乳幼児期の重症児の母親が,情報や人とのつながりの中心をインターネット利用に求めることは,偏った情報や不安に陥る場合があることを理解しておく必要がある.

また,[B][遠い他者に感じる冷ややかな世間]には【障壁になりかねない援助職の関わり】によって社会の対応を不快に感じた体験があった.この体験は,[A][重度な障がいの子どもと向き合う]で自分に余裕がない状況の母親が[C][思い込みに囚われて行き場がない子育て]に陥ることに影響しかねない.対人援助職といえども,疲弊して思いやりのない対応になることはある(久保,2007).残念ながら母親がそのような体験をした場合に役立つのは,専門職を含めて相談相手,話し相手を複数もち,異なる対応を得られる機会を確保しておくことである.母親が相談相手を多くもつことは,多様な関わりの中で他者への信頼回復に結びつくと考える.

2. 閉鎖的な母子の状況は打開できる

1) 【身近なところからもたらされた社会との接点】で打開できたパターン

本研究では,ひきこもった体験を打開できた契機として,[D][顔が見える他者からのエネルギー]の【身近なところからもたらされた社会との接点】があったことが明らかになった.母子と接する機会がある家族や近所の母親,きょうだいの周囲の人などからの温かい言葉かけ,当たり前のこととして手助けする姿勢などが,母親にとって社会とつながるきっかけになることがわかった.

この基盤には,[A][重度な障がいの子どもと向き合う]の【「自分だけが」という抱え込み感を左右する家族からのサポート】,【子どもの体調に感じる安定感】という体験があり,母親は自分に余裕がある状況であると考えられた.最も身近な他者である家族からの協力が,母親に時間的,体力的,精神的な余裕をもたらしているとうかがえ,家族の協力は母親が社会に出て行くきっかけを受け入れる素地として重要である.あわせて,【子どもの体調に感じる安定感】は【身近にある死を意識した記憶】と相反する体験であり,きっかけを受け入れる前提条件といえる.重症児は体調悪化時には緊急性を伴う状況に陥る危険があり,母親は常に体調変化への不安を抱えている(橘・鈴木,2017飯田ら,2008).その分,子どもの良好な体調は,母親が社会とつながっていくきっかけの一つの要素となっていると思われる.

2) 打開のきっかけは他者からとは限らない,やむを得ず自ら社会に出るパターン

[D][顔が見える他者からのエネルギー]の【身近なところからもたらされた社会との接点】では,計らずも他者からの影響を受けてきっかけを得ていたが,これに対し[A][重度な障がいの子どもと向き合う]の【自ら求める身近な他者の理解】では,まず母親にとって他者と関わらなければならない機会というのが先立ってあり,母親は自ら他者に働きかけてつながりを円滑に作ろうとしていた.本研究では,きょうだいのために周囲の母親に理解してもらおうと考えて行動していたが,他の家族や仕事のための機会があることも考えられる.

また,[A][重度な障がいの子どもと向き合う]の構成カテゴリーの【重症児ならではの成長に伴う身体的負担】,【「自分だけが」という抱え込み感を左右する家族からのサポート】は,子どもの介護を母親だけで担うことが困難になり,やむを得ず社会的なサービスを求める必要が出てくる可能性を示している.飯島ら(2005)は,重症児の母親の加齢に伴う介護力低下によって,外部からの支援が必要になることを指摘しているが,本研究結果は,それ以前の児の成長に伴う支援の必要性が,母親と社会との接点となっていることを明らかにした.

3) 【はじめてわかる社会と接する価値】を体験し【子どもと離れる充電時間】へ

母親が,閉ざされていた生活空間から社会に出てみた結果として体験しているのは,はじめて見る子どもの表情の変化や良い反応から世界の広がりを実感した[E][他者との関わりへと広がっていく自分の世界]の【はじめてわかる社会と接する価値】であった.この体験は,柏木・蓮(2000)が,幼少時の母子分離の研究で示したのと同様に,母子分離を肯定的に捉えて行動する【子どもと離れる充電時間】という体験に結びついていた.

【子どもと離れる充電時間】を体験している母親7名のうち,2名はレスパイトサービスを利用し,利用について肯定的で積極的な考えをもっていた.このような実際の利用者からの肯定的な意見が,他の母親にも浸透していくことを後押しする必要がある.しかし日本では,諸外国に比べてレスパイト利用の制度も整っておらず,介護者の権利が法律で定められていないと指摘されている(毎日新聞大阪社会部取材班,2016).重症児を育てる母親が,レスパイトサービス等の社会資源を利用しやすい環境を整えるためには,介護者支援の法律化や,子どもの年齢による利用制限をなくすなど制度整備を進めていくことも重要である(前田,2016).

3. 【母親同士がつながる安心感】がもつ力

本研究において,[D][顔が見える他者からのエネルギー]を構成する【母親同士がつながる安心感】の体験でみられた母親同士のサポート力の大きさは,注目すべき点である.主なサポートの種類には,道具的サポート,情緒的サポート,情報的サポートがある(Sheldon et al., 2000/2005).障がいのある子どもを育てる母親仲間は,この三つすべての役割を果たすことができ,多面的であるといえる.また母親仲間は,互恵性という点でも特色がある.加藤(2007)は,乳幼児期の母親の被援助性について,互恵性(「お互い様」「もちつもたれつ」)の考え方でサポートシステムを形成し,次には自らが後輩格の母親にとっての援助者となっていく,という過程があることを述べている.返すことができない状況でサポートを受け続けることは,母親にとって自尊心が脅かされる可能性がある(菊島,2003).「お互い様」の関係を保つためには,母親が他の母親にサポートを提供できる機会も大切である.本研究における通園の母親同士のつながりの親密さの所以は,《子育てを通して自分が成長でき,他の母親を助けたい気持ちが生まれた》にみられるような,互恵性にあると考えられるのではないだろうか.

4. 研究の限界と看護援助への示唆

本研究の協力者の特徴として,子どもは保育園や通園に通った後に就学しており,通園などを利用しないままの生活を送っている母親の体験は反映できていない,という限界がある.このような研究の限界を踏まえた上で,本研究の結果からは以下のような看護援助への示唆が得られた.

在宅生活を続ける重症児は,乳幼児期から他者によるケアを受けることが特別なことではない生活となることが望ましい.そのためには,母親が子どもと離れて過ごすことを肯定的に受け止める必要があり,看護者は,その専門的知識・技術によって,子どもの体調の安定を図り,わずかでも子どもの反応や,心地よさ,楽しさを引き出す援助を実践していく役割がある.診察や検査,訓練などで定期的に訪れる機会がある医療現場の中で,母親が同じような境遇の母親と接するきっかけや,子どもが他者と触れ合う時間がもてるような働きかけを行っていくことも大切である.

Ⅵ. 結論

乳幼児期の重症児の母親は,子どもの不安定な体調や,他者を冷たく感じる体験から社会との接点をもてない状況となる.社会との接点は,家族や母親仲間のような顔の見える他者からもたらされるパターンと.自ら身近な他者の理解を求めるパターンを認めた.他者との関わりは,子どもの笑顔や母親の充電時間などの効果をもたらし,特に障がい児の母親同士のつながりは,多面的なサポート源として,母親が社会に出て行く上で重要な役割を担っていた.

謝辞:本研究にご理解いただき,ご協力いただきましたお母様方,対象施設の皆様に深く感謝申し上げます.本研究に多大なご指導とご助言を下さいました諸先生方に,心から感謝申し上げます.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

著者資格:NSは研究の着想,研究デザイン,データの入手,分析,解釈,原稿の作成に貢献した.KNは研究デザイン,分析,解釈,原稿・研究プロセス全体への助言を行った.すべての著者は最終原稿を読み,承認した.

付記:本研究は,日本赤十字秋田看護大学大学院の修士論文の一部に加筆修正をしたものである.

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© 2019 Japan Academy of Nursing Science
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