2021 Volume 41 Pages 20-28
目的:生存の限界といわれる子どもへの医療選択において,母親が代理意思決定をどのように経験しているのかについて記述する.
方法:母親ひとりに非構造化インタビューを行い,そのデータを現象学的方法で記述した.
結果:母親が語る代理意思決定の経験は,「主体の置き去り」と「主体の取り戻し」の二つのテーマに分けられた.子どもは,医学的所見でカテゴリー化されることにより主体を剥奪され,母親は医療者の望む「お母さん」を演じることにより主体を覆い隠していった.しかし,母親は医療者たちが支援の一環として創る世界に巻き込まれることによって,次第にその世界を基盤とし,子どもと自身の主体を取り戻していった.
結論:母性を絶対視した支援は,母親からの支援要請を断絶させたが,一方でその支援が時間の経過とともに母親の視点を変えるきっかけとなっていった.医療者は時に内観しつつ,支援を必要とする人々の内実に関心を向け続けることの大切さが示唆された.
Aim: This study aimed to describe the experience of proxy decision-making among mothers of infants born at the limits of viability in the medical context.
Methods: Data were collected through unstructured interviews and analyzed using phenomenological methods.
Results: The mother’s proxy decision-making experience was divided into two themes: “leaving subject” and “regaining subject.” The child was deprived of subject through being categorized by medical findings and the mother concealed her actual self by acting as the “mother” desired by the patient care team. However, as the mother developed her support by becoming involved in the world created by the patient care team, she gradually regained her child and her own subject within that world.
Conclusion: Offering support with a full view of motherhood limited the mother’s requests for support, but also provided an opportunity to change mother’s viewpoint over time. It was suggested that it is important for the patient care team to be introspective and consider those in need.
新生児医療の急速な発展は,救命率を上昇させると同時に生存の限界といわれる子どもたちへの医療選択において,医療者や親たちに倫理的ジレンマを生じさせている(Ruthford et al., 2017).原因の一つは,子どもに治療への意思確認が行えないことにある.もう一つは,治療選択の効果と身体への侵襲との兼ね合いを見極めることは難しく,何が子どもにとっての最善の利益なのか,どれだけの研究蓄積をもったとしても十全な答えを出すことが出来ていないことにある(Fanaroff et al., 2014;Bucher et al., 2018).
子どもにとっての最善の利益が不明瞭だからこそ,その責任を担う親を代理意思決定の中心に据えることが合理的との見解が新生児領域では一般的である(Cummings & Committee on Fetus and Newborn, 2015).しかし,医療の進歩はあまりに早く「従来の生命観では対応しきれない問題が生じてきて」(仁志田,2019)いる.そのため新生児の代理意思決定の議論は,生命倫理学だけではなく障害学や経済学,法学の視点を同時に必要とされる(Ouellette, 2011/2014;Fanaroff et al., 2014).
これら代理意思決定のもつ倫理的ジレンマについての研究が多くなされる一方で,その中心を担う親への支援についての研究は十分とは言えない.2014年にKimberly(2014)が行った医療ケア児のための親の代理意思決定に関する文献レビューでは,親の意思決定時に影響を与える情報内容と提供方法への示唆が得られたが,親の背景によって情報理解のされ方に差がみられるといった新たな問題が提示された.また,支援策においても,代理意思決定時に医療スタッフが家族への価値観を考慮することの大切さが言及されながら(Claire et al., 2018),他の研究では,代理意思決定時の中心を担うのが,親か医療者かは子どもの状況や処置内容によって変わる流動的なものだった(Weiss et al., 2016, 2018).これらの研究結果によって改めて代理意思決定の難しさが強調されたことになる.
以上のことから,親への支援方法を考えることは喫緊の課題である.ただし,その中心となるべき子どもの最善の利益は,いまだ医療者間においてさえ議論の途中にある.であれば,支援者は「どのように支援すべきか」を考える前に親たちが,我が子の最善の利益を追及しつつ行う代理意思決定を,「どのように経験しているのか」を知ることが重要である.そこで,主たる介護者の9割が母親という現状を踏まえたうえで(杉本ら,2007),本研究では,母親が代理意思決定をどのように経験しているのかについて記述することを目的とした.
稲原ら(2020)は,「経験の記述にはそれまで見過ごされてきた問題を見えるようにし,焦点化させる力がある」と述べる.つまりは,今回の目的である親の経験を記述することは,代理意思決定において「見過ごされてきた問題」を可視化し,その困難さの内実に近づくことが可能となる.また,村上(2013)は,現象学的アプローチによって経験の動きをその文脈も含めて内側から記述し,世界の見え方を更新することが可能だと述べる.そこで本研究では,焦点化された問題をより可視的にすることを目的とし,現象学的アプローチを採用した.
2. 研究対象者およびデータ収集方法対象者は,生存の限界といわれる(Ruthford et al., 2017)妊娠20週前半で生まれ,医療的ケアが必要な重症心身障害児を育てる母親である.研究者は,2015年4月から10月まで重症児デイサービス施設に観察目的で参加し,その時々で親と話したり,子どもと遊びながら親の視点に立つための準備を行った.今回のデータは,研究者が看護師であることを知った母親から,子どものことを話したいと希望していただき,改めて非構造的インタビューを行い得たデータである.会話内容は許可を頂きICレコーダーに録音した.(1時間20分:トランスクリプト全83ページ)今回の分析は研究目的に沿った「代理意思決定をどのように経験しているのか」を中心に行った.
3. 分析方法現象学的方法を用い,分析方法は村上(2013)の一部を参考として記述した.現象学は超越論的にものごとを捉える視線の取り方を提示してくれる.この作業を行うことによって語りを,他者とも共有可能な「普遍的構造」へと記述していくことが可能となる.村上は,「還元の視線のなかで流れていくものであればなんでも現象である」と述べ,同時に「流れるものはそのつど異なる」とも述べる.そこで本研究では,流れを支える背景を浮き上がらせるため,主に母親であることの語りと,医療者たちが重要視する母子支援との語りとが交差する点を結び構造化していった.具体的な方法としては,すべてのトランスクリプトを何度も読み返していき,流れが交わるところに発生する「ノイズ」を捉えていくことからはじめた.「ノイズ」からは「語り手が必ずしも意図はしていない」レベルで「行為を組み立てる背景の文脈とその構造を取り出す」ことが可能となる.同時に余計な説明を外部から与えることなく,取り出した構造はできる限り母親の語った言葉を用いながら記述した.この作業を何度も繰り返し,母親の経験世界を構成していった.
4. 妥当性と信頼性質的研究は,「研究結果を生み出した場とそれを適用しようする場の両方がよくわかっていれば.研究結果は場を超えて適用可能であるという置換性あるいは転用可能性が問われる」(松葉・西村,2014).この思想に基づき,本研究でもトランスクリプトと,そこからどのように分析結果が導かれたのかを詳細に記載した.また,分析内容を複数の研究者(主として現象学を用いている研究者)に確認してもらうと同時に,現象学の専門家にスーパーバイズを複数回受けた.以上の手続きによって分析内容の妥当性と信頼性を担保した.
本研究は,京都大学大学院医学研究科・医学部および医学部附属病院「医の倫理委員会」の許可を得て実施した(承認番号R0236).研究協力は自由意思であり,協力を撤回する権利の保障や個人情報の保護等の説明を文章を用いて説明し,同意を得た.またトランスクリプト内の名前はすべて偽名である.
結果については,以下の法則で表現した.語りの最初に置かれたテーマは語られた行為の背景と文脈を支える構造を明らかにするために規定した概念である.テーマの後には母親の語った言葉をそのままに使用した.これによって規定された概念とデータとのつながりを表現した.(トランスクリプトの「母」は母親を,「研」は研究者を表している)
1. 命の選択と責任の所在―主体の置き去り 1) 「ネグレクトですよ」と言われて母親の語りは,スタッフや子どもと共に過ごす姿からは想像もできないような壮絶な内容からはじまった.
母:2〇と〇日で生まれたんですけど,実際,何か20…….3日か,2日ぐらいのときに.「はい.で,どうしますか」って最初は言われたんだけど,でも,結局,やめようかなと思ったんですけど.あの,(救命しないのは)「ネグレクト」って言われて,私.先生に.20…….
研:え,諦めようと思ったら?
母:あのう,そう,もう2〇週で,えっと,搬送された前(Aクリニック)の先生は「どうしますか」と言われて.で,500,5〇〇グラムで生まれたんですけど.500を扱ってるところが,また違う病院にあって.で,あの,で,ま,何とかなるかもしれないということでこっちの病院(Aクリニック)にいたんですけど,ま,こっちの先生は,「何とか」「早産だからもう何とかなりません」ぐらいだったので.「何とか」みたいなこと言われて,もう障害,目も見えない,耳も聞こえ,そんなふうで,いろいろちょっと言われてたので.でも,この前のところ(紹介先のB医療センター),行ったら.そしたら,また,つ,次の,日…….「ネグレクトですよ」とか言って.で,言われて,ま,結局,それから1日ぐらいしたら,結局,もう下りてきちゃって,もう生まれたんですけどね.もう,そこから,絶対,言えなかった.(p1–2:トランスクリプトページ数)
母親は妊娠20週に入った時に,腹部の違和感から診察を受けた.母親はその診察時にAクリニックの医師から,現時点での出産は子どもに厳しい障害が残ると説明を受けた後に,母子管理目的のため新生児集中治療室(Neonatal Intensive Care Unit:以下NICU)のあるB医療センターに搬送された.母親は搬送当日に,センターの産科医師から出生時に蘇生についての意思確認を受けた.判断をゆだねられた母親は,蘇生しない意思をその医師に伝えたところ「(救命しないのは)ネグレクトですよ」と唐突に非難された.結果として陣痛は止まらず,その翌日には出産となってしまった.
幸せであったはずの妊娠生活は,予想もしなかった早期の陣痛発来と医師の「で,どうしますか」という言葉から暗転しはじめた.この時期の出産が子どもにとって危険なことは大抵の母親は知っているが,それがどういうことかを理解するのはむずかしい.その状況下において「何とかなりません」と医師から告げられたなら,母親が子どもに対して最悪の価値づけを行なったとしてもおかしくない.
つまり母親は,代理意思決定を委ねられながらも医師の差し示した方向へと進んでおり,蘇生しないということは医師と母親間で了解していたはずだった.ところが母親は,医師から「ネグレクト」と予想もしない非難を受けたため「もう,そこから」自身の気持ちを「絶対,言えな(く)」なってしまった.
2) 生かされてかわいそう母親が妊娠継続できないという事実を受け止める間もなく,早急に子どもの命を委ねられることは苦境でしかない.その上,代理意思決定と言いつつも,命の主体である子どもの意思はなく,意思決定の中心を担うはずである母親の意思も尊重されることはなく置き去りにされた.
母:あの,私がもう諦めるって言ってたんですけど.で,でも諦めるということ,また,看護婦さんにも言ってたんですけど.ネグレクトになったとか何かで.で,もし呼吸が止まってて,ま,心臓が止まってたら,ま,呼吸はね,助けないといけないんだけど,心臓が止まってたら,まあ,そのまま逝かせてあげてほしいって言ってあったんですけど,結局,産科の先生は,生まれて,私のところに来て,「心臓止まってるよ」と言って.で,「ああ,やっぱりな」と思って.そしたら,もう小児科のほうは,あの,「〔心拍?〕出てきましたよ」みたいな感じで来て.で,結局,ねえ,「心臓も2○分止まってたんだけど,蘇生できましたから」と言って,何かもう,またここもやりとりがなってなくて.
研:そうですよね.産科とずっとやってたけど,小児科としたら,そりゃ救命という感じで来ますものね,呼ばれたんやったら.
母:そうそうそうそう,そうそうそう,何かそれで,そう.でも,産科の先生は,ま,止まってるからと言って,何か私の意向に,何か沿ったじゃないんだけど,何か……感じでいたんですけど,結局.だから雑っていうか,すごい,こっち(B医療センター)の先生は,まあ,たぶん亡くなるだろうという意を持って,で,ああやっぱりねという感じでね.
研:本当に短い期間の間に,ものすごいこう,大決心を.生む意志以外のものを,動きつつ,させられてる感じですよね.
母:そうですね.だから本当に,だからこの子,生まれてきても,ろう(聞き取れず),じゃなくて,「生かされてかわいそう」という思いがずっとあって.(p4–5)
母親は意思確認をされたときに,「心臓が止まってたら」「そのまま逝かせてあげてほしい」と伝えていた.「結局」子どもは心停止で生まれたと産科医から告げられた.本来であればそれは,子どもが亡くなったという告知であった.しかし,母親が「ああ,やっぱりな」と受け止めつつも,「心臓止まってるよ」と,医師の告知に時間の持続を含ませるのは,子どもが「蘇生」されてしまった未来を先取りつつ,その当時のことを語っているからである.
心停止で生まれた子どもは,母親の意思に従えば「そのまま逝(く)」はずであった.ところが結果として子どもの意思も,母親の意思さえも反映されず,医療者間の「やりとりがなってな(い)」ため蘇生された.
出産時の混迷した状況は,母親の語りの構造も複雑にさせていく.母親の語りはいくつもの「けど」を繰り返したあと,「結局」で受け「心臓止まってるよ」と帰結した.しかし,改めて母親は「で,結局」を重ね,「蘇生できました」に帰結を置き換えた.ただし,母親の本当に言いたい結末は,子どもが助かったということではない.さらに母親は語りを続けていき,「結局」を何層にも積み重ねながら,最終的に「だから」と順接に言葉を変えすべての結果を,「生かされてかわいそう」に接続させた.私は望んでいなかった「だから」,子どもは死んだはずだった「だから」,間違いで蘇生されてしまった「だから」,「生かされてかわいそう」と母親は感じたのである.
母親の子どもへの思いは,憫然としたものだけではない.「何か私の意向に,何か沿ったじゃないんだけど,何か……感じでいたんです」.ここで母親は,だれかに咎められたとは語っていないが,曖昧な「何か」によって責任のすべてを負わされたと語った.一方,医師は「私(母親)の意向」に沿うことによって,患者を助けるという本質的な役割と責任,人の命を選択した良心の呵責から免除されたように語られた.母親は,「何か」曖昧ながらも,強制力をともなう「何か」によってそれらすべてを「私」ひとりに委譲されたと「感じ(た)」.
3) きれい事だけで生きてるね,あの人たち「生かされてかわいそう」と感じていた母親は,生きている子どもの姿に希望を持つことができなかった.目の前の子どもの姿は,医師の「何とかなりません」という言葉によって描いていた障害児の姿そのものだった.
母:看護婦さんたちは「敬君,頑張ってるからね」とか言って.「頑張ってるよね」と言って.頑張ってるんじゃなくて,頑張され,られてる.かわいそうって,見てられない,こんな.つながれて.これだけ頑張っても,目も,想像がつくじゃないですか,寝たきりの想像が.心臓は丈夫だから,ずっとその状態で何年も.かわいそうなことできるんだろうと思って.で,そのときだけしか関わらないから,本当にっていうか,そのね.「きれい事だけで生きてるね,あの人たち」みたいな感じでね.すごく悔しかったですけど,それは言わずに.(敬君)頑張ってねという振りしてました.ずっと1年ぐらい.(p8–9)
母親にとっては「生かされ(た)」この子が「これだけ頑張っても」「寝たきり」の障害者になっていくことが「想像がつく」.子どもは,母親の意思に反し救命され,頑張ることを強制されながらも回復するという形で報われることはない.「何とかなら」ないことを知っているのに,どうして医療者たちはこんな「かわいそうなことできるんだろう」.疑心を抱く母親にとって,NICUの看護師たちの「頑張ってるからね」という励ましは「きれい事」にしか聞こえなかった.
「ずっとその状態で何年も」生かされ続けるだろう子どもの未来を見据えると「寝たきり」の姿へと繋がっていく.その「かわいそう」で「見てられない」姿を「その時だけしか関わらない」医療者たちとは違い,母親は一身に負わされた責任と共に見続けなければならない.母親の意向に沿ったからと,早々に責任を免除された医療者たちは「その時だけ」を見ていればよい.「頑張ってる」と「きれい事だけで生きていける」と感じていた母親は悔しさを募らせていった.ただし母親は,その悔しさを医療者に吐き出すことはなかった.それは1)の引用「絶対,言えなかった」に起因する.母親は,自らの悔しい気持ちを医師たちに明かすことなく,「(敬君)頑張ってねという振り」をして「あの人たち」の望む母親像を1年近く演じ続けた.
2. 虚構と真実との境界線をなくす―主体の取り戻し 1) 「あ,この子頑張ってるんだ」母親は,「ネグレクト」と医師から断罪された経験から,本当の気持ちは覆い隠し,望ましい母親を演じ続けてきた.ところが,「きれい事」にしか見えなかった看護師たちの関りが,少しずつ母親の心に変化をもたらしていった.
母:それももう,何か最後のほう,もう素直に「頑張ってるね」って言われたら,敬君が「あ,この子頑張ってるんだ」って思えたんですけどね.(略)徐々に,まあ,ま,看護婦さん,で,「今日は何とかしたんですよ」と言って,へーって言いながら.で,あと,ここじゃないけど,何かお母さんの日には,こう,何か折り紙で作ったカーネーションみたいなのを,「待ってて,お母さん」みたいな感じで,こうやって持たせてくれたりなんかして,ま,何となく「何かかわいいな,この子」みたいな.(p13)
看護師たちは,子どもと母親との相互作用を高めるように,母の日に折り紙で作った花を子どもに持たせ「待ってて,お母さん」と子どもからのメッセージを母親に伝えた.それは一見すると虚構であるかもしれないが,母親は看護師の創り上げた世界に巻き込まれ,看護師からのメッセージを子どもからのものとして受け止めた.創られた世界で交わされる子どもからのメッセージは,次第に親子独自の母子相互作用を発揮させ,「何かかわいいな,この子」と母親の子どもへの関心を高めさせていった.子どもへの関心の高まりは,偶発的な現象として,「あ,この子頑張ってるんだ」と「この子」の主体が発見されることとなった.
2) 「やっぱり私だといい顔してるのかな」突然の妊娠中断と子どもの命の選択,決定への責任,医療者への不信感を抱き「悔しかった」にも拘わらず母親は本心を覆い隠し医療者の望む母親を演じてきた.一方で子どもは医療によって「生かされ(た)」「かわいそう」な存在でしかなかった.しかし,看護師の創る世界で子どもへの関心を高めていった母親は,次第に目の前の子どもを主体的な存在として見いだしていった.
母:それで,誰もいないと,「ああっ」ていう声を上げて.「今,誰がしゃべった?」って,「敬君?」みたいな感じで,看護婦さんの中でもなってて.何か寂しいと,何か「あっ」て言うみたいで.
研:呼ぶようになってきたんですか.
母:そうなんです.で,今は無視してるんですけど,私のこともあれなんですけど,そのときは誰かが周りにいないとそんな感じで,「やっぱさみしいんだね」というので.うん,たぶん,たぶん,先生,うそついたと思う.うそついたんじゃないけど,そうやって言って喜ばせたんじゃないのかなとか,今,思うんだけど.ま,その,反応も全然なかったし,拘縮も強かったし,目も見えてない状態だったし,全く反応がなかったから.で,看護婦さん,あの,こうね,入れて,手入れてね,抱っこするのも,看護婦さんが抱っこすると,ふーっとして,私,抱っこすると,もうこんなんなってさ,くーってなって,もう大変そうで,もう「この子,私のこと嫌いなんじゃないかな」って思いながら.
研:ああ,なるほどね.
母:そうそうそうそう,「やっぱり,私,要らないよね」とか思いながら.
まあ,やっとですけど.でも,その脳波のときに,何か「お母さんだといい波してる」とか,行くたんびに,私,抱っこしてたんですが,「抱っこされてると,いい顔するね」と言って.私,この顔しか見てなくて,いい顔かどうかわからないぐらいだし,ああ,と思いながらも,みんなが言うので,そうやって,やっぱり私だといい顔してるのかなって,何かそんなふうに.(p32–33)
「全く反応(がない)」はずの子どもが,「誰かが周りにいないと」「声を上げて」呼ぶようになった姿に看護師たちが驚く様子を母親は語った.
ここでは医師が看護師に代わって子どもの世界を創り,母親を招き入れた.医師は,脳波検査という科学的な営みを用い,「お母さんだといい(脳)波してる」と自らが創り上げた世界を真実として根拠づけていく.母親も「うそついたと思う,うそついたんじゃないけど」と虚構と真実の世界を行き来しながらも「やっぱり私だといい顔してるのかな」と子どもの力を喜びと共に受け止める.医師の繰り返される働きかけによって母親は,次第に虚構と真実の境界さえも曖昧にさせていった.子どもの力を真実とした母親は,「いい顔かどうかわからない」と言いつつも「反応がない」とは言わない.子どもが自らの意志で周囲を「無視してる」と徹底して主体的な存在として表現した.
ここは,子どもの見え方が変化していくだけではなく,母親の罪の意識も変化していく語りでもある.母親は,子どもが看護師に抱かれると穏やかになる一方で,「私」だと緊張を強める様子に「私のこと嫌いなんじゃないかな」と感じ,「やっぱり,私,要らないよね」と「私」を否定する.母親は,今の子どもの状態を「私の意向」と全ての責任を負ってきた.子どもの主体の復活は,子どもの様子への捉え方も変わってくる.子どもの主体を取り戻すことは当初,「この子」は「私」のことを「嫌い」なのではないか,と疑念を抱かせ母親を苦しめた.しかし,医師の繰り返される働きかけに「まあ,やっとですけど」と時間を掛けながら「いい顔かどうかわからないぐらい」な子どもの顔が,「やっぱり」「私だといい顔してるのかな」と思えるようになった.
3) 「生きたい,生きたい」子どもの主体を取り戻すことは成功したが,代理意思決定を担った責任や命を選択した良心の呵責から解放されることは難しかった.しかし,子どもの主体の回復は,母親の呵責を和らげる力にもなった.
母:あの,で,で,ちょうど調子が悪くなった頃ぐらいに,〔…〕.もう20年ぐらい会ってないんですけど.〔霊感の強い〕従妹が,うちのお母さんに,で,私,あの,ちっちゃく生まれたということだけは言ってあって,私が.従妹の子どもが,何か「まだ生きたいって言ってる」と言って,まあ,これで,こう(気管切開)やってなくて.何か「お父さん,お母さんに感謝してる」と言って,「ありがとうと言って,て言ってるよと」言って,「生きたい,生きたい」と言ってて.で,「それをお父さんとお母さんに伝えてほしいって,何か言ってるんだけど」と言って.うん.で,「それを優子(母親)に伝えてくれないかな」と言ったときに,そう言ったときに…….ちょうど,その,呼吸ができなくなっちゃってのときだったから.ああ,何か,い,この子,生きたくて,いろんなこと乗り越えてきたんだななんて.で,「生きたい,生きたい」,で,「お母さんと一緒にいたいんだって」とか言って.(p34–35)
20年近くも会っていなかった従妹には,子どもが小さく生まれたとしか伝えていなかった.それにも拘わらず子どもの呼吸状態が悪化し,今後どうするかといった話し合いがもたれはじめたタイミングで電話を寄越し,子どもが「まだ生きたいって言ってる」と「優子に伝えて」と言ってきた.
はじめに母親は,看護師の創る世界に巻き込まれ子どもへの関心を高めていった.子どもからの「お母さん」という呼び掛けは,「悔しさ」とともに一年近く孤立してきた母親の目を子どもに向けさせた.一方,医師はこの世界を科学の力で根拠づけ,虚構であった世界を「嘘ではない」真実の世界へと置き換えていった.そして今度は霊感の強い従妹が判然とした虚構の力を用いながら子どもの言葉を母親に伝えていく.
従妹からの電話は「ちょうど,その,呼吸ができなくなっちゃってのときだったから」,その偶然性が根拠となり,母親に「ああ」と易々と虚構の境界を飛び越えさせ,すべての言葉を真実として受け止めさせた.
母親は最初に子どもを蘇生するかと確認されたときに,呼吸器に「つながれて」何年も「頑張らされて」しまうことは「かわいそう」だから,「このまま逝かせてほしい」と選んだ.それにもかかわらず子どもは蘇生されてしまったため,母親は「生かされてかわいそう」という思いだけは拭い去ることができなかった.その思いは,子どもの主体を見出しながらも「呼吸ができなくなっていた」姿を見つめることによって命への迷いを再燃させた.
しかし,子どもは「生きたい」と願っていた.子ども自らが命を渇望する言葉は「この子,生きたくて,いろんなこと乗り越えてきたんだな」と,間違いで救われた命が,子どもの強い意志によって導かれた命へと変化した.「まだ生きたい」という子どもの意志は,母親の命への迷いを払拭させると同時に,一身に背負ってきた責任を和らげさせた.そして感謝の言葉である.「お母さんに感謝してる」という言葉は,母親が長く抱いてきた良心の呵責を和らげさせた.
母親が語る代理意思決定の経験構造は,大きく二つのテーマに分けられた.一つは「主体の置き去り」,もう一つは「主体の取り戻し」である.
1. 命の選択と責任の所在―「主体の置き去り」について熱田(2017)は,中絶を希望した女性への聞き取りから,医療現場では,胎児は「赤ちゃん」,妊婦は「お母さん」として扱うがゆえに,「医療者は胎児を生命と前提し,妊娠した女性に母性を求め,その求めに応じていないと判断した女性を倫理的に裁いている」と批判する.今回の母親も子どもの蘇生を望まないと発言したために「ネグレクト」と医師から裁かれた.ただし,忘れてはならないのは母親が医師から子どもに重度の障害が残る可能性を伝えられていたということである.重度の障害が残るリスクは,最善の利益を判断することが困難となる要因である(Fanaroff et al., 2014;Bucher et al., 2018).それにもかかわらず断罪された母親は,良心の呵責に苦しんでいた.一方で屈託なく「頑張ってる」と伝えてくる医療者たちの姿は「きれい事だけで生きてる」ように見えたのだろう.母親は,自身の苦しみとは対照的な医療者たちの姿に本心を明かせず,次第に主体さえも覆い隠していったのではないだろうか.
代理意思決定の中心が親にあっても,議論の中心は子どもでなければならないが,語りの中で子どもは存在を宙吊りにされ,医学的所見によって生死が決められる.自身も重症心身障害児の母親である児玉(2019)は,医療者を「生存年数と重い障害だけしかみない」と言及する.同様に医学的所見でカテゴリー化された子どもは主体を奪われ,「生かされてかわいそうな」人となってしまったと推測される.
2. 虚構と真実との境界線をなくす―「主体の取り戻し」について語りは,医療の進歩が代理意思決定をより困難にさせ,その中心となる人たちの主体性を奪っていくことを示唆した.石川(2006)は「誰もが先端医療には非人間的な側面があると感じながら,誰も手をつけることができないまま,その支配に委ねるしかない」と述べる.しかしここでは牽引役とも言える医療者たちが,その非人間性に抗うかのような世界を率先して創り上げ,母親を招き入れる.NICUでは医療者たちが家族の心理的なサポートや愛着形成支援,親役割獲得への重要な役割を担っている(浅井・森,2015).医療者たちは,その方法として子どもの思いや言葉を創り,繰り返し母親へと伝えていく.これもまた熱田の言葉を借りれば,医療者による「お母さん」の押し付けかもしれない.しかし母親は,医療者によって創られた世界に巻き込まれることにより,その場を基盤とし,「この子」の主体と,母親である「私」の主体,どちらも取り戻すことができたのではないだろうか.
ただし,「主体の取り戻し」が行われても,代理意思決定がもたらす親の苦しみは,子どもの状況によって再燃することもある.母親がその苦しみから脱却するのは,従妹によって伝えられた子どもの「生きたい」という言葉であった.さまざまな代弁者によって創られてきた子どもの言葉は,母親のその時々の経験のなかで次第に事実と接続し,疑いようのない子どもの意志となっていった.母親は生きていることが,子ども自身の意志だったと気づくことによって,語りに一貫して沈潜していた「生」への疑念を払拭することができたと考えられる.
看護への示唆我が子のために行う代理意思決定の苦悩は激しく,容易に再燃するほど強固であり,かつ医療者たちに明かすことが困難であった.この状況がすべての母親によって経験されているとは言えないが,医療者たちは親の言動に頼ることなく内実に関心を持ち続けることが大切である.また,子どもの支援と母親の支援は別のものとして取り組まなければならず,「お母さん」というラベリングは,時に母親の傷つきを大きくするということは,この語りから得た重要な示唆である.子どもの健やかな成長を願うばかりに母性を絶対視することは,母親からの支援要請を断絶する危険性があることは知っておかなければならない.一方で,母親からの要請を断絶させていた支援が,結果的に母親の心を癒すきっかけになったことも重要な気づきである.つまり,医療者は「お母さん」を前提とする関わりではなく,母親自らが「お母さん」であることを喜びとして受け入れられるように,個々の視点に沿った丁寧な関わりをすることが重要になるということである.
研究の限界と今後の課題この研究は一人の母親が語る経験を分析したものに過ぎず,一般化することはできない.ただし,経験の「意味の内実」を可視化するためには一人ひとりの語りに耳を傾けることが必要であった.医療者は人の経験を理解できる限界を引き受けつつも,答えの出ない問題に立ち向かう人々と共に在るために,それぞれの経験に向き合い続けることが必要であろう.
謝辞:本研究にご協力いただきました,研究参加者のお母様に深謝いたします.また,分析へのご指導をいただいた大阪大学大学院の村上靖彦先生に心から感謝いたします.なお,本研究は2014年度(後期一般)公益財団法人勇美財団「在宅医療研究への助成」によって行われた.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.