Journal of Japan Academy of Nursing Science
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The Experience of People following their Subarachnoid Hemorrhage (Grade I & II) during One Year from Onset: To gain recovery by awareness of one’s body
Miho Takeyama
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2022 Volume 42 Pages 889-898

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Abstract

目的:本研究は,grade I~IIのSAHと診断された人の発症後1年間の経時的な体験について明らかにすることを目的とした.

方法:研究デザインは,Van Manen(1990/2011)の現象学的研究方法に基づく質的記述的研究である.非構成的インタビューは,研究参加者の入院中および退院約1か月後,3か月後,6か月後,1年後の外来受診などの通院日に合わせて一人につき計5回実施した.

結果:grade I~IIのSAHの人は,予期しない出来事に振り回され,いつ何時どうなるかわからない状況に苦悩していた.その中で,自分のからだを試しながら,からだを捉え直し,回復の実感をつかみ,考え方を変化させ「慎重に生きる」方法を確立していたが,そこには多くの困難を伴い努力を必要としていた.

結論:看護師は,このような体験をしている人たちが自分のからだを捉え直し,回復の実感をつかんでいけるよう支援をしていく必要性が示唆された.

Translated Abstract

Objectives: This research will focus on people diagnosed with SAH of grade I & II, and I will clarify, in a longitudinal way, their experiences upon returning to society during the year after onset.

Methods: The research design used the phenomenological study method of Van Manen (1990/2011). The interviews were conducted five times including during hospitalization, one month after discharge, three months, six months, and one year after discharge.

Results: People with grade I & II SAH were found to have difficulties and suffered a great deal. There are two reasons for this: “Being influenced by unexpected events” and “That they do not know where and when something will happen”. Each of them gradually tested their body and tried to re-examine the capability of the body. As a result, they gained a sense of recovery. Since the process involves many difficulties and suffering, the presence of a person who continuously supports them is necessary.

Discussion: In order to facilitate their recovery, it is suggested that nurses, whose job it is to support health and living, will play an important role.

Ⅰ. はじめに

世界の発生頻度に比べ日本人の発生頻度が非常に高いくも膜下出血(subarachnoid hemorrhage:以下SAH)は,脳動脈瘤の破裂によって起こり,他の脳卒中に比べて致死性が高く,働き盛りの壮年期に好発する(久保・小笠原,2015Rooij et al., 2007高野・長田,2015).一般的に1/3は即死し,1/3は重度の障害が残り,1/3は社会復帰が可能とされる疾患である.重症度を決める分類の一つには,入院時神経学的重症度(WFNS分類)が用いられ,grade III以上の場合,重症度や倫理的な問題から質的研究の対象外となることが多いものの,入院時からの支援体制が充実している現状がある.grade I~IIの人は,本邦においてSAHのうち約半数にあたり,麻痺や高次脳機能障害の合併が少なく転帰が良好で(井川,2015),今後の医療進歩によりその割合が増えることが予想される.しかし,転帰良好とされるgrade I~IIのSAHの人でさえも,一時的に認知機能の低下が見られ,概ね1年程度で改善することが示唆されているが,社会活動や就労については難しくQOLの低下が指摘されている(Hop et al., 1998北原ら,1996守山ら,1997Powell et al., 2004Quinn et al., 2014).つまり,grade I~IIのSAHの人は,発症後1年間の回復に困難を伴うことが予想される.

しかしながら,現制度では麻痺による生活の支障がなく高次脳機能障害と診断されない場合は公的な支援を受けることが難しい状況である(今橋,2012白山,2014).そのため,発症後から継続的に関与可能な看護師は,早期から健康と生活に焦点を当てた支援を行っていく必要がある.ところが,支援する側の看護師は,SAHの人に特化した退院後の生活がイメージできず,ニーズを捉えて支援することが難しいことが明らかになっている(Hedlund et al., 2007).

有効な支援が十分に行われない理由には,grade I~IIのSAHの人が回復するために重要な1年という期間内における経時的で主観的な当事者の体験に焦点が当てられてこなかったことが一因として考えられる.そこで,本研究では,grade I~IIのSAHと診断された人の発症後1年間の経時的な体験について明らかにしていくことを目的とした.それにより,当事者の体験に則し,急性期から退院後の生活を見据えた看護支援を提供する一助となると考える.

Ⅱ. 研究方法

1. 研究デザイン

本研究は,Van Manen(1990/2011)の現象学的研究方法を用いた研究デザインである.Van Manen(1990/2011)の研究方法は,事実性・相違点には目を向けず,当事者の生きられた経験そのもの,具体的な語りを重視していく方法である.また,体験の本質となる意味をつかむために研究者が当事者の体験について繰り返し能動的に意識を向けることが重要であるとし,本研究の当事者の体験を明らかにする上で最も適した方法と考え,この研究方法を選択した.

2. データ収集方法と研究参加者

データ収集は,脳卒中急性期医療機関で,専門医がいるX病院・Y病院へ研究協力を依頼し,2016年11月末日から2018年8月末日まで実施した.

研究参加者は,入院時神経学的重症度(WFNS分類)がgrade II以下で,手術を受け,コミュニケーションが可能な方を条件とした.その上で,インタビューが可能な病状であると医師が判断・許可した方で,同意の得られた6名に非構成的インタビューを実施した.インタビューは,研究参加者の入院中および退院約1か月後,3か月後,6か月後,1年後の外来受診などの通院日に合わせて,一人につき計5回(1回あたり30~45分程度の時間で)実施した.

3. 分析方法

本研究では,Van Manen(1990/2011)の現象学的研究方法を使用し,次のような分析方法を実施した.

全体の語りを通して現れる特徴的な体験を捉えるとともに,体験を特徴的に示しているフレーズあるいは文のまとまりごとにも注目し「空間性」「身体性」「時間性」「関係性」の視点で「その体験はどのようなものか?」「何を意味しているか?」を明らかにした.明らかになった体験の特徴について,テキストと何度も行ったり来たりしながら本質となるテーマを特定した.ただし,参加者の発した言葉が体験の本質を表す場合,解釈をふまえた上で参加者の言葉をそのまま使用した場合もある.また,モチーフは,テーマをもとにテキスト・フレーズを注意深く読み直し,1年間の体験を通して明らかとなったものとして表現した.研究者が特定したテーマについて,研究参加者との面接を通して確認し,これらのプロセスを通してテーマの底流にある体験のモチーフを決定した.さらに,分析過程では,より深い洞察や理解を生み出し,データの信頼性や妥当性を確保するため指導教員によるスーパービジョンを受けた.

なお,本研究で用いるテーマとモチーフは,Van Manen(1990/2011)の記述をもとに,次のように捉え使用した.テーマとは,生きられた体験の本質・意味・核であり,研究参加者の語りをもとに研究者の解釈から導き出したものである.また,モチーフとは,テーマを総体的にみて,研究参加者の1年間の体験を包含するような中心的な意味を表すものとして本研究に用いた.

4. 倫理的配慮

本研究は,日本赤十字看護大学の研究倫理審査委員会の承認を得たのち(承認番号:2016-69,2017-11),研究協力施設であるX病院の臨床研究倫理委員会の承認(承認番号:741)ならびにY病院の倫理委員会の承認(承認番号:迅-8)を受けて実施した.特に,参加者の体調に配慮し,万が一の体調不良に備え,事前に医師に対応を依頼した上で実施した.なお,カルテの閲覧は行わないこととした.

Ⅲ. 結果

1. 研究参加者の概要

研究参加者の概要は表1に示す通りである.本研究の参加者は,女性3名,男性3名であった.発症日からインタビューまでの平均日数は,1回目20日,2回目51日,3回目122.4日,4回目220日,5回目372日であった.全体のインタビュー平均時間は39.4分,合計1091.7分であった.

表1  研究参加者の概要
研究参加者 年齢 性別 SAHの部位 術式* インタビュー日数と時間
上段:インタビュー日数(発症後日数)
下段:インタビュー時間(分)
1回目 2回目 3回目 4回目 5回目
A氏 70代前半 女性 右内頸動脈-後交通動脈分岐部 Coil 18 50 106 185 334
45.5 43 42.2 42.7 64.5
B氏 70代前半 男性 前大脳動脈 Clip 16 52 150 184 380
34.5 33.4 28.3 36.2 46.4
C氏 50代前半 男性 両側内頸動脈-後交通動脈分岐部 Coil 18 228 349
40.07 46.3 48.45
D氏 40代後半 男性 左内頸動脈 Coil 18 41 160 293 387
30 32.05 22.34 19.25 45.35
E氏 60代前半 女性 中大脳動脈 Coil 18 51 86 229 394
28 34.3 32.2 29.5 59.5
F氏 50代前半 女性 左内頸前脈絡叢動脈 Coil 32 61 110 201 388
44.25 30.03 37.4 40.56 54.45

* 術式の略語について,Coilはコイリング術,Clipはクリッピング術を指す

なお,C氏は遠方に在住のため定期的な外来受診ではなく,C氏の外来受診に合わせて退院後4回目・5回目のインタビューを実施した.

2. くも膜下出血と診断された人の発症後1年間の体験

6名の研究参加者の発症後1年間の体験については表2に示す.ここでは,より特徴的な語りが得られたA氏・C氏の体験について記述する.なお,他4名の参加者のテーマ・モチーフに至った背景について簡単に示す.B氏は他の疾患の治療中にSAHを発症し,同年代に同じ病で他界した両親と自分を重ね合わせて過ごしていた.働き盛りのD氏は,がむしゃらに働いていた生活から一変し,これまでの考えや生活を改めていた.E氏は定期検査にて動脈瘤の悪化がわかったものの,再治療を行えば確実に麻痺が出現するため,再治療ができない中で1年を過ごしていた.二人のお子さんがいるF氏は「家族を残して死ねない」という思いと再治療が必要な残った動脈瘤の存在が中心となっていた.

表2  研究参加者の発症後1年間の体験
A氏 【見えないものに振り回されないようになる】
〈突然の死をもたらしかねない 「見えない病気」に振り回される〉
〈回復の感覚をつかみつつ,病を頭の片隅に置きながら注意して生活できるようになる〉
〈見た目にはわからない病気になったことで友人を選択し大切な人には心を込める〉
B氏 【病いと年齢を重ね,最善を尽くして生きていく覚悟ができる】
〈何が起こるかわからない中で目の前の最善に向き合っていく〉
〈身辺整理を実行したことで最善を尽くして生きていく覚悟ができる〉
C氏 【万が一を想定し,からだの感覚を重視しながら生きていく】
〈脳内にコイルがあると,若干の「違和感」でも不安になる〉
〈思考回路と身体が動くとわかってきた中でも「万が一」の危機感を持ち続ける〉
〈たくさんの人に再会し「万が一」は自分だけではないと実感する〉
D氏 【脳内の人工物に意識を向け,この先の時間を捉える】
〈脳内の人工物は壊れやすいイメージで安心できず脳への負担に敏感になる〉
〈SAHになったことは仕事や生活を改め負担を軽減する良いトリガー〉
〈1年間安定していたことで長期間の見通しが持てる〉
E氏 【くも膜下出血になった後の自分の状態を普通と捉え,慣れていく】
〈頭痛の再燃・麻痺やしびれ・極度の疲労があっても外見上わからない辛さがある〉
〈予期しない出来事によって回復の実感が打ち消される〉
〈病気をもった自分の状態に慣れ,今できる範囲で生活していく〉
F氏 【再破裂の恐怖から自分への警鐘として残った動脈瘤を位置づける】
〈頭痛や身体的不調によって再破裂の恐怖がつきまとう〉
〈元気になってきた一方で,残った動脈瘤への不安がいつも頭の片隅にある〉
〈残った動脈瘤についてあまり意識しなくなる中で頭痛が警鐘になる〉

*【 】は研究参加者のモチーフであり,〈 〉はテーマとして示す.

本文中では,研究参加者の語りは斜体または「 」で示す.本文中の強調部分は『 』で示し,参加者の語りと区別して扱う.また,本文中の参加者のモチーフについては【 】およびゴシック体で示し,テーマについては〈 〉で示す.

1) A氏の体験:【見えないものに振り回されないようになる】

A氏は70代前半の女性で,長年専業主婦として家庭を守ってきた.以下は,A氏のテーマをもとにした1年間の体験の詳細を記述していく.

(1) 〈突然の死をもたらしかねない「見えない病気」に振り回される〉

発症時の様子についてA氏は「時が,パァンと無くなる」と話し,前触れなく一瞬にしてそれまでの生活や時間の流れから分断された様子を表した.また,即死もありえるSAHという病気について,A氏の中では発症直後から『見えない病気』という認識があり,以下のような思いを持ち続けることにつながっていた.「血圧がずっと高くなり続けたら怖いなって.また脳の方に,なんかあったら嫌だな,とかって.」「血圧も,脳の方も目に見えないじゃないですか.だからそれをブロックしていくっていうのは,結構難しい話なんですよ.

A氏には2つの動脈瘤が残存していることから,血圧上昇に伴う再破裂による突然死の危険性が高いと感じられていた.A氏は,少しでも予兆を捉え注意しようとするものの,再破裂に影響する高血圧は,感覚的に自覚することが難しく,測定しなければ目に見えてわからない.それゆえ,A氏にとって残った動脈瘤や血圧は『見えない』ものとして捉えられ,「私の場合は,破裂が起きたらもう終わり」と話すように,突然の死をもたらしかねない恐怖の対象となっていた.その結果,退院後のA氏の生活は次のようになっていた.「何か動いた時は必ず血圧を計るようにはしてるんですけれどもね.朝起きた時と,寝る時,昼間も2回ぐらい…あとご飯の後とかお風呂に入る前とか」「血圧でこう,一日を見張るっていう感じ」「血圧中心の生活」「血圧に振り回されてるな…

発症後1か月頃のA氏は,心身に少しでも負荷がある際には必ず血圧を測定し状態を確かめていた.脳の中も血圧もその変化が捉え難く『見えない』ことで,どこまで行動してよいか・悪化しているのかわからず,死に直結する再破裂を予防・注意していく難しさを表していた.そのため,再破裂を予防しようと血圧中心の生活になり『見えない病気』に振り回される状態になっていた.

(2) 〈回復の感覚をつかみつつ,病を頭の片隅に置きながら注意して生活できるようになる〉

退院後の血圧中心の生活は,発症前からの日課である散歩を通じて徐々に元気になっていく感覚をつかみ,次のように変化していった.「(退院当初は)雲をつかむような歩き方をしてたんだと思う」「土と足がしっかりと大地につくような感じ」「日常生活で何回も歩くようになって一つ一つ元気になった

発症後3か月頃より早足で歩けることなどの足の感覚から回復の実感を得ていた.歩けるようになることで「友達と食事に会ったり美術館に行ったり」と話し,外出や友人との再会の機会を増やしていた.さらに,A氏が周囲の人へ目を向けることで,次の考えにつながっていた.「周りを見ると私の年齢の人は,みんな気をつけながら歩いてるんですよ」「100%ってことは無いじゃないですか,人間の体って.」「いつでも頭の中には,100%じゃなくって,10%ぐらいは気をつけなきゃいけないって思って…」「そのためには血圧と減塩かな

発症後6か月頃よりA氏が周囲の人にも目を向けることで,仲の良い同年代の友人も,何かしら健康に注意していることを知った.そして,「(SAHに)なってしまってから,自分がどう生きるかっていう方が大事なのかな」とも話し,残った動脈瘤を抱えながら生きる方向へと目が向けられるようになっていった.さらに,以前は生活の全てが病気中心で,血圧に振り回され危機感の高い状態から『10%』程度の割合で病を頭の片隅に置きながら注意して生きていくための方策の一つとして血圧を位置づけ,病気に振り回されないようになっていた.

(3) 〈見た目にわからない病気になったことで友人を選択し大切な人には心を込める〉

発症後3か月の頃より徐々に体調も回復し,友人との付き合いが再開していたA氏は,SAHにより友人との関係性に変化が起こっていた.「「くも膜下出血やっちゃってね!」とかって,言える人と言えない人がいるんで.好意的に言われるのと言われないっていうのがあるから」「必ず脳の病気をやると後遺症が出てきて,一番最初に会った友人は,後遺症があると思って見るみたいですよ.」「友人に「どこも何もないじゃない」とかって言われたりするんですよね!

A氏は再会した友人の言葉から『脳の病気をした人』『後遺症を持った存在』として好意的に見られていないことを感じ取っていた.また,見た目に「何もない」と判断されることで,神経を張りつめ「血圧に振り回されている」とまで感じていたA氏の辛い状況は理解されない様子を示していた.この出来事は,A氏の考えを次のように変化させた.「病気になってみないと,病気になった人の心がわからないっていうっていうのが,自分が体験してよくわかりましたし.自分もその同じその土俵に居ますから.」「私もたぶん,病気の方に「大丈夫よ」とか,うかつには言えないな,と思って.「しっかりと治療して」って,言葉が違ってきますよね.」「ちょっとしたことで「あぁ,これが最期にならないように大事にしよう」とかって思うような,心がプラスになっ…てきた.

『見えない病気』になりA氏自身が病気の人の世界に入ったことで「友人を選択していって,好きな人とはお互いに理解し合える」と話し,友人関係の持ち方について意識を変化させ,見た目やレッテルで判断する友人との関係にも振り回されないようになっていた.さらに,自分が大切にしたいと思う家族や友人に対して心を込めた丁寧な対応をするようになっていた.根底に次のような考えがあることを語った.「元気に帰していただいたっていう,自分のラッキーさっていうんですか? 1年間元気で…普通どおりの生活できた…だけど!明日はわからないって私は思ってるんです.そんな感じは,いつも持ってますから.あの…大事にして,大事にして….

発症後1年を経過したことで「ラッキーさ」を実感できる一方,残った動脈瘤の存在によって将来の『見えない』不確かさがあることを意味していた.将来の不確かさがあっても目の前にある人間関係や時間・生活を大事にしていこうと【見えないものに振り回されないようになる】様子を表していた.

2) C氏の体験:【万が一を想定し,からだの感覚を重視しながら生きていく】

C氏は50代前半の男性で,自営業の傍ら趣味で音楽活動をおこなっていた.以下は,C氏のテーマをもとにした1年間の体験の詳細である.

(1) 〈脳内にコイルがあると,若干の「違和感」でも不安になる〉

C氏は振り返って考えた時,SAHを発症してからの思いについて,次のように表現した.「(発症時は)ちょっとこれはただ事じゃないなぁっていう感じ」「(からだの)中で,血がうわぁぁって噴き出してるようなイメージ」「からだが初めて体験してるじゃないですか,病気って.だから,今までの,普通の行動をとるのに,違和感が若干ある…っていうことが不安なわけですよね.

C氏は発症時の体験から命の危険を『からだ』から察知していた.その結果,『からだ』を主語にして語り,『からだ』の『違和感』に注意深く意識が向けられている様子を表していた.さらに,術後から出現した『違和感』として次のように詳細に語った.「例えば物事考えるにしても,まだ怖いから,うわべだけの考えっていうか」「(細かく考えると)脳が熱くなってくるかなって思っちゃう」「やっぱ…話するのがしんどいというか.(話の)スピードについていけないというか.解釈ができないというか….それで自然とシャットアウトする.

入院中のC氏は,細かく考えることは動脈瘤の破裂によって損傷をおった脳に,さらなる負担を与えかねないこととして感じられていた.そして,SAHの発症により『思考する』という複雑な脳の活動が難しい状態として『思考の違和感』を詳細に感じ,『からだ』からの自然な反応として受け付けない様子を表していた.さらに『違和感』は思考だけではなかった.「こんだけしんどいと,もしかして病院に行った方が良いのかなと思って.一回電話したことがあって.あんま関係ないみたいなんですよねぇ.脳と関係ないっぽいんで.」「でもそうは言いながらも,やっぱ…だるいわけだから,からだが.」「きっと…良くないことが起きてるのかもしれないな,とかいろんなこと想像してしまう.

身体のしんどさに耐えかねて病院に相談するものの「脳とは関係ない」と対応されることで,どうにも対処のしようがない状況となっていた.その結果,C氏は思考と身体の『違和感』の原因について,他のものへと意識が向けられるようになっていた.「だからそれ(からだのだるさ)はきっと…タバコのせいなのかなぁとかって思っちゃったりとか.」「それが結構ヤバいのかもしれない,とか.何かしらすごい影響が,あるとか

C氏はタバコを吸うことが『違和感』の原因であり,命の危険をもたらす可能性があるという考えから「俺は相当いけないことをしてるんだっていう気持ちになる」と話した.加えて『からだの違和感』の原因には,次のような考えが根底にあった.「なんかしら…あるんだろうなって思う訳ですよね.直接開頭してないけれど,血管の中にコイルを置いてるわけだし.少なからずや,触ってるわけだから.なんかしら,からだの中で…起きてるだろうかなぁと思って.

SAHの治療のために脳血管内にコイルが詰められており,C氏にとってはコイルが原因で「なにかしら起きている」と想像し,それが『違和感』に結びついていた.しかしながら,医学的には関係ないと言われ,『違和感』との因果関係がはっきりとせず,危機感が拭い去れないからこそ思考と身体からの信号に感覚を研ぎ澄ませ『からだ』の感覚を重視することにつながっていた.

(2) 〈思考回路と身体が動くとわかってきた中でも「万が一」の危機感を持ち続ける〉

発症後1~7か月の間,思考と身体の『違和感』から強い危機感があったC氏は,次のように対応していた.「あえて考えないようにしてるってだけなんだけど.細かい…配慮っていうのは,ちょっと自分の中から,置いとこうかなって思ってる.」「自分がそこまでの体力が戻ってないような気がするなって.ちょっととりあえずは,スローペースで,行こうっていうことで.

思考と身体の『違和感』がある状態の自分をふまえた上で,思考と身体に負担のない方法を実行していた.その後,発症後7か月以降の語りでは,次第に変化がみられていた.「まぁ,時間が経つにつれて…思考回路が動くようになった,というか」「からだが使うことが多くなってきて,それに慣れてきたってことになるんじゃないかなぁ.」「動いてると,調子よくなってくるから

発症後約1年のC氏は,思考と身体に負担のない生活を送ることと時間の経過に伴って回復傾向にあることを実感していた.一方で,自ら命を脅かす行為として捉えられていたタバコについては,次のようになっていた.「(最初は)「絶対に吸っちゃいけないもんだ」って恐怖観念に駆られていて.葛藤があったけど.…意外と吸ってみると普通だったりとかして.

SAH後タバコを吸うことは,自ら命を脅かす行為として恐怖や葛藤を感じていたものの,タバコを試すことで自らを『普通』の存在として捉えられるようになっていた.回復の感覚を得られること,『普通』を意識するようになったことで,継続している『違和感』についても次のように変化していた.「前は,ホント「何かしら原因があるんじゃないか」って思うんだけど…今そんなに,思うほどではないなって」「そんなには,意識するほどでもなくなってきた.

発症後1年を経過したC氏は,回復に伴って『からだ』からの感覚を敏感に感じ取ろうとする意識が薄くなり,常に危機感があった状態から少し距離を置くことができるようになっていた.しかしながら『からだ』の感覚を重視することがなくなったわけではなかった.「自分のからだの中に,自分のからだ以外のもの(コイル)が,入ってるっていうのは「なんかしらが起きることは想定しながら生きていくしかないな」っていうのは,思ってますけどね,うん.「あんま無茶をしないように,だから生きていくしかないな」って.

脳内にコイルがあることで自分が『何かしら起こる』存在として捉えられ,1年を経過した先の時間についても,再破裂を予防しながら生きていくために『からだ』の感覚を重視し続けていた.

(3) 〈たくさんの人に再会し「万が一」は自分だけではないと実感する〉

C氏にとって,発症前から趣味で行っていた音楽活動を通した人間関係が,退院後にC氏にさまざまな思いをもたらしていた.「いろんな人に会いましたかね.まぁ…会ってみて…やっぱ,「みんな…健康を気にしながら生きてんだなぁ」みたいなことは,感じましたけど.」「元気なうちに会わなきゃいかんな,と思って.もし,万が一…自分だけじゃなくて.他の人のね,あの,年齢は同じくらい歳は取ってるわけだから.ま「いなくなってくるのかも」なんて.

C氏は発症後約1年を経過するまでに音楽活動で知り合った人達に再会することで,健康を害したバンドメンバー達を目の当たりにしていた.そして『万が一』という考えが自分だけではなく他の人にも共通することと意味づけ,危機感の強かった状態が和らぎ,病気よりも健康へと目が向けられるきっかけとなっていた.そして「「ありがたいと思って…生きなきゃなぁ」とは,思ってますけどね.うん.」と語った.発症後約1年を経過するC氏は,感謝の念を抱き周囲の人との関係性やこれからの時間も視野に入れ【万が一を想定し,からだの感覚を重視しながら生きていく】ことにつながっていた.

Ⅳ. 考察

1. いつ何時どうなるかわからないということ

grade I~IIのSAHと診断された人の1年間の体験で,重視した一つに『時間性』がある.なぜなら,A氏が「パッと時がなくなる」と表すように,参加者の人たちは突然の脳動脈瘤の破裂により,一瞬で死に直面させられるという体験をしていたからだと言える.その強烈な出来事によって,ほとんど全ての参加者が長期間にわたって『再破裂=死への不安』がなくならないことを示していた.それは,動脈瘤の破裂が原因で起こる他の疾患にもみられていた.退院後6か月までの胸部大動脈瘤術後患者の回復過程について縦断的に調査した三浦(2010)は,『命を取り留めた幸運さと時限爆弾を抱え続ける不運さに揺れ動く』様子を明らかにしており,この結果はSAHの人たちにも共通すると考える.

しかしながら,1年間の体験を追った本研究では,1年の時間経過がもつ意味について次のことが明らかとなった.grade I~IIのSAHの人たちは危機感・切迫感・恐怖心を抱きながらも,1年間無事だったことで長期間の見通しが持てるようになったと考える.ただ,1年という時間経過だけでは,十分な安心感を得ていないことも明らかとなった.A氏は「1年間元気で生活できた…だけど!明日はわからないって私は思ってるんです」と話すことから,1年という期間はひと区切りであって,むしろこれから先も長期間意識し続けていくことを示していた.つまり,grade I~IIのSAHの人たちは,時間に対する切迫感を長期間持ち続けているという『時間性』を体験している人たちだと言える.

2. 予期しない出来事に振り回されるということ

grade I~IIのSAHと診断された人たちは,『からだ』への意識の向け方が独特であることが挙げられる.それは,特に『思考の違和感』という体験に現れていた.C氏の語りにあるように,普段意識しなくてもできる複雑な脳の働きについて『違和感』があるからこそ詳細に意識が向けられていることが明らかになった.だからといって,それが良いわけではない.SAHの人たちは『思考する』こと自体が負担となっていたからである.それらの出来事は,軽症で済んだはずのgrade I~IIのSAHの人たちにとって『予期しない出来事』であったと考える.

『予期しない出来事』は身体にも起こっていた.特徴的だったことは『医学的には問題ないとされる不調』が挙げられる.それにより『自分の感覚があてにならない』ばかりか,再破裂を予防しているはずの脳内のコイルでさえも不調の原因と感じられるほど,再破裂や悪化を予防するための拠り所がないことを表しており,それもまた『予期しない出来事』であったと考える.

さらに,本研究の結果から,grade I~IIのSAHの人たちにとって動脈瘤や血圧は悪化の兆候が『見えない・感じられない』ために,何に注意してよいかわからず,生活そのものが振り回され萎縮していることが明らかとなった.それは,先行研究によってQOLの低下が指摘されている(Passier et al., 2013),その具体的な内容について本研究の結果から指し示すことができたと考える.

3. 自分のからだがわかってくるということ

grade I~IIのSAHの人たちは『予期しない出来事』に見舞われても拠り所にしたのは自分自身の『からだ』であった.参加者は早期から『からだ』を中心にして行動を伴わせる傾向にあった.それは,再破裂しないように異常をいち早く感じようと『からだ』の捉え方が研ぎ澄まされていたからであった.次第に元々の生活習慣を再開することを通じて,からだを試しながら自分の状態を確かめるという『自分のからだがわかってくる』体験になっていったと言える.

このことは,Merleau-Ponty(1945/1982)のいう『習慣的身体』にあてはまると考える.Merleau-Pontyは,人間の意識・精神よりも前に人間の身体が存在し,慣れ親しんだ自然な身体の感覚・運動によって『身体で理解する』ことができるとしている.SAHの人たちは,慣れ親しんだ生活習慣に合わせてからだを動かすことを通じて,SAH後の変化したからだの感覚を捉え直そうとしていたと考える.そして,習慣を基に自分のからだを試しながら回復の実感を得ていたと言える.さらにC氏は,思考する力が弱っていながら違和感について考えており,それはより集中的に自分のからだへと意識を向けていたことを表している.からだへ意識を向けるからこそ,時に思考する力を休ませる等の方法を取りながら,自分のからだを回復へと導いていく重要な過程であったと考える.

また,参加者は『自分のからだがわかってくる』過程を通して,当初は死をもたらす恐怖の対象だった脳内のコイルや動脈瘤,SAHという病気について,良いトリガー(D氏),自分への警鐘(F氏),SAH後の自分の状態を普通と捉える(E氏)として変化させた.このことは『リカバリー』という考え方に共通する.リカバリーとは,ただ単に病気が治ることや元の状態に戻ることではなく,疾病や症状の有無にかかわらず,人生の新しい意味と目的を創り出すこととされる(Anthony, 1993).参加者の人たちもまた動脈瘤やSAHという病気について捉え方を変化させ,それまでの生き方・価値観・大切な人との関係が基盤となって『生きていく』方向へと考えられるようになったと言える.すなわちそれはgrade I~IIのSAHの人たちのリカバリーであり力強さだと考える.

つまり,grade I~IIのSAHの人たちが『自分のからだがわかってくること』として病気を持った自分のからだを捉え直すことは,SAH後の自分のからだで『生きていく』力強さであり,回復するための非常に重要な体験だと言える.

4. 万が一は自分だけではないということ

SAHの人たちにとって,周囲の人との関係性と1年の時間経過は重要な意味を持っていた.周囲の人との関係性は,時に偏見を持たれ理解を得にくいことで,人間関係の持ち方を変えざるを得ない状況にあった.一方で,時間が経つにつれ周囲の人へ目を向けることが回復のきっかけとなっていた.周りの人に目を向け『万が一の状況は自分だけではない』と考えられるようになったことは,SAHという病気を特別視しなくなり,病気を持った自分の状態を捉え直す重要なきっかけになっていたと考える.

加えて,発症後1年を経過した事実は,grade I~IIのSAHの人たちにとって数少ない確信の持てる結果であり『いつ何時どうなるかわからない』状態から回復し,その先の未来を見通せるようになるための救いになっていたと考える.Merleau-Ponty(1945/1974)は,『いま』は過去と未来の両方を含むことであり,出来事が独立して起きているわけではなく互いに関連し合っていると述べている.SAHの人たちが『いつ何時どうなるかわからない』ことに始まり『自分のからだがわかってくる』体験は,1年の中で関連し合い全て意味を持つものであり,長期間の見通しを持てる重要な過程だと考える.ただ,『いつ何時どうなるかわからない』ことに変わりはない.だからこそ,参加者の人たちがつかみ取った手段として『無理をしない・慎重に生きる』方法を確立したと言える.

5. 看護への示唆

これまで,grade I~IIのSAHの人たちへの看護支援は,焦点が当てられてこなかった経緯がある.しかし,本研究の結果により看護支援が必要な人達であると言える.特に,重要な点として『医学的には問題ないとされる不調』によって,SAHの人たちが頼るべき存在が非常に乏しいということである.grade I~IIのSAHの人たちの不調は,医学的にはどうにもならない.そして,死への不安から生きていく方向へ目を向けられる際には,それまでの生き方,価値観,大切な人との関係性が重要な基盤となっていることが明らかとなった.だからこそ,健康や生活,価値観を大切にしながらケアできる看護師が,SAHの人たちを支える重要な存在としてその役割を発揮していくことが必要だと考える.

さらに,grade I~IIのSAHの人たちは『思考の違和感』を持ち,周りから理解されづらいことが明らかとなった.それゆえ,ケアにあたる看護師は,軽症とされるSAHの人であっても,考えることへの負担を理解した上で,周囲の人の協力を得る支援が可能と考える.また,いずれ落ち着く可能性を伝えることで『無理をしない・慎重に生きる』方法を導くための重要な支援になると考える.

grade I~IIのSAHの人たちが回復し社会に戻っていく際の1年間の体験を経時的に追った本研究結果は,体験に則した看護支援を検討するための重要な知見となると考える.一方で,生涯にわたる支援をしていくためには,より長期間にわたる体験にも焦点を当て看護支援を検討していく必要があると考える.

Ⅴ. 結論

grade I~IIのSAHと診断された人は,軽症であるがゆえに焦点が当てられてこなかった.grade I~IIのSAHの人は,予期しない出来事に振り回され,いつ何時どうなるかわからない状況に苦悩していた.その中でも,自分のからだを試しながら,からだを捉え直し,回復の感覚をつかんでいった.そして,周囲の人へ目を向け『万が一』は自分だけではないと気づくこと,1年間の時間を経過したことをきっかけに『無理をしない・慎重に生きる』方法を確立し回復していった.その過程には,多くの困難を伴い努力を必要としていたため,継続的に支援する人の存在が必要である.看護師は,そのような人たちの回復の促進について重要な役割を担っており,grade I~IIのSAHの人たちが,自分のからだを捉え直し,回復の実感をつかんでいけるよう支援していく必要がある.

付記:本研究は日本赤十字看護大学大学院博士後期課程における博士論文を加筆修正したもので,一部を第39回日本看護科学学会で発表したものである.

謝辞:本研究の実施にあたり,長期間ご協力いただきました研究参加者の方々および研究協力施設の皆さまに心より御礼申し上げます.また,論文作成にあたり,ご指導いただいた日本赤十字看護大学大学院の指導教授である本庄恵子先生・諸先生方,大学院生の皆様に深く感謝申し上げます.なお,本研究は,平成29年度日本赤十字学園教育・研究及び奨学金基金ならびに平成30年度日本赤十字看護大学松下清子記念研究事業による助成を受け実施した.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

文献
 
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