Journal of Japan Academy of Nursing Science
Online ISSN : 2185-8888
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ISSN-L : 0287-5330
Material
Meaning of Nursing Care for Patients with Terminal-stage Cancer in Acute Care Units
Chikako HashimotoMayu SakamotoNamiko Kawamura
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2023 Volume 43 Pages 79-88

Details
Abstract

目的:本研究の目的は,急性期病棟において終末期がん患者と向き合う看護の意味についてインタビューの分析から検討することである.

方法:終末期がん看護経験年数5年以上の看護師6名を対象に半構造化面接を行い現象学的方法に基づき分析した.

結果:看護師の経験から,3個のテーマ;1.患者が経験する「死」の時間をともに生きる,2.回復を支える看護vs.回復にとらわれない死を支える看護のジレンマ,3.終末期ケアの看護の意味と価値の探求,17個のサブテーマが抽出された.

結論:看護師は一人ひとりの患者が生きる生と死を,時には支え時には患者と肩を並べて死についてともに視て話す経験をしており,それは患者の生と死を「つなぐ」看護の意味を持つ.さらに患者の回復を目指す多くの業務を遂行する中で患者の死と向きあう不安に迷いつつ看護師自身の生と死に直面しながら看護の意味を探求しているといえる.

Translated Abstract

Objective: This study aims to investigate the meaning of nursing care for patients with terminal-stage cancer in acute care units in general hospitals by analyzing the experiences of nurses working in these units.

Methods: Six nurses with <5 years of terminal cancer nursing experience participated in semi structured interviews, and their responses were analyzed using Colaizzi’s phenomenological method.

Results: The following three themes were identified in relation to nurses’ experiences in end-of-life cancer nursing: (1) living with terminally ill patients, (2) dilemma of nursing support for recovery versus nursing support for death without recovery, and (3) search for meaning and value in end-of-life care nursing. Seventeen subthemes were identified.

Conclusion: Nurses have had the experience of being with each patient, supporting them in their life and death, and sometimes standing side by side with them as they witness and discuss death. This nursing entails “mediating” the patient’s life and death. Furthermore, while dealing with the anxiety and hesitancy of dealing with a death of a patient in the course of many tasks for the patient’s recovery, nurses also face their own life and death through nursing and are seeking the meaning of nursing.

Ⅰ. 緒言

人は誰しも死を迎える.死をどのように迎えるのかについて,近年選択肢は増えている(厚生労働省,2018).緩和ケア病棟やホスピスケア病棟,在宅医療の整備により,望む場所で死を迎える人も多い.そうありつつも,病状が急に進行したり,それに応じた治療の必要性などから,必ずしも多くの人が希望する場所や状況のなかで終末期を過ごすとは限らない.病院で治療を継続しながら最期を迎える人も多い現状にある(厚生労働省,2020).

1. 病院で終末期を迎える患者に求められる看護

わが国のがんの罹患率と死亡数は年々増加し続けている(全国がんセンター,2019).日本ホスピスケア協会(2022)によると,わが国ではがんで死亡している年間37万人に対し,緩和ケア病棟やホスピスケア病棟を保有する施設は463施設あり,病床数は9,579床と不足している.塚本・舩木(2012)は,がん患者の心理的適応に関する研究の動向を概観し,がん患者は「意味の探索によって自分らしさを作り替え,意味を見出すことで心理的適応を果たしていく」と指摘している.積極的治療を受ける患者の中でも終末期を迎える患者の疾患はさまざまであるが,患者の闘病生活を支援する看護師には,それぞれの患者の病の経験に意味を見出すとともに,身体的にも苦痛を伴うことも多い状況においても患者がモチベーションを維持できるよう支援する役割がある.安全な医療の提供と患者の生活の質を高める支援が必要になる.

2. 急性期病棟における終末期患者に対する看護の課題

終末期患者の看護における看護師の抱える困難について橋本ら(2021)は,「終末期の支援に起因した要因」と「看護師個人に起因する心理的な要因」に起因する看護師個人の要因と,患者や家族・医療者間の関係調整上の要因があると分類している.具体的には,病状に対する患者の受け止めに対する支援や,患者の反応に対する戸惑いについて示されている.国外文献においても,看護師は終末期ケアを担当する中で自身の無力さから自己批判する傾向(Zheng et al., 2015)や,患者が死に直面している経験を理解しようとする絶え間ない戦いの中にいる(Perri et al., 2019)と示されている.筆者らの経験からも,急性期病棟に勤務する多くの看護師は,患者の病状により終末期ケアを必要とする患者に十分な時間をかけて関わることが出来ないもどかしさを経験しているように考えられた.急性期病棟は,急性期の患者に対し,状態の早期安定に向けて医療を提供する機能を有する病棟であるとされている(厚生労働省,2012).急性期機能の中で終末期の患者との関わりについて先行研究によると,病棟機能のもつ特殊性から,看護師は,患者とじっくり関わる時間の確保を難しく感じていると報告されている(坂下,2017宮崎ら,2018越野ら,2019).また,Septarina et al.(2017)は,病院に勤め終末期ケアを提供する看護師は介護老人保健施設や社会福祉施設に勤める看護師よりも心理的疲労が優位に高く,上司・同僚によるサポートが不十分な場合,ストレスやバーンアウトに繋がる確率が優位に高いと指摘する.ここから,病棟で看取りのケアを実践する看護師は,患者の病態の複雑さや対応の難しさ等の多くのストレスを感じていると推察される.しかしながら,その看護師自身の心理的葛藤を含める詳細な経験や意味に着目した研究報告は少なく,看護師の看取りの支援は重要性が高いものの看護師の心理的負担に対する支援は十分とは言えない現状があると考えられる.そこで今回は,急性期病棟において終末期にある患者に対する看護師の支援を検討するための第一段階として,看護師の経験を明らかにすることにより,看護の意味について検討する必要があると考えられた.

Ⅱ. 研究目的

本研究の目的は,総合病院の急性期病棟に勤務する看護師に対するインタビューから看護師の経験を明らかにすることにより,急性期病棟において終末期がん患者と向き合う看護の意味について検討することである.

Ⅲ. 研究方法

1. 研究デザイン

本研究では哲学でありアプローチ方法でもある現象学を基盤にした.田口(2014)は,「現象学は俯瞰的な像を描こうとする知の営みとはいささか違った面をもつ」,「それよりはむしろ何らかの視覚から,現象学的な思考の営みそのものに自ら入り込んでみること」であり,「『あたりまえ』であるがゆえに,ほとんど主題的な意識にのぼることがない『隠れた』豊かな前提次元に眼を向けようとする営み」であると述べている.さらに「現象学が研究しようとしているのは,われわれがいつもすでに『自明な仕方で』生き抜いているものであって,それは通常は目立たず,気づかれないが,まったく意識されていないわけではなく,適切なきっかけさえ与えられれば十分に意識化することができるもの」であると述べている.本研究において,看護師に経験される終末期にあるがん患者をケアする意味について,より深いインタビューを通して看護師の経験を記述することは,看護師に絶えず確証され続けている終末期がん患者のケアという看護師自身の経験を信頼し,その「確かさ」が根付いている「自明な」経験を捉えることである.現象学を基盤にして終末期がん患者と向き合う看護師の経験を明らかにすることにより,看護の意味について検討したいと考えた.

2. 研究参加者

研究参加者は,研究の趣旨に同意の得られた約400~700床の総合病院(三次救急指定病院)に勤務し,急性期病棟において終末期がん看護に携わる看護師経験を5年以上有する看護師6名である.

研究参加者の選定方法として,施設の特徴等の偏りを防ぐために,3施設に看護師の選定を依頼した.研究者が各施設の看護部長に本研究の趣旨を説明し,5年以上の勤務経験を有し急性期病棟において終末期がん看護を実践した経験を持つ看護師について推薦を受けた.その後,推薦者に対し,研究者から本研究の趣旨について説明を行い,同意を得られた看護師に本研究の研究参加者としてインタビューを受ける承諾を得た.

3. データ収集方法

2021年5月から8月まで,「終末期にあるがん患者のケアをするとは,どのようなことか」について,インタビューガイドを用いて半構造化面接を実施した.研究参加者からは,これまでの経験について自由に語りを得た.発言に応じて内容の確認や質問を行い,面接は1人につき2回実施した.終末期がん看護の経験は,参加者のつらさや葛藤,うまくいかなかった経験等に触れる可能性がある.初対面の面接では話しづらいことを考慮し,より深く経験を聴くために,事前の2回のプレインタビューを参考に2回の面接の合計時間が60分を超えるように設定した.

4. 分析方法

本研究のデータはColaizziの現象学的方法(Colaizzi, 1978)を参考に分析した.Colaizziは,人間の主観性の探求はとりわけ難しいこと,また現象学的研究の問は研究参加者の経験に依存していることを述べている.そのため研究参加者の生きられた経験についてありのままに理解するために適していると考えた.以下に分析手順を示す.

①録音した面接記録を用いて,研究参加者ごとに逐語録を作成する

②各研究参加者の逐語録を繰り返し精読し,「終末期にあるがん患者と向き合う看護師の経験」と直接関連のある発言を抽出する

③抽出した発言の意味を忠実に読みとり,「意味付け」をする

④意味のまとまりごとに整理し,内容に適したテーマを設定する.これを繰り返し,複数のテーマをまとめて群に分ける

⑤得られた全ての結果を詳細に記述する

5. 妥当性と信頼性

データの収集について,本研究における質問に対し,言葉を変えて参加者に再度同様の質問をし,同様の内容が語られたことを確認した.2回目のインタビュー時には,1回目の内容と新たな語りを確認した.また,面接の最後には参加者に対して語り残されたことがないかについて質問し,データの飽和を確認した.全ての分析過程は,計3名の研究者がそれぞれ独立して分析した後,分析結果について議論を繰り返し,相違箇所について意味の解釈を決定した.さらに,質的研究に関する豊富な経験を持つ有識者1名よりテーマについて意見を得た.以上の手続きによってデータと分析の妥当性と信頼性を担保した.

Ⅳ. 倫理的配慮

本研究は,滋賀医科大学研究倫理委員会の審査を受け承認を得られた後に実施した(承認番号;RRB20-038).研究参加は研究参加者の自由意志を尊重し,参加を撤回する権利の保障や個人情報の保護等について文書を用いて説明し,同意書により文書で同意を得た.面接内容は個人が特定されないよう匿名化を行い,分析を行った.

Ⅴ. 結果

総合病院3施設に勤務する計6名の看護師から本研究の参加者として参加の同意を得られた.終末期がん看護の経験年数は8年~20年であった.職位については,主任1名,スタッフナース5名であった.1回のインタビュー時間は36分~55分,2回のインタビューの合計時間は80分~105分であった.研究参加者の属性及びインタビューに関するフィールドノートより印象をまとめたインタビューの様子の概要を表1に示す.

表1  研究参加者の属性およびインタビューの様子の概要
看護師 終末期がん看護経験年数 職位 インタビュー時間 研究参加者のインタビューの様子の概要
A 15年 スタッフ 82分1秒 1回目,2回目ともに,インタビュー中は時折対象者の笑い声や笑顔がみられ,穏やかな様子が認められた.2回目の後,「このように今までどうだったか話すことがなかったので,今回振り返ることができて,私にとってもとてもいい機会でした.」と話された.
B 8年 スタッフ 95分44秒 1回目のインタビュー直後はやや緊張した様子が認められたが,その後は落ち着きを取り戻し穏やかな様子で笑顔が認められた.2回目のインタビューの後,「話しながら,私がその時にどう思っていたのか思い返すことができてよかったです.」と話された.
C 16年 主任 80分32秒 1回目のインタビューは,自身の家族の看取りの経験の語りの中で涙ぐむ場面もあったが,その後は穏やかな様子が認められた.2回目のインタビューでは,落ち着いた様子で自身の経験を振り返りながら語られた.
D 20年 スタッフ 102分33秒 1回目のインタビューでは,印象に残っている患者との関わりの語りの中で,一時涙を流す様子が認められたが,以降は落ち着いた様子で話された.2回目のインタビューでは,穏やかな様子が認められた.
E 9年 スタッフ 105分8秒 1回目のインタビュー中,話をすることで自分の思いや大事にしていたことに気づき,「大事ですね(言葉にして)出すのって.」と話された.2回目では,「インタビューで語ったことで,これまでの経験について振り返ることができてよかった.」と話された.1回目,2回目ともにインタビュー中は,明るく笑い声や笑顔も認められた.
F 18年 スタッフ 81分1秒 1回目のインタビューでは,日々悩みながら患者と関わる現状について落ち着いた様子で語られた.2回目のインタビューでは,上手くいかなかった経験も自身が認められるようになったことや,患者との関わりにおいて大事にしたいと考えていることについて語られた.1回目,2回目ともに,穏やかな様子が認められた.

看護師6名(計12回)のインタビューを通して,終末期がん看護における看護師の経験に関する意味単位は,233個抽出された.ここから,3個のテーマ,17個のサブテーマが構築された.テーマは,1.患者が経験する「死」の時間をともに生きる,2.回復を求める看護vs.回復にとらわれない死を迎える看護のジレンマ,3.終末期ケアの看護の意味と価値の探求が抽出された.

以下,これらの内容について説明を行う.それぞれのテーマとサブテーマについて,表2に示す.本文中においては,サブテーマを【 】と示す.

表2  生成されたテーマおよびサブテーマと具体的な陳述内容:( )は件数
テーマ サブテーマ 具体的内容の例
患者が経験する「死」の時間をともに生きる(7) 心が揺れ動く患者の対応がわからない怖さ(45) 「(患者は)なんか肯定するのを求めてはるんだろうなっていうこととかもあって,(中略)どっちも本当じゃない答えになってしまうし,本当のことを答えてしまっていいんだろうかっていうのもあって(B-12)」
患者の思いを汲み取りたい(19) 「その日の,今日は体調よさそうやなみたいなのをなんか雰囲気とかで,もしかしたらみてるのかなー.なんか六感じゃないけど(A-34)」
患者が「死」を迎えた後に続く患者との時間の共有(12) 「もうちょっとやりようがなかったんやろうかとか,いろんな患者さんに対して思ってしまう(中略)考えるっていうかなんかアプローチがあったんかなって(D-8)」
患者と家族の価値観の受容(9) 「なんか家族と過ごすためには自宅自宅ってどうしても思っていたところが私はあったんですけど,家族の時間が過ごせるなら,(中略)成功体験を見せてもらえたっていうか(B-2)」
人の終末期に関わる特別な役割を全うしたい(6) 「(患者の)感情の移り変わりだったり,身体の変化だったり,(中略)なんかそこらへんになんか介入できる,限られた人っていうか,看護師として関わる看護者じゃなかったら出来なかったこととか結構あると思うんで(A-1)」
患者が一人で死に向かうことを回避したい(4) 「やっぱり一人でね,死に逝くとか嫌じゃないですか.病院であってもね,一人で亡くなることもありますけど(C-6)」
患者と肩を並べて「死」を捉える(2) 「(患者が治療を拒否し)時間ないけど正直辛いんやんねっていう話をしていて.(中略)その人がもう一週間後に,少なくとも10日後にはこの人はこの世の中にいーひんのやなっていうのを前提にお互い喋ってるわけなんですよね(D-25)」
回復を支える看護vs.回復にとらわれない死を支える看護のジレンマ(6) 患者の希望を尊重するために行動したい(30) 「人生の最期の,アルバムでいったら最期の数ページとかにかかわらせてもらうことになるんで,今まで歩んでこられた人生の最期をやっぱりちょっとでもより良く,患者さんが望むように過ごしてもらうことが大事なんかなと思います(F-34)」
「死」を迎える患者と向き合うための切り替え(26) 「どんなに思い入れがある方でも,お見送りしたらそのあとは切り替えて一旦仕事をして,家に帰ってからちょっとまたいろいろ考えることがあっても,なかなか仕事にならない半日を過ごすことはないので…(B-13)」
思うような看護が実践できないもどかしさ(17) 「…ケアとか回ったら…+αの看護っていう部分がすごい難しくて.決められたことはやるけれども,…今日は時間あるから手浴してお話ししようとか思っても,その時間をとれない(E-10)」
回復を支える「看護師」の役割の期待に応えたい(8) 「ショックな免疫がなかなかあれですね.つかないです.できることはやったなっていうので,それでよかったんやなって自分で思うようにはしますね(C-11)」
医師との調整の難しさ(7) 「(医師の説明が)もういった頃には患者さん自身が出来ないことの方が多くなっていて,もっと前に言ってあげたらもうちょっとしたいことが出来たかもしれないのにって(C-8)」
急性期病棟で期待される看護に対する重圧(5) 「私らが泣くと余計悲しくなるんかなとかもあるし,うーん.そうですね,なんか相手の感情が分からへんからこそ,なんか,私らがそれをなんか揺さぶるようなことをしたらあかんのかな(E-40)」
終末期ケアの看護の意味と価値の探求(4) 同僚と看護に対する心理的交流の切望(14) 看護師として,(亡くなった患者のことを)職場の人には喋ったことはなかったんで(中略)自分の経験…を言った方がいいじゃないですけど,なんか知ってもらいたいなって思って(E-26)」
同僚と体験や感情を共有する安心(13) 「結構デス・カンファレンスとかチーム内のスタッフとかで喋った時に,(中略)癒してもらえるというか,グリーフケアしてもらう部分もありますし.(中略)気持ちを消化してもらえる場でもありっていうのが,あるんだと思う(F-21)」
終末期ケアにおける看護師のやりがいと自信(8) 「忙しい中でなかなか時間はとれないんですけど,10分だけでも喋ろうかとか言いながらを繰り返して,自分の命が失われるっていう時がすごく不安なんやんねって.…そこもすごく印象に残ってる患者さんではいるんですけど.命の話をしたっていうか(F-9)」
自身の看護の意味の模索(8) 「コミュニケーションってほんまになんか,答えがないというか,もうほんまにその…時…と状況と対象といろいろじゃないですか.なんか,何が正解か分からへんなと思って.で,なんか経験積んでどうにかなることでもない気もするし(E-39)」

1. 患者が経験する「死」の時間をともに生きる

研究参加看護師は,自分自身について患者が「死」を迎える準備を患者とともに行う存在であると認識していた.これは【人の終末期に関わる特別な役割を全うしたい】に表される.看護師は,可能な限り【患者の思いを汲み取りたい】と思い,たとえ患者が意思表示の困難な状態にあるとしても,少しでも患者の希望や思いを捉えたいと患者に対して気持ちを傾けていた.「自分だったらどうするか,どうしてほしいか」と看護師自身に患者の思いを重ねつつ,自身の価値観と患者の価値観とを区別し患者の希望を尊重しようと試みており,それは【患者と家族の価値観の受容】とした.この終末期に,余命宣告を受けることや治療効果の是非について考え衝撃を受ける患者に対して,看護師は患者の衝撃や辛さを自分自身のことのように受け止めることを語り,それだけに患者のもとに向かう足を重く感じた経験を話し,同時に【心が揺れ動く患者の対応がわからない怖さ】について経験していた.また,患者の予後の話題の際には,自身の考えを患者に見透かされたくないという思い抱き,自身が患者と向き合えていないという感覚を抱く看護師もいた.看護師はそのように怖さを感じながらも心の揺れ動く患者を支えようとし,【患者が一人で死に向かうことを回避したい】という思いについても語られていた.同時に,看護師は,患者と同じ立ち位置から患者に差し迫るその「死」を患者とともに視るともいえるような経験をしており,これは【患者と肩を並べて「死」を捉える】と表される.やがて「死」が訪れ患者との関係を終了する時が来るのであるが,看護師はもう確認しようのない看護実践に対する患者の反応や関わりの成果について,患者の死の後も考え続けていた.それは【患者が「死」を迎えた後に続く患者との時間の共有】の経験といえる.以下に患者と同じ目線で「死」を捉えた経験について,D看護師の語りの例を記す.

数日後には患者自身がもうこの世にはいないことを,D看護師と患者とが,互いに分かり合いながら語り,直接的な言葉は介さずとも残された時間や患者の内面に生じる感覚をともに感じていることについて読み取れた.

D看護師:もう長くないなっていう人がいてはって.けど,本人はもう分かってはるからね.あのー,治療したくないっていって,治療を拒否しはったんですけど,旦那さんが,いやいやもっと治療して頑張ってくれみたいな感じで言ってはってね.で,その人とちょっと話しているときに,辛いねって.時間ないけど,正直辛いやんねっていう話をしていて.で,全然旦那が分かってくれへんって言って.けど,それって,その人がもう一週間後に,一週間後,少なくとも10日後にはこの人はこの世の中にいーひんのやなっていうのを前提にお互い喋っているわけなんですよね.(D-25)

研究者: 患者さん自身も分かってはる.

D看護師:うん,分かってはる.死ぬっていう言葉を直接出さないけども,そんだけ苦しい思いをしてはるとか,もう残された時間が少ないのにねっていうようなことをお互いの中でこう喋ってたんですけど,(中略)ある程度のそういうことを言える関係性っていうのができてたから,死ぬっていうことを前提で話ができたんやなと思って.(D-25)

2. 回復を支える看護vs.回復にとらわれない死を支える看護のジレンマ

急性期病棟において,患者は症状の安定や回復を目指す.研究参加者も,この病棟において回復を支援する役割を果たす一員であり,それは【回復を支える「看護師」の役割の期待に応えたい】に表される.看護師に認識されるこの役割意識は,患者の回復を支えるという使命と終末期ケアを行うという両方の専門的支援を両立させようとする状況においては,【急性期病棟で期待される看護に対する重圧】のように働いていた.看護師は安全かつ治療を支える急性期病棟という空間において,自身の感情表出を抑えながら働いていた.治療を提供し回復を支援する医師との間には患者に対する捉え方の違いや判断の差を感じる場合もあり,それは【医師との調整の難しさ】と表される.回復のための様々な治療の中で,限られた時間と環境の中で援助の質を担保する難しさを持ちこたえながら自身の看護実践を組み立てようとして,それでも【患者の希望を尊重するために行動したい】という気持ちを抱いている.その一方で,患者が安らぐためのケアについては「+αの看護」と語る研究参加者もおり,【思うような看護が実践できないもどかしさ】をも経験していた.急性期病棟においては,このように質の異なるケアが存在しており,その狭間で看護師は努めて「死」を迎える患者に対峙する構えを保持しようと【「死」を迎える患者と向き合うための切り替え】を経験していた.

以下に急性期病棟で治療等の身体ケアの業務に追われ終末期の患者と過ごす時間を設ける難しさについて語られたB看護師の例を示す.

B看護師:優先度はみんな一緒だと思うんですけど,どうしても急性期の方とかの方が訪室回数が,なんか点滴があったりなにか離床があったりとかで多くなってしまうので,忙しいとついついナースコールが鳴らないとなかなか終末期の方はお部屋に行けなかったりするので,ちょっとなにか処置とか点滴っていうのがなくてもちょっと近くを通った時にお部屋に寄るようにしてたりとか,そういうところでどうにか.(B-10)

さらにB看護師は,自身の友人の死を看護師として看取る経験をしており,その経験について以下のように語った.普段は思い入れのある患者に対しても,看護師モードのスイッチを入れることによって,何とか気持ちを切り替えられているものの,より親しい友人の場合は看護師モードの切り替えが出来なかったことを語っている.

B看護師:この方は患者さんっていう風にしっかり思って,関われるほうが自分もしっかり看護師としてスイッチが入るというか(中略)結局亡くなられた日も出勤していたんですけど,出勤したらまだDNAR(蘇生措置拒否)とられていない状態だったんで,ご家族が来るまでは,経口挿管で人工呼吸器のせて,ずっと心マ(心臓マッサージ)してはったんですけど,もうなんか部屋にも入れなくて,亡くなられたっていうのを聞いたらちょっとなかなか午前中は仕事にならなくて…最期のお見送りとかも一緒に行ったんですけど,なかなか実際思い入れのある他の患者さんのお看取りと同じような気持ちではなかったなって思います.そこは仕事として,どんなに思い入れがある方でも,お見送りしたらそのあとは切り替えて一旦仕事をして,家に帰ってからちょっとまたいろいろ考えることがあっても,なかなか仕事にならない半日を過ごすことはないので…ちょっと今ちゃんと看護師としてのスイッチが入ってないなって思って半日.(中略)でも今日残りまだまだ他にも患者さんがおられるし,そっちの患者さんのこともしっかりしないとって思って,一旦ちょっと気持ちは落ち着けて,残りの他の患者さんのことをするんですけど,なかなかはい,落ち着けられませんでしたその時は.(B-13)

3. 終末期ケアの看護の意味と価値の探求

終末期における患者との関わりにおいて,看護師は患者と「死」について話す時間を得られたことに【終末期ケアにおける看護師のやりがいと自信】を実感していた.やがて,患者は「死」を迎え,看護師は自身の看護実践のフィードバックを患者から得ることは叶わなくなってしまう.自身の提供したケアが患者にとってどのようなものだったのか,またそのケアは自身の看護の力として積み重ねられているのかという手応えを患者からは得られないまま,【自身の看護の意味の模索】に表されるように看護を考え続ける.その際に,看護師は同じ場面を共有する分かり合える相手となる同僚看護師と,「死」の恐怖やどこまでいっても患者と完全には分かり合えないもどかしさ等について話し共有したいと感じ,【同僚と看護に対する心理的交流の切望】を経験していた.患者に対して実施した看護に関する話し合いや患者を看取った後のデス・カンファレンス等の機会は,看護師を癒す機会となり,【同僚と体験や感情を共有する安心】に繋がるようである.以下に具体的な看護師の語りの例を記す.

F看護師は,夜間起きている患者から「話をしたい」という気持ちを汲み取り少しでも話す時間を確保した.その積み重ねによって,患者は自身の死に対する不安や気持ちのやり場のなさ,また家族に対する思い等を話した.F看護師にとっては,それまでの患者との距離感では触れ難かった患者の思いを共有でき,やりがいを感じる経験になった.

F看護師:いつも大部屋に入院されていて,なかなか喋る機会がなかったんですけど,(中略)寝てはっても,ごそごそっと目が覚めたら,起きてロビーで座ってはったりとかっていうところで,きっと喋りたいんやろうなっていうのがあって,まぁ夜勤3人とかで回すんでね,忙しい中でなかなか時間はとれないんですけど,10分だけでも喋ろうかとか言いながらを繰り返して自分の命が失われるっていう時がすごく不安なんやんねって.それで家族にあたってしまうこともあるんじゃないかなっていうのを喋ることができたんで.そこもすごく印象に残ってる患者さんではいるんですけど.命の話をしたっていうか.(F-9)

Ⅵ. 考察

結果により明らかにされた看護師の経験から,急性期病棟において終末期にある患者と向き合う看護の意味について,1.患者とともに死を迎えその後の時間も患者とともに「生きる」=患者の生と死を「つなぐ」こと,また,2.急性期病棟の看護師に経験される看護師モードへの切り替え,の2つの観点から考察する.

1. 患者とともに「死」を迎え,その後の時間も患者とともに「生きる」=患者の生と死を「つなぐ」

患者が死を意識し,そして一つの命を終える特別な出来事を患者の傍でともに経験することについて,「看護師の特別な役割」と認識している研究参加者もいた.田口(2015)は,哲学的視点からこの最期の時間について,人がコントロールの欲望にとらわれた自己から解放された「瞬間の死」において他者,他人が全面的に受け入れられる可能性を指摘し,それが本当の意味で他人と出会えることであると言及している.またこの瞬間の死のような自由となる時間について,「時間の中で他人と出会えるのは現在においてのみである」と述べている.本研究のなかで研究参加者らに認識されていた看護師の特別な役割というのは,人と人が当たり前に出会うなかで,決して形式的な意味ではなく,死を意識することによって意識された「生きる」という中に立ち現れるこれまでとは異なる「出会い」を患者とともに「生きる」役割であると考えられる.

今回の研究では患者の経験について深く扱っていないが,死を意識した患者にとっては,これまで経験したことのないような心の揺れを体験し,また生きることを問い続け,さらに身体の症状をも引き受けるような経験であると想像される.同時に看護師にとっては,患者の思いを汲み取りたいと思いながらも,その方法に迷いながら,時にはどうしてよいかわからない怖さと対峙し,それでも患者の傍にいたいと強く思いを傾けながら看護を実践する経験であると考えられる.患者にとって「死」は自身に迫る一つの「生」が終わる瞬間としての出来事のように認識されるのかもしれないが,看護師にとって患者の「死」は,「死」という通過点を超えて別れの後もなお患者との時間を「生きている」時間であるように読み取れた.具体的には,十分なケアを提供できたのか,もっとできることはなかったのだろうか等と考え続けることでもある.また,患者が望んでいた家族への思いを引き継ぐかのように患者の思いの延長線上に看護師は患者の思いを読み取り気持ちを重ねることや,また家族とともに患者の思い出を話すことなどでもある.すなわちそれは,看護師が患者とともに「生きること」を通して患者の生と死を「つなぐ」,媒介の意味を成している.そしてそこに,患者と看護師が人として「出会う」ことのできる場が生成され,その出会いを経験することが看護の特別な役割とも語られたように看護の醍醐味なのであるといえる.

この生と死を「つなぐ」意味に表される看護師の経験は,急性期病棟に特有のものではないかもしれないが,急性期病棟であるとさらに複雑な心理状況の中で,より顕著に経験されることも見えてきた.急性期病棟は回復を目指して治療が行われる空間である.その空間において,患者が穏やかにまた望むような「死」を迎えるための心のケアは,看護師にどのように捉えられているのだろう.どちらかというと心のケアの優先順位は低くなりがちであると想像され,それ故に研究参加看護師は,心のケアやゆっくりと患者と過ごす時間の重要性の認識から,心のケアを優先したいと考える自分の中の葛藤を引き受けざるを得ないように考えられる.看護師は急性期の業務の中では最優先にならない(かもしれない)患者と過ごす時間(ゆっくりと患者と話すような場)の意味を繰り返し自問自答し,そこに看護の価値を見出そうと模索しているようである.ある看護師は,看護師として終末期にある患者と接する際には自身の構えを切り替えることについて「看護師モードのスイッチを入れる」と話し,他の看護師も病棟で求められていると感じられる看護師像に向けて自身のモードの切り替えについて述べている.

2. 急性期病棟の看護師に経験される看護師モードへの切り替えの意味

研究参加者の語りを読み解くと,急性期病棟には,医療スタッフに共有されていると思われる,回復を目指し支援するという目標のようなものがあるように考えられた.その目標に貢献する看護の仕事についてある研究参加者は「業務」と認識しているように考えられた.これに対して,死を迎える患者と時間を過ごす心のケアを「業務の先にある看護」と認識されているようであり,「業務」とは区別されているように読み取れた.看護師はここでいう「業務」も「業務の先にある看護」もどちらも重要な看護であるのだが,急性期という緊迫した環境の中で多くの業務に追われる看護師は,「業務の先にある看護」は時間があれば実施することの出来る,E看護師の言葉を用いるならば「+α」として為される看護であると位置づけられているようである.そして研究参加者は「患者を揺さぶるようなことをしてはいけない」というように毅然と「業務」に向かうために,看護師モードのスイッチを入れていた.

終末期にある患者は,治療の好ましい成果や回復を受け入れるばかりではなく,期待通りではない状況や望んでいない知らせを受け入れなくてはならないことも多い.このような状況に置かれる患者の心のケアについて,看護師は怖さも経験している.池川(1991)は,看護師が日常的に病気や苦悩の中にいる人々と出会う意味について,「看護師を含む我々は現代人を取り巻く安楽と便利さに満ちた惰性ともいえる日常生活に生きているが,死に直面する患者の看護という行為を通して,我々が自分自身を問うことを可能にする」と述べている.心理的に揺れ動く患者に対して,看護師は,自身も未だ経験したことのない「死」に向かって患者を支える経験をするのである.患者と肩を並べて死を視る経験は看護師にとって自分自身の「生」を問われる経験でもあると推察される.それだけに看護師は,患者の支援になるような正しい答えが言えるだろうかという不安に加え,自身の価値観や生きかたに直面せざるを得なく戸惑いや怖さを経験すると考えられる.その状況に立ち向かいながら看護の意味を共有できる同僚看護師とこそ経験を分かち合い,また彼らに支えてもらいたいと望むのではないだろうか.

今回の研究から,終末期にある患者のケアが必要とされる急性期病棟には,少なくとも2つの使命があるように考えられた.一見相反するようにも見えるのであるが,「回復を目指すケアの提供」と「その人らしい死を迎える支援」である.Roberts(1994)は,組織のストレスに対するコンサルテーションの観点から,急性期ケアと看取りのケアが混合する環境において,目的や目標が不明瞭になりがちである問題について指摘している.本研究の結果からも看取りが存在する急性期病棟は,患者の急変対応が頻発する環境であると推察され,この環境においては,どちらかというと治療により回復を目指す看護が優先されがちである.患者が死を迎えるための自己との対峙を支援するような「死」に向かう準備の看護は,病棟の目標に合致するのかという看護師の不安や迷いに繋がり,そこから看護の意味や価値の模索が続くと考えられる.

3. 看護への示唆

急性期病棟において看護師は終末期にある患者と向き合う看護の意味を見出そうと苦悩する姿について明らかになり,その看護の意味を議論することを通していくつかの課題が見えてきた.一つは,看護師が揺れ動く患者の心のケアについて,患者の心理過程を理解し支援するための具体的方法を獲得する必要性である.既にデス・カンファレンスなどを導入している施設も多い.今回の結果からは,死後のカンファレンスによるデブリーフィングのみならず普段のカンファレンスや日々の業務上の意見交換も担当看護師の心理的な揺らぎを理解する機会となり支援になると考えられる.リエゾン看護師も活躍している現状もあると思うが,加えて急性期病棟であるからこそ精神看護について学習するという課題も大きいと考えられる.阿保(2015)は患者の精神構造の理解として精神力動的視点に依拠した「保護膜」モデルを提唱している.河村・星(2021)は阿保の理解を踏まえ患者の心の理解と支援について示しており,心理過程を理解する方法はさまざまあるが,精神力動的視点を基盤にした患者の理解が看護の手がかりの一つになると考えられる.

二つ目に,病棟管理の側面に関する課題である.今回の研究においては参加者の勤務する病棟に掲げられている目標について把握しなかったのであるが,複数の役割を担う病棟においては,病棟の患者の特徴に合わせて目的や目標も変更を迫られる場合が多いだろう.スタッフの認識の確認や目標の整理や見直しが看護師の支援につながるように考えられた.

Ⅶ. 研究の限界と今後の課題

本研究から,急性期病棟という特徴的な空間において看護師は回復を目指すことと死を迎える準備の支援をし,患者の生と死を「つなぐ」看護を実践していると考えられた.今回は,急性期病棟における終末期がん患者と向き合う看護師の経験に焦点を当てているが,がん患者に特徴的な経験は明らかにならなかった.患者の病態や疾患による特徴が看護師の経験に対する影響については今後の検討課題である.また,研究参加者のこれまでの勤務病棟等の背景に幅があり,事象の捉え方について影響している可能性も考えられ,本研究の限界である.今後終末期がん看護を実践する看護師の役割を担う看護師の成長過程や患者との関係構築の過程について検討が必要である.

Ⅷ. 結論

総合病院の急性期病棟に勤務する看護師に対するインタビューにより明らかとなった看護師の経験に関して3個のテーマ;1.患者が経験する「死」の時間をともに生きる,2.回復を支える看護vs.回復にとらわれない死を支える看護のジレンマ,3.終末期ケアの看護の意味と価値の探求,17個のサブテーマが抽出された.看護師は一人一人の患者の傍で患者が生きる生と死を,時には支え,時には患者と肩を並べながら死についてともに視て話すという経験をしている.それは患者の生と死を「つなぐ」看護の意味を持つ.さらに患者の回復を目指すための多くの業務の中において患者の死と向きあう不安や迷いつつも,看護を通して自身の生と死について直面しながら看護の意味を探求しているといえる.

付記:本研究は滋賀医科大学大学院修士論文に加筆修正を加えたものである.本研究の一部はThe 7th International Nursing Research Conference of World Academy of Nursing Science(7th WANS)で発表した.

謝辞:本研究のインタビューに快くご協力くださいました看護師の皆様,並びに本研究内容をご理解いただき協力を賜りました看護管理者の皆様に感謝申し上げます.また貴重な御助言を賜りました北海道医療大学阿保順子名誉教授および北海道大学大学院文学研究院田口茂教授に感謝申し上げます.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

著者資格:C.Hは研究の着想及びデザイン,データ収集と分析,原稿作成のプロセス全体に貢献した.M.Sはデータ分析と解釈,原稿作成に貢献した.N.Kは研究デザイン,データ分析と解釈,原稿作成に貢献した.すべての著者は最終原稿を読み承認した.

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