2023 Volume 43 Pages 109-116
目的:看護学実習を終えた当事者が実習を振り返った語りから,実習での経験がどのような意味を帯びて立ち現れたのかを記述する.
方法:現象学的看護研究.4年次の学生が看護師になるまでの9ヶ月間に亘り非構造化面接を実施した.本稿では,長期的な視点から実習経験がもたらした意味に焦点を当てるため,4年間の実習で生じた変化を語った2名の語りを報告する.
結果:Bさんは実習で段階的に学んでこれたと振り返り,患者との関係性における変化を認識した.Cさんは看護師となったときに上手くいかなかった実習経験を挽回するように看護実践を行なっていると語り,実習からのつながりを認識した.
結論:患者との関係や上手くいかなかった実習経験が看護観や看護師としての態度の段階的な変容をもたらしていたことが,当事者に了解された.実習経験は,看護師となったときの態度や看護実践の基づけとなる経験となっていた.
Purpose: The purpose of this study was to describe the meaning of nurses’ experiences in practical training from their narratives looking back on their training.
Methods: A phenomenological research method was used. Unstructured interviews were conducted individually and in groups of six participants over 9 months. In this paper, I report the stories of two people who talked about the changes during their 4 years of practical training. My focus was the meaning brought by the practical training experience from a long-term perspective.
Results: Participant B learned step-by-step through her practical training and understood that her relationship with patients had changed. Participant C said that her nursing practices were reflected to her practical training experiences, which did not go well.
Conclusions: The nurses’ relationships with patients and failed practice experiences changed their perspectives on nursing and their attitudes as nurses. The practical experience formed the basis of the participants’ attitudes and practices when they became nurses.
近年のCOVID-19によるパンデミックによる臨地実習(以下,実習)の受け入れ制限に,看護基礎教育に携わる教育者は,改めて実習が看護学生(以下,学生)にもたらしていたことの大きさを問われることとなった.
コロナ禍における実習の実態調査においては,実習に代わるシミュレーションや事例などの代替実習の工夫により実習目標の達成はある程度可能とした上で,「実際の患者等からのフィードバックを得ながら実践を行う機会は,臨地実習固有のもの」であるとし,実習の意義と必要性がより明確となったと報告された(文部科学省,2021).実習とは,「知識と技術の統合を図り,看護の受け手との関係形成やチーム医療において必要な対人関係能力や倫理観を養うとともに,看護専門職としての自己の在り方を省察する能力を身に付ける」(文部科学省,2019)学習の機会と位置づけられている.
臨床という動的な状況下における学習は,「アイデンティティの成長と変容に本質的に伴う」(Lave & Wenger, 1991/1993)とされる.現代の実習においても資格を持たない学生は看護師の実践を見学することも多く,ナイチンゲールの時代に訓練と言われた徒弟制の学習要素は引き継がれていると言うことができる.徒弟制の学習の特徴は,「教師指導型ではなく,偶発的に生じてくる」(Jordan, 1993/2001)ことである.そのため実習での学びは教員の見えないところで,予測不能な形で生じている側面もある.また,看護師としての態度や精神は,「経験学習の成果として学生たちの感情に訴えるものから,学生の内部にそれが育まれ,そして自分自身で選択し,発展させ,態度として獲得していく」(高橋,1995, 2013)ものだとされる.
米国で看護基礎教育に関する大規模調査を行なったBenner et al.(2010/2011)は,「看護学生が専門職的アイデンティティを形成していくにつれ,感覚,美意識,認知的正確さ,人間関係のスキル,知識,そして姿勢を発達させていく」として,実習経験の重要性について報告した.実習経験に関する研究は多方面から行なわれているが,いずれも単一の実習における経験に焦点を当てている(水畑・菊井,2005;McNiesh, 2011;前川,2012;Ek et al., 2014;今井ら,2020).しかし学生は実習を連続して経験しており,それぞれの実習での経験が複雑に絡みあった経験をしていると考えられる.卒業時の学生の看護観には実習での患者との関わりが影響していた(栗田・橋本,2010)ことや,実習で看護観を培っていく過程をカテゴリー化し抽出した報告(當間,2014)がある.しかし学生が,実習経験をどう意味づけたのかは不明である.
また,教育者である研究者は,実習を終えて数ヶ月経った学生や卒業生から,実習の話を聴くことが多かった.その語りは,研究者が捉えていた実習での学生の姿とは異なっており,教員が捉えている学生の実習経験と学生にとっての実習経験は異なっているのではないだろうかという疑問が生じた.学生から聴いた声は,実習で出会った患者に対する申し訳なさのような思いであり,看護師としての態度に関わるものであった.患者と出会うということは,どのような意味を帯びて学生に経験されているのであろうか.また学生は実習が終わってからも実習での経験を振り返っていることを現わしていた.「人は経験を生きているそのときに,生きられている経験を反省することはできない」(Van Manen, 1990, 1997/2011).そうであれば,学生が実習を振り返る語りから,実習経験がもたらしたことの意味を当事者の視点から捉える必要があると考えるに至った.また学生から新人看護師になる期間において,実習経験がもたらしたことを当事者に調査した報告は見られなかった.
本研究ではすべての実習後から新人看護師になる期間に当事者が実習経験を振り返ったときに,実習での経験がどのような意味を帯びて当事者に立ち現れたのかという意味現象の成り立ちに焦点を当てる.実習経験によって当事者にもたらされたことを記述することは,実習教育に関する示唆を看護教育者に与えてくれる.本研究の目的は,看護学実習での経験を振り返ったときに当事者に立ち現れた意味を記述することである.
現象学的看護研究.実習経験を振り返ったときに当事者に立ち現れた意味を捉えるために,現象学を手がかりとして「「意味経験」に注目し,それがどのような構造をもち,どのような成り立ち方をしているのかを明らかにする」(榊原,2018).また当事者の視点に接近するために,研究者の教員としての実習や学生に対する先入見を棚上げした.
データ収集は,実習(2年次基礎実習・3年次領域別実習・4年次前期の総合実習)がすべて終了してから看護師として臨床現場に戻り看護実践を行なうまでの期間とした.また振り返りの時期による変化を見るために,実習がすべて終了した4年次秋・卒業時・卒後2ヶ月半の3回,個人とグループにて,「実習のことを思い出すことはありますか」という問いかけから自由に語ってもらう非構造化面接を90分程度実施した.看護師として臨床に出たあとの面接時期については,研究参加者の希望で職場に慣れ夜勤が始まる前の6月半ばに設定した.グループ面接と個人面接を交互で計画したが,就職の関係等で一部前後し,また研究参加者の希望で最初と最後はグループ面接とした.グループ面接については本稿では触れないが,お互いの語りに触発されながら実習を振り返る語りが聴かれた.本稿では長期的な視点から実習経験がもたらした意味に焦点を当てるため,6名の研究参加者のうち4年間の実習での変化を語った2名の個人面接での語りを報告する.BさんとCさんは,1回目の面接では総合実習での経験を振り返って語ったが,2回目の面接では4年間の実習を通して生じた変化を語った.さらに3回目の面接では,看護実践を実習の脈絡から意味づけて語ったため,実習経験がもたらした意味を当事者(研究参加者は研究期間中に学生から卒業して看護師となったため,以後当事者とする)の視点で記述できると考えた.2名の経験を丁寧に記述することにより「数値化できない部分,類型化できない部分をとらえ」,そのなかに潜む構造を取り出す(松葉・西村,2014)こととした.
2. 分析データから逐語録を作成し,松葉・西村(2014)を参考に,語りの特徴(言葉や言い回し)に着目しながら,4年間の実習がどのように当事者に経験され,振り返ったときにどのような意味を当事者にもたらしたのかを語られた文脈から記述した.具体的には,3回の個人面接での脈絡に留意し,データの部分と全体を何回も読み返しながら当事者が自覚する手前の水準の経験の立ち上がりから,経験の成り立ちを当事者の視点に接近して記述した.また当事者が研究者に語りながら実習経験を言語化し意味づけていった過程や実習経験を振り返ったときに看護師となったときの実践にどう関連していたのかを記述した.妥当性や信頼性を担保するため,現象学者・質的研究者・現象学的看護研究者等と分析について繰り返し検討した.
3. 倫理的な配慮首都大学東京(承認番号16080)の研究安全倫理審査委員会および研究協力施設(承認番号17-A031)の研究倫理審査委員会の承認を得て実施した.研究協力施設は,研究者が研究参加候補者の教育背景を熟知している施設とした.研究参加候補者に対する研究者による強制力を排除するために,研究者が担当している全ての科目評価が終了した時期に学内にポスターを貼付しリクルートを行なった.また研究参加候補者と全く面識がない研究協力者がメールによる告知を行い,途中辞退希望時にも研究者と接触せずに研究協力者が対応する体制を整えた.その上で,自由意思で研究説明を希望した場合に口頭・文書による研究説明を行い,同意が得られた者を研究参加者とした.
また調査は,学業や国家試験準備に支障がない時期に実施した.予め語る内容については匿名化を依頼し,さらに必要に応じて個人が特定できないように,データの文脈を損なわない範囲で修正を加えることを事前に了承を得て,修正を加えた.
Bさん,Cさん.
2) 面接時間Bさん:1回目75分,2回目57分,3回目72分.Cさん:1回目52分,2回目60分,3回目71分.
3) 結果の表記データは明朝体斜字で示し,末尾にデータの抜粋箇所を示した.[B②10]であれば,Bさんの2回目のデータ全トランスクリプトの10行目からの抜粋を示す.また文意を伴うために研究者が補った語句は( )で示し,分析はデータのあとにゴシック体で示した.見出しは,語りの内容を端的に表す内容とした.
2. Bさんの語り【振り返ったときに現れた階段】Bさんは1回目の面接で終末期患者を受け持った総合実習のときの自分を患者さん一家の取り巻く状況に一緒に入っていった[B①672]患者を取り巻く状況の一人[B①677]だと語った.そして2回目の卒業時の面接で4年間の実習を振り返り,だから(基礎実習のときは)看護を分かってないから,なんか,なんだろ,毎日これでいいのかなあっていう不安が多かったのかなあって思います.[B②215–218]と語った.そんなBさんが看護をどう理解していったのかをみていくこととする.
1) ちゃんと階段になっていたBさん:臨地(領域別)実習でやっと,看護っていうものが分かってきてて.でっ,まあ,私たちではできないことはできないじゃないですか,だから,できないことはできないから,それはまあ別にいいじゃないですけど,よくて.〈中略〉その患者さんと関係を作ってとか,なんだろう,う~ん,まあやっぱり,他のナースよりも,なんだろう.受け持ちっていう意味では一人なので.〈中略〉この患者さんがちょっとでも快適にとか,心配なことないかなあっていうそういう発想にだんだん変わったのかなあっていう感じは.〈中略〉でも,ちゃんと段階的に学んでは来れてると思うんですけれども.結果的に見たら,ちゃんと階段になっていたんですよね.[B②248–270]
領域別実習のときの自分をやっと,看護っていうものが分かってきててと,今に至る道程の途中にBさんは位置づけた.その道程にはやっとやだんだんという時間の幅があり,変わったのかなあっていう感じという言葉からも,その最中に生じた変化はBさん自身には曖昧にしか認識されていなかったことになる.できないことを自覚した経験は振り返ると,学生である自分にもできることとして,複数の患者を受け持っているナースとは異なるたったひとりの受け持ち患者へと関心を向ける契機となったようにも感じられている.そしてその道程は振り返るとちゃんと階段になっていたことが,Bさんに確信されている.一つひとつの実習での経験がその次の行動や出来事に繋がり,経験の意味の連関が階段のように連なっていたことがBさんに了解されたことになる.卒業を前にして,その階段の上にいるBさんが看護について語った場面をみていくこととする.
Bさん:やっぱ,患者さんも必死な訳じゃないですか,やっぱり自分のいつもの生活じゃないとか,すごい苦しい思いをしているとか,その剥き出しの部分がある程度あるから.多分,やっぱり自分もそういう部分に心を開くっていうか.なんか変に着飾って関わらない,関わっちゃいけないって思って.
研究者:そっか,心開くっていうのって,基礎実習のときもそういう風に感じてたの?
Bさん:基礎のときは,いや,多分逆にすごい閉ざしてました.患者さんはすごい開いてくれて下さったんですよ.多分.でも私は,なんか,なんだろう.失敗しちゃいけないとか,あと不安をみせちゃいけないとか,頼りないって思われたくないなとかそういうところで,逆に変に構えてというか.ちょっと自分を大きく見せようとするところがあったのかなと思うんですけど.でも,多分私の不安はだだ漏れだったんで,逆に不安にさせるっていう.[B②717–736]
実習で出会った患者は,今まで日常で出会った他者とは異なり,病いとともに生きるための必死さが剥き出しのようにBさんに感じられていた.基礎実習のときは変に構えていたというが,患者の必死に生きる姿に,失敗しちゃいけない・不安をみせちゃいけない・頼りないって思われたくないなという構えた態度がBさんにもたらされていたことが分かる.しかしそんな構えた態度は逆に患者を不安にさせてしまった.続きをみていく.
2) 患者の理解者になるBさん:私のその心を開くっていうのは,患者さんが開いてくれたからできたっていう,だから,総合実習のときもそうでした.多分.やっぱり緊張があるので.やっぱり,患者さんが私に会うのをすごい楽しみにしていて下さった方だったので,それのお陰で,なんか自分がここに来ていいんだなっていう思いがあったりとか.なんか,ただ私の顔を見ると笑顔になってくれたりしたんで.なんか,自分が辛いなって思っていたり,なんか(実習に)行きたくないなって思っていたりしても,行かなくちゃみたいな.[B②737–747]
実習では初対面の患者と人間関係を構築していくことが求められる.しかし心を開くことができたと語ったBさんにとって,それは容易なことではなかった.できないことはできないと自覚していた自分をすごい楽しみにしていて・ただ・笑顔になってくれたという患者の笑顔に導かれ,Bさんの心が徐々に開いていったことが分かる.そしてBさんは,そんな患者との関係を深いと表現した.その語りの場面をみていく.
Bさん:特殊ですね.本当に不思議ですよね.なんて言ったらいいのか,言葉にできないけど,すごく,なん,ねえ.深いっていう言葉を使ってしまう.
研究者:ねえ,普通の日常生活じゃなかなか味わえない.しかも,今まで全然違う生活をしてきた人と.
Bさん:うん,突然初めましてってところから,でも理解者になるってところまで.[B②777–783]
患者との関係をうまく言い表すことができないように,深いとBさんは表現したが,日常での他者との関係とは異なるその感覚は研究者にも共有されていく.初めて出会った患者との急激な関係の深まりは,日常での他者との関係と比較したときに際立って特殊・不思議なこととして,Bさんに感じられていた.ここでは理解者になることについて,具体的には語ってはいないが,新人看護師になった3回目の面接で実習のことを思い出すことがありますかと問われたBさんは,ありますと即答し,我が儘なお婆ちゃんみたいな患者とのエピソードを次のように語った.
3) 一人の人生を生きる人として患者を捉えるBさん:夜勤の最後に挨拶しにいくときには,この人はなんかすごいしゃべるだろうから,最後に行こうって.でっ,最後に行って,15分ぐらい結構しゃべっていって,そのときに戦後のすぐの話とかをされて.なんかその話を聴いて,ああそうか,この人も今入院して,ここでいろいろなんか,割と強いこと言っているけれども,この人も戦後とかの大変な時代を生きてきて,そこでなんだろう,色んなことを経験してきていて,今私たちにとっては,結構我が儘な,結構介助が必要なお婆ちゃんってだけだけれども,この人の人生はこの人の人生があるからこういうことがあるんだなって思ったときに,なんか,そういう経験を経て,長いこと私たちよりも何年も何倍も何十倍も生きてきた人たちのことを,なんか,そんななんか我が儘なお婆ちゃんってだけで片付けちゃいけないなあって思うようになって.[B③215–230]
すごいしゃべるだろうというその患者の行動は,訪室前のBさんに先取りされている.それゆえ最後に行こうと決めた行為には,Bさんの患者の話を聴こうとする姿勢が現われている.そしてこの人が語った戦後すぐの話にBさんは,ああそうか・この人の人生があるからこういうことがあるんだなと患者の振る舞いの意味を了解させられていく.このときのことをBさんは,行って・結構しゃべって・話とかをされてと患者と自分の主客が入り替わるように語っている.このことはBさんが,患者の話を聴いている自分と話している患者とを分かちがたく感じるような経験をしていたことを現わしていた.続きをみていく.
Bさん:うん,なんか相手に対するなんだろう,潜在的な敬意みたいな,相手をひとりの人生・・自分も生きてて大変だなって思うのに,相手はもっと生きてきて,相手はもっと感じて生きてきたのに,そういうのを,全部なにも考えないで,単に我が儘とか,話が長いとかっていうのは,本当になんかよくないなあって思って.なんかそれを知れる,こういう人とのなんだろう,いろいろ学べるそこが看護の一番いいところだなあって思って.[B③235–244]
患者を人生の脈絡から理解することは,Bさんにとって生きる自分の大変さに患者の生きる大変さを重ね合わせて比較することで相手への敬意を感じることでもあった.しかし潜在的な敬意とも表現されたように,それは患者の人生の語りを聴くうちに自然に感じられてしまう敬意なのだろう.
その場の態度から患者を捉えようとする看護師の言動に対してよくないなあと批判的に語ったことからも,患者を敬う思いは,Bさんの看護師の態度に対する判断基準の一つとなっていることが分かる.Bさんは1回目の面接で総合実習のときの自分を患者一家の取り巻く状況に一緒に入っていった・患者を取り巻く状況の一人だったと語り,2回目の面接で患者の理解者になるところまでと患者との関係を語った.今回のエピソードは,Bさんが患者の生きてきた背景を知り患者の行動の意味や思いを理解する者になることを具体的に示している.そしてその経験は,Bさんが看護師は患者の人生から学べる職業だと価値づけることに繋がっている.
次に,Cさんが卒業時の面接で,4年間の実習で生じた看護に対する考え方の変化について語った場面をみていくこととする.
3. Cさんの語り【看護として大切なことがあると思えた】Cさんは4年次秋の面接で,上手くできなかったという総合実習での経験を次のように語っていた.(患者から)部屋に来ないでって言われたのはなんでだろう,患者さんの視点に立つってことが分かってからは,じゃあ苦しくないようになんかできることはないかなって考えたり[C①195–199]したと言う.そして,卒業時のインタビューにおいて,(基礎)実習のときは,結構,先生とか看護師に対してミスしてはいけないっていうのがあった[C②217–218]と言い,でもなんか,どこで変わったのか,覚えてないんですけれども,もっと大切なことがあるんだって思えた[C②264–270]と語った.続きをみていく.
1) 患者のことをどれだけ考えられるかに焦点が当たったCさん:なんか,あのう本質が分かってなくて.看護の本質が分かってなくて.こういうてきぱきとしたケアで,なんかその気持ちも聴けて.そんな表面的なっていう技術というか,なんだろう.そういう場面での理想の看護っていうのが(領域別実習の)当時はあって.〈中略〉(総合実習では)なんか,あのう,う~ん,なんだろう.どれだけ,患者さんに寄り添えるかっていうか,その患者さんのことをどれだけ考えてできるかっていうのが大きいなって思って.〈中略〉なんかそのベッドサイドで話を聴くっていうのも,患者さんがしたくないときだったらしなくてもいいし.そういうのを考えられるかとか,感じられるかとか,そういうことに焦点が総合実習では当たったので.[C②423–427]
上手くいかなかったという総合実習での経験は,部屋に来ないでと言ったのはなんでだろうと,患者へとCさんの志向性を向かわせる契機となっていた.どこで変わったのか,覚えてないと語るCさんにとって,理想の看護よりももっと大切なことがあると思えたという変化がいつ自分に生じたのかははっきりとは認識されてはいない.しかし患者のことをどれだけ考えてできるかという語りからも,総合実習のときのCさんが患者のことを考えられるか・感じられるかという自分自身と向き合っていたことが分かる.
さらに看護師になったあとの面接において,実習のことを思い出すことはありますかという研究者の問いかけに,Cさんは次のように応じている.
2) 実習での経験を挽回する場が就職のときになったCさん:私としてはその頃と変わらないような,実習の頃と変わらないようなぐらいで,気持ちで最初接してたんですけれども,患者さんからしたら,もう私は看護師のひとりで,もう何年目とか関係なくて.私の言うことが,もうちゃんとエビデンスのある正しいものだと思って伝わってしまうし.なんか,私の表情ひとつでも,患者さんは心配になったりとか,嬉しくなったりとかする姿を見て.でっ,しかも私に対して,すごい頼ってくれるというか,信頼してくれているのを感じてて.その分,責任感とかも感じたりとかして.
研究者:それは,実習のときに感じたものとかとは違うの?
Cさん:う~ん.実習のときは,学生さん頑張ってね.私の,あのう,私の受け持ちで,私のことを受け持つことを経験して,いい看護師さんになってねっていう感じで接してくれてたっていうのを感じてて.なんか,患者さんに付いてけばいいやみたいな.なんだろう.私が患者さんをお世話・・ケアするっていうよりは,患者さんに主体っていうか,一人の人を主体で進めていたのが,結構,今は私のスケジュール主体で進めてるし,病院の方針とかで,進めてるしっていうのも,まあ.なんか,う~ん,ふと思うと,なにか振り返ると,なんか,そうだったなあって反省する点もあります.[C③12–30]
もう・伝わってしまうし・なったりという予想外の患者の応答にCさんは,自分が看護師であることを自覚させられていったことになる.Cさんにとって,実習中と看護師になってからでは患者との『頼る-頼られる』の関係性が逆転したかのように感じられている.そしてその関係性の変化に対する気づきは,今の実践が,患者を主体としたものになっていないことを省みる機会となっていた.しかし実習中も看護師になってからも,患者の自分に対する期待に応えようと,Cさんが振る舞ってきたことには変わりはないのだろう.さらにCさんは,実習のときと今との看護を実践したときにもたらされることの違いを次のように語った.
Cさん:ちゃんと看護ケアとして,自分で考えてやっているからかなあ.実習中は,なんだろう,手順をやっているような気がして.なんだろう,手順っていうか,基礎看護技術をやっている感じがしてて.〈中略〉でも,今はこの人には,これが大切だからやろうと思ったり.[C③832–838]
Cさん:う~ん,今は身体も,術後で不安なことでも,自分でちゃんとアセスメントしてやっているって患者さんにも伝わっていると思える.[C③865–867]
今はと語るCさんには,今の実践にいたる実習からの脈絡がある.看護師となったCさんの志向性は,ケアをするこの人の身体や不安に向かっている.そして実習のときと今の実践とを比較したことで,ちゃんと・やっているという確信と,患者にも自らがアセスメントして実践していることが伝わっていると思えるという確かな手応えがCさんにもたらされていた.見方を変えると,実習中のCさんにはその実感が乏しかったことが分かる.さらにCさんは,研究者にその変化が総合実習で生じたのかを問われ,次のように語った.
Cさん:でも最後の実習だったじゃないですか.だから,それを挽回する場っていうのが,就職のときになって.それで実際にやってみたら,患者さんからこういうフィードバックがきて,嬉しいっていう流れかなあと思います.[C③875–879]
それを挽回する場と語るCさんにとって,上手くいかなかった総合実習での経験は,看護師になった今の実践をもたらす契機となっていた.総合実習で患者の思いを考えられるか感じられるかと自分と向き合った経験が今のCさんの看護実践を生み,その応答としての患者からの思いをCさんが感じ取ることを可能にしていた.しかし,最初は実習のころと変らない気持ちで患者に接してたという語りや,流れかなあと思いますという言葉からも,挽回する場とはCさんに明確に意識されていた訳ではないのだろう.しかし実習での経験を振り返ったときに今の看護実践がもたらされた実習から続く確かな脈絡があることに気づき,その意味を了解していったことになる.
実習での経験を振り返ったときに当事者に立ち現れた意味について,「実習経験によって当事者にもたらされた変容」「看護基礎教育への示唆」という2つの視点から考察する.
1. 実習経験によって当事者にもたらされた変容本稿ではBさんとCさんの3回の個人面接のうち,主に卒業前の2回目と新人看護師となったあとの3回目の面接での語りに焦点を当てた.Bさんは実習で生じた自らの態度の変化を患者との関係において語り,Cさんは自分の関心がどう実習で変化したのかを客観的に語った.
二人に生じた変化は,基礎実習・領域別実習・総合実習と段階的に生じていた.それぞれの実習の間隔は,数ヶ月から1年近く空いている.実習を経験しているときにはその変化は当事者には明確には自覚されてはいなかったが,振り返ったときに段階的にその変化が生じていたことが了解された.Bさんは,学生の自分にはできないことを実感し,そんな自分を受け入れてくれた患者に心を開いていった.Cさんは,ミスを恐れていた基礎実習から理想の看護師像を目指した領域別実習を経て,総合実習では患者の思いを感じられるかという自分と向き合っていた.
本研究の当事者の語りが示した重要なことは,上手くいかなかった経験が契機となり,当事者の関心が患者へ向かうという変容が生じていたことである.Cさんははじめ先生や看護師に対してミスしてはいけないと思っていたと言い.Bさんも基礎実習では失敗してはいけないと構えていたと語った.当事者にとって実習は知識や技術を試される場として経験されており,失敗しないように自らの関心を看護を実践する自分へと向けていたことになる.しかし実習で患者の言動を理解できないと感じたことや上手くいかなかったという出来事は,関心を患者に向かわせ眼差しを患者に向けるという変容を当事者に生じさせていた.そしてその患者に向けられた眼差しによって,患者の思いや苦悩を感じられるようになるという変容が当事者にもたらされたことになる.
「看護の実践とは,まさに患者との出会いにおける,唯一無二の個人と個人の関わり合い」(Rolfe, 2014/2017)であり,実習で当事者に生じた変容も患者との関わりにおいて生じていたことになる.患者を大事に思う気づかいや関心が看護師の眼差しを患者に向かわせ,その眼差しによって看護師は患者の置かれた状態を理解し巻き込まれつつ関わることができる(Benner & Wrubel, 1989/1999).本研究における新人看護師になったあとの当事者の語りにおいては,患者に向けた眼差しが捉えた患者の思いや苦悩が当事者の看護実践や態度をも変容させていたと考えることができる.
2. 看護基礎教育への示唆学生は「自身の経験や理解に基づいて看護師になっていく」(Benner et al., 2010/2011)ため,自らの看護経験を振り返るという省察が大切となる.行為の中の省察はその場で行なわれることもあるが,その実践を特徴づける行為の速度や状況の制限に応じた時間的な広がりがある(Schön, 1983/2003).本研究の当事者たちが実習での経験を省察し,次の実習もしくは看護師になった看護実践において態度や実践を変容させながら試行していたことは,まさに看護実践者になっていくための行為の中の省察であったと考えることができる.学生は実習を段階的に経験するため,単一の実習の省察からでは,その省察がどう次の実践に繋がっていったのかという当事者の変容を把握することはできない.
また時期による当事者の省察の特徴をみてみると,本稿では詳細を記述できなかったが4年次秋の時点では総合実習での経験を振り返り語った.そして卒業時にはそれぞれの実習のときの自分を客観的に振り返りその脈絡を辿り,看護師になったあとでは看護実践を実習からの脈絡で意味づけ,実習のときの自分とを比較して語った.このことは実習経験の省察には,当事者の置かれた状況や時期が影響していたことを現わしている.当事者は,学ぶ学生から看護師になるという大きな環境変化を迎え関心ごとも変化していたことが推察される.そのため実習経験を省察しその経験がもたらしたことの意味を捉えるためには,卒業の時期に振り返る機会を設けることが最も適していると考えられる.卒業時に実習経験を省察することは,自らの看護師としてのアイデンティティが形成された脈絡を当事者が認識する機会になることが期待される.
語りを聴く側の教員にも慣習化された解釈の仕方がある.しかしながら,学生の経験していることに目を向ける省察的実践を基盤にした教育を行なうためには,教員もまた省察的実践者であることが重要となる(前川,2020).学修成果を評価する目的ではなく,実習経験について学生が語る機会を創設することは,教員にとっても実習が学生にもたらしたことを認識し教育を省みる機会になると考えられる.
また継続教育において新人看護師が実習経験を省みる機会をもつことは,自らの看護実践の成り立ちを認識し,看護師としての成長を認識もしくは省みる機会となる可能性がある.いずれにしても当事者が,教員や上司から評価されることなく,安心して実習での経験を語ることができる関係性や環境を整える必要がある.
本研究の限界は,研究参加者の教育背景が限定されていたことと,調査をした時期が卒業後2ヶ月半の時期までと限られていたことである.今後はより長期的な視点と多様な方法で,実習経験が看護師の変容や形成にもたらす意味について探究していく必要がある.
実習経験を振り返ったときに,患者との関係や上手くいかなかった経験によって看護観や看護師としての態度が段階的に変容していたことが,当事者に了解された.経験している最中にはその変化は当事者には自覚されてはいなかったが,実習での経験は看護師としての態度や看護実践を基づける経験となっていた.
付記:本稿は,首都大学東京大学院(現:東京都立大学大学院)に提出した博士論文の一部に加筆修正したものであり,また一部を第39回日本看護科学学会学術集会において発表した.
謝辞:ご協力いただきました研究参加者の皆様,ご指導いただきました東京都立大学大学院西村ユミ教授,臨床実践の現象学会・駒松研究会の皆様に感謝申し上げます.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.