2024 Volume 44 Pages 108-116
目的:「間身体性」という概念を採用することによって,18トリソミー児(以下18T)の母親の語りから18T児自身の「主観」に接近していくことである.
方法:Merleau-Pontyの「間身体性」という概念を採用し現象学的研究方法を用いた.加えて,18T児自身の「QOL」を捉えるためにサルトルの概念を用いて説明を加えていった.
結果:一方的に与えられた「18T児の本質」は「QOL」低下させた.他方,18T児自身が「生きられる」ことを証明することによって「自らの本質」を掴み取り,「QOL」を高めていったが,社会的価値を引き受けることができなくなった時には,社会から撤退し最小値の「QOL」を生きていた.
結論:18T児の「QOL」は社会参加によって高められることがわかった.しかし,社会の価値によっては,社会からの撤退を余儀なくされ,18T児の「QOL」は最小値にまで低下することがわかった.
Objective: This study aimed to approach the subjective of children with trisomy 18 from the narratives of their mother by adopting Merleau-Ponty’s concept of “intercorporeality”.
Methods: The phenomenological research method employing Merleau-Ponty’s concept of “intercorporeality” was used. Additionally, we used Sartre’s concept to explain the quality of life (QOL) of children with trisomy 18.
Results: A child that was provided one-sided “the nature of a child with trisomy 18” reduced “quality of life”. Conversely, the child proved that he was able to live, he was able to grasp the “nature of himself” and improved his QOL, if they were not able to accept the social values that they withdrew from society and lived a minimal QOL.
Conclusion: We found that the QOL of children with trisomy 18 could be enhanced by social participation, but depending on the social values, they were forced to withdraw from society and their QOL decreased to a minimum value.
染色体フルトリソミーとして生存可能なものは13,18,21トリソミーであるが,そのうち13トリソミー,18トリソミー(以下13T,18T)は,手術等の積極的な治療が行われなければ1年生存率は10%にも満たない(古庄,2019).でありながら13T,18T児への積極的治療についての検討は,近年に至るまでほとんどされてこなかった.その理由として,生命予後の深刻さ,重篤な神経学的合併症の他,1987年に東京女子医科大学の仁志田博司が発表したガイドラインでクラスC(治療はせず一般養護に徹する)に疾患名が明記された影響があるとされている(玉井ら,2012).
2006年,心臓手術を除く標準的新生児集中治療であっても13T,18T児の生存期間を延長できることが長野県立こども病院から発表された.この発表以来,日本を中心として13T,18Tに対して手術介入を含む積極的治療を行う施設が現れ,自宅での生活が可能となった症例も報告されている(田原ら,2018;森谷ら,2020).
しかし,13T,18Tへの医療介入にはいまだ施設間格差が大きく,親よりも医療者たちの方が積極的な介入には倫理的な課題が残ると考え,治療介入に消極的であるとの報告もある.医療者たちが主に倫理課題として挙げるのは,13T,18T児に対して手術などの積極的介入がされたとしてもQuality of Life(生活の質:以下QOL)は改善されず,手術のリスクと利益のバランスが判断できないということである(Kaulfus et al., 2019;Silberberg et al., 2020).
ただし,QOLについて全員が一致するような明確な定義は本来存在しえない.下妻(2015)は,QOLは生活や人生における「質」を考慮するため,「多要素性,多次元性」であると同時に「主観的」なものであり,基本的に他者によって規定することはできないと言及する.13T,18T児は重篤な神経学的な合併症をもっているため言葉を持たないことが多い.つまり13T,18T児の「主観的」なQOLを知ることは難しく,他者の「主観」による見解,「積極的介入がされたとしてもQOLは改善されない」という意見が一般化していく恐れがあるということでもある.
ならば,言葉を持たない13T,18T児の「主観的」な「QOL」にはどのようにしたら接近することができるのか.13T,18Tの「QOL」についての質的な研究は管見するかぎり,Weaver et al.(2020)が行った,心臓手術を受けた13T,18T児のQOLを親たちから聞き取りした研究だけである.この研究では,参加したすべての親が手術を受けたあとの我が子のQOLは高いと主張している.また,QOLではないが,18T児の親のブログから「希望」を抽出して分析する研究では,親たちは,医療従事者とこどもの「希望」について話し合うときに不適切なコミュニケーションが生じていると認識していることが明らかになった(Szabat, 2020).その他の質的な研究として提示できるのは,Arthur & Gupta(2017)による親たちの13T,18T児へのケアの経験の研究である.親たちは,自身のこどもは他者の人生を変えるほどの存在感を持っているが,一方で医療の現場で親たちは無力感に苛まれる経験をしていることが明らかになった.
ただし,どの研究も13T,18T児自身の経験ではない.言葉を持たない13T,18T児の「主観」に接近するには,現時点では,やはり先行研究と同様に他者の「主観」に頼るしか術がないようである.この方法論的困難をどのようにして乗り越えていくのか.重症心身障害児を育てる母親たちは,時に身体を一体化するようにしながら我が子の生を支え,意思を汲み取っていく.言葉がないからこそ,母親は我が子のわずかな身体の動きをまるで自身の身体の延長かのように痛みや苦痛を我が事のように感じている(児玉,2019;田中,2022).
本研究は,この母と子の身体一体的な日常を手がかりとし,子の主観に接近することを目的とする.その際には,メルロ=ポンティの「間身体性」という概念を用いて母親の語りを子の語りへと置き換えていくことを目指す.メルロ=ポンティは,心身二元論を退き,身体こそがこの世界の現われであり「すべての尺度」であり「すべての次元」であるとした(メルロ=ポンティ,1964/1994, p. 410).と同時に,私たちは身振りを手がかりとして,私は他者を理解し,他者もまた私を理解すると相互主観的な場を身体としたのである(メルロ=ポンティ,1945/1974, p. 216).
ただし,言葉を持たない子の身体に着目していくことは,主観接近のために有効と思われる一方で,「間身体性」において論難とされる他者性の剥奪への懸念もある.そのため,今回は,サルトルの「アンガジュマン」を採用し説明を加えていくこととする.サルトルは社会参加するという意味を持つ「アンガジュマン」という言葉を思想の中心に置く.「アンガジュマン」は「~を拘束する,巻き込む」という意味から派生しており,人々が「自己の本質」を自らで選び取っていく存在であることを意味する(サルトル,1946/1996, p. 68).つまり,これらの概念を同時に採用することによって,言葉を持たない子を能動的な主体者として捉えることが期待できる.
優さん(仮名:以降敬称略・18T症候群:モザイク・トリソミー型)の母親(50代)は,以前に研究協力をしていただいた母親から紹介された.初めてお会いした時に研究協力の同意は得たがインタビューは断られ,私たちの生活を知りたかったら一緒に過ごしてみたらいいと提案を受け,筆者は母親と優さんと共に1~3ヶ月に1回の頻度で行動しはじめた.半年ほど経つと,母親から「この会話を録音したらどうか」と提案されることがあった.申し出は突発的なものであり,インタビュー準備はできなかったが,結果的に共に行動し何気なく交わされる会話から生まれた言葉は,飾りのない,その都度性を維持した厚みのあるデータとなった.
2. 分析方法録音できたものはすべて忠実にトランスクリプトに起こし繰り返し読み,補足が必要な時にはメモにも目を通した.
母親が我が子をケアする手や目はケアを担うだけではない.母の手や目は常にケアされる我が子の手や目にも反転し「私でも彼でもない(メルロ=ポンティ,1964/1994, p. 230)」水準に置かれる.この水準に達することができなければ,言葉がなく自力で動くことができない重症心身障害児の生は維持できない.手や目が常に反転するような経験の繰り返しによって「景観は互いに絡み合い(メルロ=ポンティ,1964/1994, p. 48)」はじめる.この誰でもない「景観」をみつめる母親の語りを個人的な経験と見なさず「われわれの主観性(メルロ=ポンティ,1964/1994, p. 408)」とした.
データの中では「われわれの主観性」として,特に「18Tであること」やそれに付随した「生命予後の深刻さ」や「重篤な神経学的合併症」によって現れてくる周囲との関係性を表現した内容に着目し記述した.分析データは信頼性の担保として,現象学者や現象学的研究を行う看護研究者からのチェック,加えて母親にも内容を確認してもらった.
3. 倫理的配慮本研究は筆者が所属していた大阪大学人間科学研究科・社会・人間系研究倫理委員会に提出し,承認(承認番号2018003)を得て実施した.母親には研究計画および参加は自由意思であり,いつでも辞退可能なこと,加えて個人情報の扱いなどについて書面で説明をしたうえで同意を得た.
主に2019年5月から2023年5月までの4年間の会話録音(母親から提案のあった2019年20分と2023年40分の計60分)と会った時の記録(会話や行動時にメモが取れたものや,一日を振り返って記述したもの併せてA5ノート18頁)の一部を分析したものである.
2) 結果の表記データは明朝体斜字で示し,末尾にデータの抜粋箇所を示した.(2019, Tp1)であれば,2019年に録音した会話の全トランスクリプトの1行目の抜粋を示す.(2019, S)であれば2019年の参与観察メモからの抜粋を現わす.文意を伴うために筆者が補った語句はカッコで示し,分析はデータのあとにゴシック体で示した.結果のタイトルは抽象化することによって優の「QOL」構造の要素を現し,節は各要素の支えとなるように抽象化せずに主要な言葉をデータから採用した.
2. 分析内容 1) 「触れると壊れるような生」を生きる (1) 「はぁーと思って」(確定診断が出た後)すぐネットで検索したら,18Tって結構さ,ねえ,18Tって言われても,すぐ亡くなっている子もいるけど,それなりに成長があって,遅れはあっても,歩いている子も,走っている子も,どうかしたら自転車に乗ってる子もいるしって思ってね,頭の中でそれを見たから,もうこれやと思ったんね,勝手に思い込んでてん.だから,心臓さえよくしてもらえば,大したあれじゃないだろうと.
で,そのときにてんかんがあるとかさ,そんなんが出てくるなんて,聞か,聞けもしなかったし,だから,全然大丈夫と思っていた.だから,そのときに延命みたいなのは,1歳を超え,1歳からモザイク型(と診断された)だから,1歳から15歳ぐらいまで(の間で亡くなる)って,18Tの子は言われてるけど,それよかはましであろうみたいな説明やったわけよ,病院で.だから,はあーっと思って.
でも,今,もう1○歳や.どうよ,これって,最近ちょっと思うんやけど.ちょっと思いかけたころに,こないだの,2~3年前のマイコ(プラズマ感染症)やろ.(2019年T,p. 1~2)
1歳を越えた優は,当時の主治医から詳しい検査を受けるようにと促された先の主治医から,優は完全型の18Tより「(不完全型だったため)まし」と説明を受けた.母親はその診断後「すぐ」に不完全型の18Tについて「ネット」で調べてみたら優と同じこども達が「歩いている」「走っている」姿を見つけた.母親はそのこども達の姿を「頭の中で」優に置きかえ「見たから」優は「大丈夫」と安堵したと語った.
その一方で,母親は,この告知から何年も経った今では優が「大丈夫」と言えるような状況でない事を経験してきた.そこから振り変える母親の語りはこれ以降も,優の死の可能性と生の可能性を中心に時間を前後させながら語るため,表現に揺らぎがあり,結果的に主張がわかりにくい事がある.たとえば,母親が告知後の最後につく「はあー」という溜息は,一見すると安堵の溜息のように見えるが,実はそれだけではない.期待と共に優の死の可能性を息を凝らして見つめてきた,その張り詰めた心から漏れ出る溜息でもある.それを確認するには語られたエピソードの時間に注目する必要がある.それでは,「はあー」という溜息が安堵だけではないということを確認するために,語られた言葉に含まれる時間性に注目してみよう.
優は,医師の「ましや」という言葉通り,18Tのこどもの中では長命である.今は十代後半になった.だから母親は「どうよ,これ」と医師に死の告知を突き返そうと「ちょっと思いかけた」.そのタイミングで優自身が,自らの命の短さを証明するかの様に命を落としかけた.これ以降,母親は医師に告知を突き返せなくなっただけでなく,その告知を常に身近に置き日々を送らなければならなくなった.ゆえに母親は死を意識するような出来事はたとえ「2~3年前」であっても「こないだ」と表現する.
この語りに限らず,母親は常に優の生と死を重ね合わせて語るため一貫性がない表現がよく見られる.例えばここでは「大丈夫(生きられる)」と言いながらも,後半の入園の語り「2-1)」では「(死ぬと思っていたが)ひょっとして無事生きる」と語っている.つまり,生と死を同時に見つめている母親にとって,今日,明日の我が子の死の可能性と,生き続けるための試みのどちらもがいまだに同じ水準に位置しているのだ.だから母親はどちらの語りにも「最近」を並列させて語る.つまり,「はあー」は,息を凝らし,死を見つめる母親の心から漏れる声でもあり,優が生き続けていることへの安堵のため息でもあると言えるだろう.
(2) 「なんかあったら死ねってことや」我が子は近い将来に確実に死ぬという思いは逆に生への執着を生むようだ.不確かな優の生を鮮明にしていく作業が母親の使命とも言える.
以下は母親と一緒に優を特別支援学校に迎えに行った時の母親の言葉を後から書き留めたものである.
優の通う学校は小学校から高校までが同じ敷地内にあり,生徒数も○百人と大規模な特別支援学校である.学校は大きな川に架かった橋を渡り,少し下ったところにあった.母親は橋を越えたところの少し道が広がった学校全体が見渡せるところで一旦車を止め「見てみ,田中さん」と声をかけ私に川を見るように指をさした.
「ここの学校って県でも大きな学校や,○百人おるねん.そんなところにな,ここの川が溢れてみいや.どうすんの.車椅子使った子だっておるし,すぐにパニック起こす子だっておる.先生だけでどうすんの?な,田中さん,優みたいな子は,なんかあったら死ねってことや」(2019年,S)
母親が言うように実際にその特別支援学校が環境の悪いところに設置されたかどうかは定かではない.ただし,母親が私に伝えたかったことは,障害のあるこどもの命が他のこどもよりも軽んじられている,それが学校の設置場所によって証明されているという悔しさと,私にもその思いを同じように感じて欲しいという願いだ.
母親にとって,優の死は決して逃れることができないだけではなく,今日や明日にもやってくるような切迫感と共に傍にある.一度は,「どうよ,これ」と優の死を医師に突き返そうとした途端にその瞬間は容赦なくやってきた.ほとんどの場合はこどもが親の死を見送るが,優の場合は母親が我が子の死を見届けなければならない.その宿命から逃れることができないのであれば,母親にとって優の死の理由が優の身体全体に刻み込まれた疾患以外のものであってはならない.ましてや,障害があるというだけで命を軽んじられた結果に死んでしまうなどあってはならないのである.
(3) 「死ぬって,死なへんやんか」以下の語りは,優が死に支配されようとしていくその様子を語ったものでありながら,翻って優が自ら生を選び,この世界に留まろうとする力強さを持っている.
やっぱ家で苦しくなって運ぶやん.だけど,病院までもつんよな.私も,これは,もう病院までもたんなと思いながら運んだのがあったんよ.もつんよ.なので,この子,死ぬって,死なへんやんかと思って.(2019年,T,p. 3)
母親は退院してしばらくの間は,優が急変した際には救急車を呼んで搬送してもらっていた.しかし,何度目かの要請時にいくつもの病院から優の搬送を断られ,長いあいだ救急車の中で苦しむ優を見続けたという経験をしてからは,どれだけ優の状態が悪くても母親が車を運転して主治医の居る病院に運ぶようになった.
この語りの場面では,優が完全に息を止めてしまったらしい.母親は,信号待ちのたびに後部座席を振り返り,黒くなっていく優を見ながら「病院までもたんな」と死を覚悟しながら病院まで運んだ.結果的に優は,搬送先の病院で待機していた主治医の救命処置によって一命を取り留めることができた.
この語りは,優が危機的状況のなかで救命されたという事だけを語っているのではない.ひとつは,優が死ぬのであれば自分が責任をもって見届ける,救急搬送時の医療者側の都合で死なすわけにはいかないという母親の強い覚悟だ.二つ目は,一つ目とは相反するが,「死ぬって」医師は言っていたのに,「死なへんやんか」と,優自身の生きる力が医師の告知を超えたことへの驚きの語りだ.同時に母親が優のことを死ぬだけの人ではなく,生きる人であると了解した語りでもある.
2) 自らの生を引き受け,生に執着する (1) 「あ,やっぱ,反応があるんやな」医師の告知によって,優のことを「大丈夫」と言いながらも死の覚悟も持ち続けなければならなかった母親は,優の命ができる限り静かに尽きることができるようにと,優には対処療法以外の治療や処置を受けさせてこなかった.結果的に感染による状態の悪化を恐れ,ほとんどの時間を自宅で過ごしてきた.そのような母親であったが,優を生きる人と了解してからは,優の生を描くために精力的に動き出す.その一つが優の登園計画だ.
家でも,ちょっとぐらいの風邪やったらしのげてるし,これは,ひょっとして無事生きると思って.で,きょうだいの卒園した幼稚園にちょっと行ってみたら,幼稚園の園長先生は,まあ,(優の状況を)知ってたから,「そら,お母さんがよかったら,お母さん一緒に来るんやったら,いいよ」みたいな.あ,「やった」と思って.
で,幼稚園へ行ったら,そうそう,めっちゃ楽しそうなんやな,優が喜ぶのが見えて,おともだちに声掛けられるとか.ほんで,通っているうちにさ,ほかのクラスの子と自分のクラスの子と,わかるわけよ.「おまえ,誰や」みたいな?で,自分のクラスの子に声掛けられるのはめっちゃうれしくて,で,その中でも,好きな子がやっぱりいつも声掛けてくれてな,傍にいてくれる子がやっぱり見えたら,目で追ってるのがわかって,あ,やっぱ,反応があるんやなと思って.(2019年,T,p. 3)
優は幼児期後期に入ると体調も安定し「ちょっとぐらいの風邪やったらしのげてる」ようになり,母親の「死なへん」という期待は確かなものになっていった.「生きる」という期待は,母親の行動を大胆にさせる.状態を悪化させることを恐れ,ほとんど外出させなかった優を幼稚園に「ちょっと」連れだしたのだ.ただし,「ちょっと」と言いつつも,母親には,きょうだいたちが通った幼稚園に優も通わせたいといった試みがあったのだろう.だから母親は,期待を「ちょっと」という言葉で抑えながらも,自身の試みが叶ったことに思わず「やった」と喜びの声を挙げるのだった.
幼稚園での優は,家の中では見ることのできないような「めっちゃ楽しそう」な姿を見せ,「おともだち」もでき,「好きな子」もできた.いつも「傍にいてくれる子」とそうでない子を優自身が見分け,「傍にいてくれる」「好きな子」が「見えたら」,優自らが「目で追って(い)る」ようになった.母親は,幼稚園で過ごすそういった優の姿を見て「あ,やっぱ,反応があるんやな」と,優自身が「おともだち」との交流を楽しみ,それを積極的に求めていることに気が付いた.自身の試みではじまった通園生活で見えてきた優の姿が母親にとっての,優の生を描くための素描となる.
(2) 「言葉はないけど,存在感が大きい」母親は,卒園が近づいた時に,このまま仲よくなった友人と一緒に学校に通わせたいと思いはじめた.ただし,優の就学に対し教育委員会は「何かあったら困る」という理由から頑なに拒み,特別支援学校への入学を勧めてきた.最終的に,優の主治医が教育委員会にまで足を運び,「何かあったら,医者の僕でも何もできない.だから,学校で何かあったら救急車を呼んでください.救急車に乗ったらもう医療の世界の責任です.教育の世界の人には何も責任は掛かりません」(2019年,S)と言った.主治医のこの言葉によって教育委員会も態度を軟化させ,母親による送迎と学校内での完全付き添いを条件に優の入学許可が下りた.
なんか言葉はないけど,存在感が大きいで,ただ(優が)教室に居るだけで喧嘩が勃発しないとかあるのよ.なんか色々あったで,ともだちの女の子が優を挟んで言い合いはじめたら,優が泣いてるからそれ見てなんか,当の本人たちが申し訳ない,逆に申し訳なさそうで喧嘩やめたりな.
ほんでまあ.運動会とかそういう行事がさ,そういう運動会の行事が苦手な子もいるじゃん?で,組体操とか嫌な子とかおるじゃんね.嫌な子は優と一緒にやろうってなって優を挟んで扇の形取るとかそんなんもしてあったし.いっぱいなんかそういうのあったな.(2022年,T,p. 2)
小学校の6年間,優は地域の学校に通い続け,幼稚園からの友人たちと一緒に授業を受け,運動会にも参加してきた.優は呼吸管理のために常時モニターを付けているが,授業中は邪魔にならないようにモニターを鳴らさないようにしていたらしい.小学校での優は,クラスの中で「存在感」を発揮させながら,特にクラスの調整役を担ってきた.友人が喧嘩をしはじめた時には泣き,その優の顔を見た友人は「申し訳ない」と自分たちで喧嘩をやめた.運動会では,優のための新しい取り組みが,結果として運動の苦手な友人の居場所となってきた.思い出すと「なんかそういう」エピソードが「いっぱい」ある小学校は,優にとって,ただ居るだけの場所ではなく,友人と同じそれぞれの「存在感」を発揮できるような場所だった.
3) 社会から自ずと撤退させられる (1) 「そんなとこに優が行ったら,迷惑かけるやろ」友人との交流を求め,地域の小学校に通ってきた優だったが,中学校は母親自身が友人と離れさせてまでも地域から少し離れた特別支援学校に進学させることを決めた.
「中学も当然おなじところ行くやろってともだちたちは思ってくれてたし,校長も在籍しとけって言ってくれたけど,ほら,ちゃうやん,中学って,勉強がむずかしくなるし,受験もそうや,そしたら,そんなとこに優が行ったら,迷惑かけるやろ,なんかほら,みんなは,なんでや,って感じやったけど,勉強なんか全然できへんのに行ってもな」(2023年,T,p. 3).
地元の中学校になんで行かなかったのか聞いたけど,「小学校とはちがうやん」「そこはむずかしいな」としか言わない.「説明できる?」と言ったら「いやあ」としか母親は返答しなかった.(2023年,S)
中学から優は,地域の学校ではなく自宅から離れた特別支援学校に進学した.小学校の友人たちは「当然おなじところ行くやろ」と言い,地域の中学校校長も「中学校に籍だけ置いといて,養護学校(特別支援学校)に行ったらいいねんって言ってな,新しい制度まで作ってくれたんよ」(2023年,S)と地域の人たちが優の入学を歓迎していたことも教えてくれた.それでも優の母親は,中学は特別支援学校を選んだ.母親にとってもその理由を言葉にすることは難しかったようだ.何度か聞いたが,母親はその度に「小学校とはちがうやん」「そこはむずかしいな」と言うだけで理由を話すことはなかった.
それでは,母親にとって何が「ちが(い)」,何によって「むずかしい」と言わざるを得なかったのか.「勉強なんか全然できへん」優にとって中学校は,「存在感」を発揮できるような場所ではないのか.もしくは,小学校で一緒に過ごしてきた友人たちが「受験」に向けて頑張ろうとしている傍に優が居れば「迷惑をかける」ことを恐れたのか.未来を描き「受験」するための「むずかしい」勉強に取り組む友人の道と「勉強なんか全然できへん」優の道―小学校時代はそれぞれの「存在感」を発揮させながら重なり合っていた―が離れていく,その様子を見ることが辛いのか.出会ってから何年も経つが,母親から決断の理由を一度も聞けていない.
(2) 「一人もおらんの,どうなってんの」母親は,複雑な思いを抱えながらも入学式初日は,「白いスーツ着て張り切って行った」(2023年,S).「華やかな」入学式を楽しみに白いスーツを着て向かった母親は,入学式当日に優たち障害のあるこどもたちに向けられている社会のまなざしに気がついた.
養護学校行きました.ほら,あれなに,在校生が教室とか飾り付けして迎えるじゃんね.それが違うねん.華やかな式場を準備してるんちゃうんか?なんだ,なんだって感じ.なんでかって言ったら,養護学校の大半スクールバス通学するじゃんね.長期休みでバスのエンジンかからへんってバッテリーが上がって何台もお迎えができんかってんって,おかしいやん.なんで?在校生,自分で通学できる,送迎可能な子だけ来とって,バス通学の子ら,ほぼほぼおらんのよ.
入学式もな,一人も(来賓者が)おらんのよ,地域やったら町会議員とか来るやん,かっこだけでも座っとけよ.幼稚園とか小学校でお世話になった校長とか教頭とか,どっちか一人とか来てるもんじゃん.一人もおらんの,どうなってんの.(2023年,T,p. 6)
小学校の入学式で優は「在校生が教室とか飾り付けして(華やかに)迎え」られた.母親にとって入学式とは,人々が「華やかな式場を準備」して新入生たちを歓迎するための儀式だった.だから母親は,特別支援学校でも同じように「華やか」に歓迎されるものだと思い,それに応えるように「華やか」な「白いスーツ」を着て,入学式に参加したのである.
ところが,入学式に向かうと小学校とは違い,「教室」や「式場」は全く飾り付けがされていなかった.しかもその原因が,スクールバスが入学式にも拘らず,整備がされていなかったため在校生が「ほぼほぼ」登校できなかったという理由に母親は驚いた.「華やか」な飾りどころか,在校生さえもいない入学式がはじまった.母親が式の進行に伴い視線を前へと移動させると,今度は招待されているはずの来賓者が「一人も」居なかった.飾りも,祝う人もいない,寂しい会場で淡々と式が進行されていく,そのなかで母親は「どうなってんの」と困惑を覚えたのである.
特別支援学校の初日に現われてきた「どうなってんの」という困惑は,特別支援学校の中で起こっているため,原因は優たち障害のあるこどもの存在へと帰することになる.障害のあるこどもたちを軽んじる,人々のまなざしや態度は,会場の雰囲気と共に疑いようのない事実となって現われ,母親をひどく傷つけた.入学式に受けたこの深い傷つきが,怒りとなって母親に,学校近くの流れる川を指さし,筆者に向かって「なんかあったら死ねってことや」と言わせたのではないだろうか.
予後不良児を育てる養育者たちが我が子の不確実な健康状態への集中から逃れるための方略として,健康状態や人生についてのポジティブな側面に目を向けることが知られている(Kutsa et al., 2022).優の母親も死からの集中を断つために「死ぬはずが死なない」優の生命力に目を向けていく様子が見られた.確実に死ぬが,生きられる力の発見は,母親に死ではなく生を見つめさせるきっかけとなった.特筆すべきは,優の生に執着しはじめた母親が生への意味づけを自分自身に留めることなく,優が優自身の生を引き受けられるように優と共に精力的に動き出したことである.
重症心身障害児と母親がケアの抱え込みや社会的規範概念によって孤立することが知られている(久保,2022).この母子の孤立による他者との交流断絶によって18T児が自らの生を肯定し,主体化する機会を奪っているのではないだろうか.サルトルは,「私にかんしてのある真実を握るためには,私は他者をとおってこなければならない」(サルトル,1946/1996, p. 66)と,人が主体化するために他者の存在を要求する.生まれた時から「18T児」という医学的価値を否応なく担わされた優が,自身の「真実」を握り,生を自らで引き受けていくためには,社会に参加し他者と出会う必要性が示唆された.
2. 社会から自ずと撤退させられる「アンガジュマン」という概念は自身が自身の主権者であることを主張する力強い概念であり,優のような重度障害のあるこどもたちを理解するのに有効と思われる.ただし,サルトルはアンガジェすること,つまり人々が本質を選択する自由を得るには,その選択に対して社会的責任を負うことを要求する(サルトル,1946/1996, p. 70)ことには注意が必要である.
優に置き換えてみよう.優は社会に参加するや否や「18T児」と名づけられた.「18T児」であった時の優は,命を重視した母親によって他者との交流が断たれたため,母親も優も「18T児」という一方的なカテゴリー化を疑う機会を持てなかった.ところが,優自身が何度も死の淵から生を選び取り続ける姿を見た母親は,「死ぬけど死なない」優の「真実」を握った.同時にその「真実」を優自身が,自身の生命力によって証明することによって,社会に参加することができたのだ.自宅から社会に飛び出し,自身の存在感を発揮させながら友人と交流する場面の母親の語りは,母親の「景観」とは言い難い.時折,優の言葉の様な母親の語りは,「われわれの主観性」さえも超え,優自身がアンガジェしていくような力強い語りになっている.
語りの様相が変わるのは,特別支援学校の入学以降である.小学校までとは違い,一般的に現在の社会において中学,高校と進んでいくと,学校生活は偏差値や競争という価値が色濃くなっていくが,優はその価値を引き受けることができない.自らアンガジェし,責任を引き受けた優は,その価値を否定することもできない.それゆえ,優は自身の選択に対しての責任を果たすため,社会からの撤退を選択させられる―それは握り取った優自身の本質を放棄する事でもある―つまり,地域の学校への進学を断念せざるを得なかったのではないだろうか.握り取った本質の放棄によって「18T児」を再付与された優はカテゴリー化を余儀なくされる.カテゴリーは抽象的なものであり「可視的なもの」,つまり他者には成り得ない(メルロ=ポンティ,1964/1994, p. 403).それゆえ,母親と優の間身体性は不成立となるのではないだろうか.それを証明するかのように,第3節以降の母親の語りには優の言葉が消えてしまっている.
ただし,特別支援学校の入学を母親が決めたのは,社会からの撤退だけではなく,新たなアンガジュへの決意だったのではないだろうか.その決意表明が母親の「白いスーツ」であったと考えるなら,特別支援学校の景観はどれだけ母と子を傷つけたのか,その傷の深さは「なんかあったら死ねってことや」という言葉によって想像できるだろう.
18T児の「QOL」は,「触れると壊れるような生」であっても,「生に執着しつつ自らの生を引き受ける」ことによって,社会の中で存在感を発揮した日々を送り,高い「QOL」を維持することができていた.一方で,社会参加に対する責任の引き受けができなければ社会から死を突きつけられているような感覚を伴う「QOL」となっていた.それは同時に「主観的」で「多要素性,多次元性」であるはずの「QOL」が,重度の障害があるこどもに対しては,「主観」が消され,社会的価値へと「単要素化・単次元化」するということでもある.支援者たちは,この現象が主観的な「QOL」を発信できない人たちに生じやすいということを知っておかなければならない.
謝辞:本研究に参加してくださったお母様ならびに優さまに深く御礼申し上げます.また,本論文の投稿にあたって現象学的な観点からご助言をくださった臨床実践の現象学会研究会の皆様に深く御礼申し上げます.本研究は,JSPS科研費JP 19K11023「重症心身障害児の親が代理意思決定をしたあとの経験の構造化」の助成を受けたものである.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.