2025 Volume 45 Pages 267-277
目的:本研究の目的は,幼少期に保護者から虐待を受け,成人期に精神疾患とともに生きる当事者が,自身のライフストーリーをどのように語り再解釈しているかを解明することである.
方法:対話的構築主義を基盤としたライフストーリー研究を用い,3名に非構造的インタビューを3回行い,逐語録を「ストーリー領域(story realms)」と「物語世界(tale worlds)」の2つの位相に着目して分析した.
結果:否定的体験の中でも肯定的要素を見いだしながら自己理解を深める過程が示され,再解釈による回復と成長の可能性が確認された.チャイルド・マルトリートメント経験と精神疾患をめぐる語りは一面的に捉えきれない複合的な意味づけを含んでいた.
結論:当事者は過去のトラウマを病理のみで見るのではなく,多面的な語り直しを通じて新たな意味を再構築していた.包括的アプローチに基づく支援の必要性が示唆される.
Objective: This study aimed to explore how adults with mental illness who experienced child maltreatment from caregivers in childhood narrate and reinterpret their life stories.
Methods: Guided by a dialogic constructionist approach, we conducted a life story study with three female participants. Each participant underwent three sessions of non-structured, in-depth interviews, which were audio-recorded and transcribed verbatim. Data analysis proceeded in two phases: (1) examining “tale worlds” to identify narrative content and themes, and (2) focusing on “story realms” to investigate how interviewer–interviewee interactions shaped the storytelling process. The research received ethical approval from the university’s Ethics Committee (Approval No. 2023N-024), and informed consent was obtained from all participants.
Results: Although participants described various traumatic childhood experiences and ongoing struggles with mental illness, they also identified subtle positive elements that contributed to their current sense of self and relationships. These findings revealed a complex interplay between negative past events and newly discovered meanings, indicating potential pathways for resilience and growth.
Conclusion: The study highlights the value of narrative-based support that respects the multifaceted contexts of survivors rather than focusing solely on pathology. Recognizing both adversity and positive aspects within their life stories may enhance clinical and community interventions for individuals seeking to make sense of their past experiences and move toward recovery.
幼少期におけるチャイルド・マルトリートメント(Child Maltreatment;以下CM)は,脳の発達が未成熟な時期ほど不可逆的ダメージを及ぼす可能性が高いと指摘され(Teicher & Samson, 2016;McCrory et al., 2010;Orellana et al., 2024;友田,2017;藤澤ら,2020),その影響は脳構造のみならずストレス応答系や免疫・代謝にも及ぶ(De Bellis et al., 1999;Teicher & Samson, 2016).また,虐待を受けた子どもは愛着形成に困難をきたしやすく(van IJzendoorn et al., 1999;Cyr et al., 2010;友田,2017),対人関係能力や情緒調整機能の獲得が阻害される可能性が示唆されている(Carlson et al., 1989;Riggs, 2010;藤澤ら,2020).こうした影響は成人期まで持続し,多様な精神疾患発症リスクの増大と深く関係する(Widom et al., 2007;Gilbert et al., 2009;Norman et al., 2012;Baldwin et al., 2023;山下,2023).
しかし,研究や医療の現場では「虐待」「精神疾患」「愛着・脳機能」の個別視点に偏りやすく,それぞれが分断されてきた(山下,2023).その結果,CMを経験し精神疾患とともに生きる人々の全体的な人生や文脈が見過ごされ,看護研究や実践でもライフストーリー視点が十分に導入されないまま,病理や障害にのみ焦点化するアプローチが主流となってきた(Widom et al., 2007;Norman et al., 2012).しかし実際には,当事者は「虐待を受けた子ども」という役割にとどまらず,家族や友人,医療者との関係性の中で苦悩しつつ成長し,回復の契機を得るなど,多面的なライフストーリーを紡いでいる(Easton et al., 2015;Herland, 2023;Schneiderman et al., 2023;Frances, 2024).
当事者らの経験は「被虐待児としての生育過程」や「精神疾患の病歴」といったカテゴリーでは捉えきれない複雑さをもつが,従来の研究や支援体制では当事者の生活史を全体的に理解する機会が十分に提供されてこなかった(Gilbert et al., 2009).日本国内でも児童虐待は増加傾向にあり(山下,2023),医療専門職は子どもの身体的徴候だけでなく心理的側面にも目を配り通告・連携する役割を担う一方(上野・長尾,2010),当事者が過去と現在の経験をどう語り,再解釈しているかに焦点を当てた研究は十分とは言いがたいのが現状である.
そこで本研究では,当事者の「語り」を対話的構築主義(dialogic constructionism)の立場からあらためて焦点化する.すなわち,研究者と当事者の対話によって生成されるライフストーリーを通じ,CMと精神疾患,さらに本人を取り巻く社会的環境を多角的に理解しようと試みるものである(Frances, 2024;高田,2015).これは従来区分されてきた「虐待の被害者」「精神疾患の当事者」「脳のダメージを負った個人」といったラベリングへの批判的視座であり,当事者固有の世界観や生活実感を尊重するアプローチがいま求められているとの問題意識に基づく(Herland, 2023;Schneiderman et al., 2023).幼少期に保護者からCMを受け,後に精神疾患を抱える人々が,自身の生育歴や生活,病との折り合いをどう語り,再解釈しているのかを当事者と共に探究することで,CMと精神疾患の関係性を立体的に捉えるとともに,当事者の人生やアイデンティティ,さらに周囲の社会資源との相互作用を含む総合的理解を深めることを目指す.
本研究では,幼少期に保護者からCMを受けた経験をもつ精神疾患当事者が,自身のライフストーリーをどのように語り,再解釈しているのかを明らかにすることを目的とする.具体的には,CM経験の認識や解釈,精神疾患との関係や人生の転機を通じた変化を探究し,そこから導かれる支援ニーズや看護実践への示唆を得る.さらに,対話的構築主義を採用し,当事者と研究者の共同作業として生成される語りを分析することで,主観的文脈や固有の世界観を深く理解することを目指す.
本研究では,CMを身体的虐待,心理的虐待,性的虐待,ネグレクトなど,保護者またはそれに準ずる養育者による不適切な行為全般と定義する.
2. 対話的構築主義対話的構築主義とは,社会的現実や意味が当事者同士の相互作用を通じて生成されるとする理論的立場であり,インタビューにおいては語り手の体験の語り直しと研究者の問いや反応が影響し合い,新たな意味や解釈が共創されるプロセスとして捉える(Holstein & Gubrium, 1995;桜井,2002, 2010, 2012;桜井・小林,2005).
本研究は,桜井(2002, 2010, 2012)および桜井・小林(2005)の方法論を基盤とした対話的構築主義に基づくライフストーリー研究である.本研究プロトコルはOpen Science Framework(OSF)に遡及登録した(登録DOI: 10.17605/OSF.IO/FBPME,登録日:2025年6月26日).ライフストーリー研究はライフヒストリー研究と異なり,当事者が経験を振り返りながら主観的な意味を再構築するプロセスに焦点を当てる(桜井,2002;Holstein & Gubrium, 1995;Russell, 2022).対話的構築主義では,語り手(参加者)と聞き手(筆者)の相互作用そのものを分析対象とし,インタビューの場で新たな理解や解釈が共創される過程を考察する.ここで研究者も語り手と同等の主体として位置づけられ,研究目的や問い,質問・反応が物語形成に影響しうることを自覚し,省察的に関わる必要がある(Shotter, 2009).こうして生成されるライフストーリーは,単なる過去の再現ではなく,対話の中で意味が変容し続ける動的な社会的実在と捉えられる(Holstein & Gubrium, 1995;Russell, 2022).
2. 研究参加者 1) 選定および除外条件対象は,18歳以上の成人で,幼少期に保護者からマルトリートメントを受け,現在も精神科的診断を有する者とした.ただし,症状が安定し同意能力があり,主治医の承諾が得られることを条件とした.一方,インタビュー実施が困難な重篤な精神症状をもつ者は除外した.
2) サンプリングと参加者数研究協力を精神科病院に依頼し,付属の精神科クリニック外来に研究概要を掲示して公募した結果,3名が応募し,最終的に参加に同意した.本研究ではライフストーリー研究の特性上,理論的飽和よりも桜井・小林(2005)のいう「深い読み解き」を優先し,少人数で継続的かつ丁寧な関係構築を行った.また,応募のあった3名はいずれも幼少期に保護者からのCM経験と精神科診断を有していたため,分析対象として適切であると判断した.なお,博士論文レベルでライフストーリー研究を用いる場合,参加者数はおおむね3名以上が設定される傾向がある(西倉,2009).
3. データ産出期間2024年9月から2025年2月の期間に実施した.
4. データ産出方法 1) アクティブ・インタビューによるライフストーリー産出本研究では,対話的構築主義に基づくライフストーリー研究の一環として,非構造的なアクティブ・インタビュー(Holstein & Gubrium, 1995)を3回実施し,1回あたり60分程度を目安とした(状況に応じて時間は調整).初回は研究の背景と目的を説明し,筆者の自己開示を行ったうえで「ご自身の人生を自由に語ってください」と依頼した.2回目と3回目では,初回の語りを踏まえてCM経験と精神疾患の関連,人生の転機や重要な出来事についてさらに掘り下げた.インタビューはすべて参加者の同意を得て録音し,発話内容だけでなく沈黙や流涙といった非言語的要素も含めて書き起こし,補足事項は別途メモとして残した.なお,こうしたアクティブ・インタビューの対話的特性は,語り手と聞き手の協働による深い意味再構成を生み出すうえで有効であると報告されている(Prout et al., 2020;Russell, 2022).また,本研究では参加者が話したくない内容を無理に開示させないこと,語り手の発話を否定的に扱わないこと,および話が辛くなった場合はいつでも中断できるよう伝えておくことで「安全な語りの場」を確保するよう努めた.
2) メンバーチェックと専門家の検証インタビュー後に整理したデータを参加者へ提示し,語りの内容や意味づけが正しく反映されているかを確認するメンバーチェックを実施した.修正要望があれば逐語録や解釈に反映し,参加者との共同作業として研究の妥当性と信頼性を高めた.
また,同領域の研究者によるピア・ディブリーフィングを通じて,分析や解釈の偏りを点検した.さらに,手法創案者である桜井厚に依頼し,合計6時間にわたるスーパービジョンを受けることで,分析手順や研究過程の正確性と透明性を一層高めるよう努めた.
5. データ分析方法 1) 語られた内容の分析本研究では,桜井・小林(2005)のライフストーリー研究の枠組みを参考に,作成した逐語録を「ストーリー領域(story realms)」と「物語世界(tale worlds)」の2つの位相に着目して分析した.物語世界は「何が語られたか」に焦点を当て,語りの筋立てや内容を整理する位相であり,ストーリー領域は「いかに語られたか」に着目し,語りが生成される過程や相互作用のメタ次元を検討する位相である(Holstein & Gubrium, 1995).本研究では,桜井・小林(2005)の手法に沿って,何を(物語世界)どのように(ストーリー領域)語ったのかを往還・検討することで,当事者経験を多面的に理解した.
2) ストーリー領域(story realms)ストーリー領域の分析では,語り手(研究参加者)と聞き手(筆者)のやりとりや,インタビュー場面の文脈・雰囲気・感情的な要素を含むメタ・コミュニケーションに注目した.具体的には,発話のトーン,沈黙,筆者の反応などを手がかりに,語り手と聞き手がどのように相互影響を与えあい,語りの方向や深度が変化していったのかを検討する.この過程では,筆者と参加者それぞれの感情や思考がどのようにかみ合い,関係性がいかに展開したのかを明らかにするとともに,筆者自身のポジショナリティを意識的に省察した(Russell, 2022).
3) 物語世界(tale worlds)物語世界の分析では,まず研究参加者が語る内容を時系列に沿って丁寧に再現し,思考プロセスや強調点を可能な限り忠実にたどることを重視した.そのうえで,桜井(2002)の社会的空間の概念に基づき,「マスター・ナラティブ」(社会全体で広く受容される規範的な物語),「モデルストーリー」(特定の集団やコミュニティで共有されやすい語りの枠組み),「経験的語り」(個人の体験や主観に基づく物語)を手がかりに分析を進めた.本研究の参加者は背景が特異であるため,一般的なマスター・ナラティブに当てはまりにくい場合も想定される.そこで,より個別性が際立つ経験的語りを特に重視し,参加者固有の生活史や意味づけがどのように紡がれ,再解釈されるのかを詳細に検討した(van Heumen & Heller, 2024).
6. 倫理的配慮本研究は,筆者の所属する人間環境大学の研究倫理審査委員会(承認番号:2023N-024)および協力を得た精神科病院・クリニックの倫理審査を経て承認を得たうえで実施した.なお,参加者募集はクリニックの掲示板を用いた公募のみで行い,研究参加は完全に任意とした.研究の趣旨と複数回のインタビューを含む手続きについて書面で説明し,同意を得たうえで実施しており,途中辞退も自由に行える旨を事前に伝えている.個人情報のために匿名化を徹底した.また,参加者に心理的負担が生じた場合には主治医や専門機関と速やかに連携できる体制を整え安全性を確保した.万が一,研究により参加者に損失が生じた場合に対応するために保障制度にも加入した.
本研究の参加者は30代の女性3名であり,家族構成や精神疾患の診断,CMの経験などの概要は表1に示した.インタビュー後は逐語録と場面の記憶をもとに,筆者がストーリー領域と物語世界の二つの視点から分析した内容を参加者へ提示し,再度語りを深める手順を繰り返した結果,語りの変化と多面的な意味づけが明らかとなった.インタビューでは,各参加者が多岐にわたる体験やエピソードを語ったが,紙幅の都合上,本稿では代表的なエピソードを1つずつ取り上げるにとどめる.
伊藤かずは(仮名) | 加藤みほ(仮名) | 田中やよい(仮名) | |
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年齢 | 30代 | 30代 | 30代 |
性別 | 女性 | 女性 | 女性 |
家族構成 | 夫と子供3人 | 夫と子供3人 | 夫と子供2人 |
精神疾患 | 双極性障害 | 統合失調感情障害 | 統合失調症 |
チャイルド・マルトリートメント | ゴミ屋敷,心理的虐待,ネグレクト | 身体的・心理的・性的虐待および包括的ネグレクト(医療的・経済的側面含む) | 親の不仲(離婚),過干渉 |
回数/時間 | 1回目:54分38秒 | 1回目:47分19秒 | 1回目:57分59秒 |
2回目:17分26秒 | 2回目:51分56秒 | 2回目:44分03秒 | |
3回目:42分50秒 | 3回目:28分00秒 | 3回目:16分16秒 |
両親が共働きで保育的関わりが不足し,母方の親戚(おばちゃん)の支えを受けながら育つ一方,実両親との生活空間はゴミ屋敷で「いなくても同じ」と感じる環境にあった.学校生活では学業や部活に打ち込みつつも自信を持ちづらく,大学卒業後に結婚・出産を経て現在はWebライターとして子育てと仕事を両立している.幼少期に形成された「立派でなければ愛されない」という思い込みを見直そうと努めており,表2には幼少期から大学在学・卒業,結婚・出産,現在に至る主な出来事をまとめている.
年齢 | 出来事 |
---|---|
0~2歳 | 家族が多忙で不在がちで,目覚めると家に誰もいないことがあり,「自分はいなくてもいい子かもしれない」という疎外感を覚える.実母の代わりに「おばちゃん」が主に世話をしてくれ,愛情深い言葉かけに感謝や安堵を感じる一方,実母からはネグレクトを受ける. |
3~8歳 | 実家がゴミ屋敷化しており,父親が夜尿を揶揄する歌を歌うなどの行為や,母親の家事放棄が続くため,自分は愛されていないと感じるようになる.おばちゃんからは「立派な子」と言われる一方,それを「立派でなければ愛されない」という条件付きの愛と捉えてしまい,心理的負担を抱える. |
9~12歳 | 家庭環境から逃れようと友人宅を転々とし,帰宅を遅らせることで疎外感や恥ずかしさを紛らわせるが,ゴミ屋敷の実家に友人を招けない状況が続く.勉強は得意でも自信を持てず,「いなくても困らない存在」と思い込み,不潔恐怖を抱える.自己評価が低い状態が継続. |
13~18歳 | 吹奏楽部に所属し部活に没頭するが,パート変更などで「必要とされていない」と感じ,孤独感や将来への不安が増幅.家庭では父の不快な行動や母の家事放棄が続き,対人関係の幅も狭まって自己肯定感がさらに低下していく. |
19~22歳 | 実家暮らしを続けながら大学へ進学し,部活や趣味,恋愛を通じて新たな仲間と出会う.しかし「立派さ=愛される条件」という思い込みを抜け出せずに自己価値を模索.恋愛関係が生まれ,後の結婚相手と出会いながら「真の愛情」を求めて試行錯誤の学生生活を送る. |
23~24歳 | 介護職に就き,介護福祉士・ケアマネージャーの資格取得を目指すことで自立を図り,ゴミ屋敷から解放される.しかし資格取得が「愛される条件」であるかのように感じ,「立派さ」に固執する価値観から抜けきれない.家族との距離感に葛藤しつつも,役割を見直す契機ともなる. |
25~28歳 | 大学時代のパートナーと結婚し,子どもをもうける.ワンオペ育児に近い状況下で「与える愛」を学び,子どもの無条件の愛に触れることで「存在してよい」という感覚を得るようになる.子育てを通じ,幼少期の傷が徐々に癒される契機となり,自己肯定感を少しずつ回復していく. |
29歳 | 実父が不正疑惑で事業が行き詰まり,自死に至る.周囲には「心不全」と伝え,真実を隠す一方で「勝手に死んだ」という怒りや罪悪感を抱え,深く落ち込む.借金を帳消しにするための行為だった可能性を知るまで10年近くを要し,父を「やっと許せる」ようになるまで葛藤が続く. |
30~34歳 | 介護職を辞め,Webライターに転身.スピリチュアルな手法などで過去を再解釈し,「立派さ」への執着を手放し始める.おばちゃんの「立派な子」という言葉を呪いではなく贈り物として受け止められるようになり,家族や子どもとの絆を軸に自己肯定的な生き方へ移行していく. |
35~39歳 | 双極性障害が悪化し,気分の高揚と通院中断によって逮捕・勾留・措置入院を経験.子どもが児童相談所に一時保護され家族が分断される最大の危機となるが,「家族を失いたくない」という強い意志が芽生え,再び共に暮らすための治療継続と自己制御の重要性を学ぶ. |
40歳 | うつ状態の中で主治医や訪問看護と連携しつつ薬物療法を続行し,「波を完全にゼロにするのではなく度を越えないようにする」ことを目標に生活を調整.家族への負担や拘置所経験を踏まえて服薬中断を繰り返さないと決意し,夫や子どもたちが戻ることで新たな家族関係を築いていく. |
41歳~現在 | 娘の成人式が入院や気分の落ち込みと重なり十分に祝えなかったことに後悔を抱えつつも,一時保護所にいた子どもを含め家族全員が再び揃えたことを「奇跡的」と振り返る.父の自死から10年を経て,「借金を帳消しにするために命をかけたのかもしれない」と知り,やっと父を許せるようになり,家族の記憶を再解釈する段階に至っている. |
第1回目のインタビューで,筆者が父親との関係を尋ねると,伊藤さん(仮名)は落ち着いた口調で「おねしょをしていた小学生時代に,父から変な歌を歌われていた」と語った.筆者はこの告白に内心驚きを覚えながらも表情に出さないよう努めつつ,さらに話を促した.父は校長という社会的地位を築いた一方で,家庭では娘を揶揄するような言動をとっていたという.当時の伊藤さんは感情を大きく露わにせず「すごく嫌だった」「大嫌いでした」と静かに語るが,その背後には「なぜ父は自分をばかにするのか」という理解できない思いが伏在していたように感じられた.
続いて,小学校時代の両親の態度や「育ての母」であるおばちゃんから受けた評価を尋ねると,伊藤さんは「自分はいなくてもいい子」「どうせ愛されるわけがない」と感じていたと明かす.一方で,おばちゃんから「立派な子だね」と繰り返し声をかけられていたため,「立派でなければ愛されない」という誤った思い込みを形成していたという.この点を語るときも声を荒らげたり涙を見せたりはせず,あくまで静かな調子を保ち,「大人になってからやっと気づいたんです」と淡々と振り返っていた.語りの内容からは,伊藤さんが過去の経験を再構築しようとする意図がうかがえた.この解釈は「大人になってからやっと気づいた」という本人の振り返りに基づいて筆者が導いたものである.
(2) 物語世界(tale worlds):筆者:実際のお父さん,お母さんとの関係性についてはどんな感じだったんでしょうか?
伊藤:お父さんの方は陽気な人ではあったんですけど,私が小学生ぐらいまでおねしょをする子だったので,それに対して何か,変な歌を歌われたりしました.「しっこ垂れてどうのこうの」みたいな歌です.
筆者:へえ.(顔を顰める)
伊藤:なんかそれがすごく嫌で….別に私のことを言っているわけじゃないんだけど….
筆者:はい.
伊藤:なんか酔っ払ったような感じで,そうやって歌を歌うのが,すごくすごく大嫌いでした.
(中略:お酒の量や父の外での評判に関するやりとり)
伊藤:でも私にはそれが,すごく精神的にショックというか,ばかにされているように感じました.
筆者:特に大きなエピソードとか,小学生低学年ぐらいの頃はどうですか?中学年,高学年になって,ご家庭の状況や学校生活,小学校での出来事など,何か思い出に残っているものはありますか?
伊藤:家庭のことは,特にないかもしれないです.なんか,父と母に愛されていたのかどうか,ちょっとよくわからないんですよね.…(中略)…結局,自分の原体験として「いなくてもいい子」っていう感覚があったので.「どうせ私なんか愛されるわけないでしょ」みたいな気持ちが….
筆者:へえ….
伊藤:そういうのがあって.だから,何かを期待することもなければ,「何かしたい」とか「ここに行きたい」とか言った記憶もないですね.…(中略)…あと,その育ての母であるおばちゃんという方が,いつも「立派な子だね,立派な子だね」って言って育ててくれたんですけど,私はそれを「立派じゃないと愛されない」っていうふうに受け止めてしまっていて….
筆者:なるほど.
伊藤:…(中略)…だから,立派じゃない私は「どうせ愛されないんでしょ」みたいな感じで….
筆者:つまり,実のご両親からはあまり愛されている感じがせず,親族に預けられる中で「立派だから愛されているんだ」というメッセージを受け取ってしまった.そして,「いい子でいなきゃいけない」と振る舞いながら,一方で家に帰ってもあまり干渉もされず,「自分はいなくてもいいんじゃないか」と思いながら子供時代を過ごされていた,という感じでしょうか?
伊藤:そうですね.でもお父さんの歌はずっと続いていましたね.
筆者:それはひどい話ですね….
2. 加藤みほさん(仮名)のライフストーリー 1) 研究参加者の紹介母親からの身体的・性的虐待や不倫・金銭問題が常態化した家庭で育ち,病院に連れて行ってもらえないなどの医療的支援不足も含め,自力で乗り越える生活を余儀なくされた.就労や結婚・出産を機に医療機関へ再度繋がり,発作のコントロールや家庭環境の再解釈を進めている.さらに,夫や思春期の友人との出会いを通じて家庭外の関係性を築いたことが人生を振り返る大きな契機となった.表3には幼少期から高校時代,就労期,結婚・出産後の状況など,主な出来事を記載している.
年齢 | 出来事 |
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0~6歳 | 妹が障害を負い母親は妹に集中,父親は暴力的で酒乱のため,愛情や安心感が得られない環境で育つ.食事や医療的ケアが放置され「自分は後回し」と認識するようになり,母親による身体的・性的虐待が散見されることで他者への基本的信頼感が芽生えにくくなる. |
7~12歳 | 父親の不倫や母親の不倫が重なり家計は混乱.外部の大人たちがなぜか同居するなど家庭内秩序が崩壊し,「自分に価値がない」という感覚が強化される.学校でも安定を得られず居場所が希薄で,他者への不信感が深まっていく. |
13~15歳 | 不登校中に知り合った不良グループと行動するようになるが,強姦被害に遭いかけ離脱する.不登校を経て再登校するが孤立が続く中,ある同級生の声かけがきっかけで友人グループに加わり,家庭とは対照的に「仲間に入れてもらえる」関係性を初めて経験.学校が家庭外の救済の場となり,支えとして機能するが,依然として家庭環境への不安は根強い. |
16~18歳 | 学費や生活費を自力で工面せざるを得ず,親に頼れない状況が続く.家庭の実情を友人に話しても理解されないことが多く,「言えない苦しみ」「わかってもらえない痛み」を抱える.一方で少数の友人には苦境を分かち合え,わずかに共感を得られるものの,多くの同級生には異質な世界と受け止められ関係を深められない. |
20~24歳 | 母親の恋人が関わる会社で働くが,過酷な労働環境の中で「利用されているだけ」という感覚が再燃.解離やパニック発作を経験し,一度医療を受診するも治療継続は困難となり,社会適応の難しさを痛感する. |
25~29歳 | 夫との出会いによって初めて安定した大人との関係性を得る.困難な場面で実務的に対処できる彼に対して「結婚したい」と直感し,妊娠・出産を経て家族を築く.自分から相手を好きになり,ゆっくりと他者を信じられる可能性を模索し始める. |
30歳~現在 | 子ども3人との生活では発達面の課題や夫との衝突もあるが,過去の家庭よりは安定した日常を送り,「裏切られない関係」もあり得ると気づく.精神科クリニックに通院してパニック発作などを予防的に対処しながら,自己理解と再生の道を模索.現在も母親からの金銭要求には距離を置き,他者への依存や比較から少しずつ解放される感覚を得ている. |
加藤さん(仮名)は幼少期から,母親が食事を用意しない・病院を受診できないといった深刻なネグレクトをはじめ,母親による裸体の撮影,両親の不倫や生活費を使い込まれていたなど,家庭環境の混乱に長く晒されてきた.事実上の医療保険の使用拒否や高校の学費の自己負担を余儀なくされるなどのCMを「当たり前」として受け止めざるを得なかったという.こうした背景を抱えながら加藤さんは友人たちに自らの体験を打ち明け,理解や共感を求めようとしたが,実際には十分な反応を得られなかったと穏やかな口調で語る.
語りの内容は家庭内での深刻な混乱や支援の欠如を浮き彫りにしており,当事者にとって「生き延びるための日常」であったCMが周囲には共有困難な異質の経験として扱われていたことが示唆された.ときに「それほど深刻な話ではない」と軽く流される場面もあったが,加藤さんはそれらを淡々と振り返っていた.
(2) 物語世界(tale worlds)筆者:ご家庭の状況とかは話されたりしてきたのかっていうことを,ちょっと興味あるんですけど.
加藤:話してはいるけど,やっぱり何か理解は得られないというか,そうですね.高校の友達も含めなんですけど…高校時代のほうが私的にはつらかったので…そういうことなくてって言ったんですけど…重くは受け止める…そういうことはあんまり人に言うことじゃないんだと.
筆者:ほう.
加藤:そうですね.自分の中では受け止めて…あんまり言うことがつらいんだと.
筆者:それを表出されてこなかったって感じですね.なるほど.人に話すべきではないんだなっていうのを,もう少し一緒に読み解かせていただけたら嬉しいんですけど,そう大事なことだなと思って.どうなんでしょう,友達にとっては,加藤さんがお話される内容ってすごいご自分の家庭の状況からしてすごく乖離しちゃっていて,ある種意味がわかんないのかなって考えたりもするんですけど…
加藤:この高校のグループのうちの1人の子はすごく重く受け止めて,未だに「大丈夫?」って心配してくれるような子がいるんですけど…その子だけがちょっとしゃべれるって感じなんですけど…ご飯とか作ってもらえないし,連れてってもらえないし…ってときに…「今日朝起きたら妹に私のパン食べられて最悪」みたいなこと言われたら…私のエピソードって弱いんだなと思って…結局あんまり人に話さないほうがいいかもって.
筆者:そうですね…なんでそんなこと言うんだよ…と思っちゃうんだけど…やっぱりまだ若くて共感力が育ってないのかもしれないですね.
3. 田中やよいさん(仮名)のライフストーリー 1) 研究参加者の紹介祖父母や両親に過保護ともいえる形で育ち,欲しいものはほぼ与えられていたが,家庭内の口論や育児方針の対立により自己主張の機会は限られていた.19歳頃に精神疾患を発症し看護師志望を断念したが,結婚・出産を経て現在は就労継続支援B型に通いながら家族3人で暮らしている.祖父母や両親からの愛情を全否定せず,「改善したい」という意欲を持ちながら日々を送っており,表4には幼少期の家庭状況,進路変更,結婚・出産,現在の生活に至る主な出来事を記載した.
年齢 | 出来事 |
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0~6歳 | 祖父母・両親・弟(8歳差)との大家族で育ち,欲しいものをすぐ買い与えられるなど甘やかされた環境で「我慢」や「自己抑制」を学ぶ機会が少なかった.母がしつけを試みようとしても祖父母や父が反対し,家事手伝いをさせてもらえない.両親の喧嘩が絶えず,小さいながらも「お化けより両親の喧嘩が怖い」と日記に書くほど家庭内葛藤への恐怖を感じる. |
7~12歳 | 祖父母は習字の先生で両親も教育熱心だったため,成績や書道など「勉強」への期待が高く,良い子でいようと意識する.一方で家庭内の喧嘩が続き,友人関係は煩わしく感じて休み時間は一人で読書をするなど回避的態度をとる.両親を「反面教師」と見つつも自分の行動を大きく変えられないまま,評価を重視する家族に応えようとする日々が続く. |
13~15歳 | 女子同士の仲間外しや派閥構造を嫌い,対人不安・不信を深めながら勉強へ逃避する.「勉強さえしていれば友達と関わらなくていい」と考え,さらに評価不安が高まる.両親の不和は相変わらずで,自分にとって勉強が唯一の逃げ場・アイデンティティ基盤となる. |
16~18歳 | 「ブス」と言われた(実際には被害妄想的要素もある)体験をきっかけに,全校生徒が自分を中傷していると思い込むほど被害妄想が強まる.外見への劣等感と対人恐怖が顕著化し,学資保険を使って衝動的に美容整形を行うまで追い詰められる.周囲の視線を過剰に恐れる評価不安が行動化し,自分自身をコントロールできなくなる兆しが見え始める. |
19歳 | 統合失調症様症状が現れ,精神科の閉鎖病棟に入院.看護師になる夢や大学進学を断念せざるを得ず,自己評価が大きく低下.脱走未遂や死にたい衝動にまで至る深刻な状態となり,「他人にケアされる屈辱」や無力感を強く感じる. |
20~24歳 | 両親が離婚し,弟は潰瘍性大腸炎を発症して父側で治療を受けるなど家庭が崩壊する.自身は社会経験不足により「常識」や「自立」への不安を抱えつつ,精神科グループホームで障害を持つ仲間と接触し,一時的に楽しさや安定を感じる.ここで現在の夫と出会い,具体的な援助を受けながら精神的な支えを得る. |
25~29歳 | 同じく統合失調症を抱える夫と同棲を始め,結婚に至る.妊娠が判明すると「中絶は人殺しと思われるのでは」と恐怖しながらも産む決断をするが,他人の評価への依存と不安が顕著で自己決定が難しい.「失敗を怖れて自分で決められない」という思考パターンが強く,結果的に周囲や夫の意向に頼る形で出産を選択する. |
30歳~現在 | 娘を出産・子育てを開始するが,「娘がいじめられるかもしれない」という強迫的な不安を抱え,娘の通学団を尾行する日々.夫と障害年金で生活しながらB型作業所へ通所.コントロール欲求と保護欲求が混ざり合い,娘の友人関係に過度な干渉を試みるなど問題行動が見られるが,「本当は娘を愛している」という事実にも気づき始める.父親と再接触する中でトラブルや一時的な入院に至ることもあるが,娘に大きな問題は生じず,自身の過剰な心配を客観視できる段階に少しずつ移行している. |
第2回目のインタビュー後半で,田中さん(仮名)は娘という存在が自分の人生にどんな意味を持つのかを,少し照れを含んだ口調で語り出した.筆者は,一度は「中絶したら人殺し」とまで自分を追いつめるほど中絶に対して葛藤していたという彼女の背景を頭に思い浮かべ,複雑な思いでその言葉に耳を傾けていた.実際,田中さんにとってこの出産は,夫とのつながりを保つための口実であった一面も否定できず,「本当に産んでよかったのか」と悩む時期があったという.
しかし,そんな「ネガティブな出産」経緯を抱えながらも,田中さんは娘を指して「私のストッパーになってる」と明言する.「娘が『ママ,一緒にいよう』と言ってくれることが救いになる」という語りは,当事者が子どもとの関係を支えとして位置づけていることを示していた.田中さんは娘を「いい子」「頭がいい」と評しながら,「こんな私みたいな変なところに来てしまって可哀想」と哀れみも口にする.それでも最終的に「産んでよかった」という表現に落ち着くとき,出産を否定的に捉えていた過去と,現在の子どもへの肯定的感情との間には大きな意味変容が見られた.彼女が自分の弱さと娘への愛情を抱えながらも,家族関係を維持している姿がこの場面でうかがえた.
(2) 物語世界(tale worlds)筆者:そんなこともないと思いますよ.娘さんのことをお聞きしていると,娘さんが生まれたということ自体が,人生の中で大きな出来事だったんだと思います.もちろん,それが本当に良かったのかどうか,悩まれる部分もあるかもしれませんけど,娘さんの笑顔を見ていると「これでよかったんだ」と思えるんじゃないですか.そして,その笑顔と一緒に楽しむことには,否定的ではない感じでいらっしゃるのかなと感じます.
田中:もう娘が私のストッパーになってるんですよね(涙).そういう存在になっています.
筆者:なんですね.
田中:そうなんです.例えば,旦那と喧嘩したときも…….うん.ごめんなさいとか,売り言葉に買い言葉で何か口論になったりしても,娘が「ママ,一緒にいよう」って言ってくれると,なんかそれだけで救われるんです.
筆者:そう思えるんですね.
田中:(不安を)取ってくれてるんですよ.しかもこんなスムーズに.すごい頭が良くて,私はただそう思ってるだけなんですけど,いい子なんです.だからこんなに高価な幸せをもらっちゃいけない,へえって感じで.でも産んでよかったなって思います.悩むこともありますけど.里親さんとかを見てると,「子どもがなんでこんなにいい人たちのところじゃなくて,こんな私みたいな変なところに来ちゃったんだろう」って思うときもありますけど,それが可哀想だなって思ったりします.でも,私は笑いがあるから大丈夫なんです.
本研究の3名はいずれも,幼少期の保護者との関係が自己形成に大きな影響を及ぼしたことを成人期に改めて振り返り,意味づけを試みていた.たとえば伊藤さんは「立派でなければ愛されない」という思い込みを抱え続けてきたが,インタビュー過程でその根底にあるプレッシャーを言語化し,多面的に捉え直そうとしていた.こうした「再解釈」の過程は,被虐待サバイバーが過去の出来事に新たな意味を与えることで自己肯定感や心的回復力(レジリエンス)を高めるとした先行研究(Draucker et al., 2011;Tedeschi & Calhoun, 2004;van der Westhuizen et al., 2023)とも合致する.
また,加藤さんが「家庭環境の異常さ」を認識しつつも,そこに存在したわずかな支えを思い出す場面は,必ずしも被害体験だけでは語り尽くせない自己の多面性に気づく契機となっていた.こうした肯定的要素の再発見は,「自分にとっての意味」を見出す重要なプロセスとも言え,これまでの文献が示唆してきた「語り直しの効果」(Arias & Johnson, 2013;McAdams et al., 2001)を裏付けるものと考えられる.
2. 当事者固有の「両価性」と回復の契機3名の語りには,虐待を中心とする否定的体験がある一方で,親や家族からの愛情や支援を完全には否定できないという両価的感情が表出していた.伊藤さんは家族の中で孤立を感じていたが,学友や親戚からの評価に助けられたとし,田中さんも過保護を批判しながらも「可愛がられた」事実を肯定していた.Krayer et al.(2015)は,被虐待サバイバーにとって肯定・否定が混在する感情(両価性)を統合していくことが回復や成長の契機となり得ると報告しており,Lev-Wiesel et al.(2005)も同様に,両価的な意味づけを通じて被虐待体験を位置づけ直す重要性を指摘している.
一方,加藤さんが「ほとんどの友人には理解されなかったが,一部の友人の存在が救いだった」と語ったように,十分とは言い難いながらも肯定的要素を手がかりに回復を模索している様子がうかがわれた.親を完全に否定しきれない葛藤や愛着が残るからこそ,将来的な関係修復や,新たな意味づけを通じて「自分と家族をどう位置づけるか」を再考する可能性を含んでいるとも考えられる.Freedman & Enright(1996)は,性被害を抱える女性が「許し」や「愛憎併存」を探究する過程で,希望や自己肯定感の向上が促されることを示しており,このような両価的感情を適切に扱うことは,当事者の回復を支える一因となり得る.以上を踏まえると,家族や自己に対する肯定・否定両面の感情をいかに取り扱うかが,回復の大きな要となると考えられる.
3. 語りの場の意義と包括的支援への示唆本研究では,対話的構築主義的なアプローチを用いたインタビューそのものが,当事者にとって現在と過去を結び直す機会となった(和泉,2001).たとえば田中さんの「娘の存在が生きがいになっている」という告白は,否定的だった出産経験が救いにも転じていることを改めて認識する場面であった.こうした「語り直し」は,過去のトラウマや家族関係の問題を単なる病理として捉えるのではなく,当事者が隠れた資源を再発見し,未来へ向けた希望を構築する可能性を示している(高田,2015).
よって,専門職者による支援では症状や病状の評価にとどまらず,当事者のライフストーリーを尊重する包括的アプローチが求められる.特に看護職の実践場面では,外来や訪問看護の場面などで当事者が安心して語れる環境づくりを行い,単なるケア提供者としてではなく「語り」の聴き手としての役割を担うことが重要となる.CM体験や家族機能不全が背景にある場合,一方的な「被害者」「加害者」の図式化に陥らず,当事者の複雑な思いを十分に語れる場を整えることが看護師の責務である.こうした対話の支援過程を通じて,当事者が自らの回復や成長に結びつけるヒントを得られるよう意図的に関わることが求められる.
総じて,本研究の結果からは,(1)安全な対話の機会の保障,(2)過去の傷つきだけでなく肯定的要素にも光を当てる視点,(3)多領域との連携による柔軟な支援体制の構築が必要であると示唆される.なお,本研究では無理に語らせない・否定しない・語り出された内容に逃げずに向き合うなどの関係構築を重視し,参加者が安心して語れるよう配慮した結果,否定的体験を含めて多面的に再解釈する語りが生まれた.これらを踏まえ,たとえば医療機関・保健・福祉など多職種と連携しながら,看護師が継続的なインタビューを実践し,当事者の両価的な感情に寄り添って共に物語を再構築するプロセスを支えることが有用であろう.今後は,インタビューやナラティブ・セラピーの実践をさらに拡充し,当事者の両価性を尊重しながら回復プロセスを長期的に支えるモデルの構築が必要である.
4. 研究の限界と今後の課題本研究の3名はいずれも精神病性症状を有する疾患と診断されており,症状が悪化すると入院や隔離が必要となり得る重症度であった.そのため,病状の変動がライフストーリーの形成や回想に影響を及ぼす可能性があり,精神症状の安定性や治療経過によって語りの深さや一貫性が変化する点は否定できない.今後はより多様な診断や重症度を有する当事者を対象に研究を拡張し,長期的かつ多職種連携の視点からライフストーリーの再解釈プロセスを検討することが求められる.
本研究は,幼少期に保護者からCMを受けた経験をもつ精神疾患当事者が,自身のライフストーリーをどのように語り再解釈するのかを明らかにすることを目的とした.その結果,3名はいずれも否定的な体験に苦しみつつも,家族やパートナー・子どもとの関係性やわずかな肯定的要素を手がかりに,回復と成長の可能性を見いだしていた.こうしたライフストーリーの再解釈プロセスは,単なる病理視点では捉えきれない複合的な意味づけを含んでおり,看護をはじめとする対人援助領域では,当事者の多面的な語りを引き出し・尊重する包括的アプローチが求められる.
本研究の対象数や女性への偏りなどの限界を踏まえ,今後はより多様な事例を取り入れ,ケアモデルや教育への具体的な活用策を検討していく必要がある.
付記:本研究は2025年人間環境大学大学院看護学研究科博士論文(三次研究)の取り組みとして実施した研究である.
謝辞:本研究は,幼少期のチャイルド・マルトリートメントと精神疾患を抱える当事者の語りを,対話的構築主義の視点から丁寧に描き出すことを目的としました.まず,ライフストーリー研究にご参加いただいた皆さまに,心より感謝申し上げます.語ることの難しい体験を率直に共有してくださり,対話を通じて新たな意味を共に見いだせたことは,大きな学びとなりました.
また,分析過程でピア・ディブリーフィングにご協力くださり,多角的な視点や有益な助言をくださった研究者の方々にも深く感謝いたします.さらに,対話的構築主義に基づくライフストーリー研究の方法論を継続的にご指導くださった桜井厚先生にも,心より御礼申し上げます.先生のスーパービジョンと理論的示唆がなければ,本研究の対話的アプローチをここまで深めることはできませんでした.
本研究の成果が,当事者の視点を重視する看護実践や支援体制の向上に寄与し,チャイルド・マルトリートメントを経験された方々が自らの人生を語り直して回復と成長につなげる一助となれば幸いです.最後に,本研究に関わったすべての皆さまに,改めて心より感謝申し上げます.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.
著者資格:SNは,本研究の発案,研究計画書の作成,文献の収集,データの分析と解釈,さらに論文執筆の全プロセスを主導した.ESは,本研究のすべての過程の遂行にあたり,アドバイスの提供,執筆,原稿修正など,多大な支援と指導を行った.両名とも最終版原稿を確認し承認するとともに,本研究におけるすべての情報に対して責任を負うことに同意しており,ICMJEが提唱する著者資格を満たしている.