Journal of Japan Academy of Psychiatric and Mental Health Nursing
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2021 Volume 30 Issue 2 Pages 106-116

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対談 阿保 順子(学会名誉会員)

   寺岡征太郎(和洋女子大学)

座長 萱間 真美(聖路加国際大学)

 

座長(萱間):第31回特別集会では,30周年記念企画の対談を皆様にお送りしたいと思います.この対談は,30周年記念事業委員会が企画してくださいまして,本来でしたら,2020年の福岡の大会で実施される予定のものでした.1年経ちましたけれども,第31回の学術集会でこの企画を皆様にお届けすることになりました.テーマは,「精神看護を語る~精神看護の未来を見据えて~」です.

この企画は,対談形式でお送りいたしますが,対談していただくのはお二方でして,皆様よくご存知の阿保順子先生と寺岡征太郎先生,そして,30周年記念事業委員会のメンバーの方々,さらに,会員の皆様の中で,この対談への参加を希望してくださった皆様と一緒に録画を,今,しているところです.

それでは,対談をしてくださるお二人についてのご略歴を紹介したいと思います.そして,企画の趣旨については,この30周年記念事業委員会の委員長でいらっしゃった寺岡先生から,まずお話を伺うようにしたいと思います.

では,阿保先生のご略歴を紹介いたします.阿保先生は,1970年に日本赤十字中央女子短期大学,現在の日赤看護大学を卒業されました.その後,慶應義塾大学 通信教育部で哲学,弘前大学 人文科学研究科で文化人類学を学んでいらっしゃいます.先生は,日本赤十字中央病院で臨床経験を積まれまして,1993年に北海道医療大学 看護福祉学部教授となられました.その後,2010年から2014年の間,長野県看護大学の学長をお務めになりました.現在は,「NPO法人こころ」の理事長でいらっしゃいます.先生はたくさんのご著書がありまして,私たちも多くを学ばせていただいております.主な著書としては,『身体へのまなざし』,『統合失調症急性期看護マニュアル 改訂版』すぴか書房.『認知症の人々が創造する世界』岩波書店.『精神看護という営み』『高齢者の妄想』批評社などがありま‍す.

2020年には,日本認知症ケア学会 読売認知症ケア賞の功労賞を受賞していらっしゃいます.

続いて,寺岡征太郎先生のご略歴を紹介させていただきます.寺岡先生は,長崎大学 医療技術短期大学部 看護学科を経て,1998年に大分医科大学,現在の大分大学 医学部 看護学科を卒業されました.1998年から2009年3月まで碧水会 長谷川病院で勤務され,その間,2003年に北里大学 大学院 看護学研究科修士課程を修了し,修士の学位とともに2007年11月に日本看護協会 認定精神看護専門看護師資格を取得されました.その後,2013年からは長崎大学 大学院 医師薬総合研究科博士課題で博士の学位を取得されております.長谷川病院の後は,2009年から2010年まで長崎大学病院で,精神看護専門看護師,リエゾンナースとして活躍され,2014年から2017年までは東京医科大学 医学部 看護学科の講師として,そして,現在は,和洋女子大学 看護学部 精神看護学の准教授としてご活躍でございます.

では,お2人のお話を私ども大変楽しみにしております.どうぞよろしくお願いいたします.寺岡先生お願いいたします.

 

寺岡:皆さん,こんにちは.今ご紹介いただきました寺岡と申します.

まず,最初に,対談に入る前に,この企画の趣旨について,30周年記念事業委員会の中で話し合ってきたことを少しご紹介できればなと思っています.先ほど,萱間先生がご説明くださったように,本来ですと,この企画は,昨年の福岡の大会で実施する予定のものでした.その前の年から,つまり2019年の春ぐらいから,2020年に本学会が30周年を迎えるにあたって,何か思い出に残るようなイベントが,学術集会の中で実施できないかといったことを記念事業委員会の中で検討してまいりました.当初,昨年の学術集会ではシンポジウムという形で行う予定にしていたんですけれども,とにかく30周年,本会が成長してくる過程の中で,僕たちはとにかく多くのことをこの学会を通して学ぶことができ,体験することができたというふうに感じていたメンバーが委員として集まっていたこともあって,これまでの経緯と言いますか,30周年の歩みをしっかり振り返る時間が必要じゃないかというのが,一番最初に話題として出ていました.同時に,これまでの歩みを振り返るだけではなくて,今後,私たちがこの学会から学ばせていただいたことを,この後どういうふうにさらに若手の方々に引き継いだり,あるいは,これから先のこの学会のあり方に貢献できるのかなといったようなことを委員会の中でも検討を重ねました.そして,タイトルを「精神看護を語る~精神看護の未来を見据えて~」というふうに設定いたしました.

ですので,今日の対談,対談と言いましても,僕は阿保先生と2人でこういうふうに面と向かってお話させていただくのはほんとに緊張すると言いますか,阿保先生といろいろお話させていただくようになって,時間は長くは経ってはいるのですが,こういった学術集会で対談という形でお話させていただくのは,ほんと緊張します.せっかくいただいた機会ですので,今回の対談の趣旨,精神看護の未来,これまでの30周年を大切にしながら,これから先この学会でどういったことができるのか,何を考えていけばいいのかといったようなことを,阿保先生と一緒にお話させていただく時間になればいいかなと思っております.

皆さんお手元に抄録があるかと思いますが,抄録の中に,短い文章ではありますけれども,これまでの経緯ですとか,この企画を担当しております30周年記念事業委員会のメンバーの名前などが掲載されておりますので,こちらもご確認いただければと思います.

阿保先生,こんな感じで企画の趣旨を説明させていただいて,さっそくお話をというふうに思ってはいるんですけれども.

 

阿保:何か,私は,昔のことはまだ覚えてるのかなと思うんですが,もう最近のことはさっぱりです.なので,非常に心許ない状態ですけれども,何とか,言いたいことをお汲み取りいただいて,言葉を補っていただければありがたいなあと思っておりますので,よろしくお願いいたします.

 

寺岡:ありがとうございます.

それで,今日は,さっき萱間先生も言ってくださったように学会の会員の方が十数名,ウエビナーですけれど,参加者として一緒にこの収録に参加してくださっているんですけれども,途中で参加者の方々からも何かご発言いただきながら進行していければいいかなと思っております.

参加者の皆さん方,今,視聴してくださっていると思うのですが,途中でこちらからご発言お願いするようなこともありますが,何かありましたら,「手を挙げる」のボタンを押していただいて,サインを送っていただければと思いますので,よろしくお願いいたします.

それで,今日,対談するにあたって,どういう話題でやればいいのかなっていうのは少しメールでのやりとりしたんですが,最初に,阿保先生からこれは伝えたいとかいうことはありますでしょうか.

〈精神保健看護学会という名称〉

阿保:この学会が創設されたのが1991年だということなのですが,そのあたりのことがあんまり記憶になくて.よく考えれば,この創設のときに私は関わっていないんですよね.私が精神のほうに傾倒していったのは,かなり遅いんです.1991年は,ちょうど弘前大学の大学院で人類学,特に人間行動論コースというところで,修士論文を書き終わったあたりだったと思い出しました.そこで勉強したいと思った発端は,1982年ごろから精神の臨床で働いている看護師たち始めた精神科看護学習会で,統合失調症の人たちの徘徊行動を研究したことでした.統合失調症の人たちの徘徊行動はみてきたけれど,認知症の人たちのそれは見ていなかったんです.そこで,認知症の人たちの徘徊を見ようと思って,当時の認知症専門病棟に参加観察に入りました.するとやっぱりというか,彼ら彼女らの生活の全体をよくみなければ徘徊をすることの意味もわからないと思いました.そこから認知症の人たちの生活世界にはまっていくんです.だから学会創設当時は,看護から少し距離をとっていた時期だったんでした.思い出してきました.

この対談の趣意書にもありましたが,その当時は,カリキュラムの中に精神看護学が独立した学問分野として位置づけられなかったことに対する危機感とか,精神看護の専門性を確立させることへの強い思いがあったんじゃないかって思います.あのとき,確かに,熱気はあったんだなっていうふうに思いました.学会設立の話を聞いたときかどうか,ちょっと忘れちゃったんですけれども,精神看護学会じゃなくて,何で精神保健看護学会にしたのかっていうことをちょっと不思議に思ったんです.カリキュラムの中で精神看護学という柱が立つ前には,成人看護学の中に「精神保健」という科目で入っていた時代があったんです.カリキュラムは,発達段階にあわせて,母性から始まって,小児,成人,老年っていうふうに,考えられていたわけです.そのくくりが縦軸だとすれば,精神は,そこに横軸として入った領域というような感じ.

だから,この当時「精神保健看護学会」という名称をよくぞ考えたもんだなというふうに思いました.というのは,ずっと医学の中でも狭義の精神医学,要するに,精神疾患に対する知識体系と,いわゆる日常の不幸みたいな,要するに,今で言うメンタルヘルスですよね,この日常の不幸も含んだメンタルヘルスの領域の問題は,それを扱う専門領域の上でも社会政策の上でもきちんと分けて考えるべきだっていう議論があったんですね,医学の中では.

看護っていうのは医学とは違うわけで,昔の言い方をすれば,人間の反応っていうものを対象にするわけだから,体だけじゃなく精神の健康も対象にすべきであるという,そういう看護の考え方っていうのがきちんと取り込まれていて,すごく私は学会の名称,気に入っています.ちょっと長ったらしい名称ではありますが,いいなと思った記憶があります.

このあたりからこれまでの歩みというか,たとえば精神保健看護の大きな変化,精神看護学の独立だとか,法改正や改革ビジョン,精神科医療の変遷のことなどもお話をさせていただきながら,未来をどうしたらいいんだろうかというところにいけばいいかなと思っています.

学会の30周年っていうことですので,日本社会あるいは時代の中でどんなふうに展開されていったんだろうかというところから,少しお話させていただいてもいいでしょうか.

 

寺岡:ありがとうございます.

確かに,精神保健看護学会の保健の中に込められている思いと言いますか,理由みたいなものは,僕もこれまで何度か伺う機会がありました.ただ,僕が精神科の看護師として働き始めたときには,もう本会が8年ぐらい経ってたところでした.学術集会なんかもすごく盛り上がっていて,非常に多くの精神看護の仲間が集まる場所にもうなっていました.そして,実は,僕は,短大から大学に編入学したのですが,短期大学のときには,精神看護学がちょうどまだないときで,成人看護学の中の精神疾患患者の看護っていうので学んだんですけど,次の年,大学に入ると,その年に精神看護学が独立したときで,同じことを精神看護学の授業の中で勉強したのを思い出しました.当時は,学生の立場からすると,何で成人看護学でやってたのを,また精神看護学でやらなきゃいけないんだろうぐらいの,精神看護学が独立することの意味をそのときには十分感じ取れていませんでした.

だから,今回は,そこにすごく注力してきたっていうようなことと,そこにすごく大きな意味があったんだなと思いました.それが,今をつくる土台となっていたんだっていうことが,すごく何かよくわかるなと思いながら,今,先生の話を伺っていました.

〈実践と制度〉

阿保:随分昔ですが,私は,実習に行ったときに受け持った患者さんとのやりとりで,その時の患者さんは社会的入院だったと思いますが,何か,素晴らしい人っていうか,じわっと感激した経験がありました.実習体験っていうのは,その意味でもすごくその後に影響を及ぼすものだなっていうふうに思います.

それから,自分が北海道医療大学に入職した平成5年ごろは,もう既に,精神看護学を独立した科目として,横から入る柱にしたカリキュラムができていました.北海道医療大学は割と早くに,兵庫なんかと同じころに看護学部できています.看護カリキュラム改正は,平成8年です.ですから,実際の大学のカリキュラム設計の方が先で,法等の改正は後からですね.そして,平成5年当時でも,多くの看護の教員たちは,精神看護学はもう独立したものという認識はあったと思います.

だから,いつも実践だとか考え方のほうが先行しているんですよね.制度は,ほんとにその意味では後からですよね.

〈メンタルヘルス概念〉

先ほどのメンタルヘルスの問題についてお話します.保助看法では,看護の仕事は2つ,療養の世話と診療の補助が並列されています.精神看護学も,狭義の精神看護学とメンタルヘルスがやはり並列されています.だから,看護学にとっての「メンタルヘルス」とは何なのか概念整理されているものだと思っていたんですが,なかなかそれが見当たらない.

というのも,精神科看護は,主に精神科病院で行われてきたわけです.いろいろ課題はありますが,とにかく見えている.ところが,メンタルヘルスというのは,たとえば,職場でのうつ病なんかが問題になった時に産業看護師が彼らのケアを担うとか,そんな形でしかケアの実態が見えてこない.疾病予防とか,人々の健康の観点でメンタルヘルスが出てきても,ケアのかたちというか場というか,茫漠として見えてこない.それとは違うもっと,人間のそして看護の根源的なところに,メンタルヘルスが含まれているのかと思いきや,それもよくわからない.

これはずっと言ってきていたことなんですが,概念形成とか概念理解というか,概念説明というか,そういうものがなかなかなされていないっていうのが,精神看護だけじゃなくって看護学という学問領域では課題だと思うんです.いわば看護の基礎学がないっていうことに対して,これじゃいけないと思ってきました.基礎学のないものは学問とは言えないと考えていたものですから,今回,精神保健,メンタルヘルスを,ちょっと調べて見たんですけれども,なかなか合意されたメンタルヘルスの概念が見つかりません.調べ方が悪いからかもしれませんが,なかなかでてこないんですね.

メンタルヘルスが日本で問題になったのは,阪神淡路大震災,地下鉄サリン事件,1995年ですよね.100歳まで生きても,この年を忘れることはないでしょうね.この時期からなんです.でも,よくよく考えてみれば,アメリカあたりだと,DSMの診断基準が出てきたときから,このメンタルヘルスっていうのは重要な概念としてあるんです.DSMの診断基準って,今,Ⅴになっているけれども,最初のDSMのⅠっていうのは,戦争のときに出てきたじゃないですか.戦争に行った退役軍人さんたちが呈した症状っていうのを,軍部の人が言葉にしてDSMの中に,もともとあった反応仮説みたいなものと結びつけて出していった,定義していった.今でもDSMのⅤには,PTSDだとか,適応障害だとか残っていますよね.

だから,こういうメンタルヘルスの出所っていうか,そういうこともやっぱり私たちはちゃんと意識して,メンタルヘルスの概念規定みたいなものもやっていかなきゃいけないなっていうふうに思ったりしています.精神保健看護学会という名称に恥じないためにもとても重要なことですし.

1995年は,ボランティア元年って言われたました.日本の共同体っていうのが大きく変わったわけですよね.変わり始めたのはもっと前からですが,変わったことが明確に人々に突き付けられたのが,1995年のこの阪神淡路大震災だったわけですよね.共同体の在り様が変わり,人々の暮らし方が変わっていること,そういうところから看護におけるメンタルヘルスは考えられていく必要がありますよね.メンタルヘルスは人間の暮らしと決して分かれているわけではなくって,ぴったりくっついているものとして出てきたんだっていうことも,ちゃんと考えていかなきゃいけないなと思っています.看護は心理学ではないんですから.

でも,災害などの危機の時って,今の新型コロナでもそうなんですが,どうしても体のほうが優先なんですよ.1995年は転換期ではあるんだけど,このあたりから不況が始まりました.1980年代のバブルがあって,その後の経済不況っていうのがすごくて,自殺者の数が3万人を超しました.1998年は32,000人ぐらいだったと思います.ですが,自殺対策基本法ができたのは,8年後だったはずです.

それで,今の新型コロナです.身体が優先されて,メンタルのほうが,どうしても後回しにされてしまう.自殺者が出てきてから,今ようやく,ライフリンクの清水康之さんがやってる「いのちを支える自殺対策推進センター」がはじまったじゃないですか.基本法があるのに,まだこうやって身体のほうが優先されちゃう,鶏が先か卵が先のような.メンタルヘルスの問題は大きいんだけれども,支援の方法っていっても,相談窓口になるだとか,非常に限られたものでしかなくって,抽象的,漠然としたものなんですよね.その意味でも,看護におけるメンタルヘルスの概念規定がちゃんとしていれば,もう少し,具体的な看護活動の方法が生まれてくると思うんです.

それと,今回,自分が今理事長をしている「NPO法人 こころ」の学習会(NPO法人の活動として,1年間に3回のリエゾン看護について,事例検討の形で学習会をしている)で,コロナ感染のことをやったんですね.看護師たちは,働いている場所にかかわらずどこでも疲労していたというより,疲弊していました.直接的な看護だけでなく,いろいろなことで.だから,5月の学習会では,とにかく思っていることをなんでもいいから思い切り出し合って,少し気持ちだけでも楽になろうということでZOOM開催しました.クラスターが発生してしまった病院は,患者さんはもちろん大変だったんだけど,看護師さんのメンタルヘルスもすごい大変だっていうようなことがでました.

組織ももう病んじゃっているから,こういうときこそCNSが支援に入るべきだと思うんです.CNSの人たちって,普段は病院に普通に勤務しているものだから,なかなか出向扱いしてもらわないと,出て行けないですよ.休みを犠牲にしていくとかっていう話じゃなくってね.CNSだってみんな疲れ切っているわけですから.だから,出向扱いにしてもらわなきゃいけないんだけれども,結局,行政に言っても,病院の院長たちに言ってもなかなかやってくれない.それで,結局どうにもならなかったっていうようなことがありました.こういうことをできるのがCNSだろうって思うんだけども,制度的な問題や病院経営の問題もあるのでしょうが,そういうメンタルのほうは後回しにされてしまうことの方がすごく悔しいです.CNSの受験生が少なくなってきているときに,CNSはこんなところで活躍できるんだよっていうことを見せていくためにも必要だったのにね.

だから,やっぱりメンタルヘルスの概念規定っていうのをきちんとやっていって,つまり基礎ですね,そこがあれば,看護の活動の仕方や場や方法が見えてきて,具体的な活動へとつながっていくように思いうんです.そういうことをしていかないといけないなと思います.

 

寺岡:そのメンタルヘルスの概念規定をきちんとしていくっていうのは,学術団体として提言していくことの意義はすごくあるなと思います.確かに,わかるようでわからない概念,広く捉えられすぎているところもあるように感じています.

逆に,何でもかんでもメンタルヘルスの問題にすり替えられてしまうことを,日ごろ,僕もCNSとしていろいろメンタルヘルスの相談会をするときに,これはメンタルではなくてっていうのがすごくあるんですよね.僕が捉えるメンタルヘルスの問題じゃないのに,あたかも精神的な問題として相談してこられるのはどうしてだろうって悩むことも多いんです.そこは,今,阿保先生が言ってくださったようなメンタルヘルスの概念というのがわかるようでわからない,はっきりしているようではっきりしてないっていうようなところが関連してるのかなと思ったりしました.

〈精神看護の基礎学〉

阿保:以前,メンタルヘルスのことでショックだったことがありました.学会誌の巻頭言に出ていたんです.精神の領域ではなく一般科の問題として述べられていたんでしょうが,「やっかいな患者だとか,指導に困る患者だとか,対応困難な患者が問題になっていて,そういう患者さんと関わる際にメンタルヘルスの知識や技術が必要である」という記事を読んだことがありました.やっかいな患者というのは誰から見てやっかいなのか,指導に困るというのは,指導を受ける患者が困っているんじゃないの?とか皮肉りたくなる.こういういう捉え方かっていうのが,とてもショックだったことがありました.それほど古い話じゃなかったですから.腹立たしさと同時に,やっぱりちゃんとしてないんだろうなっていう.

メンタルヘルスの問題だけじゃないんです.看護の基礎学がちゃんとしていないということに最初に気づいたのは,生活概念がないっていうことでした.看護は生活を支援するっていうんだけど,看護における生活概念そのものがないんですよ.それから,これだけ「からだ」と「こころ・精神・メンタル」と言っておきながら,看護における「からだ」の概念は,解剖生理学的説明でしかない.医学もそうですが,看護はそのミニ版です.「こころ・精神・メンタル」も先ほどのメンタルヘルス概念のなさと同様それ自体が議論になったこともない.心理学をそのまま持ち込んでいるだけです.「身体論」がない.基礎学を軽視してはいけないのに,そうなってしまっている.これこそ学会で,研究者の人たちには一生懸命やってくれたらいいのにと思います.今のこの学会は,非常に,ある意味,研究者たちのプラットフォームとして成長していると思うから.

〈境界性人格障害〉

阿保:今回,この対談の前に質問が多少寄せられていましたが,その中に「境界性人格障害の人の看護」について意見を聞きたいというのがありました.人格障害は「メンタルヘルス」と「精神病」,「メンタルヘルスケア」と「精神科看護」の狭間にありますよね.最近は,消えたかと思うほどに話題に上らなくなった「人格障害」の患者さんが事件などをきっかけにして再浮上しています.精神科のみならず一般科でも,看護師らは「メンタルヘルス」と「精神病」の間にはまり込んで,そこで悩むのも当たり前なんですよね.

この境界性人格障害って昔からあるというか,問題にされていました.ピネルのあたりだから1800年代の中ごろだろうと思います.クレペリンからシュナイダーにいってという感じで,精神病質という言葉が出てきます.今でも,精神障害者の定義の中に,精神病質っていう言葉が出てきますよね.これは,今言った1800年代の中ごろ,プリチャードっていう人のモラル・インサティニティっていう道徳的病いみたいな背徳症(背中の背に道徳の徳を書いて)というのが出てくるんですね.これがクレペリンの精神病質へ,シュナイダーの精神病人格へいくわけです.精神病人格というのが,「自分も悩むんだけれども,社会も悩む異常人格」だという定義が出てきます.自分も苦しいけれども,社会も困ってしまう,そういう異常な人格だっていうことで.わかるようなわからないような.裏話になりますが,シュナイダーは異常人格なんて言うもんだから,その後,批判されちゃうんですね.それで,しょうがないから,彼はそれを撤回していくわけです.それでもシュナイダーは「概念としての精神病質者はなくなったが,実際にはそういった特徴を持つ人間は生きている」と言ったという.なんか現代に立派に通じる現場感覚かも.

DSM-Ⅳで2階建て3階建ての診断基準ができ上がったときにも,そういう人格の問題が取り上げられました.鬱のような状態で入ってくるもんだから,しばらく入院していると,えっ!ていう感じで,これは鬱ではないっていうような感じで,病棟の中が引っかき回されてしまい,中には看護師さんが辞めていったりしました.すばらしい看護師さんたちが,その患者さんに罵倒されて,一時難聴になったりして,看護師は苦しかったんですよね.人格障害が日本で言われ始めたのが1980年代で,精神科病院でさかんに問題視されたのが1990年代だったと思います.

そういう境界性人格障害と言われた人が,その後入院しなくなって,いったいどこ行っちゃったのか.フォローできないものですから,どうしているか全くわからない.でも,よくよく見れば,職場や地域に,ひっそりと,あるいは堂々と暮らしています.職場では敬遠されがちに,あるいは別な病気に形を変えて,一見したのではわからいように,溶け込んで暮らしているのに気づきます.今で言ったら「多様性」で片づけられちゃうみたいな,そういうような状況になっています.人格障害っていうのは浮かび上がっては消え,また浮上して消えを繰り返しています.シュナイダーの言葉そのままに.「精神科看護」と「メンタルヘルスケア」の狭間にある「生きにくさ」というところで,これはずっと続いていくのでしょうね.

 

寺岡:社会情勢とかそういったものへの捉え方みたいなのが時代で変化するにつれて,それが病としてすごく尖ったものとして認知されたり,何となく世の中で浸透して目立たなくなったりっていうのが繰り返されているということですね.

〈精神保健看護を専門とした学術団体の研究者としてのあり方〉

寺岡:さっき少し心と体の,そこをもう少しきちんとというのを研究者に求めたいっていうようなことも先生おっしゃってくださったんですけれども,今回,事前に出ていた中に,これからの研究者としてのあり方というか,本会が精神保健看護を専門とした学術団体であって,この学術団体の中での研究者としてのあり方みたいなものについて,阿保先生のお話を伺いたいっていうようなことがありましたが,これに関して,ご意見いかがでしょうか.

 

阿保:そうですね.今の学会は非常によくやっているし,思うのは,さっき言った,研究者の人たちには,ぜひ基礎学をちゃんとやってほしいのが1つですね.

それから,もう1つは,これは学問だけの問題じゃなくって,現場が.この間も神出病院の事件があったりしたじゃないですか.現場でまだこうしたことが行われていたり,それから,大きい問題はやっぱり拘束ですね.こうしたことを,看護師がいまだやっている現状があるわけ.いまだというよりは増えているわけです.で,いくら学問云々って言ったって,拘束を最小限にするとかっていう話じゃなく,拘束が行われているという現状を抜きにして,学問もへったくれもないなっていうのはありますね,私の中には.

専門職って何なんだろうって.看護師って専門職なんですよ.昔は,専門職っていったら,聖職者だとか,医師だとか,法律家,大体この3つくらいだったんですね.1970年代あたりに,看護師は専門職とは言えない,準専門職くらいではないかという議論もありました.それに,今どんどん専門職を中心に準専門職,それから,市民っていうふうに,社会の共同体の形やあり方が変わってきているわけです.専門職を中核にした同心円的な形になっています.先ほど出ていた1995年が,共同体が変わったという実感を皆が共有したと思います.今のコロナの対応でも専門家に聞きました,専門家に聞きましたって言うんだけど,これくらい私たち知ってるわっていうような.だからどうした,っていうその先を聞きたいのにとなっています.私はいくらか医学の知識がありますけど,お向かいの奥さんだって知ってるんですよ,そんなことくらい.今,情報化時代だから,知識の独占っていうか,それだけが専門家ではないんですよね.そこら辺もね,今は市民と一緒にどうしたらいいかっていうのを考える時代ですよね.知識の独占だけをもって専門職とは言えない.

そういう意味では,随分,専門家の定義も変わってきているということです.また,患者中心の看護,患者中心の医療というのも叫ばれてきた.精神では最近,1990年代からの話です.インフォームドコンセントの時代に入って,精神だったら統合失調症への呼称変更が2002年だったかな,それくらいからの時期です.

 

寺岡:でも,先生,全部,僕の中ではメンタルヘルスっていう土台のところからつながっているような気がします.研究者としてのありかたもそうですけど,専門家としてのこともそうだし,もっと言えば,精神保健看護,精神看護の専門性っていうふうに僕たちはよく言うけれども,その専門性のあり方をどういうふうに表現していくのかっていうのも,すごく大きな課題としてあるんだなっていうふうに思っているところです.

 

阿保:そうですよね.

 

寺岡:ここで,30分少々,半分以上時間が経ちました.今日せっかくウェブナーに参加してくださっている方もいらっしゃるんで,少し今までのところで,何かさらに質問されたいことですとか,新たに何かこういった話題でいったことなど,ちょっと皆さんのお声を聞いてみたいと思うんですが.

一緒に聞いてくださってる方で,何かご発言ありますでしょうか.もしありましたら,手を挙げるなどして,教えていただければと思いますが.

●●先生挙げてくださっていますね.

〈地域包括システムにおける課題〉

(●●):先ほど,名称,メンタルヘルスの話が出てたじゃないですか.設立のときに,大学院生だったので,そこのディスカッションの場に,お茶汲みみたいな形でお手伝いをさせていただいていました.

すごく議論になっていたのは,メンタルヘルスを入れるという議論については,保健師の方たちがかなり入っていて,■■先生とか.かなり主張されていて絶対退かなかったんですね.それで,私も当時保健師だったので,その気持ちはすごくよくわかるなと思って,何となくぼんやり聞いていたみたいな感じでした.

最近の会員の構成の中で,保健師がかなり減っている気がするんです.会員の動向の調査が,入会したときしかわからないのですが,阿保先生や寺岡先生がおっしゃっていたような世の中全体の受けとめとかは,やはり公衆衛生,地域看護の視点がすごく大事な気がするんですね.私も保健師として自分で何もしてなくてすみませんっていう状態ですが,そのあたりが研究者としてベースをつくっていく上で,少し今,学会のバランスが悪いんじゃないかなということを考えていました.その辺についても,ご意見をいただければいいかなと.

これから地域包括システムでの地域づくりっていったところで,精神障害にも対応したって付けられるのが私はすごく嫌なんです.当たり前でしょって,精神障害に対応するはという,いつも怒りを持って,厚労省の資料とかを見るんです.基本,同じなのに,何で精神障害にも対応したって付けるのって思ってしまうところがあります.

そのあたりの地域社会との協働方法を,学会としてもどういうふうにしていったらいいのかなっていうところで,少しご意見をいただければありがたいなと思いました.

 

寺岡:●●先生ありがとうございます.

阿保先生,どうでしょうか.

 

阿保:ほんとそうなんです.先生がおっしゃるとおりです.

私は保健師,今20名とか限られた人しか保健師の資格を取得できないじゃないですか,大学に入っても.私,これだけは絶対反対で,長野にいたときには,全員保健師試験を受けられるように,実習も全部やるようにちゃんと制度は残してきました.

看護師として働いていく上でも,保健師の,例えば,地区診断だとか,あって当然なんですよ,地域の人を見てるわけですから.だから,そういう意味で,私は両方の資格が違うっていうのも,またおかしな話だなっていうふうに思います.

でも,今の状況,もうちょっと,私,学会の構成がよくわからないのですが,確かに,保健師は少ないかもしれない.どうなんでしょうかね.

 

寺岡:僕も,構成員として看護師と保健師の比率がどうなっているかっていうのは,ちょっと持ち合わせていないので,●●先生からご指摘いただいて,そうなだっていうふうに認識したところです.

保健師,公衆衛生の視点とはまた少しずれますが,在宅看護,訪問看護を担当する人は圧倒的に増えているし,学会発表なんかでも,訪問看護の現場からのご報告がすごく増えてきたなっていうのは,ほんとにここ数年感じるところです.

訪問看護の中でも,地域包括ケアでどういうふうに入り込んでいけばいいのかっていうような悩みも多くて,今日も,阿保先生に聞きたいテーマを集めた中にも,地域包括ケアの中に入っていけない特性だとか,地域のいろんな事情の中で,精神科看護の立場から入っていくことの難しさがあって,すごく置いてけぼりにされちゃった感があったりして,そういったところへの助言がほしいみたいな声もありました.また,うまくいっている地域とうまくいっていないところの差も,すごく大きいのかなと感じています.

 

阿保:精神病だとか精神科看護だとか,看護職の中でも,特殊であるという認識はこれまでもずっとありましたし,今でもあります.職能団体も違います.訪問看護の事業所でも精神を看られる人が,たった一人だという話ってよく聞きますよね.もう一つは,精神障害者に関する法的,制度的なことっていうのは,他の障害と比べてもずいぶんと遅れたという歴史的背景もあると思います.私は,今,現場にいないからよくわからないけれども,ただ,言えることは,本来生活って,形はそれぞれであったとしていてもどこかに住んでいるわけで,そういう地域の中で生活しているわけです.保健師であろうとなかろうと,生活をする人間として捉えられていくわけで,そのためには,どういう場で,どういう人たちと一緒に,どんな生活を,と考えるとか,最初にそういうことを学べばね.

精神障害への対応も地域包括システムにというのは,●●先生がおっしゃるように「あ,忘れてた!」とか「精神が柱の一つになったからどっかに入れなきゃ!」いうような付け足しですものね.

根本的なところはそういった,地域生活みたいなものがクローズアップされていく状況になって,ますます生活などの基礎学がほんとに「ない」ことが露わになっています.だから,次々押し寄せる新たな問題として取り上げなきゃいけなくなってしまいます.つくっていかなきゃいけない,それも,ちゃんとつくっていく必要がやっぱりあるだろうと思います.

これが今すぐの答えにはなりません.地域包括云々の今の問題は,そうした基礎を軽視してきたことの一種のつけみたいなことが今起きているんだろうと思いますね.精神看護にかぎったことではなく,看護学自体の基礎学です.

それと,保健師さんたちも学会員として入ってほしい.今,学会員がすごく多いですよね.私が学会の理事長をしていたころは,こんなに多くはなかった.学会員が増えてもらうっていうことはとっても重要なことだと思うんですね.いろんな考え方や現に研究しているテーマなどがどんどん多様になっていき,幅も広がるし,そういう人たちが協働で研究すれば,もっと深まるだろうと思うんですね.基礎学をやる人たち,臨床学やる人たち,地域で訪問看護をやる人たち,産業保健にいる人たちも,学会がそういう研究・実践のプラットフォームになるんですよね.

ただ,多様っていうことは,とっても面倒くさいことです.民主主義と同じで,多様性を認め合いながらやっていくっていうことは,とっても面倒くさいことです.人間,疲れていると,「それは違うんじゃない?」というたった1人の人間の話でも「よく聞いて」なんて言われたら,もう耐えられないんですよね.だから,「えいやっ!」と,変身したらぱっと変わるような英雄やヒーローが出ると,そういう人たちがリーダーになってくれると,すごく救われちゃうみたいな.でも,そういうことになったら,人間衰退しちゃうんですよね.考えなくなるから.

だから,そういう意味では,この面倒くさいことをちゃんと引き受けながらいくこと.考えれてみれば,世の中生きていくこと自体,面倒くさいんですから.でも,面倒くさいから,人と一緒にご飯食べたら楽しいじゃないですか.1人より,みんなと一緒にご飯食べたら楽しい.だから,この面倒くささを,だからこそ楽しいんだよなってね.

話がすごい飛躍するけれども.誰か,一気に答えてくれるといい,答えを求める気持ちはわかるけれども,1にも2にも,この面倒くささっていうのは,みんな面倒くさいんだから,みんな考えてみるっていうことをしていかないと.

 

寺岡:●●先生よろしいでしょうか.

発言ありがとうございました.ちょっと時間も,もうまもなく1時間になっちゃうんですけど,もうお一方ぐらい,どなたか,いらっしゃる方で.

もしよかったら30周年記念事業委員で一緒にこの企画を考えてきていただいた▲▲先生よかったら,ご発言いただけますか.

 

(▲▲):▲▲です.阿保先生お久しぶりです.

今日のお話すごく勉強になって,概念の整理のお話,今,久しぶりに仕事を離れて博士課程の学生をしているので,その概念を整理することですとか,あと,看護の独自性っていうのは何なのかなっていうのを改めてじっくり考える機会があって,とても響きました.

最後,特に,多様性は面倒くさいって,ほんとそうだなと先生のお話聞きながらちょっとほくそ笑んでたんですけども.やっぱり,ほんとに多様性認めるっていうのは面倒くさいことだなっていうふうに思いましたけど,そこに挑んでいくっていうほど,挑戦ではないかもしれないけど,向き合っていくこと大事なんだなっていうふうに思います.

先生の今日のお話聞くにあたって,先ほどご発言された20周年記念史っていう,●●先生が委員長で20周年記念のときにまとめられた阿保先生のご寄稿を読ませていただいて.

 

阿保:そんなのあるんだ.

〈社会制度のありようと学会の役割〉

(▲▲):そうですね.先生が書かれています.先生がなぜ理事会に入ったのか,理事長になったのかっていうエピソードも入っていますが,理事会に入ると同時に理事長だったって書いてあります.

その中で,学会が内向きになっちゃいけないっていうことを書かれていたり,先生が理事長されているときに,精従懇とのつながりが始まったり,今,その後,時間が経ってさらに学術の連携っていうのは進んでいると思うんですけども.そういう,学会が他団体とつながったり,メンタルヘルスの問題っていうのは社会の制度のありようとかとも関連する.ただ,この学会は職能団体ではないので,どういうふうに制度に対して発言・提言できるのかっていうのも課題と言いますか,先生のお考えをちょっと聞いてみたいなと思いました.

 

阿保:そうですよね.制度の問題っていうのはそう簡単ではありません.どうしたらいい,こうしたらっていうのは,全体像の中でやっぱり考えていかなきゃいけないものですから.ただ,これは違うっていうことはあると思うんですよ.例えば,つい最近,2015年ですよね,保助看法が変わりました.37条の2の特定行為研修制度っていうのが,結局加わったわけですね.確かに精神の場合は影響力が大きいものではないとは思いますけれども,それでも,看護の仕事の「療養上の世話」は,介護の人たちがやっていて,有名無実になってきています.大きな病院なんかは,特にそうですよね.保助看法にある「療養上の世話」って何なのっていうこともよくわからなくなってきています.小泉首相からの新自由主義による「聖域なき構造改革」,ここから一気に病院っていうのは,もう効率と自己責任になっちゃったわけですよね.

それで,看護師も世話なんていうことやっていたら,とても人が足りない.慢性的な人材不足があるわけですよ.こういうような状況で,診療の補助が,ほとんどになってしまった.さらに,超高齢化,医療技術の進歩で,医師も多忙,手がまわらない状況です.原則に従えば,医師は,数としてはこれ以上増やせない.だから,看護師を補助に使うという発想です.かなりの医療行為を看護師がやる.それは,やればできるでしょう.ですが,そうでなくても看護師数だって少ないわけですよ.診療の補助だけに傾いていく.結果的に,看護師は,そのうち療養上の世話を外されるかもしれないです.医師の手足に戻っていくというような状況があるわけですね.

そうすると,この特定行為研修制度は,はっきり言えば認めるべきじゃなかったと思います.でも,保助看法まで変えてしまった.制度政策の全体図を描いて云々というのは,簡単にできないにしても,少なくとも,そういう出されてきた制度が何を意味するのかくらいはやっぱりわかると思うんですね.最近は,対案が出せない限り反対もできないと考える風潮がありますが,それは違うと思います.こうした制度政策に関しても,看護学自体を揺るがすことですから,「看護」の専門学会としては,やはりきちんと議論していくべきだと思うわけです.先ほども言ったように,考えはそれぞれ相当違うと思いますが,多様性を認めつつ議論を重ねるというのはどういうことか,いい見本にもなると思います.

それから,もう1つ,看護学っていうのは実践学なんです.患者さんとクライアント・当事者,他者を含む環境,いろんな社会制度の中で生きている人間の相互作用を取り扱う領域です.だから,学問とはいえ,環境を無視するわけにはいかないんですよ.この環境との相互作用によって,みんな病気になったり,問題を抱えたりするわけですよね.

だから,そういう意味では,そういう制度の問題に学会だからといって関わらなくていいっていうようなことではない.そこはしっかり関わっていかないといけない.

それと,事件のことですね.学会は,職能団体じゃないけれども,どういうふうに,さっきも言ったように,拘束の問題がいまだに行われているというようなことを抜きにして,学問も何もあったもんじゃないところだけは特に重要ですね.声明を出すくらいはやった方がいいかなっていう気はしますね.

 

(▲▲):ありがとうございます.すごく社会の状況を見ていて,それに対して学会として何ができるのか,できないのか.その辺を見極めること,すごく大事だなと思います.

今日は,ありがとうございます.

 

寺岡:▲▲先生,ありがとうございました.

阿保先生,まだまだ話がもっと広がっていきそうでこれからっていう感じもするんですが,時間がそろそろ来ます.

今,お話を伺っていて,政策とか,学会としてやらなきゃいけないことっていうことと,もともと実践家の会員ってたくさんいるわけだから,実践家が体験していることだったり,まさに現場の中で看護師として暮らしをどう支えているか,暮らしっていう言葉が,生活・暮らしをもっとみるんだっていうことを,阿保先生のメッセージとして言ってくださったかと思います.実践家が見ている,体験していることと,僕たち研究者として政策につなげていくようなことができるところをもう少し整理しながら,これからの学会運営とかにも何か協力できることがあったら,積極的に参画していくこと自体が,これから先,未来につながっていくことなのかな,なんて思いました.

いろいろ重要なご示唆いただきましたが,まだちょっと整理しきれていません.今日,対談という形でお話しさせていただく中で,たくさん宿題をいただいたような気がします.その宿題に1つ1つ答えていくことが,これからの僕自身の課題だなと思っているところです.

阿保先生,最後に一言,もし何かありましたら.

 

阿保:そうですね.私,今,歴史に関心があるんですよ.今回,この対談にあたって,その中に,今のこの状況って前にもあったんじゃないかっていうような感じがしました.そして,ある本の後書きを見ていたら,堀田善衛さんという思想家ですけれども,その方の言葉が出てきて,なんだかとても気になりました.「過去と現在は,前方にあって見ることができるが,見ることのできない未来は背後にあると,古代のギリシャでは考えられていた.」と.歴史をもっとちゃんと見なくては,と思ったのは,こういう感じがあったんだろうなっていう気がしました.

これから30年後どうなってるかなんて,私はあの世からしか見ることができませんけれども,見れたら幸せかなって思います.

 

座長(萱間):ありがとうございました.最後に,寺岡先生,未来に向けて一言どうですか.

 

寺岡:一言,未来に向けてですか.今,阿保先生は,思想家の言葉を引用して,未来のこと言ってくださったんですけど,僕が捉える未来って,やっぱり後ろにはなくて,前にあったんですよね.でも,見えないところにあるっていうことを改めてどういうことなのかっていうのをしっかり考えないと,見えているところばっかり言っても意味はないんだなと,最後に感じたところです.

 

座長(萱間):ありがとうございます.

阿保先生,私は,今,特定行為研修の厚労省の部会の座長代理をしています.制度を,今後どうするかを議論しています.だから,これから看護でどうしていくかを考える立場にあります.だから,今日はZOOMだからいいけど,もし,面と向かってたら,先生からぶん殴られるかもみたいな.

私は,やっぱり学会とか,学会員の人たちとか,臨床にいる人たちとか,教育にいる人とかの認知と,それから,医療界全体の特定行為研修へのスタンスと,何かどんどん乖離していっているような感じを持っているんです.だから,そこをちゃんと丁寧につないで,どうするのか考えようとしないといけないなって,今,思っています.

今日は,寺岡さんおっしゃったように,さまざまな宿題をいただきました.去年は,コロナのことでメンタルヘルスの話が出ましたが,何か,私たちメンタルヘルスの専門家だったんだよな,やっぱりみたいな感じで,一生懸命取り組んでいました.だから,コロナへの対応の事業の大きいやつをみんなでやってきたというのもあって,ちょっといろいろなアクションがとれなかった部分もあったと思います.引き続き,それはあると思うのでみんなでやっていきます.でも,それに目くらましされないで,深く静かにいろんなことを見ていかないといけないんだなということも,今日,改めて感じさせられました.

とてもいい企画で,会員の皆さんもほんとにいろいろなこと考えるきっかけになったんじゃないかなと思って,とってもうれしい気持ちでいます.

阿保先生,ほんとにありがとうございました.寺岡先生もありがとうございました.

 
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