2024 Volume 2024 Issue 11 Article ID: JRJ20241101
タイヤ・路面摩耗粒子(TRWP)の形態・成分の実態把握に向けた分析手法の検証
福田 圭佑
Keisuke FUKUDA
タイヤと路面の相互作用により発生するタイヤ・路面摩耗粒子(TRWP)は,マイクロプラスチックの一つとして捉えられることもあり,タイヤの摩耗量の規制化議論や摩耗粉塵の健康影響研究が進んでいる.しかし,粒径や形状,タイヤ由来の粒子と路面由来の粒子の混合状態など,TRWPの粒子としての実態にはまだわかっていないことが多い.本研究では,TRWPの形態や成分の実態把握を目的として,従来の分析手法の適用可能性の検証と機械学習を利用した新規手法の基礎検討を行った.
1. はじめに
自動車排出ガス規制の強化や電動車両の普及等に伴い,自動車のテールパイプから排出される粒子状物質(排気粒子)は減少傾向にある.排気粒子が低減されたことにより,ブレーキやタイヤの摩耗に由来する粒子状物質(非排気粒子)の排出割合が相対的に高くなっている.
非排気粒子のうち,タイヤに由来する摩耗粒子は,車両の走行時にタイヤのトレッド部が摩耗することにより発生する.実環境におけるタイヤ由来の摩耗粒子は,タイヤと路面の成分が混合された状態で発生すると考えられることから,一般にタイヤ・路面摩耗粒子(TRWP: Tyre and Road Wear Particles)と呼称される.近年普及が進むハイブリッド車や電気自動車は,駆動用バッテリーの搭載により従来の車両よりも重量が増え,また駆動に用いるモーターの特性から発進時の瞬間的なトルクが高くなるため,特に駆動輪側のタイヤが摩耗しやすい傾向がある.従って,乗用車を中心とする電動化シフトにより,TRWPの発生量はむしろ増えるといわれる1).タイヤのゴム成分を含むTRWPはマイクロプラスチックの一つとして捉えられることもあり,欧州の次期排出ガス規制(Euro 7)においてタイヤの摩耗量の規制が検討されている2) だけでなく,タイヤ業界等が水生毒性や健康影響の調査を進めている3).
TRWPの定量的な成分分析手法として,熱分解ガスクロマトグラフ質量分析法による手順がISO(ISO/TS 21396)4) で規格化されている.ただし,TRWPの発生挙動の検証や,健康影響評価のためには,成分だけではなく,粒径と形状,およびタイヤ由来の粒子と路面由来の粒子の混合状態の把握が重要である.現在,タイヤ試験機等を使った室内試験で発生させた粒子について,形態や成分を調査した研究5), 6) は複数ある一方で,実環境中で捕集した粒子を対象とした研究7) は少なく,TRWPの実態にはまだわかっていないことが多い.TRWPの大部分は排気粒子と比較して粒径が大きく,発生後すぐに地面に沈着すると考えられるが,一部は人体への吸入影響のあるPM10(粒径10 µm以下の粒子状物質)として大気中を浮遊することがわかっている8).
本研究では,特にPM10サイズのTRWPを対象として,成分や形状,タイヤ由来の粒子と路面由来の粒子の混合状態といった実態を明らかにすることを目的とした.PM10サイズの粒子の粒径や形状を視覚的に確認するためには,光学顕微鏡や電子顕微鏡のような空間分解能の高い観察手段が必要である.また顕微鏡に分析装置を組み合わせた手法は,観察視野内の各成分の濃度をマッピング分析することが可能であり,微小な粒子の形態と成分分布の把握に有用である.そこで本研究では,TRWPの実態把握のため,顕微鏡観察とマッピング分析が可能な手法の適用可能性を検証した.
当初はタイヤのゴムに着目し,有機成分を同定可能な手法の適用可能性を検証したが,それぞれ課題があることが明らかになった.他方で,タイヤにはゴムだけではなく,充填剤や配合剤としてさまざまな無機化合物が含まれている.そこで,本研究ではタイヤに含まれる微量な無機元素に着目して,各元素の含有割合からタイヤ由来の粒子と路面由来の粒子を識別する新規手法を構築した.本稿では,2章にてTRWPへの適用可能性を検証した分析手法の情報を整理する.3章にて,本研究で構築している,機械学習を利用したタイヤ由来の粒子と路面由来の粒子の識別手法について報告する.
2. 従来の分析手法の適用可能性の検証
PM10サイズのTRWPについて,タイヤ由来および路面由来の成分の混合状態を把握するためには,顕微鏡観察とマッピング分析が可能な手法が有効である.TRWPはタイヤ由来のゴム等と路面由来の鉱物粒子等が混合した形態を持っていると考えられるため,有機成分と無機成分のいずれも分析できる手法が必要となる.本章では,TRWPの実態把握に有効と考えられる手法について特徴を整理するとともに,本研究で各手法の適用可能性を検証した際の分析例について,試料と結果のみを簡単に示す.なお手法の初期検証であるため,分析対象とする試料の粒径はPM10サイズに限定しなかった.
2.1 SEM-EDS
走査電子顕微鏡(SEM: Scanning Electron Microscope)にエネルギー分散型X線分光法(EDS: Energy-Dispersive X-ray Spectroscopy)を組み合わせたSEM-EDSは,粒子の形態観察と成分分析が実施できる代表的な手法である.試料に電子線を照射した際,試料から発生する電子を検出することで,0.5 nm – 4.0 nmの高い空間分解能で対象を観察することが可能である.また電子線を照射した際に電子と同時に発生するX線(特性X線)をEDSで検出することにより,Be(ベリリウム)からU(ウラン)までの多元素を同時に分析することが可能である.
本研究において,SEM-EDSにより,乗用車タイヤのトレッド切片を凍結粉砕した粒子(CMTT: Cryogenically Milled Tyre Tread)を分析した例を図1に示す.粒径100 µm程度の粒子全体からC(炭素),Si(ケイ素)およびS(硫黄)が検出された.Cはタイヤのゴム成分や補強剤であるカーボンブラックに,Siは補強剤のシリカ(SiO2)に,Sはゴムの架橋のために混合される加硫剤に由来すると考えられた.また局所的に検出されたZn(亜鉛.図1中,白破線内)は,加硫促進剤として添加される酸化亜鉛(ZnO)に由来すると考えられた.同様に,SEM-EDSにより,TRWPを分析した例を図2に示す.分析したTRWPは,乗用車の走行時に駆動タイヤ付近で発生する粉塵を,空気力学粒径2.5 µm – 10 µmに分級して石英フィルタに捕集したものである.粒径が5 µm程度の粒子を分析した結果,CおよびSを主な元素とする有機系の粒子と,Al(アルミニウム)およびSiを主な元素とする鉱物系の粒子等が混合している状態が確認できた.
SEM-EDSにより,TRWPの構成元素の分布を高い空間分解能でマッピング分析することが可能であった.ただしEDSは元素分析手法であるため,CとSを主な元素とする有機系の粒子がタイヤのゴムに由来する粒子であるか,環境中の有機粒子であるか,識別することは困難であった.またタイヤのゴムは導電性が低いため,チャージアップによる観察像のドリフトや異常なコントラストが生じやすく,観察と分析を手早く行う必要があった.
図1 SEM-EDSによるCMTTの分析例
図2 SEM-EDSによるTRWPの分析例
2.2 顕微ラマン分光法
顕微ラマン分光法は,光学顕微鏡にラマン分光法を組み合わせた手法である.光学顕微鏡による観察の空間分解能は0.4 µm – 0.7 µm程度であり,SEMの空間分解能(0.5 nm – 4.0 nm)と比較すると劣っているが,PM10やPM2.5程度の大きさの粒子の観察には十分な性能を有している.ラマン分光法は,試料にレーザーを照射した際,試料から生じる散乱光を分光して検出する分析手法である.試料の結合振動情報を取得できるため,SEM-EDSでは同定が難しい,ゴムのような有機成分の同定も可能である.本研究では,有機成分を同定可能な点に着目し,顕微ラマン分光法のTRWP分析への適用可能性を検証した.
タイヤのトレッドに含まれるゴムには,スチレンブタジエンゴム(SBR)が広く使用される.顕微ラマン分光法によりSBRを分析した例9) では,SBRのスチレン部分に由来する=C-Hベンゼン環伸縮(3058 cm-1)や,SBRのブタジエン部分に由来する=C-H伸縮(3000 cm-1)など,特徴的な振動ピークが確認されている.しかし,本研究において顕微ラマン分光法によりTRWP試料(2.1と同じ試料)を分析したところ,アモルファスカーボンに由来するGバンド(1379 cm-1)およびDバンド(1594 cm-1)は確認できたが,SBRに由来する振動ピークは確認できなかった(図3破線).スペクトルを確認すると,高波数側になるほどベースラインが高くなっており,試料から発生した蛍光による阻害があったことがわかった.解析ソフトウェアによる蛍光補正を実施したが,高波数側のピークは確認できなかった(図3実線).タイヤのトレッド部はゴム以外に補強剤や加硫剤等を含む混合物であり,それらの成分による蛍光の影響があるため,顕微ラマン分光法によりタイヤ中のゴムを同定することは難しいと考えられた.
図3 顕微ラマン分光法によるTRWPの分析例
2.3 TOF-SIMS
二次イオン質量分析法(SIMS: Secondary Ion Mass Spectrometry)は質量分析手法の一種であり,試料にイオンビームを照射した際,スパッタリング現象により試料から生じる二次イオンを質量分離して検出する.試料の質量イオン情報を取得できることから,有機・無機を問わず広範な成分の同定が可能である.また走査イオン顕微鏡(SIM: Scanning Ion Microscopy)機能が付いている装置であれば,イオンビームを照射した際,二次イオンと同時に試料から発生する電子を検出することで,空間分解能が4.0 nm程度の観察を行うことができる.SIMSの中でも,質量分離に飛行時間型質量分析法を採用した飛行時間型二次イオン質量分析法(TOF-SIMS: Time of Flight - Secondary Ion Mass Spectrometry)は特に質量分解能に優れている.本研究では,有機・無機の広範な質量スペクトル情報を取得可能である点に着目し,TOF-SIMSのTRWP分析への適用可能性を検証した.
TOF-SIMSの検証では,TRWPを模擬した単純な組成の試料として,乗用車タイヤのトレッド切片とシリカ粒子(平均粒径2.0 µm)を混合して凍結粉砕した試料(タイヤ・シリカ凍結粉砕粒子)を作製して分析した.トレッド切片とシリカ粒子の混合割合は,質量比で3:1とした.タイヤ・シリカ凍結粉砕粒子の分析結果として,マススペクトルを図4に,二次イオンによるマッピング結果を図5に示す. TOF-SIMSによりTRWPを分析した研究6) では,タイヤ由来の分子イオンとして,m/z = 43 (CH3Si+) ,m/z = 77 (C6H5+) およびm/z = 91 (C7H7+) が報告されている.また本研究でシリカ粒子のみを分析した際,m/z = 73の分子イオンが特徴的に検出されており,これは (CH3) 3Si+に由来すると考えられた.本研究ではm/z = 43, 77, 91の分子イオンをタイヤ由来の粒子のマーカー,m/z = 73の分子イオンをシリカ由来の粒子のマーカーとして扱い,解析を行った.図4のマススペクトルより,m/z = 43, 77, 91, 73のいずれの分子イオンも検出されたため,分析視野にはタイヤトレッド由来の粒子とシリカのどちらも含まれていると判断した.図5のTotal ion(検出した全ての信号の合成)を確認すると,分析視野には粒径が数µmから数10 µm程度の粒子が広く分散していることがわかった.シリカ由来のm/z = 73の分子イオンは分析視野に広く分布している一方,m/z = 43, 77, 91のタイヤ由来の分子イオンは大きな粒子が存在する部分にのみ分布していた.
本研究で使用したTOF-SIMSにはSIM機能が無かったため,TOF-SIMS単独では粒子の観察を行うことができず,微小領域の成分分布を把握するにはマッピング分析の空間分解能もやや不足していた.そのため図5と同じ視野でSEM-EDS分析を行い,複合的な解析を行った.図6にタイヤ・シリカ凍結粉砕粒子のSEM-EDSおよびTOF-SIMSによる分析結果を示す(図6①および②はそれぞれ,図5中の①および②に対応).粒子①および粒子②は,表面に2 µm程度の球状粒子が多数付着している数10 µm程度の粒子であった.粒子①および粒子②の元素分析の結果,シリカ由来と思われるSiが検出された隙間から,タイヤ由来と思われるCとSが検出された.TOF-SIMS分析では,粒子①および粒子②からタイヤ由来のm/z = 77 (C6H5+) の分子イオンが検出されていたことから,TOF-SIMSとSEM-EDSで複合的に解析することにより,図6のような粒子はタイヤのトレッドとシリカの混合粒子であると判断できた.
TOF-SIMSはタイヤのトレッドのような有機成分とシリカのような無機成分を同時に分析できる手法であったが,装置にSIMやSEM等の観察機能が備わっていない場合,粒子の詳細な形状を把握することが難しかった.また本研究で検証したタイヤ・シリカ凍結粉砕粒子はタイヤのトレッド由来の粒子とシリカ粒子のみという単純な組成であるため,マススペクトルを同定することができたが,環境中では様々な成分が混合してTRWPを構成しており,未知試料におけるマススペクトルの同定は困難だと考えられた.
図4 TOF-SIMSによるタイヤ・シリカ凍結粉砕粒子分析時のマススペクトル
図5 TOF-SIMSによるタイヤ・シリカ凍結粉砕粒子の質量イオンマッピング結果
(スケールバーは100 µm)
図6 タイヤ・シリカ凍結粉砕粒子のTOF-SIMSとSEM-EDSによる解析
(①,②は図5中の①,②に対応)
2.4 分析手法の特徴と検証結果の整理
SEM-EDS,顕微ラマン分光法およびTOF-SIMSについて,それぞれの手法の特徴と本研究における検証結果を表1に整理した.表1の手法のうち,SEM-EDSは観察と分析の空間分解能が最も優れているが,元素分析手法であるため,TRWP中のタイヤゴムとその他の有機粒子を識別することが困難であった.有機成分の同定が可能な手法として,顕微ラマン分光法とTOF-SIMSを検証したが,顕微ラマン分光法の場合,蛍光の影響でタイヤ中のゴム成分の検出が難しく,TOF-SIMSの場合,未知試料のマススペクトルの同定が困難であると予想された.従って,表1の手法にはそれぞれ分析課題があり,単独ではTRWP分析へ適用することは難しいと考えられた.
表1 本研究で検証した分析手法の情報整理
手法名 | SEM-EDS | 顕微ラマン分光法 | TOF-SIMS | |
---|---|---|---|---|
観察 | 手法 |
走査電子顕微鏡 (SEM) |
光学顕微鏡 |
走査イオン顕微鏡 (SIM) |
原理 |
試料に電子線を照射 した際に発生する 電子を検出. |
試料に光を照射した際の透過光や反射光を レンズで結像. |
試料にイオンビームを 照射した際に発生する 電子を検出. |
|
空間分解能 | 0.5 nm – 4.0 nm | 0.4 µm – 0.7 µm | 4.0 nm程度 | |
分析 | 手法 |
エネルギー分散型 X線分光法 |
ラマン分光法 | 二次イオン質量分析法 |
取得可能な情報 | 元素情報 | 結合振動情報 | 質量イオン情報 | |
原理 |
試料に電子線を 照射した際に発生する 特性X線を分光. |
試料にレーザーを 照射した際に発生する 散乱光を分光. |
試料にイオンビームを 照射した際に発生する 二次イオンを質量分離. |
|
マッピング分析の空間分解能 | 50 nm – 1.0 µm | 1.0 µm程度 | 50 nm程度 | |
TRWP分析における課題 |
タイヤ由来のゴム成分と環境中の有機粒子の 識別が困難. |
カーボンブラック等の 成分の影響で,タイヤの ゴム成分の検出が困難. |
環境中で捕集した混合物のマススペクトルの同定が困難. |
3. SEM-EDSと機械学習による粒子の種類の予測
2章で検証した分析手法はいずれも,それぞれの手法単独ではTRWPの実態把握への適用に課題があった.特にSEM-EDS,顕微ラマン分光法では,タイヤ中のゴム成分の検出が困難であった.タイヤの主成分は有機成分であるゴムだが,ゴム以外の添加剤にはSi(補強剤のシリカやシランカップリング剤に由来),S(架橋剤に由来)等の無機元素が含まれている.特に加硫促進剤である酸化亜鉛に由来するZnは,環境中ではタイヤに由来する粉塵に特徴的な無機元素であり,Znをタイヤのマーカーとした研究が行われてきた10), 11).そこで,本研究では無機元素に着目し,SEM-EDSの元素分析結果を機械学習することで,微量な無機元素をマーカーとして,それぞれの種類の粒子を識別する手法を構築することとした.
TRWPはタイヤ由来の粒子と路面由来の粒子が混合した形態を持っていると考えられており,本研究の目的の一つは,各粒子の混合状態をマッピング分析のような手段で明らかにすることである.本章ではその前段階として,TRWPに関連する粒子を対象に,元素の含有割合からそれぞれの粒子を識別できるか試行し,手法の有効性を検証した結果を報告する.また手法の検証段階であるため,対象とする粒子はPM10サイズに限定しなかった.
3.1 対象とした試料
分析法の検証に用いる試料とするために,タイヤの成分のみを含む粒子の作製と,路面に堆積した粉塵の捕集を行った.
タイヤの成分のみを含む粒子として,乗用車用タイヤのトレッド切片を凍結粉砕し,CMTT試料を作製した.乗用車用タイヤ(住友ゴム工業製,ダンロップ LE MANS V 215/60R16)のトレッド部を切り出し,フリーザーミル装置(SPEX CentriPrep製,model 6800)により液体窒素を用いて凍結粉砕した.
路面粉塵試料として,一般財団法人日本自動車研究所(JARI)の城里テストセンター(STC)に所在する,多用途試験路の路面から粉塵をサンプリングした.なお採取した路面粉塵には,路面に堆積したタイヤ由来の粒子も含まれていると考えられた.
3.2 SEM-EDSによる粒子の観察と分析
CMTT試料と路面粉塵試料についてSEM-EDS分析を行い,それぞれの試料が含有する元素の特徴を把握した.本節ではSEM-EDSの分析条件と,それぞれの試料の分析結果を示す.
3.2.1 分析条件
試料はSEM-EDS(SEM: 日立ハイテク製,SU8020.EDS: 堀場製作所製,X-Max80)により分析した.一般に,SEM-EDSは他の元素分析手法と比較して分析結果の定量精度は劣っている.ただし,機械学習にデータを利用するためには,試料を一定条件で分析できていることが重要だと考えられたため,全ての分析においてSEM-EDSの条件と試料の前処理条件を固定した(表2).観察と分析の条件は,分析時の検出信号強度を高め,またなるべく多くの元素を検出できることに重点を置いて設定した.試料は粉体として導電性カーボンテープ上に散布し,Ptスパッタにより導電性処理された.
表2 SEM-EDSの分析条件および試料の前処理条件
項目 | 設定 | |
---|---|---|
観察・分析条件 | 加速電圧 | 20 kV |
エミッション電流 | 10 µA | |
コンデンサレンズ | 1 | |
プローブ電流 | High | |
検出信号 | SE (UL)※1 | |
試料の前処理 | 試料形態 | カーボンテープ上に粉体を分散 |
スパッタリングターゲット | Pt | |
スパッタ時の圧力 | 8.0 Pa | |
スパッタ時間 | 20 s |
※1 上部の二次電子検出器と下部の二次電子検出器の複合信号
3.2.2 試料の分析結果
CMTT試料および路面粉塵試料に含まれる粒子をSEM-EDSにより分析し,含有する元素を把握した.図7に分析対象とした試料の外観とSEM観察画像を示す.図7のSEM観察画像のように,CMTT試料には粒径100 µm以上の粒子が,路面粉塵試料には粒径50 µm – 100 µm程度の粒子が多く含まれていた.
個別の粒子の元素情報は,SEM-EDSにより観察視野全体の分析を行った後,図8のようにフリーハンドで指定した範囲の元素情報をソフトウェアにより再計算することで取得した.以後,元素の含有割合については,質量%として示す.
図7 分析対象とした試料の外観(上段)とSEM観察画像(下段)
図8 SEM-EDSによる個別粒子分析例
(路面粉塵試料の分析例,白線:フリーハンドでの範囲指定)
CMTT試料に含まれる36個の個別の粒子を分析した.CMTT試料に含まれる粒子はいずれも,CおよびO(酸素)の含有割合が高かったが,その他の無機元素の含有割合は粒子により違いがあった.図9には36個の粒子の分析結果の平均と,無機元素の含有割合に差のある粒子として5個の代表例を示す.また微量元素の比較のため,図10には図9からCとOを除いた結果を示す.CはCMTT中の粒子で最も含有割合の高い元素であり,平均76%含まれていた.OはCの次に含有割合が高く,平均16%含まれていた.CおよびO以外の元素ではSiの含有割合が高く,平均5.2%含まれていた.またCMTT中の粒子にはZnが平均1.6%含有されていた.
図9 CMTT試料のSEM-EDS分析結果の例(全元素)
図10 CMTT試料のSEM-EDS分析結果の例(C,O以外の元素)
路面粉塵試料に含まれる77個の個別の粒子を分析した.含有する元素の傾向から,路面粉塵試料中の粒子を大きく4種類に分類した.図11には,各種類の特徴を表す代表的な粒子を3例ずつ示す.また微量元素の比較のため,図12には図11からCおよびOを除いた結果を示す.
例1から例3の粒子はCとOが主成分(平均98%)であり,その他の元素の含有割合は低かった.CとO以外の元素の含有割合が低い粒子を有機系粒子として分類した.なお有機系粒子は,構成する元素がタイヤゴムの成分と似通っているため,特にタイヤ由来の粒子との識別が難しいと推測された.
例4から例6のような粒子は,有機系粒子と同様にCとOが主成分(平均84%)だが,それ以外の元素ではSiの含有割合が最も高かった(平均9.3%).C,O以外の元素として特にSiの含有割合が高い粒子を,Si系粒子として分類した.Si系粒子は,Siの他にAlを含んでいるため(平均2.5%),主にアルミノケイ酸塩のような成分で構成されていると考えられた.
例7から例9のような粒子は,有機系粒子やSi系粒子と比較してCとOの含有割合が低く(平均77%),Ca(カルシウム)の含有割合が高かった(平均19%).特にCaの含有割合が高い粒子をCa系粒子として分類した.
例10から例12のような粒子は,他の粒子と比較して特にFe(鉄)の含有割合が高かった(平均13%).特徴的にFeを含有している粒子を,Fe系粒子として分類した.Fe系粒子については,Feを含んでいることを除けば,構成元素とその割合がSi系粒子に近く,Si系粒子の類型と見なせる可能性もあった.ただし,環境中の粉塵の中で,Feは自動車のブレーキ摩耗粉塵に特徴的な元素であることから,本研究では一つの分類とした.
路面粉塵試料の粒子は,Al,Si,Ca,Fe等の多様な無機元素を含有していた.一方,CMTTに含まれていたZnは路面粉塵試料の粒子にはほとんど含まれておらず,含有割合は平均で0.01%以下であった.
図11 路面粉塵試料中の個別粒子のSEM-EDS分析結果の例(全元素)
図12 路面粉塵試料中の個別粒子のSEM-EDS分析結果の例(C,O以外の元素)
3.3 機械学習による粒子の種類の予測
SEM-EDSの分析結果から,個別の粒子が含有する元素の特徴を学習することで,含有する粒子の種類を予測した.予測には教師あり学習の手法を利用した.教師あり学習では,まず人間が正解を付けたデータセットを使い,機械学習の分類器を訓練する.その後,未知データに対しては,訓練済みの分類器を使って予測を行う.本節では,機械学習の手順と予測結果,および訓練した分類器の予測性能の評価結果を示す.
3.3.1 機械学習による予測の手順
SEM-EDS分析により得られたデータの学習には,機械学習ソフトウェア であるWeka12) を用いた.分類器はMultilayer Perceptronとした.機械学習の特徴量とラベルを表3にまとめて示す.学習の対象とする元素は20種類とし,粒子はタイヤ粉塵,有機系粒子,Si系粒子,Ca系粒子およびFe系粒子の5種類に分類した.
機械学習による粒子の種類の予測は,図13の流れで実施した.まず,3.2.2で分析した全ての個別の粒子に対して,含有する元素の特徴から粒子の種類を分類した.粒子の種類は,含有する元素の種類と割合から,著者の主観で分類した.これにより,各元素の含有割合と粒子の種類を対応させたデータセットを作成した(図13手順①).以後,主観で分類した粒子の種類を「正解」とする.次に,データセットから抜き出した一部を訓練データとして,各元素の含有割合から粒子の種類を正しく予測できるように分類器を訓練した.各元素の含有割合を入力データ,正解を予測するターゲットとして,教師あり学習を実施した(図13手順②).その後,手順②で訓練した分類器により,各元素の含有割合から粒子の種類を予測させた.データセット全体について,正解を隠した状態で,各元素の含有割合から分類器によって粒子の種類を予測させた(図13手順③).最後に,分類器による予測結果と正解を比較し,分類器がどれだけ正確に粒子の種類を予測できたか,性能を評価した.
表3 機械学習の際のパラメータ
項目 | 詳細 |
---|---|
元素の含有割合 (特徴量) |
下記の20元素を対象とした. Be, C, O, Na, Mg, Al, Si, P, S, Cl, K, Ca, Ti, Cr, Fe, Ni, Cu, Zn, Zr, Pt |
粒子の種類 (ラベル) |
下記の5種類に分類した. 1. タイヤ粉塵 2. 有機系粒子 3. Si系粒子 4. Ca系粒子 5. Fe系粒子 |
図13 元素分析データの学習の模式図
3.3.2 粒子の種類の予測結果
表4にCMTT試料に含まれる粒子(36個)と路面粉塵試料に含まれる粒子(77個)に対し,機械学習により種類の予測を行った結果を示す.ここで,TPはTrue Positive(正しく陽性と予測されたデータ),FNはFalse Negative(誤って陰性と予測されたデータ),FPはFalse Positive(誤って陽性と予測されたデータ),TNはTrue Negative(正しく陰性と予測されたデータ)である.タイヤ粉塵については,予測を誤ったデータ(FN,FP)は少なく,1データのみであった.有機系粒子については,全ての粒子が正しく予測されていた.Si系粒子,Ca系粒子およびFe系粒子については,予測を誤ったデータはそれぞれ7データ,4データおよび6データであった.
それぞれの種類の粒子が含有する元素の割合について,正解と予測結果を比較して図14に示す.また微量元素の比較のため,図15には図14からCおよびOを除いた結果を示す.全体として,正解と予測結果で各元素の含有割合に顕著な差は見られなかった.
タイヤ粉塵と有機系粒子の場合,正解と予測結果で各元素の含有割合にほとんど差は見られなかった.無機元素に着目すると,タイヤ粉塵と予測された粒子は,Siを平均5.3%,Znを平均1.7%含んでいた.一方,有機系粒子と予測された粒子は,Siを平均0.5%,Znを平均0.0%含んでいた.今回検証したデータセットの範囲では,タイヤ粉塵を有機系粒子へ,あるいは有機系粒子をタイヤ粉塵へ誤って予測したデータは無かった.
Si系粒子の場合,予測結果では正解と比較してC,O以外の元素の含有割合が低下した.予測結果で含有割合が低下した主な元素は,Al,S,K(カリウム),Caであった.一方,Na(ナトリウム),Si等の元素については,予測結果で含有割合が増大した.本研究で訓練した分類器は,Siの含有割合が低い粒子を別の種類の粒子として予測したためだと考えられた.Si系粒子と予測された粒子は,Siを平均9.4%,Alを平均2.4%含んでいた.
Ca系粒子の場合,予測結果では正解と比較してCaの含有割合に大きな差は見られなかった.Ca系粒子と予測された粒子は,Caを平均で19%含んでいた.Ti(チタン)については,予測結果で含有割合が低下した(0.88%から0.0%へ低下).Tiの含有割合が高かった2つの粒子はFeを含んでおり,Fe系粒子へと予測されていた.
Fe系粒子については,正解と予測結果で特にFeの含有割合に差が見られ,正解が平均13%であるのに対し,予測結果は平均9.8%と含有割合がやや低下した.これは,本研究で訓練した分類器が,わずかでもFeを含有している粒子をFe系粒子と予測したためだと考えられた.
表4 機械学習による粒子の種類の予測結果
粒子の種類 | 正解 | 予測結果 | |||
---|---|---|---|---|---|
TP | TN | FP | FN | ||
タイヤ粉塵 | 36 | 35 | 77 | 0 | 1 |
有機系粒子 | 15 | 15 | 98 | 0 | 0 |
Si系粒子 | 35 | 30 | 76 | 2 | 5 |
Ca系粒子 | 15 | 13 | 96 | 2 | 2 |
Fe系粒子 | 12 | 11 | 96 | 5 | 1 |
図14 各粒子の平均組成(左:正解,右:予測.対象:全元素)
図15 各粒子の平均組成(左:正解,右:予測,対象:C,O以外の元素)
3.3.3 分類器の予測性能の評価
表4の予測結果を基に,本研究で訓練した分類器の予測性能を評価した.分類器の予測性能はRecall(式 (1)),Precision(式 (2))およびF-Measure(式 (3))により評価した.Recallは,陽性であるデータのうち分類器が正しく陽性と予測できたデータ数の割合であり,「どれだけ取りこぼしの少ない予測ができたか」の指標となる.Precisionは,分類器が陽性と予測したデータのうち実際に陽性であったデータ数の割合であり,「予測がどれだけ正しかったか」の指標となる.RecallとPrecisionはトレードオフの関係にあることから,両者の調和平均を取り,分類器による予測のバランスを評価する指標がF-Measureである.
図16に分類器の評価結果を示す.タイヤ粉塵および有機系粒子についてはいずれの指標も0.97以上であり,本研究で訓練した分類器はタイヤ粉塵と有機系粒子に対する予測性能が高かった.タイヤ粉塵を有機系粒子へ,あるいは有機系粒子をタイヤ粉塵へ,誤って予測したデータもなかったことから,本研究で構築した手法により,微量な無機元素の特徴からタイヤ由来の粒子と路面由来の有機粒子を識別することが可能となった.
タイヤ粉塵および有機系粒子に対する予測性能は高かったが,他の種類の粒子の予測性能には課題があった.Si系粒子については,Precision,F-Measureは0.90以上である一方,Recallは0.86であり他の粒子としてやや低かった.Si系粒子はFNが5データあり,誤って別の種類の粒子に予測されたデータが複数あったためだと考えられた.Ca系粒子についてはいずれの指標も0.87程度であった.FPおよびFNは2データずつだが,Ca系粒子の正解の総数が15データと少ないため,予測を誤ったデータが少数でも,RecallとPrecisionへの影響が大きかったと考えられた.Fe系粒子については,Recallは0.92と高い一方,Precisionが0.69と特に低かった.Fe系粒子の正解の総数が12データであるのに対し,FPが5データとやや多かった.本研究で訓練した分類器は,Feの含有割合がごく微量でもFe系粒子と判断している可能性があり,今後の検証と精緻化が必要だと考えられた.
図16 分類器の予測性能の評価結果
4. まとめと今後の課題
4.1 まとめ
本研究では,PM10サイズのTRWPの形態と成分の実態把握を目的として,既存の分析手法の検証と新規提案手法の基礎検討を行った.
4.2 今後の課題
本研究ではPM10サイズのTRWPの実態把握を行う前段階として,単純な組成の試料を対象に,機械学習による粒子の種類の予測が可能か検証を行った.しかし,実環境中のTRWPは,タイヤ由来の粒子と路面由来の粒子が混合した複雑な形態を持っていると考えられる.また本研究ではテストコースの路面から採取した試料を路面由来の粉塵として分析したが,公道の路面に含まれる粒子の種類は,テストコースよりも多いと考えられる.今後は粒子形状や粒子の表面状態を定量化して学習する特徴量に取り入れ,実環境中の試料の解析に適用できるよう,分類器の予測性能を向上させる.また画像のピクセル単位で粒子の種類を予測することで,各種類の粒子の分布をマッピング可能な手法へと発展させる.
謝辞
本研究におけるTOF-SIMS分析は,文部科学省マテリアル先端リサーチインフラ事業の支援(課題番号:22NM0100)を得て実施しました.