JARI Research Journal
Online ISSN : 2759-4602
Research Activity
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Sou KITAJIMA
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2024 Volume 2024 Issue 12 Article ID: JRJ20241208

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Abstract

近年,あらゆる方面でDX(Digital X- (Trans) formation:デジタル化により社会や生活の形・スタイルが変わること)が推進されるなか,将来の維持が困難な地域交通もその対応に迫られている.ただし,単なる先進技術の導入はDX実現とはいえず,既存の交通体系に先進技術を調和させることで優れた安全性と利便性を地域住民にもたらす必要がある.交通体系は複雑な要素が絡み合うため,本格導入前に各種施策の効果を試す社会実験を代替できるシミュレーション技術が重要である.一般財団法人日本自動車研究所(JARI)と三咲デザインは,産官学が共同で活用できることを目指して開発を進めてきたところ,その方向性に賛同いただいた香川大学の鈴木桂輔教授よりコンソーシアム(共同事業体)の立ち上げについて提案を受けた.このような背景のもと香川大学では,2024年から産官学に共通する社会課題を解決するためのシミュレーション技術の高度化に向けたコンソーシアムを運営しており,本稿ではその活動内容について紹介する.

1. はじめに

日本の交通社会が直面している課題は多岐に渡っており,交通事故削減,交通渋滞緩和,輸送能力確保,地域交通維持などが挙げられる.とりわけ地域交通維持に関しては,地方部の人口減少・高齢化などの要因によって約90%の一般乗合バス事業の経営が成り立たないという極めて深刻な状況である1).これらの課題解決に向けて,官民が連携したDX(Digital X- (Trans) formation:デジタル化により社会や生活の形・スタイルが変わること)が進められ,内閣官房が推進する地域課題をデジタルの力を活用して解決する取組みを応援するDigi田(デジでん)甲子園において先駆けとなる成果をもたらしつつある2).DXを推進するにあたって先進技術には大きな可能性が期待される一方で,単に先進技術を積極的に導入することがDXを実現することにはならないという指摘がある3).既存の交通体系がかかえる課題と要因を特定し,将来の地域交通のあるべき姿を実現するために意義のある先進技術が導入されることで地域住民に対して優れた安全性と利便性を提供できるといえる.

実際の交通体系においては,四輪車,二輪車,自転車,歩行者などの交通参加者の混在,不安全行動・ヒューマンエラーによる危険事象の発生,曜日や時間帯による交通需要のダイナミックな変化といった要素が複雑に絡み合うため,各種施策がもたらす安全性・利便性を本格導入前に試す社会実験を代替できるシミュレーション技術が重要である.さまざまなシミュレーション技術が実用化されている中で,筆者はマルチエージェント*2 交通流シミュレーションが複雑な要素の複合的影響を扱ううえで有効なツールになると考えている.一般財団法人日本自動車研究所(JARI)では,三咲デザイン合同社のオープンソースのマルチエージェント交通流シミュレーション(Re:sim)4) をベースに,内閣府戦略的イノベーションプログラム第1期の事業推進で得られた知見5) を導入したシミュレーション(JA-Re:sim)を開発してきた(図1).このシミュレーションは各エージェントが独自に行動するなどの特長があり,運転支援・自動運転システム導入時の効果予測に有用6) である.このことに加え,現在,金沢大学との共同研究を通じて,本シミュレーションが自動運転技術の高度化にも有用であることを実証的に示す取り組みが進められている7)

交通社会に新たな安全性・利便性をもたらす取り組みは多様であるが,個別の効果は単純に足し合わせることが可能なものばかりではなく,重複したり相殺したりすることも想定される.JARIと三咲デザインは,産官学が共同で活用できることを目指して開発を進めてきたところ,その方向性に賛同いただいた香川大学の鈴木桂輔教授よりコンソーシアム(共同事業体)の立ち上げについて提案を受けた.このような背景のもと,香川大学では産官学の社会課題を解決するための共通プラットフォームを目指して「ヒト・モビリティ・ソサエティに関わるシミュレーション技術の高度化に向けたコンソーシアム」(以下,本コンソーシアムという)を2024年に設立した.本稿では,本コンソーシアムに参画する関係者の議論を通じて得られた共通ニーズに応えられるシミュレーション技術を開発する取り組みについて紹介する.

図1 マルチエージェント交通流シミュレーション(JA-Re:sim)の実行画面と主な特長

(ピンク色の線:道路網,グリーン色の文字:各交通参加者の番号)

2. ヒト・モビリティ・ソサエティに関わるシミュレーション技術の高度化コンソーシアム概略

香川大学イノベーションデザイン研究所では「共に未来を創る」を理念に掲げ,オープンイノベーションのプラットフォームとして先端的な研究の推進と社会が受容可能となる技術の在り方をデザインする活動を推進するため,二つのコンソーシアムを運営している8).その内の一つである本コンソーシアムではさまざまな社会課題を解決するために異なる分野の研究者が協力してシミュレーション技術を高度化する活動を進めている.産官の立場からのニーズ・要望に応えるツールを創り上げ,産官の現場における個別課題の解決に適用することで役立ててもらうことを目指している.

JARIは,香川大学と三咲デザインとともに利害関係者との議論に基づく活動方針の合意形成を図る役割を積極的に担っている.具体的には,図2に示すように産・官からのニーズ・要望に基づく社会ニーズと学による交通参加者の行動モデルなどの研究シーズをマッチングする研究課題の設定をし,得られた研究成果をJA-Re:simに実装することを前提とした技術的な研究の推進方法の相談を通じて,シミュレーション技術の高度化に取り組んでいる(2024年10月現在,14機関が参画中).

図2 産官学の共通プラットフォームを目指した本コンソーシアムの活動の全体像

本コンソーシアムの開発対象であるシミュレーション技術は,交通参加者の行動モデルだけでも複数のモデルが必要であるほか,個々の性格・心理状態などによって行動が変容する側面の考慮も必要であるなど取り組むべき課題は多い.さらに,研究成果である行動モデルをシミュレーションに実装し,実装した行動モデルによってエージェントが現実的な振る舞いをしているかを確認しなければならない.そのため,取り組むべき課題を体系的に整理したうえで4つのワーキンググループ(WG)を設定した.表1は,各WGの主なタスクと想定する構成委員を示している9).WG1は,コンソーシアムのステアリング・コミッティとして今後の活動方針についての議論・決定を担う.WG2は,シミュレーションの基幹となるエージェント・モデルならびに交通安全性評価方法の理論的検討を行う.WG3は,他WGの成果に基づいて新たなエージェント・モデルをソフトウェアとして実装する.WG4は,新たなエージェント・モデルに必要なデータをドライビングシミュレータ(DS)実験により取得し,得られた実験データに基づくモデル化手法・パラメータ同定手法を検討する.このように,各WGの活動内容が相互に関係しながらシミュレーション技術の高度化を進めていく.

表1 本コンソーシアムのWG体制(WG1~4)

WG 主なタスク 想定する構成員
WG1

  1.    コンソーシアム方針決定
  2.    ステアリング・コミッティ(運営委員会)の設置などの検討
  3.    コンソーシアムの今後の活動方針についての議論・決定

コンソーシアム活動に興味を抱いている方
WG2

  1.    エージェント・モデルならびに交通安全性評価方法論の理論的検討
  2.    従来の人行動モデルについての調査・整理
  3.    交通安全性評価方法論についての調査・整理
  4.    新たな人行動モデル,交通安全性評価方法論の提案

交通工学,交通心理学,認知心理学, 認知工学,人間工学,実験心理学, ヒューマンファクター学,制御工学, システム安全学,社会学,経済学,法学, 情報工学,サイバネティクス などの分野の研究者
WG3

  1.    新エージェント・モデル実装
  2.    新たなエージェント・モデルのソフトウェアとしての実装
  3.    (WG2の進捗に応じて)コードレビューならびにドキュメント化

人行動モデルの理論的側面についてある程度の知識を有し,かつ,コーディング能力の高いプログラマ

シミュレーション・プログラムを独自にカスタマイズしたいと考えている組織に属する方

WG4

  1.    ドライビングシミュレータ(DS)でのデータ取得やモデル・パラメータ同定手法の検討
  2.    WG2の進捗に応じて,必要なデータをDS試験により取得
  3.    被験者データや取得するデータ内容についての標準化
  4.    実験データのデータベース化,再利用の検討
  5.    実験データからのモデル・パラメータ同定手法の検討
  6.    Naturalistic DS実験のための方法論の検討

DS実験について知見のある研究者,エンジニア,パラメータ推定に関わる研究者

3. マルチエージェント交通流シミュレーションの現状と課題

前述したように,JA-Re:simは運転支援や自動運転が普及することによる事故低減効果の予測だけでなく,開発中の自動運転システムと接続して公道実証実験で遭遇しにくい希少な事象を効率的に見つけ出すことを可能にするシミュレーション技術である.さまざまな用途に活用できることがJA-Re:simの利点である一方で,本コンソーシアムが目指すような将来の都市計画・街づくりに活用するためには解決するべき課題が存在する.

3.1 多様な交通参加者エージェント・モデルの開発

本コンソーシアムでは都市計画や街づくりへのJA-Re:sim活用を視野に入れているが,これを実現するためには実際の交通流を可能な限り忠実に再現できていることが求められる.まずは,現状の四輪車ドライバ,歩行者に加えて,交通流の形成に関与する交通参加者がシミュレーション上に登場できるように行動モデルを実装する.とくに,二輪車ライダーと自転車乗員については基本的な行動モデルを構築することが必要であり,歩行者についても現状は限定的な範囲(単路の横断,交差点の横断)の行動モデルの構築に留まっているため,その範囲を拡張していかなければならない.二輪車ライダーや自転車乗員の行動モデルに関しては基本となるエージェント・モデルの考え方が定まっていないことに加えて,モデル化やパラメータを議論するためのエビデンスとなる基礎的なデータ(大型二輪車と原動機付自転車などの車種による行動特性・ライダー特性の違い,自転車の目標速度の決定とそれに従う加速・減速操作の特性など)そのものが不足している.

さらに,誰もが効率的・機能的に移動できることを目指し,図3に示すような次世代のモビリティの技術開発・社会実装が加速していくと予想される10).これらのモビリティの行動特性は,従来の四輪車・二輪車・自転車・歩行者とは異なる特徴があると考えられるため,将来の都市計画・街づくりに適用することを見据えて行動モデルを開発する対象として考慮することも重要である.また,次世代のモビリティには正の側面ばかりではなく,例えば電動キックボードの場合は利用者の急激な拡大によって車道の右側通行,歩道走行,飲酒運転,二人乗りといった違反行為が後を絶たないためにレンタル電動キックボードが規制されるような事態も生じている11).効率性・利便性が高いというメリットを活かすためにも利用者の意識を適正化することが求められる.したがって,意識の適正化に資する取り組み(教育面・インフラ面・規制面)が利用者の行動変容を促す作用をエージェント・モデルに反映できることが求められる.

図3 さまざまな次世代の電動モビリティの例

(出典:日本電動モビリティ推進協会: https://jempa.org/goal10)

3.2 ドライバエージェント・モデルの高度化

JARIと三咲デザインがこれまでシミュレーション技術を継続的に開発した結果,四輪車のドライバエージェント・モデルは図4に示すような基本構造が実装され,これによって現実の運転を一通り模擬できるような枠組みを構築した7).ただし,将来の実用化が期待される先進的な情報提供・注意喚起の有効性評価や他の交通参加者との相互作用の模擬などに向けては解決するべき課題が存在する.

依然として国内で年間約31万件が発生する交通事故を削減するためには,事故の主要因である交通参加者による不安全行動・ヒューマンエラーを可能な限り再現し,被害軽減・未然防止の観点で対策の有効性を検証できる必要がある.不安全行動・ヒューマンエラーの実装は,発生するメカニズムを解明し,それを模擬できるモデル化とコーディングによって進められる.現状のシミュレーションにて模擬できている代表例は,追突事故を起こさないように前方の先行車を注視すべきときに他の対象に気を取られることで別の方向・対象をドライバが注視する脇見動作である.しかし,前方を注視しているが状況を正確に認識していない漫然運転のような内面的な要因を模擬するためにはメカニズム解明・モデル化・コーディングのいずれも不十分な段階である.

図4 現状のドライバエージェントの行動モデルの基本構成(先行車に追従する場面)7)

各エージェントの個人間差・個人内差の影響を模擬するため,現状は (A) 法順守傾向・(B) 情報処理能力・(C) 運転スキル・(D) 覚醒水準の4パラメータを用意している(図5).(A) ~ (C) は個人間差,(D) は個人内差を表すためのパラメータであるが,ラッセルが提唱するように個人内差をさらに忠実に模擬するためには低覚醒と高覚醒に加えて快・不快といった運転中の感情面の変化を考慮する必要がある(図6)12).人間の覚醒・感情を対象とした研究を進めるためには,生理学・心理学をはじめとする多様な専門家による学際的な知見が欠かせないため,本コンソーシアムの活動が果たす意義は大きい.

図5 ドライバ属性を表現するための現状の4パラメータ

図6 ラッセルの円環モデルの例12)

4. おわりに

本稿では,香川大学が産官学の社会課題を解決するための共通プラットフォームを目指して立ち上げた「ヒト・モビリティ・ソサエティに関わるシミュレーション技術の高度化に向けたコンソーシアム」の活動に関して紹介した.本コンソーシアムが設立される以前からJARIと三咲デザインは,産官学が共同で活用できることを目指して開発を進めてきた.その方向性に賛同いただいた香川大学の鈴木桂輔教授よりコンソーシアムの立ち上げ,広く関係者を巻き込んでいく活動に発展することについて提案を受けた.JARIとしては,これまでに開発してきたシミュレーション技術をJARI単独で高度化することよりも,モビリティに関わる課題解決について同じ方向を目指せる関係者との連携によって早く・良質な高度化が達成できうることに意義があると考えている.本コンソーシアムを設立して以来,参加機関が徐々に増えて現在は14機関が参画している.協調領域の課題解決に向けて産官学が一体となった活動をさらに推進できるよう,活動理念に賛同・共感いただける機関からの積極的な参画をお願いしたいと考えている.

そのためには,本コンソーシアムの活動内容を積極的に公表していくことが重要である.今後の予定として,2024年11月に本コンソーシアムが主催するシンポジウムを開催するとともに,自動車技術会の2025年春季大会においてオーガナイズドセッション企画する方向で進めている.11月のシンポジウムにおいては,WG1構成員であるJARI,三咲デザイン,香川大学,自動車メーカ,サプライヤの関係者からの講演によって構成される予定である.

References
 
© Japan Automobile Research Institute
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